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January 13, 2026
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令和8年の最初のわの会は六浦付近の上行寺や嶺松寺跡を巡る行程だった。
この付近はもう何回も見学しているので、よく知っているのだけれども、
勉強していると新しく思いつくこともあって面白い。
ルートはこんな感じ。


地図の右側を見ると、青の斜線で区別された部分が分かると思うがここは埋め立て地である。
後述するが昔はここまでは海で、地図上に「六浦の渡し場」と書かれた部分は船着き場だった。
昭和25年ごろの付近の地図を参考に載せる。


形が少し変形しているが、六浦の渡し場付近まで海が来ているのが分かる。

金沢八景駅前に集合した後、最初は金龍禅院に向かう。



瀬戸町やぐら群で大事なことは、ここには「やぐら」と横穴墓が混在していると言うこと。
つまり「やぐら」とは何かということが分かる遺跡なんだと思う。
「やぐら」は横穴墓と形状は似ているが埋葬方法が違い、
どちらかと言うと横穴を利用して造った「法華堂」に近い。
そのせいで中には宝篋印塔や五輪塔が有り、床に火葬した骨壺を納める穴などが有る。
横穴墓は明らかにお墓で、恐らくは古墳時代から続く中間階級層のお墓である。
そのことから想像できるのは、恐らくここ三浦半島には古くから横穴墓による埋葬文化が有り、
それが仏教の普及に伴い法華堂等の文化と「融合した」ものだろうと思う。
従って、中国に有る龍門石窟や雲崗石窟とは意味が違うのである。
(かながわ考古学財団の人達は間違えて龍門石窟の人達と交流している。)
龍門石窟や雲崗石窟は仏様を祀る石窟であり、お墓ではない。

現地に行くとちゃんと説明書に書いてある。
龍門石窟に祀られたお坊様は「仏になったから祀られた」と書いてある。
つまりお墓ではなく、仏様として祀られているのである。お墓は別にちゃんとある。
(ただ「かながわ考古学財団」に行ってみて驚いたので文句は言えない。
 なんと「かながわ考古学財団」の人達は上郷の閉鎖した小学校に間借りしている。

 職員はひどい扱いをされており、研究費が少なく、十分な研究ができないのだと思う。
 だから彼らが悪いのではなく、県知事や市長が悪い=理解が無いのだと思う。)

このやぐら群が大事なのは他にもある。
「かながわ考古学財団」の調査報告書を見ると面白い出土品が出ている。
昔の中国(北宋や明)のお金が出ているのである。
鎌倉時代に書かれた吾妻鏡にも、ここには中国からの貿易船が3艘来たと書かれており、
それがこの辺の地名に「三艘(さんそう)」として残っているのである。

明は1368年から1644年まで、つまり日本で言えば南北朝時代から江戸時代の中国の国である。
北宋は960年から1127年まで、つまり日本の平安時代頃の中国の国である。

より重要だと思うのは北宋の方で、平清盛は北宋の後の南宋と交易している。
この通貨がその頃の物とすると(お墓にあるのだから少しくらい後なのかも?)、
この墓の主は前九年の役(1052-1063年)や後三年の役(1083-1087年)の時代の人で、
源氏がこの2つの戦いで「武士の頭領」の座を得る元を作った人かもしれないからである。
平家や源氏は元々は天皇の分家の子孫で京都の貴族なので、
自分の家来や土地は持ってなく、単なる名誉しかもっていなかった。
そこで関東に来て、地元の豪族と結びつき、いわゆる坂東八平氏などになる。
その際に大事なのが源氏や坂東平氏を支えた地元の豪族で、この墓の主なんかなんだと思う。
彼らの財力と兵力を味方にした坂東平氏(北条氏など)はなんと源氏を滅ぼし、
あげくの果てには朝廷まで打ち負かして武士の世界を鎌倉に築く。
つまり日本の歴史の中でものすごく大事な「お墓」なんだと思うのだけど、
神奈川県や横浜市は奈良県や福岡県とは違って歴史文化には理解が無いので、
その重要性が分かっていないのだと思う。

まぁ愚痴を言っても仕方ないので次に行くと、次は六浦橋に着く。


橋は国道16号線にかかっており、左が横須賀方面、右が東京に向かう道である。
奥は六浦方面なんだけれども、今は暗渠になっており、先はどのようになっているのか不明。
後ろを振り返ると六浦の渡し場跡が見える。


渡し場は昭和の初めころまでは有ったので、今でも石垣の跡が残っている。
上の方の昭和25年頃の地図を参照。

色々な本を読むと、この渡し場は海軍がこの辺に進出してきた際にはおおいに活用されたらしい。
元々たいした産業が無かったところに海軍が来て、雇用が盛んになったせいで人が増え、
地元の人達も急にこの辺で仕事や商売を始めた人が多かったのだそうだ。
京浜急行は前身の大師電気鉄道株式会社が1898年に創業して、
1931年には湘南電気鉄道(現在の逗子線)と結びついている。
つまり既に昭和の初めころにはこの辺は電車が通る便利な所になっており、
それが海軍と結びついてここは結構栄えたのかなと想像できる。

六浦橋を見学した後は浄行寺東遺跡に向かう。
ここには前も来たのだが、今回は残念ながら工事中で外側から眺めるだけだった。
なので、写真は前回のを利用する。


これも説明文を見ると分かるように源頼朝が文治年間に創建した浄願寺跡だと言うのが本当なら、
ものすごく大事な遺跡なんだけれども、危うく壊されてしまう寸前だったと言う遺跡。
本当に神奈川県と横浜市は文化遺産に理解が無いと思う。
そもそも源頼朝が何故金沢の六浦をこんなに大事にしたかを考えるべきなんだと思う。
上にも書いたように、ここには頼朝をはじめとした源氏一族にとって大事な人か物が有り、
頼朝はそこを訪ねて来ていたのではないだろうか?
そしてそれが歴史に残っていないのは北条氏にとって都合が悪い事だったからでは?
恐らくは北条氏よりも三浦氏の方が正統で、源氏は三浦氏と親しく、
そのせいでここに来ていたのではないだろうか?
北条氏の為の本である吾妻鏡には書けないと思う。

まぁそれはそれとして次は嶺松寺跡。


上の方の昭和25年の地図に書いたが、ここは嶺松寺谷戸の入口。
お寺を作るには絶好の場所だと思う。
(鎌倉の名の有るお寺は後ろに山が有り庭園の様子になっている。)
そして鎌倉のお寺にはやぐらがつきもの。
つまりやはり「やぐらはお墓」なんだと思う。

ここを山の方に登って行くと千葉氏の墓が有る。


説明板を読むと、これらのお墓は元はここ嶺松寺谷戸のあちこちに有ったらしい。
そりゃそうだよな。谷戸自体が嶺松寺の境内なんだから。宅地造成のせいでちらばっただけ。


説明板に書かれている「平胤通と妻」の墓その他を探してみた。


比較的新しいので、意外に読める。
そして大事なのが瀬戸神社の神主を代々千葉氏が務めていたと言うこと。
千葉氏は坂東八平氏の中でも有力な氏族で、三浦氏と先祖を同じくして、源氏と縁が深い。
源頼朝が石橋山の合戦で負けて三浦氏と共に千葉に逃げたのは千葉氏が居たからである。
そして頼朝は捲土重来、鎌倉に戻って来る際に関東の武士達を集めて来るのである。
その際に千葉氏が果たした役割は大きいのだと思う。
その千葉氏が瀬戸神社の神主を代々務めていたと言う事実は本来ならば歴史上大事な事では?

そして最後は上行寺。
入口に舟繋ぎの松が有る。
日蓮上人が富木五郎と船中問答をしながら千葉から渡って来た時に舟をつないだ松である。
上の昭和25年の地図を見ると分かるが、
ここは港そのものではなく、港に続く川のほとり。
つまり潮の満ち引きが有って着岸しにくい砂浜部分ではなく、
川まで舟で上って来て、そこで降りたのでここに舟繋ぎの松が有るのである。
大船なんかと同じだなと思う。
砂浜部分には船着き場は作りにくく、波の無い川まで上って来た方が安全なのである。


最後は上行寺にお参りした。


最後に横浜市の教育委員会に苦言を書こうと思う。
横浜市の教育委員会に九覧亭の跡の場所が違うのではないかと質問したら、
金龍禅院の方がそう言うのだから間違いないと言う返事を頂いた。
横浜市の教育委員会の返事としてはダメだと思う。
○○さんが言ったからと言うのは、その立場の人の返事としては適当ではない。
専門家なのだから、ちゃんと調べて、自分の言葉で答えるべきだと思う。

横浜市の教育委員会は現在金龍院の聖徳太子堂を九覧亭跡地だとしている。
でも江戸時代の絵図を見ると、太子堂と九覧亭は別に有り、
絵図によっては結構離れている。
例えば初代広重の武陽金沢八景略図はこんな感じである。


太子堂と九覧亭は別に有り、しかも結構離れている。
そもそも宗教上の施設である聖徳太子堂と遊興施設である九覧亭を混同するなんてひどい。
お線香をたく所とお酒を飲む所は別だろう。

この絵図が正確ならば、恐らくは太子堂と九覧亭は下の写真の位置に有るのではないだろうか?
絵の太子堂と九覧亭の間は「くの字型」に曲がっているが、
現代の金龍禅院の裏山も絵の通りに九の字型に曲がっており、
その両側に太子堂と九覧亭が有ったのならば、下の写真のような位置関係になるはずである。


上の写真では分かりづらいと思うので、googleMapで見てみる。


このgoogleMapの地図を見ながら気がついたけれども、
聖徳太子堂がここに有るのは、ここに瀬戸町やぐら群・横穴墓が有り、
それは北条氏や三浦氏の母方の御先祖様(父方は源氏や平氏)であり、
聖徳太子堂はその御先祖様を祀る大事な場所(法華堂的なものが有った?)だったんだな。

横浜市の教育委員会はちゃんと勉強して答えて欲しいものである。





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最終更新日  January 14, 2026 07:59:59 AM
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