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毎日の生活が退屈だという人がいます。そういう人をよく観察してみると、価値のある仕事、クリエイティブの創作活動、意味のある行動、人から称賛されることに大きな価値があると思っています。そして価値のあまりない仕事、人から拍手喝采されないようなことは軽視して手をつけない。そうかと言って価値のある仕事はどこから手をつけていいのか、きっかけさえつかめない。つまりどちらに転んでも、何もしないので退屈になるのである。実践という言葉の「践」の右のつくりはわずかという意味があるそうです。「浅」はわずかな水深です。「銭」はわずかなお金です。実践というのはわずかに自分の足を使って動いてみるということです。日常生活の中でわずかな実践は数限りないほどあります。それらを手を抜かないで、一心不乱に取り組んで見る。すると工夫や発見が次から次へと浮かんでくるようになります。入院森田療法はそこに焦点をあてていました。
2013.01.19
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森田先生は18歳のときから、亡くなるまでずっと日記を書いておられた。簡潔に1、2行もの。簡単なものはいつ起きて、いつ寝たとだけ書いてある。事実の羅列。感情的なことは書いてない。例として年賀はがきの枚数。書いた原稿の枚数。完成するまでの日数。病院へ行く道すがら食べたアンパンの数。父からの仕送りの額はいくらだった。ちなみに総額2587円だった。自分でこれをためるのに8年かかったといっている。妻とのセックスの回数。月末には集計までしている。誰だって隠したいことはある。森田先生にはそれはない。事実を具体的にということに徹底してこだわった。森田先生の影響を受けて7年前から日記をはじめた。3年日記をつけていたが、以前の日記を見るのが大変なので今年から10年日記に変えた。私は毎日夕食に何を食べたかを書いている。後社会のおもな出来事も書いている。3行か4行なので続いているのかもしれない。以前の同じ日付を見ていると、今年もそろそろ準備しようと思うことがある。
2013.01.16
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私は森田先生の好奇心旺盛なところをまねてみようと思い、趣味ややってみたいことの棚卸をしてみました。すると、でて来るわ出てくるわで、私もとても好奇心旺盛だなと思いました。コンサート 市の情報誌による検索、区民文化センター行事 クラッシック観賞、警察、消防、自衛隊の音楽隊の観賞、アマチュアオーケストラサックスの情報 チンドン屋の情報 練習場所 楽器情報 グループ情報 習い事情報 ブログ、デジカメ画像処理、DVD加工、パソコン活用情報 川柳、ユーモア小話の作り方 安来節、どじょうすくい 獅子舞い 浪曲奇術 蕎麦打ち、加工食品、燻製作り、男の料理教室、魚のさばき方 第9合唱団員参加、健康麻雀、自家用野菜作り、大菊仕立て健康情報 ヨガ、水泳、卓球、ハイキング、魚釣り花盆栽 季節の花見情報 盆栽展 らん展 菊花展 五月展 花ごよみ作成 公園、植物園情報旅行情報 工場見学、ビール工場見学、博物館、美術館、温泉情報、グルメイベント情報 祭り、プロ野球、サッカー、イベント情報、写真展、公開講演情報映画、テレビ、ビデオ、書籍情報、落語情報公共施設利用情報みなさんも趣味などの棚卸をして、常にアンテナを四方八方に張って、有用な情報の取得に力を入れてみてはどうでしょうか。生活がすぐに活性化すると思います。
2013.01.14
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ある方が、生活の発見誌に紙切れ法を紹介されました。それは、よいアイデアや気づきは道を歩いているときとか生活のあらゆる場面ででてきます。それを、すぐに紙切れに書き留めておく方法です。この気づきを宝物のように大切にすることはとても大事なことです。その時、よいアイデアだと思ったことでも、書き留めておかないとほとんどのことは忘れてしまいます。忘れてしまって、きめこまかい行動に結び付けていかないと、我々神経質の細かいことによく気づき行動に結実させていくというよさは活かされなくなってしまいます。そうなると、性格が悪い方に災いし、普通の人と同等ではなく、普通の人以下になってしまいます。私は、これを日常茶飯事に全面的に応用してまいりました。きめの細かい日常茶飯事になったことは言うまでもありません。1991年(平成3年)4月号の生活の発見誌に、「誰でもやればいいなと思うことはいくらでもあります。でも思っただけでは能力ではありません。それは思わなかったのと結果は同じです。小さなことをおろそかにしないで、すぐにかたずける。この能力が、実は非常に大事なのです。」私は今では100均で買ったメモ帳に5センチぐらいの小ボールペンをくくりつけ、気づいたこと、やるべきことをすぐメモしておきます。目標は気づきの手持ちストックを数多く作るということです。ですからできてもできなくてもかまわないぐらいに思っています。この方法は、我々のような神経質者にとって細かいことを着実に実施して成果を上げるにはとてもよい方法です。
2013.01.12
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私の母親は82歳で亡くなりました。その母が生きていたころの話です。以前は田舎で稲作りを中心とする農業をしておりました。しかし、交通事故に遭い、ついに田んぼを人に預けて引退しました。そして自家用野菜作りだけになりました。遺族厚生年金等を受給しており、生活費には困っていません。最近は近所にも未亡人で一人暮らしの人が増え、毎日毎日、ダベリングの悠々自適の生活です。食べ物は、数年前に近所に大きなスーパーができて、刺し身から天ぷら、お惣菜までなんでもそろっており、お金さえだせば何でも手に入ります。近所の人は、最近自家用野菜も作らなくなり、うめぼしなどの加工食品もその多くは購入するようになりました。実はこうした生活は、夢のような理想でした。特に、戦中、戦後にかけて経済的に苦労したのちに、やっと掴んだ物質的に豊かな生活でした。牛や鶏も飼う必要がなくなり、何日も泊りがけで旅行も楽しむことが出来るようになりました。また、カラオケ教室をはじめ、趣味やスポーツ、文化講座にも参加して思う存分生活を楽しむことが出来るようになりました。今まさに料理のわずらわしさから解放されましたし、掃除や洗濯などもほとんど手がかからなくなりました。そんな何も悩むことがないような母親がいうのです。旅行もたくさんしたし、もう行きたいところもなくなった。食いたいものもない。もういつお迎えが来ても思い残すことはないと。つまり、現在便利さと引き換えに、生きていてもおもしろくない。生きがいがないというのである。若いころのような充実感がないのである。家族の食べるものを作り、料理するという日常茶飯事のわずらわしさから解放されて、浮いた時間でもっともっと生活を楽しみたいと思っていたことは間違いだったのであろうか。若いころは、自分の食べるものはほとんど自給自足でした。米、麦をはじめさまざまな野菜、味噌、しょうゆ、そば、うどん、団子、卵、鶏肉、つけもの、梅干し、ラッキョウ漬、ドブロク、ぶどう酒、栗、川でうなぎや川魚を取って生活していたのである。馬や牛、鶏も飼っていた。馬や牛は農耕にも使っていた。そうした雑事は、面白しろみがなく、わずらわしいものではありますが、生きがいずくりには役立っていたのではなかろうか。自分の必要なものを作るための日常茶飯事に真剣に取組むことは、気持ちに張りを持たせ、気ずきや工夫が生まれ、その人の生きがいをつくりあげ、家族との絆を強固にし、近所の人たちとの交流が生まれ、心身とも活き活きと生活していたのではないでしょうか。このことからいえることは、日常茶飯事や雑事を無視して、けっして人生は活性化しないし、反対に人に負担をかけたり、人に甘えることになるということです。
2013.01.12
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森田理論の雑事を丁寧に取り組むことを仕事に応用してみました。すると今まで仕事に追いまくられて苦しかったのが、ある程度仕事をおってゆけるように変化してきました。その違いをまとめてみました。仕事を追う事ができるようになったころ1.細かい仕事をていねいにする2.やるべき仕事を予定表や手帳によくまとめている。3.仕事の期限、納期を守る。4.仕事の優先順位をはっきりしている。5.小さな時間を有効に使う。6.朝早くとりかかり、夕方は早く終る。7.仕事に余裕がある。8.仕事にリズム感があり、規則正しい。9.1枚の伝票をお金のように大切に扱う。10.机の中をよく整理している。11.仕事を自分で改善して、自分なりのマニュアル表を持っている。12.ムダで余分な仕事はできるだけ作り出さない様気を配っている。13.仕事の点検をして間違いを早く発見して手を打っている。14.終った仕事は関係部署へ速やかに回している。15.その日にやるべき仕事はその日に終らせる。16.尻軽く体を動かす。仕事に追われていたころ1.細かい仕事をバカにしてため込んでいる2.ゆきあたりばったり。上司から指摘されて手をつける3.自分の力でがんばって間に合わなかったら仕方がないと思っている。4.気が向いた仕事から手をつける。5.暇な時はムダ話かボケっとしている。6.朝遅くからとりかかり、夕方遅くまでかかる。7.残業が多くなり、仕事をかかえすぎる。8.何かにせきたてられているようである。9.伝票を紙くずのように扱う。10.机の中に仕事に関係ないものまで入れている。11.仕事がうまくゆかないのは他人のせいにしている。12.まとめてやるので間違いが多く、またその発見に手間取り、やらなくてすむ仕事をたくさん作り出している。13.人から指摘されて間違いに気ずく。処理が遅れクレームになり、時間がかかる。14.仕事をため込み、先方から早くしてくれと催促されている。15.仕事が残っても別に気にならない。16.口が達者で手や足が動かない。
2013.01.12
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私の好きな言葉を紹介します。1992年(平成4年)4月号の発見誌の58ページに「平凡に徹した非凡」と題して水谷啓二先生が次のように書かれております。我々神経質者は風雲に乗じて成功を遂げるタイプではない。我々は、平凡を軽視しないで毎日の仕事に精を出すタイプである。しかし、そうゆう生活が20~30年と積み重ねられると、非常な非凡な成果を生む。特に対人タイプの人は、負けず嫌いで、強い優越欲求を持っていますが、誰でもできるような小さな実践を、手を抜かないで実践することによって、その大きな目的は達成できる道があるということです。野球でいえばホームランではなくヒットを積み重ねること。漁業でいえば、大マグロを狙って一発勝負よりも、小魚で生計を支え続けるというところでしょうか。我々は100Mを11秒で走れと言われてもできませんが、時間は気にしなくてもよいから42.195KMを完走しなさいと言われるとできないこともありません。事実私の知り合いはガンになり内蔵の多くを摘出しました。5年生存率は10パーセントぐらいでしたが、昨年5年をクリアーしました。そしてフルマラソンを完走しました。
2013.01.12
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オタンダのある地方に毎年渡り鳥が飛来していました。慈悲深い地元の人々は餌付けを始めました。最初のころは用心深かった渡り鳥は、しだいに人間になついてきました。そのうち、飛び立たずにそのまま、その地で1年間を過ごす鳥がでてきました。つまり渡り鳥が渡り鳥でなくなったのです。そのうち、餌の食べ過ぎでぶくぶく太り飛び立つことさえ出来なくなったということです。渡り鳥は渡り鳥の生きるプロセスを踏んでいるからこそ渡り鳥として生きてゆくことができたのです。餌を獲ることを忘れ、飛ぶことを忘れた渡り鳥はもはや元に戻ることは出来ません。人間に依存してゆく生き方は、最初のうちは、どんなに楽ができてゆとりができることかと思ったことでしょう。しかし、最後には生きがいを奪われ、人間のみせものとしてしか生きるすべはなくなってしまいました。これを、人間の場合はどうでしょう。日常茶飯事をすべて両親や他人に依存して、趣味三昧、テレビ漬け、そして刹那的な快楽ばかりを追い求める生活を続けていたとしたら、その人はどうなるでしょう。この渡り鳥のようになるかもしれません。人間に生まれたからには、人間としての宿命を背負っています。それは、問題や気づき、課題や目標に対して頭を使って考えたり、よりよい方向に改善することに取組むことです。そういった生活、言い換えれば、問題等のストックをたくさん持って、常にそれらの問題等に真剣に取組んでいるかどうかが、人間として活き活きといきていけるかどうかの分岐点となるのです。その中でも人間の一番基本的で、最も大切なのが、日常茶飯事、雑事にたいしてていねいに取組むことなのです。ここが森田学習の出発点となります。
2013.01.12
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行動するときの大事な構えです。「わしは風呂をたくときは風呂たきになりきる。どうしたらゴミの整理がうまくできるか。どうしたら少ない燃料でもっと早く風呂を沸かすことができるか、真剣に研究し工夫する。風呂を焚くときには風呂焚きになり切り、診察する時は医者になりきり、将棋をさすときは将棋さしになりきる。つまりなにをやっても、自分の全力をつくすのだ。そこに価値批判はなく、風呂たきも診察と同じように興味があり、張り合いがある。これがもし下手な価値判断にとらわれ、風呂をたくより原稿を書いた方が得だ。原稿を書くより診察の方がもうかる。診察よりも病院の経営をやった方が利益も多い、という具合に損得を基準にして考えてゆくと、しまいには何もすることがなくなって、手をこまねいているか、あるいは詐欺をやった方が早道だ、というようなことにもなりかねない。風呂焚きでも、飯炊きでもなんでもよい、価値批判を抜きにしてとにかく手をつけさえすれば、いつとはなしに興味が出て研究と工夫を重ね、仕事はそれからそれへと発展して、社会に役立つ働きができるようになるものだ。」水谷啓二さんが入院されていた時のエピソードに、枯れかけてた1年草の植木鉢に水をやっていたところ、やっぱり君はものそのものになっていない。君たちのような高等教育を受けた者ほど、理屈ばかり達者になり、実際の働きができないと言われたとのことです。ものそのものにならず、行動すれば症状が治るのだと思って行動することは、症状が治るのではなく、ますます悪化するのである。
2013.01.11
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休息するのに必ずしも仕事を中止してぼんやりしている必要はない。事をやりながら休息をとることができるのである。たとえば、難しい仕事のあとにはやさしい仕事をし、頭をつかったあとには体をつかう仕事をする。というように、仕事の種類や性質を変えていけばよいのである。食事の後には新聞を読むとか、腕で土を掘ったあと足で踏み固めるとか、哲学的なものを読んだ次には歴史伝記を読むとか、一定の変化がある方がよい。たとえやさしい仕事でも、同じ仕事を一日中続けるのは、全く知恵のないやり方である。仕事に変化が多いほど、心身の活動はますますさかんになるのである。どうしてかというと、我々人間の注意作用には、緊張と弛緩のリズムがあって、一つのことに対して、いつまでも同じ強さの緊張で、注意を集中し続けることはできないのである。だから、同時の事物に触れて、注意が多角的に動いている時に精神は最も緊張し、したがって本もよく読める。これから考えられることは、仕事でも家事でも遊びでも同じことをいつまでも続けると、精神が弛緩してだらけてくるということである。だからどんどん仕事を変化させていくことが、刺激が高まり、精神活動が活発になるということです。活発になれば、アイデアや創意工夫が次から次へとでてくるということになります。岩田真理さんは仕事を30分単位でどんどん変えていくことを提唱されていましたが、私も現在これを生活の中に取り入れています。
2013.01.11
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ちょっと呼びかけても、話をしかけても、返事が遅く、人の話が聞きとれないで、耳が遠いように見える少年がある。聴力を検査してみると、常態であって、少しも重聴はない。これは外界の変化に対する注意の活動の鈍いためで、頭の働きの遅鈍なものに多い。これは、その人の精神が、自分の談話のことばかりに集注し、周囲の変化に対する注意の喚起作用が停滞しているからである。もし精神が、「打てば響く」というふうに、外界に対して、全般に緊張している時には、注意は相手がいかに自分の談話に反応するか、共鳴するか、うるさがるか、退屈倦怠か、さては相手が忙しいか、なにか他に心配ごとでもあるか等のことに反応して、時々の変化に対する観察が行われ、これに相応して、自分の談話のかけひきをすることができる。この時に初めて、他の些細な言葉にも、注意が活動して、聞き洩らすことはない。およそ精神の働きは、単に自分自身にのみ閉じこもっている時に、常に鈍感となり、外界と自分との間に、あたかも昆虫の触角が微動するように、交互に絶えず、注意が活動している時に、初めて最も鋭敏になるのである。森田先生は集中するということについて、注意を一点に集めて、一つのことにのめりこんでいる状態とは違うといいます。昆虫の触角のようにあらゆることに神経があまねく行き渡っている状態がよいといいます。緊張感があると仕事をしても、読書をしても、あるいは創作活動でもいいものができますが、刺激のない精神が弛緩している状態ではだらけてしまってよいものはできない。
2013.01.08
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今月号の「生活の発見誌」の記事の紹介です。普通に考えるとうまくゆく自信もないのに、そんな安請け合いをして大丈夫なのという声が聞こえてきそうです。森田先生の話です。呉先生から、旅費が余っているが誰か調査に行きたいものはないかと聞かれたそうです。森田先生はその時はどこで何を調査するという腹づもりはなかったそうです。まずその機会を取り込んでおいて、後で考えるというのです。神経質な人はもし失敗をするとどうなるんだ。人から批判されたらいやだとか考えて躊躇してしまいます。森田先生は、結局このお金を使って生まれ故郷の犬神つきの研究をされたことはよく知られています。森田先生の同僚は、まず、自分が何を調査し、そのお金をどう使おうかということを考えて、目算が立ってからイエスと答えようとしますから、間に合うはずはなく、あとになってあの時に引き受けておけばよかったと残念がるのです。ここの入院患者でも、私が何か仕事を見つけて、「だれかやる人はないか」と聞くと、聞かないふりをしたり、わざとうつむいたりする人がいる。こうゆう人はなかなか治らない。イエスと答えた後は、もはやのっぴきならない背水の陣です。運命を切り開いていこうとする人は、この境遇を作らなければいけません。私たちは頭でできると確信が持てなくては、体が動かないのです。全部そうしなくてもよいと思いますが、とにかく尻軽に体を動かす。理屈より行動。この生活態度が大切だと思います。
2013.01.08
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今症状で苦しくて行動ができない人へ対人恐怖症で会社へ出勤するのがイヤでイヤでしかたがない人は、「月給鳥」という鳥になって、家族に食べさせる餌をとってきなさいと聞いたことがあります。タイムカードを押しさえすればそれが可能になります。その程度でも神経質の人は根がまじめですから、普通の6割ぐらいの仕事はしているのだそうです。平成14年1月号の生活の発見誌に「超低空飛行を続ける」という記事がありました。家事や仕事(飛行)を全く止めてしまうと、今後飛び立つときは非常に大きなエネルギーが必要になります。最低限の家事や仕事をボツボツやっていると、普通の高度にあげるのに要するエネルギーはずっと少なくてすむというのです。
2013.01.07
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