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ところで・・・・。ここ数ヶ月ほど『まつげエクステ』にハマっていて、実は入院した次の日も予約をいれていたけど、キャンセル。退院して一番に電話したのが、まつげエクステの予約。でも、行きつけのエステサロンで1人でしてるところだったんだけど体調崩してお店を閉じることになったって言われた。まつげエクステってなんだか一種の麻薬みたいなもので、一度してしまうとなかなかやめられない。やめてもいいんだけど、自分の顔を鏡で見るたびに、「ええええ。。。私、目力ないやん~。」って気になって仕方がなくなる。でも、エクステをすると、パッチリお目目のおかげで、土日はすっぴんでも逆に目が強調されて、帽子をかぶるだけでそれなりに見えるから案外重宝するのだ。まあ。。。そう思ってるのは本人だけで、自己満足なんだろうけど。で、行ってたところが閉じちゃったからいろいろと家の近所で調べて週末に気分転換がてら行ってみた!・・・失敗だった。なんか今までは何も言わなくても、私の顔と目にあったものをつけてくれてたのに、今回はそういうわけにも行かず。どの長さと太さと本数をつけたらいいのかわらなかったので(不親切にもどれがいいというお勧めもしてもらえなかった。)適当に長いやつをさして、お願いしてみた。出来上がったらびっくり!!どんだけ長いねん!!!ってぐらい長いのがついてた。「アパレル系の方ならそれをするんです。OLの方はもうちょっと短いやつですね、普通。」する前に言ってよ!!!どう考えてもあまりにも長すぎ。ぽきんって折れそうな感じだったから、家に帰ってはさみでチョキチョキ2ミリぐらい自分で切ってみた。いい感じに仕上がった。笑。おかげさまで、うちの会社でもまつげエクステファンが急上昇中。次回用に新たに見つけたところは、長さも太さもいろいろと混合してつけてくれるところらしい。来月に期待。
February 26, 2008
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仕事復帰して1週間。ちょっと無理しすぎたのか、無理しながら出てるという気負いからか、なんか精神的に不安定な感じ。痛みは、ほとんどなくなった。階段を降りたりすると少しお腹にひびくのと、術後の傷跡がたまにズキズキするぐらい。不思議なことに、嫌な事を考えると痛かったりする。なんか連動してるのかな。先生に聞き忘れたけど卵管とった切り口とかはどうなってんのかしら。。。しかし、お風呂1ヶ月は入れないっていうのがこの時期辛い!(シャワーのみ。)肩はこるし、手足は冷える。早くお風呂に入りたい!会社自体も、移転の件で、みんなが精神的に不安定で、仕事もかなり忙しいし慌しい。そんな中2週間以上も休んだから、その間に蓄積されたものというのは予想していたものの思った以上にしんどかった。復帰初日から遅くまで残業。翌日には朝一からボスに「(私は東京へ行けないから)休んでる間に後任あたっといたよ。長い時間かけて引き継ぎしてちゃんと教えておいてもらわないと、移転してから新しい体制でバタバタするのに、僕が教えてる時間なんてないからね。」(英語直訳)来週からボスは海外出張に行くからその前には復帰しとかないとボスに悪いと気を使ってちょっと無理して出社しただけに、なんかやるせないというか切ないというか。。。。 今回、東京に移転できない人はみんな、悩みながら転職活動してるのに、『辞める人』みたいなレッテルを貼られて、なんか気分的にみんな辛い日々を送ってる。行くって決めた人達だって不安だろうし。。。いろんな対応をみていると、本当に世界に6万人以上の社員を抱える雑誌で『世界のトップ企業』にランクインする会社とは思えないんやけど、やっぱり大きい会社やから人もすぐに集まるし別に個人の事情なんて知ったこっちゃないんやろうな・・・。・・・・切ない・・・・。この1年なんやったんやろう・・・。と、気がついたらなんか心がとっても疲れてしまった1週間だった。木曜日に友達がメールくれた。とっても短いメールで、『無理すんな。人に甘えろ。』って書いてた。めっちゃ涙が溢れ出た。あ、、無理してたんやってことに気がついた。(友達、感謝。)この1週間働いて、、、、退職後しばらくゆっくりして子供できるのを待とうかな・・・という気持ちと、子供がいつできるかもこの先わからないし早く転職先見つけないと・・・という気持ちと、50%ずつになった。周りはほとんどが転職先を見つけている。私はまだ、何もしていない。見失ってるわ。。。。さて、ウジウジ書いたけど、気になる入院費。今回の2週間の治療費・・・・20万円病室代 ・・・・・・・・・22万円その他の諸費用全てで、44万円也。病室代が高いのは、個室しか空いてなかったから。でも、個室にして本当に良かったと思う。夜中に看護婦さん点滴取替えに来てたし、痛みで来てもらったりとかしてたし。デリケートなことだけに、気を使って過ごすことを考えたら個室のほうがいい。濡れタオルでしか体をふけなかったからその時に周りの目を気にせずにふけたのも良かった。治療費は、高額医療で多分それなりに返ってくるはず。あと生命保険会社からさっそく振込みがあった。入院代1日につき1万円と手術代20万円。こんなにも返って来るのね。やっぱり生命保険に入っておいて良かった。良い事もあるもんだ。この保険代でなんか気晴らししよ。私ぐらいの歳になると余裕もまだあるけど、若いご夫婦ってこんな出費あったら大変やろうな・・・。。生命保険だってそんな若いうちから入ってるわけではないだろうし。出産も育児もお金かかるって聞くけど、出産するまでにもこんなことが起こると結構出費かさむんやなーって思うと、そりゃ子供産みたくない人増えるのも無理ないわって思う。少子化を問題視するんだったらこういうことも見直ししてくれたらいいのにね。。。とりあえず、生命保険は加入したほうがいいですわ。。。
February 23, 2008
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なぜ、子宮外妊娠になったのかは不詳。一般的に原因はいろいろあると言われているけど、お医者さんもわからないらしい。加齢であったり、卵管が細かったりつまってたり。感染症であったり。感染症というと、いろんな想像する人がいるので加筆しておくと、人工授精のときに感染した人も私のまわりにいてる。女性の体って本当にいろんなことが起こるんだということをはじめて知った。ただ、じゃあ、「早く子供産めばよかった。」とか、「今まで自分の好き勝手生きてきたからだ。」とか後ろ振り返ってもどうしようもないと思うんよね。その時、その瞬間に自分なりに考えて答えを出して生きてきたから今があるんだしと思うことにした。正直、抗がん剤をうっていた1週間は本当にくよくよしていて、どうやったら前向きになれるのかすらわからなくて、自分の事ばっかり責めてた。だって、前向きになれる要素がなかったから。抗がん剤は効かない。体はしんどくなるばかり。何が原因で子宮外妊娠になったのかすらわからない。どうしても後悔することといえば、そろそろ子供が欲しいと思ったときに、一度検査をしておくのも手だったのかなって思った。卵管造影なんて言葉、今回のこの子宮外妊娠になるまでは全くしらなかったけど、もし、知ってたら検査してもらいに行ってたかなあ・・・(多分、行ってないんだろうけど。。。)とか思ったり。あまりにも、無知すぎて、子宮がんとかの検診すら5年ほど前に行ったっきり。「私は、風邪すらひかないからとっても健康」「私に限って」といった過信や変な自信があったことは確か。今回、自分の身にふりかかって初めて自分が『出産するのには決して若い年齢ではない』ということも痛感したし、それだからこそ、諦めるんじゃなくって、きちんと学ばなければいけないって思った。結局、抗がん剤が効かずに緊急手術に切り替わった時、どうしても気になるのが今後のことだった。一般的に、一度子宮外妊娠をした人は、再度、子宮外妊娠になる確率が高いといわれているらしい。なぜなら、卵管を残した場合、そこの詰まりというのは取れないから。また、一つが癒着していたら、もう片方も癒着している可能性も高いらしい。「体外受精も視野に入れといたほうがいいと思います。」・・・体外受精か・・・・。「子供はもうあきらめないといけないかも。」と言われなかったのが救いだと思った。まだ可能性はあるんやと前向きに考えた自分にびっくりした。結局、不幸中の幸いで、前にも書いたとおり、左の卵管摘出だけで済んだ。2ヵ月後ぐらいに体のリズムがもとに戻ったら、「卵管造影」をして右の卵管が正常に通ってるかどうかを検査するらしい。これが通っているからといって、子宮外妊娠をもうしないわけでなく、またする可能性ももちろんある。ただ、もし右の卵管が細すぎたりつまっている場合は、機能する卵管がもうないので、体外受精となるらしい。(精子と卵子は卵管で出合って、受精卵となって子宮に運ばれる。)逆に、体外受精をしたからといって、子宮外妊娠をしないわけではない。子宮に戻された受精卵が卵管に入って着床してしまうこともある。要は、完全に防げる方法というのはないのだ。子供が授かるってそれぐらい神秘的なことなんだ・・・と思った。実際、排卵期あたり、私はずっと“右”のお腹が痛かった。1週間ぐらい右が痛かったから、「今月は右やな。」と自分だけにしかわからない勝手な想像をしていた。ところが、調子が悪くなったあたりから、急に左が痛くなったのだ。これを先生に言ったところ、例えば、右の卵管をつたった受精卵が一度子宮に入り込んで、着床をせずに、左の卵管に行ってしまいそのまま左の卵管に着床してしまうケースというのも考えられるらしい。また、右の卵巣から出た卵子が、右の卵管を通らずに左の卵管に行くこともあるとのこと。だから、私の場合、左右の卵巣と右の卵管が残っているから、今後、左の卵巣から出された卵子が右の卵管を通ることも考えられるらしい。体のことなので、何がどうなんて、自分では決めれないけど、この後の予定として、右の卵管が正常に機能しているかで自然妊娠ができるかどうか鍵となる。機能していなければ、体外受精にすぐ切り替える。とにかく、早く子供ができる方法に切り替えていくしかないらしい。とりあえずは・・・・・今のお腹の傷を治すことね。。。お腹の縫い傷と、お腹にたまっている血がまだ完全になくなっていないのと、手術の際にガスを入れて膨らませたので、お腹がまだまだポッコリ出ている。明日から仕事に復帰。 ・・・・・とりあえず一週間ぼちぼち乗り切ろう。・・3に続く。
February 17, 2008
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実は、去年暮れに結婚した。ここ数ヶ月いろんなことがあった。最低10年はいようと思った会社の急な本社の東京移転発表。外資系&地方に勤めるとこの恐怖が絶えずあるんだけど、まさか、世の中がサブプライム問題だの不況だのといったときに、巨額の投資をしてまで本社を移転させるなんて思ってなかった。数百人という本社勤務の人間をいとも簡単に動かすなんて・・・。私の身近には「前に務めていた会社が東京移転のため転職した組」や「自分の故郷が関西だから東京での仕事を辞めて関西で転職した組」がたくさんいてる。またみんな頭を悩ます。「東京に行くべきか・・・・また転職活動か・・・」勤めた会社が本社を東京に動かすのって何社目やろう・・・・。大阪頼むわ。外資系あとどれだけ残ってるねん。外資系だけじゃない、大阪本社から東京に本社を移動させた会社はここ10年で何社になるんやろう。結婚を決意したとたんの会社の移転発表。ものすごい衝撃というかショックというか・・・。自分が何を優先したいのか、すべきなのかさっぱりわからなくなった瞬間だった。結婚しようと思った理由の一つ-「そろそろ家族(子供)が欲しい。」。最終的に会社を辞めなくてはいけなくなって(東京には行けないから。)、自分が一番納得できる形が「子供ができること」だった。それ以外だったら、結局会社を断念せざるを得ない理由を他人のせい(結婚したから、とか、親をみないといけないとか。)にいつかしてしまいそうな自分がいたから。それぐらい今の仕事を諦めるのにキャリアの面でも、待遇の面でもいろいろと勇気がいった。かといって、今からまた転職活動して、産休取得の権利発生までの期間また働いて・・・を考えるとどうしても時間がかかる。その分、また歳をとってしまう。子供が欲しい理由もう一つ。とっても大切に想う人が、とても悲しい病気になった。それは現医学では治る病気ではなくてきっと先に時間が限られている。その人に少しでも良い思い出と記憶の1ページに刻んでもらいたいと思った。もちろんそれ以上に、自分の子供が欲しいという思いもあったけど。お正月には、子供が授かる神社に行ったり、父の墓にも先祖の墓にも、拝むもの全てに、「子供が出来ますように。」と願った。そして・・・・妊娠した。実際は、「妊娠したかも。」といって検査をしたわけではなかった。体調が悪くて、なんだか良からぬ兆候があって、自分の症状をネットで調べたら、「子宮の病気」に近いような気がした。だから近くのレディースクリニックで調べてもらったら、「妊娠&子宮筋腫」と言われた。なんだかしっくりこなかった。もちろん、先生に陽性反応がありますよと言われたときは、顔がほころんだし、よかったーって思った。でも、何かがひっかかっていた。それから3日したら結構出血になった。・・・?と思ってもう一度クリニックに行くも、「まだ妊娠初期すぎてわからない。ひょっとしたら流産の兆候かもしれないですけど、こればかりはどうしようもないんです。初期の流産は受精卵の異常なんでそのまま流れるんです。」と言われる始末。納得できるわけもなく、それでも仕事は忙しいし、出血はしてるし。。。それから2日間。腹痛と出血とで精神的にもイライラするし、どうしようと思いながら過ごしてたけど、とうとう体がフワフワしてるような気がしてきた。なんだかお腹も結構痛い。このまま出血し続けて私の体どうなるんやろう・・。「多分、明日休むような気がしますので・・・。」と意味不明なことを会社の周りの人に言って、休む段取りだけ済ませた。やっぱりその日の夜は調子が悪くて横になってるしかなかった。こうなったら大きい病院に行ったほうがいいんちがう?という周りの声を聞いて、夜間緊急でやってるかどうか近所の総合病院に電話してみた。「すでに初診を終えてる方なら診れるんですが・・・。」ということで、朝まで待つことにした。翌日の朝、タクシーで旦那さんと一緒に病院へ。歩くのもなんだか辛いぐらいの腹痛。病院で初診の手続きをして産婦人科へのエスカレーターをのぼっているとき、あまりの腹痛に涙が出た。「痛すぎて泣く」ってこれか。涙がポロポロ。しかも、痛いのと不安なのと意味がわからなかった。だって、お腹の中には小さな命があるんだもん。産婦人科の受付へ着いたときには多分相当の悲壮感だったんだと思う。とりあえず奥のベッドに寝かされた。なんとなく気分が落ち着いてきたころに、採血の受付へ行くように言われた。採血を待ってる人は30人ぐらいいたと思う。待合の椅子に座りながら、なんだか吐き気がしてきた。ものすごい冷汗。おでこはびちゃってぐらいの汗。それが全身の汗に変わった。旦那さんが私の様子のおかしさに気がついて産婦人科の看護師さんを呼びに行った。明らかに、下からすごく出血してる感覚があった。その時、耳が聞えなくなってきたと同時に、心臓の音が遠のいていった(ような気がした。)脈がおかしいのか、心臓がおかしいのかわからないけど、そこから視界がどんどんと暗くなっていった。苦しい・・・・私、心臓とまるんや。本当にそう思った。そしたら、旦那さんの顔が浮かんだ。自分でも後で思い返したら不思議だったんだけど、亡父ではなく、旦那さんの顔だった。「そうや、ありがとうだけ言おう。」なんとかそれだけは思って、そこから意識がなくなった。もちろん、その後は、看護師さんを呼びに行って戻ってきた旦那が私が意識を失っているのを見つけ、看護師さんと一緒に車椅子に乗せ、すぐにベッドに移動して、脈だの点滴だのと、応急処置だった。途中からうつらうつらと記憶が戻っている。血圧が70です!と看護師さん言ってた。あの・・・私、もうだめなんかと思いました。あとで、看護師さんにこの話をしたら、「今までよっぽど健康だったんですね。」と笑われた。採血も診断も無事終わらせての診断結果。「あれだけの出血があって、まだ妊娠の数値が下がっていない。。。。子宮外妊娠の可能性が高いです。」・・・・子宮外妊娠・・・・。全く予想外の言葉だった。この出血は卵管からでている可能性が高いということ。でも、私の血液データがまだ1回分しかなく、もう一度日をおいて採血してみないとわからないから、3日後に再診になった。ただし、もし腹痛がまたきたらすぐに受診するようにとのこと。その日はとりあえず家へ戻った。そして夜まで熟睡。悪夢はまたその日の夜に訪れた。またもや激しい腹痛と冷汗。これは必ずまた意識を失う。そう思った途端、例えようのない激痛がお腹を襲った。「のたうちまわる」というのはこういうことね。「ごめん・・救急車呼んで。」消えそうな声で旦那さんに頼んだ。こういう時、男の人っておろおろするらしい。いろんな社会経験をふんで私よりも数段大人だと思っていた旦那さんがちょっと狼狽してる姿をはじめてみた。「タクシー呼ぶわ!」と、私を背中に背負って家を飛び出した。病院についたらすぐに車椅子に乗せられ、昼間診察した先生がたまたま夜勤でいてた。あまりの痛さで明確には覚えてないんだけど、心電図とったりレントゲンとったり、筋肉注射でとりあえず痛み止めをしてもらうも、あんまり効かなかった気がする。そのまま緊急入院。次の日の朝の血液検査での数値で判断しますとのこと。1晩で、痛み止めの筋肉注射、点滴と、座薬でなんとか朝までしのいだ。入院か・・・・。1年ぶりやな。膝の半月板の手術のときとは気分が全く違う。なんともいえない不安と悲しみとしんどさと・・・。翌日、血液検査の結果を診た先生がやってきた。「うーん。やっぱり妊娠の数値はあがってるわ。でも子宮にはないから子宮外妊娠やなあ。。。まだ初期やし、卵管を残す方法をとって『抗がん剤治療』にしようか。」この時点ですでに私は思考回路なんてどこにいってるのかさっぱりなのだ。とにかく、「この痛みをとってください。」しか思えなかった。だって、子宮外妊娠も抗がん剤も私には受け容れるキャパなしだったし。「はい、じゃあそれで。」そう応えるしかなかった。午前中の間に抗がん剤が打たれた。意外と簡単で、おしりに注射1本するだけだった。これが効けば、卵管に着床したものが流れていって血液の妊娠の数値が下がれば完治とのこと。結局これが裏目に出ることになる。抗がん剤をうってから、確かに痛みは少しましになった。もちろん、痛み止めは飲んだし、座薬もたまに入れたし、点滴もしたけど、あの激痛からはかなり開放された。でも、毎日の採血の数値は一向に良くなるどころか、・白血球の数値が激減:あと一歩で無菌室へ入れられるところまで数値が下がった。・貧血がひどくなる一方・高熱・じんましん(薬疹?)結局抗がん剤をうってからの1週間、お手洗いへの移動以外は安静。移動は全て車椅子。お風呂どころかシャワーすら禁止。濡れタオルで拭くのみ。毎日の採血と1週間ずっと入れ続けている点滴でぐったり。それよりも、日々の採血の結果で気分は凹んでいくし、自分の体がどこにむかってるのかさっぱりわからなかった。だって少しも良くならないんだもん。・・・・・抗がん剤をうってから1週間後、妊娠の数値が下がるどころか倍まで膨れ上がって、とうとう、『緊急手術』になった。お腹はおへそを含めて3箇所を切った。きったというよりも穴をあけた。腹腔鏡での手術。膝の時の内視鏡と同じ感じやな。。。と思いながらも今回は全身麻酔ということでちょっと良かった。あの半身麻酔の怖さは味わいたくない。結局、『左の卵管摘出』という結果になった。幸いにも、細菌とかでの癒着ではなく、卵管が狭かったのかつまっていたのか左の卵管のみの摘出で済んだ。先生曰く、右の卵管も両方の卵巣も子宮も綺麗だったらしい。細菌とかでやられていた場合は、肝臓とかも白くなってしまったりするらしく、写真ももらったけど、お酒を飲まないからか私の肝臓は惚れ惚れするぐらいの美味しそうなフォアグラだった。ただし、結果的には、抗がん剤で散らせるような大きさではなく、卵管と共にそこについていた5センチほどの胎嚢と5センチほどの血のかたまりが摘出された。(後でホルマリン漬けしたものを見せてもらった。なんとも言えない気持ちになった。)お腹も1箇所だけそれらを取り出すために大きく切られてしまった。そりゃ、、、、あんなのがお腹にあったら痛いわ。。。結構お腹の中に血もたまっていたらしい。膝のときにも言われたけど、私はやっぱり痛みに鈍感なのかもしれない。術後は気分的に楽になった。振り返れば悲しむこと、後悔する事たくさんあって、思うことも多々あるけど(それは後日編に書く。)、それよりも、目の前の壁を一つだけ片付けたことで楽になったんだと思う。少なくとも、抗がん剤の後の1週間よりも、手術後の1週間のほうが気分がはるかに前向きになれた。ちなみに・・・・・子宮外妊娠と言われたときに、「着床したものを子宮に戻してください。」とお願いした。「もともと、異常妊娠になるので、たとえ戻せたとしても無事産まれてくることはありません。」と言われた。命を授かるって本当に難しいと痛感させられた一瞬だった。続く。。。
February 16, 2008
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