主人との仲も穏やかに過ごせるようになりました。
こうして書くと、めっちゃQOLがよくなったじゃん!なんて思いますが
デイケアに行くようになって、やっぱりいろいろモヤモヤさせられます。
デイケアって治療の場であるため、いろいろと気づきもあり
考え方を変えるためには、いい練習の場でもあったりするのですが
集団でリハビリをしているため、集団の中のいろいろがストレスになったりします。
時々、普通の人たちと交わりたい!って思うことがあります。
デイケアって、やっぱりいろんな問題を抱えた人たちが来るところですから
(そして、私もその一人なので、大きなことは言えないとは思いますが)
集団の環境的には、特に個性的なところだと思うんですよね。
人間関係についてデイケアで学びなさいと
精神科医にはデイケアを推されていますが、
スタッフの運用次第では、
私にとってデイケアはいらぬ悩みの種になったりするわけです。
それでも、アスペルガーやADHD多めの環境で学ぶことは
いちご(娘)と主人との接し方や考え方の助けになると思うから
頑張っていく意味もあるのかなと思いますが、
さすがに、めげるときもありますよ。。。
スタッフも完璧な人間ではないのだから
やり方がいつも適切というわけではありません。
それに、スタッフが集団に対する投げかけが、
私、個人の治療の妨げになることもあります。
だから、デイケアに行くことが億劫になることもたびたび出てくるのです。
体力づくりとして、デイケアに行くことを再開したけれど
このストレスによる打撃は、今の私にはあまり欲しくないもの。
そんなときに限って、ASDかなり強めの人の行動が
私をもっとイライラさせて心をざわつかせるんですよね。
そんな人、ほっとけばいいのに!って思うのですが
ずっとひっかかるんです。
よくよく考えたら、複数の人のASDの特性によって、
私の心はたくさん傷ついたからだと思うんですよね。
今は穏やかに過ごせるようになった主人との関係ですが、
過去の壮絶な関係を振り返ると、特性による傷はやはり深いです。
そして、主人は絶縁している主人の家族とも、
私から仲良くしようと数年努力したけれど、
結局、傷ついて、私も自分から離れました。
それを振り返ると、やはり主人のASDの遺伝元ですからね。
どうしても、主人の両親の特性で傷つくことになってしまったんですよね。
みんなで仲良くと思ってがんばる自分の前には
常にASDの特性の壁が立ちはだかっていたんですよ。
それも、かなり強めのASDの壁が。。。
だから、ASDの心理教育的理解は、主人との生活をつづけて行くためには
必須事項なんですけどね。。。
ちなみに、私は集団の中でどうしてもリーダー的な位置につきがちになるため
そこをリーダーにならずに、うまくやりすごすことが
鬱をひどくさせないための、私の個人的な治療方針だったりするのです。
リーダーシップを発揮しすぎてしまい、自分を追い込んで、疲れてしまうため
疲れない範囲で集団行動に参加することが、目標なんです。
さらに、完璧主義から目標を高めに設定してしまうため
目標低めだったり、完璧でないものでも、まあいいっかと流せるようになるおおらかさが
私には必要だったりするんですよね。
これに関しては、私の両親が私に求めるものが常に高いレベルだった
ということからきていることも、わかってきたんですけどね。
だから、いちごには、
いちごのできる範囲で、楽しめる範囲で頑張ってくれたら
と思って、子育て方針を変更しています。
いちごにもかなりレベル高く接してきてしまったなぁという自省もこめて。
今のいちごは、不登校の定義を満たしていますから。
家は安心できる場所として機能するように、私も努力しています。
私の人生は、心理の道とは切り離せないようになっているみたいですわ。