FROM  NEW  YORK

Feb 6, 2006
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カテゴリ: 旅行・紀行
   思ったより時間がかかったバカーディ工場見学。その後はメインのオールド・サン・ファンへとバンは走った。今にも雨が降り出しそうな灰色の雲が重かった。

   プエルトリコの人口は約400万人という。島の大きさはコネチカット州ぐらいだという。そして町に住む人は人口の80%を占めるとか。つまり都市部の人口密度がとても高い。そして250万人が車に乗っているという。つまり、いつでも渋滞に巻き込まれるということを証明している。古都サン・ファンに向かう途中、バンは寂れた工場の裏道を通ってその渋滞を回避して走った。観光客が普段見ないプエルトリコ人たちのありのままの姿がその工場一帯に現れていたように思う。私たちを含め8人が乗っていたバンの中は静かだった。

   私たちが向かったのはサン・クリストバル城と呼ばれる砦。最初に私たちを出迎えてくれたのは、城壁に住むイグアナだった。ガイドさんが教えてくれなかったら、土色と灰色が混ざったような色の壁の頭上4メートルにいるようなイグアナを見ることはきっと出来なかった。

   まず城砦に入る前にガイドさんが、そこは5重の砦だと教えてくれた。つまり、年月が進むごとに新しい城壁が作られていたのだという。日本の城を考えると本丸があり、二の丸、三の丸があるけれど、それと同じような役目になっていたのではないかと思う。切り立った崖を利用して作られた城壁はそれだけで天守閣のような役目をし、遠く海からやってくる外国船や海賊船を見つけることがきっと出来たのだろう。

   このオールド・サン・ファンの町が出来たのは1521年。1493年にコロンバスがプエルトリコを発見してからの約50年はスペインがメキシコやペルー侵略するために栄えたという。プエルトリコからは少しの金が採取されたけれど、他に商売となるものは何もなく、メキシコ、ペルーからの金、銀、宝石などの貿易する拠点とする港として栄えていたようだ。もともとスペインはプエルトリコに留まる意思はなかったという。

   けれどこの貿易のため、また時代はスペインやオランダ、イギリスといった国がその航海術を奮っていた時代。それに比べて映画ではないけれど、カリブの海賊からの攻撃もあったという。曇っていたせいか、城壁の中は暗くとても薄気味悪かった。私が一番感心したのは城砦の設計。洞窟のような通路には、空調にするために煙突型に刳り貫かれた穴がところどころの天井にあり、また崩れないような工夫もされていた。どこの国でも戦国時代を生き抜かねばならない人たちの頭脳には驚いてしまう。

   今、調査されているというメインの通路から入った部屋に案内された。そこには壁にいろんな国の船が描かれていた。その部屋は囚人や囚われの身となった外国人たちが一日4オンスの水だけ与えられていたとか。海風の入る針の穴ぐらいの光のない真っ暗な部屋で、しっかりと描かれた落書きに目を見張ってしまった。ガイドさんいわく、どの国はどんな船か、というのを知り尽くしていた人物だったという。当時の帆船の特徴が国ごとによく現れていた。

   今でも城壁の一番高いところにはアメリカの国旗、プエルトリコの国旗、そしてスペインの旗(戦の前に名乗り出るのは東西同じだったよう)が強い海風に打たれながらも雄々しく立っていた。


Puerto Rico2


今でもあちこちに残る大砲





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Last updated  Feb 6, 2006 07:30:47 AM


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