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■山崎光夫『ドンネルと呼ばれた男・北里柴三郎』(上下巻、中公文庫)

◎医療小説という下地
2012年に日本医師会により「日本医療小説大賞」が新設されました。第1回の受賞作品は帚木蓬生の『蝿の帝国』と『蛍の航跡』(ともに新潮文庫)でした。ちなみに第2回は該当なしで、第3回は久坂部羊『悪医』(朝日新聞社)が受賞しています。この賞の創設が早ければ、『ドンネルの男・北里柴三郎』は間違いなく受賞していたと思います。
山崎光夫は、医学薬学関係の作品を中心にして書いています。処女作『ジェンナーの遺言』(初出1986年文藝春秋、祥伝社文庫)は、根絶された天然痘が東京を襲う話でした。私はこの作品で、山崎光夫ファンになりました。
第2作『安楽処方箋』(初出1986年講談社)は、デビュー作の2日後に発売されています。私はほぼ同時に、2冊の山崎光夫作品集を読んだことになります。表題作「安楽処方箋」は、医師に見破られずに自殺する方法をあつかった秀作です。本書には直木賞候補になった「詐病」と、「サイレント・サウスポー」が収載されています。残念ながら小説家としての山崎光夫初期作品は、ほとんど文庫化されていません。山崎光夫は3度直木賞候補になっています。しかし受賞には至らず、次第に影が薄くなってしまいました。
そんなときに書店で、山崎光夫『ドンネルの男・北里柴三郎』を発見しました。本書にふれたときの喜びを、当時の「読書ノート」から引用してみます。
(引用はじめ)
『ドンネルの男・北里柴三郎』(単行本のタイトル)は、医学小説という下地のある著者だから書きえたテーマです。タイトルのドンネルは、ドイツ語で雷の意味。北里柴三郎は頑固一徹な人でした。それゆえ、組織内では浮き上がっていました。しかし、弟子からの信頼は絶大であったようです。
本書には、さまざまな歴史上の人物が登場します。この時代に海外留学を果たすのは、ほんの一握りの人だったでしょう。そういう人たちが作品を引っ張ります。福沢諭吉は北里の恩師であり、北里柴三郎はその教えを守って、慶應義塾大に医学部を創設することになります。森鴎外(林太郎)は、北里のライバル。赤痢菌を発見した志賀潔は、北里の弟子にあたります。
いまから150年前に生を受け、ドイツ留学を経て日本の公衆衛生をリードした北里柴三郎。その生きざまにふれて、人を動かすことの本質を知らされました。自分に正直であること。部下の成長に熱心であること。受けた恩義を忘れないこと。久しぶりに読んだ、山崎作品に拍手。(「読書ノート」2003年11月6日より)
◎日本ではじめてのノーベル賞候補
北里柴三郎に関する著作は、意外に多くはありません。野口英世の伝記は、少年文庫にもなっています。北里柴三郎は、本来なら第1回ノーベル賞を受賞しているはずでした。破傷風、コレラ、ペストなど、未知の病に挑んだ人なのに、あまりスポットがあてられていないのが現状です。
『ドンネルの男・北里柴三郎』の詳細説明は、山崎光夫の「あとがき」ですべてを網羅しています。単行本の初版本の帯コピーを紹介させていただきます。
――2003年(平成15年)は北里柴三郎・生誕150周年にあたる。この節目に、幕末から明治、大正、昭和と生き抜いた〈気骨一貫〉の人生を振り返るのは格好といえるだろう。(中略)わたしは医学・薬学の世界を執筆の分野と決めてから、明治期の医人像をいずれ描いてみたいと考えてきた。日本ではじめてのノーベル賞候補にのぼった北里柴三郎については、特に興味を覚えていた。(「上巻」より)
――北里は象牙の塔に安住した単なる細菌学者ではない、というのがわたしの抱いている北里像である。わが国の公衆衛生をリードした指導者であり、多くの研究者を育てた教育者でもある。日本に近代簿記を紹介したのは福沢諭吉だが、北里はその福沢の〈弟子〉でもあり、遺志をついで慶應義塾大学・医学部を創設した。また、日本医師会の初代会長も務め、オーガナイザーとしての才も発揮している。幅広い視野を持った桁外れの人物である。(「下巻」より)
山崎光夫には、文庫書き下ろし『名人伝・長く強く生きる』(講談社+α文庫)という著作があります。そこには北里柴三郎ほか80余名の名人たちが登場します。山崎光夫は、彼らの共通点を「健康力」「没頭力」「楽天力」だとしています。
直木賞に縁のなかった山崎光夫が、ノーベル賞に縁のなかった北里柴三郎を描いた作品。そんな単純な図式ではなく、本書は傑作です。医療従事者はもちろん、企業のトップにはぜひ読んでもらいたいと思います。
山崎光夫にはほかに、芥川龍之介自殺の謎を解く『藪の中の家』(中公文庫)があります。ノンフィクション的小説として新境地をひらいた、山崎光夫の奮起を喜んでいます。山崎光夫は、あと80名ほどの「名人伝」を書かなければなりません。
(山本藤光:2010.05.29初稿、2014.08.26改稿)
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