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※下の写真は上海万博に際し復元された遣唐使船
■井上靖『天平の甍』(新潮文庫)


◎鑑真来朝の史実を描く
――遣唐使は平安時代の894年に廃止されるまでに十数回派遣されたのだけれど、ここではその中で有名な人を見ていこう。/まずは阿倍仲麻呂(あべのなかまろ)。この人は非常に優秀でなんと留学先の唐で役人になった。その後何度か帰国しようとするが失敗、ついに日本に帰ることができぬままに唐で、一生を終えた。(中略)その仲麻呂の日本を思う気持ちがよく表れている有名な歌がある。「天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも」という歌だ。(後藤武士『読むだけですっきりわかる日本史』宝島社文庫P59より)
「遣唐使」以前には、遣隋使がありました。「群れなしてゆく遣隋使=607年聖徳太子遣隋使派遣」と、ゴロ合わせをしていた記憶があります。
井上靖『天平(てんぴょう)の甍(いらか)』(新潮文庫)は、第9次遣唐使を描いたものです。時代は天平5年(733年)のことですから遣隋使からは130年ほどたっています。本書は鑑真来朝の史実をもとに、遣唐使の苦難を描いた作品です。鑑真は本書のなかでは、鑒真(がんじん)という表記になっています。鑑真にかんする史実をおさえておきたいと思います。日本からの遣唐使(留学僧)が鑑真を訪ねて、弟子を日本に派遣してもらいたいとお願いします、弟子たちはみんな尻込みします。鑑真はそれなら自分が行くと宣言します。
――鑑真を引き止めたい弟子の妨害にあったり、せっかく出た船が嵐にあって戻ってきてしまったり、別の島に漂着してしまったり、鑑真を信じてついてきた弟子が死んでしまったり、たび重なる航海の失敗のはてに鑑真はついに失明してしまいます。それでもまだ鑑真は日本に仏教のありがたい教えを伝えるために頑張ったんだ。彼の才能を惜しむ唐の皇帝が鑑真の出発を反対するのをふりきり、こっそり遣唐使船に乗り込み、ついに10年の月日を経て彼は念願の日本に着いた。(後藤武士『読むだけですっきりわかる日本史』宝島社文庫P60より)
普照(ふしょう)、戒融(かいゆう)、栄叡(ようえい)、玄朗(げんろう)ら留学僧を乗せた船は、荒波にもまれながら4カ月を要して唐につきます。彼らは仏法の修業のほかに、日本に授戒制度を設けるための伝戒の師を勧誘する目的があたえられています。当時の社会は、課税を忌避するために農民の出家者でみちあふれていました。また正式な僧尼の認定手続きが徹底されていませんでした。伝戒師とは、僧尼の正式な認定者のことです。
来唐してから戒融は托鉢僧となり、唐にとどまる道をえらびます。玄朗は唐の女との生活をえらびます。普照と栄叡だけが、留学の目的にそった道を歩みます。普照と栄叡が鑒真にめぐりあったのは、渡唐してから8年もたってからでした。2人は渡日の承諾をえて感涙します。
◎何度も挫折をくりかえして
唐には業行(ぎょうこう)という、日本人の僧がいました。在唐歴20数年の彼は、ひたすら日本へ持ち帰るために、経文を筆写していました。
――(補:作中の日本の僧の)中でも忘れられないのは、業行という僧です。写経にのみ人生を捧げる彼は、他の僧侶からは変わり者と目される人物です。/業行は唐で本場の仏教に触れた際、結局のところ自分一人が何かを学んでも、日本にたいした影響は与えられないと悟ります。それよりも、ここにある重要な仏教書の数々を、書き写して持ち帰るほうが、よほど意味があるのではないか。そう考えるのです。(小川洋子『みんなの図書室2』PHP文庫より)
普照は唐にわたってから20年、6度目の挑戦でついに失明している鑒真に随行して帰国をはたします。しかしそのなかには、栄叡の姿はありません。彼は志なかばで死んでしまいます。またおびただしい経典をかかえて、別の船に乗っていた業行は帰国をはたせませんでした。4船団のなかでからくも日本にたどりついたのは、3船だけだったのです。
航海の模様について、井上靖は実にリアルに描いています。引用文は鑒真を乗せた船が2度目の失敗に終わる場面です。羅針盤などない時代です。荒海に翻弄されながら、木の葉のような船は、どこともしれぬ島へと漂着します。
――夕方から強風が吹き始め、俄かに波浪が高くなった。潮は墨のように黒く不気味であった。夜になるとますます風は強く、船は波浪に弄ばれ、宛(さなが)ら山頂から谷底へ落ち、谷底から山頂へ上るに似て、いまや総勢七十余人を乗せた船は、一片の木片にしか過ぎなかった。/いつか乗員の全部が観音経を唱えていた。(本文P103より)
20年の歳月のなかで、日本は大きく様変わりしていました。伝戒の師としての、鑒真の価値が希薄なっていたのです。しかし東大院に戒壇院が落成し、鑒真は授戒伝律の権をゆだねられます。しかし既得権を得ている僧侶たちの猛反発をうけます。普照は彼らを堂々と論破してみせます。
その後鑒真は、唐招提寺を開きます。そんなころ普照のもとに唐から甍が届きます。その甍は唐招提寺の金堂の屋根に、すえられることになります。
高校時代の私は、日本史も世界史もきらいな科目でした。国文学を学ぶにあたり、日本文学史の学習は必須でした。そんな関係で必然、日本史も勉強しなければなりませんでした。最近では引用させていただいたような、後藤武士『読むだけですっきりわかる日本史』(宝島社文庫)などがあり、楽しく日本史を学んでいます。井上靖の作品は、そんな私にとってずっと歴史の指南書でもありました。『敦煌』『楼蘭』『風濤』(いずれも新潮文庫)も楽しく読ませていただきました。
◎本格的な歴史小説を書こう
(追記2015.03.09)
『井上靖・わが文学の軌跡』(中公文庫)を読んでいて、『天平の甍』の執筆意図についての文章がありました。本書は篠田一士と辻邦生が聞き手となっています。井上靖の声をひろってみたいと思います。
(引用はじめ)
井上靖:『天平の甍』のときは、本格的な歴史小説を書いてみようという気持ちはありました。辻さんがおっしゃったように、歴史のなかにちゃんとロマネスクがはめ込まれてある……。『天平の甍』の題材など、書いてくれといわんばかりにはめ込まれています。どんな取り扱いもできます。正面から人間を書いてもいいし、歴史をそこだけ切り取って額縁に入れてもいい。(『井上靖・わが文学の軌跡』中公文庫P143より)
(引用おわり)
(山本藤光:2011.11.24初稿、2015.01.25改稿、2013.03.09追記)
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