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今日は大晦日。今年一年でも振り返って見ますかwまずは一大イベントとしては、やはり引越しですかねぇ・・・。人生の運を全て賭けて引越しした感じですからwでも、その賭けにも無事成功!!来年はきっと平穏無事の一年が過ごせそうです。筑紫さんを真似して今年一年を一文字の漢字で表すとしたら、「備」って感じかな(^^)なにはともあれ、今年一年、消え入りそうになりながらも書いてきたこの日記に皆様お付き合いいただき有難う御座いました。また、来年もぼちぼちとですが、書いて行きたいと思いますので、今後ともよろしくお願いします。ではでは、良いお年をお迎えくださいませーー^^
Dec 31, 2004
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さてさて、宣言どおり、今日も書きます。w少しでも私たち夫婦の軌跡を皆様にお話する事でどうやって、今の幸せを勝ち得たのか、夫婦の事で悩んでいる方や恋愛の事で悩んでいる方々に知ってもらえればなんて思って、書いている、第8回目です。前回あまりの罪悪感に気力を奪われ、倒れてしまった主人。そして、精神科も行ってみたけれども、効果がなく、ついに、石井氏の所へ行く決心をした私たち夫婦。その週末、私たちは石井氏の所へ足を運びました。そのとき石井氏が集まっていた人達に向かって話した話は、聖書の、使徒の働きという所の話だったのだが、昔パウロという人が居た時代は、クリスチャンというのは周りの人が何か彼らは他の人とは違うという事で、「この道の人」という意味でクリスチャン(キリストのような人)と言われていたという話だった。それが主人には届いたらしい。「この道の人」になろう。そうすれば、今自分が抱えている問題も解決するのではないだろうか?そう感じたそうだ。それとともに、石井氏に自分の今置かれている現状を話してみた主人、原因(元々ギャンブルに手を染めるという事は依存の始まりであるという事)と、その原因がどうして今主人の置かれている状況になってしまったのか。(自分の決断が正しい良心回路にそっていないから、間違っていた)という話をされ、そうか・・。これから先決断を誤らなければ抜けられると感じたそうだ。また、私には、賞賛するという事がどういう事なのか、(例え負けて帰って来ても、労はねぎらうべきである等)許すという事がどういう事なのか・・。(過去を許す決断をするのも自分だし、その決断に対してきちんと行動する事、過去を持ち出して責めては行けない等)というアドバイスを頂いた。そして、主人は見事にギャンブルから足を洗った。それが今年の2月のお話なので、12月の今現在、10ヶ月間主人は一切ギャンブルをしてない。また、私自身も主人の過去の過ちを穿り返す事を辞めるようにした。事実として話はしても、それを攻める事は辞めた。そして、その為にも今年の6月私たちはより石井氏に近いところに引越しをし、良い夫婦を作るための学びをする場所を築いた。そして現在、男と女の心理学講座を始め、毎週二回の聖書からの人生への教訓の学び、カウンセリングを通してより良い関係を築くための学びを私たち夫婦は続けている。今でももちろん、喧嘩はしますよ。wでも、確実に幸せに向かう喧嘩になってきていると思う。そしてまだまだ、私たちは新米夫婦。これから先いろいろな問題を抱える事になることは間違いないと思う。でも、一番最初に強烈な問題を抱えた事、そしてそれに負けずに二人で戦ってきた事・・・。離婚と言う選択をしなかったことは堂々と胸を張って正しかったと言える。また、その選択をしなかったからこそ、これから先未来に希望が持てるという事も堂々と言える。8回かけて語ってきた私たち夫婦のお話、いかがでしたでしょうか?たいした事じゃないと感じられる方、信じられないと感じる方いろいろといらっしゃると思います。でも、これが私たち夫婦が抱えてきた問題とそれを抜け出した過程です。これからも、この体験を通して多くの夫婦やカップルと語り合えて行けたらうれしいです(^^)
Dec 30, 2004
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そろそろ年末ですね。今日から我が家の旦那様も連休に突入。でもナカナカ今年は厳しいみたいです・・・。wさてさて今日はまた戻って、少しでも私たち夫婦の軌跡を皆様にお話する事でどうやって、今の幸せを勝ち得たのか、夫婦の事で悩んでいる方や恋愛の事で悩んでいる方々に知ってもらえればなんて思って、書いている、第7回目です。前回は2年3ヶ月目までのお話でしたので、今回は2年3ヶ月目~今年の頭までのお話を書きます。いよいよ。回復のプロセス1です!!(パンパカパーン)w前回6回目の借金が見つかり、うすうすは共依存等という所で気付いていた、「依存は夫婦の問題である」という所に着手して見ようと決心した私たち夫婦。そこで出会ったのが、「この人と結婚していいの?」の著者である、石井希尚氏でした。私たちがこの本に出会ったのは実は結婚前。母がクリスチャンだった事もあり、結婚するなら絶対にプリマリタルカウンセリングを受けた方がいいよ。と言われ、母の願いを叶えましょう感覚で、受けたカウンセリングの場で牧師さんに貰った本でした。その時は「へぇーーー。なるほどーー」位にしか思っていなかったのですが、結婚して2年3ヶ月 いろいろな事を経て来て、かなり疲れがたまっていた私たち夫婦にとっては、一つの希望なのかも?と思わされました。また、ちょうどその時母がとって居たテレビ番組で石井氏が紹介されていて、ご本人も出演しているビデオを見る機会があり、著者としてだけでなく、プリマリタルカウンセラーや結婚したカップルのカウンセリングもやっているという情報を得たのも、私たちを石井氏の所へ向かわせるきっかけとなりました。更には、ちょうどその週の週末は自分たちも予定がなく、石井氏の開いている喫茶店(KICK BACK CAFE)が結構意外と近くにあるという事、またそこにてその週末に月例ライブがあるとインターネットで調べて、知り、さっそくメールをして行くことになったというわけです。そして、いよいよ運命のライブ!wそのライブはプロのミュージシャンだった時期もある、石井のバンド、天国民というバンドのライブで、とっても何か心があったまるライブでした。歌っているのがゴスペル(希望)という事もあり、まったく、無信仰の私たちにも何かドキドキさせられた・・・そんなライブでした。日頃から戦いの連続だった私たち夫婦には久しぶりに感じた、穏やかさでした。そして、そのライブの後、石井氏に面会・・。特に何を話すわけでもなく、ドキドキして挨拶を交わしたのですが、ステージとは違い、とっても穏やかな石井氏。その日は特別にカウンセリングというわけではなく、スタッフの方々と少しお話をさせていただいて、帰りました。でも、それからチョコチョコとそのカフェに足を運ぶようになりました。ライブはもちろん、聖書を教えてくれている日もたまに足を運びました。(聖書には小さい頃から私はクリスチャンではないけど、親しんでいたので、抵抗はそれ程なかったし、石井氏は確かに牧師だけども、お説教というよりも、聖書のお話をして下さるので、楽しかったんですw)そして、顔見知りのスタッフさんも増え、いろいろな話をするようになって来た私たち夫婦・・。石井氏とも段々と距離が近くなって来ました。そんなこんなで2ヶ月が過ぎたある日・・。主人が倒れました。実は6回目の後も止めたい!でも止められない自分というののハザマで葛藤して、また仕事がとっても過酷だった事もあり、精神的に追い詰められてしまい、会社にいけなくなってしまったのです。それが今年の1月のお話。すぐに石井氏の所へ連絡を入れました。すると、「今週末の日曜日においで」と言って下さりました。でも、主人はまだカウンセリングを受けるという事には抵抗がある模様・・。(やっぱりここら辺がウルトラマンですねw)でも、「会社にもいけない、気力もない・・。どうするの?」と聞くと、「精神科へ行く」と言う。以前の日記にも書きましたが、私は日本の精神科を信用していませんでした。薬で利益を上げているビジネスとしか思えなかったから・・。それでも、「まぁいいか。」と思い、主人を連れて行ったのです。そこではとりあえず、10分程の診察があり、薬が出されました。でも、主人にはまったく効かなかった・・・。そして、主人は石井氏の所へ行く事を選択しました。週末・・。石井氏の所へ行った私たち・・。ここからのお話はまた次回・・。次回は絶対に明日書きますよーーーw年内にこのシリーズ終わりにしたいのです!!wガンバロットw
Dec 29, 2004
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さてさて、今日はちょっと夫婦のお話を止めてせっかくのクリスマスなので、そのネタを一つ書きたいと思います。昨日のイブ私達は「カップルズディナー」と言うものに参加してきました。私の日記にも良く出てくる石井希尚氏がオーナーを務めているカフェで行われたディナーで「夫婦カップルが向かい合う時間を作ろう」という趣旨で開かれているディナーだったのですが、当然それは結婚カウンセラーである、石井氏。カップルの為の演出は最高でした。歌手でもある石井氏、過去に書いたという恋愛の曲を歌いながら、その歌と歌との間で色々な演出を入れてくれました。そこで石井氏が入れた演出を少し・・。(皆様も今日実践できますので是非!!w)まず前置きとして、「普段男性は相手に気持ちを伝えるという事が苦手ですから、今日はせっかくの一年に一回のクリスマス相手に伝わる伝え方で気持ちを伝えて見ましょう」と言い二つの事を強制的にディナーに来た人にやらせました。1点目は 1分間相手の目を見てお互いに何故この相手でなくてはいけないのか?という理由を告げるという事。これは本当に1分図られて「ハイ、じゃぁまずは男性から女性に伝えましょう!!次は女性から男性に伝えましょう!!」って感じですwそして2点目はものすごいラブソングの間中男性が女性の手を握っていて、最後に「君と生きていきたい」と言わせるwこれまた、スタッフを通して見張られていて、やっていないカップルは石井氏から突っ込みが入る始末wもちろん、私達夫婦もやりましたよ。(照)恥ずかしいけど、やっぱり女性の私としては、嬉しかったです。まぁ、でもうちら夫婦は回復に向かっている夫婦なので、普段から結構こういう事はなれているのですが、でもやっぱりクリスマスにおいしい料理を食べて、良い音楽を聴きながらってのが最高でした!!前日の夜、喧嘩したけど予約を入れているので仕方なく来たカップルなんて感じの人も居たみたいだけど(最初の自己紹介の時に言っていた)最後にはみんな笑顔で帰っていきました。とっても良いクリスマスでした。これを読んでいる男性の皆様、ぜひともお試しあれーー^^
Dec 25, 2004
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さてさて、今日もまたまた、少しでも私たち夫婦の軌跡を皆様にお話する事でどうやって、今の幸せを勝ち得たのか、夫婦の事で悩んでいる方や恋愛の事で悩んでいる方々に知ってもらえればなんて思って、書いている、第6回目です。前回は9ヶ月目までのお話でしたので、今回は9ヶ月目~2年3ヶ月目までのお話を書きます。3度目の借金が見つかって数ヶ月後・・。彼の仕事も安定している、私の仕事も安定していて、どうにか、生活も安定してきました。これで今度こそ、私の貯金は全て借金返済に回せるだろうし、早く主人の実家への借金も返して、本当の意味での新婚生活を満喫したい!!と考えていました。ところが・・・。やはり起こってしまった4回目・・・。この時に初めて「ギャンブル依存」なるものはそう簡単に辞められないという事を勉強しました。そして、GAというギャンブル依存者の為の集会みたいなものに彼に行ってもらいました。そして、「共依存」という言葉もその時初めて学びました。「共依存」とは旦那様や彼氏が借金をしたりした時にそれを返してあげる人間の心情らしく、「愛」という名のもとに色々と尽くす女性の過剰な行動をさすそうです。それが相手が何かに依存していない状態であれば問題はないそうなのですが、相手が何かに依存したときは共に倒れてしまう・・。つまりは、借金を200万したら大抵の人間はそれ以上は出来ない・・。でも誰かが返してあげると、また200万円借金が出来てしまうだけ・・。その事に気付かずに借金を返してあげてしまう・・。もちろん、色々な事情はあります。自転車操業にしてもどうにもならないから、一度返さなければ生活が出来ないとか・・。でも、それでも返してあげるという行為はあまり依存症の人には取らない方が良い行動なのですね・・。ま、ギャンブル依存者とその家族についてはまた別で書くとして、とりあえず、そんな事を学んだ私は、彼をGAに通わせ、少しでも彼の依存がなくなる事を願いました。(でもやっぱり生活のため、借金は返しました・・・)そして、起こってしまった5回目・・。ここで出会ったのがゲーム会でした。ギャンブルに依存する人間には経済感覚が身についていない。おこづかい帳をつけた事がない人間が多いというのを聞き、少しでもバジティング能力をつけて欲しいと思い、キャッシュフローゲームというアメリカのゲーム(詳しくは以前の日記を見てねw)をやっている会に二人で通うようになりました。これはかなり効果がありました・・。お金という物の持つ意味や、経済的自由を身につけるという事の大切さみたいな事が彼に伝わり始め、「ギャンブル依存」という自分の状態がいかに無意味であるか、一時の感情の開放にしか過ぎないという事を彼が認識しだしたのはこの頃でした。そして、やはり彼の実家に頼み借金を返済しました・・・。それでも起こってしまった6回目・・。確かに色々な事を勉強して来たのですから、やってはいけないことという事は彼も私もわかっています。でも「どうしても止められない自分が居る」と言うのです・・。そして、今までは借金が見つかっても全部のカードを出さずに、「1枚か2枚は残して居た」と・・・。「そうしないと精神的に落ち着かないから・・。」と・・・。うーーん・・・。こうなってくると能力とか知識ではなく、精神の問題だ・・・。でも、とりあえず私が援助できるのは知識を身に付けてもらう事や、行動を見張る位しか出来ない・・。という事で、まず取った行動はデータバンクへ行く事。これ以上借金がありませんと、身の潔白を表明させる事・・。(このデータバンクについてもそのうち書きますのでココでは省略しますね)でも、彼の精神については、どうするべきなのだろう??彼もこの頃は苦しんでいました。自分で自分の行動を止められない・・。それが依存ですから・・。そして、出会ったのが、「この人と結婚していいの?」を書いた著者の石井希尚氏でした。彼の精神を追いやっている原因は何なのか?それを考えたときに出てきた結論は、一つは会社の事、そしてもう一つは「自分」だと思ったわけです・・。つまりは依存は夫婦の問題なのだと・・。それがちょうど今から1年前のお話、結婚して2年3ヶ月目の事です。そこからどうやって今に至のかはまた次のお話です。(^^)そろそろどろどろを脱出しだした私達夫婦。次回からは回復のプロセスです。(^^)
Dec 20, 2004
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今日もまた前回の続きで、少しでも私たち夫婦の軌跡を皆様にお話する事でどうやって、今の幸せを勝ち得たのか、夫婦の事で悩んでいる方や恋愛の事で悩んでいる方々に知ってもらえればなんて思って、書いている、第5回目です。前回は結婚3ヶ月目までの事を書きましたから、今回は3ヶ月~9ヶ月目までの事を書きます。どうにか二人とも就職が決まり、返済計画も立ちだした二人。やっちまったものはショウガナイと割り切り、過去にとらわれる事を辞めてせっせ、せっせと返済していました。返済しなければいけないお金があるとなったら、女性なら、そりゃぁー必死になるじゃないですか。自分が安全な所、安定したところにないと女性ってより早く安定したところへ向かおうとする。だから、残業もバリバリ、お仕事もバリバリ。でも、旦那様はどうも私とは違うらしい・・。ちょうど季節は冬。そりゃぁー人間だから風邪をひくこともありますよ。でもそれにしても旦那様は良く会社を休むんです。「大丈夫なの?新しく行き始めた会社なのに、そんなに休んで」と言うと「仕事はちゃんとしてるから大丈夫」という旦那様。「まぁ、そっか・・。」と思い、自分の中に生まれる負の感情は抑えて、せっせせっせと働いていました。そして、そろそろ完済???なんて時でした・・・。ちょうど結婚して半年位の頃かなぁ・・。とある郵便物が我が家に届きました。空けてみると・・・。『返済金50万円』と書いてあります・・。「ん?????????何だこれは????」心臓はドクドク・・。本当に音が聞こえそうなくらい、ただ静けさの中聞こえてきます。そう・・・。旦那様には又なのか、まだなのか、借金があったのです。ひたすらに旦那様の帰りを待ち、問いただす私・・・。よくよく話を聞くと、前回見つかった90万円の他に後2枚カードがあって、その合計金額は100万円・・・。内容は「結婚式の時に父(私から見た義理の父)がくれたお祝い金は実は自分が借金した物だ。お前の両親との格差が恥ずかしくて、そうした・・。」という事・・・。確かに義理の父は結納金も渡していないからと、お祝いとして、50万円程くれました。その他にも仕事関係の人やら、遠い親戚やらで、かなりの金額を持って来てくれたんです。そのおかげで無職だった期間私達が生活出来たという事もありましたが、そのお金は実は主人が借金をして、包んだ物だったと言うのです。その他にはバイクに乗っていたのだが、それで事故を起してしまって、示談にするのに、10万円・・。その時壊れたバイクを直すのに20万円・・・と・・。でも仕事もしていない時期だったから言えなかったと・・。うーーーん・・・・。まぁ、泣きながら語った理由だし、男の人だし、そういったプライドを持つ事もあるのかも・・。と疑い気分半分ながらも信じましたよ。そしてまた、ここで出てくる楽観主義者の私w二人で働いているのだし、どうにかなるかなぁ・・・と思い、目をつぶる事にしました。所がその時期です・・。悪い事は重なるものですねぇ・・・。旦那様がお仕事を解雇されてしまいました・・。理由はやはり勤怠・・。やっぱり・・・世の中はそんなに甘くありません。週1日ペースで休んでいる人間を雇いつづけてくれるほどはねw仕方が無い・・。ここは彼の実家に泣きつこう・・。うちの両親に心配掛けるわけには行かないし・・。という事で彼の実家に彼にお電話してもらいました。その時彼がどういう理由を付けたのかはあまり知らないけれども、どうにか、義理の姉と義理の母から50万づつ、借りる事が出来、完済しました。普通なら、ここで彼が言った事が嘘だったらばれるのですが、彼の実家の事情は色々と複雑で、ばれなかったんですよねぇ・・。と、それはまた後のお話・・。とりあえず、生活は私が働いていたのでどうにか、これでなる・・。後は彼がまた就職してくれれば、借金も返済できる。そう考えていました。今回ばかしは彼も結構素早く仕事を見つけてくれて、2ヶ月後位には仕事をしていましたし、これで順調かな・・・と思っていました。所が起きてしまいました、3回目・・・wしかもわずか3ヵ月後に・・・。結婚して9ヶ月目の事でした。これはさすがにおかしい。幾らなんでも今でも実家にお金を送っているはずも無いし、また、事故なはずもない・・。お祝い金な訳もない・・・。そう思い、「今度は本当の理由を聞こう」と決心した私。恥を忍んで義理の父にも電話しました。「お祝い金っていくら包んで頂きました?」ってwいやーー。怖い怖い・・・。でもそこまでして裏を取らないと逃げ道を作るような気がして・・。もちろん、彼が言っていた理由は全て嘘でした。そして、彼を問いただして出てきた金額と答えは、『100万円とギャンブルで作った借金』でした。どこかで「やっぱり・・・」と思っている自分が居ました。でも、今それが確信に変わった・・。さぁ、私はどうするべきなんだろ・・・。結婚してわずか9ヶ月です。「離婚」という事も頭を掠めましたよ。さすがにこの時は・・。でも、運命と信じて結婚した人です・・。そう簡単には「離婚」は出来なかったんです・・。もちろん、そこには自分の計算みたいなものもあったと思います。でも、それ以上にまだ旦那様の事が好きでした・・。愛していました・・。だからこそ、今一度やり直そうと決めました。そして、再び義理の父に今度はお金を借りて、返済して、やり直す事を決意したのです。2度あることは3度あるとは言うけども、幾らなんでも3度あることが4度あるとは言わないし・・・とねw所が・・・・。ここからのお話はまた次回。wどんどんと泥沼に嵌っていく二人・・。さてさて、こんな夫婦がいったいどうして今幸せなのだろう?それはまた追って書いていきます・・。
Dec 16, 2004
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今日もまた前回の続きで、少しでも私たち夫婦の軌跡を皆様にお話する事でどうやって、今の幸せを勝ち得たのか、夫婦の事で悩んでいる方や恋愛の事で悩んでいる方々に知ってもらえればなんて思って、書いている、第4回目です。前回はゴールインして新婚旅行へ行った所までを書きましたが今回は新婚旅行帰宅~結婚3ヶ月編を書きます。無事婚約中色々な事があった中、結婚した私達。結婚式の翌日からサイパンにちょっと長めの5泊6日の新婚旅行。結婚式は2001年9月8日、サイパンに向かったのは2001年9月9日。そう、きっと勘のいい人はすでにお気づきですね。着いた翌々日が9.11だったんんです!!!しかもサイパンはアメリカの自治領。ついた日にガイドさんが「サイパンはアメリカの自治領でアメリカの船艦が守っています。ほら、今南(?)がわを向いている舟がありますよね。(海を見るとある。)あれが北(?)側を向いた時は世界情勢が危ないときなんですよーー」なんて言ってたのを、「へーーー」と聞いていた二人ですが、まさか自分達が滞在中に北を向くとは!!wあのまま戦争にでもなっていたら、私達はどうなっていたのだろうと考えるとゾッとします。wまぁ、でもどうにか延泊1日で帰る事が出きたので、ホッとしました。そして、帰国・・・。楽しいサイパンから戻って来て、1日お家でゆっくりとし、翌日からは本当の意味での新婚生活のスタート。住まいは彼が2年前に人生最大の誕生日プレゼントとして引っ越して来てくれた彼の家。実家も程よく近いし、今までの生活も続けられるしと、最高のスタートでした。初日、せっせとお弁当を作って旦那様を送り出し、私は自分の荷物なんかを整理して旦那様の帰宅を待つ。「幸せだなぁーー」って思ってました。所が新婚生活2日目の夜。旦那様が帰ってきてこう言うのです。「実は会社を解雇されました」と。「え??????????????????????どういう事?????????????????????????」びっくり仰天です。よくよく話を聞いてみると、今の会社に勤めだしたのが結婚前の7月頃だったのですが、同じ会社から出向に行っている人が問題を起した事や、新婚旅行で長期休暇をとると言った事などがあって、結婚式前日に解雇になっていたという事・・・、結婚生活初日からはさすがに言い出せず、黙って家を出て時間をつぶしていたが、お弁当とかを見て黙っているのは心苦しいので私に告げたという事らしいです・・・。愕然・・・・せっかく安定するのを1年半待って結婚したのに・・・という思いはありましたが、ま、仕方ないか(結構私は楽観主義ですw)結婚お祝い金もあるし、次の仕事をすぐに探せば生活は大丈夫だろう・・。と、前向きに彼を励ましました。でも、無職二人での結婚生活のスタートとなってしまいました。そして、ここら辺から男性と女性の思考の違いなのか、価値観の違いなのか色々な問題が生まれました。まずは、9月。彼は就職活動はしてくれるのですが、1つ受けては結果が出るまで次を受けようとしない・・。私は就職活動をする時は連日面接を受けて、2つ以上結果が出たらどちらかを選ぶという方法でするのが普通だと考えていましたので、どうも、じれったくて、いらいらします。確かに3ヶ月位は暮らせる余裕はありましたが、そういう問題ではなく、やっぱりちゃんと仕事を探して欲しい・・・でもそれを告げると、「就職活動はしてるじゃないか!!」と怒る・・・。うーーん・・・。「価値観が違うのかなぁ・・・。」まったくしていないなら真っ向から抗議できるが、してるにはしてるわけだし・・・。そして、10月。相変わらずのんびりと就職活動をする旦那様・・。貯蓄も減っていく・・・。せっかく皆様から頂いたお祝い金、「こうは使いたくない!!」と思い、旦那様とじっくりと話し合う。そして、日雇いのバイトをしながら就職活動をする事となる。これでとりあえず、日銭は入ってくるわけだし、多少は貯蓄も切り崩さなければいけないかもしれないけれども、一安心なんて思ってました。そして11月のある日・・・。電話がかかって来た。私が以前にネットを繋ぐために作ったカード会社からの電話。私は基本的にカードって嫌いなのだが、インターネットが普及しだした当時はカード決算が主流だった。だから仕方なく近くのビデオやさんの会員証でカード機能つきのを作ったのだが、そのカードにはキャッシング機能なる物がついていた。まぁ、着いていると多少は使うもの。でも返せなくなるほど使った事は無かったが、そこからの電話だ。「使用上限を増やしせんか?」と・・・。「ああ・・・いつもの勧誘かぁ・・・」なんて思いながら、「使わないので増やさなくていいです。」と告げると相手が「え??」と言う。こちらも「え??」と聞き返すと、私のカードは使用上限いっぱいまで使われているとの事・・・。「???????????????????」使った覚えが無いのに???色々と調べるとうちの近くでチョコチョコと引き出され、使われているという事。このカード使えるのは私と主人だけ・・・。確かに結婚前に一度返済があって、その時主人に行ってもらった事があるから主人は暗証番号も知っている。でも、「まさかーーー!!!!!」と思いつつも、「ご主人に確認して見て下さい」と言われて、仕方なくその夜話をしてみると、「使った・・・」と言われた・・・。「ガビーーーーーーーーーーン」そして出てきたのは主人名義のもう一枚のカード。と、私が作っていた忘れていたようなカード。両方とも上限いっぱい。合計90万円・・・。どうやら結婚前からビデオ屋さんに行くからカードと言った時に引き出したり返したりしていたらしい・・・。まったく気付かなかった・・。まぁ、その事も問題かもしれないが、まさか、主人が私のカードを使うなんて夢にも思わなかったw理由を聞くと、「妹が大学受験するのにお金が足りないと実家から言われた」という。確かに彼の妹は歳が離れていてその年受験だ。彼の家は震災に遭っているという事もあって、あまり裕福でないという話も聞いていた・・。でもだからと言って私のカード??色々と巡るがここでも楽観主義者の私が登場。「ま、やっちまったものは仕方ないか。w頑張って二人で返して行こうね!!」と言う。彼はひたすら「すまない・・・。」と言う。そして、12月就職活動もさすがに本腰を入れてくれる彼。バイトに就職活動に・・。忙しいがナカナカ決まらない。すでに貯金は殆ど無い。(私のカードのみ完済したので。)私も就職活動を始めた。そしてどうにか二人して就職が決まった。色々とあったけど、ここからが本当のスタート!!そう思った夫婦生活。波乱の幕開けだったが、ま、働き口があればどうにかなるさ。と思っていました・・・。そう・・・。でもこれはまだまだ序章だったんですよねぇ・・wという事で続きはまた次回・・・。段々と問題が浮上してくる私達夫婦ですが、今は幸せなんですよ。w後3回位で終わるかな?w所で、話は変わりますが、実は10000ヒット自爆しました・・シクシクちょうど更新してたんです・・・。そしたらつい・・・wこれまでも1000とか4000とかかなり自爆してきたのですが、10000はさすがにショックだった・・・シクシクま、でも10000人もの方々がこの1年半で私のページに来てくれている。あくまでも個人のサイトで考えると、すっごくステキな事ですよね。ありがとうです ペコリ
Dec 13, 2004
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また、ご無沙汰していますw先日うちの主人がこの日記を見て「さすがに今振り返ると照れるね」なんて言ってましたがそれは私も同じですwだから筆が遅いのは許してね。という事で少しでも私たち夫婦の軌跡を皆様にお話する事でどうやって、今の幸せを勝ち得たのか、夫婦の事で悩んでいる方や恋愛の事で悩んでいる方々に知ってもらえればなんて思って、書いている、第3回目です。前回は出会い~交際編でしたので、今回は交際~結婚編です。さてさて、前回冗談80%で誕生日プレゼントに引越しをしてきて欲しいと人生最大のわがままになってしまった私ですが、彼はそのままとりあえず神戸に帰りました。(寂しいよぉーーーシクシク)そして、日々電話などをしていたある日、彼からメールが来ました。「10月に入ったらとりあえずそっちに行きます」と。びっくり!!!「それは、遊びに?」と聞くと「家を探しに」との事。いや・・・マジで人生最大のわがままになってしまった・・(汗)そして、とりあえずお金が無いという事で、その足で敷金稼ぎの為に軽井沢へリゾートバイトに1ヶ月行くという事。ちょうどその頃私も同じ県内ではあったのですが、夜勤の仕事だったため、会社の寮へ入った時だったりして、まぁ、前よりは近いけれどもなんて生活が1ヶ月続きました。そして彼はうちの実家の近くに私の誕生日の翌日、家を借りてくれました。うーーん・・・。私も実家に居ればすっごく近かったのに・・。でも同じ県内。これはもう、遠距離ではないね(^^)そして、私達は遠距離恋愛から脱して、近距離恋愛になりました。(^^)その後彼は自分のスキルを生かして、都内でお仕事・・。でもこれがちょっと悲惨なお仕事だったんです・・。勤めだしたのは11月半ば頃から・・。ちょうど2000年問題が上がっていて、きっと手が足りなかったんでしょうねぇ・・。どうにか安く人をその対応の為に雇えないか・・。と考えての苦肉の策だったのかもしれません・・。試用期間とかって事でかなり安い給料で雇われて、そのまま試用期間終了と同時に解雇・・。わずか3ヶ月でそのお仕事は終わっちゃったんです。それから3ヶ月また彼は一生懸命に就職活動して、どうにか2000年の6月には再就職先が決まりました。でもまた、そこもとっても大変な会社だったんです。確かに給料は良かったけど、朝8時~夜8時が通常勤務という激務・・。彼は日に日に衰えていく感じでした。でも、そのときにはすでにプロポーズもしてくれていたので、どうにか頑張ろうとは思っていたみたいですが、業務縮小とかって事でそこも解雇・・・。半年くらいだったかなぁ・・・。結婚したい・・・。でも就職が安定しない・・・。とりあえず、前2社とは違う、もう少し余裕のある仕事を!!という事で、今度は派遣会社で仕事を紹介してもらう事に。そうすれば、いきなり激務ではなく、徐々に仕事ができるかなぁ・・・。なんて事もあったしね。そして、彼は地元の就業先へ。これは結構良い仕事だったんですよ。でも、どうしても女性は安定を求めるもの。やっぱり私は正社員になって欲しかった・・。という事で派遣先に彼も打診してくれたんだけど、正社員への道はないという事・・。仕方ないのでこの職場は彼は気に入ってはいたんだけども、契約延長の時に辞退・・・再び就職活動・・。そんなこんなで正社員で、安定した仕事につくのに、1年半掛かりました。でも、1年半頃にはようやく彼も少し落ち着いて来たので、再びプロポーズ。私としても1年半待ったわけだし、飛び上がるほど嬉しかったです。その頃には私も実家に帰っていたし、少しお金も貯まっていたので、式を挙げる準備を始めました。そして、2001年9月、無事ゴールイン!!彼は私のシンデレラとしての部分はすっごく尊重してくれるし、幸せな生活のスタートでした。そう・・・新婚旅行から帰ってくるまでは・・・。ようやく結婚した私たち夫婦。でも、段々とうちの夫婦の問題が浮き彫りになってきましたよーーーwこの、3回まではまだまだるんるんですけどね。w泥沼を期待している方々は、こうご期待ですwという事で続きは次回。
Dec 9, 2004
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さてさて、少しでも私たち夫婦の軌跡を皆様にお話する事でどうやって、今の幸せを勝ち得たのか、夫婦の事で悩んでいる方や恋愛の事で悩んでいる方々に知ってもらえればなんて思って、書いている、第2回目です。前回は出会い編でしたから、今日は出会い~交際編です。(照)えっと、前回主人から告白(?)されて付き合う事となった私たち(詳しくは前回の日記を読んでねw)でも、正式な返事をする為にはその当時の彼と別れなければいけません。しかも翌日には彼は神戸へ帰らなければならない・・。焦りましたw旦那様が出発するのは翌日の夜行バス。それまでにケリをつけなければならない・・・。しかも当時の彼は結構私にぞっこん・・・。(いやマジで・・)あまり恋人が居た事が無い人らしく、一人見つけるとしがみつく感じだったw付き合ってた時は自分にほれてくれてる人の方が、結婚とかだと楽かなぁってちょっと思ってたけど、あまりにもバランスが悪いとやっぱり成立しないんですよねぇ・・。と余談でしたね(汗)とりあえず、翌日朝、彼に連絡を入れた。「話がしたい・・・。」と。そしてその日の夕方どうにか彼が時間を取ってくれ、喫茶店へ。主人は近くのマックで待たせて、正直に全てを彼に話した。彼は人前だと言うのに、涙を流し、「別れたくない」と言う。でも、私としては旦那の事等別としても「無理」を感じたので、丁寧にお断りする。人生で何度か「振る」という経験をしてきたが、やっぱり気分は悪い・・。しかも、他に好きな人が出来たから別れるという経験は人生で初・・かなり気まずい気分だった。でもま、「仕方が無いよね・・・。」と自分に言い聞かせ、話にケリを付け無事、彼とは別れた。そして、旦那様の待つマックへ。晴れ晴れとした表情の私を見て旦那様はホッとした様子。「殴られてもおかしくない」と覚悟を決めてたそうなw私もどうなる事かとやきもきしたが、まぁ、これで無事旦那様に交際のお返事が出来た。その後旦那様と夜行バスの時間までお食事。初めて彼氏、彼女になってのロマンチックデート!!のはずだが、新宿の居酒屋だったwでもま、新しい恋人同士にとってはどこでも、周りが相席で混雑していようとも、ロマンチックデート!!wしかも私達は付き合いだしたその日に遠く神戸ー埼玉と別れなければならない・・。二人とも遠距離恋愛なんてした事が無ければ、その当時私の知り合いで、すっごくラブラブだったのに、彼が転勤で遠距離になったとたん別れてしまったカップルを見ていたばかり。その事だけが一抹の不安として私の中にありました。そんな時、旦那様が「誕生日が近いんでしょう?何が欲しい?」と聞いてきました。私は酔った勢いもあって、冗談半分で「仕事探してるなら、都内で探して、引っ越して来て!!」と言ってしまったのだ。w本当は冗談80%位だったのよ本当に・・。だって付き合い始めて1日目に引越ししてきてって言ってまじめに聞いてくれる彼氏なんて今まで付き合った人には居なかったし、関西人だった旦那様なんでもかんでも話が冗談に変わって行くツッコミ会話をしてきたわけだから・・・。今その事を言うと旦那様は「マジ!!!!!!!」と言うけど、ごめんなさい、マジなんですwでも、旦那様は30秒程考えて「一週間回答を出すまでに時間下さい」といいました!!びっくり!!!!!!後の旦那様曰く、30秒考えて結論が出ない事は結論が出せないと普段なら思うけど、あの事だけはじっくり考えようって思ったそうです(照)さて、おそらくは私の人生で最大のわがままになってしまった、冗談w彼の結論は・・・・????という事で続きはまた次回!!(^^)こうご期待??w
Dec 6, 2004
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どもども、夏樹です。さて、最近皆様に色々と男と女の心理学講座などのことをお伝えしていますが、私たちも昔はあたりまえかも知れないけれども、いたって普通の夫婦でしたw喧嘩もすれ違いも人一倍。しかも、人五倍位する問題を抱えた夫婦でした。それが今どうしてこのように立ち直っているのか・・。そんなお話を今日から少し書いてみようかなぁと思っております。私たちが出会ったのは今から5年前 1999年の夏でした。出会いのきっかけは今よりも全然進んでいないインターネットでした。当時は出会い系とかも殆ど無く、ネットをしている人もお絵かきさんか、理系の学生さん、あるいは理系の学校を卒業した人や、パソコン関係の仕事をしている人位しか居ませんでした。でも、私は個人的に昔からパソコンが好きでした。主人もその当時はシステムエンジニアなる仕事をしている人で、当然パソコンに精通していたわけですね。その当時、日本のネットの世界に現れたのが、チャットソフトなる物でした。これは結構斬新だったんですよ当時はw今ではバーチャルリアリティーチャットソフトなんてのもあるようですが、当時は文字をどんどん入力して会話していくもの。キャラクターなんてのも無く、絵文字でキャラクターを表すくらいしか表現手段が無かったのですが、それでも私はどんどんとのめりこんで行きました。(おかげでタイピングが早くなる早くなるw)まだ、テレホーダイなんて時代ですw夜11時に皆自然と集合して、大体夜2時位まで入れ替わり立ち代り人が出入りしていました。そこに主人も居たわけです。でも、私は主人よりも半年ほど早く始めていたので、その時の主人はまだ、「ただ、いるなぁーー」って位の存在でした。すでに別の人間関係も出来上がってましたし、なかなか新しい人は輪に入れないものですwそんなタダいる人から大切な人になったのは、ある宿泊OFF会の時でした。その時は私はそのチャットの場でもすでに主というか、OFF会の幹事なんかをする、いわゆる「言い出しっぺ」見たいな存在で、そのOFF会でも私が幹事で、しかも地元のコテージで1泊をするという計画を立てていました。どうしてもOFF会になると地元や関東の人中心になってしまうので、遠方の人も参加できる企画を!!と建てた計画でした。その時に神戸に住んでいた主人も参加してきたのです。前々日位まで参加予定でなかった主人ですが、副幹事から「夏樹が言ったら来ると思うから、声かけて見て」と言われ、参加者が多いほうが、コテージだから安くなる、なーーんて軽い気持ちで声を掛けたんですwそして、当日。はるばる神戸から来た(開催地は茨城ですからねぇ・・・)主人。結構いい男だったんですよwでも、その時は私にも彼氏がいるし、それ以上にはならないだろうなぁなんて思ってたんだけど、運命のいたずら??その会に参加していた当時の彼氏の態度がすっごく私の思い描いていたものと違い、もちろん、周りは彼を知らないわけだから仕方が無いのかもしれないけれども(ネットとは関係ない彼だったから)全く、周囲が話し掛けても打ち解けようとしなかったんですよねぇ・・。それでその彼とは無理かなぁ・・。なんて考えて居た時、主人が延泊したいと言い出したんです。そのときのOFF自体は一泊の予定だったのですが、皆様遠くから参加されていたので、何名かは延泊の人も居たから快くOKを出し、数日延長してうちの実家に滞在する事になったのです。それは、それで、3日目くらいまではそれでも何も無かったんですよ。(^^)ところが3日目たまたま車で遠出してその帰り他の皆も帰り、主人も明日帰ると言う時、2時間くらい車で二人で話す機会があったんです。その時主人が「帰りたくない」と言い出しました。それで二人で飲みに行って「付き合う」事となったわけです。翌日には神戸に帰らなきゃいけない主人、まだ前の彼と完全には分かれていない私・・・。さてさて、どうしよう・・・。問題山積みです。wという事で続きは次回ーーー。いつも思うけど私の文章は余計な事が多くて長いですね。ごめんなさいです。w
Dec 2, 2004
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今日はココのところの流れから一変して前回予告していた通り、義援金について一言。先日うちの知り合いの人がフリースクールの生徒を連れて新潟へボランティア活動へ行ってきた。その時の話を聞かせてもらったら、義援金はすでに色々な団体から1億円以上集まっているらしい。でも、現実問題として被災者の手には渡っていない・・・。出来るだけ早く安心を!!と考えている人が多いのに、もたもたとしていて、なかなかわたらない。そのうちに、きっと渡す手段も無く、町の復興等に使われてしまうのだろうか??余談だが、うちの主人は阪神大震災の被災者だ。すでに10年前なので当人もまだ20歳位の頃の事だったらしい。阪神はそれまで殆ど地震という物が無かった事もあってか、2~3日は「戦争が起こった」と思っていたらしい。話を戻して義援金だが、その時も、アレだけ全国から義援金が集まっていたのに、被災者の手元に届いたのは一人頭数万円程と家が半壊した援助金300万円程だったらしい。うーーーん・・・。300万円と言うのは国が出す資金らしいので、義援金とは関係ないから、純粋に義援金として被災者の手元に届いたのは一人頭数万円・・。計算してみた。人口が日本全体で1億6000万人。49都道府県で割ってみて、1県あたり33万人。まぁ、阪神という事でちょっと多めに見て100万人。としても、1億の義援金が集まったら、一人頭10万円は行くはずだ。でも、数万円・・・。残りのお金はどこへ消えたのだろう?やっぱり、街の復興等に使われてしまったのではないだろうか?でも、それは義援金から出すお金なのか??私が義援金を募金するときそれは本当に個人へとして考えて入れている。街や県の為になどとは微塵も思っていない。それはだって税金払ってるわけだら、それでまかなってくれって思う。でも、現実はそうではないらしい・・・・。この国は本当に不透明な国だ・・・と改めて思った。インターネットがこれだけ普及しているわけだし、もっともっとより現実味のある義援金の分配の仕方など考えられそうなものだけどなぁ・・。難しいのかなぁ・・。最後にその行ってきた人の話だと、これから新潟は雪が降るので、スキーウェアなどがあるとうれしいと言っていた。こっちではスキーウェアなんて日常品ではないが、雪国ではやっぱり日常品なのね!!ちょっとびっくり。皆様のご家庭で余っているのがあったら、送って見てはいかがですか?という事で、今日はぽそぽそと書いたが、次回はまた夫婦の事について書けたらと思っています。
Dec 1, 2004
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