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『シクサハショッソヨ(食事されましたか)?』韓国ではよく訊かれる挨拶である。しかし、これに対して『いえまだなんです。』と答えるものなら、おそらく質問した韓国人は笑いを浮かべるであろう。日本では当然、このような質問を受け、食べていなければ、上のような答えをしても誰も驚いたり、ニヤニヤする人はいない。しかし、韓国ではそうではない。この『シクサハショッソヨ(食事をしましたか)?』は『おはようございます。』であり、『こんにちは』であり、『こんばんは』である。もちろん『アンニョンハセヨ?』という表現もするが、以外にこの『シクサハショッソヨ(食事されましたか)?』という挨拶をする人が多い。ではどうしてこのような挨拶をするのだろうか?韓国の人に訊くと、こう答える。昔皆が食べれなかった時代、人と会うと、『今日はご飯食べれましたか?』と質問するのが一般的であり、それが今に残り、挨拶となってしまったと言う。民族的に恥ずかしい習慣だと言っておられた。言葉はその国で暮らせば、3年でほぼ全部聞き取れるようになる。しかし、その国、その民族に対する理解はそのときから始まる。最初の3年間は物珍しい物ばかりだし、聞き取れないことが多いので、『そんなものなのかなあ』と気にしなかったことが、3年経つと、珍しかったことも、『あれまたか?』『ええ?どうして?違うじゃない!変だぞ!』となる。道を聞いても前は良く聞き取れなかったから、間違って教えられても、自分の聞き間違いだと思っていた。しかし、聞き取れるようになった今、確かに教えられ通りに行ったのに目的の所に行き着かない。当然である。間違えた?と言うより、よく分からないのに教えてくれたのだ。ここで日本人は『なぜ、はっきり分からないくせに教えたりするんだ。嘘つきが!』と思ってします。日本なら当然『すみません。分かりません。』と謝るか、あるいは近くにいる人に訊いてくれたりもする。私もそうだった。『韓国人は嘘つきで、見栄っ張りだ。』と思ってしまっていた。だんだん韓国と韓国人が嫌いになっていった。よく韓国や日本でお互いの国の批判を書いている人は『自分はよく韓国(日本)を知っている』と言う。でも調べてみると、だいたい3年ぐらい駐在した人がほとんどである。逆に相手の国のいいところを書いている人は7,8年、あるいは10年以上の人がほとんどだ。本当にその国の国民性や民族性を理解しようとするなら、その国の文化と歴史を学ばなければならない。こういう歴史性からこういう民族性、考え方が生まれたんだと言うことを知って始めて、違う文化、国民性、民族性というものを理解できるようになる。特に日本人と韓国人は顔を見ただけでは区別がつかないものだから、文化の違いによる理解できない考え方や行動をされた時、『どうしてだろう?』と思ってしまうのである。これが皮膚の色も目の色も髪の色も全く違う外国人が同じように理解できない考え方や行動をとっても、『違うから』という目で見ることができるのである。こういうことからお互いを誤解してきたことが多い。日本で昔韓国から卵豆腐を輸入していた。しかし、突然送られてきた豆腐の卵含有量が少なくなっていた。問い合わせると、韓国で卵の値段が急騰したのだという。日本では呆気に取られてしまった。普通日本なら損をしてでも、約束した卵を入れるはずである。でも韓国の人はそう考えない。もし同じように卵を入れて、今日損をしたら大変だ。明日?明日はどうなるか分からないじゃない!この考え方、日本人の皆さんでは理解できないであろう。日本は島国である。今でこそ科学が発達して、しっかりとした船や飛行機で日本を侵略しようと思えば行動に移すことができよう。しかし、昔はそうでなかった。海という安全保証のおかげで日本は守られてきた。いざと言う時は神風が吹いて守ってくれる。元寇の時のように。こんなことから日本人の民族性は長い計画を立てたり、今損をしても、次に利益が上がれば良いと言う考えをすることができる。最後はダメなら皆で切腹して花のように散ろう。こういう考え方、民族性だ。では、韓国はどうか?韓国と言う国は分かっているだけで9百数十回侵略を受けた国である。中国から日本から。いつどこから敵が現れて、今の幸せな生活を奪っていくかもしれない。とにかく今日を生きなくては、どんなことがあっても生き延びなくては。こういう考え方、民族性が生まれた。日本人から見たとき、潔さがない。そうである。『いさぎよし』などと言ってたら、民族が家族が滅んでしまうからだ、明日など考えてたら飢え死にしてしまうからだ。いいとか悪いとかの問題ではない。違うと言うことを理解しなくては、外国で長く生活することはできないし、本当の意味でその国を理解することができない。もちろん今は上に書いたようなビジネスをしているところはないが、日本人の基準からしたら、『え?!どうして?』というのはまだまだたくさんある。ビジネスの世界ではそれは許されないかもしれないけど、一般の生活の中で、文化の違いを価値観で判断してしまはないで、まずは知って理解していかなければならないのではないだろうか。お互いに。昔はビビンバやスープにご飯を入れて食べるのは、『犬の飯だ』と言われたが、今では日本でもこれが韓国料理、韓国の文化として受け入れている。これからお互いをもっともっと知り合って、理解し合って行きたい物である。
May 31, 2004
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金曜日に夕ご飯を食べながら『ライオン先生』を見た。その時に『援交』の話が出てきた。クラスの女の子が『援交』しようとするのをライオン先生が必死に止める内容である。韓国にも『援交』がある。日本から入ってきたものである。韓国語で『ウォンジョキョウジェ』、『援助交際』まったく同じ、漢字をそのまま韓国式に発音したものである。しかし、ここは徹底している。大学の先生や名士たちが捕まることが多いので、捕まるとマスコミに職業と名前が公表される。これを行って、非常に少なくなった。何でも徹底する国である。韓国には『姦通罪』と言うのがある。夫が浮気をすると『姦通罪』で訴えることができる。もちろん刑事罪である。しかし、風俗事情を考えた時、日本よりもオープンである。売春防止法があるのか?あっても無いようなものなのか?確認していないが、いわゆる『赤線』がたくさんある。韓国では『赤線』を『オーパルパル(588)』と言う。なぜ『588』かと言うと、最初に有名になった『赤線』の住所が588番地だからである。ちょうど日本の東京の新宿2丁目に昔『赤線』があった時、『2丁目』が代名詞になったのに似ている。有名な場所まではここでは書けないが以外にたくさんある。あるところはガラス窓にずらっと女の子たちが並んでいる。前を通るのになかなか勇気がいるものである。以前日本のお客さんが私にこんなことを言った。『昨日、588に行って来たのですが、どうして韓国の風俗の女の子達はあんなにきれいなんですか?風俗にいるのが理解できないですよ。それに日本語も上手なんです。』確かにそうである。きれいな子が多い。そして、日本語が上手な子も多い。もっとも韓国では高校の時、第2外国語の時間があって、日本語を選択する子が多い。そして、風俗の女の子は高学歴の子が多い。こんなことを書くと私がよく通っているように思われるが、仕事の関係で、接待が多いもので、少し知っているのである。いずれにしても韓国の風俗のほとんどが日本から入ってきているのに、あまり言い気持ちがしない。どうしても韓国の人たちの認識は日本文化は『暴力的』『性煽動的』と言うラッテルが張られてしまっている。やっとのこと日本文化が解放され、お茶の間で日本のドラマや映画が放送されるようになった。だが、まだまだ厳しいご意見が多い。逆に日本でも韓国のドラマが人気があるというのは、もう一度日本人が考えなければならないのではないだろうか。
May 30, 2004
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皆さんは『口裂け女』の話をご存知だろうか?70年代流行った学校の怪談シリーズの一つである。それと同じ話が韓国の子供たちの間で今流行っている。韓国では『口裂け女』ではなく『赤いマスクの女』である。内容は現代風にアレンジされている。ある女性がいる。彼女は男の子たちに人気があって、皆から『かわいい、かわいい』と言われていた。しかし、一つ気に入らないところがあった。それは口が小さいと言うことである。それで彼女は整形手術をすることにした。しかし、手術の時、医者の付けいたコロンの匂いが嫌で、思わず『キャー』と悲鳴をあげてしまった。その結果口が裂けてしまった。それ以後、男が道を一人で歩いていると赤いマスクを付けて現れる。そして男に『あたしきれい?』と訊くのだそうだ。そして、『きれいじゃない』と言うとその場で殺される。でも『きれい』と言うと、マスクを取り、切れ裂けた口を見せて、『これでもきれい?』と訊くと言う。そしてまた『きれい』と言うと、口を裂かれるという。対策としては女に出会った時に飴を見せるか、女の嫌いなコロンの名前を言えば、逃げていくそうである。70年代当時私も小学校の高学年から中学生にかけてであったので、『口裂け女』の話は聞いたことがあったが、『赤いマスクの女』のような長いストーリーがあったかは覚えていない。いずれにしてもどうして、時代を越えて同じような話が日本と韓国で流行るのか不思議である。最も私が子供の頃見ていた漫画やアニメは全部と言っていいくらい韓国に入って来て、私の子供たちが見ている。だから子供たちとは漫画やアニメの話をすると通じる。昔のあのスポ根漫画は本当にいいものである。勧善懲悪で、汗して努力して初めて成功できる。最近のように要領だけで、楽して成功しようとする風潮はいいものではない。どうしてそういうものがいいという価値観になってしまったのか?そういう意味ではまだまだここ韓国ではスポ根が通じるのでいい。最近日本で韓国のドラマが流行っているのも、日本の昔のドラマを思い出させる、何かすがすがしさが受けているのではないだろうか?日本ももう一度、昔の良かったものを見直してほしいものである。
May 29, 2004
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日本では『在日』という言葉を時々耳にすることがあると思う。そうである。日本に住む、韓国国籍や北朝鮮国籍の人を、在日韓国人、在日朝鮮人と呼ぶのである。しかし、彼らの日本での位置はマイニョリティとして差別され、苦労を重ねてきた人たちが多い。今でこそ、中国、東南アジア、中近東などからの外国人たちがたくさん日本に来ては、いわゆる3Kの仕事に従事しているが、昔は3Kの職業の代表が在日の人たちであった。そのことを意識したり、考えたりしたことも無かった。知り合いの在日の人は何人かいたけど、外国人だと思ったことも無かった。しかし、今度は自分の今の立場を考えた時、私はこの国では外国人である。もちろんここに来て15年だから、普通に話しても外国人だとは思わない。もちろん長く話してると、時々出身はどこだと訊かれることもある。しかし、日本人が在日の人たちにそうしたように、露骨に差別されたり、いじめられたりした経験は無い。それは日本という国が先進国であり、経済大国であるからである。その証拠に韓国でも東南アジアの労働者たちは差別され、いじめられる。日本でもアメリカ人やヨーロッパの人たちを外人さんとは言っても、差別したり、馬鹿にしたりしない。そういう意味では、在韓日本人という立場は故国の先輩が作ってくれた国力の基盤の上に支えられているとも言える。しかし逆に日本人に対するイメージがあり、ここの人たちが私を見たり接したりする時、私は日本人の代表になる。だから、私は親切でなければならないし、決して他人に迷惑をかけてはならない人だ。それで時々私の運転で車に乗った韓国の人が、私がここでは当たり前の違反行為をすると『あなたは韓国人になってしまいましたね』と言う。今日夕食を食べながらテレビを見ていると、日本の映画(ドラマ?)をやっていた。『GO』という題名だ。主人公が在日であった。日本の女の子と付き合っていて、ある日自分が在日であることを彼女に告白する。彼女の言葉は「子供の時からパパに『韓国人や中国人と付き合うな彼らの血が汚れているからだ。』と言われたと言う。」そして、「頭では分かっていても体が拒否するんだ」と言う。最後は仲直りしてハッピーエンドだったけど、どうして同じ人間なのに、国籍、肌の色、宗教、思想の違いでお互いに理解し合えず、あるときはお互いを批判し、憎み、殺し合うのか?今のイラク問題もそうである。お互いを同じ人間として考えられない、違うから残虐に殺す。それが今はインターネットの時代だから、全世界の誰もが見れる公開処刑である。いつになったら、そういう悲しみがなくなるのであろうか。「在韓日本人」確かに私は外国人だ。あらためて今日それを考えさせられた。
May 28, 2004
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最近は女房が忙しくて、家にいるときは私が家事をしている。掃除、洗濯、ご飯焚きである。掃除はもともと好きだから別にいい、洗濯は洗濯機がしてくれる。問題はご飯焚き、料理である。朝はうちは簡単である。トーストかシリアルである。お昼は子供らは給食がである。だから夜の1食が問題となる。少ないレパートリーの中から作るので、時々店屋物を取る。一番多いのが中華料理である。安いし量が多い。それからフライドチキン。誰かの誕生日などはピザになる。今日はうどん屋に頼んだ。昔はうどんは韓国ではどういうわけか中華料理屋にあったが、最近は日本のようにうどんの専門店がたくさんできて来た。味もなかなかな物である。こしもしっかりしている。おそらく日本のチェーン店であろう。だが少し高い。スープを家に着いたところで入れてくれる。最近は若い人向けに『カップル』というのがあって、半うどん2つにおにぎり、とんかつ、春雨に餃子がついてくる。これだ。↓↓↓↓↓これで8500ウォン(850円)は安くない。でも子供たちは店屋物が大好きなので大喜びである。だから女房がいない日は子供たち『お父さん!今日何取るの?』とはじまる。外食も時々するが、お母さん抜きの外食はいまいち盛り上がらない。でもやっぱり女房の手料理が最高である。以前数ヶ月日本で暮らした時、日本料理を覚えて、時々作ってくれる。ありがたいものである。いつも女房には『感謝、尊敬、愛』である。
May 27, 2004
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今日は旧暦の4月8日花祭りの日である。ここ韓国はもともと仏教の国であったので、それはそれは盛大である。http://www.visitseoul.net/jsp/japanese_new/culturalevents/culturalevent_4_01.jsp?info_id=3030000010それこそ李氏朝鮮を立てた李成桂が政策上、国教を儒教に変えなかったなら、もっと仏教の影響の強い国であったであろう。約200年前にカトリックが、そして約100年前にプロテスタントが入ってきて、この国に花を咲かせたが、それはそれはすさまじい迫害を受け、殉教者がたくさん出た国である。もともとこの国の仏教は日本と同じく大乗であるが、基本的に出家したお坊さんは日本と違って結婚しない。だから同じ大乗でも日本より小乗に近いと言える。それが日本の植民地時代に韓国のお坊さんを強制的に結婚させたりしたので、一部結婚を認めている宗派もある。私が住んでいる麗水の隣町に順天という町がある。この町に曹渓山(道立公園)がありますが、ここには韓国でも有名なお寺が二つある。松広寺と仙厳寺だ。この二つは曹渓山のこっちとあっちに頂上を挟んで向かい合っている。仙厳寺の方が結婚を認め、4つ足の動物の肉も食べてもいいところだ。私もここで豚肉の入ったカレーをご馳走になった。逆にそれらを認めていないお寺では、肉を食べたら大変なことになる。昔ソウルの北にある道峰山に行った時、そこのお寺の前で肉を焼いて食べていた。(今は全山、火を焚いて食事をするのを禁止している)そしたらそこの住職さんが出てきて、かんかんに怒られた。一緒に行った友達がなんとか取り成そうと、何も知らずに『和尚さん、どうぞ』と肉を差し出したものだから、大変なことになった。私たちは一目散に逃げ降りた経験がある。このことがあったので、肉入りカレーが出たときは本当に驚いた。それから親しくしている和尚と順天の町で会うと、『女の子のいる店に行こう』というではないか。後で聞いて納得したが、日本植民地時代の傷跡と言えばそうであるので、申し訳ない気がした。だから、この二つのお寺、歴史的に争いが絶えない。日本ではそれほどではないが(本願寺は昔からすごいか?)韓国のお坊さんたちは皆、武道をやっているので、それはやくざの出入りと同じだ。時々テレビでやるが、怖いくらいだ。私の仲良しの和尚も伝統刀術を身に付けておられ、うちの子供たちと一緒にお寺に行った時、真剣を見せて下さった。だから、ドスを持ったやくざの出入りそのものになる。とにかく今日は花祭りだから、そんな争いはないと思う。私の女房のお母さんも熱心な仏教徒だ。数日前から一生懸命蓮の花を真心を込めて作っておられた。お坊さんたち、その信徒さんたちの心を忘れないでほしいものである。
May 26, 2004
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昨日の日記『犠牲と奉仕』に『マダムヤン』さんが感想を付けて下さった。これである。『マダムヤンさん>この「犠牲と奉仕」で思い出すのが、あのマザーテレサ。ですが、マザーテレサと、ダイアナ妃。といったら、誰もが、マザーテレサがあの世では高い位置にいるというでしょう。ダイアナ妃は、不倫問題もあったしと。ところが、あの他の為に犠牲になって生きたマザーテレサよりも、いつも明るく喜んで暮らした、ダイアナ妃の方が、高い位置にいると聞いたことがあります。やはり、「愛と犠牲」にも、感謝と喜びが伴っていないといけないのでしょうね。それよりも、日々を喜んで暮らす。ことの方が、大切なようですね!』この中の『感謝と喜び』で思い出したことがある。韓国の水原と言うところに水野君という後輩が住んでいる。彼はいろいろな仕事をしているが、その中の一つに、『水からの伝言』の江本氏の韓国での講演とか本の翻訳とか担当している。そして、その中に『感謝、尊敬、愛』と言う言葉の波動が水の結晶をきれいな形にし、私たちがお互いにその言葉を使い合うと、お互いにいいことがあると言っている。そう言ったプラス志向こそ、我が『喜び、発展実践会』のテーマでもあるが、この思いに『犠牲と奉仕』の精神がプラスされたときに、何か大きなことができるのではないだろうか。どんな人にも喜んでサービスできること、このサービスも見返りを求めないもの。逆に見返りを求めないサービスを続けていれば、必ず福がやってくると言うものである。それをいつか実現して見たいものである。
May 25, 2004
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朝何気なくテレビをつけると、韓国の時代劇の再放送をしていた。非常に人気のあったドラマで毎週楽しみにしていたものだ。タイトルは『ホジュン(許浚)』と言って、韓国で最も有名なお医者さんの話だ。時代背景は李氏朝鮮時代。日本の室町時代のように権力争いが激しく庶民たちが泣かされた悪政の時代である。そういう時代にこそ英雄の誕生があるものだが、日本のような武家社会ではないため、織田信長のような革命児が登場するのは難しい。確かに何人かは現れたのだが、皆失敗した。その一人を主人公にした時代劇が今放送されている。さて、この『ホジュン(許浚)』と言う人だが、身分は庶子、つまり『ヤンバン(貴族)』ではあるが母親が妾のため、いろいろと規制される立場である。たとえば、普通の『ヤンバン(貴族)』の娘とは結婚できない。ところがこの『ホジュン(許浚)』は『ヤンバン』の中でも位の高いところの娘と結婚してしまった。結婚といっても公式には認められていないので、駆け落ちして逃げることになる。父親も『父』と呼んではいけない。そんなことから、こういう立場にいる者は、それなりの教育は受けさせてもらえるが、性格がどうしてもひねくれてしまう。それで武道など喧嘩は強い。『ホジュン(許浚)』もそんなこんなで、家を出て密輸を始めたが、見つかって逃亡者となる。逃げ延びて落着いたところの町で、師匠たる医者と出会う。いろいろあって弟子にしてもらう。もともと学問はしていたから覚えるのは早い。ある時医者の資格をとるためにソウルに向かう道々で病気で苦しむ患者がいたので治してあげると、村中の人が集まってきてしまう。一緒にいた、やはり資格試験を受けに行く人は既に、ほっといてソウルに上がってしまった。結局、試験に間に合わず、その年は浪人することになる。しかし、村人たちは『ホジュン(許浚)』を神様のように思う。『ホジュン(許浚)』にとってこの試験は何年も準備してきたものであり、妻子を抱えて、稼がなくてはならない立場であったので、どうしても受験し、合格しなければならなかった。今日見た場面だけではない、何度もこの人は自分を犠牲にして、たくさんの人を奉仕で癒した人である。最後は王の主治医になり、誰でも病気を予防したり、薬草を知ることのできる『東医宝鑑』という医学書、今で言う『家庭の医学』とでも言おうか、いやいやもっと専門的である。現在でも漢方学を学ぶ人は基本として学ぶものである。ドラマかもしれないが最後はあの野口英世のように、伝染病の治療をしながら、自ら発病して死んでいく。しかし、その『犠牲と奉仕』の精神は永遠に残るため、ドラマとなって人々に感動を伝えている。そのような生き方がして見たいものである。成功も大切かもしれないけど、成功した後、どのような生涯を送るかが重要であると思う。贅沢な暮らしをして一生涯暮らすのか、成功した財産を『犠牲と奉仕』の精神で分け合うことができるか?同じ一生ではあるが、人々の心に残るのはやはり『犠牲と奉仕』であろう。
May 24, 2004
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今日は日曜日なので日本人の後輩が2人遊びに来た。一人は畑野さんといってご主人と二人で、もう一人は近藤さんで娘さん二人連れてきた。畑野さんのご主人は消防器具の営業をしているが、今の仕事に満足しておらず、中国の話に非常に関心を持っていた。一昨日のイベントの模様を私がビデオ撮りしていたので、それを見せてあげた。あいにく今日は女房がいないので、お昼に何も出してあげれないと言って置いたら、二人でラーメンとのり巻きを買ってきて、お昼を作ってくれた。ラッキーでした。畑野さんの所は8月に初めての赤ちゃんが生まれるので、来週一緒に日本に行き、ご主人は挨拶して戻ってくるけど、畑野さんは日本で子供を産んで、韓国の秋夕(日本のお盆に似たもの)に帰ってくるらしい。日本で生めるのであればそれに越したことはなかろう。こっちで子供を産むのは本当に大変である。日本のように前もって入院して十分に説明を聞き、呼吸法とか練習して落着いて生めるし、生んだ後もきちんと産後のケア-をしてもらえて、授乳の仕方や子育てのことを教えてもらえるが、こっちは何もない。自分で勉強しなければ、全く知識のない状態でお産をするので大騒ぎである。本当に苦労して子供を産むことになる。産後のケア-もそうだ。1~2日で退院してしまう。食事はワカメのスープばかりを1ヶ月以上食べさせられ、夏でも暖房をがんがん焚かれる。それなりに産後の体を考えてのことであろうが、激しすぎる。そんなことを考えて日本で生むのであろう。もちろん日本ではお産の費用を出してもらえると言うのもあるだろう。それがなければ日本では高すぎて生めない。韓国はびっくりするほど自然分娩の場合、病院費が安い。それでやたら帝王切開を勧める。現実問題、あの安さでは病院の運営ができない。だから個人病院ではお産を受け付けないところが多い。お産が近づくと大きな病院を紹介する。お金にならないことと、何かあったときに施設が整っていないからだ。しばらく会えないが、無事お産して、元気な赤ちゃんと共に帰ってきてほしい。
May 23, 2004
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しかし、1週間分の日記を書くというのも簡単じゃないものだ。やっと追いついた。特にこの一週間は内容が濃すぎる。今日はほとんど1日中、コンピューターの前に座っていた。この日記だけじゃない。取材を頼まれた原稿も書かないといけないし、この楽天だけじゃなく、他の掲示板のレスも書かないといけない。出張の内容もまとめないといけない。その上、女房はお手伝いに行っていて帰ってこないので家のこともしないといけない。中国から帰ってみると、車も女房に取られてしまった。もっとも今日はどこにも出掛けたくないが。時々はこういう日もあっていいものである。また今日から新しい出発だ。会社のパートナーからも新しい契約ができたと言ううれしい報告も来ている。来週は中国からお客さんも来るし、忙しくなりそうである。また出張だ。気合を入れるぞ!
May 22, 2004
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『恩讐』という言葉、いい言葉ではない。しかし、誰にでもこの言葉を使わなければならないときがあるはずである。私の自作小説『恩讐の彼方に(仮題)』も仮題ではあるが『恩讐』という言葉を使っている。どうしてこういうタイトルにしたかは日本と韓国と言う恩讐の国でありながらきっても切れない国。その両国に深い因縁を持ってしまった私が、歴史を通して、それを解決する道を模索したくて書き始めたものである。ここ韓国自体にも恩讐がある。数日前に書いた『地域差別』である。この国と国が、地域と地域が隣り合わせがゆえに恩讐となっているケースがたくさんある。実は今日ここ麗水で行われるイベントはこの恩讐を超えて和合していこうと言うものである。日本と韓国、イギリスとフランスが、韓国内では全羅道と慶尚道が和合していくことが目的である。そのためここ麗水に7ヶ国15000人が集まり、恩讐の国同士の人が姉妹血縁をして親戚になる。このようなイベントを是非今の中東でできればいいのであるが、余りにも非人間的な行為が報道されたりして胸が痛い。人間の尊厳をお互いが認めなくなったとき、それは悲惨なことが起こらざるを得ない。思想の問題、宗教の問題、皮膚の色、違うと言うことでお互いに排斥しあっているし、歴史がそうであった。いつになったら皆が思い合い、分かち合っていける時代が来るのであろうか?いろいろなことを考えさせられた一日であってけど、このようなイベントを行うこと自体が小さな希望を見出せてうれしかった。
May 21, 2004
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長いようで短かった今回の旅行も終わり、帰国の途につくことになりました。新しい体験と新しい友達との出会い、また一つ、人生のいい思い出を作ることができました。友達のチェさんに感謝です。もちろんこれがビジネスにつながって行けばもっとおもしろいでしょうが。まあまあ欲はかかないようにしましょう。向かいの車に乗り、途中マリオットホテルで、李総経理と会い、空港まで一緒に行きました。中国の空港はどこも登場手続きを中で行うので、出国する人以外は中に入れません。それでお世話になった李総経理と別れを告げました。実はこの日友達のチェさんはおじいちゃんになりました。韓国から電話があって、お孫さんが生まれたそうです。私より年は一つだけ上なのにもうおじいちゃんになりました。早く帰って孫の顔が見たいそうです。沈陽から仁川までは1時間15分くらいで着いてしまいます。ですからスチュワーデスは忙しいです。料理を出して、飲み物を出して、免税品を売って。驚いたことに免税品の販売を着陸しながらもしていました。普通着陸の時は席につくはずなのに!?入国審査が中国人が多くて時間がかかりました。お昼なのでマクドナルドでハンバーガーを食べ、チェさんご夫妻とはここでお別れしました。私は麗水まで国内線に乗るため、リムジンバスで金浦空港に向かいました。時間が1時間ほど余るのでpcルームに行きました。久しぶりにメールを見ると、なんと200件以上も着ていました。メーリングリストの投稿はほとんど読めず、個人メールだけチェックしました。驚いたことに明日、麗水で大きなイベントがあることを知りました。お世話になっている会長が主催して行われるイベントです。日本からもお客様が500人ほど来られると言うことでした。飛行機に乗ると日本人が多いのにビックリしました。聞くと明日のイベントに参加されるとのことでした。麗水空港に着くと女房が迎えに来てましたが、家に行かず、会長の別荘に行くことになりました。なんと会長の別荘の近くでイベントが行われるそうで、日本からのお客様を案内することになりました。案内してから女房と会長に頼まれた買い物をして、一度家に戻り、荷物を置いて、また女房はお手伝いに会長の別荘に行くと言うので送ってきました。それから家に戻ると10時過ぎでした。大変な一日でした。明日はイベントに参加となります。
May 20, 2004
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昨日の朝食は遅く行ってまともに食べれなかったので、今日は早起きして行く事にしました。階段を下りると、一つ下の階に、なんとチョスン元市長ご夫妻がお泊りではないですか。ご挨拶して一緒に食事に行きました。昨日はなくて食べれなかったけど、今日は美味しそうじゃなくて食べれませんでした。何故か今回の旅行は食事にいまいち恵まれません。おかげで前回のような腹痛は起こしませんでしたが、いつもお腹がすいてました。食事が終わるとすぐバスで市内観光に出かけました。韓国からのメンバーと一緒です。沈陽の古宮を見ました。と言っても時間がなく中に入らず、門の外から見ました。↓↓↓↓↓ 写真のはがきでも買おうと思ったら売ってなくて、唯一写真が出てる薄っぺらのパンフレットがあったので、当然ただかと思ったら20元取られました。宮女の衣装を来た女の子に一緒に写真を撮ってくれと言ったら断られるし、知らせようとしません。その後、いよいよ起工式の会場に行きました。どうなるかと思っていた会場もさすが中国、人海戦術でやったのか、会場が出来上がっていました。チョゴリを来た朝鮮族の人たちが伝統的な踊りを踊りながら入場しました。↓↓↓↓↓ たくさんの人が集まり、盛大に行われました。この後市内のレストランで午餐会が開かれました。この時チェさんが会社を代表して感謝の言葉を述べました。↓↓↓↓↓午餐会が終わってからホテルに戻り、少し休んでから5時半にまた西塔に行き、『韓国の週』の記念イベントに参加しました。すごい人が集まっていましたが、会社で席を用意してくれていて、座ってゆっくり、もういちど延辺舞踊団の舞踊を鑑賞する事ができました。夕食も韓国料理のレストランで会社が用意した食事をいただきました。韓国のホソ大学ベンチャー専門大学院のメンバーと一緒でした。チェさん一人残り、私とチェさんの奥さんと二人でホテルに戻りました。これで今日は終わりと思いきや、チェさんから電話があり、カラオケに集まっているとのことでした。ホテルの入り口まで迎えに来てくれて、一緒にカラオケに行くと、そこには延辺舞踊団の子達もいました。会社の人の計らいで団員の女の子とダンスを踊りました。相手はプロですので私はじっとしていました。舞踊団も帰ると我々だけでカラオケを楽しみました。パートナーの女の子とは漢字を書いて会話(?)をしました。つくづく中国語を勉強しなくてはと思いました。2時半頃お開きとなり、会社の車でホテルに帰りました。沈陽の最後の夜でした。いよいよ明日は帰国の途です。
May 19, 2004
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朝食はホテルでバイキングだ。期待したほどではなかったと言うか、遅れて行ったのでほとんど残ってなかった。追加もしてくれない。トーストと餃子、目玉焼き、薄いジュースに不味いコーヒー。コーヒーは不味い上に濃すぎるのでたまったものではない。ウェイトレスに熱湯を頼んで薄めて何とか飲んだ。午前中はビルの建つ現場の視察と西塔のコリアンタウンを観光した。ビルの現場は明日の起工式の準備が何もなされておらず、どうなるかチェさんはすごく心配していた。コリアンタウンは再開発が予定されている古くて汚い町であった。メインストリートはさすがに大きなお店が多いが、路地に入ると昔の下町と言う感じだ。お昼には時間があるので、例によってマッサージ屋に行った。1時間コースの全身マッサージだ。今日のお店は今までとはちょっと違ったやり方で、タイ式のようであった。ベッドに丸い穴が開いてあって、何するのかなあと思ったら、うつぶせに寝るとき、そこに顔を入れるのであった。それなりではあったが、石島ほどではなかった。値段は石島よりちょっと高い450円くらいだ。しかし、もし中国に住んでいれば毎日マッサージにかかりたいくらい安い。韓国ではホテルのサウナに行くと、マッサージが7000円くらい取られる。ここでもし7000円出したら、最高のサービスを受けられる。もちろんそうなるとマッサージとは言わず風俗である。マッサージを受けて少しお腹がすいて、コリアンタウンなので当然韓国料理だ。チェさんは焼く肉を食べようと言うが、お昼から入らないと断り、私はソルロンタンという骨付き肉の白いスープを頼んだ。肉の量が異常に多い、韓国の5倍くらい入っている。それもそのはず、牛肉の値段は韓国の100分の1である。それほど中国は牛肉が安い。また人件費は10~15分の1である。しかし、値段は400円だから、韓国の3分の2だ。客さえ入れば無茶苦茶儲かる商売である。味はまあまあであったが、ずば抜けて美味しいわけではない。特に私が住んでいる全羅道は韓国でも最も料理が美味しいとこなので、よほどでない限り、美味しいとは思えなくなっている。どうしても目が痛いので、ホテルに戻ることにした。夜7時の起工記念パーティまでホテルで休むことにした。7時からのパーティは我々のホテルの敷地内にあるコンベンションセンターで行われた。↓↓↓↓↓ 約300人が集まった。エンターテイメントのメインは会社が特別に呼んだ延辺舞踊団である。韓国ではリトルエンジェルス少女舞踊団が世界的に有名であるが、この舞踊団は20代の女の子だ。また違った魅力があるし、モンゴルダンスなど、中国的なものも含まれる。明日からの『沈陽韓国の週』の記念イベントにも参加する予定である。また、李総経理の大連にある会社が連れて来たモデルによるファッションショーもあった。最後に記念撮影をして終わった。↓↓↓↓↓ 真中にチェさん、一番右の眉毛まで真っ白なおじいちゃんは明日の起工式に参加される、元韓国銀行総裁、元ハンナラ党総裁、元ソウル市長のチョウスンさんである。この日初めて香港の投資家であるミスタールーとミスターマイコムに会った。どちらかと言うと中国でありながら、韓国韓国という雰囲気になってしまい、香港の投資家の不満が大きいようだが、販売戦略として韓国貿易センターと命名した以上仕様がない。この後チェさんご夫妻と一杯やろうかと思ったらバーも早く終わってしまい、じゃルームサービスを取ろうとしたけど、これも終わったと言われ、仕方なく寝る事にした。いよいよ明日は起工式である。
May 18, 2004
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今日の朝食はホテルの1階にある韓国料理の店で久しぶりにまともな韓国料理を食べた。韓国語でスントゥブチゲと言って、豆腐を押し固めずそのままの状態を野菜と共に煮たチゲ鍋。見た目は真っ赤だがなかなか美味しい。私の大好きな韓国料理の一つだが、中国で食べる久しぶりのまともな韓国料理を、ほっとしながら食べている自分が韓国人になってしまっていることを感じた。しかし、キムチはどうしても韓国のものでなければダメである。日本の白菜も中国の白菜も水っぽくて、キムチの美味しさが出ない。まあ贅沢は言ってられない。食事の後、チェックアウトを例によって韓国部で済ませて、空港に向かった。空港で日本のバイヤーを送り出してから、チンタオのチェさんに別れを告げて、仁川のチェさんと二人、国内線のカウンターに向かった。11時40分出発の沈陽行きだが、遅延となってしまった。前回もこのチンタオ空港は問題があったが、今回もまたそうだ。1時の予定なので、昼食を取る事にした。韓国料理のビビンバがあったので食べた。さすがに空港は高い。外なら3、400円で食べれるが、800円くらいした。それも韓国料理屋のようにキムチやおかずが出ない。なぜかすいかとプチトマトのデザートが付いた。水が出ないので水を頼んだ。中国製の水はまずいので、フランスのエビヤンを頼んだが、これが滅茶苦茶高い。2本頼んだが一本300円以上する。食事を終え、話し込んでると1時5分前だと言うことに気が付く。日本や韓国なら、大騒ぎして我々を探すだろうに、ここは放送一つない。置いてきぼりにされるかと必死で二人で走った。幸い飛行機はまだ出ていなかった。我々が登場するや否や、ドアが閉められ、離陸した。機内食に小さなパンが二つ、大きな入れ物に入って出てきた。1時間20分でシェンヤン(沈陽)空港に着いた。遼寧省の省都、シェンヤン(沈陽)、100年程前から多くの朝鮮族が住み着くようになり、市内の西塔と呼ばれるところにコリアンタウンを形成した。町全体が古い都と新しい都市開発による新興住宅街とのアンバランスの町である。もともと重工業が発達した所であり、工場の煙突がたくさん残っている。黄砂と工場の煙で大気汚染が酷い。その上、この町は異常にアカシヤの木が多く、今の時期、アカシアの種が雪のように降っている。花粉症の人にはたまらない所である。町を歩くと目が痛く涙が出る。女性たちの皮膚が異常に悪い。今回のたびの目的は大きく2つであった。一つは石島で日本のバイヤーに会うことと、もう一つはチェさんが中国人、香港人の3カ国で投資した西塔の韓国貿易センタービルの起工式に参加することである。それでまずはチェさんの投資した会社である沈陽年華房地産開発有限公司に行った。そこでチェさんのパートナーであり、中国側の投資家、李華哲総経理に会った。彼はやはり朝鮮族だが日本語も話せると言うことで、チェさんが私に韓国語を使うなと言うので、日本語で話した。なかなかの日本語の実力である。後で私が韓国語で話すと驚いていた。その後ホテルにチェックインしたが、今回会社が提供してくれたホテルは遼寧友誼賓館というところで、一般のホテルとはまったく違い、広い庭に本館と別館以外は3階建てのビレ形式になっている。川も流れていて、最初は大学かと思った。ここのレストランは有名で、あの金日成だか金正日も食べに来たと言うぐらいである。我々が泊まった5号棟は3階建てで部屋数も10程しかない。我々の部屋はビジネススィートでそれほど高くないが2回のプレジデントスィートは一泊30万円だ。言い忘れたが、空港には今日韓国から到着したチェさんの奥さんが着ていて、これから帰る日まで一緒だ。やはり昔一緒にビジネスをした友達だ。チェご夫妻と我々が泊まった五号棟の写真である。↓↓↓↓↓ 夕食は李総経理の案内で中国料理を食べに行った。しかし、別の省の省書記が空港に来られると言うことで、李総経理とチェさんは空港に行かれた。それで今回香港側の投資家であるミスタールーの息子さんで会社の理事になっている。ルーさんが主人役を務めた。彼は香港人だが11年カナダに留学していたので、英語の発音がとてもきれいだ。それですべて会話が英語になった。チェさんの奥さんには通訳してあげた。インテリアを担当する韓国の企業の若いメンバーも英語が上手だ。夕食を終え、ホテルに戻り、今日は早く床に着いた。
May 17, 2004
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朝食を済ませた後、ホテルをチェックアウトし、会社の車でチンタオ(青島)に向かった。バイヤーも一緒である。特に予定がないと言うので、ホテルを予約してあげ一緒に行動することにした。2時間半ほどの道のりである。途中スタンドで水を買ったり、トイレに寄ったりしたが、トイレにドアがない。昔より良くなったと言うが、やはり抵抗がある。ホテルでもう一人のチェ社長と待ち合わせしている。二人のチェ社長は共に私の日本語の教え子であり、10年前仕事の関係で、紹介したことがある。だから二人は10年ぶりに再会を中国でするのである。チンタオ市内のオーシャンホテルに着くと、チェ社長が待っていた。私は前回の出張で会っていたが、彼らは10年ぶりなので懐かしがっていた。チェックインはフロントではなく、まっすぐ韓国部に行ってした。ここは韓国人のお客さんを誘致したり、韓国人客がホテルで不便がないように何でもしてくれるところだ、通訳の斡旋やビジネスのお手伝いもしてくれる。実はこの韓国部の責任者が今回旅を共にしているチェさんのビジネスパートナーである。しかも彼もチェ社長である。彼は朝鮮族である。しかし、韓国語も流暢である。もちろん基本的に朝鮮族は韓国語を話すが、どちらかというと北朝鮮の方言に近いし、あまり上手でない人もいる。しかし、彼は完璧な韓国語を話す。もちろん朝鮮族も中国人であるから中国語は母国語である。聞いたら仕事でよく韓国を行ったり来たりしているそうである。この韓国部のチェさんと今回の旅の友のチェさんは二人で投資して会社を作った。車のパーキング防止台(?)を製造販売している。中国も急激に自動車が増え、北京では1日1000台増えているそうである。中国の駐車場は日本のように月極めで貸すのではなく、分譲する。だから駐車場を買うのである。しかし、人の駐車場に平気で駐車する人が多いので、駐車場の入り口に入れないようにする装置を設置する。自分の車を出してからリモコンで他の車が入れないようにするものである。日本のコインパーキングと似たようなものである。昼は北朝鮮人が経営するお店に行った。店員の女の子は皆チョゴリを着ていて、胸には金日成のバッチを付けている。言葉も北朝鮮の言葉である。正直余り美味しくなかった。初めて食べるピョンヤン冷麺に期待したのだが、やたら甘くて口に合わない。いろいろとビジネスの話をしたが、その場には私と日本のバイヤーが日本人、2人の教え子のチェ社長は韓国人、ホテルの韓国部のチェ社長は中国人、そして実は今回バイヤーは二人であった。案内できたもう一人のバイヤーは日本に住む台湾人であったので、4カ国の人が集まったことになる。そして3人のチェさんであるからおもしろいし、ややこしい。韓国部のチェ社長はとても喜んで、夕食をごちそうしてくれた。中国料理だったが、それほどおいしくなかった。その後、いつものようにカラオケに行った。ここは日本の歌も韓国の歌もたくさんあった。でも女の子たちはあまりかわいくなかった。まあ私はいいのだが、バイヤーにはやはり気を使う。それなりに気に入ってくれたようでほっとした。バイヤーのパートナーの子は中国人なので、バイヤーも漢字を書いたりして会話と言うか、意思疎通に苦労しながらも楽しんでいた。バイヤーたちは女の子に任せて、私と二人のチェ社長はまたまたマッサージに行った。前回の出張の時に何度も行ったサウナの足裏マッサージだ。石島と比べると高いしうまくない。石島のマッサージにもう一度行きたいものである。そこで3人とも寝てしまい、3時ごろサウナを出て、ホテルに帰り休んだ。明日も早起きしてバイヤーを送り出し、我々は沈陽に向かわなければならない。
May 16, 2004
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朝目が覚めて時計を見るとまだ5時半なので、そのまま横になっていると、またうとうとしたらしく、次に目が覚めたのが6時半頃だった。部屋を出ると、起きてる人たちもたくさんいる。朝食は7時からだが、下船してから食べることにした。甲板に出て見ると、もうすでに石島が見えていた。乗船して出航もそうだが、着いてから下船するのも時間がかかる。この船は人より荷物が優先のようだ。やはり2時間ほど待ってから下船が始まった。今回船で中国に行く理由は二つだ。一つはここ石島は飛行機で行くとチンタオ空港で降りて、そこから3時間ほど車で行かなければならないという理由と、チェ社長が100kg近い荷物を持ち込んでいるからだ。もちろんチェ社長は運び屋をしているわけではなく、工場で使う道具を持ってきていた。飛行機では持ち込めてもオーバーチャージ料が高く付く、それで大変だが船で行くことになったわけである。しかし、船旅もいい。人々の生活の匂いもする。景気の悪い韓国ではたくさんの人たちが、運び屋などをしながら苦労している。意外と年配の人が多い。リストラされてやることがなく、運び屋をやっている人も多いそうだ。下船も戦争である。ほとんどの人が大荷物である。数百人が大荷物を抱えて、一人づつ橋桁を渡り、そこにバスが待っていて乗り込む。何か戦争で逃げてきた人たちのようである。バスが着くと、そこは入国審査局である。ほとんどの韓国人はマルチビザで入国しているが、韓国客は即席のビザをそこで出してくれる。だから逆に急いで中国に行かなければならないのにビザがない人は船を利用した方が早い。もっとも私は日本人なのでノービザである。しかし、こんな中国の田舎に船で日本人が最近来たことがあるだろうか?私の番である。案の定、入国審査官は日本人が今年からノービザになったことを知らない。幸い英語が通じるので、日本人が今年からノービザになったと言うと、ほんとかと聞く、ほんとだと言うと、隣の審査官に聞く、隣も知らないと言う。もう一度ほんとかと聞くので、ほんとだと言うと通過させてくれた。これでいいのだろうか?まあいいのであろう。ここは中国である。次は荷物を受け取らなくてはならない。ここも半端じゃない。限度いっぱいの荷物をほとんど全員が頼んであったし、それ以外は船内に持ち込んでいる。ここで、韓国人の運び屋と中国人の公安警察が喧嘩を始めた。これは問題である。公安警察を怒らせると、どうなるか分からない。とばっちりを食って何時間も足止めを食ってはたまらない。すると喧嘩を止めて、公安に謝り、秩序を守ると約束する人が出てきて、公安も納得してくれた。これで外に出れると思いきや、チェ社長の荷物が引っかかった。通過させてくれない。仕方なく書類にサインして後で社員に取りに行かせることにした。我々外国人が例え流暢な中国語を話せたとしても無理である。しかし、その関係の方に連絡して中国人が取りに行けば、簡単に返してくれる。待機していた車に乗り、ここ石島でも一番大きな水産会社である石島水産に向かった。会社に着くと、日本からのバイヤーが既にきているということでホテルに行かずにバイヤーに会った。実はチェ社長はこの石島水産と合弁でコウナゴの魚醤の工場を敷地内に建てた。その魚醤と会社の施設をバイヤーが見に来たのである。石島水産は既に日本向けの骨なし冷凍さばを生産輸出しているので、施設と衛生管理はしっかりしている。バイヤーも満足していた。後は魚醤が使えるかどうかである。バイヤーは日本の味の素やエースコックなどに食材を卸している会社である。今まで韓国の魚醤の会社に輸出はしていたが、もしこれが決まれば、はるかに多くの量の魚醤を輸出できるであろう。検査の数値にも満足しており、サンプルを日本に持ち帰り、お客さんを回ると言っていた。石島水産は大きな会社で、工場もいくつか持っていたし、ホテルとレストランも持っている。本社はこれである。↓↓↓↓↓ ホテルにチェックインしてからお昼を食べた。朝も食べていなかったのでおいしかった。スッポンのスープとペキンダッグが最高だった。この後、私とチェ社長はウェイハイ(威海)にあるチェさんの友達の石の採掘現場を訪ねた。砂利を作っている。日本や韓国に輸出できないかと頼まれた。砂利は運搬にお金がかかるので、採算が合うかどうかチェックしなければならない。石島に帰る時、9世紀韓国の統一新羅時代に新羅と唐、そして日本との貿易を行い貿易王として有名な張保皐(ジャンボゴ)が海を支配し、山東省文登県赤山村に法華院という今で言う大使館を建てた所を見学した。↓↓↓↓↓ 現在は寺院となっている。張保皐(ジャンボゴ)はさらに勢力を拡大し、新羅から将軍に任命され、娘を王妃にしようとしたが反対勢力に阻まれ、逆に殺されてしまう。今年KBSの大河ドラマかでこの張保皐(ジャンボゴ)を扱うことになり、大きな投資をしてこの法華院を整備している。夜は工場長の接待でバイヤーと共に夕食を食べ、カラオケに行ったが、日本語と韓国語の歌が余りなくおもしろくなく、寝る前にみんなでマッサージに行った。全身マッサージがわずか400円で、しかもうまい。腹を手でアンマするのだがバイブレーションのようで気持ちがいい。疲れが取れてぐっすり休めた。
May 15, 2004
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昨日の夜は仁川の友達のチェ社長の家に泊まった。この仁川という町は私の韓国の故郷と言えよう。ここに11年住み、多くの友達がいて、私の会社もここにある。首都ソウルの隣の人口300万足らずの港町、少し横浜に似ているところもある。韓国でも唯一チャイナタウンがある。そして、韓国の窓口仁川国際空港がある。歴史的には朝鮮戦争のときアメリカのマッカーサーが決死の仁川上陸作戦を決行し、北朝鮮軍と中共軍を38度線以北に追い出した。その記念館も松島と言うところにある。また、港からは中国へ行くフェリーもあるし、コンテナ埠頭もある。そして、この港から今回の中国への旅が始まるのである。ここからはチンタオ(青島)を始めとして、ウェイハイ(威海)、今回行く石島など約7ヶ所くらいフェリーがでている。午後4時に乗船だ。その前に個人的に外貨を両替してくれるおばちゃんにがいるので中国元を買う。銀行より安く買えるのがメリットだ。船室は3等、2等、1等、特等の4種類ある。3等は部屋がない、特等はホテル並みのルームになっている。もともとこの船は釜山から大阪まで行っていた日本のフェリーを買ったもので、船内のいたるところに日本語で案内が書かれている。乗客のほとんどが観光客より、ダイコンと言われる、いわゆる運び屋たちである。韓国のものを中国に持って行って売っては、中国のものを持って来て、韓国に売る。この繰り返しを1週間に3回行う。韓国から持っていくものは韓国料理の食材や雑貨、家電品など、中国からは農産物がほとんどである。公式の輸入では関税が高すぎる農産物など(たとえば一味とうがらしは関税が600%)を個人の持込の限度で持ってくる。ある時は学生を数十人動員しての『運び』もある。いままでは大都市のチンタオ(青島)がほとんどであったが、取締りがきびしくなり、石島に多くなった。取締りと言っても密輸品ではなく、個人の限度(30~40kg)を超えた物である。3等11万ウォンの切符を買って乗船した。実は2等以上のルームはどうせ余るので、船内でグレードアップした方が安いし、自分たちだけで部屋を自由に使えるので便利である。金曜日で思ったより観光客が多かったが、やはりルームが余り、一人2万ウォンの追加料金で、6人部屋をチェ社長と2人で貸切である。6時にやっと出航した。フェリーから見た仁川港はこれである。↓↓↓↓↓ 幸い天気が良く、ほとんど揺れなかった。私は船酔いがないが、酔う人は大変なようである。到着は明日の朝9時であるから約15時間の船旅である。食事ももちろんできるし、サウナとまで行かなくても銭湯がある。テーブルでマージャンをしたり、トランプや花札をしてる人もいる。1等の船室にもテレビがあり、韓国の放送は全部見れる。食事の後、チェ社長とスケジュールの確認をしたり、これからのビジネスの話をしたり、テレビを見たりして、眠くなって寝た。明日からいよいよ中国上陸である。
May 14, 2004
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『地域差別』日本にもあるだろうか?関東と関西?それほど酷い物じゃないだろう。せいぜい甲子園で行われる阪神対巨人戦の時ぐらいであろう。ここ韓国では慶尚道と全羅道がそうであるが、これはすさま じいものがある。歴史的には4世記頃、韓国は三国時代であった。そして、その内慶尚道は新羅であり、全羅道は百済である。結局百済は新羅に滅ぼされ、新羅が韓国を統一し、1000年王国を築くことになる。それから、開放(1945年)後、韓国の政権を握ったのが慶尚道の人だったので、全羅道はまったく発展をみせなかった。政府援助の事業がまったくなく、まったく無視されてきたのが全羅道である。いろいろな事件も起こった。やっと今のノ大統領の前の金大中大統領の時、初めて全羅道出身の大統領が誕生し、全羅道の開発が始まった。それくらい激しい差別を受けたから、選挙のときは一番、地域差別が現れる。当時は全羅道出身の人たちの集まりである民主党は全羅道では97%の支持を得ると言う、きょくたんなものになった。そんな中、それを解消しようと、私の住んでいる麗水の町で、おもしろい集会があった。慶尚道出身の人と全羅道出身の人が3000人くらい集まって、仲直りの宣誓をし、二人づつ姉妹血縁をした。私も途中まで参加して、中国出張のために、空港に向かった。書いたらきりがないほど差別が激しかった。こういうイベントをこれからもたくさん行い、地域差別をなくしてほしいものである。4時半の飛行機でソウルに行き、今はチェ社長の家のコンピューターでこの日記を書いている。奥さんのおいしい料理をいただき、これからのビジネスの話をしたり、昔の懐かしい話をした。たのしいひと時であった。いよいよ明日から中国入りである。もっとも今回は船で行くので、明日の午後4時に出発して明後日の朝、中国に到着する。韓国からもっとも近い中国の石島と言うところに行く。そろそろ休まなくては。では明日からの中国出張をお楽しみに。
May 13, 2004
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今月の15日は韓国では『師匠(先生)の日』である。明日から中国へ出張なもので、その日のことはかけないと思い、今日書こうと思う。日本にはない日である。やはり儒教の国だけあって師を大切にする。もちろん儒教の国と言っても、李氏朝鮮時代だけである。それ以前は仏教の国であった。しかし、日本植民地時代の後、現代まで、朝鮮時代の影響を受け、儒教の精神が残っていた。最近は日本や西洋文化の影響が大きく、薄らいできているが、基本的な生活習慣や風習にはまだまだ儒教文化が残っている。その一つとも言える『師匠(先生)の日』である。私も日本語の教師を5年したので、この日は何人かの弟子が電話をよこしたり、尋ねてきたりしたものである。今は遠くに引っ越してしまったので、電話くらいである。韓国にもタレントがどうしても会いたい人をテレビ局で探してくれる番組がある。その中で韓国独特なのは、軍隊時代の同僚や上司を探してほしいというものである。あとはやはり初恋の人などが多いが、その中で昔の恩師を探してほしいというのも意外に多いのが韓国である。昔はいい先生がたくさんいたようで、しかし今は、昔も書いたように、子供たちの先生を考えると、そうではなくなってしまったようだ。日本の場合は先生の権威がなくなり、学校内暴力が起こったのだが、韓国では先生の権威はそれなりに残っていながらも、先生自体が堕落したというか、先生ではなく学校という会社に勤める社員という感じだ。問題児は無視し、自分に責任が行くことをできる限り避けようとする。そのために子供たちが傷ついてもかまわない、と言った感じである。真の先生が必要な時代である。今、韓国では日本のドラマが流行っているが、最近『ライオン先生』が始まった。熱血先生である。これを見て韓国の先生たちも、少し考えてほしいものである。できれば『金八先生』もやったほしい。いまのままでは『師匠(先生)の日』などあっても意味がなくなる時代が来そうである。
May 12, 2004
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出発の一時間前になって、チェ社長からの電話で、日本のバイヤーのスケジュールが変わり、2日延期されることになった。まあ良くあることだが、慌てて飛行機のスケジュールを延期した。しかし、もう一つの仕事の方とスケジュールが逆に合ってしまい、一度に二つできそうである。そうなると最初はチンタオ(青島)に行って、次にタイレン(大連)の近くに行くことになる。タイレンは初めてなので期待で一杯である。初めてのところはちょっぴり不安もあるけど、どんな新しいものを見ることができるか、どんな文化に触れることできるかという期待で不安などは吹っ飛んでしまう。そしてタイレンは北京に近いので料理も北京料理を食べれるのではないだろうか。前回のように腹を壊したりしないように気を付けなくては。
May 11, 2004
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昨日は女房の誕生日であった。しかし、お互い忙しく、今年は会えずじまいであった。また会長が別荘の方にいらっしゃり、お世話をしているからである。別荘の方には花束とケーキの配達をして置いた。家では、子供たちも『お母さんの誕生日なのに』の不満そうであった。1988年に韓国に来て、すぐ会長の紹介で女房と出会い、結婚した。今は大分良くなったが、昔は外国人に対する対応がまったくできておらず、特に外国人の男性に対しては、何でいるの?って感じであった。韓国人と結婚した女性だけはそれでも人間扱いをされていた。医療保険証も作ってもらえず、病院に行くと、保険が利かないため、診療費が高かった。子供が生まれたときもそうである。最初は言葉を習うため、高麗大学の語学堂に通っていた。それで研修ピザだった。次に日本語先生になった。日本語文化院で教えた。このときはティーチングビザと言うのが出た。5年間は先生だった。しかし、この期間に出会った教え子たちが、今の私のビジネスの基盤となっている。次に流通業を始めた。この時は会社勤めではなかったので、ピザが降りず、唯一配偶者が韓国人ということで、3ヶ月の訪問ピザが降りた。しかし、このビザは延長ができないので、3ヶ月ごとに日本に帰って、またビザを取り直さなければならなかった。これを3年くらいした後、ある韓国の会社に就職し、就業ビザと言うのを1年もらった。この後やっと外国人男性も、韓国の女性と結婚していれば同居ビザが降りる様になった。それから今まで同居ビザである。法人を設立したときビジネスビザが降りるのだが、将来を考えると、同居ビザでいて、永住権を撮った方が後々便利と思い、同居ビザでいる。だから私は韓国では無職である。とにかく、外国人と結婚したため、苦労の多い女房に対してはいつもありがたいという思いである。これからもどんな苦労があるかもしれないけど、本当に幸せにしてあげたい。早くここで一旗あげて、家族とともに故郷に凱旋したいものである。
May 10, 2004
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『商道』という言葉は日本語にあっただろうか?文字通り『商いの道』、商売(ビジネス)をしていく上で道理を言ったものである。昔、韓国のテレビでこの題名の時代劇をやっていた。日本では『近江商人』は有名であるが、韓国では『開城の商人』が有名である。開城は現在は北朝鮮に位置するが昔から平壌(ピョンヤン)にも漢城(ソウル)にも近い港町として、特に交易の盛んな町であった。特に朝鮮人参を中国に輸出する時の海路としての窓口であった。『商道』という時代劇はここ開城が舞台となっていた。主人公が丁稚奉公から始まって、紆余曲折の末、朝鮮で最も大きな商人(企業)となるまでのサクセスストーリーである。必ずこう言った物語には悪徳商人が現れ、邪魔をするが、最後は正義が勝つというパターンである。そこに丁稚奉公時代の旦那の娘との許されない恋が絡んでくる。結局テーマとなるのは、『残るものは金ではなく、人である』と言う事である。どんなに金を儲けても、お客さんに喜んでもらえなければ、最後は倒産していく。逆に儲けは少なくともお客さんが喜び、次も買ってくれるなら、店は残っていくと言う、非常に当たり前で単純な内容であるが、今でもセールスの基本となるものではないだろうか。明日明後日からまた中国に出張であるが、今回一緒に行くパートナーは、どういうわけかまたチェさんである。私は不思議と韓国ではチェという名前の人と仕事をすることが多い。それも特に対中国ビジネスがそうである。このチェ社長とは7年ぐらい前に2年間ほど一緒に仕事をした仲間である。しかし、ちょうど韓国はIMF体制となり、難しくなった時、彼は言って見れば私を裏切った。裏切ったと言えば御幣があるが、一緒にしていた仕事に見切りをつけたわけである。しかし、当時はやはり一緒に仕事をしていた仲間の間では、彼は裏切り者呼ばわりをされ、私は『商道』を守る人という信用を得ることができた。どうだろうか、最近のビジネスのやり方では、私のようなものは『甘ちゃん』と言われてしまうかもしれない。彼が新しい仕事を始める時、私の仲間をたくさん引き抜いていった。しかし、私は彼がその新しい仕事を始める時の店開きには祝福しに行った。結局彼はその新しい仕事もうまく行かず、業界では2度と仕事ができなくなってしまった。人は彼を離れていったが、私は時々会っては激励していた。彼は新しい業種で成功を収めた。そして、新しい飛躍として中国ビジネスを始めたのだが、今回どうしても一緒にやりたいと言ってきた。私としては自分の会社もあるので、これ以上の投資はできないと言ってあるのだが、投資はいらないと言う。もちろん私の中国と日本での人脈を期待してのことだろうが、私も彼が好きだし、もう一度一緒に仕事をしたいと思っていたので、今回お付き合いして見ようと思う。もちろん今回の中国出張は全額彼の負担である。今までやってきた分野もあれば、まったく新しい分野もあるので、少し期待してると言うか、興味がある。私の会社はほとんどが中国の商品を韓国に売っているが、今回の新しい分野のお客さんは日本である。その業界ではナンバー2の会社であるので、中国で会うのが楽しみである。詳しい内容は、出張後に日記に書こう。もしこれがうまく行けば、韓国の『商道』が正しいことが証明されるということなので、期待が大きい。さてさてどうなることやら、結果をお楽しみあれ!
May 9, 2004
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今日は『父母の日』です。昨日の日記にも書いたように『母の日』と『父の日』を一緒にしています。最も日本の『母の日』は伝統的なものではなく、西洋の文化ですよね。確か、亡くなった母親を懐かしみながら、母のくれた最も大きいものは『神様』を教えてくれたものであると言う、クリスチャンの話から始まりましたよね。韓国の父母の日の由来は調べて見ないと分かりませんね。日本では明日が『母の日』なので、今日は韓国の義理の母に電話をしました。本当なら訪ねて行ってカーネーションのコサージュを着けて差し上げるのが礼儀なのですが、ちょっと遠すぎです。電話で日ごろの感謝を伝えました。逆に子供からはコサージュをもらいました。これです。↓↓↓↓↓ 下の丸いところを押すと親に感謝すると言う意味の歌が出ますし、上の葉っぱのところの電球が点きます。これは次男坊が買ってくれたものですが、一番末っ子は学校で作ってきたものをくれました。日本にはたまたま今日寝たきりの父の誕生日なので電話をして、明日の分までお祝いを母親に言っておきました。親孝行は大切なものですけど、こういう日だけ親孝行していてはいけませんね。遠くにいるからか、特に親のありがたみを感じてしまいますね。
May 8, 2004
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日本では12月が『師走』というくらい、最も忙しい月かもしれないが、ここ韓国は何と言っても5月が最も忙しい。日本の5月はゴールデンウィークでのんびりと言うイメージなのだが、韓国は5月5日の子供の日から始まって、明日8日は父母の日である。日本では子供の日も3月3日の『桃の節句』と5月5日の『端午の節句』と言ったように男と女を分けて祝う。だから母の日と父の日があるのであるが、韓国は男女一緒である。『子供の日』も5月5日の一日だけだし、『父の日』、『母の日』も5月8日に『父母の日』として一緒にやってしまう。もっともカーネーションを送ったりするのは同じだが。韓国はそれにプラスして『師匠(先生)の日』が5月15日にある。だから5月は忙しいと言うかお金の出る月である。最近はかなり自粛してきたが、前に日記に書いたように『チマパラム(教育ママ)』のすさまじい国であるから、先生へのプレゼントも半端でなかった。白い封筒が良く売れる日である。昔はその日、先生たちは非公式的なボーナスがたくさん入る日であったというわけです。個人的にはもう二人とも亡くなられたが、女房のおばあちゃんと、お父さんが5月生まれで、普通の人よりも忙しくお金が出る月でした。今年は閏年である。韓国は旧暦をまだ使うことが多いので、誕生日も旧暦です。ところが閏年というのは、日本では2月29日、一日だけが問題となり、その日に生まれても、ほとんど3月1日生まれにしてしまうが、韓国のように旧暦の場合、閏月というのが、なんとひと月もある。だからこの時に子供が生まれないように産婦人科では大騒ぎをする。私の女房は旧暦の3月21日生まれですが、今年の誕生日は、明後日の5月9日です。毎年違うので忘れそうで大変です。毎年忘れる前にカレンダーにチェックしています。こんなことを書くと恐妻家に思われるかもしれませんが、そうではなく思いやりです。まだまだ5月は始まったばかりです。どうやって支出を減らすか、しっかり考えなくては。
May 7, 2004
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近いということはいいこともあれば、悪いこともあるものだ。日本と韓国がそうであり、ヨーロッパではイギリスとフランスがそうである。とりあえずイギリスとフランスの話は置いといて、日本と韓国である。国が近いというのは『お隣』『ご近所』ということで仲良くもなれるが、それを支配する人間が完全ではないため、所有と言う欲が出てきた時に問題が起こる。今回も『竹島』の問題がまた起こった。しかし、もし今日のこの日記を読まれている方の中で、『竹島』がどこにあり、問題とは何なのか知っている方がどれほどいらっしゃることであろうか?最近右翼が『竹島』に上陸しようと船を向かわせて隠岐まで行ったニュースを聞いた方はご存知かもしれない。『竹島』は島根県に所属しているが、韓国ではそれを認めておらず、今回右翼の船が強行した場合、拿捕しようと緊張していた。確かに距離的に言えばはるかに韓国のほうが近いが、そういう問題ではない、北方領土もそうであるが、いつの時代を基準として領土件を主張するかによって、お互いの立場が違ってくる。日本では『竹島』自体の存在を知らない人が多いが、韓国では小さな子供まで知ったいる。韓国では『独島(トットウ)』と呼んでおり、『トットウヌン ウリ タン(竹島は我が領土)』という歌まであり、子供たちも皆学校教育で歌わされている。うちの子達も知っている。家と家との問題であれば、両家が全員集まって話し合いで解決できるが、国と国との問題だけに、領有権、200海里の問題から、漁民たちの深刻な問題があり、簡単に解決できないでいる。一番手っ取り早いのが国境をなくすことであるが、いつそれが実現できることか。2002ワールドカップ共同開催以降、急速に近づいてはいる両国だが、こういう問題が出てくると、やはりまだまだ『近くて遠い国』になってしまうようである。
May 6, 2004
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いよいよ釣り大会も最終日となりました。大逆転のチャンスは誰にもあるということで、選手たちの目の色が違っていました。特に今日は風もなく天気も良くて、大物が釣れるのではないかという予感を感じさせていました。今日はスケジュールの関係で12時までということで、出発を2時間早め、5時半の出航となった。さてさて1等賞金4万ドルは誰の手に!↓↓↓↓↓↓じゃじゃ~ん!遂に結果が出ました。日本選手は入選7等までに4人が入りました。そのうち一人は2等と6等の二つの賞を取りました。残念ながら優勝を逃しましてしまいました。優勝はやはりホームということで韓国の選手が取りました。53cmのすずきを釣りました。他の入賞選手がほとんどボラという中、やはり優勝選手だけあってすずきでの堂々の優勝でした。約10万ドルを掛けた3日間の戦いはこうして幕を下ろしました。次は10月以前に学生の世界大会を行うと言うのが主催者側の話でした。今回はスタッフとして参加しましたが、次は必ず選手として参加したいと思いました。昨年の10月に、ここ麗水で行われた『第2回ワールドカップ釣り大会』が来年は台湾で行われる予定です。今は挑戦して見ようかと言う思いで一杯です。それまでしっかり釣りも勉強しなくては。
May 5, 2004
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今日は中日2日目です。今日は雨は降りませんでしたが、風が強く、釣りの条件としてはあまりよくありませんでした。寒い中でも皆元気よく出て行きました。特にアメリカの選手は陽気で、寒いと歌って、踊って、雰囲気を盛り上げてくれます。陽気に船に乗り込む姿です。↓↓↓↓↓ 残念ながら今日は昨日を越える大物は釣れませんでした。いよいよ明日は最終日、大逆転はあるのか?日本選手ガンバレ!!
May 4, 2004
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いよいよ今日から釣り大会の始まりである。世界55カ国600人の釣り人が集まり、賞金総額約10万ドル、優勝賞金4万ドルを掛けたバトルの始まりである。第1日目の今日はあいにくの雨となったが、選手たちは期待を胸に元気よく出航した。↓↓↓↓↓↓ 40隻に15人ずつ乗船して舟釣りが行われた。対象魚はすずきや鯛などだが、ボラもつれる。要は大物を釣り上げた者が4万ドルを手にする。8時半に出航して3時半の計量の時間までに帰ってこなければならない。天候のせいか、1匹も釣れない選手がたくさんいたし、釣れても20cm以下は放流しなければならない。結局、第1日目は48cmのボラを釣り上げた韓国の選手がまずはトップに踊り出た。やはり韓国の選手はホーム競技なので地の利を生かして、いいスタートを切った。しかし、参加国の中、約200人を動員している日本の今後の活躍を期待したい。とにかく3日間の中、1匹でも大物を釣り上げてしまえば1位である。9回ツーアウトでも逆転のチャンスはいくらでもある。明日を期待しよう!!
May 3, 2004
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いよいよ今日から釣り大会が始まりました。結局55カ国600人の参加となりました。あいにくの雨で開会式を屋外から室内体育館に移動しました。それでも2000人以上は集まりました。なんといっても今回の大会のすごさは賞金です。過去に日本で賞金総額1000万円というのが最高だったそうです。それでスポンサー側がその記録を破ると言うことで、1200万円に引き上げました。1位の賞金も4万ドルですからすごいです。通訳なんかやめて大会に参加したかったです。しかし、そこはそれ市役所から頼まれましたので、我が日本人会も総動員でした。私の担当は開、閉会式を中心に日本語の同時通訳をするのですが、これが簡単ではありません。普通の通訳でしたらなんでもないのですが、同時通訳となるとぜんぜん違ってきます。しかも『祝辞』や『歓迎の辞』『激励の辞』といったものは前もって原稿が来ないといけないのですが、当日の3時間前くらいに受け取り、大急ぎで翻訳してましたが間に合いませんでした。そうなるとこれが本当の同時通訳という聞いてそのまま通訳をしなければなりません。またスケジュールになかった人が突然現れて、お祝いを言うことになると『何だこいつ!』と言いたくなります。また密室でヘッドフォンを付けてマイクでやるというのでしたらいいのですが、ステージの横の端で、ヘッドホンもなく隣には英語と中国語の同時通訳をやっているという状況です。そこへもってきて、いたずらな子供がステージに上がってきて邪魔します。よほどの集中力がないとできません。第2部のエンターテイメントは韓国の歌手が5,6人来ましたが、司会も有名なタレントを使い、歌手と司会のおしゃべりがまたたくさんあるのですが、全員ここの地方出身なのでわざわざ方言を使ってくださいます。言って見たら、外国人が大阪で吉本などの漫才をひどい環境の中で同時通訳するといった状況です。我ながらよくやってるなあと褒めてやりたかったです。無事に開会式が終わり、こんどは競技規定や審査規定に関するオリエンの通訳です。ここでも大きなお金がかかってますので皆さん必死で質問して来ます。やっと終わって家に着いたのが1時過ぎてました。明日は朝の5時に埠頭に行って、通訳です。4日間、体が持つだろうか?
May 2, 2004
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今日の日記のタイトルがどんな意味かわかる人は在日の人だけだろうと思う。韓国語では『チマパラム』、『チマ』は『チマチョゴリ』の『チマ』、つまり『スカート』のことであり、『パラム』は『風』である。ではこの『チマパラム』、『スカートの風』とはどんな意味かと言うと、『スカート』といえば女性の服の代名詞である。次に『風』は『一世を風靡する』と言う時に使う『風』のニュアンスである。『流行』『勢い』『流れ』と言った。だから『チマパラム』、『スカートの風』とは『女性の勢い』が強いと言うことを強調しており、ここでは特に子供の勉強に対しての勢いを指す。まあ、日本語で言えば、『教育ママ』と言ったところである。この『教育ママ』と言う言葉、最近日本でも使われるかどうか分からないが、韓国では今も昔も良く使われる。今のように不景気であればあるほど、子供に教育だけはと言うのが親の気持ちと言うものであるが、半端じゃない!とうとう子供の教育費のために売春までする主婦が現れた。ここまで来ると立派を通り越して問題である。我家はそれほど『チマパラム』ではなかったが、長男(中2)が珍しく塾に行きたいと言い出して、最近家計が苦しいけれど、子供が自分から言い出したものだから、中間試験までの1ヶ月間だけ許した。その間に修学旅行もあったりして、遅れたということで塾の方も必死である。子供の成績が上がらないと、親から突き上げられるし、うわさにでもなると、商売にならないからである。それで最近は息子の帰りは夜中の0時半頃である。5時から始まって、中間に食事の時間が30分あるだけである。かわいそうだが、韓国ではこのくらいが当たり前である。中間試験の結果はどうでもいい、でもできれば自分に自信を付ける事と、勉強の習慣を身に付けて、塾に通わなくても自ら勉強するようになってくれれば、安い投資だと思う。韓国の子供たちはかわいそうである。
May 1, 2004
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