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2021.02.15
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カテゴリ: うるま市



うるま市に勝連半島から海中道路で繋がれた平安座島と伊計島の間に「宮城島」があります。宮城島は「タカハナリ(高離)」の名称でも知られており、写真は伊計島の入り口に掛かる伊計大橋から見た宮城島です。宮城島は「池味(いけみ)」「上原(うえはら)」「宮城(みやぎ)」「桃原(とうばる)」の4つの大字で構成されます。池味集落は島北東の漁港近くに、そして桃原集落は島南部の平坦な低地に位置しています。


(桃原のウブガー)

平安座島から宮城島に入ると桃原集落があり、桃原は琉球王府時代に首里の氏族等が移り住んで形成された宿取り集落です。この「桃原のウブガー」は桃原集落唯一の井戸で「ムラガー」や「共同井戸」と呼ばれています。昔は子供が産まれると、ここの水を産湯に使用していました。1876年(明治9)年に造られ、旧暦の元旦には若水を汲んで先祖に備え、一家の健康と繁栄を祈願してお茶を沸かして飲みました。


(桃原のお宮)

「桃原のお宮」は「桃原守護神」と呼ばれ、集落の各家の家族や親族は旧暦1月1日のハチウガン(初御願)、ジューグスージ(十五祝い)、旧暦9月9日の菊酒、旧暦12月24日のトゥミウガン(止め御願)の日に祈ります。また、桃原集落には「トウバルナンダギー(桃原南嶽)」と呼ばれる伝統の琉球古典舞踊が大切に継承されています。宮城島には次の琉球歌謡(おもろさうし)が残されています。

「聞ゑ宮城(みやくすく) 選び出ぢへの真金(まかね) 島踊(しまよ)りや 勝り 鳴響(とよ)む宮城」"名高く鳴り響く宮城島よ 選び出された真金神女の島踊りは見事である"


(ゴリラ岩)

桃原集落の東側に「ゴリラ岩」があります。砂が堆積して形成された知念砂層と呼ばれる露岩(岩石)です。宮城島では親しみを込めて「ゴリラ岩」または「ライオン岩」といった愛称で呼ばれています。泥岩、凝灰岩、砂岩、石灰岩が重なった地層になっていて、筋状に見えるのはノジュール(団塊)と呼ばれ石碑などの材料に使われています。




宮城島の北部に「池味(いけみ)集落」があります。沖縄の方言で"イチミ"とも呼ばれており、18世紀の初めの頃に島外からも人々が移り住みました。池味集落の中心部にある「タチチガー」は中城ウメーという人により池味集落で初めて発見された湧水です。村ガー(共同井戸)として上(イーヌカー)は主に飲料水、下(シチャヌカー)は溜池で洗濯などの生活用水等に利用されていました。因みに、タチチガーの湧水にはザリガニが多数生息していました。


(魔除けの石柱)

タチチガーの東側にある「魔除けの石柱」です。沖縄の各地にはT字路の突き当りに「石敢當」などの文字が刻まれた魔除けの石碑や石標が設けられていますが、宮城島では魔除けの石柱や霊石が集落の至る所に設置されています。この「魔除けの石柱」は「石敢當」のようにT字路の突き当たりではなく、十字路の角に設置されていていました。もともとT字路だった場所が後に十字路になったのか、もしくは宮城島だけに伝わる魔除け方法に基づいているのか、未だに謎は解明されていません。


(イークン御嶽)

「イークン御嶽」は南山王の他魯毎の四男と上根(イークン)家の娘の間に出生した子孫を祀っていると言われています。池味と上原の2集落の神事の中心的な場所で、現在でも上原集落のノロ(神女)は「イークン御嶽」をまず先に拝んでから各地にある拝所での行事を巡ります。


(ウンチカー)

尚巴志に滅ぼされた南山王国最後の国王の他魯毎と家臣が宮城島の上根(イークン)グスクに逃亡したという言い伝えがあります。この井泉は「イークン御嶽」から西の山中にある「ウンチカー」です。他魯毎は民衆や按司たちに対し酷薄な王であったと言われており、尚巴志に南山の貴重な水源であった嘉手志川と金の屏風との交換を持ちかけられると何の考えなしに了承してしまい、金の屏風と引き換えに嘉手志川を利用していた人々の信望を失ったと言われています。


(南グスクの入り口)

イークン御嶽の北側に「南グスク(ナングスク)」があります。南山から逃れた宮城按司はイークン山に住んでいましたが、後に南グスクに移ったと言われています。南グスクには今でも自然の岩を利用した城門跡や石垣などが残っています。南グスクの入り口には琉球石灰岩の階段がありました。


(ナンガー)

入り口の石段を登り切ると石灰岩と亜熱帯植物か生い茂る森道に変わります。まず初めの二股に分かれた道を左に進むと「ナンガー」と呼ばれる井泉がありました。沖縄の線香であるヒラウコー(平御香)が供えられていました。水の神様を拝む24本の火をつけない線香(ヒジュルウコー)が残されていたので、旧正月に集落のカミンチュ(神人)が拝していた事が分かります。「ナンガー」はナングスクの貴重な水源として昔も今も大切にされていると考えられます。




先ほどの二股に道が分かれた場所に戻り、右に進んで自然岩の城門を抜けると「南グスクの按司火ヌ神」が現れました。このヒヌカンはグスクへの"お通し"の役割を持つウガンジュ(拝所)で、内部には霊石とウコール(香炉)が設置されています。私はお賽銭と共に自己紹介とナングスクを訪れた理由を告げ、手を合わせてウートートーしました。


(宮城按司とその妻の墓)

「南グスクの按司火ヌ神」から先に進むとグスク中腹に再び二股に分かれた道が出現しました。左に行くと巨大な岩が重なり合う神秘的な空間があり、二股の道を右に進み更にグスクを頂上近くまで登ると「宮城按司とその妻の墓」がありました。それぞれの墓にウコールが設置されており、宮城按司夫妻は仲良く寄り添いながら安らかに永眠している雰囲気が佇んでいました。


(クカルンダガー)

「南グスク」を後にして次に向かったのは宮城島北部にある池味漁港です。池味漁港周辺にはマングローブ群が広がり、マングローブの森に豊かな水源を供給するのがこの「クカルンダガー」です。池味集落と伊計島の間に隆起した丘陵の麓にひっそりと佇む「クカルンダガー」には蛙が多数生息していて水質も透き通った神水となっていました。




「クカルンダガー」の井泉にはウコールと巻貝殻が供えられており、非常に神聖な水源として崇められています。「クカルンダガー」の場所を見つける際に、うるま市が発行する資料を元に探し求めていたのですが、間違った地点が記載されており暫く浜を彷徨ってしまいました。浜に隣接する防波堤内部にはマングローブ群が広がり、そこに丘陵の麓沿いに進む暗く細い通路を発見したのです。その通路を進んだ結果、偶然に発見したのが「クカルンダガー」でした。


(西原村の浜入り口)

さて、宮城島には有名な「ウミガメ伝説」が伝わります。約250年前、上原集落に漢佐伊(カンサイ)という60歳余りのお爺さんがいました。ある日、サバニ(舟)で具志川に行った帰り急に舟が転覆し、宮城島から約6キロの沖で漂流してしまいました。その時、突然ウミガメが現れてお爺さんを背に乗せて宮城島西原村の浜まで送り助けてくれました。


(西原村の浜)

この浜はウミガメがお爺さんを送り届けたとされる西原村の浜です。この浜の周辺は「西原遺跡」が広がり、かつて西原村があった場所と考えられます。西原遺跡の山から流れ出る湧水がこの浜に流れ出しています。ウミガメに助けられたお爺さんは湧水を飲んで上原集落まで無事に帰る事が出来たはずです。


(池味自治会の案内板)

宮城島「桃原/池味集落」には豊富な水源の井戸や遺跡文化財が数多く点在しています。また、琉球石灰岩の石垣に囲まれた琉球赤瓦屋根の古民家も多数立ち並んでいて、古の沖縄にタイムスリップしたような錯覚に陥ります。さらに、集落内は細い路地が多く車を停める場所を探すのが困難な中、見ず知らずの私に民家の敷地を駐車場として快く貸してくれた宮城島のオジーやオバーに心から感謝したいと思います。






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最終更新日  2023.10.28 19:17:41
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