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2021.11.29
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カテゴリ: 浦添市



今から600年前、沖縄県中南部にある浦添市は琉球王国の王宮がある都として栄えていました。その後、都が首里に移ってからも「浦添グスク」に居住していた「尚寧」が王位に就いていた時代もありました。琉球王国の中心であった時代の浦添市は「裏うらを襲う(治める)土地」という意味で"うらおそい"と呼ばれていました。「おもろ」は沖縄と奄美の村や間切の祭り、王府の祭りの際に謡われた神に捧げる歌で「神への言葉」だと考えられています。


(めじろ公園のおもろの碑)

浦添市「沢岻(たくし)」の「めじろ公園」の敷地内に「めじろ公園のおもろ碑」があり「尚清王」の名付け親だった沢岻親方盛里(?〜1526年)を讃えた「おもろ」だと言われています。盛里は中城城主であった「護佐丸」の孫で、中国から王を乗せる「鳳凰轎(ほうおうきょう)」と首里城崖下龍樋の「吐水龍頭」をもたらした事で知られています。

『一 たくし たらなつけ
   國 こおり うらのかず
   とよまちへ つかい
 又 よかる たらなつけ』

「たくしたらなつけ(沢岻太郎名付け)」と呼ばれた沢岻盛里の名声が、国・郡・村々まで鳴り轟き、多くの人々に慕われている様子を歌っています。




浦添市「仲西(なかにし)」の「仲西公民館」にある「仲西公民館のおもろの碑」です。「仲西」のすぐれた真人と尊称される人物(にくげ按司)が、朝に夕に、鈴富という名の船を操り干瀬(リーフ)の多い難所を巧みに航海する情景を褒め讃えた歌です。

『一 つるこ にくげ あぢはゑ
   きよらや ほこら
 又 よかる にくげ
 又 中にしの ゑらびま人
 又 あさどれに 世どれに
 又 すづとみは はやとみは
 又 ゑなんわたて ぢいだかわたて』

「ゑなん(伊那武)」「ぢいだか(自謝嘉)」は那覇港の北西にある干瀬(リーフ)のことだと思われ、また「ゑらびま人」とは選りすぐった立派なお方という意味です。この歌は「仲西」の名が登場する数少ない「おもろ」のひとつです。


(屋富祖公民館のおもろの碑)

浦添市「屋富祖(やふそ)」の「屋富祖公民館」の敷地に「屋富祖公民館のおもろの碑」があります。「親富祖の大親」と「又吉の大親」と呼ばれる村の役人が、王に献上物を届ける状況を詠んだものです。この場合の「王」は浦添グスクを治めた城主、あるいは首里城の王のことだと考えられます。

『一 おゑやふその大や
   大やこがかない
   のぼていけば
   てだがほこりよわちへ
 又 またよしの大や
   大やこがささえ
 又 けおの世かるひに
   大やこがさゝげ
 又 けおのきやがるひに』

「親富祖」の"ムラ"は17世紀に廃止され「屋富祖村」に吸収されたと推定されます。「屋富祖」を直接詠んだ「おもろ」が他にないことから、この「おもろ」が「屋富祖」にかかわる唯一のものとなっています。


(泉小公園のおもろの碑)

浦添市「城間(ぐすくま)」に「泉小公園」があり「泉小公園のおもろの碑」が建立されています。「城間」と「又吉」の長老様がいらっしゃる広庭に、神女(ノロ)たちよ天降りして祭をしなさい、という「おもろ」です。古琉球の"ムラ"には男性の長老がいて、神々に祈る役割は神女たちが受け持っていました。

『一 ぐすくまの あさいによ
   あさいによ ひろみやに
   おれなおせ
   かみた かみ
 又 またよしの あさいによ』

「またよし(又吉)」は「城間」の隣にあったと伝わる"ムラ"の名前です。神祭りをする広庭で神女たちが、神歌を歌い踊る様子を謡った「おもろ」です。


(牧港漁港のおもろの碑)

浦添市「牧港(まきみなと)漁港」の公園に「牧港漁港のおもろの碑」があります。この「おもろ」は莫大な利益をもたらす中国との進貢貿易に成功した「察度(さっと)王」を褒め讃えた歌です。このような偉業を成し遂げた「ぢやなもい」は誰の子か、こんなにも美しい、こんなにも見たいものだと謳い上げています。

『一 ぢやなもひや
   たがなちやる くわが
   こがきよらさ
   こがみぼしや あるよな
 又 もゝぢやらの
   あぐで おちやる
   こちやぐら
   じやなもいしゆ あけたれ
 又 ぢやなもいが
   ぢやなうへばる のぼて
   けやけたるつよは
   つよからど かばしやある』

「ぢやなもい」とは「察度王」の童名を意味します。「察度王」の使者 「泰期(たいき)」 は中国泉州から皇帝のいる南京まで進貢の旅をしました。この石碑は泉州市と浦添市の友好都市締結を記念して、泉州から中国産の青石(輝緑岩)に文字を刻んで寄贈されたものです。


(伊祖公園のおもろの碑)

浦添市「伊祖(いそ)公園」の丘の上にある「伊祖公園のおもろの碑」です。「英祖王」は1260年に「中山王」となり「英祖王統」を開いた人物で「ゑぞのてだ(伊祖の太陽)」と称された偉大な王です。その「英祖王」の居城が現在「伊祖公園」がある「伊祖グスク」と言われています。

『一 ゑぞのいくさもい
   月のかず あすびたち
   ともゝと わかてだ はやせ
 又 いぢへきいくさもい
 又 なつは しげち もる
 又 ふよは 御ざけ もる』

「ゑぞのいくさもい」とは「英祖王」の童名だと言われています。この「おもろ」は「ゑぞのいくさもい」が夏はしげち(神酒)、冬は御酒と毎月のように神遊びを催している。いつまでも若てだ(英祖王)様が栄えるように、という内容が謳われています。


(あさやら公園のおもろの碑)

浦添市「浅野浦(あさのうら)」に「あさやら公園」があり、敷地内に「あさやら公園のおもろの碑」が建立されています。浅野浦の土地は元来殆どが伊祖の小字で「伊祖グスク」に関わる由緒ある土地でした。この「おもろ」は伊祖の堅固で立派なグスクは「アマミキヨ」が造ったグスクで、見事な「伊祖グスク」だという意味です。

『一 ゑぞゑぞの いしぐすく
   あまみきよが
   たくだるぐすく
 又 ゑぞゑぞの かなぐすく』

「いしぐすく」と「かなぐすく」は共にグスクの美称であり「あまみきよ」は琉球神話の琉球開闢(かいびゃく)の始祖神です。この「おもろ」は「伊祖グスク」が悠久の昔から栄えるグスクとして讃えています。


(運動公園メインゲート前のおもろの碑)

浦添市「仲間(なかま)」に「ANA SPORTS PARK浦添(浦添運動公園)」があり、メインゲートには「運動公園メインゲート前のおもろの碑」があります。浦添は酒が満ち溢れている豊かな土地だ。その土地に感謝して酒宴を開こうという内容の「おもろ」です。

『一 うらおそいや うらおそいや
   みきどあるな さけどあるな
   たしや たしや
   きよや きよや
   よゝせによがかちへ つかい
 又 とかしきや とかしきや
   さけどあるな みきどあるな』

「みき(神酒)」や「さけ(酒)」があることは豊かな土地づある事をいみしています。「たしや(多謝)」と琉球語と不釣り合いな漢語を交えながら、おもしろく浦添の土地を褒め讃えています。


(仲間交番前のおもろの碑)

この歌碑は浦添市「仲間(なかま)」の「仲間交番」の脇にある「仲間交番前のおもろの碑」です。「浦添」は黄金が寄り集まり、永久に黄金が積もるほど繁栄が続いている、これ程の土地は「浦添」以外に見られないという内容の「おもろ」です。

『一 うらおそいの ね國
   もゝと つも こがね
   うらおそいど ありよる
 又 とかしきの まくに』

「うらおそい」とは国の中心地になってから浦々を治めるという意味です。「もゝと」は百年で永遠を意味し「ね國」と「まくに」は国の中心を意味する褒め言葉です。更に「とかしき」は浦添の古い地名を意味しています。


(浦西中学校正門前のおもろの碑)

浦添市「当山(とうやま)」にある「浦添市立浦西中学校」の正門前に「浦西中学校正門前のおもろの碑」が建立されています。名高い「按司襲い様」が浦添グスクの「世の頂」におられるので太陽(神)も喜んでいらっしゃる、という意味の「おもろ」です。

『一 きこゑあぢおそいや
   うらおそいに ちよわれば
   てだが ほこりよわちへ
 又 とよむあぢおそいや
   世のつぢに ちよわれば』

「あぢおそい」は按司(領主)を襲い(治める)者で浦添グスクの王を意味します。「世のづち(頂)」は浦添グスクの中にある聖地で、浦添の美称としても使われています。「てだ」は太陽の意味ですが、王や按司も「てだ」と呼ばれて尊敬されていました。


(伊祖公園のガジュマル)

「おもろ」には初めに「一」とあり、更に「又」とあります。これは一種の音楽記号で「一」は始まりを意味し「又」は音楽上の繰り返しを意味する記号です。「おもろ」では土地を褒め、領主を讃え、豊かな実りを願い、航海の安全を祈っています。また歴史上の人物を賛美し、戦の事も謳っています。「 おもろ」は琉球王国第4代「尚清王」の嘉靖10年(1531年)から「尚豊王」の天啓3年(1623年)にかけて首里王府によって編纂された、22巻の歌謡集である「おもろそうし」にまとめられています。






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最終更新日  2022.03.06 22:52:00
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