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浦添市「仲西(なかにし)」の「仲西公民館」にある「仲西公民館のおもろの碑」です。「仲西」のすぐれた真人と尊称される人物(にくげ按司)が、朝に夕に、鈴富という名の船を操り干瀬(リーフ)の多い難所を巧みに航海する情景を褒め讃えた歌です。
『一 つるこ にくげ あぢはゑ
きよらや ほこら
又 よかる にくげ
又 中にしの ゑらびま人
又 あさどれに 世どれに
又 すづとみは はやとみは
又 ゑなんわたて ぢいだかわたて』
「ゑなん(伊那武)」「ぢいだか(自謝嘉)」は那覇港の北西にある干瀬(リーフ)のことだと思われ、また「ゑらびま人」とは選りすぐった立派なお方という意味です。この歌は「仲西」の名が登場する数少ない「おもろ」のひとつです。
(屋富祖公民館のおもろの碑)
浦添市「屋富祖(やふそ)」の「屋富祖公民館」の敷地に「屋富祖公民館のおもろの碑」があります。「親富祖の大親」と「又吉の大親」と呼ばれる村の役人が、王に献上物を届ける状況を詠んだものです。この場合の「王」は浦添グスクを治めた城主、あるいは首里城の王のことだと考えられます。
『一 おゑやふその大や
大やこがかない
のぼていけば
てだがほこりよわちへ
又 またよしの大や
大やこがささえ
又 けおの世かるひに
大やこがさゝげ
又 けおのきやがるひに』
「親富祖」の"ムラ"は17世紀に廃止され「屋富祖村」に吸収されたと推定されます。「屋富祖」を直接詠んだ「おもろ」が他にないことから、この「おもろ」が「屋富祖」にかかわる唯一のものとなっています。
(泉小公園のおもろの碑)
浦添市「城間(ぐすくま)」に「泉小公園」があり「泉小公園のおもろの碑」が建立されています。「城間」と「又吉」の長老様がいらっしゃる広庭に、神女(ノロ)たちよ天降りして祭をしなさい、という「おもろ」です。古琉球の"ムラ"には男性の長老がいて、神々に祈る役割は神女たちが受け持っていました。
『一 ぐすくまの あさいによ
あさいによ ひろみやに
おれなおせ
かみた かみ
又 またよしの あさいによ』
「またよし(又吉)」は「城間」の隣にあったと伝わる"ムラ"の名前です。神祭りをする広庭で神女たちが、神歌を歌い踊る様子を謡った「おもろ」です。
(牧港漁港のおもろの碑)
浦添市「牧港(まきみなと)漁港」の公園に「牧港漁港のおもろの碑」があります。この「おもろ」は莫大な利益をもたらす中国との進貢貿易に成功した「察度(さっと)王」を褒め讃えた歌です。このような偉業を成し遂げた「ぢやなもい」は誰の子か、こんなにも美しい、こんなにも見たいものだと謳い上げています。
『一 ぢやなもひや
たがなちやる くわが
こがきよらさ
こがみぼしや あるよな
又 もゝぢやらの
あぐで おちやる
こちやぐら
じやなもいしゆ あけたれ
又 ぢやなもいが
ぢやなうへばる のぼて
けやけたるつよは
つよからど かばしやある』
「ぢやなもい」とは「察度王」の童名を意味します。「察度王」の使者 「泰期(たいき)」
は中国泉州から皇帝のいる南京まで進貢の旅をしました。この石碑は泉州市と浦添市の友好都市締結を記念して、泉州から中国産の青石(輝緑岩)に文字を刻んで寄贈されたものです。
(伊祖公園のおもろの碑)
浦添市「伊祖(いそ)公園」の丘の上にある「伊祖公園のおもろの碑」です。「英祖王」は1260年に「中山王」となり「英祖王統」を開いた人物で「ゑぞのてだ(伊祖の太陽)」と称された偉大な王です。その「英祖王」の居城が現在「伊祖公園」がある「伊祖グスク」と言われています。
『一 ゑぞのいくさもい
月のかず あすびたち
ともゝと わかてだ はやせ
又 いぢへきいくさもい
又 なつは しげち もる
又 ふよは 御ざけ もる』
「ゑぞのいくさもい」とは「英祖王」の童名だと言われています。この「おもろ」は「ゑぞのいくさもい」が夏はしげち(神酒)、冬は御酒と毎月のように神遊びを催している。いつまでも若てだ(英祖王)様が栄えるように、という内容が謳われています。
(あさやら公園のおもろの碑)
浦添市「浅野浦(あさのうら)」に「あさやら公園」があり、敷地内に「あさやら公園のおもろの碑」が建立されています。浅野浦の土地は元来殆どが伊祖の小字で「伊祖グスク」に関わる由緒ある土地でした。この「おもろ」は伊祖の堅固で立派なグスクは「アマミキヨ」が造ったグスクで、見事な「伊祖グスク」だという意味です。
『一 ゑぞゑぞの いしぐすく
あまみきよが
たくだるぐすく
又 ゑぞゑぞの かなぐすく』
「いしぐすく」と「かなぐすく」は共にグスクの美称であり「あまみきよ」は琉球神話の琉球開闢(かいびゃく)の始祖神です。この「おもろ」は「伊祖グスク」が悠久の昔から栄えるグスクとして讃えています。
(運動公園メインゲート前のおもろの碑)
浦添市「仲間(なかま)」に「ANA SPORTS PARK浦添(浦添運動公園)」があり、メインゲートには「運動公園メインゲート前のおもろの碑」があります。浦添は酒が満ち溢れている豊かな土地だ。その土地に感謝して酒宴を開こうという内容の「おもろ」です。
『一 うらおそいや うらおそいや
みきどあるな さけどあるな
たしや たしや
きよや きよや
よゝせによがかちへ つかい
又 とかしきや とかしきや
さけどあるな みきどあるな』
「みき(神酒)」や「さけ(酒)」があることは豊かな土地づある事をいみしています。「たしや(多謝)」と琉球語と不釣り合いな漢語を交えながら、おもしろく浦添の土地を褒め讃えています。
(仲間交番前のおもろの碑)
この歌碑は浦添市「仲間(なかま)」の「仲間交番」の脇にある「仲間交番前のおもろの碑」です。「浦添」は黄金が寄り集まり、永久に黄金が積もるほど繁栄が続いている、これ程の土地は「浦添」以外に見られないという内容の「おもろ」です。
『一 うらおそいの ね國
もゝと つも こがね
うらおそいど ありよる
又 とかしきの まくに』
「うらおそい」とは国の中心地になってから浦々を治めるという意味です。「もゝと」は百年で永遠を意味し「ね國」と「まくに」は国の中心を意味する褒め言葉です。更に「とかしき」は浦添の古い地名を意味しています。
(浦西中学校正門前のおもろの碑)
浦添市「当山(とうやま)」にある「浦添市立浦西中学校」の正門前に「浦西中学校正門前のおもろの碑」が建立されています。名高い「按司襲い様」が浦添グスクの「世の頂」におられるので太陽(神)も喜んでいらっしゃる、という意味の「おもろ」です。
『一 きこゑあぢおそいや
うらおそいに ちよわれば
てだが ほこりよわちへ
又 とよむあぢおそいや
世のつぢに ちよわれば』
「あぢおそい」は按司(領主)を襲い(治める)者で浦添グスクの王を意味します。「世のづち(頂)」は浦添グスクの中にある聖地で、浦添の美称としても使われています。「てだ」は太陽の意味ですが、王や按司も「てだ」と呼ばれて尊敬されていました。
(伊祖公園のガジュマル)
「おもろ」には初めに「一」とあり、更に「又」とあります。これは一種の音楽記号で「一」は始まりを意味し「又」は音楽上の繰り返しを意味する記号です。「おもろ」では土地を褒め、領主を讃え、豊かな実りを願い、航海の安全を祈っています。また歴史上の人物を賛美し、戦の事も謳っています。「 おもろ」は琉球王国第4代「尚清王」の嘉靖10年(1531年)から「尚豊王」の天啓3年(1623年)にかけて首里王府によって編纂された、22巻の歌謡集である「おもろそうし」にまとめられています。
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