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2022.12.28
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カテゴリ: 中城村



沖縄本島の中南部で中城湾の東海岸線沿いに「中城村/なかぐすくそん」があり、村の中央部に「奥間/おくま集落」があります。この集落の中心部にあるゲートボール場の一帯は「トゥンナー/殿庭」と呼ばれ、戦前は現在の公民館にあたる「ムラヤー」があり旧暦8月15日の「十五夜」の行事が行われていました。集落の人々は月が昇る前に「トゥンナー」に集まり、筵(竹を編んで作った敷物)にお酒を出して宴会を開き広場では獅子舞の演舞等が催されました。また、当時は「奥間集落」の神事を管轄していた「屋宜ノロ」がウマチー(豊作祈願/収穫祭)の行事の際に立ち寄る大きな瓦屋があったと言われており「トゥンナー」は「奥間集落」において重要な祭祀場であったと伝わります。


(ウカミ/ムラヒヌカンの祠)

(ウカミ/ムラヒヌカンのウコール)

「トゥンナー」の一角に「ウカミ/ムラヒヌカン」と呼ばれるコンクリート製の祠があり、内部には3つの霊石が祀られ正面にはウコール(香炉)が設置されています。1713年に琉球王府により編纂された『琉球国由来記』に記されている『古隠座敷之殿 奥間村』に相当すると考えられ『稲二祭之時、花米九合宛・五水六合宛・神酒一宛・シロマシ一器当奥間座敷殿ニ奥間地頭、神酒一宛・シロマシ一器宛・五水二合宛、神根之殿・中奥間之殿・古隠座敷之殿、三ケ所者同村百姓中、供之。屋宜巫ニテ祭祀也。且、祭之前日ヨリ祭ノ朝食マデ、巫・根神二員・掟アム一員、根神之殿ニテ二度、百姓中ヨリ馳走也。』との記述があります。「十五夜」の行事の際には「トゥンナー」にある「ウカミ/ムラヒヌカン」の祠に「フチャギ」と呼ばれる、茹でた小豆をまぶした餅をお供えしたと言われています。


(ヒヌカン/火の神)

(ニーヤー/根屋/仲村渠門中)

「トゥンナー」の南側にマーニ(クロツグ)が生い茂る平場があり中央部には霊石が3体置かれた「ヒヌカン」があり、旧暦6月15日の稲の収穫祭である「六月ウマチー」の際に拝されています。さらに「トゥンナー」の東側に隣接して「ニーヤー/根屋」である「仲村渠門中/ナカンダカリムンチュー」の屋敷があり『琉球国由来記』には『古隠根所 奥間村 毎年六月、為米初、神酒二同村百姓中供之。屋宜巫ニテ祭祀也。』と記されています。「仲村渠門中」は「奥間集落」の創始家系統の家で祖先は1962年に出版された『琉球祖先宝鑑』に記述には「天孫子」の子孫である「百名大君」の系統で、玉城村(現南城市)の「仲村渠集落」の「ミントン」という家の出身であると記されています。「百名大君」の子孫である「中城グスク按司」が「奥間集落」に移り「イーガーバル/上川原」に屋敷と井戸を構えた事が「仲村渠」の始まりであると伝わります。


(トォークマウドゥン/当奥間座敷之殿)

トォークマウドゥン/当奥間座敷之殿の祠内部)

(ニーチュ/根人/幸地門中)

「トゥンナー」の北側に「 トォークマウドゥン/当奥間座敷之殿」があり、 横幅1.2m・高さ0.9m・奥行0.7mの祠が建立されています。『琉球国由来記』には『 当奥間座敷之殿 奥間村 』と記されており、5月と6月のウマチーの際には「屋宜ノロ」により祭祀が行われていました。屋号「幸地」に保管されている『当奥間世系之図』には、羽衣伝説で知られる宜野湾間切謝名村出身の「奥間大親」の3男である天久按司の家とあります。「座敷」と呼ばれる役職は琉球士族の称号「親雲上」の品位「従四品」にあたる位階となっています。「トォークマウドゥン」の東側約60mのばしょには「ニーチュ/根人」である屋号「幸地」の家があります。 『当奥間世系之図』によると「当奥間」と同じく「奥間大親」を祖先とし「当奥間」の初代から数えて3代目から分家しています。「幸地」は「ニーチュ」の系統の家と言われていますが「奥間」の「ニーヤー」である「仲村渠」とは系図上の繋がりがないと言われています。


(クシベーヌチナヌウガンジュ)

(クシベーヌチナヌウガンジュの祠内部)

(ムラガー/親井戸)

(ガンヤー/龕屋跡)

「トゥンナー」からナカミチを北側に進むと「クシベーヌチナヌウガンジュ」の祠があります。ナカミチを境に北側は「クシベー」と呼ばれ、このウガンジュは「クシベー」の拝所として綱引きの前に祈願されていました。「クシベーヌチナヌウガンジュ」から東側の民家と民家の間に「ムラガー/親井戸」があり、現在は手押しポンプが取り付けられています。正月にこの井戸から若水を汲み、茶を沸かして飲み一年の健康祈願をしました。また、年の初めに祈願する「ハチウビー/御初水」や集落で子供が生まれた時の産水を汲んだ「ウブガー/産井戸」として利用されていました。「ムラガー」沿いの道を南東側に向かうとかつて「ガンヤー/龕屋」があった場所があります。「ガンヤー」とはかつて葬式の時に死者の棺を墓まで運ぶ「ガン/龕」と呼ばれる輿を収めていた小屋の事を言います。


(合祀所)

(チナーヤマ/喜納山)



「奥間集落」の北側に「チナーヤマ/喜納山」があり、1970年頃に起きた土砂崩れにより流された「チナーウタキ/喜納御嶽」と「按司墓」に加えて、集落が発祥した「字北上原」の「シマクのウガン/キシマコノ嶽」への遥拝所が合祀されたコンクリート製の拝所があります。「チナーウタキ」は『琉球国由来記』に『喜納ノ嶽 神名 奥間森比喜セジノ御イベ 奥間村 屋宜巫崇所』と記されています。更に「按司墓」は琉球王国の三山時代に最後の中山王として即位していた「武寧王/ぶねいおう(在位 1396-1405年)」の墓として伝えられており、各地域からの参拝者が多数訪れます。この合祀所がある「チナーヤマ」は戦前「ニーチュ」により管理され『平日にチナーヤマに入って薪を取ると祟りが起こる』との言い伝えがあるほど平日の入山は厳しく規制され、年に一度の特定の日にしか山に入る事が許されていなかったと言われています。


(チナーヌカー/喜納ヌ井戸)

(メーヌカー/前ヌ井戸)

(メーヌカー/前ヌ井戸)

(シマクのウガン/キシマコノ嶽)








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最終更新日  2022.12.28 14:13:26
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