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2023.02.24
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カテゴリ: 恩納村



国指定史跡である「国頭方西海道/くにがみほうせいかいどう」は琉球王国時代に整備された主要道路で、首里を起点とし浦添・読谷・恩納を経て名護の北方に向かう沖縄本島西側の古道です。中南部と北部を結ぶ恩納村では「仲泊の一里塚」から「真栄田の御待毛/ウマチモー」までの間が「歴史の道」として整備されています。この古道の周辺には「唐人の墓碑・比屋根坂石畳道・山田谷川の石矼・山田グスク・フェーレー岩・真栄田の一里塚」など歴史的価値の高い文化財が点在しています。「比屋根坂石畳」は小字比屋根原の琉球石灰岩丘陵を越える為に敷設された道で、もともと石畳道は丘陵上にはなく東西の傾斜地に蛇行して造られています。なお、東側丘陵地の石畳道は約98mあり、西側丘陵地の石畳道は約76.5mあります。


(比屋根坂石畳道)

(イユミーバンタの洞窟)

(洞窟の内部)

(洞窟の入り口)

琉球王府の時代に敷かれた「比屋根坂/ヒヤゴンビラ石畳道」は明治末期まで主要道路として、長い歴史を経て数多くの行商人や旅人に利用され重宝されていました。この「比屋根坂石畳道」の丘陵上には自然洞窟(ガマ)があり「仲泊遺跡」との関連性は不明ですが、洞窟の内部は比較的広い空間となっています。この丘陵の高台広場には確認できるだけで大小数箇所の洞窟入り口があり、全てが1つに繋がっていると考えられます。この洞窟にもかつての先人達が暮らし、その後は風葬墓として利用されていたと予測できます。また、洞窟の内部は自然が創り出した鍾乳石で覆われており、この洞窟の歴史の古さを知る事が出来ます。更に沖縄戦の際には防空壕として利用されていたとも考えられ、多くの周辺住民の命を救ったと思われます。琉球において洞窟は古来、現世と後世を繋ぐ境界の世界とされ「聖域」として祖霊を崇めたと言われています。


(イユミーバンタからの絶景)

(イユミーバンタの崖)



(前兼久/メーガニクの寄地跡)




(フカガー/深川の拝所)

(フカガー/深川の井戸跡)

(フカガー/深川の拝所)

(フカガー/深川の上流)

「比屋根坂石畳道」の台地の東側に隣接した谷に「フカガー/深川」と呼ばれる小川が南北に流れています。かつて「冨着の寄地」だった土地の南側は「フカガー」の上流となっており、川岸には現在でも2ヶ所の拝所があります。それぞれ岩の麓に霊石とウコール(香炉)が祀られており、その2つの拝所の間には石組で囲まれた井戸跡が存在します。「フカガー」の水は周辺に暮らしていた古代住民や「仲泊集落」の創始者に重宝されていたと考えられています。現在でも旧正月1日の「カー拝み」にて「仲泊集落」の人々に拝され、先祖が恩恵を受けた水の神様に感謝を込めて祈願しています。「フカガーの拝所」がある上流の水は北側に進み、最終的に美しい「仲泊」の海に流れ込みます。


(ティラの洞窟)

(ティラの洞窟の入り口)

(ティラの洞窟の内部)

「フカガーの拝所」の東側丘陵の上部で「恩納村博物館」の南側に約400mの位置に「ティラ」と呼ばれる洞窟があり「仲泊」の創始者が最初に住んでいた洞穴であると言われています。この自然洞窟から「古島」へ移り「古島」から現在の「仲泊集落」に移動したと伝わり「ティラの洞窟」は年3回(1月・3月・6月の15日)集落の住民により拝されています。「ティラの洞窟」の入り口には大小数体の霊石が祀られ、その手前にはコンクリート製の板が4枚敷かれています。高さ約1mほどの洞窟入り口から内部を確認すると生息するコウモリが飛び回り、奥行き5mほどの空間を確認できます。「仲泊」の古老によると、古代の交通路は「比屋根坂石畳道」の台地から「ティラの洞窟」がある丘陵、そして古島に向かう山道であったと言われています。なお「ティラの洞窟」周辺の住民が増えた事により古島に移動したと考えられています。


(福地墓と考えられる堀込墓)

(唐人の墓碑)

(唐人の墓碑)

「ティラの洞窟」の北側の山中に「福地墓」と考えられる「仲泊」の遠祖を祀った古墓があります。この堀込墓は周辺の古墓群の中で最も古い造りとなっており、墓の前方には古い琉球石灰岩を用いた石門が形成されています。また「恩納村博物館」の建物北側に恩納村指定の「唐人の墓碑」があります。1824年(道光4年)中国福建省の商船が嵐で難破し、乗務員32名中26名が水死、6名が水桶に乗り漂流して「仲泊」の浜に流れ着きました。そのうち5名が死亡、1名のみが餓死寸前に「仲泊」の人々により助けられ無事帰国したと伝わります。死亡した5名は「仲泊」の周辺住民により手厚く葬られ、墓前には5名の名前が刻まれた石碑が建立されました。石碑には『清考 呂仁 呂春 呂孝 洪貴 胡明 等墓』と記されています。






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最終更新日  2023.02.28 17:44:43
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