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2023.09.22
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カテゴリ: 南風原町



沖縄本島南部に沖縄県内で唯一海に面していない「南風原町/はえばるちょう」があります。この町の南東部に「喜屋武集落」は方言で「チャン」と呼ばれています。集落は大きく「ムラウチ/村内」と「ヤードゥイグヮー/屋取小」に区分され、現在の「湘南小学校」周辺にはかつて高さ30〜60メートル程の丘陵があり「ムラウチ」と「ヤードゥイグヮー」の境目となっていました。1920年(大正9)にこの丘陵を人力で割り取った「ワイトゥイ」と呼ばれる道路を開通させて両区域の行き来が容易になりました。「ヤードゥイグヮー」のほとんどの家は戦後に「ムラウチ」から二男や三男が分家して広まったと言われています。現在「ムラウチ」の中心部に「ナカヌカー/中の井公園」があり「喜屋武集落」の住民の憩いの場となっています。


(ナカヌカー/中の井)

(メーミチヌイチ)

(ナカモーグヮー/中毛小のガジュマル群)

(メーミチ)

1928年(昭和3)に「ナカヌカー/中の井」と池が掘られ、その記念として「ウフアシビ/大遊」が盛大に開催されました。この井戸は飲料水や洗濯の場として利用され、池では野良仕事の後に芋や野菜を洗ったり馬の水浴びをさせていました。現在は拝井戸として線香が供えられ水への感謝が祈られています。「ナカヌカー公園」の南側に「ナカモーグヮー/中毛小」と呼ばれる広場があります。現在、2本のガジュマルが残されていますが、かつて5本のガジュマルの根が網目状に絡んで土手を覆い、枝が大きく広がる古木として南風原町指定天然記念物に登録されました。「喜屋武集落」の中心に位置するガジュマルとして、かつては子供達が木に登り鬼ごっこをしたり、古老達がゴザを敷いて談笑したりする住民の憩いの場として利用されました。旧暦9月の20日以降に行われる「タントゥイ/種取り」は「ナーシルダー/苗代田」に稲の種を蒔く日に行われた行事で、15歳以上の男子が「ナカモーグヮー」に集まりました。


(カナチ棒の説明板)

(下茂)

(下茂の祠内部)



「ナカヌカー公園」と「ナカモーグヮー」に隣接する「メーミチ」は綱引きが行われる道となっています。現在の綱引きは旧暦6月25日(カシチー綱/2回)と26日(アミシ綱/1回)の2日に渡り行われますが、かつては旧暦5月14日(ンチャタカビ/2回)と15日(ウマチー/2回)、旧暦6月 14日(ンチャタカビ/2回)と15日(ウマチー/2回)にも綱引きが行われていました。集落の東と西に分かれて両陣営による「ヤッチャイ」と呼ばれる体のぶつけ合いや、棒術も披露される本格的な真剣勝負でした。「メーミチ」の東側に「下茂」という拝所があり、祠内部には4基の「ウコール/香炉」にそれぞれ線香が供えられています。さらに3体の霊石が祀られた「ヒヌカン/火の神」に線香が供えられています。「下茂」の拝所は旧暦1月2日の「ハチウクシ/初興し」旧暦3月20日以降の「ヒャクドゥヌウガン/百度の御願」旧暦10月午の日の「シマクサラシ」などで拝されています。


(ハサマガー/狭間井)

(カンジャーヤー跡)

(ウマイーグヮー跡の石碑)

(ウマイーグヮー跡)

「喜屋武集落」の「ムラウチ」南側に「ハサマガー/狭間井」という井戸があります。旧暦1月1日の正月の早朝、集落の子供達が「ハサマガー」の井戸に行き魔除けのための「サン」を結んだ急須に水を汲みました。その水は「ワカミジ/若水」と呼ばれお茶を沸かして仏壇に供え、家族でそのお茶を飲みました。かつて集落の「ムラウチ」と「ヤードゥイグヮー」の境目に「ウマイーグヮー」と称する馬の練習場がありました。大正時代まで「南風原町」には「ハルスーブ/畑勝負」という行事があり、各字にある畑の管理状況の良し悪しを競い合っていました。南風原の役場があった「宮平集落」の「ウマイー」に村民を集めて結果を発表しました。その余興として馬の走り方の美しさを競う「琉球競馬」が盛大に行われていました。その競馬に出場する馬の練習場が「ウマイーグヮー」で、現在は「南風原町立湘南小学校」の敷地となっています。


(製糖工場跡の石碑)

(メーグミ/ナカグミ/アガリグミ/イリグミ)

(ミーグミ)

(メーヌミーグミ)

かつて「喜屋武集落」の「ヤードゥイグヮー」と呼ばれる場所には「サーターヤーグミ/製糖屋組」が連なり、現在「製糖工場跡」の石碑が建立されています。1921年(大正10)まで4つの「サーターヤーグミ」組織があり「ナカグミ・アガリグミ・イリグミ・ミーグミ」で形成されており「グミ/組」は「チュチョーデー」や門中より下位の一定範囲の父系血縁関係者を中心に構成されていました。その後「メーヌミーグミ・ウィーヌアガリグミ・ウィーヌミーグミ」が設立され全部で7組となりました。旧暦9月1日の「クングヮチゴー/9月ゴー」では「サーターヤーグミ」単位で行事を行ってたと伝わります。「黄金森」にある「仏の前」と呼ばれる拝所の屋根の葺き替えのため、毎年「サーターヤグミ」単位で作業を分担して競い合って仕事をしていたと言われています。1937年(昭和12)に「喜屋武共同製糖工場」が設立され、発動機によるサトウキビ圧搾機械が導入されたのをきっかけに「サーターヤーグミ」組織は解体されました。


(サーターヤーガー跡)



(ヘンダガー/フェンダガー/南風平井の石碑)

(ヘンダイチ/フェンダイチ)

「製糖工場跡」の石碑に隣接した「ミーグミ」の敷地に「サーターヤーガー」跡があり現在は公園として整備されています。この井戸は住民の飲料水以外にも「ミーグミ」の製糖工場で働いていた馬の水浴びをさせた井戸であるとも考えられます。さらに現在は更地となっていますが「ミーグミ」の南側にはかつて「ダンパチヤー/理髪店」があり、地域住民に重宝されついたと思われます。この「ダンパチヤー」の南側には「ヘンダガー/フェンダガー/南風平井」の石碑があり、この広場は「ヘンダイチ/フェンダイチ」と呼ばれています。

最後に「喜屋武集落」にまつわる言葉を紹介します。

『喜屋武ぬ 童達(わらばぁたー)  長者の大主 ジンナーク 美らさ ちゅらさ』



『芸能や 喜屋武人(ちゃんちゅ)ぬ 肝果報(ちむかふう)』






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最終更新日  2023.09.22 16:42:57
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