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2005年01月16日
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カテゴリ: 教会
まったく知らなかった事実が突然明るみに出た。60年前の1945年3月に上野駅を発って、満州に行った家族のこと。

国策でいろいろな宗教の方々が満州開拓伝道のために集められ、100家族を募集したが、4家族11人しか集まらず、それでも賛美歌を歌って送られて、満州に着いたのは4月だったという。当時キリスト教も弾圧され、教会を続けるためということもあったかもしれない。

現地でも応召され、兵役の年齢に達しない47歳の父と14歳の息子、3歳の子どもとその母の2家族が残された。この父子のご家族が伝えなければとお話され、日曜日の説教で牧師さんが取り上げてくださった。戦争を風化させないために、覚えておいていただければとここに記しておきたい。

敗戦の引き上げる中、1946年1月、赤痢で父が亡くなり、そのショックで零下20度の外へ飛び出して行って、その14歳の息子は帰って来なかった。

向こうで落ち着いてから行こうと日本で待っていた母はお腹が大きく、小さい子どもを4人も抱えていた。その後の母子は言うに言われない苦労をされ、帰るかもしれないと、うわさを聞くと舞鶴港に足を運び、夫が亡くなったこと、息子は行方不明だが、亡くなった日を通知され、お骨もないままお墓に葬った。母は生きるために土方などいろいろな仕事をされ、姉は生まれてきた弟を背負って小学校に行ったと言う。

おととし?総理大臣の名前で感謝状が届いて、去年の1月の逝去者記念のお祈りの日に、披露されていたが、1枚の紙で片付けてほしくはない事実だと思う。日本各地で同じような思いをされた方がたくさんいらっしゃる。教会も戦争責任の謝罪をし、戦争に反対をして行く立場を明らかにしたが、今のワタシにできることってと考えてしまう。

ワタシが知っているのは、そんな苦労は感じさせない静かなおばあちゃんで、おしゃれな着物で教会の礼拝にいらしていた。もっと昔には三味線を弾いたり、楽しく過ごされていたと伺っていた。戦争のことなど思い出したくもなく、辛さを語らずに教会では別人のように過ごしていらしたのかもしれない。そのおばあちゃんも97歳で亡くなられ、今伝えないとというご遺族の思いが実ろうとしている。

6月の第3日曜日の礼拝には、おばあちゃんの逝去者のお祈りの故人の愛唱歌として、雅楽の曲で聖歌が歌われる。雅楽の響きで「ヨルダン川の~~」って合わないなぁと思っていた。この曲は亡くなられたご主人が最初に教えてくれた聖歌で、信仰の深さにおばあちゃんはとても尊敬していたそうだ。






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最終更新日  2005年01月17日 12時27分23秒
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