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2005年10月07日
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カテゴリ: カテゴリ未分類
一般的に悪と呼ばれるものはそこに悪意があるかどうかによって判断されていると思う。

殺人も正当防衛なら一般的には許されている。

問題はそこに悪感情があったかどうか?

宗教とか、道徳とかは、「悪感情そのものがいけないから無くすようにしましょう」と教える場合がある。
「人を憎んでははいけません」「たくさんの欲を持ってはいけません」
それに矛盾を感じていたし、悪感情を全く持たない世のため人のために生きる聖人などには死んでもなりたくなかった。

思うに悪感情というのは表現までは許されるが、人にぶつけることはゆるされない、自分の中でエネルギーとして昇華させねばならない感情だと思う
(PQ開発でいわれたことだけど自分の答えとして改めて)



子供がよく天使とか、悪魔に例えられるのは単純に両方の感情素直にを表現しているからだと思う。
大人は悪感情を抑えることは得意だけど、善感情を素直に表現するのは苦手のように思う。

行動そのものは善いことしているんだけどなんかいやな感じ受ける人は社会的にそうしないといけない、そうすることがいいとされているからやっている行動だからだと思う。
なにか押し付けがましい、どこか不自然だ、「どう俺」みたいな自己顕示欲を感じるのは偏見だろうか?

優しくない人は優しくなくていいと思う。
無理な優しさはなにか不気味に感じる。
変になにか裏があるんじゃないかと勘ぐってしまう。
自分に余裕があれば自然と優しくはなれると思うし、かわいい女性にだけは優しいというのは自然のことだし、女性からの非難が多くなると思うが引け目に感じる必要はないと思う。
自分のなかで体現できない優しさは無理して体現しない。













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最終更新日  2005年10月07日 12時58分07秒
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