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2006年03月17日
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カテゴリ: カテゴリ未分類
僕には協調性があまり無い。

人との繋がりを感じてたいけど、繋がりたくない、

それは多分に本当に自分が思っていることを言うと、うわべでは合わせていても、拒絶される、拒否される、好かれない、変な奴だと思われる、馬鹿にされると思っているからだ。

自分の言っていることがわかって欲しい、けどそれは、かっこよくない、情けない、泣き言、ただの負け惜しみみたいだから、言わない、言えない、伝わらない。

解って欲しいけど、嫌われる、引かれるから本当の自分は出さない、良いとされる自分を表現する、してしまう。

けど、それでは窮屈だ、息が詰まる。

だから他人と関わらない、自分が自分でいられるために

けどそれでは何もならない。

案外社会的に「僕の変」は許される範囲なんじゃないかと最近思えてきた。


大段上にある社会的常識から見たら「変」かもしれないが、別に誰も解ってくれないといったレベルではないんじゃないか?

表現してもいいんじゃないか?

表現しないと伝わらないだろう。

というか僕が思っている「変」って誰にでも持っている部分じゃないか?
みんな必死に普通を演じているだけで、僕が言っていることは伝わるんじゃないか(そんなの子供の言う事だという批判は多くあると思うが)

前のプログ書いた「茶の味」という映画は登場人物みんな変だけど、何もそれを否定しない、そういう映画は好きだな。

みんなパッパラパーなんだけど、何もそれを否定しない世界。
普通という幻想を打ち壊した世界、だんだんと世界はそういう方向になりつつあると思うけど、それのみでは社会は成り立たないか。

他人と社会に迷惑をかけないある程度の基準がなくては、それさえクリアすれば、みんなパッパラパーでいいはずだ

今日の戯言

僕は悪感情を誤魔化すなといっているけど、やっぱり扱い方が難しい。


そんな感情を感じるたびに身体がバラバラになるようにしていきたい。

もっと悪感情とされているものを本質的に理解し完全発揮していかないと





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最終更新日  2006年03月17日 14時59分27秒
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