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August 3, 2017
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ホスピス7日目(午前中の続き)

ホスピスへ転院してから1週間が過ぎています。ホスピスの雰囲気にも慣れてきていました。

朝からじっくり夫の話に耳を傾けてくれたS看護師への信頼感が膨らんできたようです。

S病院で大きなショックを受けたと言い、看護師を相手にして夫はまたしゃべりだしました。

1月に腸閉塞で入院したこと
手術の結果、進行癌、抗がん剤治療をしなければ余命1年を告知されたこと
ターミナルはホスピスを希望してすべての治療を断ってきたこと。
手術の後遺症で癒着し、手術を繰り返したこと
腹膜播種、脊椎骨への転移が見つかったこと

ホスピスへ来るまでの経緯を話し始めました。その経過中のS病院での医療者や治療方法に

ついても、肯定的、否定的なことも含めて弱々しい声ながら吐き出すかのように話しました。






夫のボイスレコーダーに残された言葉です。

「最後の検査でとうとう背骨にも転移しました。これからはだんだん辛くなるという話になりまし

た。痛みが強くなってこうして寝ていても腹の方が痛み、それを押さえると背中の方が痛む。

背中の方を痛み止めすると腹の方が痛む、ようやく痛みを強く感じないようにやって

もらうようになって、ほん少し1週間も経ったかな、病院で倒れたらしい、血圧が低く、

ひとりで立てなくなっていたらしい。

その時に言われた言葉が大きなショックを受けたという事を話しだしました。

「これからMさん一人で立つようにしたら手足を拘束してしまいますよ」と言われた。

今時そのようなことをいう人はいないと思う。手足を縛られる状態では生きていたくないし、

自分はもうその時期なのかな~って・・・・・」

夫はここまで一気に話すとほっとしたのか大きく息を吐きました。






そしてその後の話は物事の内容と時間の前後が入れ替わるなど混乱していき、
本人も「話がごちゃごちゃになってしまい、わからなくなってしまった。」
「あなた、お話はここまでいいの」
「終わっていないけれど僕の話のまとめができていない」
「ショックのお話はこれでいいの、これからなの」
看護師は「しばらくお休みしてまた話をまとめておいてね。次に来るときに聞きますね。」と。

結局は看護師の交替で夫のおしゃべりはこの日の午前で打ち切りとなりました。






S病院でショックを受けたころは夫にとって痛みが一番きつかった時のように思います。

でもその辛さを私に訴えることはありませんでした。

心配かけたくないという妻を思う気持ちだったからでしょうか。黙っているだけでなく、

私に心配かけまいとして嘘もつきました。

夜中になると悪寒がひどく、その後の高熱が続いたこと、その辛さも知りませんでした。

たまたま私がまだ病室にいる時間にガタガタと悪寒が始まりびっくりしたのです。

看護師さんへコールするという私にいつもだから大丈夫だとその時も言いました。

立ってトイレに行ったら拘束しますよと言われたショックのこともこの朝の

S看護師とのおしゃべりで初めて知りました。



私が病室にいる時間ではわからないことにもっと気を付けて、夜間や早朝の体調について

看護師にきめ細かに聞いておくべきだったと後悔しました。






夫のたった3行のレター以後はS病院での痛みとの闘いであったと思います。

辛そうでした。私は何もできなくて自分の無力を嘆き虚しさを感じて過ごしていました。



夫の3回目の手術の夜でした。午後からの手術で終了が遅くなるので、私はその夜は夫の

病室(手術室へ移動後すぐ、今までの部屋から個室へ移動)で手術の終わるのを待っていました。

部屋から少し離れた左右の部屋から苦しそうな声が聞こえてきました。

最初はその声をよく理解できませんでした。年齢とった感じの人の声と、まだ若い人の声でした。

消灯時間となり、静まり返った病棟のどこかの部屋から漏れ聞こえる声が苦しそうな

うめき声であることに気が付きました。






ホスピスへ至るまでの5日間、体のあちこちの痛みで辛い苦しそうな様子を見ている時、

突然あの夜の苦しそうなうめき声が思い出されました。

夫は苦しさを直接的に声や態度に出すことはしませんでした。

声を出してうめくほど痛み苦しんだ夜があったのだろうと思います。



癌の痛みと倦怠感、悪寒と高熱(その原因がはっきりせず結果的に敗血症と言われた)

その辛さも今まで一番厳しかった頃だったろうと思います。そうした状況の中で、看護師から

言われた「手足を拘束しますからね」の言葉に夫は自分の体も心も壊れていく想いを味わった

のだろうと思います。

患者の安全を考えてそのように言ったことぐらい、夫の理性でわからないはずがありません。

「あなたがまた倒れてしまったら大変だから、そういったのよ、本気でそうするわけは

ないでしょう」といつもなら言ったことでしょう。でも私はそう言いませんでした。ただただ、

辛かった夫の言い分を受け止め「ひどいこと言われたのね」と声を掛けました。

そのように言った看護師の想いを夫に理解させることではなく、夫の想いをどこまでも受け入れ

夫に同調して夫を安心させたかったのです。

夫の心が体と同時進行で生への意欲を失いかけていることを感じるようになっていました。







今日は朝からおしゃべりして嬉しいと思ううちに夫の心が決して前向きでないことに気が付き、

寂しい半日を過すことになりました。このような時、私はよく夫の手を握りました。

「私のために生きてほしい」との思いを込めて。




画像は今日行った図書館の遊歩道の脇に咲くアジサイです。




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Last updated  August 3, 2017 11:14:39 PM
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