百田尚樹氏が、保守的意見の持ち主と言うことは、知っていたが、僕は、あまり、この人物に関心は無かったし、著書を著んだことは無かった。
しかし、このやり取りを読んで・・・なんとまあ、まともな事を主張している!と感じた。
そう、僕が、何度も繰り返せいてきているように、「リベラルたちのでたらめさを、僕と同じように指摘しているからだ。
「戦争いやだ・・・」「平和を守ろう・・・」 どれも、当たり前の話だ。その実現のために 何をするのか?と問われているときに、「外交的努力で・・・」「話し合いで・・・」「国連で・・・」と繰り返すばかり。これでは、議論が噛み合うはずが無い!!!
皆さんは、どう思われるか? 真剣に考えてほしい。
リベラルたちの意見は、あまりにも無責任で、ズルイ!!
きちんとした、対案なしに、国民を説得できるわけがない。その結果、ズルズルと国民の支持を失って、今日に至っているのだ。
過去の国民の純朴な反戦平和意識という貴重な遺産を食いつぶしてきた結果、リベラル派は、総崩れになっている。そのことについての反省が、全く無いのだ。
戦争によらずに、平和的な話し合いで解決するためにも、「安保」、「自衛隊」などが、しっかりバックになければ実現性は無いということを理解しようとはしない。
実際に「平和憲法」が有ろうが、無かろうが、戦争を仕掛ける側にとっては、どうでもいいことだ・・・これは、人類の歴史の教訓ではないか? 我々は、歴史から、何を学ぶべきだったのか??
わかりきった「戦争の悲惨さ」だけしか学べなかったとしたら、それこそ「悲惨」だ!! 毎年8月 15 日=敗戦記念日の前後には、マスメディアが、戦争特集記事を組んでいる。とても貴重な戦争体験など、語り伝えねばならない内容が載せられ、勉強させてもらっている。
同時に、僕は、違和感も感じているのだ。どの記事も、「戦争中は、こんな悲劇を体験した、もう戦争は繰り返さないで!」「玉砕や空襲で多くが殺された、今の平和をつなげよう!」・・・というところで、留まっているからだ。
その後が無い・・・ので、リベラルたちは、「だから安保反対で」「自衛隊反対で」と 短絡的に この「悲惨体験」を利用してきた・・・これは、どう考えても、おかしい・・・と思う。
「悲惨な戦争体験」から、(戦争は避けねばならない)(戦争では多くの民衆が不幸になる)と考えることは、極めて正しい認識だ。
だからこそ、そのために何をすべきなのか?真剣に考えるべきではないか? そのときに、この記事のあるように、リベラルたちは、「黙り込んでしまう」のだ。
何回も言うが、これって、「無責任ではない??」「卑怯ではない??」
皆さんは、どう思われるか? (はんぺん)
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北朝鮮暴発寸前でも「憲法 9 条を守れ」という人たちがいる、 百田尚樹氏と護憲派の対論
2017-9-14
デイリー新潮
北朝鮮の脅威が増すことで、日本の安全保障、危機管理について議論される機会も格段に増えた。朝の情報番組で「核シェアリング」の是非が議論されるような場面は、一昔前ならば考えられなかったことだろう。
もっとも、こうした風潮に警戒感を強める向きも少なくない。
たとえば、 東京新聞は 9 月 10 日付朝刊の社説 でこう述べている。
「戦力不保持の憲法 9 条改正を政治目標に掲げる安倍晋三首相の政権です。軍備増強と改憲の世論を盛り上げるために、北朝鮮の脅威をことさらあおるようなことがあっては、断じてなりません」
要するに、政権が改憲のために、北朝鮮の脅威をことさらあおることに注意せよ、という主張である。さらに社説はこう説く。
「国民の命と暮らしを守るのは政府の役目です。軍事的な脅威をあおるよりも、ミサイル発射や核実験をやめさせるよう外交努力を尽くすのが先決のはずです」
当然のことながら、日本は北朝鮮に限らず韓国、中国に対しても、軍事的な挑発行為を一切行なっていない。専守防衛を貫いており、そもそも敵基地攻撃能力すらない。国内においても、存在しない脅威をあおってはいない。
東京新聞は、 J アラートに意義を感じていないようだが、それならば紙面で報じなければいいだけのこと。もしも「いや、自衛隊のあれは軍事的挑発だ!」と主張する人がいるならば、それはどこかの意向を受けていると疑われても仕方がないだろう。
護憲派は非論理的・・・・
改憲は平和への道ではなく、むしろ日本を危うくするものだ、というのが東京新聞あるいは朝日新聞に代表される護憲派の立場である。しかし、脅威が現実化するなかで、これらは果たしてどこまで説得力を持つのだろうか 。
作家の百田尚樹氏は、新著『戦争と平和』のなかで、こうした護憲論者と何度も対話してきた内容を紹介している。 「憲法九条があれば戦争は起らない」という人たち と何度も議論してきたが、百田氏にはまったく論理的に思えなかったという(以下、引用は『戦争と平和』より)。
「呆れるのは、彼らの主張はまったく論理的ではないことです。私はむしろ私を説得してほしいという気持ちが心のどこかにあるのです。 『 9 条があるから、戦争が起こらない』ということを、論理を組み立てて、話してもらいたいと思っています。
その上で、私自身が、『なるほど、言われてみれば、その通りだ。 9 条というのは素晴らしい』と思えたら、明日にでも護憲派に転向してもいいと考えています」
しかし、これまでそのような論敵は現れていないという。百田氏と「護憲派」の対論は、たとえば次のようなものだそうだ。
「もし、他国が日本に武力攻撃してきたら、どうやって国土と国民の命を守るのですか」という質問に対しては、
「そうならないように努力する」
「話し合って解決する」
これは前述の社説とよく似ている。さらに、こんな答えも。
「もし、そんなことになれば、世界が黙っていない」
これに対して、百田氏が言い返す。
「あなたはチベットやウイグルの人が国土を奪われ、人民が虐殺されても、黙って見ているではありませんか」
すると、相手はチベットやウイグルと日本は違うと言う。
そこで百田氏はさらに問う。
「他国が武力侵攻しないということは、自衛隊はまったく必要がないということになるけど、あなたは自衛隊を失くしてしまえという主張ということで受け取っていいですか」
これでたいていの人が黙ってしまうのだという。
これは決して架空の問答ではない。百田氏は以前、「 TV タックル」で、国防の大切さを訴えて、 「国防軍と言うのは、家にたとえれば鍵のようなものだ 」と発言したことがあった。この時、共演していたのは、菅沼栄一郎氏。「ニュースステーション」でもお馴染みの元朝日新聞記者である。
百田氏に対して、菅沼氏はこう言った。
「鍵と言うなら、今のままで十分だ」
百田氏は、今の憲法で縛られている自衛隊では不十分だという意味で、
「もっと丈夫な鍵にしようということです」
と言った。すると、菅沼氏は、こう答えた。
「丈夫な鍵を付けると、相手はそれを壊すために、もっと強い武器を用意する(だから、鍵は弱い方がいい)」
百田氏は呆れてしまい、それ以上、議論する気が起きなかったという……。
菅沼氏の論理でいけば、北朝鮮の核開発もミサイル開発も、周辺国が丈夫な鍵を付けたからだということになるのだが、果たしてそんな事実はあるのだろうか。 百田氏が護憲派に転向する日は、はるか遠そうである。
ミサイルよりも反原発
なお、余談ながら、件の社説は結論近くでさらに論理を飛躍させている。
「そもそもミサイルが現実の脅威なら、なぜ原発を直ちに停止し、原発ゼロに政策転換しないのでしょう」
社説の表現を借りれば、北朝鮮を利用して、原発の脅威を「ことさらにあおり」、「反原発世論」を盛り上げようとしているようにも見えてしまうのである。
デイリー新潮編集部 2017 年 9 月 14 日 掲載
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