全35件 (35件中 1-35件目)
1
美樹は、19歳という年齢にしては大人っぽい。濃い目の化粧に真っ赤な口紅、淡い黄色のブラウスにブーツカットのジーンズと黒のブーツがよく似合う。「香奈は、3歳年上の先輩だけど美容院でも仲がよくて姉妹のような付き合いなの、岡山から京都へ逃げてきた時、心配で付いて来た!今度、ハワイへ行くことも香奈の叔母さんにお願いしたの!日本に居たくなかった。施設育ちで本当の両親の顔も知らないし、それに中学1年の時、施設からもらわれていった家のお父さんに工場の夜勤明けの昼間、変なことされたの!泣きながら養母に相談したら、ウチの人は犬畜生だ鬼だと怒って自分の経営する美容院の二階で私と暮らし始めた。でも、中学3年のとき、養母は寂しかったのかアノ男が再三詫びて迎えに来ると又、家へ戻り暮らし始めた。その時、私は家を飛び出していた。施設に戻り、中学を卒業してから先生の紹介で岡山市内の美容院の見習いとして働き始めたの!天涯孤独よ私___香奈とは、美容院で一緒、何でも話せるし信頼できるオネーサン!夢があるの香奈と私!2人で話したのよ、ハワイで一生懸命働いて頑張って美容院のお店を持つんだ!青田さんに伝えて、香奈が青田さんは良いお兄さんのような人。お願いだからこのままそっとしてください香奈の為に!ハワイから手紙出すと言ってた。マモルさん、両親いるんでしょう?「ウン、健在!父は、酒飲みで乱暴者、母は働き者で苦労人だけれど美樹ちゃんの境遇に比べれば幸せだよ。今、働きながら大学目指している。でも、これからは世界でビジネスをやるのが夢ならイギリスかアメリカへ留学したい。今、英語と少林寺拳法習っているんだけれど、英語の先生のコールマン女史がアメリカのテクニカルカレッジの留学特待生の制度があるので募集したらとアドバイスをいただいたので調べている。募集する予定なんだが、試験がある随分むずかしいらしい!美樹ちゃんは、すでに夢の切符は手に入れたね!運なんて何処に転がっているのか解らないね(笑う) 君を追いかけてハワイへいこうか(大笑い)」美樹はふと僕の頭を見ながら「髪の毛伸びているし、ヘアースタイルも格好良くない!私、明日カットしてあげる、任せて、これでも腕のよい美容師だから!これから、未成年同士で飲みに行こうか、もっと話したいわマモルと、」祇園ホテルのロビーの時計は10時を過ぎていた。______次回は~第九編 香奈ちゃん、美樹ハワイへ旅立つ
2006.09.06
コメント(0)
祇園のスナック古都へ何度か青田さんと2人で飲みに行ったが香奈ちゃんは店にはいなかった。ママは、伏し目がちに「そうとしといて、おくれやす!」と言うだけで、唯、口を閉ざすばかり、青田さんは、「ママ、会わせてえな!」と大きな身体をゆすりながら子供のように駄々をこねる。 「青田さん、香奈はもう直ぐにハワイへ行く。他のお客さんに迷惑掛かるよって堪忍どす、帰っておくれやす。」九月の初めにもなると夜の京都の北山は、ぐっと涼しくなる。銭湯の部屋の2階の窓を閉めてアルバイトの疲れた身体を、「うとうと!」と煎餅布団に横たえ眠りをむさぼり始めた頃、バタバタと大きな足音、バターンとドアが開く、びっくりして眼を覚ますと青田さんの大きなアンパン顔、「こんな夜中にどうしたんですか!用事在るんやったら明日にしてください。眠いんです僕、おやすみなさい!」青田さん「まもるくん、悪い悪い一大事なんや!香奈ちゃんの居所がわかったので明日、一緒に行ってくれないか?スナックの安江という子がママに内緒で可哀想やと言うて教えてくれた。、明日会社終わってから行くので頼む!」自分の用件だけ言って、又、バタバタと足音を残して帰って行った。「ヤレ、ヤレヤレ」高瀬川の柳がゆらゆらと風に揺れ「青田、振られるな!ふれふれ頑張れ」祇園の外れを上がったところの高瀬川沿いの小奇麗な小さなマンションの参階のママの借りた部屋に香奈ちゃんが住んでいるらしい、「トントン」青田さんがドアを叩くと「ハイ!どちらさん!」ハスキーな若い声が聞こえドアが開く。香奈ちゃんとは違うモダンなセクシー顔が覗いた「青田といいます、香奈ちゃんの知り合いですがいらっしゃいますか?」「香奈は、居るけれど誰にも会わんと言っていますが、叔母さんからも止められています。帰ってください!」「あなたは、香奈ちゃんとどんな関係ですか!僕は、青田さんの友達でマモルといいます。青田さんは香奈ちゃんが好きで結婚まで申し込み断られました。ママからハワイに行くと聞いて最後に話させて欲しいとここに来ました。会わせてください!」「私は、香奈の岡山の美容院で一緒に働いていた友達の美樹よ!あんた達、香奈の身の上話知ってるでしょう!私もハワイへ香奈と一緒に行くのチンピラヤクザの譲治が務所出て来たら殺されるわ香奈、事情知ってたら帰ってね。叔母さんに怒られる!」「美樹さんといったね。あなたは香奈ちゃんの友達、僕も彼の友達、友達同士で近くの喫茶店で話さないか!」「マモルさん、今日は無理ね!叔母さんと香奈に相談してからね、多分難しいと思うけれど?」青田さん「又、出直そう。この子に君の風呂屋の電話番号教えたり!」二人で木屋町のしょぼくれたショットバーでハイボールを飲みながら「香奈ちゃんがハワイへ行くなら、僕もハワイへ行く!」「青田さん、ハワイで何の仕事するんですか?」「知り合いの友達に少林寺の師範がいて、ハワイの道場で教えている。その人が土産物屋を経営している、ビザの関係もあるので少林寺を習って師範の補佐ということで渡航して働くもう段取りしてある。君も一緒や!」「えー!渡航滞在費お金は?英語は!」 僕は、大パニックに!!!!「全部、僕に任しとき!少林寺の道場は明日から週に3回夜の7時から行こうか!英語は、妹の彼氏のボブに習うけれど、君は、先生探しとき、僕とはレベルが違うから働いて、ハワイ大学へでも留学出来る。君は頭が良いから大丈夫や!」「ヤレ、ヤレヤレ!!」英語の先生は、ドイツ人で貿易会社の社長の秘書コールマン女史を知人に紹介され、道場、コールマンさんの自宅での英会話、車の会社のアルバイト、銭湯の番台、物凄く忙しくなった。銭湯の婆さんが「マモル、美樹という子から電話や!彼女か青江美奈みたいなかすれ声や、浅田飴でもプレゼントしたり!」「もしもし、覚えてる香奈の友達の美樹です。香奈と叔母さんに相談したの、叔母さんの話によると青田さんのお父さんがスナックに来られ、馬鹿息子が、突然ハワイに行きたいと言うので、びっくりして事情を聞くとママの姪御さんと結婚したいと言う、ところが彼女がハワイへ行くので追いかけると!全部、息子の話も聞かずママのところに来たと。叔母さんは内緒にしたことを謝り事情を話ししたの。当然、お父さんは反対したらしいわ!ところが、貴方が私と友達同士で話しするならそうしてやってくれと言うことなの!結局、デートすることになるのよ(笑う)!それじゃ、お休み!連絡するね」余り知らないのに随分馴れ馴れしい女だ!!祇園ホテルの喫茶店の片隅で美樹と僕はコーヒを飲みながら話をした。7時にもなると同伴待ち合わせのカップルが入ってきていつの間にか満席になっていく。「私達、10日後にハワイへ旅立つの、香奈も私も日本でいいことなかったわ!私は、施設で育って両親のこと知らないの8歳の時、養子にもらわれ育てられて養母が美容師だったので幼い頃から美容院を持つことが夢だった。」美樹と僕はいつの間にか恋人同士のように話しこんでいた。続く~第八編~アメリカ留学への憧れ
2006.08.31
コメント(0)
夕暮れも過ぎて夜の鴨川の川床に涼しい風が靡く。優しい光の中から提灯がそっと頬笑み「今日も暑かったね」と言ってくれているような風情を醸し出す。スナック古都のママ 京子は、岡山の井原市から30年前京都の花かんざしの職人に嫁いで来たが、結婚してすぐに旦那が脳梗塞で倒れた為、夫の病院代と生活費を稼ぐ為、仕方なく水商売の道に入った。子供ができなかった為寂しかったがその分、夜の商売に没頭し数年後、旦那が亡くなったのを機会に愛人の援助でスナック古都をオープンした。青田さんの恋する乙女「香奈ちゃん」は、ママ京子の姪で半年前岡山から来京しスナック古都で働いている。「青田さん、香奈はここへはこーへん!あんたが店で急に結婚してくれて言うもんやからびっくりして、ママにはっきり断ってきて言うから来ましたが!普通の人やったら、うちは、冗談やろで終わってたわ!青田さんのお父さんとは長いお付き合いでお世話になってます。そこの息子さんが姪の香奈と一緒にさせてくれやなんて信じられへん!青田先生に、うちが怒られるわ!香奈の事情はよう知ってくれてはりますな!青田さん」「ウン!何もかも知ってる、それを承知でお願いしてる!香奈が好きで好きでたまらんし 夢うつつで仕事が手につかんのや!」「香奈は可哀想な子や、美容専門学校を出て岡山市内の美容院で働いているところをヤクザもんのちんぴらに目をつけられて巧いこと言い寄られて一緒になった。香奈も子供やからヤクザて知らんかった。最初は、甘い言葉で優しくしてたがどんどん本性を表してきて気に入らんと殴る蹴る、美容院も辞めさせキャバレーで働かさせ、働いたお金は巻き上げる、あの子何回も逃げた、そやけど組のもんつこうてしつこくさがすんや、警察にもいったが相手にされん!地獄やなあいつらにかかったら!その男な、半年前に傷害と恐喝で捕まって、この子逃げてきたウチを頼ってな!多分、前科があるから懲役やろう!出てくるまでに何とかせなあかんのや!香奈は、最近少し落ち着いてきた、店では努めて明るくしてるが凄い不安やろ!もう、叔母ちゃん日本に居たくない皆に迷惑かけるだけや言うて帰ったら泣いてな!香奈の夢は、自分で美容院の店を持つことや、うちはこの子の死んだ母親の為にもなんとしても幸せにしてやりたいんや!ちょうど、知り合いのお客さんで親戚がハワイのホノルルで美容院を経営してるので話をしてやってもいいとゆうとくれやすのでお願いしてます!青田さん、そんなわけや香奈をそっとしといてお願いや、堪忍してや!」ママは、そっと涙を拭いた。いつしか鱧会席の料理の皿や椀がお膳に一杯になっていた。川床を出て先斗町を青田さんと歩く、すると青田さん「僕が香奈ちゃんを守る。ハワイへ一緒に行くんや、まもる君も一緒やで、妹に英語教えてもらおうな!」??????????続く~次は第7編愛と青春よさようならイン アメリカ~青田さんの恋する乙女ハワイへ
2006.08.30
コメント(0)
夏の終わりの京都の残暑は厳しい。三条大橋から鴨川の河原には、夕刻ともなると涼を求める人達で賑って来る。京都の先斗町鴨川の有名な鱧料理屋の川床で、青田さんと恋する乙女「香奈チャン?」僕と3人で、高級鱧料理の会席にを食べながら!僕は内心「この女、物凄いきつい化粧して化粧臭くてたまらん、スタイルも悪いし狐顔して、何処に惚れたのかな青田さん、それにごつい年や!ひょっとすると年増好みかな!」青田さん「ママ、紹介する僕の友達のマモル君、公立の技術系の短大に通っていたんやが、入学して、すぐに法律の勉強したいので学校辞めるとお父さんに言うたらボコボコに殴られて家出して一緒の会社で働いている。これから僕と店にも飲みに行くから宜しくたのむわ!」紹介されながら、僕は、家出した1年前のことを思い出していた。短大の付属高校から短大に進学して半年がたっていた。高校の校風にもなじめず、好きでもない科目を選択し、父への反発もあった僕は、全く、勉強にも身が入ら無かった。それに、1年生の時に、つまらない喧嘩がもとで問題児のレッテルを貼られてからは学校嫌いに拍車がかかり、父と馬があわず何回と無く家出を繰り返す僕を心配してくれた担任の先生が辛抱強く支えてくれ、かろうじて卒業させ進学した短大だった。家庭訪問をすると母に「彼は、中学では勉強も抜群にできて知能指数も相当高い。きっと立ち直りますから諦めないでくださいね!」先生の言葉が唯一の希望だった母、しかし、父は「お前の教育が悪いからマモルは不良になった!」と酒を飲みながら愚痴る毎日だった。僕は決心していた「家を出よう!このままでは母が苦しむだけだ。働いて大学に行こう!」母に、作らせた沢山の酒の肴を口にしながら機嫌よくコップ酒を傾ける父に「僕、短大辞めて働いて別の大学に行く、」酔っ払って眼の据わった父は、いきなりお膳をひっくり返して大きな手で何回も殴った。殴りながら父は、「おまえは、高校の時から天ぷら学生の不良やった。せっかく付属の短大に入れたのにやめるっ!苦労して高校出したのに、もう出て行け縁切りや!」 僕は、悔しくって泣きながら「アンタは、俺の授業料なんか全然出してへん!稼ぎは、酒代と道楽に使って、家も傾いた小さなボロッチョイ家に住んで、僕は友達にも馬鹿にされっぱなしや、知ってるんか、不良不良やいうんやったらヤクザにでもなったる!、暴力ばかり振るって、オカーちゃんが寝ないで内職して学校出したんや!出ていったるわ__ワーンワーン」母は、小さな身体を震わせ泣きながら「マモル、謝れ口答えしたらアカン!アンタ、堪忍してやってや!」 父は、持っていた35度の焼酎の入ったコップ酒をぐっと飲み干し、漬物樽の石を掴んだ。身の危険を感じた僕は「ウワー」と咄嗟に逃げる、「ドスン」と後ろから大きな音がした。父との長い確執から逃れる瞬間だったが、母にマタマタ心配を掛ける後ろめたさで胸がはちきれそうだッた。それから、友達の家、大阪の叔母さん、山科の叔父さん家を転々として、やっと母の口添えで山科の叔父さん家に働く先と下宿が見つかる迄、居候させてもらうことになる。それから、叔父さんの紹介で車の会社でアルバイトをすることになり青田さんと出会うことになる ______________~続く第6編へ~青田さんの好きな人の夢と理想
2006.08.25
コメント(0)
早速、次の日曜日、青田さんから招待され京都岡崎公園傍にある青田邸に遊びに行った。静かな、たたずまいの大きな回廊の日本庭園のある旧邸の応接室に通される。少し、緊張して待っていると青田さんがお父さんと一緒に入って来られた。挨拶すると伊藤博文に似た立派な髭を蓄えたお父さんが「あなたの事は、息子の彰郎(あきお)から聞きました。息子は、随分年上ですが頼りなくお思いでしょう。しかし、曇りの無い純粋 さと愚直さが取り柄です、なかなか理解されるお人は少ない(笑う)。それでも良ければこの子と付き合ってやって下さい!何か迷惑を掛けることがあれば相談してください、出来ることはさせて頂きます。不憫で可愛い奴ですので突き放すことが出来ないのです。親ばかですな!(笑う)兎に角、ゆっっくり遊んで行って下さい。良いかな 彰郎!それじゃ失礼!」父の愛情をかみ締めるように青田さんは、お父さんの話を神妙に聞いていた。昼ごはんを5歳年下の妹千賀子さんと一緒に食べることになり紹介されたがあまりの綺麗さにうっとりするほどの美人だ!、アメリカのシカゴ大学を卒業し、現在、京大の大学院で経済学の勉強をしている才媛のお嬢さんだった。二人の話によると、青田さんのお母さんは、10年前に突然他界し家族3人と住み込みのお手伝いさんの4人暮らしで、当家は古くから続く資産家なので特別にしきたりや世間体を気にして生きていかなければいけない窮屈な生活を強いられるということや、千賀子さんにアメリカ人の恋人がいて結婚したいが親戚の皆が反対していることなど昼ごはんの鰻丼を食べながら雑談した。青田さんは、話をしながら本当に楽しそうだった。青田さんは、僕の面倒も良くみてくれた。金が無いので安い下宿を探していると聞くと、早速、深泥ケ池という所の老夫婦の経営する銭湯の弐階が空いていて、時々、銭湯の番台に座るだけで家賃を格安にしてくれるというので、早速、引っ越した。アルバイトから帰ってきて、お爺さんと番台を交代して女湯を上眼遣いに見てみると堂々、全裸熟女のオンパレード、毎日、毎日!!!!うんざり!それから、安くてうまい食堂、居酒屋、クリーニング屋、質屋、マージャン屋、サウナ、バッティングセンター、金が無いからセックス処理にも困るだろうと学生割引の効く団栗橋の赤線の売春婦、格安の金に困った家庭教師。_______兎に角、顔が広くて良く知っている。車の会社で営業に配属された青田さん、三ヵ月間、毎日百件の飛び込み訪問を課せられる、同輩は、朝早く出て夕方6時頃帰ってきて嘘の日報を書いて帰る人が殆どで研修中は、要領よくやっても裏を取られることがない。ところが青田さん、本当に毎日百件回り、深夜の帰社になりいつの間にかガードマンと仲良くなり、会社に泊まることが多くなる。ベッドはソファー、髭剃りも洗顔もトイレで!夜の訪問先は、祇園や木屋町の歓楽街だったらしい。それで暫くは、会えなかったが、突然連絡があって相談したいことがあるから会いたいとのこと、何の相談かと聞いてみると、「好きな女ができたので会ってくれ、祇園のスナックの女の子で可愛いい良い子なんだ、結婚したいから一緒に口説いてくれ!」どうやら、夜の飛び込み訪問でひと目惚れしたらしい?__ ヤレヤレ!!! ~続く~ 第五編へ____ もう暫くアメリカ行きはお待ちください__
2006.08.23
コメント(0)
チャイニーズの友人マイケル・リーの紹介でこのアパートメントに引っ越して2ヶ月、1ルームの30平方メートルほどの部屋に安物のシングルベッドが4台、国籍の違う若者がお互いのプライベートに立ち入らず、必要なこと意外の言葉を交わすこともコミニュケーションもない奇妙な共同生活。ときどき夜中に、アラブ人の飼っているインコが鳥籠からうるさく鳴いたり、解らないアラブ語でムハンマドの啓示を結集したコーランを読誦するといったことがあるが眠るには問題はない。互いの習慣や食べ物の違いもそれぞれが暗黙で了解しながら別々に行動する。兎に角、月に50ドルずつの家賃は貧乏人にとっては有難い。1年半前、京都で車の会社でアルバイトをしながら地元の大学を目指していた僕は、近畿大学の農学部を2浪して入学、そして8年掛けて卒業した30歳の青田さんという人と出会う、僕がアルバイトをしている車の会社にセールスマンとしてガッツを買われて採用され、新入社員として車の電装関係の勉強で工場に研修に来ていた。偶然、、電装の組み立ての作業をしていた僕が教官の補佐をして説明していたところ、とても新人とは思えぬ眼鏡を掛けた大柄なオッサンが僕に質問する、電装のサーキットに関する件だったがいくら噛み砕いて丁寧に説明しても理解できない。教官が後で教えてやってくれというので終わってから特別に時間をとる事にした。青田さんとの運命の出会いはここから始まる。説明が終わると解ったのか「フウン、君はたいしたものだ。解りやすく説明してくれた、今までに、こんな良い先生はいなかった。君のような家庭教師がいてくれたなら俺は、勉強の苦労はなかった。京大にも入れたのに!」3時間以上も掛けた説明だったが、当たり前に教えただけなのに青田さん感服して!どうなったのか?腹が減ったというと、今日は僕がご馳走すると青田さん、ビールと分厚いステーキをご馳走になりお茶を飲んでいると「僕の親父は、高校の校長で府の数学研究会の会長をやっている。親父は、一人息子のお前は出来が悪く、わしの立場からすると世間が狭い、不憫で可愛いから精一杯のことはするが馬鹿にするような友達とは付き合うな、皆、頭が悪い、悪いといって馬鹿にしている!本当にお前のことを思ってくれる友達を探して付き合いなさい!君は、年下だけれど馬鹿にせず一生懸命教えてくれた。友達になってくれ!親父にも会ってくれ」青田さんの話を聞くと、資産家の息子である人の良い彼を金銭面で利用した人達からの尻拭いを何も言わずお父さんはしてくれたそうである。変に見込まれた僕だが、青田さんの簡単に人を信用する人柄と純情さを利用する人から彼を守ってやりたい正義感が柄にもなく沸々と沸いてきた_____。青田さんの縁で僕は、青田さん他4名とアメリカへ行くことになるが、彼のことを書きすぎた為、物語は直ぐに終われそうにない。従って、3篇書いたので次は第4篇とします。
2006.08.22
コメント(0)
ライアン氏の会社のオフイスはサンフランシスコ市内のダウンタウンのフィッシャマンズワーフの近くにあり、すぐ前には名物のケーブルカーが走っている。倉庫を綺麗に改造したオフイスには、50人足らずの社員が忙しく働いている。娘のマリーは、UCLAバークレー校で学びながら父の仕事の手伝いをしてビジネスの勉強をしていた、ライアン氏は、この一人娘に将来会社を継がせ、眼鏡に適う男を婿に迎える計画だった。勿論、日本人以外!マリーは、母親キャロル譲りの綺麗なブロンドの長いヘアーを後ろで束ね、茶目っ気たっぷりの小柄なグラマー美人、UCLAでは、当時では珍しいバイオロジーを専攻し,、親友の日系3世のスミコ・相川の影響もあって日本文化に興味を示していた。スミコの家に遊びに行った時、、日本の神社、仏閣、伝統工芸品、歌舞伎、祭り、着物等の話を本や写真をみながら聞くのがマリーの大きな楽しみだったが、父の日本人が嫌いなことを知っているので内緒の楽しみにしている。ライアン氏は、日本とのビジネスが忙しくなるにつれ 日本語の通訳、翻訳、マニュアル、エクスポート業務等の5人の日本人スタッフをテンポラリーで仕方なく雇い、嫌な感情を胸に隠し、オンリーマニー、オンリーマニーと自分に言い聞かせ独特のダミースマイルを振りまき接していた。5人の日本人のスタッフの中に、マリーの友達スミコの紹介で半年前から機械マニュアルの日本語翻訳スタッフとして僕は働いている。日本から留学生としてUCLA バークレー校に在籍して1年になるが半年前から殆ど学校に行ってない。ダウンタウンのチャイニーズタウンの古い汚いアパートメントでアラブ人、中国人,インド人との4人のフラットシェアの共同生活、兎に角、金がなかった 。__________________~続く~ 次は続続編です。
2006.08.21
コメント(0)
サンフランシスコ郊外サクラメントの高級住宅街、繊維機械商社を営むライアン・ブッシュネル氏の自宅の書斎で、ライアン氏は可愛い一人娘マリーの愛した男について憂慮していた。「マリーがジャップを愛するなんて信じられん!日本に行く!結婚したいだって!マリーは20歳になったばかりじゃないか!相手のジャップも餓鬼で同じ歳の大学生、しかも、わしの会社でアルバイトをしてやっと食っている!どうしてやっていけるんだ。ままごと遊び、いや、俺の財産を奴は狙っているのか!どんなことをしても別れさせる!マリーの幸せの為に!マモルとかいうジャップには、知り合いのチャイニーズ、チャンさんに別れろとマニーで説得させ、文句を言うなら脅してもいいと!マリーはとりあえず、モントレーの兄貴ジョンに預けて説得させよう!」今晩のライアン氏は、酔いも手伝って怒りと失望で殆ど錯乱していた。彼は、若い頃太平洋戦争に従軍してフィリッピンで日本軍の捕虜になった経験があり、日本人には特別な偏見と憎しみを持っていたが、金儲けには、貪欲でビジネスライクに割り切る合理性もある。最近、日本市場の有望さに眼をつけ東京に支店を設けてビジネスを拡大させる計画もあった。____~続く!~
2006.08.20
コメント(0)
まだ寒い初春のいつもの散歩道、梅園に咲く綺麗な梅の花、僕の頭の中は白い花で一杯になり、梅の香りが鼻から体を包み込む。 いつもの僕は、梅園に張り巡らされた2メートルもの有刺鉄線を飛び越える勇気を仕舞い込む冷静さを持ち合わせていた。 今朝は、鉄線を飛び越える勇気を持っていた。厚いトレーナーに隠れた体がズタズタに傷つきひりひりするような痛みも感じず、無意識に忍者のように! 桃源郷の家にどうして帰ったのか、オンナが血だらけのトレーナーを脱がし、傷だらけの僕の体を一生懸命拭いている、大きなクリスタルガラスの花瓶に一輪の白い梅の花、蜃気楼のような薄れた意識の中に!それっきり、僕の意識は無くなった。 どれぐらいの時間が足っただろうか、意識が戻ると同時にひりひりする痛みが体全体を襲う、洗濯したての青いコーデュロイのポロのパジャマを脱いだ裸には、イソジンで消毒した無数の引っ掻き傷があった。 窓の外は、日もすっかり暮れ夕闇が迫っている、蛍光灯の明かりをつけ少し寒いので電気ストーブのスイッチを入れる。 空腹を感じるのと同時にいつものカン高い声 「おなかすいたね! 今晩の夕食は、もんじゃ焼,玄関の梅の花綺麗よ!、よく、梅園の有刺鉄線乗り越えたわね!管理人さんと一緒に見に行ったけれど殆ど超えるの不可能よ!あなたは、傷だらけのおばかな忍者さんよ!!!」 いくら思い出しても、どんな方法で鉄線を乗り越え白い梅のついた枝を持ち帰ったのか記憶が無い、 家族と仕事を失って半年が経っていた。その後も、奇妙で不思議な行動が僕を襲っていく__________________ そして、玄関の大きなクリスタルガラスの花瓶には白い綺麗な梅の花がはっきりと見えた。
2006.08.17
コメント(1)
「マモル、おとさんの酒がなくなった。買いに行ってくれんかね!」汗だくになりながら母は末っ子の弟を背負って、父が琵琶湖岸で獲ってきた大きな鯉を器用な手つきでさばいていた。 父の道楽の投網で魚を獲りに行くとき、僕を琵琶湖畔や愛知川、宇曽川に連れて行くこともあり、雨の降った後、50メートルも流され父は懸命に僕を助け、肝を冷やすこともあった。 収穫に満足したのか、父の一升瓶は、いつもより速いペースで空っぽになり酔った眼は、昇天して刺身になる鯉の眼に似ていた。 父の買ってきた週刊誌を訳も分からず読んでいた僕は、母の汗まみれのすまなさそうな顔を見つめ「ウン、行ってくる!」 小さな腕に、魚臭い一升瓶を持ち 怖い暗い小さな細道を一生懸命走った。 狐や狸が出る林や火の玉が飛び交う墓場を眼を瞑りながら「うわー!うわー!」と叫びながら灯かりの街へ ___________ 突然 「ウーン!ウーン 殺されるもんけ」と暗闇の畦道に横たわった幽霊のような人の声 「わー!出た幽霊」恐怖でおしっこが漏れ凍りつく僕、すると酒臭い空気が漂い人の顔がある、かすかに見える歯の抜けた真っ黒い顔に見覚えがある「なんや、喜平のおじさんかびっくりしたわ!又、街で飲んだんか」「お前は、誰やグ グ 軍曹殿か」 それっきり眠り込んでしまった喜平さん「はよ いかな 酒屋が閉まる 怒られるわ僕」 風邪を引くからとゆすってもゆすっても高鼾をかいて動かなかった。 一目散に走って閉まりかけた知り合いの酒屋さんに、樽から割らずに持ってきた一升瓶に安酒を分けてもらい「暗いのにご苦労さんやな!この飴玉しゃぶれ、きつけてな、ビン割ったら厭かんで あんたのおとっつぁんごっつう怖いでなー」 気をつけて 気をつけて 酒の入った重い一升瓶を風呂敷に包み酒屋に手伝ってもらって背中に背負い(ふうーふうー)といいながら倍の時間を掛けて一生懸命もと来た道を帰るが畦道に心配した喜平さんはいなかった。 「遅かったな!心配したで遅いというて怒られたので 敏子さんとこで酒借りた、お父さん酔って眠っている。」母は、赤ん坊の弟のおしめを替えながら申し訳無さそうに言った。 一生懸命、恐怖と戦いながらお使いに行ってきたのに怒りがこみ上げる。 「行く途中で近所の喜平さん、酔っ払って畦道で寝てたで!幽霊かと思ってびっくりしておしっこチビッタ! 帰りは消えてた。」 「あほか!はよパンツ着替えて」 そして小さな声で「大酒飲みは要らん、あんたのお父さんは、時々暴力振るうけどお母さんとあんたらだけや!喜平さんは、酒を飲まんと物凄くよい人で正気の時はおとなしい人や、うちの人は正気でも腹立ったらすぐ殴る短気ものや!喜サンは酒乱やから少しの酒でも酔って我を忘れ近所で暴れる、いつも、娘の喜代子や奥さんの由紀子さんが家から逃げると外で大声で暴れまくる。喜さんの酔った声が聞こえると、皆が雨戸を閉めて無視するんや!何でも聞いた話では、太平洋戦争で南方に従軍して何人も人を殺した、復員してからショックで妄想が起こり酒で紛らわすうちアルコール中毒になったんや、暫く入院して酒も飲まんようになり良くなったが、又、酒に手を出すようになった。ウチのと一緒で気が弱いんや!!」 いつの間にか母の声は大きくなっていた。 翌日、学校から帰ると喜平さんと会ったが、昨晩、何事もなかったかのように畑で鍬をふるっている。 「オツさん、昨日の晩大丈夫だった」「何か、あったのか!おっさん元気やで、マモルよ 勉強して偉くなってお母さん楽にしてやりや」と折れた前歯を、にーとむき出し笑った。喜平さんの酒乱は、その後も続く_____酔って畑で寝っ転び、マムシに噛まれ血清も打たずになんともなく死ななかったこと、酔って車にぶつかり頭を轢かれ、病院に運ばれ手術を受け一命をとりとめ後遺症もなく元気になったこと、酒に酔って耕運機を運転して踏み切りで立ち往生したが、貨物列車が接近する直前に逃げ危機一髪助かる、列車は脱線転覆して東海道線は不通(この時はオッサン正気だったのか)列車転覆往来罪、JRの莫大な損害賠償も精神病院を行ったり来たりで生活保護を受け財産もないオッサンには関係なかったそうだ。 不死身のオッサンも大半を精神病院で過ごすことになるが80歳まで生きたという ___________
2006.08.15
コメント(3)
20年前、東京世田谷の用賀に本社のある会社で役員をしていた頃、近くの旧徳川邸の森に囲まれた閑静な広大な敷地の高級スポーツクラブのメンバー会員に入会し、週に何度か利用した。クラブには、有名なプロレスラーや俳優、タレント、金持ちマダム、実業家が大勢、来館しトレーニングやエクセサイズに励んでいた。サウナで汗を流しサロンで冷たいドリンクを飲みながらリラックスすると仕事の疲れも忘れてしまう。当時、シカゴの現地法人の立ち上げで長期の海外出張が続き、ここでリラックスするのが楽しみだった。ここで知り合った,大手T 映画の社長の息子 OD氏(元俳優)、S 映画の社長の息子OR氏(プロデューサー)、8年後、メディアミックスの仕事の関係で付き合いすることになる OD氏、OR氏は共に常務として活躍されていた。特に、OR 氏は話題映画のプロデューサー、監督として絶頂期、OD 氏は社内のワークが中心ネームヴァリュウの主役をOR 氏に譲っていた。ライバルとして競っていた二人の2代目の性格は対照的でOD氏は、温厚で謙虚、気配りの人。 OR 氏は、反対にエネルギッシュだが少し強引で、気配りは薄いという印象がある。数年後、事情があってビジネスからすっかり身を引くことになってから新聞報道で、OR 氏は T映画の社長に就任、対するOR氏は 会長の父が強硬に息子を社長に推すために画策、権力闘争に発展して敗れ失脚した。政治家、経営者の二代目の世襲は父も息子も十分なプロセスが必要か!!!!何もないものの気苦労なしは負け犬の遠吠え?
2006.08.14
コメント(2)
東京は広くて大きい、日本の政治、経済の機能がこの大都会に集中している為、夢と希望と成功を求め多くの人たちがどこからともなくやって来る。 東京都のGDP(国内総生産)は、オーストラリアより高く世界で13番目、1人あたりのGDP は世界第3位ということがこの都市の凄さを示している。 貧困と餓えだけで人口が増加している発展途上国の大都市と違い成熟した東京には、能力、センスの高い人達にはトレンディとインテリジェンスな成功のチャンスも待っている。 多くのビジネス分野で成功し活躍している人達もいるが、もう少しで成功の美酒を味わえたのに!!!!! 不運としかいいようのない男もいる。 青山の高層ビルに本社を構え、ソフト開発製作の会社 J Pを経営する柏木氏、中央大学から東芝の関連会社で部長を経験して部下と会社を設立し独立、10年で年商15億、社員100名の会社に育てた人物である。 成長の要因は、彼の実力もあるが部下に優秀な幹部が数名いたことと技術力があり、有名メーカーが取引先だったということだろう。 彼とは、仕事の取引先で年齢が同じということもあり、大手会社の役員だった私とたまに飲みに行き、少し繊細でオープンすぎるところが気になったが、ビジネスの相談にも乗る、良き友人の関係だった。 フィリッピンのセブ市に子会社を作ったときも、現地パーティに招かれフィリッピンの工業大臣、現地財閥オーナーと一緒にゴルフもするなど兎に角、当時絶頂期にあった。 セブ子会社の社長にはセメント会社のアメリカ駐在員だった彼の甥を就任させる。甥は、範和君という大柄のエネルギッシユで野心家といった青年で余り好感は持てなかった。 会社をジャスダックに上場させる計画で準備を進め、出資者も集め総てが順調、着実にI T長者の階段を昇り始めた。 彼が病魔に襲われたのは、それから1年後、病名は急性ウイルス性骨髄炎、脳にウイルスが侵入する危険な病気。 会社をとりあえず専務に任せ、懸命に治療、幸い一命はとりとめたが半年間の療養を余儀なくされた。 病気が完治した半年後、彼の奇行が始まるのだ。 社長室に、幹部社員の似顔絵を描き壁に貼り、独り言をブツブツ言う、医者から禁煙を言い渡されているのにタバコをぷかぷか。セックスは、病気に良いと会社の経費で吉原のソープ通い。Tシャツと半ズボン姿のローラースケーター持参のご出勤。イスラム教に改信してコーランの儀式、奇行をあげれば切りがない。 当然、、奥さん、社員は困惑した。 会社の緊急対策として役員会で甥の範和を社長代行として乗り切っていこうということになり、それを伝えると逆上し激怒し、「皆、首だ首 」 結局、奥さんが憂慮して医者と相談、セブで奥さん同行で療養することになる。彼と彼の奥さんから会社を助けて欲しいとの連絡があり、私もセブへ同行することになる。 ところがセブで待っていたのは、彼の吉原の馴染みのソープのオンナ、「治療のため 呼んだんだ」と彼、奥さんは怒って帰国したらしい。当たり前だろかわいそうに!!! ショッピングセンターでも眼鏡を20個、帽子を30個、貴金属も体中ジャラジャラ。クレジットでいっぱい買った。可哀想だが退散帰国!!!!!! その後、奥さんと離婚、幹部は愛想をつかして全員辞め会社は倒産した。彼は、精神病院に入院した、本当に不運な男だった!!!!!!!
2006.08.13
コメント(2)
61年前の太平洋戦争は、出征し荒廃した内地に帰還の多くの若者から夢と希望を失った。 僕の父も、20歳で召集令状の赤紙を大日本帝国から賜り、皆に「万歳!」と祝福され満州国に出征、現地の野戦病院で衛生兵として従軍した。 戦争のことは、多く語ることはなかったが、凛々しい軍服姿で馬に乗る父、野戦病院の看護婦達と一緒に撮った笑顔の父、2枚の写真が唯一持ち帰ったものだった。 10年間の長い兵隊生活から敗戦により帰還した父は、荒廃した日本を羨み、戦争を憎んだ。 妾の子供として生まれた為、いじめを危惧した祖父が召集前に本妻と離婚し妾腹の子ではなく祖父の姓で出征、幸い前線で戦うことなく、命拾いした。 祖父は、戦前、小さな土建業、仲買業を営み、別れた本妻に財産の大半を与えた位の豪放な人物だったらしい。 一人息子の帰還を待っていた祖父は、終戦の2年前脳卒中を患い病床にあり、別れた本妻と自分の娘と婿に分け与えた財産の他、与えていない土地までも取られ、小さな傾いた家と少しばかりの田畑だけで、残したお金、国債などは戦争により紙切れになった。 不幸なことに、祖父の世話をしていた祖母までが脳梗塞で倒れ、父は途方にくれる。困った父は、祖父の異母弟に相談した。 可愛いい甥の為にと強引に従姉妹(僕の母)と為る娘を嫁がせる、不条理な結婚!母には好きな人もいたらしい。 祖父の知人から土建の仕事を得た父のその後は、満州で覚えた強い酒を飲み狂ったように母に暴力を振るようになる。 青春を取り戻すかのように!!!!! 僕が小学2年生のとき、6歳違いの弟の使ったおしめが土間においてあると言う理由だけで僕達に近所のもらい風呂に行かせ、暴力を振るった父、帰ってくると、母は、真っ赤に腫らした顔と涙を子供達に見せまいと必死に作り笑顔を僕達に、 父は、酒臭い息を吐き大の字に仰向けになり何事もなかった様に眠っている。 翌日、学校の授業中、母の腫らした涙の作り笑顔を思い出し教科書で顔を隠し泣いている小さな僕がいた。 体を壊していた母と噂にする父の暴力を心配した祖父が迎えに来ると母は愚痴も言わず子供の為と我慢した。何の楽しみの為に生きてきたのか母は、苦労に苦労を重ね若くして亡くなる!!!!!! 戦争で失われた青春の失意を気の弱い父は、酒と母、こども達への暴力にぶつけたが母を亡くしてからの父は、寂しさと失意の日々を送ることになり10年前に他界する。 戦争の被害者は、父だけではない、母も僕達も被害者なのかも知れない!!!!!!!
2006.08.12
コメント(0)
犬に噛まれた幼児期の体験は、犬に異常な怯えを持つことになる。可愛い子犬にですら『ワン』と吠えられるだけで喉は(からっから)に乾き、背筋がぞっとする程の恐怖感。このことは成人に為るまで読く。サンフランシスコに滞在していた頃、知人のポール・コーラ一家がバケーションでカリブ海のカンクーンに行くことになり小遣い稼ぎの留守番をすることになった。大きなドーベルマンを飼っていることは知っていたが可愛いい愛犬だから連れて行くものと高を括っていたところガールフレンドの娘ケイトが「マモル、お願いだからリンカーンの世話もよろしくね!」愛犬のネームはリンカーンと言う。可愛いい瞳でウインクされホッペにチュー、思わず「オーケィ!」 しかし、僕の心臓はドキドキパックン。とうとうその日が来た。偉大な愛犬リンカー君お手柔らかに絶対(お馬、ハイハイドウドウはしないからね!)食事、散歩、体の手入れ等 リンカー君のお世話に悪戦苦闘、荒っぽい祝福を受けながら心臓はドキドキ パックン パックン!!! 偉大なリンカーン君に出来るだけご機嫌を損ねないように、僕は,彼の食事に最高のシェフになった。ハンバーガーステーキ、ツナリブのスープ、カレーライス、ビーフシチュー等僕の食べたいものを全部ご馳走した。ポール家の人々が真っ赤に日焼けしてリラックスご帰還、リンカー君嬉しくて(キャン キャン )と嬉しそうに家中を飛び跳ねる。沢山のスービニアンを手渡しながら可愛いケイト「マモル 、お留守番ありがとう変わりなかった。ところでリンカーン物凄く太ったわね!!??」ほっとして僕が帰ろうとすると偉大なるリンカー君( クン ククン ワンワン ワンワンワン)悲しそうに僕を見つめて擦り寄ってきた、ズボンの裾をちぎれるほどに咥え離そうとしない、すると、僕の眼から熱いものがジュワーと流れ、暫く止まることはなかった。ポール家とリンカーンとの心温まる交流は、大切な宝物!!数年後、ポールさんとケイトから リンカーンが亡くなったとの連絡があった。 大変なショック。その後、日本に帰ってから、いつの日か犬恐怖症は少し薄れていた。
2006.08.11
コメント(2)
幼少の頃から怪我が多く、成長に大きな影響を与えた。最初は小学1年生、やんちゃが過ぎ叱られる日々でした。隣の飼っていた大きな犬に、お馬さんハイ堂々と背中にまたがった。犬「きゃん、きゃん、ぎゃお」と物凄い勢いで怒り、僕のかわいい右手を噛んだ。『ウエーン、ウェーン』手は血まみれになり母と医者に急行、右手小指の骨が砕け、20針も縫う重症。母には5ヶ月も医者通いの親不孝を掛けた。隣の犬,可哀想に保健所へ送られ成仏。(ごめんね!!!!!!!!)傷も治りきらない数ヶ月後、止まっていた小型トラックの荷台で悪友と遊んでいた、運転手が来ると怒られるので皆帰ってしまった後、疲れたのか寝込んでしまった。時間が過ぎ眼を覚ますと突然トラックが動き出す。びっくりした僕、何を血迷ったか『おい!こらおろせ』と大声を出し飛び降りた、運転手気がつき『このガキ、うあー危ない』と急停止するがときすでに遅し、結果、両足脱臼と打撲の重症性懲りもなく、またもや親不孝を掛ける。2年間も両足にギブスと松葉ずえのか弱い学校生活を泣き泣きおくった。運転手は高い治療費、罰金、免許停止等の処分、(ごめんなさい)!!!その影響なのか、僕の膝から下は随分短い。弟は『兄貴それは関係ない、16歳からタバコをパカパカすうから成長が止まった んや』??????????????その後、左足首骨折、鎖骨脱臼、右手首骨折等怪我することが多い。よく生きているな『この、やんじい』ヤンジイはヤング爺の略ではなくヤンチャ爺のことです。______________、
2006.08.10
コメント(0)
話題の映画をパートナーと郊外の映画館で鑑賞し、その後、鑑賞映画を評しあうのが私達の楽しみ方でもあり大事なコミュ二ュケーション。バツイチ独身の頃、寂しい病になり祇園の韓国クラブに毎晩のように遊んだ。日韓夜の交流に貢献(マンションの3戸は買えたかな)、知り合ったホステスと旅行、ゴルフに興じた。時々映画館で外国映画も見に行くこともあった。あまりにも日本語が上手なので字幕スーパーもOKかと確認して鑑賞。楽しいというので調子に乗った。彼女が帰国後、友達のホステスが「あの子は日本語読めないよ」、しかし、韓国映画『シュリ』『JSA』は字幕なしで楽しんだかも!!金儲けのテクニックも!!彼女の本名は、確か(金を信ずる子)平仮名をはずす?このブログは特別に時効ということでパートナーの許可を得ております。又、この投資は、寂びし病の治療に効果は期待できません、正しい療法は、グッドパートナーとめぐり会うことかな、ちょっぴり、空しい、侘しい体験でした。、
2006.08.09
コメント(2)
若い頃、サンフランシスコの街で「二階堂」という焼酎メーカーと同じ名前のツーリスト専用のギフトショップでアルバイトに明け暮れていた時があった。殆どコミッションで客は日本の観光客中心、コミッションの良いアラスカのイミテーション毛皮と特産物をメインにして懸命に売りまくる。沢山、買ってくれそうな金持ちの観光客にはスペシャルナイトツアーをセットして大変好評を頂いた。時々、有名ツーリスト会社からもクレームがあった「私達のお客に責任の取れない行為はしないで欲しい」本音は、俺達の下でスケーベーツアーをやれということかと理解した。実際、土産物屋のアルバイトよりオプショナルツアーの儲けは何倍にもなった。あまりに調子が良いので現地手配のミニツーリスト会社を作ろうかということになり、先輩の福本さんが中心になり中国人のリー君と3人でやり始めた。ビジネスツアー、工場、農業視察、オプションツアーを現地留学生を使い大手のツーリスト会社と提携した。商売は順調だったが福本さんの会社の金の使い込みで夢は頓挫する。彼は、地元のチャイニーズマフィアからギャンブルで借金をつくりメキシコに逃げた。その後の消息は不明、中国人のりー君は無事,UCLAバークレー校を卒業して縁故のタイ財閥に就職、現在副社長として活躍している。5年前にバンコクで再会して昔話に花を咲かせる。いろいろな事業をやっている裏ビジネスも含めて経験が生きたね_____
2006.08.08
コメント(0)
十数年前、仕事でイタリアのミラノの大手玩具会社を訪問した。その会社オーナー、役員とのランチは有名なオープンカフェレストランで11時半から2時半の3時間。勿論、ビジネスランチも兼ねたものだったがそれにしてもワインを全員で3本もあけた。ディナーは、夜の9時から役員、スタッフ3名と高級レストランで楽しくやっているとアラン・ドロンにのハンサム青年が途中参席、日本からスケベーなゲストがやって来たので(これは、推測です)日本のオンナの人の話を聞かせて欲しいと言う。飛行機で1時間もかけてフィレンツから、さすが、ドン・ジョパン二(おんなたらし)。結局、楽しい、楽しいディナーの終わりは翌日の2時。イタリアのオンナの人は結婚してからものすごく強くなる様で、日本の女の人はすごく優しくてすばらしいと思っていたらしい!!!!彼は、目を輝かせて僕の話を聞いていた。
2006.08.07
コメント(0)
海外でどこが良かったと聞かれることがある。難しい質問だと思う、どこにポイントを置くのか、住みやすさ、自然の素晴らしさ、現地の人の優しさ、その人の価値感による。言葉、食べ物、治安、物価等考慮しなければいけないこともある。日本人の旅行の多くは、パッケージ旅行なので兎に角行ったというケースが多い。若い頃は、冒険旅行もできるが齢を重ねるとだんだん慎重な旅行になっていく、60歳を過ぎたある不動産会社の役員の楽しみに、毎月一回タイのバンコクにバイアグラ持参でゴルフ売春旅行に行くことらしい。知り合いの友人は、同じく韓国済州島へカジノ、ゴルフ売春旅行、勿論バイアグラ持参。バイアグラ君大活躍。ある人は、トレッキング登山が好きなのでヒマラヤ登山のパッケージツアーに! 又、金持ち夫婦のハワイ旅行は、ノースウエストのファーストで10日間、300万円の豪華旅行! 海外旅行もいろいろですね_______ハッピーリタイアメントは50歳前のアーリーリタイアメント、肉体的にも精神的にも充実した好きなことができる、旅行、趣味、ボランティア等に但し、時間、金、パートナーは必要条件です。勿論、バイアグラは必要外、もっと違う充実感が得られると思う。日本人は働いていないと罪悪感があり非難する人もいる。欧米の人は個人の自由は尊重するしアーリーリタイアメントはハッピーだというこの違いはどこにあるのか?
2006.08.06
コメント(0)
20年前に仕事の関係でサンフランシスコ郊外のジョージルーカスのオフイスをツアーした。スターウオーズの大ヒットで絶頂期にあった彼のオフイスは、牧場をパークオフイスにした壮大なものでカーパーキングは地下にあり、地上に池、川、丘等がサンライズ、サンセットをイメージ。地下に製作セット、音響スタジオ、視聴用映画館が大小2館、オフイスには沢山のスタッフが働いていた。兎に角、スケールの大きさに度肝を抜いた、これは、アメリカの映画ビジネス界のホンの1部分だ。
2006.08.05
コメント(0)
人との出会いで思い出深いユニークな人に巡り会うこともあります。若き頃仕事ですごくお世話になった人、貿易業を中心に事業を手広くやられ,大勢の従業員を抱えていました。従業員は、新人から役員まですべてニックネームで呼んでいたのにはびっくり!大阪の人なので姓名を短くして「やん」「ちゃん」と呼ぶワンパターンなものがほとんどで常務の津田さんは「ツーやん」部長の西田さん「にしやん」課長吉田さん、吉田は何人もいるのでイニシャルからワイちゃん、新入社員の金谷君「かなやん」ちなみに僕は「しげやん」女の人は大体がチャン付けでした。木工会社を買収して派遣する社長が清水さん、ニックネーム「しみやん」会社名面倒なので「シミやん株式会社」、更に新築したテナントビルのネームも娘の徹子「てこちゃん」飼っている犬の「ロ ン」から「テコロンビル」。この社長、二人の自分の息子だけは「大介」「太郎」ときちんと呼び後継者教育をしていたのが印象に残っています。兎に角、何事にもトレンドを先取りするユニークな社長サン、会いたいなもう1度!!!!!!!!!
2006.08.04
コメント(0)
体調が悪くブログの書き込み久しぶりです。休養してリリーフランキーさんの東京タワー,島田洋七さんの佐賀のがばいばーちゃんを読みました。気楽に読める笑いと涙の傑作でした。九州のかーちゃんは、元気で明るく辛抱強いヨカオナゴたい。博多に新幹線が開通したての若い頃、博多に1年滞在したことがある。清川という歓楽街の若い姉妹が経営する小さなスナックによく飲みにいった。姉妹の母親は、2ヶ月前に引退して娘に店を任せ家で孫の子守りと家事に専念する毎日で、かってこの界隈の名物ママとして有名で鳴らした彼女には退屈な毎日だった。ある日、姉妹に招待されママの家へ、初対面で滅茶苦茶気に入られ夕食をごちそうになり「風呂入っていかんね」「それじゃ、お言葉に甘えて」---------独身には、天国、天国と心地よい。突然、ビッグママ「さて、ぼちぼち始めると!」ママの顔を見て「何を始めるのですか」ママ「ちょこっと触っていきんしゃい」三段腹を想像した僕「今日は元気がないので勘弁してください」とっさの言葉に、「あんた、なんば誤解しとるとね、あたしのしたいのはドンというトランプ1点100円でどうね!」つまりキャッツアイというトランプを付き合ってということだった。ギャンブルの仲間としても気に入られ毎晩電話の度に晩御飯つき風呂の誘惑に勝てず参上。毎日、寝不足状態で仕事にごつい影響、ママに気に入られ子連れ出戻りの娘の婿にと懇願され丁重にお断り、まあ、本当に情の厚いヨカオナゴたい。暫くすると本社から転勤命令、ほっとしましたが別れはつらいママは泣き泣き「博多にきたらかならずよりんしゃい、晩御飯と風呂とトランプよういしとくね、元気でね、ママ男の子いんからあんたのこと息子のことおもうっとたい寂しくなるがね!」その後、忙しく3年後博多に出張して連絡したが(現在この電話ゎ使われておりません)会いたかったな博多のお母さん!!実の母の葬式を済ませて間もない頃のことだったーーーーー
2006.08.01
コメント(2)
梅雨空が鬱陶しい。数年前、仕事と遊びで良くセブ島に行った。小さな20人ほどのデザインとプログラムの現地合弁会社の経営指導を手伝った。セブ市は、マリンスポーツに代表されるリゾート観光のイメージがあるがコンピューター企業誘致に熱心なフィリッピン自治体でもある。専門学校も多く、デザイナー、プログラマーの卵も多い、しかし、卒業しても就職がない。フリーター、ニートは先進国の若者の言葉、大半の優秀な人材は海外流出している。フイリッピンの大事な外貨収入に海外に出稼ぎした人の家族への送金が有名だが、優秀な子供を親代わりになって育てるスポンサーママ、パパの存在はあまり知られていない。青い空と綺麗な海の島に、専門学校に通う子供達に未来は!!!!!
2006.07.24
コメント(0)
トレーニングの目的でこのブログを開設しましたが、2ヶ月後にホームページも含め、よりスケールの大きなブログをたちあげるつもりです。エンターティメント、クッキング、株式投資、トラベル等情報満載のブログです。昨晩は、ゴルフの全英オープンを深夜迄TV 観戦した、深堀選手の活躍もあり熱くなった。今晩もーーーーー自己流で始めたゴルフも40代の初めシングルプレイヤーになった、しかし、病気の為5年のブランクを経て再開したが椎間板ヘルニア、体調不良の為エンジョイゴルフに、遊びも人間万事塞翁が馬だね!!!!
2006.07.21
コメント(2)
最近、株式の投資はパフォーマンスが騰がらない乱高下する要因の原因に、地政学上のリスクというのがある、この2週間余で世界では実に多くの出来事が起こった。軍事面では北朝鮮のミサイル発射、イスラエルのレバノンやガザへの軍事侵攻、インドでの連続爆破テロなどが発生し、国際政治面では、北朝鮮に対する国連安保理決議とサンクトペテルブルグでのG8サミットが開催された。本来の日本経済のことに加え地政学リスクもかなり重要になっている。平和な日本にいる私にとって株式投資は、リスクの伴うグローバル経済の勉強。但し、資産の15%をリミットに!!!!!!!
2006.07.20
コメント(0)
午後、久しぶりに雨が上がり、妻とトム・クルーズ主演「M I 3」を鑑賞した。トムのアクションは迫力満点、息もつかせぬ演技はさすがだ、期待どうりの作品、娯楽作品として満足度高い。映画鑑賞は、プロデュース関係の仕事をしていた関係でどうしても製作レベルのコンピューターグラフィックス、クロマキー、実写、カメラワークス、サウンド、キャスティング、モデリング、モーションキャプチャー、ミニチュア等専門の視点でついつい見てしまう。制作費も豪華。人気シリーズなので次の作品も製作予算も膨大になるでしょう。トムの体力は大丈夫かな!!!
2006.07.19
コメント(0)
梅雨の雨が鬱陶しい。祇園祭もこれだけ降ると風情も楽しめませんでしたね。北海道の夏空が懐かしくなって昔の競走馬に纏わる話から!羽田の東急ホテルで宝石商を営む河原崎と信子の2人と待ち合わせをして夕方の全日空の便で千歳空港行の便に乗る、機中「じっくり馬を見て決めてください、サラブレッドは、ロマンがありますから」河原崎は、私の顔を覗き込むように話かけた。北海道は、鬱陶しい梅雨空の東京と比べ美しい青空が広がっていた。レンターカーを借りて日高地方の静内へ、トヨタのクラウンは1時間ほど走りレストランで夕食、河原崎は「社長、ここのバターコーンラーメンいけるよ」というのでラーメン定食を取り出発、運転手の彼は「社長、信用してね迷惑は絶対掛けないからね」何回もミラー越しに私を見ながら行った。部下の借金の不始末から彼に立て替えた金額は、1千万円をはるかに超えていた、それを所有する競走馬で返済するというのだ。河原崎は、川崎競馬を中心とする地方競馬の馬主の顔役なのだが、こちらは馬には興味はあるが素人大いに不安はあった。明日の静内の牧場の朝は早い、静かに小さなホテルのベッドにもぐりこむ。早朝の競走馬牧場は、空が澄み渡り寒いくらいだ。「ヒヒーン、ヒンーーーーーー」優駿の若駒が駆け抜ける、ドリームキャッスル号と私の悲劇の出会いと馬主の物語はここから始まる!!!
2006.07.18
コメント(2)
20数年前、1ヶ月間アメリカ、カナダ、メキシコを1人でプライベート旅行したことがあります。友人の訪問といろいろな都市をできるだけ観光したかったのが目的でした。シアトル出発して25都市を訪問する強行日程、旅行予算に限りがあったので体力、精神的にも厳しい旅でした。ボストン近郊のアガワンという田舎町の知人の家に2日滞在した時の話です、主人のジョンは、近くのフォードのデーラーに勤める大柄で優しさ溢れるナイスガイ、ベースボールが大好きでボストンホワイトソックスの大ファーンでした。当然、話題は野球と車の話になり、当時のことですから日本の野球の情報もあまりなく、自動車もGM,フォード、クライスラーがアメリカ市場では圧倒的なシェアーを誇り、トヨタ,日産(当時はダットサン)、ホンダは話題にもならなかった。ジョンは自慢げに日本のゲストにはなしをした。大変、不愉快で退屈なものでした。その頃、日本の野球界では王貞治選手が大変なホームラン記録をうちたてていたので思いっきり私なりに自慢しました。また、日本の車の優秀さも話をして溜飲を下げたことを覚えています。今では、懐かしい思い出ですが時代の流れでW B C 優勝監督、世界の王はあまりにも有名になりイチロー、松井選手等大リーグで活躍する日本の選手達。G M,フォード等米自動車企業の凋落とトヨタ、ホンダ等日本企業の躍進、日本人として誇りを感じています。彼とは、交流なくどうしているのか、風の便りで日本女性と再婚したと聞く!!!
2006.07.16
コメント(0)
「かち、かち、かち、かちーーーー」母の夜なべの手仕事は、京鹿の子絞りの内職でした。毎日毎晩,体を労わることなく続いた。母の里は、京鹿の子絞りの加工を祖父の代から営んできた、当時、母の兄が家業を継ぎ絶頂期にありました。母の内職は、貧困に喘ぐ家計を大いに助けた。それで無理が祟ったのか若くして逝きました。今日偶然、京鹿の子絞りの伝統工芸師に依る手芸講座の案内チラシを見た、僕の脳裡に「かち、かち、かち、かち ------------」母の甘い思い出と共に鮮やかに蘇った。突然の夕立の雨が静かに現実の世界に!!!気が向いたとき続編あり。
2006.07.15
コメント(1)
治療の為、予約していた病院に行く。完全予約制で、患者はカスタマーであるという意識が徹底した地域医療重視の外来クリニック制度導入した病院、生き残りをかけた先取への挑戦に期待したい。多くの日本の病院には失望することが多い抜本的な医療改革以前に医療関係者の意識改革を望む。理由は述べるまでもない。ニュージーランドに旅行した時、病気になり現地病院へ行った。ほとんどフランチャイズ化され、クリニックは綺麗なヒーリングサロンのようで、カジュアルとエマージェンシーの患者に区別され病院の敷地にホテルまであった。合理的な考え方に驚かされたが不便はなく満足感さえあった。ニュージーランドも少し前、財政破綻の危機に行財政改革を断行し、特に民間活力、外資導入による郵政改革は有名、とにかく危機を脱したという実績がある。人口が少ないからできたという人もいるが、足元の意識改革が重要なのでは!!!!!
2006.07.14
コメント(0)
今回の「プロフェッショナル」の登場は、天才棋士羽生さん、素晴らしい活躍の裏に隠された勝負師の成長を上手にルポしている。羽生さんの言葉から「直感は経験の深さ」「リスクなくして成長無し」という言葉がとても心に響いた。私は、信じられないようなドラマチックな生き方を数多く経験しているので僭越ながら少し分かる気がする。成長のプロセスには、多くの失敗があるということも忘れてはならない。傷ついて気がついて築いていこうわが人生、そんなに人生甘くはないね!!!
2006.07.13
コメント(2)
長編小説「重耳」の上、中、下巻を読み終えた。主人公 チョウジと従者の40歳を過ぎてからの1万里に及ぶ19年の苦難流浪生活の末、中国春秋時代の晋に 帰り覇王になるという壮大な物語。「重耳」の生き方に感動を覚えるのは,さすらい流浪生活が人間を大きく成長させたということだと思う。人間、年齢を重ねると何事も諦めが早くなりがちだが、私の友人に還暦になっても株式のソフトをプログラミングし、村上ファンドも目ではない運用ファンドをつくるという意気込みの往年のゲームプログラマーがいる。静かに隠とん生活を楽しんでいるわたしに渇をいれてくれるのか!もう隠とん生活も10年になった。決して今の生活も悪かないのだが?
2006.07.12
コメント(0)
体調が悪かったので1日中、寝転び読書。宮城谷昌光の長編小説『重耳』を読む。壮大な傑作長編で大変面白い、この本は、去年の夏逝去された妻の父の遺蔵書。もうすぐ1周忌、 合掌!夕食にとてもビールが飲みたかったが療養中の為断念、ウーロン茶と枝豆を用意、気分を出して乾杯!!枝豆を食べると思い出す小学校1年生の思い出、女の子とよく遊んだがいじめもした。ある日、秋ちゃんという女の子とけんかしていじめをしてしまった。その子は大変気が強く、僕の3歳年下の弟のかわいい鼻の穴にあぜ道からとってきた枝豆を仕返し似1敗詰め込んだ。その豆が膨張してとれなくなり母が慌てて医者につれていき事なきを得た。弟も飛んだとばっちりを受けたものだった。あれから44余年、こっけいな思い出!!!!!!
2006.07.10
コメント(2)
台風の影響でとても蒸し暑い日でした。 北海道の快適な気候がとても懐かしい! 2年前の冬 愛妻とニュージーランドに旅行をしました。 あるキウイフルーツの農園経営者の家に泊まったとき 奥さんが(maggy.maggy) 大変蒸し暑いというので温度計・湿度計をチェック、結果 27度、60%。 京都の夏は、とても住めませんとのこと!! ちなみに、奥さんの体格はとても立派でした。
2006.07.09
コメント(0)
はじめてのブログです。6月20日、入院。6月29日、退院。6月30日、愛妻を伴い、北海道 千歳へ到着。快適な六日間の旅、満喫しました。温泉、マッサージ、ゴルフ、北海道のおいしい食べ物・・・魚、チーズ、野菜、牛乳、鮨、etc…。7月6日、帰京。現在、異常なし。家庭料理創りを楽しんでます。少し病状の不安あり・・・?
2006.07.09
コメント(0)
全35件 (35件中 1-35件目)
1