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これらの写真は、小樽が誇るサプリメントメーカー、大高酵素さんのお庭である。2005年7月2日の日記に私は、「秘密の花園」という記事を書いて、大高酵素さんのお庭を紹介したのだが、実は2006年の6月にも再度訪問させてもらい、写真を撮ってきたものだ。たいへん遅ればせながら、大高酵素庭園の写真などを集めたフォトCDを今日作ったので今頃のアップになったのだ。この大高酵素庭園、池の水生植物をそのままにしていること、ツツジの花びらが落ちたままになっていることに私はかえって感動したものだ。美しいとはいえないけれど、自然の生態系が再現されたところに惹かれたのだった。小さな生態系が再現されたお庭を「ビオトーヴ」と呼ぶそうだが、この大高酵素庭園も「ビオトーヴ」といえるだろう。来年はどのような姿を見せてくれるのか?6月に再訪問するのが楽しみである。
2008.12.06
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私もタクシー運転手になって早5年。小樽でたくさんの観光客の方のお相手をさせていただいたけど、いまいち観光案内に自信がもてなかったのだ。そこで、小樽観光大学校の認定資格「おたる案内人」1級をとろうと思い立ち、9月の末に申し込んできました。そうしたら、講座の受講案内が届き、早速小樽商大さんに行って受講してきたのだけど、第1回目は早速、小樽の歴史の大まかな流れについての話でありました。明治のころの小樽は、鰊と石炭を求めてきた人々がまず先に集まるところで、鰊漁の一大拠点だっただけじゃなく空知から来た石炭の集積地でした。中でも目からうろこだったのは、「当時の日本は、西洋から優れた技術を導入するために外貨を獲得する必要があって、そのために必要なのが綿花の生産であった。鰊の糟がその肥料として大いに必要とされていたので、当時は金肥と呼ばれていた。」というお話。ほかにも炭鉱開発、小樽商人、ニシン漁、北のウォール街、小樽運河埋め立て論争について年代順にお話をされてましたけど、1日分の日記にはあまりにも量が多くてとても書ききれそうにないほどでした!・・・・・今小樽が観光都市たるゆえんは、先人たちが残した歴史の遺物を、今に生きる人々が新しく明るい使い方をしているから、観光客の皆様が集まっているのだということを思わずにはいられませんでした。昔の商家が喫茶店やガラス体験工房に、古民家がペンションに、石造り倉庫がお土産屋さんなどに生まれ変わっていますが、昔の小樽を知る生き証人たる建物の歴史と人々の志・心意気に思いをはせることで、また小樽の街を見る見方が変わっていくであろうと思ったいい講座でありました。
2008.10.01
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この日、小樽のタクシー会社が一社破綻した。 昼頃には、この会社の営業車が忽然と姿を消したのだ。金曜日の忙しい日にどうしたのだろうか。 思い出してみれば、うちの会社から●交へと移籍した運転手さんと話をしたとき、給料を二回に分けて払うと言われたそうだ。 この時点で●交の信用不安は加速度的に広がっていったのかもしれない。 それにしても●交はどうしたのだろう? 5年前私が初めてタクシーに乗務した頃は、私の車をパスして後の●交の車に乗って行かれることがしょっちゅうだったのに。 あの時は本当にくやしい思いをしたし、それと同時に羨ましくもあったものだが。 その一方で、「●交の車は随分荒い運転をするなぁ」とも思ったものだった。 寿司屋通りのところで他のタクシードライバーと話をしていたかと思えば、タイヤを鳴らしながら猛然とUターンしていったのもいたし、極めつけは小樽一の急坂、旧石山中学の坂を下りながら私の営業車を追い越して行ったドライバーまでいたのであった!それもお客様を乗せながら。 私の営業車には警察の方が乗っていたのだが、二人揃って開いた口がふさがらなかったのを今でも覚えている。「随分とまあ血の気の多いやっちゃなあ。」 もちろんすべてのドライバーがそうだとは思わないが、私はこの時以来●交の車をみると思わずハンドルとブレーキを構えるようになったのであった。〈終>
2008.09.13
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もっと早くやっておけばよかった・・・。 今日やっと楽天ブログ更新メールに登録して、ケータイもソニエリのスピードメーラー機種に替えたのだ。 流石は進化したスピードメーラーだ。ケータイメールは時間がかかりすぎて苦手だった私でもかなりの速さで入力出来る! しかしそれにしても、今まであまりにもブログに穴を空けてしまったものだ。 更新メール登録も機種変更も、もっと早くやっておけばよかったな。 だけど、ブログは閉じなくてよかった。 これだけは間違いなく言えるから、前向きに考えて行こう。
2008.01.13
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5月はぽかぽかと陽気が良くて、花も芽吹く季節。だからこそあちこちへとドライブへ出かけて写真を撮って来たのだが、肝心の写真をブログにアップしないまま6月の末を迎えてしまった。圧縮作業を面倒がっていたためだが、更新期限まで後一時間という時、尻に火がついて作業を開始したのだった。一回更新してしまえば後はゆっくり編集できるのをすっかり忘れていた。今5月のブログを見ればそっけない内容のものがあると思うが、編集前の駆け込み更新ブログなのであしからず。早いうちに編集して再度アップしますのでご了承くださいませ。
2007.06.01
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2007.05.31
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唐突だが、小樽のタクシー料金は日本一安い。初乗り料金が1.4キロまでで470円なのだ。この価格には、観光客もびっくりモノであった。わが社の料金は、5年前に勃発した値下げバトル前の、初乗り530円なのだがそれでも安いねといわれるのには驚いた!新聞を見ていると、地方都市では値下げバトルが始まったと思えば、大都市圏では人件費、燃料費の高騰により再び値上げの波が押し寄せてきている。ここ小樽の事情はといえば、各社共にコスト高でアップアップしてきているようで、大手を中心に相次いで値上げ申請をして6月1日から軒並み値上げがなされることが決まった。他の会社もわが社と同じく、初乗り530円、314メートル進むごとに80円上がるという料金体系に戻るそうだから、やっと同じ土俵で勝負できる。ただお客様の事情はといえば、安いタクシーを歓迎する風潮が根強いようだ。というのも、小樽は企業の倒産、廃業が相次ぎ、生き残っているところも経費削減をしてきているのだ。実は私も今日、経営再建中の企業の社長さんを乗せたのだが、かつてはタクシーチケットを使ってよく乗っていたお方が今は現金で月に一度乗るか乗らぬかなのだ。メーターを数百メートル早く切っただけでたいそう喜ばれたほどだったし。この6月1日以降も、初乗り470円を維持する会社が1社だけあるから、その会社が一人勝ちできるか!?ということについてであるが、必ずしもそうであるかは疑問符が付く。私トドロキ、以前この会社(T社)の車に乗ったのだが、車が詰まっててすぐ発進できないにもかかわらずすぐメーターを入れたのだった。しかも行きと同じ料金で行ってくれと言ったにもかかわらず、そのリクエストにはへらへらしながら難色を示す。私もカリカリしてきて、往路と同じ料金しか払わないと言いその分のお金を料金皿に置いた。そしたらその運転手、払えないなら途中で降りてくれと言い出したのだ!タクシーの料金は、運転手のメーター操作のちょっとしたさじ加減でかなり変わるものなのだ。いくら初乗り料金が安くても、すぐにメーターを入れるなんてえぐいことをやってたんじゃ値上げする会社と大して変わらないさ。ちなみにわが社は、メーターの入れ始めが他社より遅く、メーターを切るタイミングが他社より早いので有名なのだ。だから今までも、他社と大して変わらないと思っていたのだけど、流していてもシカトされ、他の安いタクシーに手を挙げられていたのだった。今から6月以降が待ち遠しいと思う今日この頃である。値下げ、値上げをめぐる迷走劇の真の勝者はどこなのか。今から見ものだな。
2007.05.23
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5月20日をもって私の会社の若手配車係長が会社を去っていった。当日の朝、本人からそのことを知らされたのだが、私には寝耳に水のできごとであった。思えば最近どうも元気がなく、それまで考えられなかった配車ミスが時々出るようになっていたのだ。この係長とは、年末顧客回りに同行して一緒に食事をしたものだった。休日を返上し、粗品を配るために駆け回ったことがまるで昨日のように思い出される。そんな思い出があるからこそ、私は彼を「戦友」と思っていたのだ。本人はどう思っていたか定かではないが。こんなことになるのなら、午前様勤務の時にいろいろと話をしていればよかったな。そういえば以前、こんなボヤキを耳にした。「うちの会社の業績が悪化したのは、運賃を下げなかった社長も悪いけど、無線の仕事をえり好みしたりする運転手も悪いんだ。」実際係長は、なかなか無線の仕事が決まらずに困っていたことがあるようだ。「(○○へ向かう車は)ありませんか」とくりかえし催促していたことがよくあったからだ。私はそのときとばかりに、「係長が困っているなら、俺が決めてやらぁ!」とハッスルしたものであった。一番忠誠を尽くしたい配車係だったから。・・・・・実際辞められてからしばらく経つけど、元気でいるだろうか。まだ次の仕事をしていないというから、彼の家の前を通り過ぎるたびにそのことが気になってしょうがないのだ。
2007.05.22
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2007.05.21
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いよいよ5月日記の追い書きリミットが近づいてきたのでまずは写真のみ。後は編集しなおします。この日は妻の要望もあって、静内まで足を伸ばしてみました。静内では桜祭りの真っ最中。二十間道路の桜はまだ三分咲きでしたが、お祭りの屋台も出てにぎわっておりました。桜並木もさることながら、どこまでも続く馬牧場の風景、スケールの大きさに圧倒されたものです。こちらは天皇家の御料亭、静内龍雲閣です。明治時代に建てられた風格ある館で、桜祭りの時だけご開帳されています。もともとこのあたりは軍馬を育てるための国営馬牧場で、皇族の皆様もよく視察に来ていたようです。うちの息子は中に入らず、外の玉砂利で遊んでいました。龍雲閣とは対照的に、旧牧場事務所は荒れていました。これも由緒・風格あふれる建物なのですが・・・・。桜祭りの会場で観光ガイドをもらったのだけれど、パンフレットには「新ひだか町」の名前が大きく表示されていた。これというのも隣の三石町と合併したからなのだが、私にはやっぱりどうもしっくり来ない。静内は静内、三石は三石という思いが私にはあるからだ。あと数十年後には地域のアイデンティティも風化していきかねないから、古い地図は後生大事に取っておかねばならない。
2007.05.07
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大型連休も後半に差し掛かって、3連休ができたので久々に小樽から足を伸ばしてみました。今回は広大なタンポポ公園のある、むかわ町に行って来ました。うちの息子も今は1歳7ヶ月。広大な河川敷を走り回ってました。満開にはちょっと早かったようです。タンポポ公園で遊んだ後は、一路鵡川沿いに上流の旧穂別町へ。穂別開拓の歴史が詰まった資料館になってました。中には昔の生活用具・農具がいっぱい展示されています。鵡川はどんぶらこと流れていました。こういう流れを見るとなぜか心が洗われていく様な感じがしてきます。・・・・それにしても、平成の大合併という奴はつくづく罪作りだ。旧鵡川町と旧穂別町、どちらにも固有の歴史、文化があるのにそれを全部一緒くたにしてしまう。10年後には現むかわ町の中でも、人とカネが集まる地域だけが栄えて後は衰退して行くのだろうかと思うと胸が痛む。次の世代の頃には、鵡川と穂別がそれぞれに持っていたアイデンティティは否定されていくのだろうか?そんなことのないように、今の大人世代の努力があることを望まずにはいられない。
2007.05.06
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ついに、青年としても曲がり角の歳に来てしまったな。仕事を終えて帰ってから、一人で35歳になった実感をかみしめたものだ。今思えば、より若い頃はいっぱい寄り道したっけな。20代の頃はといえば、長いモラトリアム・トンネルの中にいて、明日の見えない自分にイライラしながらも、そういう人生を楽しんでいたもんさ。それが今では一児のパパ。自分さえ楽しめればいい冒険はもう卒業しなくちゃならない。そう、これからはもっと責任を負う世代。会社の仕事も子育ても、時がたてばはっきり結果が出てくる。もう先送りはできない。後できっと後悔すると思うから。今まではいろんなことを先送りしてきたものだ。日常のことも、そして夢も。新しいことを始めるのに遅すぎることはないけれど、やってることが足踏みしたら、先送りしてないか気をつけよう。私は決めた。35歳のこの歳を、脱・先送りの年にするのだ。「やっておけばよかった」という後悔の数は、少ないほうがいいから。
2007.04.12
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久々の更新は、撮りだめした写真の中から。この日は新調したデジカメ・パナソニックのルミックスを携えて石狩市のミズバショウ群生地に行って来たのだった。一年ぶりに行って見ると、川岸に向かって行く橋の道があるじゃないか!400メートルで河口に着くと書いてあり、橋の外へ息子を落とさないようにそっと歩いていくと着きました!これぞ悠久の流れであります!小樽じゃこんな流れは見られません。海かと思うほどの広さに感じたものです。思わず河のスケールの大きさに感動してしまいましたが、肝心のミズバショウも見逃しませんでしたよ。本当はもっと写真があるのですが、容量の関係ですべてを原寸大で紹介できないのが残念です。
2007.04.11
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最近久々にブログを更新すると、アクセスカウンターが一気に跳ね上がりコメントも増えてたいへんうれしいことが続いています。ご訪問された皆様、コメントをしていただいた皆様、どうもありがとうございます。その一方で、新たな問題も急浮上!出会い系・エロトラバの連続アップであります。私としてはこういうのを残しておくと、ご訪問された皆様に不快感を残すと思い、見つけ次第即刻削除しています。だけれどもこの日のエロトラバはしつこかった!管理画面で消去してから自分のページを確認するとおんなじ相手からのトラバが再びアップされていたのだった。「消す→再びアップ→再び消す」これを3回から5回も繰り返してやっと消えたものだ。この手の問題に悩んでいるのは私だけじゃないと思う。アクセス数の多いブロガーの方は、もっと大変なのだろうな。ブロガーによっては、悪質トラバ以上に荒らしの問題が大きいのだろうなとも思った。そう考えると、私の悩みなどまだちっぽけなのかもしれない。荒らしの類は、実際にはまだ来ていないのだし。私の場合、荒らしのコメントがもし来ようものなら、同様に即刻削除するだろう。第一、ブログの趣旨に反するから。幸せを感じていただくため、心豊かになっていただくためのブログだもの。
2007.01.20
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いつも「心の泉~幸福への河」をご覧の皆様、ご訪問ありがとうございます。久々に開店休業状態を脱して、記事のアップを継続していってるところであります。そんな中、書きそびれてしまったけれどやっぱりアップしたいこと、更新しましたのでお知らせします。2007.1.1「妻の実家にて」2007.1.2「新年早々16文キック」です。今後は追い書きをすることがあればこのようにおしらせしていこうと思いますので、今後ともよろしくお願いします。等々力たくみ
2007.01.19
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最近、小樽市内では古い建物が次々に取り壊され、新しい建物になったり更地になったりしてきている。そーなってくると私トドロキ、ますます焦ってくる。今撮らないといつ壊されるかわからないという焦りが、ますます強くなってくる。この消防小屋は以前にもブログでとりあげたけど、築八十年目にして取り壊された。何でも中の鉄骨の腐食が進み、これ以上の使用は危険だからとのことだ。もう一つは南樽市場の近くの銭湯。これもまた存在自体がアートで評判だったところだが、後継者難によって休業・解体を余儀なくされたのだった。いずれも80年にもわたって町の変遷を見守り続けた生き証人であったが、守り続ける人がいないと荒廃が進み、かえって通行人を恐怖にさらすのだ。実際、市内のあちこちで屋根の抜けた空き家をよく目にする。そういう建物は解体しないといずれ倒壊していく。このことは新聞でも指摘されていて、そうした「危険な空き家」がしないに複数存在するというのだ。ここにとりあげた2棟の建物は、最期を看取ってくれた人がいて、大勢の人に惜しまれつつ解体されたという意味で幸せなほうだったのかもしれない。どちらも解体されるとき、新聞に取り上げられていたのだから。
2007.01.18
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1月9日の日記でウォームビズについて書いたが、今回は私の仕事場、タクシーのウォームビズについて考えてみたい。私トドロキ、年が明けたあたりからタクシーの暖房の出力を落とし始めた。あるときお客様と天気の話から地球温暖化の話へと花が咲き、そこで私の自説を話し始めたのだ。客待ち待機中はなるべくエンジンを切ることを心がけていること。暖房の出力を抑えてエンジンの負担を抑えること。お客様は「運転手さん、いい取り組みしてますねぇ!」とたいそう気分のよくなるほめ方をしてくださったので、ほめられたからにはその取り組みを続けようとしてきたのだった。しかし今日は、小樽も札幌も気温がぐんと下がってきていたのだ。札幌にお客様を迎えに行って、走り出してからのことだ。お客様が開口一番、「暖房もう少し強くしてもらえないかね?」とのたまった。思えばタクシーやその他の乗り物の場合、お客様がいくら着膨れしているとはいえ、とても寒い中を待ってから乗車することが多いから、暖房はある程度の強さが必要なのだ。それにショッピングセンターなどと違って歩き回ったりしないから、体は外側から暖めるしかないのだった。思えば他のタクシーの運転手さんたちは、冬でも窓を開けて走っているのを思い出したのだ。おそらくは暖房を強く効かせて、頭だけを冷やしているのだろうな。私が暖房を落とし始めた最初のきっかけは、頭がだれ気味になるからだったのだし。
2007.01.12
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最近ラジオで、「北海道の人は暑さにも寒さにも、どちらにも弱い。」という話を聞いて衝撃を受けた!何でだ?と思い話を聞いていると、北海道の室内は暖房が効きすぎているというのだ。実際、大きなショッピングセンターに入ると、コートを着てしばらく歩いているうちに汗だくになっていくのだった。そこで以前、札幌のショッピングセンター、アリオ札幌と環境省がタイアップしてウォームビズの実験を行ったそうだ。何でも環境省によると、クールビズよりウォームビズのほうが地球温暖化抑止効果は高いのだとか。実験結果によると、室内の暖房の出力を若干下げても利用客からの苦情はなかったとのこと。私トドロキ、実験期間中にアリオ札幌に行っていたのだが、着ぶくれ状態で室内を歩いていたからむしろ暑いぐらいだったし、さらには息子をだっこしたり追い回していたからそれもあいまってより暑かったのだ。ラジオで話を聞き終えた後、早速我が家の室温設定を20度から18度に下げてみた。このぐらいじゃ全然問題が無い感じがする。これで灯油代が浮くといいな。環境にもやさしくなるし、そしてお財布にもやさしくなるから。
2007.01.09
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この日の朝、7日に各地で行われた成人式の話がラジオで流れていたけれど、中でも夕張市の成人式は聞いていて心温まるものだったな。夕張市は財政再建団体になることがすでに決まっていて、今回の成人式に回る市の予算はたったの1万円だったとか。そこで実行委員会のメンバーらが、市内のバイト先のコンビニなどに募金箱を置いて支援をもとめたところ、マスコミ報道がなされて支援の輪が全国に拡大したのだった。フタを開けてみれば集まった支援金は236万円。会場の装飾、くす玉、プレゼント抽選会・・・・・。これらすべてを自分たちで準備し、ステージの後ろには模造紙で「ありがとう」の大きな文字が。「どこの成人式にも負けない、思い出に残る式になった。」「みんなが頑張っている姿を見て自分も勇気づけられた。」新成人の皆さんの声、声。この取り組みには周りの人たちも、「今年の新成人には教えられた。」という話をしていたとか。・・・・・・私トドロキ、以前にこんな言葉を目にしたことがあった。「マイナスのことが起きたら、必ずプラスのことを考えて動く人が現れるんだ。」(「まず、自分の力で歩いてみなよ!」清水克衛著より)まさに、夕張市成人式の実行委員の皆さんがそうだと思った瞬間だ。そういう人たちは、必ず周囲に希望と勇気を伝播させるものだ。私自身もこの話を聞いて、今自分の周りを元気にする為に何をするべきか、いろいろやってみたくなる今日この頃であった。
2007.01.08
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皆様、あけましておめでとうございます。といっても今日は1月7日。七草の節句も終わろうとしている・・・・。久々に自分のブログのページを開いたら、去年の9月4日以来更新していなかったんだな。思えばその間にも、いろんなことがあったっけ。10月11日に息子は1歳の誕生日を迎え、10月30日にはクルマを買い替え、11月には義理の姉を訪ねて小樽から月形までドライブし、その日の帰りに道東で大竜巻が発生したニュースを聞いたことなど、ありとあらゆる思い出がこの間にも私の前を通り過ぎていったものだ。ブログって追い書きができるとはいえ、継続しようとする気が途絶えるとなかなか続かない。今日もFMおたるのラジオ番組「松尾先生の面白100点倶楽部」でもこんな話をしていたな。「新年の抱負を抱いても、なかなか継続することって難しいですね。継続するには勢いが必要だし、勢いを得るには継続が必要だからね。」・・・・・これを聞いて私トドロキ、自分に足りなかったのは継続なのだなと思った。今思い出してみればこの前のブログ更新の時も、わずか2日で継続が途絶えたからだ。小樽の街角の写真を撮るのにしても、観光力を磨くのにしても、意志を保ち続けることができなかったから今は足踏み状態なのだ。我ながらハズカシイけど。まず、小さなアクションを毎日少しずつ重ねることで、継続した証を積み重ねていこう。松尾先生も一日10分、15分でもいいから継続してみようと言っていたし。ブログも気乗りしない時はただ一言、「今日はどうも気分が乗らないからまた明日。」そう書いただけでも、毎日書かさず更新すれば日記更新日の割合は上がっていくものなのだしね。
2007.01.07
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この日は新年の初勤務。妻の実家から張り切って職場へと直行!朝会社を出発すると、初詣も落ち着き、まだクルマの出は少ない。だけれども10時を過ぎてくると、大型店の初売りが始まるから、車の出も増えてきた。そうなるとトドロキ、ますます張り切ってきちゃうもんね~!!予約電話がいっぱい鳴ってきたみたいで、無線のお呼びもじゃんじゃん入ってくる。新年早々快調快調!と思っていたら、事件はこの日の夜に起こったのであった。この日は飲み屋街も新年初営業のところが多く、元旦はヒマだった夜の飲み屋街からも、無線のお呼びが次々かかっていた。私も無線で呼ばれて、飲み屋街へと車を乗り入れてお客様をお迎えした。彼はうちのお得意さんで、プロレスラーのような立派な体格だがこのときはかなり酔っていたのだった。ドアを閉めて車を走らせると、そのお客様はいきなり怒り出したのであった。「揺らすなって言っただろ!?」怒りは段々エスカレートしてきて、私は怖くなってなんていったらいいのかわからなくなってきた。アウアウ口ごもってくると、「俺んちじゃなくて会社にやってくれ。運転手変えてくれ。」というので会社に向かいつつ配車係に無線を入れた。するとそのお客さん、運転席についていたアクリル防護板を蹴破ったのだ。会社につくまでの間、3回は蹴られたにもかかわらず、私には怪我は無かった。配車の方はそのお客さんをなだめて別な運転手さんに引き継いでくれたが、私は怖くてしばらく固まっていたのだった。後で交代した運転手さんに聞いたのだが、「運転手が乗せてやっているんだというように感じて腹が立った」といってたそうだ。後日、会社の軍曹カッカにもこう言われた。「運転中黙っていたら威圧感を与えることになるんだぞ。その手の手合いには気の利いたお世辞もいえないとダメだ。」だって!はぁ~!?威圧したのはどっちだい!?他の運転手さんに聞いたら、そういう時は警察に直行するものだとさ。その筋を曲げてまでお客さんにこびへつらう会社はうちぐらいだって言ってる運転手さんが多かったのを覚えているぞ。そういうときでも、悪いのは僕だと言いたいのかこの会社は!?と思わずにいられないトドロキであった。
2007.01.02
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この日は午前様勤務が明けて妻の実家に直行。妻と息子は大晦日のうちに実家入りしていたのだ。この日は実家恒例の元旦新年会。義父は本家の長男だから、義姉の家族以外にも多くの親戚が集まるのだった。この日に来たのは、義理のおじさん2人とその一家。そして義理のおばさんとその娘さんたち。合わせて何人来たのか忘れてしまったぐらい大勢あつまったのだが、私は義母の顔が段々疲れていくのを見逃さなかった。妻いわく、「お母さん、今年こそはこういうのやめたいねっていってたんだよね。」思えば義母はお姑さん(私の義祖母)と同居していたんだ。義祖母が健在だったときは、盆・正月といえば一族が一堂に会するのは恒例行事だったのだが、そのつどおさんどんをしていたのは他でもない義母だったのだ。無論、他のおばさん方も手伝ってはいたのだけれど、いろんな人の目だとか口出しとかを意識していて心労がたまっていたようだった。さらには五十肩を患ってしまい、ますますおさんどんがしにくくなっているから疲れも倍増していることだろう。それなのに私ったら・・・・・・・。義父や義兄と楽しく美酒に酔いしれ、談笑しているだけだったのだった。これって男性と女性の意識の差!?妻も息子にまとわりつかれながら、いっしょうけんめいおさんどんのお手伝いをしていた。それなのに私ったら・・・・・・・。お母さんのぼやき、すべては楽しい宴の後に妻から聞いたのだった。来年こそはお母さん、楽になるといいな。おばあちゃんは家族の絆という財産を残して極楽へといったけど、今までいろいろ大変だったお母さん、静かなひとときを送ることができますように。
2007.01.01
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最近、浅見帆帆子さんの本を古い著作から順に読んでいる。その中の一冊「わかった!運がよくなるコツ」の中に、とっても気になるセンテンスが含まれていたのであった。浅見帆帆子さんは学生の頃、ズル休みをする時に仮病を使ったそうなのだけど、その後本当に風邪をひいてしまうことに気付いたのだとか。「言葉」というものは、口に出すだけで「パワー」となり、現実をその方へ流していく力があるのだそうです。さらには本当にあった実験として、次のようなものをとりあげていたのだった。Aさんは、「うれしい」「愛してる」「幸せ」「楽しい」「ありがとう」という言葉を数週間言い続け、方やBさんは、「にくい」「バカ」「きらい」「つまらない」「サイテー」という言葉を数週間言い続けた結果、Aさんのところにあったご飯には普通のカビしか生えなかったのに対し、Bさんのところにあったご飯には汚い黒カビが生えたというのだ。私トドロキの実体験ではどうなのか?タクシーのお客様が近くまでのお客様ばかりで「全然売上が伸びていかないや!」とイライラすれば、本当に最終的な売上はそのとおりになるし、「それでもいずれは遠くまでのお客様がついて一発逆転する!」と強く念じれば、実際に奇跡が起こることもあったのだ。思えば先に紹介した実験って、物事の受け止め方・感じ方を変えるだけでも出てくる言葉が変わって、運勢も大きく左右されていくような気がする。「失楽園」の詩人ミルトンの言葉にもある。「心は、天国も地獄も創り出すことができるのだ」と。どうせなら、心で天国を創り出していきたいものである。
2006.09.04
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ここ丸々二ヶ月も、ブログ更新から遠ざかってしまった。今思えば、私はこのブログで皆さんに何を伝えたいのか、これほどまでに迷走したことはなかったのだった。「理不尽な形で人命が失われる」ニュースが次々私の目と耳から入ってきて、それに対する怒りの感情がコンスタントにわきあがってきたものだが、それを感情的に書いてもいいのかという迷いが私にのしかかっていたのだった。その怒りをストレートに書いても、タイトルにこめた想い・初心から大きく逸脱してしまう・・・・・。その怒りをしたためた裏ブログでも書こうかな。とも思ったけど、書いた後に読み返すのがこわくてできなかった。そんな心の迷走にピリオドを打つきっかけになったのは、読書。読書を通して、怒りの感情から自由になることができたような気がした。自分の感情に逆らって、勝手な義務感にかられて無理をする必要がないと思うことができた。幸せなことがあった。楽しいことがあった。いい話を聞いて、試してみたら上手くいった。・・・・・そういう話をブログに書いて、幸せをみんなと分かち合いたい。これからは、そんな想いが湧き上がった時に更新しよう。
2006.09.03
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9年前にインディペンデンスが初めて小樽に来てからというもの、米空母が小樽に来ることって、市民にとっては一種の「お祭り」のように思えてきた。ここ2・3日、米兵の行くところには同伴する日本人の姿もちらほら。中にはアゴアシ接待の社長さんらしい方もいたことは7月1日のブログに書いたが、それ以上に気になったのは米兵と連れ立って歩いている日本人女性のことだ。昼間、ウイングベイ小樽で客待ちをしていると次々に車が出て行くのだけど、時折日本人女性と一緒にタクシーに乗って出て行く米兵の姿が見受けられたのだ。・・・・私トドロキ、内心苦々しい思いをしつつも、米兵さんのおかげでいつもより稼がせてもらっている現実に複雑な思いがしたのだった。そうこうしている内に、黄昏時がやってきた。タクシーの車内無線ががんがん鳴って来る。そう、この日は商工会議所会員の社長さんたちと米兵さんたちがレセプション(祝賀会)を行うのであった。この日はおりしもアメリカ合衆国の独立記念日。そう、インディペンデンス・デイなのだ。アメリカ国民にとってはとてもおめでたいこの日を、共に祝うことで親善を深めたいのだったらさ、もっと招待状とかパー券でも配ってより広い範囲で市民に参加を呼びかければよかったのに。一般公開の時みたいにね。肝心な時だけ私たちは蚊帳の外?と思わずにはいられなかったな。生の米兵と接したことで、入港絶対反対!の気持ちが少しずつ傾きかけていたのに。せっかく熱くなりかけていた気持ちがさめちゃったじゃないか。何か釈然としない気持ちを抱えながら、夜の中心街で客待ちをしながら見た光景はまたしても何だかなぁと思わずにはいられなかったな。いたるところで、米兵と思しき男性と日本人女性が人目をはばからずキスしたり、いちゃついていたんだもの。同僚の運転手さんとケータイで話した時も「ここは日本なのに、ホント場所をわきまえない奴らだわ!」って言ってたけど、そういうことしたければホテルですればいーのにな。ホテルって言えば、待機してたところの向かいのホテルから米兵さんが出てきてタクシーに乗る寸前に、やっぱり日本人女性と抱き合って別れを惜しんでいたなぁ。けっこーみんな市内のホテルに外泊してたんだな。この日初めてわかったことだけど。日付が変わって夜も更けてきたら、流石に米兵さんたちの多くはキティホークに帰るだろうと思っていたら、それでも何人かの米兵さんたちは市内に残っていた。私もタクシーを流していると、一人の黒人兵士に止められた。私も片言英語で案内すると、「ヒルトン」「キティホーク」と両方の言葉が出てきたので一瞬戸惑った。自分で案内は出来ても、相手の英語を聴いて意味を理解する方が不十分だったのだ。キティホークに入っていくところで黒人兵が、ヒルトンと言ったのでヒルトン小樽のほうへ行こうとすると急に、逆の進路を指示し「キティホーク!」と叫ぶ。初日は日本人も同伴だったから良かったけど、米兵さんと一対一になるとこっちも緊張するし、相手の言ってることがわからなかったらますますあせるのだった。そしてついに夜も明けてくる。しかし朝になってもまだ、街のホテルに残っていた米兵さんはいたようだ。朝ホテルからタクシーのお呼びがあった時、米兵さんと思しき方の名前が呼ばれていたんだもの。おおかた女性と一夜を過ごして、最後の最後まで名残を惜しんでいたのだろう。それとも、滞在日後半になって、やっと外泊を許されたから羽を伸ばしていたのか?いずれにしてもこの日の午前中には、キティホークは小樽港を旅立って行ったのであった。そのとき私は、深夜勤明けで高いびきをかいていたのであった。さらばキティホークよ!さらば嵐のような非日常の日々よ!!
2006.07.04
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この日は家族三人そろって、ウイングベイ小樽にてお買い物。この日もウイングベイには、米兵と思しき人々がたくさん歩いていたのだが、初日とは打って変わって、私服で歩いていたのだった。この光景を見ていると、初日の軍服姿のほうがむしろ安心できたな。この日は特に、親善行事もなければ見学会もない普通のなか日だったから、小樽の街は特に何の変哲もない様に思えた。・・・・・だけれども、ポスフール3階にある「海の見えるベビーサロン」から見たキティホークはやっぱり異様!!キティホークのために、はるか彼方まで見渡せる自慢のオーシャンビューが全くといっていいほど見えなかったんだから。私が結婚式を挙げたヒルトン小樽にも、オーシャンビューを売り物にするシーサイドブッフェとか、グリルレストランとかがあるけれど、この日にデートとか宿泊でここを訪れた人たち、がっかりしていなければいいけどなぁと思ったトドロキであった。
2006.07.03
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この日の午後になると、米海軍の水兵さんたちのお出ましだ。またポスフールタクシー乗り場に来たのだけど、午前中とは乗ってくお客様が違ってきているぞ。午前中は一般客が多かったけど、このとき乗ってるのはセーラー服の水兵さん。白人、黒人、ヒスパニック系の人々いっぱい。流石は人種のるつぼ、アメリカだ。女性兵もいっぱい。船の中では何の仕事をしてるんだろう?男性兵とのツーショットが目立つけど、連れ立って歩いているのは男性兵同士の組が圧倒的に多かった。小樽か札幌に繰り出してナンパでもするのか?いや待てよ。地元の女の子たちも逆ナンパに積極的だったりするからな。ナンパされたくて故意に接近する女の子も居るみたいだし。・・・・・・なんてことを考えているうちに、街の中には米兵を乗せたタクシーが多数乗り入れてきたぞ。私は前にブログで、ロシア人より米兵を乗せるほうがもっと怖いと書いたけど、全然乗って来なかったら来なかったで、「乗せたいなぁ!」と思うようになるから人の気持ちって複雑なものだ。そんなことを思っているとなぜかその通りになるもので、20時過ぎに米兵を乗せるチャンスに恵まれたのだ。天狗山の麓のペンションから、米兵2人と日本人女性一人が乗ってきた。そうなるとトドロキ、はりきらずにはいられない。ここぞとばかりに高校英語が炸裂!といっても片言だけど。カラオケ屋についたときには、お互いいい気分。「友好親善が目的」なんて建前だってことはわかってるけど、それでも生身の会話を交わせば気持ちって通じ合うものなのかなぁと思った瞬間であった。さらに夜も更けてきたとき、お得意様の社長さんから予約をいただいて車を向かわせ、呼ばれたバーのドアをノックすると、社長さんは米兵たちにアゴアシ接待をしてる真っ最中。「アゴアシ」とはアゴが食事で足はタクシー。よーするに食事、車もちで接待をするという意味だ。それプラス女?なんてのもあったりして。なんてことを思いつつも、アシの接待を担うとなるとやっぱり張り合いがある。米兵さんたち、お店の方にはあまりお金を落としてなかったようだけど、タクシーはいつもより忙しかったのだ。それは間違いない!今回のキティホーク上陸の際には、小樽と札幌の経済人たちがこぞって歓迎していたのだとか。今まで3回入港したけど、3回ともそうだったって。おおかた経済効果を狙ってのことだろうけど、お店の方にはあまりお金を落としていなかったことを考えると、「貴方がたの持ち出しのほうが多かったのじゃないですか?」と突っ込みたくなるトドロキであった。
2006.07.01
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この日の小樽は朝から物々しかった。そう、動く空軍基地が入港したのだった。出社して朝礼を受ける時、フェリー埠頭の大きな地図には一方通行を示す矢印が。それ以外のルートで通行することまかりならぬという通達がなされていたのには驚いた!よく見ると、小樽港マリーナと石原裕次郎記念館の方まで客待ち禁止になっていたのだった。・・・・・・これが、小樽の長い5日の序章であった。私トドロキ、なんとなく胸騒ぎがしてタクシーをウイングベイ小樽へと走らせた。周辺道路にはコーンが立ち並び、全面的に駐停車禁止。辺りには警察官がうようよしていて、小樽ではめったにお目にかかれない白バイもまたうようよしていたのだ。「勝納フェリー埠頭に入るルートは完全に決められているし、よっぽど米軍の方もぴりぴりしているな。」そう思いつつ車をポスフールのタクシー乗り場へ入れると、目の前には大きな「63」の文字が飛び込んできたのだった。そう、それはキティホークの番号。東北以北の港ではめったに見ることのできないねずみ色の巨艦。大勢の人々がタクシーやマイカーからキティホークへと吸い込まれていったのであった。今回は同時多発テロの影響か、招待状を持った人しか見学できないのだそうだ。もっともキティホークはあまりにも巨大だから、数百メートル先から見ただけでも私には満足すぎるぐらいだけど。午前中はつつがなく過ぎ、ポスフールタクシー乗り場からは次々とタクシーが出て行く。普段じゃ考えられないほど回転が速くて、あっという間にお客様がついたのだ。~米兵闊歩の話につづく~
2006.07.01
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突然だが、この日は同僚の告別式があった。香典を包むのにお金をくずす必要があったので最寄のセブンイレブンへ。そこでふっと、NHKの連ドラ「ちゅらさん」にて泡盛を楽しそうに飲んでいるシーンを思い出し、とみに泡盛が飲みたくなったのだ。そのときに目の前にあった泡盛の銘柄は「美しき古里」セブンイレブンでは1030円也!ちなみに、楽天では800円ほどだったが、送料が商品価格の倍もかかるのであった!飲み口は、アルコールのあたりがきついのにとてもあっさり。最近睡眠リズムが狂っていたが、ぐい飲み程度の量でも、一撃で眠くなったのだ。流石はアルコール度数30度のことはある。今までは10~20度ほどのワインや日本酒を寝酒に飲んでいたのだが、なかなか効かなかったので、気がついたら深酒になっていたのだった。沖縄のお酒というだけで、いかにも健康効果が高そうというイメージがあったが、メリハリとパンチの効いたお酒で早くいい気分にさせるなんて、それもまた「深酒を避ける」という思わぬ健康効果かな?と思った私トドロキであった。
2006.06.06
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この日我が家では、「理研の和風うま味ドレッシング」が切れてしまった。このドレッシングには、果物や野菜をすりおろしたものがたくさん入っていて美味だったのだが、タレが切れてしまうと、これらのカスがビンの中に残ってしまうのであった!私トドロキ、今まではこのカスを水で洗い流して捨てていたのだが、この日はこんなアイデアがピーンと浮かんだのだ。「そうだ。めんつゆと酢をこのビンに入れよう。」早速ジャイアントボトルに入っためんつゆが空びんに注がれる。そして酢も。比率はほぼ五分五分であった。そしたら味見してみると味がきつい!そこでトドロキ、また考えた。今度は料理用の日本酒が注がれる。そしてダメ押しに、すずらん印の上白糖が注がれた。う~んマイルド。妻からもゴーサインが出て、晴れておろしカスの再利用が成功したのだ。生野菜にかけてもおいしかったし、しゃぶしゃぶのタレとしても有効であった。煮物にもつかうことが出来たしよかったな。「そんなの私もやってるわよ」という方がもし居りましたら、コメントいただければ幸いです。貴方秘伝の再利用法、教えていただけるとありがたいですね。
2006.06.01
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今日、久々にブログの管理画面にアクセスしてみると、日記記入日率が28%にまで下がっていたのには我ながら驚いた!ずいぶん間を空けてしまったものだ。ブログに穴が開くと、サボりグセがついてしまうというか、書かないことが当たり前になってしまうのだな。最近朝早く出勤するようになって、早く寝るようになったし、次の日の朝もぎりぎりまで寝ているから結局は書かずじまいだった。息子が起きている間は、赤ちゃんだからほったらかしにはできないし。私がよく行く「SOAA 大人のADD/ADHDの会」理事長の白井由佳さんによれば、彼女は朝日記を書いているのだとか。早速まねしてみようとしたのですが、結局はやらずじまい。やっぱり私トドロキ、夜にパソコンに向かったほうが書けることがわかった。今も妻、息子が寝ている間を見て書いてます。
2006.05.17
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小樽の祝津地区といえば、夏は水族館でにぎわうところだが、ニシン漁の栄華を忍ばせる町並みというか、その頃の歴史の生き証人のような建物が今でも数多く残っているのだ。これは「旧青山別邸」改め「小樽鰊御殿 貴賓館」の入り口から撮ったもの。小樽ニシン三大網元の一つ、青山家の三代目当主、政恵嬢の夢が形になった美術豪邸だ。政恵嬢は17歳の時、山形・庄内地方で見た豪邸(本間邸)に魅せられ、豪華絢爛な豪邸を父親と共にこの地に建てたのだった。建材から内装までがすべて一級品の建物だが、これでいて「別邸」、すなわちゲストハウスだったというのだからまた驚いたものだ。それでは、青山家の「本邸」はどこにあったのかといえば、以下の写真の近辺がそうだったのだとか。すっかり朽ち果てた瓦屋根の建物だけが、当時の生き証人として存在していることにはなんともいえない気持ちになるものだ。ちなみに本邸は、現在「北海道開拓の村」に行けば見ることができます。青山家ゆかりの建物を後にして水族館の方へと歩くと、小樽最後のニシン網元、茨木家のお屋敷が目に留まったのであった。ここには最近まで当主の家族が住んでいたようだが、玄関に板が打たれていたのでどうしたのかと義母に聞いたら(ここは私の妻の実家の近所なのだ)、札幌の施設に入所したのだとか。建物も庭も、守る人がいて初めてその姿を保ち続けることが出来るのだ。こうして空き家になっていった建物が、次々壊されていくのを見ていたから、私は写真を撮って歴史の生き証人を記録にとどめておきたいと思っているのだ。以下の建物も、解体されるのは時間の問題かと思ったので、写真を撮るのをこれ以上先送りするわけにはいかないと思い撮ったものだ。これは後から行った鰊御殿の方に聞いたのだが、茨木家の番屋の跡だそうだ。かなり痛んでいたが、今年の記録的な大雪にも耐えただけだけのことはある。昔の建物の耐久性の高さと、歴史の趣を感じさせる建物だ。祝津を訪れる観光客の皆様には、失われる前にぜひご覧いただきたい。手前の廃墟は、近江番屋なのだとか。こちらは茨木番屋ほど激しく傷んではいないが、何にも利用されていないのは悲しいものがある。私は観光の勉強をするために祝津探訪を行ったのだが、むしろ廃墟の方に関心をそそられてそちらをメインに写真をアップしてしまった。現在使われていない建物であっても、かつての歴史の証人としてそこに存在することには大きな意義のようなものを感じる。祝津というところは、観光化されて今も輝きを放ち続ける遺産だけでなく、廃墟と化しながらも当時の栄華を伝え続ける遺産とが混在するからこそ、「ニシン漁で栄えた頃の遺物が多く残っている貴重な町並み」と評価され続けているのだ。
2006.05.01
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この頃だったと思ったが、仕事中ラジオでたまたま流れた曲に背中がぞくぞくした。その曲の名は、“Piece of My wish”(今井美樹)だったのだ。今井美樹さんの曲には、他にもしびれる曲が多数ある。“Blue moon blue”とか、“彼女とTIP ON DUO”とか、いい曲だったな。ここまで思い出してみると、あることに気付いた。これらの曲には、共通項があったのであった。それは、作曲者が上田知華さんだということ。上田知華つながりでいけば、私の頭の中からはあらゆる曲が芋づる式に出てくる。“ガラスの靴~なっちゃん”(星井七瀬)“瞳が微笑むから”(今井美樹)“ピンクのリボンが結べない”(上田知華)“Stally Night”(上田知華)この記事をご覧の皆様、知っている曲はありますか?上田知華さんが結成したバンド(KARYOBIN)は弦楽四重奏がバックで、クラシックとポップスの融合を目指していたのだとか。どおりで、ストリングスの伴奏がきれいに映えるはずだ。私はそういう曲が大好きだから、帰ってから全部聴いてしまったのであった。
2006.04.17
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2年前の春、小樽の山手にある商店街で大掛かりな工事が行われていた。マンションの一階にある広い貸し店舗が、見る見るきれいに改装されていったのだった。店舗のガラス張りの窓の外に、木の柵が張り巡らされ、和食レストランに生まれ変わる様が見て取れた。そして6月のある日、そのお店の方が私のタクシー会社にチラシを撒きに来た。メニューはさば味噌煮、肉じゃが、ロールキャベツ、かにクリームコロッケなど、家庭料理のおかずをセルフサービスで提供するという店で、大阪にある「めしや」のスタイルを真似たようなものだったのだ。いよいよ7月12日、開店の日。早速夕食を食べにおじゃましたが、入ってすぐに出迎えた店主の顔はなぜか、暗かった。なぜだ!?なぜなんだ!?フツー開店初日は満面の笑みでお出迎えするはずじゃないのか?食べたひれカツカレーの味は悪くないだけに、店主の暗い顔がお店のイメージを落としているのは実にもったいないなぁと思ったものだ。それでも私は、何かの間違いだろうと思って店主の顔をずっと見ていた。いずれは表情を作ってでも、さわやかな笑顔を見せるだろうと。だがしかし、店主の顔は最後まで暗かった。私は店主に、どうもご馳走様でしたと笑顔で答えて店を後にしたが、出掛けに思わず一言。「ダメだこりゃ。」そして冬が来る前に、店は休みがちになったのであった。店はいつ再開するのだろう?と思いつつ再開を待ったが、あるとき大きな張り紙が店の入り口に張られていたのだ。タクシーを止めて見に行くと、そこには「休業」の文字だけが大きく書かれていただけだった。これは永久に休業だな。という直感が私の頭をよぎったものだ。そして冬があけた頃には、貸し店舗の中はきれいさっぱりもとの状態に戻っていたのであった。それにしてもこの食堂、もっとお客様への感謝が伝わるような店じまいが出来なかったのかなぁと今でも残念に思う今日この頃なのだ。
2006.04.14
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この日タクシーを流していると、昔ながらの小さな履物屋さんの窓に、「閉店」「全品半額」の張り紙があったのだ。その隣にはすでに閉店した眼鏡屋さんの閉店の張り紙が。「当店は1月30日をもって閉店いたします。今まで32年の長きにわたってご愛顧いただいたお客様には、大変感謝しております。誠にありがとうございました。」この張り紙のギャップに、思わず笑ってしまったものだ。最初の張り紙のお店には入ったことがないが、ずいぶんとまあぶっきら棒な挨拶だことと思ったのであった。そこでふっと、おととし入った食堂のことを思い出さずにはいられなくなったのだ。
2006.04.14
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この日は睡眠もそこそこに、朝から私の気持ちは浮き足立っていた。初めて札幌のボルボのお店に乗り込む日だったからだ。この日の目的は、パパの夢である「ボルボの個人タクシー開業」に向けて話を聞きにいくこと。そしてタクシーとしての使いやすさをチェックしに行くことだったのだ。ボルボの車については、以前15年前の中古車を試乗したことがあったし、最新の車についても「1日モニター募集キャンペーン」に応募した時にカタログを取り寄せたこともあってある程度の機能や仕様を知ってはいたが、やっぱりボルボはありとあらゆる角度から「人に対する優しさ」を追求していることがわかってなおさらうれしくなったものだ。ドアミラーの下部に埋め込まれた足元を照らすライト、リアシートに埋め込まれた跳ね上げ式ジュニアシート、それらの一つひとつに驚きの声を上げながら見せてもらったものだった。さらに驚いたのは、デザインからは想像できない乗降性のよさ。中型セダンのS60は、イルカのように流麗なデザインにもかかわらずリアシートに乗り込むときに頭がつかえにくい。座面が他の国産車より高いから、意外と乗りやすかったのだ。この車で個人タクシーをしている想像を膨らましたところで、こんな質問をしてみた。「ボルボタクシーって、札幌には走ってますか?東京には走ってますか?」セールス氏の答えは、東京には走っているが、札幌には走っていないとのことだった。おおかた札幌はまだ景気が回復していないから、二の足を踏んでいるのだろう。タクシーやる人の考え方の問題だと、トドロキは思うのだが。かつてわたしが高校生だった頃には、この小樽でもベンツタクシー(190E)が走っていたのだ。夢に向かって、エンジンを始動しよう。観光力を磨いて、ボルボタクシーを小樽に走らせるのだ。
2006.04.13
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この日は通常勤務の日。誕生日のお祝いは前日妻がしてくれた。プレゼントにもらったのはベージュのブルゾン。ポスフール(北海道の旧サティ店)の特売キャンペーンで買ったものだ。誕生日プレゼントも特売で!?と思うかもしれないが、手取り15万で3人家族が暮らしているのだから無理も贅沢もしたくはない。むしろ分相応の楽しみだ。妻と過ごす2回目の誕生日だが、今年は子どもが生まれてはじめて迎えたのだった。久々に自分の食べたかったトンカツを食べて過ごし、帰ってからロールケーキに舌鼓。普通の買い物にちょっと色を加えた誕生会だったが、日常の中のささやかな贅沢もまたたのし。日付変わって12日当日は、一人で街を流す一日。あったかい。これはヒマだと思ったが案の定だ。それになぜか眠い。何回かヒヤリ・ハットの運転ミスが出た。誕生日だっていうのに、今日はツキが悪いな。こういうときは客待ちに入ろう。まずは事故に遭わないことが第一だ。まさに忍の一字。乗ってきたお客様も近いところばかり。売上も伸びないけれどガマンガマン。夜、食事を取るために家に帰ると、息子の笑顔がお出迎え。しばしの休憩の後、仕事に向かおうとすると息子が私のほうをじっと見て服のすそをつかんでいた。「パパ、行かないで。」そういっているように見えたが、今日は夜中の3時まで帰れない。それからの仕事はますます長く感じたものだ。やっと長い勤務を終えて玄関のドアを開けると、息子の寝言が聞こえ、ママが息子を抱いて出てきた。深夜のミルクだ。ただいまの時に息子が起きていることはめったにない。それだけでも、ツイてると思えた一日であった。
2006.04.12
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昨日のTBSラジオ『アクセス』で、岩国住民投票についてバトルトークが行われていたのだが、米軍基地移転容認派の意見の一つに、「岩国がだめだったら、どこかが米軍を受け入れなければならないのだよ。」というのがあったが、司会者の方に、「そうは言っても、あなたの街に米軍基地を移転しますといったら素直に来てくださいといえますか?」とたたみ返されてしどろもどろになっていたのがいた。情けない!賛成なら賛成で首尾一貫、自説を通せばかっこよかったのに。そんなことを言っているトドロキはどうなのかって?そりゃあ自分の街に米軍が来るとなったら反対し続けるよ。だって米軍と小樽は全くの無関係じゃないんだもの。今から9年前(1997年)の9月5日に、アメリカの超大型空母「インディペンデンス」が小樽港に来たんだけど、市の幹部も市民も親善目的という米軍側の建前をうのみにしてたせいか、小樽の人口の2倍以上にあたる36万人もの人々が見物に来たものさ。トドロキは札幌に向かう高速バスの中からインディペンデンスを拝ませてもらったけど、マイカル小樽(現ウイングベイ小樽)をも威圧するような存在感、はっきり言って異様だったな。・・・・・・異様な光景はそれだけじゃなかった。札幌から帰ってきてマイカル小樽に寄ったんだけど、米兵が多数闊歩し、地元の女の子たちがナンパしたりされたりしていたのだった!その話を彼女(今は妻)にしたら、「米兵をおっかないと思わないなんて信じられない」とのたもうた。やっぱり彼らは軍人。明日の命もわからぬ人たちだから、やけくそになって犯罪に走る気持ちにもなりえるのだ。だからこそ米兵の犯罪はやまないのだとトドロキは思う。特に海兵隊にいたっては、殴りこみ部隊だからいの一番に戦死するリスクを負っている。だから超攻撃的にならないとサバイバルできないので、そういう人間になるよう精神構造から作り変える訓練を受けるそうだ。ゆえに、この小樽において米兵と接するのとロシア人船員と接するのとは次元が違うのである。ロシア人の中にはマフィアもいるかもしれないが、おっかない米兵に会う確率の方が高いと思っている。タクシー運転手になった今となっては、米兵を乗せるほうがはるかに怖いとさえ思う。小泉首相のお膝元でも米兵による強盗殺人事件があったばかりじゃないか!!くどいようだけど、くりかえし言わないと誰も触れたがらないから。他のどこでも米軍基地の移転を拒否されたら?そのときは小樽に白羽の矢が立つこともありえなくはないかも。中国、ロシア、北朝鮮に対して同時ににらみを利かせることが出来るから。それに今の小樽港は、荷物を石狩湾新港や苫小牧港に取られて仕事がどんどん減ってきているから、それにつけ込んで「基地移転による地域振興・雇用確保」というアメをちらつかされることも十分考えられるのでは?とにかく、このことに鈍感である間に、気がついたら基地ができていたということのない様アンテナを張り続けていこうと思った私トドロキであった。
2006.03.14
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米軍厚木基地からの米空母艦載機移転の是非を問う、山口県岩国市の住民投票が12日に行われたが、結果は投票率58%で投票が成立し、投票者の約9割が反対という結果になった。小樽市民のわたしが言うのもなんだが、その話をラジオで聞いて快哉を叫んだものだ。国と地元の受け入れ推進派の言い分、裏を取ってみると到底容認できるものではないのであった。基地を増強するにあたっては、防衛施設庁が仲立ちになって行うわけだが、そもそもこの岩国基地拡張工事の官製談合で264億円もの公金がむだ遣いされたのだ。このことは赤旗日曜版の3月12日号に書いてあるぞ。共産党の市田書記局長はこうのたもうた。「このお金は、結局防衛施設庁の天下りを確保するために使われた。国の防衛どころか高級官僚の退職後の生活防衛のために、国民の税金が使われた。」と。なるほど。前から国家予算が米軍基地の増強のために使われ、それを「思いやり予算」と指摘されてたのは知ってたけど、それで甘い汁を吸ってたのは米軍だけじゃなかったんだ。日本の防衛施設庁の役人も、そこから仕事をもらうゼネコンも、みーんなグルになって甘い汁を吸ってたんだな。おっと、ゼネコンから献金をもらってる代議士先生のことを忘れてた。結局政治家までグルになって、利権の甘い汁にあずかってるってわけだ。目を岩国と沖縄に向けてみよう。そこには戦闘機の爆音が響くのは日常茶飯事。米軍が起こす戦闘機の墜落事故。米兵の犯罪によって市民が犠牲になりながら、日本の手で裁けない現実。沖縄でも、さらに言えば小泉さんの地元の横須賀でも、現に犠牲者が出てるじゃないか。赤旗日曜版の3月5日号では、生後3ヶ月の赤ん坊がいる主婦が、子どもを主人公にしたマンガで住民投票に行こうと呼びかけたのだ。「ボクたちの未来におおきなきちはいらない でもボクまだ『とうひょう』にいけないの だからおねがい ボクのかわりにハンタイのとうひょうしてね」子どもの幸せを願う母の切なる思いがこもっている。実際この主婦は、爆音が響く病院で出産したそうだ。それに何より、戦争を準備している基地が身近にあることに恐怖を感じたと語っているのである。私トドロキ、5ヶ月の赤ん坊の父として同情を禁じえない。だが私の町には基地がないから、共感しきることはできないのだ。情によって、わずかに橋がかけられるだけ。それでも、その情を大事にし、想像力をもって基地の町の大変さをわかろうとする心だけは忘れまいと想う今日この頃なのだ。
2006.03.13
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以前、「ひよこクラブ」で子どもが泣いた時に替え歌を歌ってあやすというのがありました。その中にちょうちょの替え歌があって、息子が泣いた時に妻がよくあやしていたものでした。てんちゃん てんちゃんかわいいあかちゃんてんちゃんがわらったらママもうれしいかわいいてんちゃんげんきなてんちゃんてんちゃんがわらったらママもうれしい今日もてんちゃん(私の息子)が泣いていたのだが、ママはご飯支度をしていたので自分であやしてみた。私はくまのプーさんのメロディが好きで、いやなことがあった時もそのメロディを口ずさむと心が和んでいた。そこで、こんな替え歌をうたってみました。はれたそらのしたで げんきにはいはいはれたそらのしたでゆかいにうたおうよてんまちゃん てんまちゃんかわいいてんまちゃんはいはいてんまちゃん てんまちゃんかわいいてんまちゃん(リフレイン)てんまちゃん てんまちゃんかわいいてんまちゃんうたおうよてんまちゃん てんまちゃんかわいいてんまちゃんこのブログをご覧の皆様も、ぜひ自分の子どもの名前に置き換えて歌ってみてはいかがでしょう?「はいはい」を「あるこう」にしてもいいと思いますよ。歌っているパパもママも、気持ちが明るくなることと思います。
2006.03.10
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今思い出してみれば、ここ1ヶ月まるまるブログから遠ざかっていました。自分で更新しなかったばかりか、楽天広場の他の皆様のブログも見ていなかったのでした。こうして久々に記事をアップしていると、何で2月は更新できなかったんだろう?という思いが頭のなかをぐるぐるしていますね。思い当たることといえば、1月下旬に書いた記事の内容が、他者を批判する行き過ぎた文面、言い回しがあったなと思って後から読み返したら恥ずかしくなったというのがあります。それから今までの間に「このことについて書きたい」と思ったことは数多くありましたが、パソコンに向かうと書く手が止まってしまい、自分のブログすら読み返せない日々が続いたものです。何だか文面に、「痛烈な皮肉」みたいなものがちりばめられて、日記のタイトルと方向がずれてきているなと思っていました。それでしばらく日記から遠ざかっていましたが、「それでもやっぱりこのことについてはこう言いたい」というものがいっぱいたまってきていました。大変穴を開けてしまいましたが、今日から復活です。2月にあったことについては、「ザ・追い書き」シリーズとして書いていきますので、これからもよろしくお願いします。
2006.03.05
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モーニング娘。(卒業したんだっけ?)の加護ちゃんが喫煙した。私トドロキ、思わず記憶が中学時代にトリップした。おニャン子クラブの「文春タバコ事件」を思い出してしまったのだ。確かあの時はソッコークビだったよな?あの時クビになった子たちはどうしてるんだろうと思ったものだ。こんなのすっぱ抜いて喜んでるなんて、フライデーも新鮮味がないなぁと思ったものだ。だってネタとしては陳腐すぎるんだもの。むしろ木村一八が大暴れした記事のほうがよりインパクトがあったね。10代の喫煙・飲酒なんて、トドロキが高校生だった時も間近に見てきたよ。隣のクラスの生徒が夜パクられて、芋づる式に14人も補導されたってのも聞いてたから全然驚かない。加護ちゃんの喫煙について、タクシーの中で聴いたラジオではこうコメントされていたね。「10代の喫煙は珍しくはないけれど、タレントがやったら同世代の子に与える影響は大きい。」だって。私トドロキ、何か釈然としなかったな。それ以前に興味本位で吸い始めた子の方が多いような気もするけど。そうしたら、わたしが顔を出してる「大人のADHDの会」の理事長、白井由佳さん、ブログ(2月9日)でずばり一刀両断してくれた。まさに快哉モノだった。あの顔じゃ絶対似合わないよなんて、他のどの意見よりも説得力があると思う。トドロキが思うに、加護ちゃんファンの多くは彼女の愛くるしい顔と喫煙している図とのギャップがあまりにも大きいから、ただ単に目が点になって思考停止しているだけだと思う。何しろこのトドロキも加護ちゃんファンの一人だし。何もこのことについては、こむずかしー理屈をこねくり回す必要なし。加護ちゃんに言いたいことはただ一つ。タバコなんて、似合わねーからヤメロ。ただそれだけのことじゃないかな。
2006.02.09
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確かこの日だったと思うが、名古屋で車の走行方法をめぐるケンカがあり、それを止めようとした同乗女性が二人とも後続の車にはねられて一人が死亡する事故があったのだ。私も強引な割り込みをされた時にはたしかに腹も立つが、事故にならなかっただけでも善しとしている。今でこそその境地に至ったがかつては私も、強引な右折により歩行者をはねそうになった車を、営業車でパッシングしながら追い回したことがあったのであった。当然始末書モノだったが、二度とは出来ないやんちゃであり、今思えばある意味、人生のスパイスであった。それからしばらくして、私は「光に向かって 花いっぱいの散歩道」(高森 顕徹著:1万年堂出版)という本と出合い、その中の“腹立ったときは、数を数えよ~焼け野原で一人泣きたくなければ”という章(22ページ)が目に留まったのだ。この章には、次のようなことが書いてあった。上野の動物園のカバが、妊娠した。関係者は大いに期待したのだが、結局は死産に終わり、一同はショックを受けた。原因は何だったのか?それは、妊娠中のカバを他の部屋に移そうとしたとき、そのカバが大変怒ったことにあったのだ。その話を新聞は、「カバも、バカなことをしたものだ。」と報道したのであった。他にも、街道でケンカ口論を始め、殴り合おうとしたときにバッタリ倒れて死んだという話もあった。腹を立てると有害な毒素が身体をそこなうのだとか。だけれども、冒頭の話にあげたケースはもっとシャレにならない。腹を立てたドライバーが死んだのではなく、それを止めようとした妻が轢かれて死んだのだから。彼はたった一瞬の怒りによって妻を失ったのだ。それで41年の人生に終止符なんて、妻には死んでも死に切れないような、無念の思いがあっただろうに。はっきり言わせてもらおう。この夫は胎児を死なせた上野のカバと同じレベルに堕したのだ。引用した本の章の副題どおり、焼け野原で一人泣く破目になったのである。腹が立ったら数を数えるも善し、お酒を飲むのも善し、サンドバッグをたたくも善し。とにかく己の一時の怒りで周りを焦土にする愚を犯さぬよう心がけたいものだ。それこそがこの事故で亡くなった女性への供養となるだろう。
2006.02.05
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最近、隣の家の旦那が「最近の若い人は、除雪もろくにしないのか。」とぼやいているのを耳にした。今年の小樽は未曾有の大雪に見舞われ、隣の家の旦那は毎日のように自分の除雪機で、我が家のあるアパートに通じる取り付け道路を除雪してくれていたのだ。一方私はといえば、アパートの階段と踊り場を除雪するのみ。後ろめたい気がしてその旦那と極力会わないように外へ出ていたものだった。そんなある日、私は妻子が寝静まってから本を読んでいた。光に向かって花いっぱいの散歩道(高森顕徹著・1万年堂出版)という本だけれど、その中に、わざと道の真ん中に大きな石を置いて市民の公共心を試したドイツの王様の話が載っていた。道行く市民は誰一人としてその石をどけず、不平不満を言いながら通り過ぎただけだったのだ。見かねた王様はついに、市民を集めて石を置いたのは私だと訓示した。そして自ら石をどけると、石の下から宝石と金貨20枚が出てきたのだった。「この石をどけた者に与える」という一文もついて。それから何日かがたった今日、わたしは営業車を近くの駐車場に止めて我が家に昼食をとりに行こうとしたら、足元がツルツルになっていた。車は4輪フルロックさせながら滑走し、わたしとすれ違おうとしたおばさんが目の前で転倒したのだった。わたしは駐車場に備え付けのスコップを借りて、氷を叩き割り始めた。表のツルツル面が割れるとその下の圧雪面はすべらなかったので、たたき割る続けたのだが、久々に腕を酷使したので10分で車2台分の範囲しか氷を割ることが出来なかったのだ。途中向かいのおじさんが出てきて、「ただ疲れるだけだからやめなさい。そのうち除雪車が来てくれるだろうから。」とのたもうた。だがここであきらめるわけにはいかない。そのうちわたしの妻も、赤ちゃんを抱いてここを歩くのだろうから。食事終えて出てきたら、今度は剣先スコップの出番だ。さすが剣先、よく刺さる。だが、やっぱり10分で車2台分の範囲しか割れなかった。それでもあきらめるわけにはいかない。この日は日勤だったので夕方に仕事を終えて、ホームセンターでつるはしを買ってきた。これが、よく割れること割れること。固い氷も一撃で粉砕。駐車場の周辺を前後20メートルほど氷割りをしてから、つるはしを担いで自宅アパートの入り口へと向かった。そこにはちょうど、ロードヒーティングと圧雪路の境目に固い氷の轍があり、車が滑走したり歩行者が転倒していたのだ。氷がとても固いので砂を撒いても効果が弱いのであった。ここで買ったばかりのつるはしの出番。わずか5分で車一台分のスペースの氷を粉砕した。ちょうどそこで空腹になり気温も低下してきたので家路についたのであった。「あれをみよ みやまの桜 咲きにけり 真心つくせ 人しらずとも」(「光に向かって 花いっぱいの散歩道」60頁より)とつぶやきながら。明日も、またやろう。今日割ったところの間には、ツルツルな轍が200メートルも続いているのだ。
2006.01.31
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「見ず知らずの人の行いを注意したら、暴力を振るわれた」という話を私はよく聞いたが、今までそういうことをする連中の気が知れないと思っていた。だがしかし、最近はそういう連中の心理状態がなんとなくわかるような気がしてきた。ヒントは、子育てハッピーアドバイス(明橋大二著・1万年堂出版)という本の中にあったのだ。明橋先生によると、子供には叱っていいタイプの子と、叱るのに注意が必要なタイプの子がいるそうだ。叱ってもいいタイプの子1)わりと自分に自信があって、何事に対しても前向きで積極的な、情緒的に安定した子。2)のんびりした子。おおらかな、物事にこだわらないタイプの子。・・・・・こういう子は、見ず知らずの人に注意されてもまず逆ギレはしないだろうな。叱るのに注意が必要なタイプの子1)非常に気の小さい子。2)意地っ張りで頑固で、「どーせ」とか言う、いわゆるかわいくない子。・・・・・こういう子は本当はとてもナイーブで、けっこう傷ついているのだとか。表向きは憎まれ口をたたいて反発しながらも、内心は人の数倍も傷ついているのだった。実際この本でも、妹をたたいてお母さんに叱られたお兄ちゃんが、表向きは反抗的な態度をとりながらも心で大泣きしている図が載っていたし。私トドロキの場合も、「叱るのに注意が必要な子」の部類に入る。職場でささいなことで叱られた時、「ハイわかりましたぁ。金輪際そのようなことはしません!するなってことなんですよね!?」と言ってさらに相手を怒らせたことがあるのだ。しかし内心では「僕って本当にだめなんだ~」と大泣きしていたのだ。私はそのときの感情を胸に収めているが、感情が抑えきれない人が逆ギレに至るのではなかろうか。感情をあらわにすることを抑えた場合でも、「逆恨み」となって自分の心の中にわだかまりを残すのだろう。私の場合は「暴力は絶対にいけない」という強い理性が働いているので逆ギレはしたことがないけれど、正直言って素直に反省できず、やっぱり逆恨みの火種がしばらくの間くすぶり続けていたものだった。・・・・ここでトドロキ、ある話を思い出した。数年前、栃木県の中学校で若い女教師がキレた生徒に刺殺されたという話なのだが、ラジオで聞いたところによるとこの教師、刺されるまでの間に10回も加害少年を叱ったのだそうだ。もしこれが本当なら、トドロキはこの加害少年にも同情を禁じえない。この少年でなくても、私が彼の立場だったらこう思うだろう。「この先生、オレを目のカタキにしている!」と。このブログをご覧の方の中には、「正しいことを教えるのに、何で間違っている相手に気を使わなくちゃならないんだ?」と思っている方もいるかもしれないけれど、相手の思い、事情、言い分に耳を傾ける余裕があるか否かで余計なトラブルを未然に防ぐことが出来ることも忘れないでいただきたいものだ。「キレる子どもは、たいてい、本当は、人一倍気を遣う、優しいところをもっています。」“明橋大二著:子育てハッピーアドバイス”より。
2006.01.27
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私の愛車は三菱ミニカ。平成11年式の4ナンバー車だ。ミニカの4ナンバー車って、後部座席が狭くてまるでベンチのような椅子だが、新規格になったせいか少しは膝元にゆとりがある。この手のボンネットバンって、他にもアルトやミラ・プレオがあるけど、意外と人気があるようだ。バンって内装が質素すぎて不人気なのかなって思ったけど、一般マイカーとしてもかなり見かける。主におじさん・おじいさんが多いけど、若いお兄さんが乗っているのも時々見る。この手の軽ボンバンって、「最もカネを食わない4輪車」といえると思う。1;新車の車両本体価格が55万~70万円前後。・・・70万円で、4WDのAT車が買えるのはこの手の車だけだろう。スターレットもスイフトも軒並み価格が上昇し、今は80万円で買える仕様がなくなった。先代スイフトには80万円を切る仕様があったのだが。2;重量が軽く、燃費が良い。・・・わたしのミニカは車両重量が700キロしかない。タクシーだとめり込むような雪道でもミニカならめり込まないところもある。それに万が一埋まっても脱出の際に借りる人手は普通車より少ないはずだ。ちなみに燃費はリッター15キロ。最悪のときでもリッター12キロはくだらない。それでいながらエンジンは乗用タイプと同じだから馬力もあって元気に走る。3;自動車税はたったの4000円。車検時の重量税もほとんどかからない。…軽1BOX・軽トラでも同じく4000円の車税は変わらない。重量税も5000円かかったかどうかだ。むしろ自賠責保険料の方がはるかに高かった。4;タイヤなどの消耗品や交換部品が安い。…スタッドレスタイヤが4本セットで2万円そこそこから買える。軽でも値段の張る乗用仕様だったら2万で買えるだろうか?4ナンバーの軽ボンバンは、かつては軽自動車の主流だった。今でこそ新聞屋・ピザ屋・置き薬屋御用達になってしまったが、1名・2名乗車がほとんどならかえって合理的な選択といえよう。後部座席を折りたためば荷室は完全に平らになるのでキャンプ道具・つり道具、楽器などの類が無駄なく入る。我が家のミニカは後部座席にベビーシートをくくりつけているが、遠乗りする時はめったにないのでそのときはレンタカーを借りているのだ。それもふだんの足がカネを食わないから出来ることなのであった。
2006.01.12
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いつだったか忘れてしまったが、わたしはラジオで交通安全キャンペーンのコーナーを聴いていたら、こんな話をしているのを耳にした。「夜道ではライトを遠目にして走るのが本当だ。近目にするのが原則と勘違いしている人が圧倒的に多いようだが、近目にするのは対向車が近づいてきた場合に、相手を眩惑しないために行うものだ。」わたしとしたことが、タクシードライバーでありながら今までこの原則があったことに気付いていなかった。しかし私トドロキ、これはだいぶ前から実行していたことだったのだ。北海道の田舎道は夜特に交通量が減少するため、車の流れが本州では考えられないほど速いのだ。そんな中で車を走らせると、近目のライトじゃ前方の危険を発見するのが遅くなりがちなのだ。だからわたしは夜は遠目で走り、対向車が近づいたら減光するようにしたのだが、それは対向車に対しても、「私はあなたの存在を確認しましたよ。」という合図にもなるのだ。先の見えないカーブで、反対側からの光が切り替わって見えるときがある。おそらくは対向車がこちらの存在に気付いて減光したのだろう。さらに言えば、私は昼間もライトをつけて走っている。いわゆるデイ・ライト運動の一環で、相手から見られやすくするためなのだが、見通しがよく流れの速い田舎道では昼間でも遠目だ。「こっちは高速で走っているぞ」と対向車にアピールするためだ。ちなみにこの方法、電車にヒントを得た。電車は昼間でも点灯しており、高速走行時は昼間でも遠目で走っているのだ。そして駅に進入するとき減光してくるのである。
2006.01.10
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わたしはこの日の夜、日付をまたいで「ヤンキー先生!義家弘介の夢は逃げていかない」を聴いていたのだが、最近この番組でのホットな相談内容がなんと、14歳で妊娠してしまった少女が親にそのことを打ち明けられないでいるということだったのだ。彼女の相談に対するリスナーの反響はとても大きく、彼女を批判する内容のもの、中絶経験者からのメールなどがあったのだが、中でも一番わたしの心に引っかかって離れなかったのは、50代の医師の方からのお便りであった。その先生は研修医だった頃、体内出血をして心肺停止状態で運び込まれた14歳の少女の話をしていた。彼女はなんと妊娠していて、急激な胎児の発育(細胞分裂)に対して子宮が対応できず、子宮破裂により亡くなったのだ。先生はこう話す。「中絶手術は総合病院で行った方がいい。産婦人科だけじゃなく、内科、外科などの医療チームを組んで行う必要があるからだ。」わたしトドロキも性教育の本で読んだことがあるが、中絶手術そのものの失敗(子宮をひっぱり出してしまうこともあるのだとか)や、不測の出血、子宮外妊娠、妊娠中毒症状など様々なリスクを伴うものなのだそうだ。ましてや14歳ならば母体も未成熟だから、妊娠に体の方が耐えられないということも十分考えられる。・・・・義家先生も相談してきた少女にこう話していた。「これは緊急を要する問題なんだ。妊娠させた元彼だけじゃなくて、母親にもついていってもらえ!子供の命がなくなるのは悲しいけれど、お前の命も大切なんだぞ!」と。等々力たくみ、33年生きてきて中学生の妊娠、中絶のことについて今まで以上に胸を痛めた。我が家に赤ちゃんが生まれてきて、命の誕生のすばらしさを改めてかみしめたからでもあるが、その一方で流産があり、中絶があり、大勢の赤ちゃんが犠牲になったことも忘れてはいなかった。今回はそれだけじゃない。予想外の妊娠によるトラブルで、妊娠した女性が命を落とすことも少なくないことを知ったのだ。「中絶は殺人行為なのだから、どんな理由があろうと行われてはならない。」という意見を言うものがいる。わたしはそれに対し、「本当にやむをえないケースだってあるだろうが!中絶をためらったためにお母さんまで死んでしまったら、元も子もないだろ。馬鹿の一つ覚えの空念仏を唱えてる場合かっつーの!」と反論したい気持ちでいっぱいだ。ここまでいろいろな現実を知ってしまうと、中絶絶対反対の意見って単なる感情論に聞こえてならないのだ。もう一度繰り返すが、「馬鹿の一つ覚えの空念仏を唱えてる場合か?」というのは、先に書いた医師の話を聴いて、中絶反対論者に対する怒りが抑えきれず、そばにいた妻に対して吐いてしまった言葉だ。このコトバ、きっとこのブログ上でも物議をかもすだろうが、これがわたしのホンネである以上、簡単に取り消すことはしない。それは違うだろう!ということをぶつけることから、建設的な議論は始まるのです。このことに関するみなさんの意見をぜひぶつけてきてください。
2006.01.08
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久々に、わたしのブログを見ました。カレンダーを見たら、実に19日もの空白があって、自分でも「ずいぶん穴を開けてしまったな。」と思ったものです。更新が大変滞っていたにもかかわらず、くりかえしご訪問していただいた方には大変感謝しています。どうもありがとうございます。思えばこの時期、臨時の深夜勤務が相次いでいました。その勤務明けにお得意先回りをして粗品を配っていたので疲労が蓄積し、家にいたときは寝ていたことが多かったのです。その間にも、思ったことはいろいろ。追い書きという形で、順次アップしていきます。
2005.12.29
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お話としては古いけど、この日は我が家にとって重要な一日なので書かせていただきます。この日は長男・天馬が生まれてはじめてのクリスマス・イブ。ママは息子とはじめてのクリスマスイブを楽しみに待っていたようです。だけれどもパパは23日から丸一日の勤務。睡眠時間を削って深夜のお客様からの予約に応えるべくアンテナを張っていたのだ。そしてこの日の朝7時に勤務から開放されたのだが、年末恒例の顧客回りで粗品を配達し、挨拶回りをしなければならなかったのであった。ママと天馬はどうしているかな・・・・・・。眠気と疲労でへとへとになりながら、何とか回り終えて帰宅したのは14時であった。そのときにママが撮ってくれた長男の写真です。当然、我が家のクリスマスイヴはこのままでは終わらない。わたしはクリスチャンなので、イヴは教会で迎えるのだ。教会のイヴ礼拝は午後7時から。ろうそくの明かりしか灯らない礼拝堂で、厳かに賛美歌を聴きながら迎えるのだった。だけど、長男はいたっておとなしかった。牧師先生の説教の間も、賛美歌の間も、一時間半の間ずっと寝ていたのだ。心地よい子守唄に聞こえたのだろうか?人と違ったイヴであっただろうが、何を思っていたのだろう?長男のお楽しみはむしろ、礼拝後のお茶会だったかも。何しろこの日は、教会員の赤ちゃんが3人も集まったのだから。しかも3人とも2005年生まれ。教会のおじいちゃん、おばあちゃん方が手ぐすねひいて待っていたのであった。それでは我が教会の、2005年ベビートリオの写真をとくとご覧あれ。仰向けに寝た水色の服の子が長男です。うつぶせに向かい合っている左側の子が5ヶ月児、右側の子が9ヶ月児です。そして長男は、2ヶ月児です。居合わせたおばさんは、「子供の発達がよくわかるわねぇ。」といいながら笑っていたものです。ちなみにこの子達は、3人とも男の子です。あと一年後は、ものすごくにぎやかになっていることでしょうね。みんな終始ごきげんなクリスマスイヴでありましたとさ。
2005.12.24
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