♪ 大海に小石を投げて悦に入る生きてるだけのものにやあらず |
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最近何をやるにも時間がかかり、持久力もなくなって直ぐに疲れてしまう。そりゃあ73歳にもなれば、何にしても衰えるのは当然だろう。しかし、現役でバリバリやっている人は沢山いる。政治家なんかこれからという歳かも知れない。 バックナンバーから2018年のブログを読み返してみると、このころは毎日充実した内容の文章を書いている。自分で書いていて “良いこと書いてあるなぁ” なんて感心するぐらいだ。 そんな中に、三人称で書いてあるのがいくつかあった。こんな歌を詠んでいるところを見ると、一度自分を離れて客観的に世の中を見てみようと思っていたらしい。 ♪ 三人称に替えて離れて吾(あ)を語る別人なれば責任もなし ちょっと発想を変えてのマンネリ打破。イメチェンを図ろうとしたらしいが、やっぱり付け焼刃は続かないようでいつの間にか消えている。 自分の文体を変えるというのはなかなか難しい。せいぜい七五調で書いてみるのが精いっぱいだ。小説なら町田康のように “ぶっ飛んじまう” のもいいだろが、日記となるとそうもいかない。そうもいかないと、思い込んでるところがそもそもダメか。 “架空の主人公を登場させてエッセイを書く” なんていうのは邪道だろう。でも面白そうではある。わがブログなんてしょせん哀しき自慰行為。リアクション無しのただの自己満足。何をどう描こうが誰にも迷惑は掛からないし、文句を言われる筋合いもない。 一応は日記の要素も入れ込みながら、勝手なことを虚実織り交ぜて書くというのもありかも知れない。しかし、それにはかなりの時間がかかる。原稿料がもらえるならまだしも、一日かかって書くというのはいくら暇人でもさすがに無理だ。 そして一番問題なのは短歌だ。本来は短歌を乗せるために、2006年5月8日に始めたブログだ。最初のころは短歌だけの日も多かったが、徐々に文章に力が入っていった。そして最近は、短歌がおろそかになっている。根気と情熱の炎が消えそうでどっちつかずの、中途半端な状態になっている。 その日のブログへのアクセスよりも過去のものへのアクセスがメインになっている。所詮こんな感じで推移している。今まで書いてきたブログはアーカイブとして、放っておいてもアクセスは稼げる。アクセスを気にすることも無い以上、好き勝手なことを書けばいい。 今までいろんなことに挑戦してきた。同じところに留まっているのが苦手な自分が、未だに短歌だけは手放さずにいる。文章を取るか短歌をとるかと悩んだこともあるが、やはりどちらも手放せない。結論はまた先送りに・・・ |
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