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娘の中学には、数人学校に来れない子がいた。その中の一人の子が、先月の終業式の日に学校に来れたのだと言う。娘は、来てくれたのが嬉しくて、帰りにずっと話ながら帰って来たのだと話してくれた。彼女が学校に来れたキッカケは、娘の親友の努力の成果だった。娘の親友は、彼女と家が近かったので、毎朝彼女の家に寄って「おはよう」を言いに行ったのだと言う。その行為が、きっと彼女の心動かしのだろう。娘は、娘で。部活の朝連で、誰かを誘って学校に行く事はできないので、学校に来れない子に手紙を書き続けていた。「返事は期待してないよ、でも学校の様子が少しでもわかったほうが、来た時に困らないだろう」と思った娘は、数日毎に手紙を書いていたのだ。それを親友の子が、前日のノートと一緒に、毎朝届けていたのだという。娘達がそんなことをするようになったきっかけは、なんと小学校の時の担任の先生の一言だという。この春で、担任だった先生がこの春で定年を迎えるという話を聞き、小学校に遊びに行った時。不登校になっている子の話を聞いた担任の先生が、「中学では違うクラスかもしれないけど、小学校では同じクラスだったんだから。お前らも時々声を掛けてやれよ~」と言ったのを聞いて。じゃあ、そうしよう言うことになったのだそうだ。不登校の元クラスメートが、久しぶりに学校に来ても困らないようにと、毎日のノートのコピーと、学校の様子を書いた手紙を届けることにしたのだ。終業式に来た子は、その後春休み中の登校日にも、ちゃんと学校に来ていたと、娘が嬉しそうに話してくれた。そして、4月になり始業式の日。娘が手紙を書きつづけていた不登校の子が、半年ぶりに学校へ来れたという。クラスが違うので、ゆっくり話す事は出来なかったらしいが、その子が、娘の名前を呼んでニコニコ笑いながら手を振ってくれた、と娘は本当に嬉しそうに報告してくれた。その子とは家が近いので、部活の朝連がない日には、一緒に学校に行こうと約束もしたらしい。明るい春の日差しと共に、彼女達の心にも春が来たのかもしれない。
2004年09月18日
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23日の夕方に、新潟県の中部を震度6強という大変強い揺れが襲った。しかも、その後も揺れは何度も続き、25日の正午まででも震度5以上の地震が14回発生し、余震も370回を超えたという。関東南部に居住している我が家も、始めの数回の大きな地震の際には、震度4程度の地震を感じ、その揺れはかなり怖かった。 マンションの1階に住んでいるので、普段はテレビの速報を見て「あ、地震があったんだね」と話す程度にしか揺れたことがないのだが、今回は短時間の間に数回かなりの揺れを感じ、正直言って怖かった。時刻は丁度夕飯時で、台所では火を使わなくてはいけない時間帯である。途中まで作りかかってしまったのでやめるわけにもいかず、様子を見ながら手早く支度を終えて、早々に食事にした。 夜更けまで断続的に発表される地震速報を見ていると、被災された方たちはどんなに不安だろうと思いながら、テレビにかじりつくようにして情報を待った。私の居住する関東南部は、昔から「関東大震災並みの直下型地震が起こる」とか、「東海地震が起こる」といわれ続けてきた地域だ。それだけに、私にとって地震災害は、とても人事とは思えないのだ。 一夜明けて入ってきた被害状況は、予想よりも広範囲におよび、開業以来40年も無事故を誇ってきた新幹線も脱線し、被災されたり停電や断水などライフラインを絶たれてしまった人もかなりの人数だった。震源が山間部だったこともあり、陸路が絶たれてしまい孤立してしまった村も何箇所にも及んだという。しかし、テレビに出てくる専門家の方の話によると、今回の地震は、プレートの摩擦によって起こる東海地震などと違い、日本列島に多々存在する活断層が、地殻の変動などの圧縮によってずれた断層の中央部が持ち上がる「逆断層型」と言われるタイプで、決して大きな地震ではないという。つまり、日本ではどこでも起きうる可能性が多々あるもので、地震前兆の予知もしづらいものらしい。 また、今回の地震の被災地では斜面崩壊や、地面の陥没などが多くみられた。これは、大きな台風でもともと地盤が緩んでいたことと、もともとの地形が急斜面が崩れてできた「地滑り地形」に手を加え、盛り土などをして整地をして出来た地形なので、地すべりが起こりやすかったことも大きな原因の一つだと指摘している。浜田政則・早稲田大教授(地震工学)も、路面が崩れた堀之内町の関越道について「片側が大きく崩れた。小さな谷を埋めて造った場所の典型的な壊れ方だ」と指摘。柏崎市でレールが曲がった鉄道も同様だという。大手ゼネコンの専門家によると、高速道路や鉄道の盛り土はビルのような基礎工事はしていないという。大被害に結びつきやすい場所では、新幹線の一部区間のように鉄板で盛り土を補強するなどの対策が必要という。浜田教授は「まず危険があることを広く知らせるべきだ」と指摘している。(asahi.comより)日本に住んでいる以上、この手の地震がいつおきても仕方が無いという覚悟をするべきだということだろう。しかし、いつ起きるかわからないものに対して、常に警戒をしながら生活するのは難しいが、最低限準備をしておくことは必要だということなのだと思う。 また、今回のように長い時間ライフラインである電気やガスなどが止まってしまった場合についても、それなりに備えておくことは必要だと思う。やはり、救助がすぐにこられるとは限らないことからも、わが身は自分自身で護る備えが必要だと思う。ただ、我が家のようにマンション暮らしをしていると、暖房などは石油でもガスでもファンヒーターといって、直接火が表に出てこないものを使っている場合も多く、電気がなければ暖が取れないことになる。しかし、普段の生活での安全性や利便性を考えると、やはりファンヒーターなどを使用せざるを得ない。かといって、全ての家庭でキャンプ用のストーブを用意できるわけではないと思う。だとしたら、家電メーカーの方で、地震などで電気が使えない状態でも、どこかのスイッチを切り替えることで、とりあえず暖房としては使えるような仕様のファンヒーターの開発などを手がけてるとも必要ではないかと思う。 最後に、今回の地震で被災された方、またライフライン等の復旧の遅れで不自由な生活を余儀なくされた方々へ、心からお見舞いを申し上げます。2004.10.25掲載
2004年09月17日
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日本プロ野球組織(NPB=日本野球機構)への新規参入を申請しているIT関連企業ライブドア(堀江貴文社長)、楽天(三木谷浩史社長)に対する2回目のヒアリング(聴聞会)が14日、東京都内のホテルであり、インターネットの成人向けサイトに対する質問がライブドアに集中した。「公共財としてふさわしい企業、球団か」という審査項目があり、審査に大きな影響を及ぼす可能性がある。清武委員(巨人球団代表)が、NPBに投書があり、ライブドアの検索サイトから簡単に違法画像を見られたことを指摘。「見つけたら削除しているが、すべて削除するのは無理」とする堀江氏に「容認するのか?」と詰め寄った。両社が運営するインターネットのサイトから成人向けサイトにつながることが指摘された。楽天は、クレジットカード決済を導入して、本人の年齢確認などを厳密にしているとし、「青少年が見られない仕組み」と説明した。一方、ライブドアは「違法画像を含むサイトを見つけたら排除しているが、いたちごっこ。インターネットのサービスをやる以上、現状では(対応は)難しい」とした。(asahi.comより) インターネットで検索サイトを利用したことのある方ならご存知だと思うが、実際はライブドアだけではなく、楽天が運営する検索サイトinfoseekからも成人向けサイトへの接続は可能であるが、質問はライブドアに集中したという。これを受けてライブドアでは、早速接続窓口となる画面から「アダルト」の項目を削除するなどの対策を取った。年頃の子どもを持つ母親の私からすれば、理由はどうであれ、あまりにも容易にアダルトサイトへ接続できてしまうという現状を、少しでも改善する方向に動いたことはいいことだと思う。しかしその動きが、今回のようなことにあること起因していることには疑問を感じてしまう。 これは私がまだ学生時代の話。通学途中の電車内で、野球チームを所有している新聞社が発行しているスポーツ新聞を持った男性を居合わせた。スポーツ新聞には、成人向けの記事や広告がたくさん掲載されている。その男性は、なんと狭い車内で私の顔の前に、その成人向けの記事を向けた形でスポーツ新聞を読み始めた。ネット上のサイトのように無修正というわけではないが、当時高校生だった私にとっては、身動きの出来ない状況でとても嫌な思いをした。しかも私の隣には、ランドセルを背負った小学生の男の子までいたのだ。しかも、同じような思いはその後数回経験している。もしかしたら、私のほかにも同じような経験をされた方はいらっしゃるかもしれない。 そんな公共の場で、成人向けの記事をわざと広げる人が無神経なだけなのだと言ってしまえばそれまでなのかもしれないが、私からみたら、スポーツの情報を伝えるための新聞に、成人向けの記事を堂々と掲載していることに疑問を覚える。しかも、スポーツ新聞を購入するにあたって、身分証明書等で年齢の確認を受けたという話は聞いたことがなく、電車の車内などに放置されたスポーツ新聞が、子ども達の手に渡る可能性も否めない。実は、私はその嫌な体験をしたあとに、そのスポーツ新聞を発行している新聞社に、「こんな嫌な経験をしたので、スポーツ新聞の成人向け記事をどうにかして欲しい」という旨の投書をした。しかし、新聞社からは何の返事もなく、当然のことながら改善をされたということも聞かない。今回のように、成人向けサイトに接続できてしまうことが、公共財としての健全性に欠けるのだとしたら、スポーツ新聞に掲載されてるい記事も削除するべきではないのだろうか?と私は思う。 しかし、一番問題なのは、今回のやり取りの一部始終は、大人だけはなく子ども達も注目していることを、NPBが意識していないという点だと思う。アダルトサイトへの接続の簡易性云々の問題ではなく、多くの報道でも言われているが、NPBのライブドアと楽天に対する対応に、あまりにも違いがあるということを、子ども達が感じているのだ。同じ内容の質問をする場合でも、質問文は同じではないことで、答え方も変わり印象も変わる。それは私の目からみても、公共の場で平然と行われている「いじめ」を見ているような気持ちになる。子ども達がどちらの企業を応援しているかにもよるのかも知れないが、このように多くの人の目からみて、明らかに一方に肩入れしているように感じられる方法で審査をしても、その結果を公平な判断の元で下されたものだとは受け取りづらくなるのではないだろうか? 今回の一連の審査を見ていて、こんなところでも、NPBはファンの目やファン自体を無視してしまっていることにまだ気がつかないでいるのだという思いを、抱かずにはいられなかった。2004.10.20掲載
2004年09月16日
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10日に文部科学省が公表した、「2003年度体力・運動能力調査」によると、中高年の体力が20年前に比べて向上しているが、小学生の基礎的運動能力は、運動をしない子ほど低下の割合が大きいことも明らかになった。 Asahi.comによると、「40~79歳の中高年層は5年前のデータと比較した。握力や上体起こしなどのテストの合計点がすべての年代で5年前を上回った。また、中高年層では「体力年齢」が実際よりも若い人の割合が増えた。特に50~54歳の男性は、体力年齢の方が若い人が41.1%にのぼり、5年前より11ポイント増加した。調査にあたった青木純一郎・順天堂大副学長(運動生理学)は「健康管理のための運動が、単なるブームを超えて中高年の生活に根付き始めたのでは」とみている。6~19歳の青少年層では、走る・跳ぶ・投げるの基礎的運動能力と握力で85年前後から続く低下傾向は今回も変わらなかった。小学生については、運動する頻度に分けて体力格差を分析。体育の授業時間を除き、運動・スポーツを「週1日以上」する層と、「週1日未満」の層に分けた。6歳の時点ではほとんど差はないが、年齢が進むに連れて差が開き、11歳では全項目でよく運動をする層が高得点となった。だが、20年前の11歳と比較したところ、運動する、しないにかかわらず基礎的運動能力が低下した。」この調査は、64年から毎年行われ、今回は全国の6~79歳の男女7万1896人のデータを分析した結果だという。 先月の14日に厚生労働省が発表した全国高齢者名簿(長寿番付)では、先月末までに100歳以上になるお年寄りは昨年を2477人上回り、過去最多の2万3038人となったと新聞に載っていた。元気で長生きをされるお年寄りが増えたことで、日本人の平均寿命が80歳を超える結果につながっているのかもしれないと、その新聞記事を見ながらそんなことを考えていた私の元に、一本の訃報が飛び込んで来た。 娘の同級生のお父さんだった、まだ40代という若さだった。糖尿病を持っていて、最近あまり体調がすぐれないらしいということは聞いていたのだが、こんなに早く亡くなってしまうとは思っていなかった。そういえばここ数年、私は長寿をまっとうしたと言えるような方の葬儀には出席したことがない。皆、40代から60代とまだ働き盛りと言える方ばかりだ。国立社会保障・人口問題研究所の人口統計資料で死亡率によってみた死因順位をみてみると。(http://www1.ipss.go.jp/tohkei/index-tj.htm)1位が悪性新生物(ガン等)、2位心疾患、3位脳血管疾患と続く。100歳以上のお年寄りが2万人を超え、平均寿命も80歳以上になったのであれば、死因が老衰と診断される人が多いのではないかと思われるが、老衰は、5位の不慮の事故、6位の自殺に次ぐ7位であった。寿命は延びたものの、何らかの病に侵される方が多く、死因として老衰と診断される方が少なくなったのかもしれないが、事故や自殺で亡くなる方よりも割合が低いことに驚いたが、確かに私の周りでここ数年に亡くなった方の殆どが、ガンなどの病気が原因だった。 単純に亡くなった方の年齢と人数だけから平均寿命を算出するのだとしたら、8割の方が60代までに亡くなっていたとしても、そこに100歳を超える方々の数字が入っただけで、平均寿命は10歳程度上がってしまうことになる。実際には、そこまで極端なことはないと思うが、ガンなどの病気の進行は、年齢が若く元気な人ほど早いという。現に私の両親も、それぞれ50代と60代という若さで発病して亡くなっている。このまま行けば、日本は単純な少子高齢化社会ではなく、働き盛りである中高年の人口までもが減少して、過疎化社会になってしまうのではないかと不安になった。 先日も年金法の改正で、少子化による人口比率の変化によって、年金の負担額が割り出されていたが、現在の人口の割合や比率だけを見て算出した推移予測値を鵜呑みにして、それらのことを決めてしまってもいいのだろうかという疑問が、人口統計資料を見ながら沸いてきた。2004.10.13掲載
2004年09月15日
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メジャーリーグ、シアトルマリナーズで活躍するイチロー選手が、10月1日(現地時間)に、年間最多安打の記録を84年ぶりに塗り替えた。この試合は、アメリカだけではなく、日本でも放送されていたので、リアルタイムでご覧になった方も多いだろう。Asahi.comによると、「大リーグ、マリナーズのイチロー選手が年間最多安打新記録を達成した第2打席を中継した2日正午前のJNNニュース(TBS系)の平均視聴率は、9.9%だったことがわかった(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。同時間帯では一番高かった。瞬間最高視聴率は、記録達成後にチームメートらがイチロー選手に駆け寄り、試合が中断していた午前11時56分の13.1%だった。また、NHK衛星第1の試合中継(午前11時~午後2時18分)の平均視聴率は7.2%(同)だった。」という。 そしてイチロー選手の最多安打記録の更新のニュースと時を同じくして、日本のパリーグでは、今季から導入されたプレーオフの第1ステージの3連戦が行われていた。レギュラーシーズンで1位を獲得した、福岡ダイエーへの挑戦権をかけて、2位の西武と、3位の北海道日本ハムとが対戦した。シーズン中の順位が上である西武が初戦に勝利を収めたために日本ハムは後がなくなってしまうが、執念で第2戦に勝利を収める。最終戦では、日本ハムが初回に先制するものの3回に西武が満塁ホームランで逆転する。その後9回表にまた、日本ハムが2ランホームランで逆転するが、なんとその9回裏に先頭打者の和田が劇的なサヨナラホームランを打ち勝利を決めた。その一進一退の息を呑む攻防は、普段はあまり野球に興味がない主人まで、身を乗り出してテレビに釘付けになってしまうほどだった。 しかし、このイチロー選手の活躍やパリーグのプレーオフの盛り上がりとは逆に、今季の巨人戦の平均年間視聴率は過去最低で、オリンピック期間中には、18番組が一桁代を記録したほどで、来年の放送権料にも影響を及ぼしそうだという。 前述のプレーオフで熱い戦いを見せてくれた日本ハムは、今季から、本拠地を東京ドームから、北海等のサッポロドームに遷した。ストで試合数が減ったにも関わらず、今季の観客動員数は前年の2割増になり、ファンクラブの会員数は、実に7倍も増えたという。(asahi.com北海道より)これは、北海道がプロ野球の空白地域であったことが大きく影響していると思うが、メジャーリーグから移籍した新庄選手の影響もかなり大きいものがあると思う。新庄選手は、試合中の魅力あるプレーだけではなく、試合前にスパイダーマンの被り物のパフォーマンスをするなど、心にくいファンサービスを常に心がけていたことも、要因の一つであるといえるだろう。 イチロー選手が年間最多安打記録を達成した後のインタビューで、今季マリナーズが最下位であった中での記録達成についてどう思うか、という問いかけに対して。「僕達はプロなので、常に勝つことだけが目標で野球をしているわけでない。プロであるということは、エンターテイナーであるべきなので、常に観客を沸かせるようなエンタテインメントを見せたい」と語っていた。そう、プロ野球はスポーツでありエンタテインメントなのである。つまり、某チームのオーナーのようにファンの存在や、パフォーマーである選手の存在を無視しては、成立しえないと思う。そのことを現オーナーの人達や、プロ野球に関わる全ての人に、強く認識もらうことで、来季はよりいっそう魅力あるシーズンにして欲しいと思った。2004.10.6掲載
2004年09月14日
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今我が家の息子がはまっているゲームに「実況パワフルプロ野球11」というのがある。テレビゲームには、ドラゴンクストなどのように、冒険の旅をするロールプレイング。テトリスなどのようなパズルや、銃など撃って点数を稼ぐシューティングなどのいろいろなものがあるが、このパワプロと呼ばれる息子がはまっているゲームは、シミュレーションと呼ばれる育成ゲームで、実在のプロ野球のチームや選手のデータが入ったこのゲームでは、ゲームのプレーヤーが、大学野球の選手となって練習などで技術を上げてプロ入りを目指すモードや、プロ野球選手になって、引退するまで試合をするモードと、実在の球団や、自分のオリジナルの球団のオーナーとなって、チームを率いて、日本一を目指すモードがある。昔の野球板とテレビゲームが合体したようなものだ。 近鉄とオリックスの合併問題で球界がゆれていた先日までは、息子達は近鉄を率いてゲームを進めていた。友達と作った野球チームの練習が終わってから、数人の友達を我が家に呼んでは、ゲームの中の近鉄でどう戦うかをみんなで相談していた。そして、見事日本一にしたとうれしそうに私のところに報告に来た。 昨日も、野球の練習を終えてからそのまま数人の友達を我が家に呼び、今度は野球のゲームに熱中していた。よく聞いてみると、みんなで「頑張れライブドアーズ!」と声援を送っている。「ライブドアーズ?」と私が聞くと、息子達は振り返り「うん、ライブドアの野球チームを作ったんだ」と答えた。息子達が言うには、ライブドアの野球チームに「ライブドアーズ」と名前をつけてゲームをして、堀江社長の応援をしているのだという。普通この手のゲームでは、オーナーの名前は自分達の名前をつけるものなのだが、なんとオーナーの名前まで、堀江さんになっていた。 近鉄とオリックスの合併問題に端を発し、合併を強行するというオーナー側と、絶対に阻止したいという選手会側の主張が折り合わずに、とうとうストライキにまで発展してしまったプロ野球。結局、オーナー側が、来期の新規参入を積極に検討するという形で一応の解決をみたわけだが。その解決の糸口になったのは、合併問題が浮上した当初から、新規参入に真っ先に手を上げたライブドアの堀江社長の勇気ある行動だろう。 その後、皆さんもご存知のとおり、堀江社長はプロ野球のオーナー達から、「知らない人だ」というだけで門前払いのような扱いを受ける。しかし、そのたびにくじけることなく、仙台球場を本拠地にした新規球団の設立を申請した。その姿が、息子達の目から見ると、大人の手を借りずに自分達でチームを組み、練習場所から練習メニューまで、全てを自分達だけでやっている自分達と重なって見えたのだろう。ついこの前まで、「金メダリストの北島選手に会ってみたい!」と話していたのだが、「おれ絶対堀江社長に会ってみたい!」と言い出すまでになった。その理由は、堀江社長が「新規参入したチームは、初めは弱いかもしれないけど、いつかは優勝を狙えるチームにしたい」と話していたからだという。つまり、今自分達が熱中しているゲームと同じ事を、実践しようとしている堀江社長に共感したのかもしれない。 ところがそこへ、急に同じIT企業の楽天市場の三木谷社長が同じ仙台を本拠地にして新規参入すると名乗りを上げて来た。楽天といえば、IT業界でも最高峰に位置する企業だ。子ども達に、「なんで今頃あんなこと言って来るの?」と息子に聞かれたが、私には答えようが無かった。新しいアイデアと独自性が売り物のIT業界のトップといっても良いような三木谷さんが、まるで他人のふんどしで相撲を取るようなことをなぜするのか、私には理解ができないからだ。それが経営というもので、勝算が無ければ参入はしてこないのかもしれない。また、そのような経営手腕があったからこそ、今日の楽天があるのかもしれない。逆に言えば、先に仙台を本拠地にと言った堀江社長のプランは正しかったということなのかもしれない。 テレビのニュースなどで会社の資産額の違いを報じているので、経済のことに詳しくない子ども達でも、ライブドアと楽天の会社の大きさの違いはわかるのだろう。その結果息子達は、自分達のヒーローである堀江社長のことを少しでも応援したいと思ったのらしい。しかし、ライブドアという会社は、世間一般の企業から見たら、決して引けを取るような企業ではないと思う。 楽天の三木谷さんは、今のプロ野球のオーナー達とも面識があるという、経営のためのアドバイザーとしてもそうそうたる面々をそろえているという。しかしそれで、旧態然とした今のプロ野球界を改革することが出来るのだろうか。今まで、有名だからというような、表面的な部分や肩書きなどだけでオーナーを決め、なあなあでやってきた結果が、今のプロ野球界の現状を作ってしまったはずである。三木谷さんは、今までのオーナー達と同じ事をしようとは思っていないとは思うが、新しい一歩を踏み出そうとするならば、もっと新しい視点やプランをもって行動できる新しい風を入れなくてはいけないのではないだろうか。そういう意味では、堀江社長の率いる新しいチームは、今のプロ野球界に必要なチームではないかと私は思う。 息子達が率いたライブドアーズは、見事日本一に輝いたらしい。来期、本当にライブドアーズの活躍が見られることを祈って、息子達は次のシーズンも優勝させるべく、チームのみんなと頑張っている。2004.9.29掲載
2004年09月13日
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9月11日に行方不明になっていた幼い兄弟が、同居していた男性から虐待を受け挙句の果てに、生きたまま川に投げ込まれて命を絶たれてしまったという事件を聞いて、ショックを受けた人は多かったと思う。捜査が進み、事件の概要が明らかになっていくとともに、この幼児達が同居をしていた男に連れ出され、殺害されたことがわかった。普段から虐待を受けていたということや、加害者は犯行時に覚せい剤をしていたという情報も流れている。 この事件を受けて、被害者の父親は15日に会見を開いて、同居の経緯や加害者が子ども達に虐待をしていたことを以前から知っていたことなどを話し、「自分が気をつけていれば虐待は防げると思った、自分の考えが甘かった」と言い、「加害者は許せない、目の前にいたら殺してやりたい」と言った。たしかに、いくら被害者の幼児達の父親が、自分の先輩にあたるために、なにも文句が言えないというストレスを感じていたとしても、たかが3歳と4歳の男の子に対し虐待を繰り返して挙句の果てに殺害してしまうという加害者の行為は、到底許されるはずは無いものだ。しかし、その原因を作ってしまったのは、自らも認めてはいるが、やはり被害者の父親だと言えると思う。 二人の兄弟は数年前に父親が離婚をしてから、施設に預けられたりしたこともあり、今年の6月下旬から加害者家族と同居するようになった。その後虐待が発覚して、児童相談所や祖父母宅へ引き取られた時期もあったという。ことのほか仲が良くお互いを思いやっていたという二人は、ほんの数年しかなかった人生の中で、普通の大人では体験したことが無いほどの辛い思いをし、お互いを思いやり、かばい合いながら生きて来たのだろう。そんな健気な幼い子ども達のことを思うと、余計にやるせない思いがした。 この事件が、まだ単なる行方不明事件として扱われていた時から、兄弟が住んでいたアパートの映像が何度か画面に映し出されていた。その映像を目にしたとき、狭いベランダいっぱいに、とても丁寧にきちんと洗濯物干されていたのがとても印象的だった。事件の背景を知らなかった当初は、「ああ、几帳面でまめなお母さんのお子さんなんだな、小さい子が二人も行方不明さぞ心配だろう」と思っていたのだが、実際にはここの家には、離婚をした父親達が子ども達と暮らしていて、11歳になる加害者の長女が、掃除や洗濯など全てをやっていたのだというのを聞いて驚いた。つまり、私が目にしたあの几帳面に干された洗濯物は、その長女が干したものだったのだ。もし加害者の長女が、幼い兄弟達にあまりいい感情を持っていないとしたら、幼児達の小さな洋服を、一枚一枚丁寧にハンガーにかけて干すようなことが出来ただろうか。 Asahi.com栃木によると事件当日のことを幼児達の父親はこう話している。「朝8時半に仮眠を取るつもりで横になったとき、下山が出かけるのを見た。その後、下山の娘が『流しそうめんに行くんだけど、一斗と隼人、連れてっていいかな』と言うので、『お願いね』と送り出して寝た。」11歳の長女の何気ない面倒見のよさは、幼児達の父親とのやり取りにも、あの洗濯物の扱いにも現れているように私には思える。しかし、加害者が幼児を殺害した時、加害者の長女と長男は車の中にいたのだ。しかも一部の報道では、その長女は加害者が幼児を殺害したと思われる時、自分が寝ていた車の外から二人の幼児の激しい鳴き声を聞いたと話しているという。自分が面倒を見てきた幼児達を、自分の父親が殺害する現場に居合わせてしまった彼女は、今どんな気持ちでいるだろうか? またAsahi.com栃木によると、「長女が下山容疑者の娘と同級生で仲良しだったという会社員の女性(38)は、自分の長女が最近、夜に眠れないことを悩んでいる。「娘は事件にものすごいショックを受け、涙を流している」という。大人達の無責任な行為によって運命を翻弄されたり、心に傷を負ってしまった子ども達。この事件の被害者は命を奪われてしまった幼い子ども達だけではないのではないかと私は思う。(記事参照:asahi.com 栃木 http://mytown.asahi.com/tochigi/)2004.9.19掲載
2004年09月12日
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これはまだ、私がライターと名乗り始めたばかりの頃の話だ。何をすれば仕事ができるのか?と探っていたときのこと。すでにライターとして活躍をしている人に話を聞いた。彼女は、育児関係のガイドブック作成の他に、ガーデンニング関係の実用書を手がけていた。つまり、専門分野を持っていたのだ。しかし、私はその時、なにかについて一冊の本がかけるほどの専門知識は持ち合わせていなかった。私が彼女に「やはり専門知識をもっていないとだめですよね」と聞くと、彼女はこういった。「ライターは専門家でも研究家でもないから、そんなに専門知識にこだわる事はないわよ」「でも、なにか本を書こうと思ったら、やはり専門知識が必要じゃないですか?」と私が聞くと。「確かに、あることについて書くのだから、それになりのその分野の知識は必要だけど、それは、その本を書くときに資料を集めて勉強してもいいのよ。つまり、始めから専門知識を全て持ち合わせておく必要はないのよ」私には、すぐに彼女が言っていることが理解できなかった。すると彼女は。「専門知識はね、専門家の人が持っているの。ただ、その専門家の人が書く文章っていうのは、専門知識を持っていないと理解しがたい場合が多いから、ライターが、一般の人にも理解しやすいように書き直す感じかな?だから、その程度の専門知識は持つ必要はあるけど、最悪の場合は、必要に応じて資料を集めるなり勉強すればいいのよ。ただ、自分が興味があったり、得意な分野の方が、書きやすいし、勉強もしやすいじゃない?そういう意味で、専門分野をもっていた方がいいけど、専門知識を持つことはこだわらなくていいと思うけど」と説明をしてくれた。ははぁ~なるほど。確かに、自分が興味があることの方が、頭に入ってきやすいし、誰かに説明をする場合にも、自分が実感を持って説明できる気がする。専門知識と堅く考えていたことが、なんとなくおかしくも思え、ライターとは、誰かにわかりやすく説明をするための文章を書くのが仕事なのだということすら理解できていなかったのかと思うと、情けない気もした。今でも、私の専門分野とはなんだろうと考えることがある。でも、自分のアンテナが向く方向を見て、丹念に情報収集することで、自然と専門分野はもてるようになるのかもしれない。常に好奇心旺盛に行動することを心がけること、それもライターとして必要な要素なのだと思う。
2004年09月11日
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私が文章を書こうとするとき、誰でもそうかもしれないけど、まず頭の中で書こうとすることについて考える。そうしているうちに、私には書こうとする文章の風景のようなものが見えてくるような気がする。そして、その風景を頭の中で目で追い、言葉や文字を選びながら、私は文字に起こしていく。前にある人が、「作家は頭の中にある風景を文章に書くのではなく、作家の頭の中にある文章を形にしていくと風景が出来上がる」と言っていたのを聞いたことがある。そいう意味では、私は物書きとしてはまだまだということなのだと思う。でも私は文章を書くときに、それがどんな文章だったとしても、できるだけ読んだ人がわかりやすいように書きたいと思っている。つまり、私が頭の中に浮かべた風景を目で追いその視線のとおりに文章を書いていくことで、読んだ人が頭の中で描く風景を見る視線の動きを意識して、イメージしやすい文章が書けるような気がするからだ。また私は、自分の書いた文章を、必ず声に出して読んでみるようにしている。そうすることで、目で文章を追ったときの印象だけではなく、耳から入ってくる音の流れのようなものが生まれ、それを大事にすることで、文章にもリズムが生まれ、より読みやすく、イメージしやすい文章が書けるような気がするからだ。そんなことにこだわるようになったのはいつからだろうと考えてみると。どうやら、学生時代にはまった古典落語に要因があるような気がする。古典落語は、古くは平安時代の終わり頃に、公家が大勢の前でした笑い話から始まったといわれている。曽呂我新左衛門などの大名に仕えて話し相手となった、御伽衆(おとぎしゅう)が原点だという説もある。また同じ頃、京都誓願時の法主、安楽庵策伝和尚もまた落語の祖の第一人者と見られていて、17世紀ごろ書き下ろされた、咄本「醒睡笑」には1000を越える滑稽な笑い話(有名な「寿限無」や「まんじゅう怖い」など)が残されている。それが、天下太平の世であった江戸時代に、様々な芸能を育む機運が熟し落語もその一つとして盛んになり、落語を職業とする人達が現れ始めることで、代々継承されていくようになる。その後江戸末期にから明治初期にかけて、三遊亭円朝がそれまでの落語を速記本という形で集大成し、近代落語の基礎を作ることになるのだ。円朝が、聞く落語から、読む落語に変えたことにより、落語は出版という形になって後世まで作品を広く残す事ができるようになった。そして、歌舞伎、浪曲は言うにおよばず、日本文学にも多大な影響を及ぼすことになる。「東海道中膝栗毛」や「安愚楽鍋」を書いた仮名垣魯文もその影響を受けた一人だと言われている。円朝は、落語の高座から降りてから、今度は『怪談牡丹灯籠』や『塩原多助一代記』などを手がけるようになる。これらの作品は、歌舞伎で上演されたり、言文一致の運動にも大きな影響を与えた。坪内逍遥はそれを喋り言葉による文学だとして高く評価し、二葉亭四迷が口語体の小説『浮雲』を書こうとして悩んでいるときに、彼は「圓朝の『牡丹灯籠』を読んでみたまえ」とすすめた程だという。つまり落語は、もともと口づてに伝承されるて来た、江戸町民文学なのだ。それだけに、落語を読むと、言葉の流れや音をとても大事に書かれているのが良くわかる。学生時代、私は暇があれば本ばかりを読んでいた。そうしてふとしたことから古典落語の文庫本にめぐり合ったのだ。お話の面白さだけではなくて、その時代の人達の生き方や考え方などが、読んでいるだけで、面白いように頭の中にイメージとして沸いてくる。しかも、もともと語られるべきものなので、読む人のタイミングとか、呼吸を乱されることがない。私はいつしか、落語を読むときのリズム感にも快感を覚えていたのかもしれない。そうしていつの間にか、私は自分が書く文章にも、そんなリズム感をこだわりとして持つようになったのだと思う。何かを伝えたいと思ったとき。それを読む人の呼吸に合わせて文章を書く。そんな心意気のようなものを、私は古典落語から学んだような気がする。そして、私はきっとこれからも、そんなリズム感や音の流れも大事にしながら、文章を書いて行きたいと思っている。
2004年09月10日
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よく、私も含めて主婦の方とかが書かれる文章で、エッセイというものがあると思う。私もはじめ、エッセイとコラムの違いが良くわからなかった。辞書を引いてみると。【エッセー】(1)形式にとらわれず、個人的観点から物事を論じた散文。また、意の趣くままに感想・見聞などをまとめた文章。随筆。エッセイ。(2)ある特定の問題について論じた文。小論。論説。 【随筆】見聞したことや心に浮かんだことなどを、気ままに自由な形式で書いた文章。また、その作品。漫筆。随録。随想。エッセー。 【コラム】 新聞や雑誌で、短い評論などを載せる欄。また、その記事。罫で囲まれることが多い。-大辞林 第二版 (三省堂)より-とある。つまり、エッセイ(エッセー)というのは、心の中にあるがままのものを文章にするもので、データ的な裏づけなどは、厳密にはあまり必要ではなく、主観的になにかに対して雑感を述べるという感じだろうか。それに対してコラムは、「短い評論」という言葉が示しているように、なにかの事象に対して、データ的な裏づけを下に、筆者の主観を交えて述べたものだと思う。主婦ライターが発行する、育児情報のメルマガに記事を提供していたころ、私はあるメルマガのコラムライターになることになった。私は、そのメルマガの読者だった。ある日、コラムライターを募集していることを知り、私がそれまでに手がけた、ガイドブックの記事や、育児情報のメルマガに連載していた記事、HPで連載している体験記などを持ち込んでみた。一応、編集部で一通り原稿に目を通してくれたらしく採用の通知をいただけたときには、なんとも嬉しかった。そして私は、週一回の連載を持つことになった。ある程度の部数を配布しているメルマガにコラムを書くからには、やはりデータ的な裏づけが必要だ。私は、毎週時事ネタから、身近に起こった出来事まであらゆることに対して、アンテナを貼り。なにか引っかかることが起こると、データを集めて検証した。毎回、詳細なデータが必要なわけではないが毎週のこととなると、継続していくにはかなり労力がいる。しかも、私はなにかの専門家と呼べるような分野を持っているわけではない。しかし、ある意味そのメルマガへのコラムは、一般的な社会人であったり、主婦であったり、母親であったりという、私が持つ特性からの視点で物を素直に見て。その視点から。違和感を感じたり、共感を感じたことを検証してコラム化していくことで、読者に、呼びかけをしていくことに意義があるのではないかと私なりにとらえ、原稿を書くようにした。はじめは、なんの反響もなく「私のコラムは読んでくれているのだろうか?」とか「書いている意味があるのだろうか?」と悩むことが多かった。それでも、何かを調べて、そのデータに基づいて一つの結論を出すという仕事を続けていくことに、私なりに意味を感じていたので、コツコツと書き続けて来た。連載をはじめて少ししてから、ライター仲間から「いつも読んでるよ。○○についてのこの前のコラム良かったね」などと声を掛けてもらえるようになった。そのうち、メルマガの方にも、読者から「共感した」、または「そうは思わない」などの反響がくるようになった。どんな小さな、そしてどんな形の反響でも、書いている身としてはとても嬉しく感じる。それは、私の文章をその人が読んでなにかを感じてくれたということだからだ。どちらにしても、反響があるこということは、私が書いている意味があるということだと思う。先日、自分のPNで検索をかけてみる機会があったので調べてみたら。そのメルマガから、私の記事を転載して掲載している人を数人見つけた。私は全く知らなかったので(もちろん、掲載許可の連絡はきていません)かなり驚いたが、好意的な意味合いで掲載をしていただいているようなので、そのままにしてある。そうして、そのメルマガへのコラム連載は、1年半たった今も続いている。他の仕事が忙しくなってきて、少しきつくなってはきてはいるが、出来ればこれからも続けて行きたいとは思っている。以前名刺に込めた、私のライターという仕事への思い。「私の書いた文章や言葉が、ひと粒の雫になって、読んでくれた人達の心や、社会に、小さくても何かの波紋を広げることができ、それをきっかけにして何かを考えたり、感じたりして欲しい」その思いを胸に、私は今日も文章を書いている。
2004年09月09日
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フリーライターとして、時々仕事が入り始めたころ、私はあるメルマガの執筆に加わった。それは、ライターを目指して勉強をしている主婦の人達が集まって、育児に関してのさまざまな話題を記事にして隔週で発行しているもので、練習と勉強をかねているということで無報酬だった。もともとはライター仲間の一人が担当していたのだが、彼女が家庭の事情で続けられなくなり、私に引継ぎをということになったのだ。担当する記事は、性教育についてだった。さて困った。我が家の子ども達は、まさしく小学校で性教育の授業を受け始める年頃だったので興味はあったが、記事が書けるほどの知識もなにも無かった。仕方が無く、私は所属している子育て支援NPOの方に相談をした。すると、男女共同参画センターの方を紹介してくれた。私は早速その方を訪ね、今なにが問題なのかなどについてレクチャーしてもらった。一応自分でも、ネットでの検索や図書館で資料になりそうな本を数冊借りてきて、それをわかりやすい事例や実体験などに伴うエピソードを交えた形で、サンプルコラムを作成してあったので、一応読んでもらうことにした。すると、結構評判が良かった。私は結構気を良くして、それからも勢力的に、各方面に取材を重ね、友人などにいろいろなエピソードを聞いてまわって情報を集めた。そして、なぜ性教育が必要なのか?どうやって性教育を行っていくべきなのか?というテーマの下に、いくつかのコラムを作成し、メルマガへ掲載していった。しかし、しばらくして・・・。無報酬の割には、取材の移動費などに結構お金も時間もかかりだんだんと負担になってきた。メルマガを主催している人達からすれば、「主婦」であれば、書く場所さえ提供すれば、無償でも動いてくれるものだろうという気持ちがあったらしい。つまり、どうせ主婦が書くものなのだというみられ方をしていたようにも思う。しかし私は。書くからにはきちんとしたものを書きたい。できれば、連載したものをまとめて本に出来るぐらいに完成度の高い原稿にしたいという思いを持っていた。次第に、そのギャップを大きく感じるようになり、無報酬であることが、私の負担を多くしていった。主婦は、世帯主ではないということで、無報酬、またそれに近い報酬で使うことができるという感覚が、どこかに根強くあるような気がする。しかし私は、それではいつまで経っても、きちんお金がもらえるような文章はかけないような気がする。しかも、もともと家の夫は私がライターになることを良く思っていなかった。マンションのローンもあるので、さっさとパートにでも出てほしいと思っていたらしい。それが、なんとボランティアでやっている仕事に、これほどまでに振り回されているのだということがわかったとたん、夫はライターを辞めろと言い出した。しかし、夫の言うことは正しかった。背に腹は変えられないし、無い袖は振れないのだ。仕方なく私は、そのメルマガからの仕事から下りることにした。今考えると、その決断は正しかったように思う。その後、雑誌に連載を持っている先輩の著名ライターさんの仕事を手伝う機会があり。いろいろお話を伺ったところ、やはり、ライター1本で食べていかれる人はほんの一握りで皆、なにか他の方法で必要な報酬を得て、それ以外の時間で書いているのだという。主婦のお小遣いの足しくらいの収入なら得ることはできるが、それ以上を望む場合には、そうとう自分に営業力や企画力があって、仕事を待つのではなく、自分で仕事を作っていかれないと難しい。他に仕事をもって、必要な報酬を得たうえで書く場合は、時間的なやりくりを上手くした上で、さらに書くという作業をこなさなければならない。取材をして書く場合でも、出来るだけ効率よく原稿を仕上げようと思うと、どうしても取材先をはしごすることになる。ライターというのは、書くことが好きというのはもちろんのこと、結構体力と気力が必要な職業だと思う。
2004年09月08日
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ライターを始めたばかりのころ。ハッキリ言って、そうそう仕事など回ってくるはずも無かった。もともと出版社などにいた人が独立した場合は、そんなことは無いのだろうが。私のように、なんのつてもない者には、仕事をまわしてもらう場所も無かった。そんなとき、主婦ライターの募集をしているサイトを見つけた。会員登録をして、募集のかかっている案件にエントリをするというものだった。サイトの運営者が、応募された人の中から案件に応じて仕事を依頼してくれるというものだった。応募をはじめて程なくして、私はあるスーパー銭湯の体験の仕事に選ばれた。自分が実際に体験をしている所を写真に収め、それに指定文字数内で施設の紹介記事や、食事の感想など、体験記事をつけるという仕事だった。取材ごっこというかんじだが、ライターというよりもモニターに毛が生えた程度の仕事だった。仕事の種類は、在宅で出来る健康食品の追跡モニターのようなものから、私がやったように、どこかに出かけて実際に体験するというのもまで、いろいろだった。結局私は、そこで数回仕事をさせてもらい数回投稿記事を掲載してもらった。ただ、次第に記事を書く仕事から、体験している様子をビデオで撮影したものを送るという仕様に変わってきてしまい私はそこでのモニターの仕事をしなくなってしまった。しかし、そこでモニターの仕事を始めることで、取材の下準備の仕方や、取材時のコツのようなものを学べたような気がする。なにか仕事に応募しようとしたとき、主婦しかしてないので、ライターとしての実績が無いことで尻込みをしてしまう人も多いと思う。でも、探してみれば、主婦だからこそ仕事が回ってくる場合もある。例え専門分野を持っていなかったとしても、一般ユーザーの視点で物をかけるほうがいい場合もある。要は、自分の持っている特性や力を出来るだけ生かせるような仕事を探せるか否かが問題なのだと思う。物を書こうと思ったとき、情報を収集出来るということは結構重要だと思う。そういう意味では、じっとしていられない性格の私には、ライターという仕事は、向いているのかもしれないなと思っている。
2004年09月07日
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フリーライターになろうと思う前から、私は日記サイトで、我が家の子ども達がやっているスポーツの記録日記を書いていた。子ども達がやっていたスポーツとは、レーシングカートという、ガソリンエンジンのゴーカートでレースをするものだった。これも書こうと思い始めるにはキッカケがあった。そのころ、まだ子ども達は小学校の低学年で、小さな子ども用のキッズカートと呼ばれる、4歳から10歳くらいの子どもが乗る、全長130cmくらいのものに乗っていた。保育園の友達がやっていて、子ども達もやりたいと言い出してはじめはまさかレースをやるようになるとは思ってもいなかったのだが、友達のを借りて乗っているうちに、だんだんと早くなってきて、レーシングスーツを用意しないと・・・・とか、自分のカートで走らないと・・・とかって少しづつはまってしまって。気がついたら、キッズのレースに出るようになっていた。そしてそれはある暑い夏の日のことだった。お台場で、有名なレーサーを呼んでイベントが開かれることになり、特設のカートコースで、キッズから大人まで、各カテゴリごとのレースが行われることになった。まだレースをはじめたばかりだったけど、うちの子達も呼ばれたのでそのレースに参加していた。すると、キッズのレースが始まった途端、実況をしていた人と、解説者の人の口から、子どもの癖にこんな走りをするなんて、生意気だというような意味合いの言葉が連発された。確かに、ドライバーは皆幼稚園児や小学校の低学年の子ども達なので、ヘルメットをかぶっている見た目は、3頭身のお人形さんのようだ。しかし、その子達がカートに乗ってレースをしている様は、まるでF1のレースのような迫力があった。それもそのはず。一般的には、モータースポーツはスポーツとしての認識は低いが、カートは、大人の人がそこそこのスピードを出して5分サーキットを走っただけでも、かなりのバランスや力が必要なので、走り終わった時には、膝が笑って一人でカートから降りることが出来なかったり、数日間は腕や足に筋肉痛が残ってしまうほど、かなりハードなスポーツなのだ。しかも、キッズのレースをしている子ども達は、安全のために、F1ドライバーの人達が使用しているスーツやヘルメットと殆ど同じものを着用して、日陰でもめまいがしそうに暑い夏の日も、路面が凍ってしまいそうな寒い冬の日も、殆ど毎週、朝から晩までカートコースで走り続けている子達ばかりだ。下手な大人の倍以上の練習量をこなしているのだから、当然かなり高度な技術を身につけている。しかし、同じカート界にいる人でも、キッズやジュニアのカートドライバーに対しての認識も認知度もあまりにも低かった。そのことが、象徴的に現れたのが、そのレースの実況だった。そして、そのことは私にとってはとても大きなショックだった。カートをやっている子ども達も、親達も、どれほど一生懸命に、そして真面目にカートに取り組んでいるのかを、もっと多くの人達に、正確に知ってもらいたいと、思ったのだ。そして私は、子ども達のレーシングカート参戦記をHPで書き始めた。私がそれを書き続けていくことで、少しでも、モータースポーツや、レーシングカートに対して、多くの人に認知してもらうことになり、出来ればカートの面白さも知ってもらうことが出来たらと思ったからだ。私には伝えたいという熱い気持ちがあり、たった一人でも、その気持ちを受け止めてくれる人がいたら、そこで私の思いは一つ叶うことになる。それは、世の中の全体から見たら、ほんの小さな変化かもしれない、でも伝え続けていくことで、未来は変わっていくかもしれない。ライターの仕事には、そんな夢も眠っているのかもしれないと思う。
2004年09月06日
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物を書くことを生業にしようと思ったとき、さて、なにを書いたらいいのだろう?と考えた。一口に物書きといっても、新聞記者のようなジャーナリストから小説家まであらゆるジャンルが存在する。一般的に、主婦が書くものといえば、実体験や日常の経験をつづったエッセイが多いのと思う。ある意味エッセイは文字が書ける人なら誰でもかける。エッセイは思ったことをその人の感性で綴るものなので、文章がうまいからといって必ずしもエッセイストとしてまかりとおるわけではない。少しぐらい文章が下手でも、物を見る視点が面白かったり、特殊な経験をしていたりすることの方が、面白い作品に仕上がる。また、エッセイは一番その人の人となりがあわられる物だと思う。それだけに、読者はエッセイを読むことによって、書き手の人となりを垣間見ることができることを望んでいることが多い。そのために、今エッセイを書いている人の大半は、他の分野ですでに有名になっている人が多く、そこに無名の一主婦が入り込むのは難しいのだ。私もはじめは、自分の体験を綴ることでエッセイストになりたいと思っていた。しかし、少しづつ仕事をしていくうちにその思いが変わって来た。物を書くということは、思いや考えなどの情報を誰かに伝えるという意味を持つ。つまり、書くことはその思いを代弁するようなものだと思う。エッセイは、自分の中にある思いを、記者は、事件や事故などの、事実が持つ思いを、商用文のライターは、その商品の開発者やその商品そのものが持つ思いを代弁しているのと同じではないだろうか。たとえそれが、人間でも動物でも物でも事象でも、何かが持つ思いを受け取ってくれる人がいる以上、物書きは、その思いを代弁し伝えるために文章を書くのだと思う。だから私は、一文字一文字に、一つ一つの思いを込めて今日も文章を書き続けているのだと思う。
2004年09月05日
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もう数年前の話だが、日記サイトで、私が日記を書き始めて2年くらいたったころ、私の日記のFANになって、毎日のように読みに来てくれる人達からライターになれば良いのにと言われることが多くなった。丁度派遣されていた会社が、合併によって移転することになったために、私は無職になってしまった。他に就職口をと思ったのだが、なかなかすぐには見つからなかった。すぐにライターになって食べていかれるはずも無かったが、その時の私には、無性に書きたいという衝動に駆られていた。とりあえず、在宅で出来る仕事を探しながら、ライターになるための道を探すことにした。ネットでライター関連のページを探しているうちに、偶然あるSOHO系の団体のページに行き着いた。その代表者の人の名前は、私がまだSOHOとか起業という言葉に、なんとなく憧れのようなものを抱いていた頃に、SOHOで活躍している女性として、雑誌で紹介されていた人だった。私は、ずっと会いたかった人にようやくめぐり合えたような気がして、そのページを隅から隅までくまなく読んだ。すると、その人がライターの団体も運営していることがわかった。その時、私の憧れの人は、ライターになっていたことを初めて知り、私は迷わず、その人が運営するライターのメーリングリストに登録をした。そのメーリングリストには、すでにライターとして活躍している人から、私のように、まだ卵とも呼べないような人まで、たくさんの人が登録していた。そのメーリングリストでは、仕事に対しての不安や質問、また仕事のヘルプの募集などをやっていた。私はそこで交わされるやり取りを読みながら、少しづつライターという仕事についての色々な情報を得て行った。その後、そのメーリングリストが主催するライター講座が開かれることになり、その講座にも参加をした。水遊び場のガイドブックの仕事にも、そのメーリングリスとで出会った。そうして、まだライターの卵とも呼べなかった私に、同じようにライターを目指す仲間や、ライターとして活躍している先輩ができた。そして今、その先輩や仲間たちに支えられながら、私はライターとして仕事をしている。「偶然は必然なのだ」とある人が言っていた。だとしたら、私にとってあのメーリングリストとの出会いは、偶然という名前の必然だったのかもしれない。
2004年09月04日
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フリーライターと名乗って約1年近く経とうとしていた頃、ある育児関連のガイドブックを作るメンバーの募集があった。なんでもやってみたかった私は早速手を挙げた。夏の間に、プールや水遊び場を取材してガイドブックにまとめるという仕事だった。それまでに何回か、小さなお店などの取材に行って記事を書いてはいたが、一箇所に付き1~2Pのボリュームを埋める記事を書くのは初めてだった。しかも、取材先は殆どが公共施設ばかり。私はあわてて、ライターと肩書きをつけた名刺を作ることにした。さて、実際に名刺を作ろうと作業に取り掛かってみると、どんな名刺にしたらいいのか早速頭を悩ませてしまった。単純に、白地に文字の色だけ変える程度にしたほうがいいのかな?とも考えた。でも、名刺一枚にも、私なりのこだわりを出したいと思ったのだ。そこで、私が選んだのは・・・淡い水色の水面に波紋が広がっている絵柄だった。「私の書いた文章で、それを読んでくれた人達の心や社会に、少しずつ波紋が広ろげたい」そんな思いが込められていた。私が選んだ言葉達の一つ一つが、ほんの小さなひと雫になって、それをきっかけに、読んでくれた人達の心の中に、イメージや思いの波紋を描くことができるライターになりたい。私は思いを託した名刺を携えて、娘と息子をモデルに同行して、その夏7箇所の取材に臨んだ。実際に原稿を仕上げていく作業は、とても神経を使い大変な作業ではあったが、翌年に出版された本を手にした瞬間に、そんな苦労はどこかに吹き飛んでしまった。「女性は産みの苦しみを忘れることが出来るから、人類は今まで滅びずに来たのだ」という話を聞いた事がある。ライターももしかしたら、同じかもしれない。原稿の締め切りに追われている最中には、「もうだめ~、書けない!」なんて弱音を吐いてしまったりするんだけど。納期までにどうにか書き上げて、それがなにかの形になって自分の所に帰ってくると、それまでの苦労なんてなんでもなかったような気がしてくる。そんな懲りない性格の私には、ライターという仕事はあっているのかもしれないと思う。
2004年09月03日
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フリーライターをはじめて約半年が経とうとした時、ある育児関係のガイドブックに関わる事が出来た。地元の子育て支援NPOが発行するタウン情報誌の作成メンバーに入れてもらうことが出来たからだ。このタウン情報誌は、NPOのメンバーがボランティアで作成している。そのことを知って、NPOをたずねてみた。しかし当時の私には、なんの実績も無かった。そこで、ずっとHPで書き綴って来たエッセイや日記、それと子ども達のスポーツ活動の記録をコラム形式で書いたものをみていただくことにした。ボランティアのお母さん達が作成しているタウン情報誌ということで、文章も簡単なお店紹介の記事が書ければOKということだったせいか、私のHPの日記やコラムを実績として認めてもらうことが出来た。特にライターとして実績のために書いてきた日記ではなかったが、継続は力なりということなのだろう。こうして私はライターとして一歩を踏み出すことが出来た。今私がこうして、細々とでもライターとしてやってこれているのは、私の日記の読者になってくれて、毎日の日記にコメントという形で叱咤激励をくれた人達や、HPの日記を読んでくれて実績と認めてくれたNPOの人達などいろんな人達との係わり合いがあってこそだと思う。人に何かを伝えるために文章を書く。ライターという職業は、そんな人と人との係わり合いの中で成り立つ職業なのだと思う。
2004年09月02日
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フリーでライターになろうと思ったのは、ある日記サイトで書いていたエッセイ風の日記の読者が結構多くなって、「物書きになりなよ!」なって言ってくれる人が多かったから。昔から、文章を書くのは好きだった。まだメールも携帯なんてていうものも無かった私の学生時代。私は友達から手紙魔と呼ばれていた。旅行に行ってもどこに行っても、いつもはがきをや便箋を持ち歩き、暇があると手紙を書いては手当たり次第出していた。結婚して、だんなの親との同居生活が始まると、私が思っていなかったことが起こった。私は、私としてではなく、「だんなの嫁」としての存在しか与えられなかった。「お前は家に嫁に来たのだから、親の言うことを『ハイ、ハイ』と黙って聞いて、そのとおりやっていればいい。口答えはするな」と言われた。実際は、口答えどころか自分の感想を言うことさえも取り上げられてしまった。日を追うごとに、自分自身に自信をなくしていくのがわかる。私が言うことや思うことは、そんなに常識はずれで間違ったことなのだろうか?と自問自答する日が続く。その中で、何を正しいと信じて子どもを育てていけばいいのかもわからなくなっていた。そしてある日、私は新聞の読者投稿欄に投稿をすることをした。話題は、本当に何気ない日常の風景をつづったものだった。だけど、何気ないことにとても季節感があふれていて、私にはとってもきらきらと輝いているように感じた出来事だったので、その感動を他の人にも感じて欲しくて、私は新聞社へ投稿してみることにしたのだ。すると、翌日新聞社から採用の連絡が来た。数日後、私の書いた文章は、殆ど手直しされることもなく、朝刊の片隅を飾っていた。その時の感動が忘れられず、事あるごとに原稿を書いては新聞社に投稿をする日が続き、私は読者投稿欄の常連になり、月間賞も頂いた。しかし、「もううちのことはネタにするな」という夫の一言で、新聞投稿の日々はあっけなく終わりを迎えた。その数年後、覚えたてのインターネットで日記サイトの走りのようなサイトがオープンすることを知り、私は開設初期メンバーととして登録をして日記を書き始めた。今から6年前のことだった。あれから、私は毎日のように書き続けている。最近は、ライターと胸を張れるような仕事が少なくて、企業の顧客向けのサイトやメルマガの原稿を書いたり、編集長みたいに、ライターさんの原稿に赤を入れたりする仕事が多くて。私って本当にライターなんだろうか?と疑問に思うことも多い。それでも、やっぱり私は書くことが好きなのだと思う。だから、出来ればこれからも毎日、いろんなことを考えて、それを私なりの文章にして、いろんな人に伝えて行きたい。ライターという職業は、今まで生きてきた私の軌跡の全ての事柄を、余すことなく活用して、しかも、時間という砂と一緒に、一瞬のうちに手のひらから零れ落ちて、記憶のかなたに追いやられてしまいそうな、本当に小さな出来事たちに、もう一度命を吹き込んでやれる、唯一の仕事だと思うから。私が今まで生きてきた証だと思うから。
2004年09月01日
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先日、親友のママ友と買い物に行った先で、知人の女性に偶然会った。彼女夫婦とは、我が家とも親友一家とも家族ぐるみでお付き合いをしている。そのときは、レジで清算している親友を、私が少し離れたところで待っていた。そのすぐ横を、彼女が通りかかったのだ。私が声をかけると、彼女は立ち止まりしばしの立ち話が始まった。「今日も暑いね」などという当たり障りの無い会話をしているところへ、友人が会計を終えてやってきたのを見て、「待ち合わせだったんですね、それじゃあまた」と彼女は軽く会釈をしてその場を去ろうとした。その彼女の横顔がすこしやつれてみえた。私は彼女の背中に越しに、「なんかやつれたみたいだけど大丈夫、毎日暑いから無理しないでね」と声をかけた。すると・・・、彼女は立ち止まり、そこにしゃがみこんでしまった。貧血でも起こしたのかと、私と親友で駆け寄ってみると、ハンカチで顔を押さえて泣いていた。事情のわからない私たちは、とりあえず落ち着けるところに場所を移して彼女と話をすることにした。 彼女は結婚して5年になるが、まだ子どもはいない。子どものことで、お姑さんから毎日のように電話があり、催促をされるのだという。今朝も、年金法案の出生率が予定より低くなっていたという話を持ち出して、「早く子どもを作った方がいい」と長々と話をされたのだという。「子どもを産めばいいのかもしれないけれど」と彼女は、遠い目をしながらボソッとつぶやいた。彼女達に夫婦に子どもが欲しいという気持ちはあるのだ。私は、その言葉を聞いて「それは違うと思うよ」と言った。「子はかすがいというけどね、子どものことが原因で喧嘩している夫婦は多いよ。子どもの叱り方が気に入らないとか、教育方針がどうだとかって」。親友も「うんうん」と頷いていた。それを聞いて彼女は「そうかもしれない」と言った。年金法案の話まで持ち出すお姑さんにも絶句したが、それをまともに受け止めて傷ついてしまうほど、彼女が疲れているのかと思ったら、私はやるせない気持ちがした。 彼女のご主人は、結婚を機に独立し自分で仕事を始めた。その仕事の関係で、我が家とも、親友の家とも知り合い付き合いを始めるようになったのだ。独立から5年が経ち、周りから見たこの不景気にもかかわらず、頑張って順調にやっているように見えたのだが、内情はすこし違うらしい。独立したことで、ご主人はお休みの日でもずっと仕事をしているのだという。そのために、彼女にいわゆる新婚生活のようなものは無かったらしい。まあ、新婚早々ご主人は夜中にならないと帰宅をしないというご家庭は他にもあるかもしれないが、彼女のご主人の場合は、私たちが知っている温厚な外見とは違い、内弁慶で仕事でのストレスを彼女にぶつけてしまうことがあるのだ。 そのために彼女は、離婚を考えた時期もあったらしい。ただ、原因の一部が彼女にあることも彼女自身は認めていた。それは、几帳面な性格の彼女はささいな事でヒステリーを起こして、ご主人が口を開く間もないほどの勢いで攻め立ててしまうらしいのだ。そのために、普段無口なご主人は、仕事のストレスなどの影響もあり、手が出てしまうこともあるらしい。彼女の話を聞いていると、お互いに大人として成熟していない部分を持った男女が結婚して、お互いのわがままをぶつけ合ってしまっているように見えた。しかもそこへ、お姑さんや世間から「結婚しているのに子どもを産まないとは何事だ!」というプレッシャーを与えられる。しかし、夫婦としてやっていかれるのかという部分で悩んでいる彼女に、「社会のために子どもを産め」と言っても、それは無理な話だろう。そして、そのプレッシャーによって彼女は体調を崩し、顔面神経痛になってしまったことすらあったという。 話をしているうちに、彼女の中に今の社会全般に対しても、不安を持っていることがわかった。混迷し迷走しているとしか言いようのない、国会と日本という国のゆくへ。世界中から毎日のように流れてくるテロのニュース。その一つ一つが、真面目で几帳面な性格の彼女の中に、一つ一つ不安の要素として積み上げられていく。しかし、周りからは「子どもを産めと矢の催促がくる。結婚して5年が経っても、自分達夫婦の未来も見えないままの状態で、彼女は何を信じていいのかもわからないほど困惑し、衰弱していく。そして、唯一彼女の中の母性本能だけが「こんな状態で子どもは産めない」と声にならない声で叫んでいるようだった。 私と親友は、子どものことは気にせずに、夫婦としての時間を大切にすることから始めたらと話をした。そして、私たちでよければいつでも話を聞くから、一人で抱えこまないようにと言った。帰り際、彼女は少しだけホッとしたような穏やかな顔つきで、「またお茶しましょうね」と笑顔を見せてくれた。彼女と同じような想いを抱えた女性はどのくらいいるだろう。少子化は決して彼女達だけのせいではないということを、伝えてあげたいと思った。2004.9.15掲載
2004年08月31日
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9月1日に、ロシア南部・北オセチア共和国のベスランで武装集団が学校を占拠して立てこもるというテロ事件が発生した。3日間にも及んだ犯行の結末は、多くの幼い命を奪い終結した。この報道を見ていた我が家の子供たちが、「なんであんなことをするの?」と泣きそうな顔をして私に聞いて来た。私は言葉に詰まってしまったが、「戦争だから」とだけ答えた。 事件当日、学校では入学式が行われていたために、人質の中には生徒や先生だけではなく、入学式に同席していた生徒の家族も含まれていた。そのために、乳幼児までもが人質として身柄を拘束されていた。世話焼きで小さい子が大好きな長女は、「なんであんな小さな子まで人質にするの!」とまるで自分のことのように怒っていた。事件発生から3日目に入り、突然銃撃戦が始まった。その銃口の先には逃げ惑う幼い子ども達の背中があった。その映像を目にしたとき、もう娘も息子もただ唖然としていた。それから、悲しい顔つきでじっと画面を見つめていた。 ここのところ、世界各地でテロ事件が多発している。また、アメリカで9月11日に起きた大規模なテロ事件から、もうすぐ3年になるせいか、そのときの映像も目にする機会が多い。どのテロ事件現場の映像も、目をそむけたくなるような悲惨なものばかりだ。3年前にアメリカで5000人以上もの犠牲者を出したテロ事件が発生した時、私は我が家の子ども達とテロや戦争について話をした覚えがある。しかし、今回の事件ほど子ども達にとってインパクトが大きかったものはないかもしれない。それは、3年前にはまだ小学校の低学年だった子ども達には、どんなに私が事の重大さを話して聞かしても、とても大変なことが起きたという認識くらいしか出来なかったのだろう。 しかし、今は中学生と小学6年生になり、その当時より少しは色々なことを理解できるようにもなってきたこと。しかも今回犠牲になった人の大半が自分達と殆ど年齢の変わらない子ども達だったということだというも、大きなショックを受けることになったのかもしれない。「戦争だから」と答えた私に向って、息子は「あれはテロなんでしょ?」とまた聞いて来た。すると「テロも戦争だよ!」とムッとした顔の娘が息子に向って答えた。私も頷いて「そうだよ、テロっていうのは、方法の呼び名みたいなものだから、戦争には変わりないんだよ」と言った。息子は神妙な顔をして黙り込んでしまった。 しばらくして息子がまた私のところに来た、そして困ったような顔をしてこう言った。「オレのクラスに、戦争・・・っていうか軍隊に憧れているやつがいるんだよ」驚いて何か言おうとして私を制して、息子は言葉を続けた「でね、そいつが。『日本にもアメリカみたいに軍隊を作れば良いんだ。だめなら、アメリカ軍に入れてもらえばいいのに』って言うんだよ」私は一瞬なんと言っていいのかわからなかった。続けて息子に話を聞いてみると、そのクラスメートはロボットの戦争もののアニメに憧れているのだという。そして、そのアニメへの憧れからか、軍隊があればいいと言い、軍隊があれば自分達の国も護る事ができるんだと主張していたらしい。 連日の報道で、日本もテロの標的に入っていることは子ども達も知っている。だからこそ、自分達で護らなくちゃいけないのだという部分と、戦争の兵器の外見的なカッコよさに惹かれている部分とが、そのクラスメートの中ではごっちゃになっていて、そんなことを言い出したのだろう。私は息子に静かに「あなたはどう思う?」と聞いた。息子は少し考えて「自分達のことは自分達で護らなきゃいけないのかもしれないけど、でも戦争絶対よくないことだし、アメリカ軍にいれてもらうっていうのも違う気がする」と言った。そして「明日また、そいつと話をしてみる。やっぱり戦争はしちゃいけないと思うから」と言った。2004.9.8掲載
2004年08月30日
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17日間に渡って、熱戦が繰り広げられたアテネオリンピックが終わった。金メダル16個を含む、史上初の37個のメダルを獲得したことをはじめ、日本選手団の活躍に連日深夜まで声援を送った人も多いと思う。 そのなかで、解説の方や試合を終えた選手の方が、よく口にしていた言葉があった。それは、「自分の柔道(泳ぎ)ができたので勝てました」とか、「自分の試合ができなかったので負けました」という言葉だった。つまり、自分の持つ実力の全て出すことが、試合に勝つことができたということだ。これは、日本の各選手が欧米の選手達に引けを取らない実力を身につけるようになっているということなのだと思う。そして、その自分の実力を、自分が信じることで、冷静に試合に臨むことができ、結果的に勝利を導くことができたのだと思う。 4年に一度開催されるオリンピックという、世界の頂点に位置する大会で、自分らしい試合をするということは、並大抵のことではできないだろうということは簡単に想像できる。それを可能にする、ために必要な「自分を信じるということ」これは、それぞれの選手が、苦しくつらい練習をひたむきにこなして、自分の中に積み重ねてきたものなのだと思う。ある選手は「今まで泳いできた距離が、自分を信じる力になりました」と語っていた。 たとえ、結果的にメダルを獲得することができなかったとしても、自分のもてるものの全てを、オリンピックという舞台で出し切ることができた選手の表情は、とてもすがすがしく輝いて見えた。それは、それまでひたむきに努力し、打ち込んできた自分を信じることができた者だけが、見せることのできる笑顔なのだと思う。 ドーピングの問題で、最後までバタバタとしたハンマー投げは、結局、室伏選手が繰り上がり金メダルを獲得することになった。その室伏選手が、会見でメダルの裏に書いてあったという古代ギリシャ語の日本語訳を報道陣に配った。 詩は「真実の母オリンピアよ あなたの子供達が 競技で勝利を勝ちえた時 永遠の栄誉(黄金)をあたえよ それを証明できるのは 真実の母オリンピア 古代詩人ピンダロス」。 室伏選手は詩を読み上げた後、「金メダルを期待していただくのは本当にうれしい。でも、金メダルよりも重要なものがほかにもたくさんあるんじゃないか。スポーツ、オリンピックを別の角度から見ることができるのでは。(この詩の)真実というのが印象に残った」と切々と語ったという。会見の冒頭、笑顔はなく、「本当は、メダルを直接、表彰台で受け取りたかったのが本音」と明かした。だが、すぐに「本当に大切なのは、メダルへ向けて努力していくことだと、今も思っている」と、7日前に手にしたメダルの色に十分満足していた気持ちを改めて強調した。 つい私たちは、メダルという結果ばかりを追い求めてしまいがちなってしまう。ドーピングという違反行為も、結局、自分の力を信じきることができず、結果ばかりを求めてしまったことから起きてしまうのだろう。しかし、室伏選手が言うように、何かの目標に向かって努力し、自分の中にその努力の結果を積み重ねていくことが一番大切なのだと思う。 そしてこれは、私たちの日々の生活の中でも、いえることなのではないかと思った。オリンピックに参加した、各選手の方々、そしてその関係者の方々、本当にお疲れ様でした。そして、私たちに、熱い感動と本当に大切なものの存在を教えてくれてありがとう。2004.9.1掲載
2004年08月29日
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美浜原発の事故の一報が入った時、私は慌ててエアコンのスイッチを切り、窓を開けた。我が家が住んでいるのは関東地方なので、関西電力から電力を供給されているわけではないのだが、とっさに電気を好きなように使っていることに罪悪感のようなものを感じたのだ。 我が家のようにマンションに住んでいると、入り口がオートロックになっているところが多いと思うが、電気がなければ家に入ることもできないのだ。特に最近多くなっている高層マンションでは、オール電化といって、台所でもガスを一切使っていないところも多い。家電製品の省電力化が進んではいるが、生活の全般を電気に頼っている家庭は多いだろう。一般家庭へのエアコンの普及が多くなったこともあり、特に夏場は、電力供給量が消費量に追いつかなくなるのではないか?という懸念がある。そのために、電力会社では、「でんき予報」を出して、予想される最大電力消費量と電力需給力を知らせるということもしているのをご存知の方も多いと思う。 さて、事故後、美浜原発の事故についての報道を見ると、27年間も点検がされていなかったことなどが指摘され、「起こるべきして起きた事故であると」事故ではなく人災ではないかという報道が多くされている。しかし、私はもっと根本的な部分で事故は起きてしまったのではないかと思う。それは、点検をする際になぜ原発の運転を停止していなかったということだ。普通、何かの機械を点検する際には、機械の運転を停止して行うべきだと思う。しかし、原発や溶鉱炉のような、高温で稼動するものは、一度停止してしまうと、運転再開までにかなりの時間を要することになるので、できるだけ停止したくなかったのだろう。しかも、今年は猛暑が続き、電力の消費量がうなぎ昇りである中では、長い期間運転を停止するのは難しかったのかもしれない。 8月11日のasahi.comにも、そのことがふれてあった。「原発11基を持つ関電は、発電量全体に占める原子力の割合が約56%(03年度実績)と全電力の中で最も高い。美浜3号機を除いても約1割の供給余力があるが、原発停止が広がれば、電力需要の多い夏場に供給不安を抱えることになる。その場合、関電は、休止中の火力発電所の再開やほかの電力会社から緊急に融通してもらうことなどで、供給力確保に動くと見られるだが、それはコスト上昇にはね返る。関電は原発の稼働率が1%下がると、火力発電の代替などでコストが年間37億円上昇するとしている。原発が1基停止すると1日当たり約1億円のコスト増ともいわれ、事故の影響が長引くほど収益を圧迫することになりそうだ。」 一般的に考えて、もし今回の事故が起きなかったとしても、たかが10mmの鉄板の向こうに140度にもなる高温の蒸気が走っているような場所に、人間が出入りすることは、尋常ではない。しかし、asahi.comによると、「関西電力美浜原発3号機で蒸気噴出事故があったタービン建屋は、行政関係者らを対象にした見学コースに組み込まれており、今年4月から事故が起きるまでに34回、計約300人が訪れていた。以前は子供会や自治会、教職員ら一般の見学者も立ち入ることができたが、01年9月の米同時多発テロ以降、保安上の理由から取りやめにした。」(8/11)という。 これらのことを考えてみても、安全ということに対しての感覚がどこか麻痺していたのではないか?と感じられて仕方が無い。また定期点検中に、原発を停止することで、他に電力供給を求めなければならず、そのことで多大なコストがかかるのだとしたら、なぜ電力需要が高まる夏場に点検を行うのだろうか?14日からの点検予定だったということから推測すると、多分工場がお盆休みに入り、少しでも電力需要が下がる時期に点検を実施しようとしたのかもしれない。しかし、それならば、全体的な電力消費量があまり高くなく、しかも工場の多くが休みになる、ゴールデンウイークの時期に行うなどの方法を検討できたはずである。 今回の事故で、貴重な資源だけではなく、尊い人命の犠牲という危うい土台の上に、私たちの快適な生活が載っているのだということを、改めて思い知らされた。電力を供給する側も、消費する側も、もう一度身の回りのことを見直すことが必要なのではないかと感じた。2004.8.18掲載
2004年08月28日
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今年も終戦の日が近づいてきて、テレビでは戦争を描いたドラマなどが放送されている。先日も、沖縄戦を題材にしたドラマを家族で観ていた。 私の両親は二人とも昭和一桁の生まれで、父は15歳の時に自ら少年飛行兵へ志願したので、私は耳にタコができるほど、戦争の悲惨さや当時の苦労などを聞かされている。しかし、その両親も他界してしまった今、子供たちに実感を持って戦争の悲惨さなどを伝えるには、テレビのドラマのほうがいいのかもしれない。ドラマを見ていた息子は、戦争があったという事実を、ドラマの描写と私が父や母から聞いた話しを一緒に聞きながら実感したようだった。 そのドラマを見て数日後のこと、今回中国で行われたサッカーのアジアカップで、日本チームやサポーターに向けてのブーイング騒動が起こった。しかし息子にとっては、なぜそんなにブーイングを受けるのかが理解できないらしく、私に「なんであんなことしてくるの?」と聞いてきた。 私の住んでいる街は、ローカル線の駅に程近い商店街を中心に住宅地が広がっているいわゆる下町である。最近は、肌の色の違う人たちをよく目にするようになった。当然、子供たちが通う学校も、普通の公立の学校とは思えないほど、色々な肌の色をした子供たちが通っているのだ。つまり息子にとっては、アメリカ人の子も中国人の子も、仲良く楽しく遊べる友達であって、決して憎みあうような存在ではないのだ。息子なりに過去に戦争があったことは理解しているようだが、それはもう過去のことで、今はもう国交も回復しているのだから、今の自分達には関係が無いことだと思っているのだと思う。 私は子供たちに、過去の戦争であったことを、私が知っている限りの事実を話して聞かせた。私が知っていることが、過去に起こったことのすべては無いかもしれないが、事実は事実として、子供たち単なる授業としての歴史ではなく、もっと実感を持って認識をしておく必要があると思ったからだ。話を聞き終わった息子は、理解できたのかできなかったか?ただ神妙な顔をして、「ふ~ん」と言っただけだった。 今回中国で起きたブーイング騒動は、日本と中国のそれぞれの国の過去の歴史に対しての教育の差であると思う。戦争が過去のものとして風化しつつある日本の現状をよしとするつもりは無いが、今回の中国のブーイング騒動のように、そのことだけにとらわれて、すべてを判断し行動を起こしてしまうのも考えものである。今回の事件は、子供たちへの過去の事実の伝え方、教育の仕方の難しさを浮き彫りにした事件であるとともに、私たちに、戦争は決して風化させてはいけない事実であるのだということを、改めて認識させることにもなったと思う。 スポーツや芸術には国境がないとよく言われるが。今回ブーイング騒ぎを起こしてしまった、中国人たちにが、今回の事件を冷静に振り返ってもらい、4年後北京で開かれるオリンピックは、安全にかつ友好的な雰囲気の中で開催されることを、心から願っている。2004.8.11掲載
2004年08月27日
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近鉄バッファローズとオリックスブルーウェーブの合併問題に端を発して、日本の野球界がゆれていることは皆さんもご存知だと思う。合併をせずにできるだけ自分たちが愛する球団を存続して欲しい!と願う、野球ファンや、選手達の声が高まっているにもかかわらず、合併・1リーグ制への移行を押し通そうとするオーナー達。その中でも、特に、巨人の渡辺オーナーの発言は、あまりにも高圧的なものがあり、ニュースなどにも取り上げられることも多い。 そして先日、球団の存続を求める選手の代表である、労組日本プロ野球選手会の古田会長が、「オーナーたちと話をしたいという気持ちはある。その方が(議論が)開かれた感じがしていいのではないか」と話したことを受けて、渡辺オーナーは「無礼なことを言うな。分をわきまえないといかん。たかが選手が。立派な選手もいるけど。オーナーと対等に話をする協約上の根拠はひとつもない」と発言した。 その報道を見て、小学6年の息子が「あのひと(渡辺オーナー)偉い人なの?」と怪訝そうな顔をして聞いてきた。「巨人のオーナーの人だから、偉い人といえば偉いかな」と私が答えた。すると「なんで巨人だけの、ただ1チームオーナーっていうだけなのに、全部に対して偉そうなことを言うの?」と聞いてきた。息子にしてみれば、それは不思議で仕方が無いことだろう。 我が家の息子は、最近野球にはまっている。我が家の場合、夫が野球ファンではないために、最近まであまり野球中継を見たことが無かった。そのために、息子はあまり野球に接する機会が無かったのだ。しかし小学校の高学年になってから、友達の影響で松井選手のファンになり、巨人ファンになった。つまり、息子は遅咲きの野球少年だった。 毎日、日が暮れるまで友達と野球をしてドロドロになって帰ってくる。しかし、町内会で主催する野球チームには入ってはいない。それは、野球チームには、幼稚園頃から野球をやってきた子が多くいまさら入りづらいことと、野球チームの運営がチーム員のお父さん達のボランティアによって成り立っていることにあった。チーム員の子のお父さんが、コーチなどを買って出て練習や試合の手伝いをしているのだ。しかし、我が家では夫は野球が得意ではないので、それを頼むのは難しいものがある。 仕方なく息子は、同じような理由から野球チームに入れない子達と一緒にチームを組んだ。 下町に住んでいる我が家の周りには、野球ができるほど広い公園は少ない。しかも、すこし広い公園では、安全のために球技が禁止されているところばかりだ。そのために、息子達は、練習場所を確保するのにもかなり苦労をしたらしい。地元の企業が所有しているグラウンドに、自分たちで貸してもらうように依頼しに行き、ようやく練習できるようにしたという。監督やコーチがいるわけではないので、練習メニューも、試合でのチームオーダーもみな、すべて自分達で話し合って決めているらしい。 息子は、将来プロ野球選手になろうと夢を見るほど野球はうまいわけではないが、「野球を好きだと」という気持ちは、野球選手を目指している子達には負けないくらいのものを持っているだろう。そして、野球というスポーツの面白さやプレーの難しさを知ったからこそ、プロ野球選手のすごさを実感して憧れを持ち、その選手達が所属するチームも好きになったのだ。息子とは逆に、愛着を持って応援してきたチームがあり、そのチームの選手達の活躍を楽しみにしている人もたくさんいらっしゃると思うが、どちらの場合でも「野球が好きだ」という気持は同じだと思う。 しかし、今回の渡辺オーナーの発言には、野球が好きだという気持ちが感じられないと思う。確かに球団を経営していくには、「野球が好きだ」という気持ちだけではできないのかもしれない。息子にしてみれば、「チームのオーナーになるくらいの人だから、ものすごく野球が好きで愛している人なのだ」と思っていたのに、「たかが選手」などという発言が出てくることが信じられなかったのだろう。「あんな人がオーナーだったなんて、なんかがっかりだ」と息子は言った。そしてしばらく考えてから。「俺、巨人ファンをやめるよ。でも今までどおり、選手の応援はするし野球もやるけどね」とそういった。 日本のプロ野球界を支えているファンの多くは、息子のように純粋に野球やチームが好きな人達ではないだろうか。そして、今プロ野球選手になっている人達も、そんなファンの中から産まれてきたのだと思う。しかし、野球を愛する気持ちも、野球を愛してくれるファンを大事に思う気持ちも持ち合わせないような発言を、平然としてしまうオーナーの姿勢がファンに伝わり、結果的に赤字ばかりの日本のプロ野球界の現状を作り出してしまったのではないだろうか? 野球ファンが望んでいるのは、グランドでイキイキとそしてエキサイティングなプレーをする、選手たちの姿だと思う。是非オーナーの方達には、そんなプレーができる場を、選手達に提供できるようにためにも、ファンが球界に望んでいることに対して耳を傾けして欲しいと思う。2004.7.28掲載
2004年08月26日
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「着衣水泳」という言葉は、耳慣れないとお感じの方も多いかもしれないが、読んで字のごとく「着衣」のまま泳ぐ事だという。実は先日、小学校6年生の息子が学校から一通のプリントを持って帰って来た。その標題に書いてあったのが「着衣泳の取り組みのお知らせ」だった。今年のように天候に恵まれて暑い日が続くと、子ども達はどうしても涼を求めて水辺に遊びに出かけることが多くなる。そこで学校では水の事故を防ぐ事を狙いとして、夏休みを目前に控えた1学期最後のプールの授業で着衣水泳に取り組む事にしたというお知らせだった。 大人の方でも、着衣のまま水の中に入った事のある人は少ないかもしれない。着衣のまま水に入ると、想像するよりも水を含んだ着衣が重く体の自由を奪われるもので、少し泳げる人でも困惑する場合がある。しかも、それが本人の意思とは反した状態だったとしたら、その状況は想像がつく。そこで、水の事故から自分自身を守る事を意識付け、もしそのような事が時でも慌てないで済むように、一度授業で着衣のまま泳ぐということを子ども達に体験させようということで、今年初めて着衣泳に取り組むようにしたらしい。プリントには、学校のプールには塩素で消毒が施されている。そのため、着衣泳に使用した衣服が脱色してしまう恐れもあるので、白色系の衣服と予備の靴を持たせるようにという注意書きがあった。 違う地域に住む、小学生の子どもを持つ数人の友人に聞いてみたところ、着衣水泳を実施している地域もあるようだが、殆どのところでは初めて耳にする言葉だと言われた。実施していると答えてくれた友人の話では、水の中では洋服を着ていることよりも靴を履いていることの方が動きが制限されるらしい。近頃の子ども達は普段からスニーカーを履いていることが多い。このスニーカーが水を吸ってしまうと、想像以上に重く感じられ、体の自由がききづらくなるのだという。 私の聞いた限りでは、着衣水泳を実施している学校は少ないようだが、夏休み前に一度着衣水泳を、子ども達に体験させておくべきなではないかと思う。プールなど公共の場所では、着衣のままで水に入ることは許可が下りないだろうと思われるが。例えば、自宅のお風呂や川や海に遊びに行った時などに、保護者が付き添う形で着衣のまま水に入らせることで、子ども達に実感してもらうことはできると思う。冷夏に見舞われた昨年とは違い、今年の夏は暑くなりそうだ。着衣水泳を体験することで、子ども達に水の事故の恐さに対して少しでも認識を持ってもらい、この夏休みの水の事故が少しでも少なくなる事を願っている。2004.7.16掲載
2004年08月25日
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産経新聞の生活改革欄に、毎週土曜日、作詞家であり小説家でもある阿久悠さんが、「書く言う」というコラムを連載している。毎回、阿久悠さんが感じられた事に対して、独自の観察眼と切り口でまとめているそのコラムは、共感する事も多く、私は毎回楽しみにしている。特に思わず「さすが作詞家」と唸ってしまうのが、そのコラムに毎回つけられるタイトルだ。7月3日に掲載されたコラムは特に秀悦だった。そのタイトルは「抱く時にだかずに、独り立ちの時にだくから、子どもらは逃げる」だった。このタイトルほど明確に、現代の親達の、子ども達への接し方の欠点を指摘している文章はないように私には思えた。産まれたばかりの赤ん坊は、動くものを見ると自然と顔の筋肉が収縮して、笑顔をつくるという本能を持っているという話しを聞いたことがある。なぜそんな本能があるのかというと。産まれたばかりの乳児は、誰かの保護が無いと命を繋いで行くことができないからだ。つまり、愛されるためにそのような本能を持って産まれて来るのだという。昔祖母が、「絶対の安心感を持っていることができたお母さんのお腹の中から、赤ちゃんは、たった独りで暗い道を通って産まれてくる。そして、目も見えず耳も良く聞こえず、自分が何処にいるのかも分からなくて、すごく不安なので泣くんだそうよ」とよく言っていた。確かにある程度の年令までの子どもは、親の顔が見えただけでもニコッと笑ってくれる。それは、ただ本能から来るものだけではなく、親に絶対の信頼を置き、親の顔が見える事で安心するからだろう。そう、はじめから愛されたくないと思って産まれてくる子どもはいないのだ。しかし、その子どもの不安とは裏腹に、「抱き癖がつくと困る」「面倒くさい」などの理由から、抱くべき時期に抱こうとしなかったり、抱くことをためらったりしてしまう親がいるのだ。ただ、安心感を求めて、愛されているのだという実感を求めて泣く子どもを抱かなければ、当然親に対して絶対の信頼など、子どもの中にうまれるわけもない。そうして、自分が愛されているのかどうかも確信できないまま、子ども達は抱かれるべき時期を過ごしてしまうのだ。子どもを育てたことのある人ならわかるかもしれないが、寝てばかりいる「赤ちゃん」と呼べる時期は、本当に短い。赤ちゃんは、すぐに親の手の中から這い出て、自分の足で歩こうとするのだ。その時になって、はじめて親は自分があまり子どもを抱いてやっていないことに気がつくのだろう。自立していこうとする子どもに対して、未練がましく抱きしめようとする。しかし、子どもの側は、自分が抱いて欲しいと要求してきた時期に抱かれていないので、いまさらからみついてくる親の手をしがらみのように感じて、逃げるのだ。コラムの中で、阿久悠さんは「家庭とか家族というのは、ハコ物のことを言うのではない。ハコの中の時間をどのように共有したり、個人のものに分散して使うのか、マネージメントが存在する事を、家庭とか家族とか言うのである。それぞれが自分勝手に出たり入ったりしている状態は、家と人間の間に共通の認識のない、ただのハコなのである。」と書いている。まさしく、今の家庭や家族の多くは、この「ハコ」の状態になっているだろうと、私も思う。さらに阿久悠さんはこう続けている。「日が暮れて、夜が更けて、子どもが家を出なかったのは、真暗闇で社会が動きを停めてしまい、何もする事がなかっただけではないのである。親も子もともどもに、社会の中での迷い子でないことを確認するために、絶対必要な時間であったのである。家族とは、迷い子の恐ろしさを教え、迷い子にならない唯一の場として存在したのである」と。血が繋がっていることや一緒に暮らしているから家族なのではない。同じ時間を共有し、お互いに支えたり支えられたりしながら培って来た共通の認識を持っている人達が家族なのだと思う。今の若い子達が迷い子なのだとしたら、その子の親も迷い子なのかもしれない。もう一度、家庭や家族というもののあり方を、真剣に見直すべき時が来ているのだと思う。2004.7.14掲載
2004年08月24日
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先日、中学2年になる娘が、帰宅するなり私にこう聞いて来た。「国会議員ってさ、国民の代表なんだよね?」。私が「そうだよ」と答えると。「つまり、学校で言えば代表委員みたいな人だよね?」と食い付くようにして聞いてくる。「そうかな?選挙で選ばれた人だから、そうなるかな?」と私が言うと。娘は急に怒った顔つきになり、「選挙で選ばれた人なんだったら。なんであんな人達ばかりなの?」と言ってきた。 中学2年生にもなれば、学校でも国会の仕組みや働きを勉強しているし、ニュース番組も大人と同じように見るようになる。時には、政治家が参加した討論会をみている事もある。でも、どうして急にそんなことに対して怒るようになったのかを、娘に聞いてみた。すると、今娘のクラスに交換留学生が来ているのだという。その彼女に国会議員のことを聞かれて、返事に困ったと娘はいうのだ。 参議院選挙がらみの報道で、先の国会で行われた強行採決の様子をニュースでやっていたのを、留学生の彼女が見たのだ。そして、その時止めもせずに平然としていた総理大臣が、自ら大写しになって「日本を良くしよう!」などと訴えかけるCMも流れている。その様子が、留学生の彼女には、不思議でたまらないらしい。「なんで、なんで?」と聞いて来たが、娘はなにも言えなかったのだという。「日本の国会は大人どうしでケンカをするところなの?それを止めないで認めている人が、CMに出ててもいいの?と彼女に言われて、物凄く恥ずかしかったよ!でも、私も変だと思う。みんな今度決まった年金法案は変だって言ってるのに、なんであんなケンカみたいな方法で無理やり決めるの?なんで、そんな変な法律を作った人なのに、CMになんかでてるの?」と、私にその質問をぶつけて来た。 しかし、申し訳ないが私にも娘を納得させられるような説明は出来なかった。それは、その疑問はそのまま私の疑問でもあったからだ。仕方なく、「国会議員は国民の代表だけど、でもいろんな大人がいるからさ。日本の大人は、そんな大人ばかりじゃないから」と言うと。「ずるいよそんなの」と娘が反論して来た。「大人は、すぐ子どもに「ちゃんとしろ!とか言うくせに、大人の代表の人だって全然ちゃんとしてないじゃない。それにさ、どこかの子どもが事件を起こすと、すぐに同い年だって言うだけで「アンタは大丈夫?」みたいなことをいうくせに、大人はいろんな大人がいるからで済ませるなんて、ずるいよ」と、娘はかなり怒っていた。 私は娘に言われて確かにそうだと頷いてしまった。娘は、先日幼児をマンションから突き落としてしまった女子と同い年である。また、昨年長崎で4歳の幼児を、駐車場から投げ落とした男子とも同い年である。私自身は、娘に対して「あなたはそんな事しないよね」と確認をしたことはないが、多分学校などでは注意をされる事が多いのだろう。娘にしてみれば、同い年だったり年が近いというだけで、同じような事をするのではないかという疑いをかけられているようで嫌なのだろう。私は、もう一度娘に年金法案のことや、今度選挙があるのでそれぞれの政党の代表の人が登場するCMが流れていることを説明し、私自身はそのことに対して納得はしていないということも話をした。娘は「もう一度留学生の彼女にもできる限り説明してみるよ」と言った。そして、自分の部屋へ向おうとした時、クルッと振りかえってこう言った。「今度の選挙ではさ、今の国会議員のみたいな変な人には投票しないでね。留学生の彼女に、日本は変な大人ばかりだと思われるの、ホント恥ずかしいんだから」と念を押した。娘に言われるまでもなく、国会議員は私達が選挙で選んだ代表なのだ。そして、その国会議員の代表が総理大臣なのである。「内閣支持率が40%に急落した」という新聞の記事を見た時、急に残りの60%の人は今の日本の政治を恥ずかしいと思っている人の数字に思えて来た。もう目の前に迫った参議院選挙で、私達の新しい代表がきまる。私達の代表は、子ども達の代表でもあるのだ。せめて子ども達に、あんな人を選ぶなんてと言われないように、子ども達の分までしっかりと選んで投票したいと思っている。2004.7.7掲載
2004年08月23日
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先日、2歳の女の子が交通事故に遭って命を落としたというニュースが流れていた。24日午後9時20分ごろ、大分市下判田の国道10号線の交差点で、2歳10か月の女児が、会社員男性の乗用車にはねられ、約7時間後に外傷性ショックで死亡した。女児は台車に乗って道路を横断中で、台車を押していた近くの男児(2歳5か月)にけがはなかった。県警大分南署の調べによると、事故にあった女児と男児の親同士は知り合いで、両親ら計6人でパチンコ店に来ていた。玉を運ぶ台車で遊んでいて、店内から道路に出たらしい。運転していた男性は「青信号で交差点を通過中、二人が右側から出てきた。ブレーキをかけたが間に合わなかった」と話しているという。(6/25読売新聞より)このニュースを耳にした時、私は背筋が寒くなるのを感じた。じつは、そのすこし前に、同じような場面に遭遇したからだ。場所は我家のマンションの玄関前だった。そこは、幅4mほどの道路と細い横道がT字路になっている。横道の奥には、我家もお世話になった保育園がある。その保育園の園児らしき子が、その道を横断しようとしていたところをみかけたのだ。3~4歳の男の子だったのだが、道路の向こうから車がきているのにも関わらずいきなり横断し始めた。後からは、母親らしき人がその子の名前を大声で叫ぶ声と「危ない!」という声が聞こえた。たまたま、車のドライバーさんが、子どもが飛び出してくることを予測してかなり減速していたので、男の子とぶつかる直前で車を止めてくれ男の子は怪我をすることも無かったが、普通の速度で走っていたら私はその事故の目撃者になってしまうところだった。しかし、その後の光景の方がもっと私には信じがたいものになった。道路の反対側から火がついたように大声で怒鳴っている母親の声に、へらへらと笑って答える男の子の姿だった。私も、2歳違いの二人の子ども達を何年間もこの保育園に送り迎えしていた経験があるが、このT字路では危険回避から子ども達の手を決して離さなかった記憶が有る。しかしその母親は、大声では怒鳴って注意しただけで、走って子供を止めるわけでもなく、子どもに駆けよって怪我の有無を確認することもしなかったのだ。親の不注意で子どもが犠牲になってしまう場合、犠牲になってしまった子どもはかわいそうだと思う。また、自分の不注意で子どもを失ってしまった親も心に傷を負うことになるかもしれない。しかし、その事故を起こしてしまったドライバーは、突然飛び出されたにも関わらず、加害者になってしまうのだ。もし、事故の状況などが考慮され罪を問われることは免れたとしても、自分が子どもを轢いてしまったという事実は、心に深い傷になるかもしれない。また、私のようにその事故を目撃してしまった人がいたとしたら、その人も同じように心に傷を負うことになるかもしれないのだ。基本的に、子どもは何をするか分からないところがある。また、大人にとっては何気ないものでも、充分遊び道具として活用してしまう場合もある。その大人にはない発想は、時には大人にとっての死角になってしまうのだ。だとしたら、幼児を事故の危険にさらさないためには、やはり幼児からは手や目を離さないようにすることしか対策はないだろうと思う。連日のように流される、幼児が犠牲になる事故のニュースを、小さいお子さんをお持ちの親御さん達は、対岸の火事とは思わず、自分達の日常も見直すようにして欲しいと思う。2004.6.30掲載
2004年08月22日
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小学6年生になる息子が、学校から帰宅するなり私にカッターナイフを預けに来た。学校でカッターナイフを持って帰るように言われたのだという。佐世保で起きた事件の凶器にカッターナイフが使われた事を受けて、学校はカッターナイフを危険物として取扱う事にしたらしい。他にも、今回の加害者女児の好きな本の中に、バトルロワイヤルなどの過激な殺人シーンが出てくる物があり、その過激な描写も事件の引き金になっているのではないかという報道もある。実は息子も、少し前まで、ゾンビや怪物を倒す描写が過激で有名なゲームをやっていた事があった。私は、そのあまりにリアルで過激な描写を見て、(いくらコンピュータの技術が進んだと言っても、たかがゲームでここまでリアルに表現する必要があるだろうか?)とも思ったことがあった。もしかしたら、そのゲームの影響を息子も受けていて、加害者女児と同い年の息子も、同じようなことを考えているのではないか?と不安になった。また、犯行動機に、ネットの掲示板の書きこみによるトラブル物があったとされている。確かに、ネットでのコミュニケーションでは、日常的に直接会って取るコミュニケーションの場合よりもニュアンスが伝わりにくい。また、送り手と受け手との間で、言葉の解釈に温度差があった場合には、誤解やトラブルを産みやすいのは確かだ。ただ、今回の加害者と被害者はクラスメイトである。クラスという密室の中で、そのトラブルが煮詰まってしまったことも事件を大きくする要因になったのではないか、という説もある。実は先日、息子が学校に行きたくないと言った事があった。クラスの数人の子がいじめてくるのが嫌だというのだ。その前日、息子は膝を大きく擦りむいて帰って来た。鬼ごっこの最中、物陰に隠れていた息子が他の所へ動こうとした時、突然後から突き飛ばされて転んだのだという。慌てて振り向くと、いじめてくるグループの子数人が立っていて、実際に誰が押して来たのかは分からなかったらしい。息子はその後しばらく学校へ行くことが出来なかった。しかし、連絡を受けた担任の先生がすぐにクラスで話しをしてくれたおかげでいじめは一応収まった。心配して毎日迎えに来てくれる子もいたために今では元気に登校しているが、そんな事があったばかりなので、私はあえて息子に尋ねてみた「ねえ、誰か学校の友達で、凄く頭にくる子がいて、その子を殺したいとかって思った事ある?」。 息子は「殺したいなんて思うわけないじゃん。あり得ないよそんなの。それに、ちょっと包丁で指を切っても、あんなに血が出て痛いんだよ?」と答えた。続いて私は「そう言えば、この前までやってたゾンビを倒すゲームやらないね?」と聞いた。すると息子は「だって、ゾンビを打ったり倒したりすると、ママが隣りで『痛い、痛い』ってうるさいんだもん」と言った。私が「あれ、リアルで痛そうなんだよね」と私が言うと。息子は、「まあね」とちょっと笑いながら言った。「じゃあ、もし、うんと頭に来る子がいたら、どうする?」と聞くと。「多分ケンカになるね。オレは男だから、もしかしたら取っ組み合いになるかもしれないけどさ」と答えた。カッターナイフもネットもゲームも、道具であり、使うのは人間である。つまり、それを使ったり利用したりする人や、その人の気持ちによってどうにでもなるものだ。だとしたら、カッターナイフやネットやゲームを子ども達から取り上げただけでは、このような事件の再発を防ぐ事は出来ないと思う。それよりも先に、子ども達に人との接し方や心の持ちようなどを教える必要があると思う。誰かに対して嫌だと思う事があるなら、直接その事を伝える等して、それを解消するための方法を探るべきである。それによってケンカをしてしまったら、仲直りをすれば良いのだ。その時に、親が子どもの心の中にある気持ちやストレスを一度受けとめてあげたり、問題解決のためのアドバイスをしていけばいい。そのためには、親子の間で普段からコミュニケーションがきちんと取れている必要があると思う。そして、子ども達はケンカや仲直りを繰り返し、自分の心や相手の心が傷ついたり、傷つけてしまったこと感じながら、他人とのコミュニケーションの仕方や、自分の気持ちの折り合いのつけ方を学んでいくのだと思うから。2004.6.16掲載
2004年08月21日
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人様という言葉がある。辞書を引くと「他人を敬った言い方」とある。私の小さい頃は、「特別に敬った」言い方ではなく、日常的に他人を指す言葉として使われていたように記憶している。しかし最近では、「人様に迷惑をかけないように」とか「人様の物に手を出すなんて」という言い方は、時代劇の中のセリフぐらいでしか耳にする機会が無くなって来ている。一見すると、自分の家族以外の人達を「他人」と呼ぼうが、「人様」と呼ぼうが、あまり違いは無いようにも感じる。しかし、他人と人様には根本的に大きな違いがあると思う。個性を大事にしようという発想が、世間に広まり出したのはいつ頃からだったか定かではないが、その個性を主張し始めたころから、段々周りを気にするべきではないという発想も出てきたように思える。つまり、個性を大事にするということを、単に個性を主張して、己を大事にすれば周りは大事にしなくてもよいというように勘違いをしている人も多いようにも感じる。そして、そういう発想の広がりと共に、人様という呼び方から他人という呼び方に変わって行ったような気がする。人様という言葉には、個である自分と、また違う個である人様というお互いの個を尊重した関係があるように思う。そこには、島国という狭い土地の中で暮らして来た日本人が、古来から培って来た。譲り合い、気遣いあうという気持ちや心構えが背景にあるように思えるのだ。しかし、それに対して、他人という呼び方は、まさしく自分や自分の家族以外の人という意味で、そこには自分と他(自分以外)という関係しか見えて来ない気がする。そのためか、人様の物という言い方には、自分の物ではなく人様のものなのだから大事に扱わなくてはいけない、という暗黙のニュアンスがあるように思え。それに対して、他人の物という言い方には、自分の管理外の物なので自分が大事にする責任も必要もないというニュアンスがあるように感じられる。たかがニュアンスだけの問題で対した影響は無いようにも思えるが。言葉とは日々の暮らしの中で、常に使うものである。日常の中で、「敬う気持ち」や「思いやる気持ち」に無意識のうちに、接していいるかいないかでは、心の中に育まれていくものも違ってくるのではないかと思う。人様という言葉一つだけを使うようになったからといって、急に人の心に思いやりが産まれたり、犯罪が無くなるというような、大きな変化は出てこないかもしれない。しかし、日々の暮らしの中で、言葉の一つ一つの意味や役割を見直して使っていくことで、未来は変わって行くのかもしれない。2004.6.9掲載
2004年08月20日
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最近、幼児虐待のニュースが流れるたびに、私は自分の小さい頃の事を思い出す。先日のコラムでも書いたが、わたしはかなりのおてんばだった。私の父は、元軍人だった事もあり、普段は無口で無愛想な人だったが、子どもを叱る時には、これ以上無いというほどの大きな声で「ばか者!」と怒鳴った。そして、言い訳もなにもする暇もなく、有無をいわせずゲンコツをガツンと一発食らわせて、「反省しろ!」と一言言うと、さっさと自分の部屋へ行ってしまった。しかし、その「ばか者!」の迫力とゲンコツは、今思い出しても震えあがってしまうほど恐くて痛いもので、私にとっては、父に怒られるという事への恐怖は並大抵のものではなかった。それに引き換え母は、ふだんから小言が耐えず、何かというと私を板の間に正座をさせては説教をした。そして、返事のしかたが悪いとか、反省の色が見えないといっては、竹のものさしでピシャリッと足やお尻を叩いて来た。子ども心に、「なにも、ものさしで叩かなくても…」という思いはあったが、不思議と虐待されているというような感覚は無かった。幼馴染のガキ大将も、いたずらをしたとか、誰かを泣かしたといっては、叱られて、ゲンコツをもらったりお尻を打たれたりしていた。時々、道端で母親に捕まり、お仕置きをされている事もあったが、それを見ている近所の人達も。「またお母さんに叱られるような事をして、ダメじゃないか~」等というだけで、誰も虐待をしているという見方はしていなかったと思う。それは、「お尻を叩く」という行為が、お仕置き(子どもを懲らしめるための行為)として行われている事を、母親も子どもも近所の人も皆が知っていたからだと思う。そんなある日、私はまた学校でおてんばをして男の子を泣かせてしまった。散々廊下に立たされた挙句に、親が学校に呼び出された。放課後の廊下で、数人のワルガキに混ざってたたされながら、私はどんなに叱られるかと内心ビクビクしながら、親たちと先生との話しが終わるのを待っていた。教室から出てきた母は、無言のまま私のランドセルを持って家路についた。私の少し前を歩きながら、決して振り向かない母の背中に、私は母の怒りの大きさを感じた気がした。そして家に着くと、いつものようにまた板の間に正座をさせられた。私は当然ものさしが出てくるものと覚悟していたのだが、母はいきなり大粒の涙を流して、手のひらでピシャピシャと私の膝小僧を叩きながら、「なんで何回言ってもわからないの」と一言言った。私は、突然の事に驚いて、ただ「ゴメンナサイ」というしか出来なかった。母に叩かれた膝は、痛くもなんとも無かったが、心が痛くて仕方が無かった。戦前生まれの母にすれば、男の子より活発なおてんば娘の行く末を、本当に心から案じていたのだろう。そして、その子を思う愛情やぬくもりは、母の竹のものさしからも、ピシャピシャと叩かれた膝小僧からも、そして死ぬほど痛かった父のゲンコツからも、私に伝わっていた。お仕置きとは、何かに悪いことをした時に、それをこらしめるための行為であり、怒るのではなく叱るための行動で、そこが虐待とは根本的に違うところなのだと思う。体罰が良いとは決して思わないが、その当時の私にとっては、ものさしもゲンコツも、スキンシップの一部であったのかもしれない。2004.6.2掲載
2004年08月19日
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幼い頃、私の遊び相手は男の子ばかりで、幼馴染はガキ大将だった。私の両親は、昭和1ケタの生まれだったせいか、そんな私に対して、スカートを履いて木登りをしたと言っては「お行儀が悪い」、いたずらをしたと言っては「お行儀が悪い」と叱った。つまり、私がなにかしでかすとすぐに「お行儀が悪い!」と言って叱ったのだ。この「行儀が悪い」という言葉は親にしてみると実に便利な言葉である。素行全般あらゆる事に対して通用する広い意味を持っているからだ。そのため当時の私は、なにかをしている最中に「行儀が悪い」と母親に言われると、とりあえず動きを止めて、声を掛けて来た母が私のところへ来るまでの間、いったい自分の行動の何に対して「行儀が悪い」といわれたのかを考えざるを得なかった。しかし、当時近所でも有名なおてんば娘だった私には、「行儀が悪い」とたしなめられるような心当たりは山ほどあった。母は私の目の前に立つといつも、「なんで叱られてるのかわかる?」と聞いて来た。仕方がなく私は、思い当たる“悪行”を白状することになる。時には余計なことまで暴露してしまい、大目玉を食らってしまう事もしばしばだった。そのために、当時私は「『お行儀が悪い』という叱り方をする親はずるい」と思っていた。しかし、時が経ち自分が親になってみると、この言葉の便利さは魅力だった。これは先日、我家の近くの古くからある商店街の、私が小さい時からあるお味噌屋さんでのことだ。今でも、お味噌を量り売りしてくれるそのお店で、息子がお店の秤にいたずらをした。受け皿のところを上から指でグイッと押し込んだのだ。私は間髪いれずに「お行儀が悪い」と叱りつけた。我家の息子も、幼い頃の私同様、慌てて秤から手を離して身を固くした。私はゆっくり息子の所に行って「なんで叱られたかわかる?」と聞いた。すると息子は小さな声で「秤を触ったから?」と言った。「そうよ。お店の物とか、人様の物に勝手に触ったりしちゃダメでしょう?特に、お店で使う秤は絶対いじっちゃダメよ。お仕事ができなくなってしまうでしょう」と言った。すると息子は「なんで、ちょっと触っただけジャン」と言い返す。「あのね、お商売で使う秤は、ちゃんと狂っていないか毎年検査を受けるのよ。もし壊れてしまっていたら、おばさんの所はお商売ができなくなってしまうでしょ?だから絶対触ってはだめ」と説明すると、息子はまじまじとその秤を見ていた。すると、いきなりお店のおばさんが大声で笑い出してこう言った。「いまどき、お店の物を触って『行儀が悪い』って叱られてる子がいるなんてねぇ~」おばさんの話では、秤だけではなくお店の商売物でさえ、勝手に子どもが触っても注意をする親は少ないと言う。例え、「だめよ」と注意しても、なぜダメなのかを説明すれる親御さんも少ないらしい。秤を触った息子に対して、私がいきなり「行儀が悪い」と叱りつけたことは、おばさんには新鮮にみえたらしい。「昔は良く『行儀が悪い』って叱られたよね~?最近は行儀なんてものはどうでもいいのかと思ってたよ」そう言ってまたおばさんは笑った。行儀という言葉を辞書で引くと「1.作法にかなうかどうかという点から見た立ち居振る舞い。2. おこない。しわざ。したこと。」(大辞林より)とある。作法にかなうというという観点は、あまりにも古臭いと思うかも知れないが、人間が暮らしていくために必要なルールの一つが作法であるなら、それにかなう行動を取ることを子どもに教えて行くことは、古い新しいということではなく、普遍的に必要な事だと思う。周りの人から、「古臭い母親だ」と思われるかもしれないが、多分私はこれから先も、子どもに「行儀が悪い」と叱りつづけていくと思う。2004.5.26掲載
2004年08月18日
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小学校六年生の息子は、最近反抗期を迎えたらしい。私がなにか言うとすぐに反発したり、怒ったりする。(年令的にもそろそろ思春期だし、仕方ないか)とも思うのだが、それにしても感情の起伏が不安定な気がした。内容的にはたわいも無いことなのだが、なにか少しでも否定するようなことを言うと、急に怒鳴ったり、怒って横を向いてふてくされたり、横目で睨み付けたりしてくる。その様子を見ていると、息子がいわゆる「すぐ切れる子」になってしまったようで、私はとても不安だった。最近テレビなどでよく、「すぐ切れる子とか、虐待をしてしまう母親などは、子どもの頃の愛情の注がれ方が間違っていた事が多い」と耳にする。今育児をしている母親達に、「あなたは自分の子どもに、正しい愛情の注ぎ方をしていますか?」と尋ねたら、自信を持って「はい」と答えられる人は多くないかもしれない。私自身も、そうだと思う。しかし、それほど間違った育て方や愛情の注ぎ方をして来たつもりもない。息子の態度の急変が、ただの年令的なことからだけ来ているのならいいが、もし他に原因があるようなら…と、もう一度息子のことや家庭の中のことを見直して見ることにした。そんな折、私の親友から家に遊びに来ないかと誘いを受けた。偶然その日は、娘と夫は、娘の習い事で出掛ける予定になっていたので、息子と私の二人で行く事にした。友人は、息子が保育園の頃から知っているのだが、ここのところ反抗期を迎えていることは話してなかったので、一応その話をしておく事にした。友人の家には、息子より2歳下の男の子がいる。息子と同じ習い事をしている、息子の同期でもあり、二人は前から遊び相手でもあった。他にも数人の同期の子が遊びに来ていたのだが、息子はその輪に入らずに大人達の所へ来て、たわいない会話に加わる事が多かった。時々、呼ばれるとまた他の子達の所に行くのだが、すぐにまた戻って来ていた。それでも、みんなと機嫌よく話をして楽しく過ごして帰って来た。翌日、その友人から私のところに電話があった。彼女は、息子が保育園の頃からよく知っている。その彼女の目から見た息子の印象を話してくれた。それは、息子は私に構ってもらいたがっているのではないか?という事だった。「お姉ちゃんにばっかりかかりっきりなんじゃないの?」と友人は言った。言われてみれば、思い当たることがある。娘が中学生になり、部活や勉強で忙しくなった。朝連にいくために、どんなに朝早い時間に起きる時も。娘はきちんと一人で起きて身支度をして出掛けていき、夕方までクタクタになるまで練習をして帰ってくる。それでも、夕飯の手伝いをしてくれたり、お風呂の掃除をしてくれたりする。そして、夕飯の後は、宿題などをやるために、夜遅くまで机に向っていることも良くあるようになった。部活は大変なのだと思うが、「自分で好きでやってるのだから」と頑張っている娘をみていると、つい世話を焼いてやりたくなる。逆に言えば、息子に対して「お姉ちゃんが勉強しているのだから静かにしなさい」というような言葉を、無意識のうちに言う事が多かったのだろう。息子からしてみれば、2歳違いでいつも一緒にワイワイやって来た姉が、中学に入ってから、急にしっかりして大人びてしまったことで、自分だけ取り残されたような気持ちだったかもしれない。そのうえ私には「お姉ちゃんの邪魔をするような事をしてはいけない」とたしなめられるのだから、気分が良いはずがない。私が何気なくしていた事が、息子のことをないがしろにしているように思えたのかもしれないのだ。その日私は、帰宅した息子と少し話をしてみた。話しと言っても、息子の学校のことや友達と何をして遊んでいるかなど、息子の話しを聞くといった感じだった。息子ははじめ戸惑っているようだったが、そのうち色々と話し始めた。好きなカードゲームの話しや、誰がどのゲームが得意だとか、誰の足が速いとか…。一通り話を聞き終えた私は、「ねえ、早く中学生になりたい?」と聞いた。すると息子は「お姉ちゃん部活や勉強大変そうで、遊ぶ時間なさそうだしね。まだ小学生がいいかな?」と言った。その言葉を聞いて「そうだね、まだ小学生がいいかもね。焦らなくてもいいから、ゆっくり大人になればいいよ」と私が言うと。息子は、ちらっとこちらを横目で見ながら「そうだね」と、一言答えた。息子の本当の反抗期は、もう少し先かもしれない。2004.5.19掲載
2004年08月17日
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辞書で「責任」と引いてみると。 自分が引き受けて行わなければならない任務。義務。自分がかかわった事柄や行為から生じた結果に対して負う義務や償い。(三省堂‐大辞林より‐)とある。イラクで拘束されてしまった方々に問われている「自己責任」とは、後者にあたると思う。ただ、今回のケースの場合は、その方々に責任を問うべきなのかどうか自体が問題なのだが。一般的には、誰かが何かをしたり、事が起きた時に、それに対して何かしなくてはいけない事、それがその人の責任だと思う。こんな風に固い文章で書くと、「責任」とは大人のだけに当てはまる事のように思える。しかし、本当は、それぞれの年令や能力に応じて、取れる範囲で責任を取るべきなのではないかと思う。つまり、子どもだから騒いでしまったり壊してしまっても仕方がないと考えるのではなく、子どもでもその事に対して注意された段階で「静かにする」とか「謝る」という子どもなりの責任を取らせるべきだと思うのだ。そして、子どもが取った責任では足りないと思われる部分を、親なり監督者が補足するべきなのだと思う。そうして、その子どもの大きさや能力に応じた責任を持たせ、対処させて行くことで、子どもの中にも、責任に対しての認識が産まれ、その責任を果たすことで自信が生まれていくのだと思う。六本木ヒルズで先日起きた事故では、この部分でビルの所有者とドアを作ったメーカーの間で、どちらが責任を取るべきなのか?で発言が食い違いを見せていた。また、オリーブニュースの読者から「メーカーや森ビルだけではなく、親の管理責任を問わないのはおかしい」とお便りも届けられた。確かに、マスコミは、森ビルやメーカーの責任や、国土交通省までもが責任を追及されている状態で、子どもの保護者であり、その場に居合わせた母親の責任が追求されないはずがない。事故にあってしまった少年は、事件当日初め母親と手をつないでいたが、回転ドア近くで手を離した。母親の少し先を小走りで屋外からドア内に入ろうとして、ドアの側面ガラスと固定のステンレス製の枠との間に頭を挟まれた。ドアの回転は止まった。(3月26日付 asahi.comより)慣れない場所で、迷子になるなどの危険を回避するために、はじめはきちんと母親と手を繋いでいた。しかし、回転ドアの物珍しさについ手を離してしまい、事故に遭ってしまったのだろう。ほんの一瞬の気のゆるみだったのだと思う。しかし、そこで「手繋いでいる」という責任を親子共に怠ってしまったために、わずか6歳の少年は命と引き換えに、自分の責任と、母親が追うべき責任までも償う事になってしまったのではないだろうか。こうして見てみると、母親にも事故に遭った少年にも責任の一端があることは明白だ。しかし、それを母親に対して追求する事は、第3者である私達にはできないと思う。なぜなら、責任の追及とはその人の行為によって直接的に利害関係のある人だけ行う事ができる行為だと思われるからだ。しかし、あの回転ドアの事故のように大きな事故の責任の所在を明らかにするためには、当然裁判をすることになるだろう。そうなれば、当然ビルの管理者や回転ドアの製造メーカーと共に、現場に居合わせた母親の保護者としての管理責任や事故に遭ってしまった少年の過失も審議されることになる。我が子を目の前で失ってしまった瞬間のことを、何度となく繰り返し検証される場に立ち会う事になり、「あの瞬間、自分が手を離さずにいれば」と、強い後悔の念に駆られる彼女の心境を思うと、私はいたたまれない気がする。だとしたら、私達母親にできることは、彼女のような悲劇が今後繰り返されることがないように、安全装置やセンサーに任せずに、自分の手で子ども達の命を守るようにすることだろう。つまり、人が多い場所やエスカレータなどがある場所では、絶対に子どもから手を離さないようにし、子どもにもその意味やその子が追うべき責任をきちんと説明し、それを理解して行動出来るように躾ていくことだと、私は思う。2004.5.12掲載
2004年08月16日
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先日、小学六年生になる息子が「夏目雅子さんってなにやってた人?」と聞いて来た。「女優さんだよ。もう随分前に、白血病で亡くなっちゃったけど」と私が答えると。「そっか、女優さんか~」と言った後、「あのさ、ドナーってなに?」とまた聞いて来た。「ドナーっていうのは、臓器や骨髄の提供者のことだよ」と説明すると。「骨髄移植が出来たら、白血病は治るの?」と聞いて来た。「100%とは言えないと思うけど、助かる人は沢山いると思うよ」と言うと、「ドナー登録があったら、オレもおばあちゃんに逢えたかな?」とポツリと言った。「あの頃、もし日本に骨髄バンクがあり、あなたのドナー登録があったなら、きっと僕らは、46歳の夏目雅子さんに会えたにちがいない。」(公共広告機構 2003年度版 全国キャンペーン骨髄バンク-夏目雅子編-http://www.ad-c.or.jp/campaign/all/2003_2.html)というCMを息子はみて、そう思ったらしい。息子が言う「おばあちゃん」とは、私の母のことである。息子が産まれる1年半ほど前に、白血病で亡くなった、56歳だった。母が白血病になるまで、私にとって「白血病」とは、ドラマのヒロインが突然侵される病気というようなイメージがあって、身近な病気だとは思っていなかった。夏目雅子さんのニュースを聞いた時も、かなり驚いたが「美人薄命とは、夏目さんの為の言葉だな~」などと、漠然と思う程度だった。しかし、母を急性の白血病で亡くしたことで、それは現実に目の前にある病気の一つとして存在するようになった。それからしばらくして、屈強で有名だったK‐1ファイターのアンディ・フグ選手が、急性の白血病で倒れてしまった。そのニュースを聞いた時には、「あのアンディでさえも勝てない病気なのか」と私は愕然としたが、アンディのFANであった子ども達も、ショックだったらしい。そして、2年前、息子のクラスメイトのお母さんも、30代半ばという若さで白血病に倒れ、帰らぬ人となってしまった。息子にとっても白血病は、身近に起こりうる現実の病気の一つなのだ。そして、「おばあちゃんに逢えたかな?」と言った言葉の裏には、クラスメイトの子も、お母さんと別れずに済んだかなという意味もあったらしい。突然息子は、「オレもドナー登録するよ。だって、助かる人いるんでしょ?」と言い出した。「ちょっと待って、ドナー登録は、20歳過ぎないと出来ないのよ」と言うと、「じゃあ大人になったら、絶対する!」と言った。しかし、しばらくしてから「でもさ、痛くないのかな?」と急に不安そうな顔で聞いて来た。私達も、「ドナー登録」という言葉は知っているが、実際にどのようなことをするのかを知っている人は少ないと思う。調べてみると、20歳以上という条件の他にもいろいろと条件がある(詳しくは、骨髄移植推進財団へ。0120-445-445 http://www.jmdp.or.jp/index.html)のだが、始めは10ccの採血から始めるらしい。一緒にHPを覗きこんでいた息子は、「結構勇気いるよね、ドナーになるのって」と言った。「確かに勇気がいることだと思う。でもね、パパもママも大きな手術を受けたことがあって、輸血をしたことがあるから、ドナー登録が出来ないんだ」と息子に言うと。しばらくじっと考えてから、大きく息を吸いこんで、「勇気は要るけど、やっぱりオレ、大人になったらドナー登録するよ」と、私の目をしっかり見ながら言った。2004.4.14掲載
2004年08月15日
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先日、我家の生活費用の口座の残高照会をする為に、キャッシュカードを使おうとしたのだが、エラーが出て使えなかった。お給料日を2日後に控えていたので、慌てて身分証明書や通帳、印鑑等を持って窓口へ行った。調べてもらったら、再発行しないとだめだとわれた。早速手続をし、持参した通帳に記帳してもらう事にした。たまたま、通帳も最後のページになっていたので、繰り越してもらうことにした。すると新しい通帳を受け取る時に、今までのように照合用の印鑑シールはつけなくなったと説明があった。私には、2日後のお給料日に現金を引き出す予定があったので、「印鑑照合用のシールが無くても、通帳と印鑑だけでお金を引き出せますか?と窓口の方に尋ねると、窓口の方は「少し時間が掛かります。ご本人以外の方が出金する場合は、身分証明書をお持ちください」と言われ、カードの再発行手続も終ったと口頭で告げられた。しかし、大事な口座のキャッシュカードの再発行手続の完了を、口頭で告げられただけという事に少し不安を覚え、「再発行手続をしているという控えはありませんか」と尋ねたが、控えは特には発行していないということだった。そして2日後、私は同じ支店の窓口で、出金の手続をした。窓口の女性は、2日前と同じ方であったが、出金伝票を渡す際に、2日前にカードの磁気トラブルがあり再発行の手続中であることを告げ、免許証と健康保険証の2種類の身分証明を提示した。しばらくして、名前を呼ばれたので窓口に行くと。本人確認の為に、身分証明書だけではなく、カードの暗唱番号を確認したいと言われ紙を差し出された。通帳で出金するのに、なぜカードの暗唱が必要なのだろうと疑問には思ったが、差し出された紙に暗唱番号を記入して渡した。それからかなり長い間、私の名前を呼ばれる事は無かった。受付に用紙を出してから30分近くが経過したころ、ようやく私の名前が呼ばれたので窓口へ行くと…。「お待たせして申し訳ありません、もしお急ぎのようでしたら、キャッシュカードで出金なさったらいかがでしょうか?」と言われた。「あの?先ほど説明しましたが、2日前に再発行手続をしたので、カードが手元に無いんですけど」と私が説明すると。「そうですか、では申し訳ありませんが、もう少しお待ち下さい」と言われた。結局私が現金を手にしたのは、用紙を窓口に出してから40分以上経ってからだった。窓口の女性は、「今、本人確認のチェックが厳しくなっているので、お待たせしてしまい、申し訳ありませんでした」と遅くなった理由を説明した。確かに近頃、通帳の盗難や偽造による被害が多くなっているので、口座名義人以外の人間が、お金を下ろすことに対して、チェックが厳しくなるのかもしれない。しかし、キャッシュカードの偽造による事件も急増している。先日TVで専門家の方が、簡単にカードが偽造できてしまうと話していた。ただ、暗唱番号はカードにデータとして入って無いので、カードだけがあっても事件は起きない。カードの持ち主が、カードを使う際に入れる暗唱を、覗き見等で盗み出し、それを入力する事で、偽造したカードでも簡単にお金が引き出すことができるのだと言う。この事実は、銀行側でもわかっているはずだが。銀行の窓口でさえも、暗唱番号を本人確認の手段にしている。しかし、銀行やコンビニ、ショッピングセンターのキャッシュコーナーは、使っている人と待っている人の間に、ついたてはないので、暗唱番号を盗み見されてしまう危険度はかなり高い。それこそ、小柄なお年寄りの後ろや隣りに、背の高い若者が立っていたら、手元が見えてしまうかもしれないのだ。偽造カードによる被害が急増しているにも係わらず。金融機関側が、暗唱番号を本人確認の重要な要素として使用するならば、もっと暗唱番号を他の人の目にさらさせないような工夫があって当然ではないかと思った。2004.4.8掲載
2004年08月14日
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先日、私が書いたコラムに対して、一人の母様からお便りを頂きありがとうございました。そのお便りを読んで、コラムの中で私の言葉が足りなかったと感じ、改めてコラムで取り上げる事にした。娘のいじめの発端は、保育園時代の転入だった。人見知りをしない娘の態度が、「転入生のくせに生意気だ」と一部の子の勘に障ってしまったのだ。その後、保育園⇒学童保育と続く閉鎖的な環境の中で、娘はいじめにあい続けた。学童でのいじめは徐々に学校のクラスの中にも広がった。私は、学校の先生と学童保育の指導員の方に相談をしたが、どちらにも「娘が元気に学校に通って来ているので深刻ないじめにあっているとは思えない」という回答しかもらえず、何も解決しなかった。しかし、確かにいじめはあった。それを教えてくれたのが、今不登校になっている子のお母さんだった。私が相談したことで、それとなく娘さんに聞いてくれたのだ。学年が上がっても一向に止まないいじめに、娘に向って私は「そんなに辛いなら学校へ行かなくてもいいよ」と言った事もあった。負けず嫌いな性格の娘は、いじめから逃げ出したくなかったのか、学校へ通い続けた。次第にいじめっこ達は休日にも娘を誘い出していじめるようになった。再度学校側に相談しても、「気にしすぎだ」とか、「娘さんは元気に通っていて問題はない」という回答ばかり。仕方なく私は、学校やいじめてくる子の親に掛け合うのを止め、別な道を模索する事にした。学校は休みたくないという娘に、「それならいじめに負けないように強くならなきゃだめだよ」と話し、休日に親子で一緒に参加できる習い事を始める事で、学校とは全く違う人間関係の中に身を置くようにしたのだ。しかしこれは、元々人見知りをせず負けず嫌いな性格を持った娘だから取り得た方法で、いじめに対処する方法としては、イレギュラーケースだと思う。「もっと学校に掛け合うべきだと」という声もあり私にも不安があった。そこで、前述のお母さんに再度相談すると「娘さんにあってるとあなたが思ったんだから、やってみる価値はあると思うよ」とそのお母さんが私の背中を押してくれたのだ。>「娘さんは、強くなってくれて今も頑張って登校しているのだから、偉いよね。>貴方の選択が正しかったのよ」と言った。その言葉は、その時のことを受けて出た言葉だ。彼女は彼女で、娘さんにあった方法を見つけたいと思っているのだ。>これもすべての「いじめ」が原因の不登校の子供にあてはまるかどうか疑問です。いじめが原因で不登校になってしまったのだとしても、子どもがそれぞれの胸に抱えているものは一人一人全く別の物だと私は思う。我家の娘の事は、単なる一つのケースにすぎない。つまり、不登校の子すべてに一つのケースを当てはめて考える事の方が、無理があるのではないだろうか?>不登校はダメな事でしょうか?>必死で自分を守る手段として不登校になる子も居るのではないでしょうか?子ども達の一番近くにいて一番の理解者であるはずの親が「ダメなことでしょうか?」言うことは、不登校はダメなことだと認めてしまっていることにならないだろうか?私自身前述の通り、不登校がダメな事だとは全く思っていない。現に、私がコラムで取り上げた子も、自分の中にある恐怖心から身を守るために不登校になったのだと思う。それでも娘は、毎日のようにいじめてくる実在の人物達と戦い、彼女は見えない敵と戦い続けているのだと思う。「不登校にさせるなんて親が甘やかしすぎてるんだ」と言う人がいるのも事実だが、世間でなんと言うかではなく、不登校という形で子ども達が戦っている事に対して、もっと親が自信を持って受入れ、理解を示すべきだと思う。そのことが、やがて世間の理解を生むことにも繋がると思う。娘も、いつ学校に行けなくなるかは分からない。その時は、私は胸を張って娘を受入れてやりたいと思う。私は、不登校の子に対しての理解をもっと社会に広く得たいと思い、あのコラムを書いた。最後に。娘が不登校の彼女に手紙を書こうと思ったのは、いじめにあって孤独だった自分の事を、「理解してくれた親友の存在」が救ってくれただからだという。自分がその不登校の子に対して同じ立場になれるかどうかは分からないが、少しでも力になりたいという気持ちからだ。不登校になった彼女からまだ返事は来ていない。しかし娘は、いつか彼女からの返事が来ることを信じて、手紙を書き続けている。2004.3.21掲載
2004年08月13日
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この一週間のニュースで、連日子どもの連れ去り事件の報道がなされている。13日だけでも、群馬の小1女児殺害事件をはじめ、町田の小2女児連れ去り未遂事件。そして、2月に小学生の女児連れ去り事件で逮捕された福岡の交番警官が、別の女児連れ去りの容疑者として再逮捕された事件も流れた。少し前には、子どもを狙った通り魔事件も多発していた。このような、登下校時の子ども達に対する凶悪事件の増加に対して、何らかの対策を立てようと、NPO法人「日本社会福祉愛犬協会」が4月からの新学期にあわせて、通学路をパトロールする愛犬家を募集している。飼い犬と共に社会貢献活動を続けている同協会では、子ども達の通学路を、飼い犬と共にパトロールしようという今回の活動を「犬のおまわりさん」と名づけた。目印として、水色と白色の専用バンダナを着用し、朝夕の登下校時に飼い犬の散歩をしながら通学路を廻り、子ども達に挨拶をするなどして、声を掛けるというもので、散歩の時間などには強制はない。13日付け読売新聞の生活欄の記事によると、犬の散歩中に登下校途中の子どもを見守る活動は、東京都世田谷区のほか、愛知県や大阪府などでも実施され広がりを見せ始めているらしい。同協会の中徹さんは「全国レベルで一斉に実施し、情報を共有化できれば、犯罪の抑止効果が高まる」と期待している。もう30年近く前になるが、私が小学生の頃は。地域の人同志が顔見知りも多く、登下校の最中も、「おはよう」とか「いってらっしゃい」「お帰り」などの挨拶を交わすことも多かった。逆に、ランドセルを背負ったまま公園で道草を食っていたりすると、通りかかった近所のおばさんなどに「早く帰りなさい」などとお小言をもらうこともあった。つまり、地域でいろいろな人の目で子ども達を見守っていたといえるだろう。しかし、最近は地域で個人レベルでの交流も少なくなり、マンションやアパートなどでは、同じ階にどんな人が住んでいるのかも良く知らないことも多い。今回の活動がキッカケになり、子どもがいる家庭だけではなく、もっと多くの目で子ども達の安全を見守っていく事が出来るようになれれば良いと思う。「犬のおまわりさん」の活動に参加してもよいとお考えの愛犬家の方々が、一人でも多くご協力願えればとも思う。参加申込は、全国5ヶ所にある同協会のブロック毎に受付けている。目印となるバンダナは1枚300円で、原則として10枚以上からの販売になる。同協会では、活動の実効性の観点から、自治体や近所同志での共同購入を呼びかけている。(問い合せ先:NPO法人「日本社会福祉愛犬協会」03-3847-5297)この活動は、基本的には愛犬家の方々の好意により実行できるものだ。できれば自治体などで目印のバンダナをまとめて購入して、実際に活動に望んでくださる方々には無償で配布して欲しいと私は思う。また、こうした活動が広がっていくことで、子ども達だけでなく、皆が日々を安全に過ごすことができるようにれば、とも思う。2004.3.16掲載
2004年08月12日
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娘の通う中学校には、不登校と呼ばれる学校へ来る事ができない子が数人いる。その中の一人の子は、小学校に入学した当初から私が良く知っている子だった。その子のお母さんと先日話しをした。そして、彼女の不登校の原因にあるトラウマがある事が分かった。そのトラウマとは、小学校時代の「いじめ」であった。彼女は、小学校時代から友達も多く「いじめ」にあっていた訳ではなかった。実は、我家の娘が小学校時代に「いじめ」にあっていたのだ。はじめは些細なことが原因だったのだが、そのうち「いじめ」は一人歩きし始め、波紋が広がっていった。親としていろいろと策を講じてみたが、すぐには解決には至らなかった。結局私は、学校や「いじめ」をしてくる親に対しての働きかけによっての解決ではなく、娘を「いじめ」に負けない強い人間にして行く事で解決する道を選んだ。そしてまず、親の目からみて、「いじめ」の対象になりそうな娘の癖や行動を直させる努力をした。それから、娘に学校とは全く環境で人間関係を築くようにした。つまり、地元の友達が全くいない所での習い事をさせたのだ。小学校の低学年で、自分自身を否定されるようなことも経験した娘は、辛かったと思う。しかし、私は娘の精神面を全面的にフォローしていく事に徹する事しかできなかった。結果的に、娘は学校とは全く違う人間関係の中で、娘なりに自分を高め少しづつ自信をつけ、精神的にも強くなってくれた。その事によって、学校での「いじめ」に対しても、前向きに考えられるようになり。親友と呼べる子も増えたことで、今でも多少は継続しているらしい「いじめ」行為も、気にせず学生生活をそれなりに楽しく過ごしている。それとは逆に不登校になってしまった彼女は、中学に入ってから周りの目が気になるようになり、時期的に部活での挫折が重なってしまったこともあり、2学期から学校へ通う事ができなくなってしまった。はじめは、彼女のお母さんにも全く訳がわからなかったらしいのだが、少しづつ彼女に話しを聞き出し、不登校になった原因を把握したらしい。彼女曰く「小学校時代の自分は本当の自分じゃなかった。いじめられるのが恐くて、そうされないように振舞って来ただけ。でも、それにも疲れたし、自分に自信もないから周りの目が恐くて仕方がない」。彼女は学校や学童保育などで、娘や他の数人の子がいじめられているのをまじかで見て来た。自分から率先していじめるような事はなかったが、雰囲気によってはいじめに荷担するような行動を取らざるを得なかったようだ。また、荷担しなくても。いじめられている子に手を差し伸べるだけの勇気もなかった。そして、そんな事の繰り返しが彼女の心の中に「いじめに対する恐怖心」を深く刻んでしまったらしい。今も彼女は、保健室への登校を試みてはいる。しかし、彼女を襲う恐怖心を取り去る事ができず、一進一退の日々を送っているのだという。実は私は、娘が小学校の時。彼女のお母さんに、娘がいじめられている件で相談をした事があった。彼女のお母さんは、私が娘にやろうとしていることに対して、「出きる事をやってみたら。うちの子にも協力するように言っておくから」と言ってくれた。彼女のお母さんはその時のことを思い出したらしく、「娘さんは、強くなってくれて今も頑張って登校しているのだから、偉いよね。貴方の選択が正しかったのよ」と言った。いじめという心無い行為が、子ども達の心の中に落とした影は、大人が思うよりも色濃く暗いもので、それが思いがけない形でトラウマになってしまう事もあるのだ。彼女の不登校の原因を聞いた娘は、彼女に手紙を書く事にしたらしい、返事は期待していないと娘は言う。「ただ、彼女がちょっとでも学校に行こうかなって思ってくれたら嬉しいから」そう言って笑った娘の笑顔が、彼女の笑顔につながる事を私も心から願うのだった。2004.3.10掲載
2004年08月11日
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我家の子ども達は、レーシングカートというモータースポーツを、かれこれ6年近くやっている。あまりメジャーなスポーツではないので、ご存知無い方も多いかもしれないが、カート出身のF1ドライバーが多いことなどから、TVでタレントの方が兆戦する様子を放送していたりして、ご覧になったことがあるかもしれない。そのカートを題材にしたマンガが、最近出されている。作者は、それなりにカートのことを良く調べていて。なかなかリアリティをもって描かれている。環境もなにも整っていない小学生が、たまたまカートに出会いスゴイ才能を発揮し、チャンピオンになっていくという、いわゆる「スポ根マンガ」だ。しかし、6年もカートをやってきた子ども達の感想は。「なに?これ!」だった。確かにカートやエンジンなどが細部まで描かれているのだが、問題はストーリーなのだ。いくら、マンガは作り話だから、といっても。才能さえあればどんどん上にいかれるというような描きかたをされていることに、反発を感じたらしい。「いくらお話だからって、出来過ぎだよこんなの」子ども達は二人ともそう言って黙り込んでしまった。6年間、ずっと子ども達の苦労を見てきた私から見ても、「こんなことあるはずがない」。と思えるようなストーリー展開だ。しかし、これがカートのことをなにも知らない人が読んだ場合は。「リアリティのあるお話」は、そのまま「リアル」に受けとめられてしまう。現に子ども達の友達が、そのマンガを読んで。「結果が出ないのはお前に才能がないからじゃないか」、というようなことを言ったという。あまりに臨場感のあるマンガであるだけに、リアリティをリアルそのものだと勘違いさせてしまうのだろう。レーシングカートという、現実のスポーツの中で。6年もの間、悩んだり迷ったりしながら、頑張って来た子ども達にとっては。自分の技術や才能を信じて頑張る事で、レースという現実を乗り越え、自分自身を一歩づつ高める努力をして来たのだ。多分これは、他のスポーツでも同じだと思う。そこに、いかにお話だとしても、才能だけで全てをクリアできてしまうようなことを描かれてしまったことで、今までの自分が頑張って来たことを否定されてしまったような気がしたらしい。私は、その事を聞いてハッとした。もしかしたら、このような勘違いは他の場面でも多く起こっていることかもしれないのだ。リアリティを追求した、ドラマやマンガといった「作り話」に対して。頭では、「フィクション」だと分かっていても、あたかも現実がそうであるかのような錯覚を起こし、そのうちそれを事実だと認識してしまうようになる。社会一般に情報が少ないものに対しては、往々にして起こることだと思う。またこれは、マスコミなどの過度な報道に対しても。私達は、同じような錯覚を起こしてしまっているのかもしれないと思った。たかが、子どものマンガのことで目くじらを立ててと思われる方もいるかもしれない。しかし、マンガが与える情報や印象で、夢を見る人がいるのと同時に、傷つく人もいるのだ。つまり、現実はそんなに甘くないという事である。リアリティを追求しているなら、そんな「甘くない」部分もきちんと描いて欲しいと思うのは、私が単なる親ばかだからだろうか。しかし、偏った印象を与えてしまっていることは確かであり、私はそこになにか「危うさ」のような物を感じた。2004.3.3掲載
2004年08月10日
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我家の近くの公園には、「はとおじさん」と呼ばれる人物がいる。名前のとおり「はとおじさん」は、毎日、夕方近くになると鳩に餌をやりにくる年配の男性のことである。そのため、その公園の周りには、常時鳩が2~30羽いる。公園に隣接するお宅の屋根は、鳩のフンで真っ白くなってしまい、公園の遊具のあちらこちらにも、鳩のフンがついている。しかし、それだけでは済まない。鳩はおじさんが公園にやってくる時間まで、公園の前の電線に群れをなして止まっている。公園の間口は10m足らず。その短い距離の電線に、2~30羽の鳩が止まっているのだ。電線の下には、歩道があるのだが、その歩道は、公園の前だけフンで真っ白になってしまっている。つまり、鳩がそこに止まっている時間は、フンが雨のように降って来る。時間は丁度小学生が下校したり、近所の主婦が買い物に出掛ける時間帯にあたる。我家の子ども達も含めて、そこで鳩のフンの襲撃にあった子ども達は少なくない。そのため、その時間になると。下校途中の小学生も、近所の主婦達もみな、公園の前だけ車道を歩くことになる。その公園は、ローカル線の駅からすぐのところにあるので、夕方近くになると、人だけではなく車の交通量も多くなる。そのために、歩道にもガードレールが着けてある。しかし、ガードレールのついたきちんとした歩道がありながら、車道を通らざるをえないのだ。ある時、その歩道を通って公園から表に出ようとした子供が、歩道を走りぬけて、車道に飛び出した。そこへ丁度車がとおりかかり、もう少しで事故になりそうな場面に遭遇した。たまたま、その子が知り合いの子だったので、飛び出したら危険だからだめだよ、と話しをすると。「だって、ここいつフンが落ちてくるか解らないんだもん」と言い返された。その子には、厳重に注意をしたが、そのこの気持ちも理解できる。その公園は、我家からすると隣りの学区にあたるので、保護者の方々が何か対策をしていらっしゃるのか分からないが。はとおじさんはかなりまえから餌をやりつづけていることを考えると、今のところ大きな事故が起きていないので、特に対策はしていないのかもしれない。しかし、このはとおじさんのようなケースは、きっと全国のいろいろな場所で起きている問題だと思う。対象は、鳩であったり猫であったりするかもしれない。鳩やのら猫に餌をやるという事は、半分は放し飼いにしているのと同じ事である。いかに、好意で餌をやっているだけだといっても、飼い主としての責任を果たせないのだとしたら、即刻餌やり行為は止めるべきではないだろうか。ましてや、今。鳥インフルエンザの問題が浮上している。生きた鶏やそのフンなどに触れたことで人に感染するのではないか、と言われている。まだ、なぜ日本で発症したのかなどの、感染経路が特定できていないが、一説では渡り鳥などが媒介したのではないかともいわれている。だとしたら、鳩のフンでも媒介になるかもしれないのだ。幼稚園などでは、ペットとして飼われていた鳥を処分するところも出てきている。飼っていたものをいきなり処分するというのも、飼い主として無責任だと思うが、餌だけを与える行為にも、飼い主としての自覚と責任を持つべきだと私は思う。2004.2.25掲載
2004年08月09日
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コラボレーションという言葉を最近良く耳にする。コラボレーションとは、「共同作業」とか「共同製作」という意味である。特に最近では、普通に考えたらあまり一緒に作業をすることはないと思われる人達、いわば異色な顔ぶれでの共同作業の場合に良く使われているようだ。私が良く買い物に行くスーパーでは、昼間は主婦パートさんがレジを担当し、夕方からは地元の高校の女子高生のアルバイトにバトンタッチする。休日は、その両方の人達が交代で担当している。年中無休のそのスーパーは、パートに入ると土日のいずれかを出勤しなければならないせいか、パートさんの殆どが、50代以上の子どもを独立させたくらいの年令の人達である。片や高校生の方は、茶髪でお化粧やピアスをしてる子も珍しくない、いわゆる「近頃の女子高生」といった感じである。毎年、春の新入学のシーズンになると、新高校一年生だと思われる女の子達が、パートの方に教えてもらいながらレジの補助をしている光景が見られるようになる。夕食の買い物客でごった返しているレジで、テキパキとした中高年の主婦パートさんと、ぎこちない手つきの高校生のアルバイトの女の子がペアを組んでいる。教えるパートさん達は、女子高生達が何か失敗しても、大らかに受けとめて余裕を持って指導している様は、微笑ましい光景である。そして、そろそろ学年末を迎えようという今頃の季節になると。高校生達は、すっかり仕事に慣れ、余裕すら感じるようになる。時折、クレジットカードなどでのレジ決済の方法がわからなくなったパートさんが、女子高生に教えてもらっていることもある。「仕事」と言うこともあるのだろうが、教えてもらっているパートさん達は、「年を取ると、物忘れが酷くて駄目ね。助かったわ、ありがとう」と、高校生に向って丁寧にお礼を言っていた。また、交替の時間になってもお客さんが途切れず帰れないでいるアルバイトの子のところに、パートさんが飛んで来て、「後はいいから、早く帰っていいよ。おつかれ様でした」という場面にも何度も出くわした。お互いが、お互いのことを良く理解し、また気遣い、支えあっているのが良く分かる。多分、普通に生活をしていたら、まともに口をきくことも無いだろうと思われる、2つの世代の人達が、同じスーパーのレジでとても上手くコラボレーションしている。中高年の主婦と、女子高生といえば、“オバタリアン”と呼ばれたり、“コギャル”と呼ばれたりして。「非常識な行動が目立つ」などとワイドショーなどで非難をされていることが多い。へたをすると、世間の殆どの中高年主婦や女子高生が、皆そんな人達ばかりかのような錯覚に陥ってしまう。しかし、そこのスーパーでこの2つの世代の人達を見る限りでは、そんなことはほんの一握りの人達のことで、マスコミがおもしろおかしく騒ぎ立てているだけなのだろうと思える。そして、こうやって世代を超えて一緒に仕事をすることが出来る人達が、まだ沢山いるのだから。日本と言う国もそんなに捨てたもんでもないな、とも私は思う。2004.2.18掲載
2004年08月08日
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今、「13歳のハローワーク」(著者:村上 龍 挿し絵:はまの ゆか/幻冬社)という本が売れているのをご存知だろうか。これは、1976年に『限りなく透明に近いブルー』で第75回芥川賞を受賞した村上龍氏が、13歳という外国ではベビーシッターのアルバイトなどをはじめて大人の入口に立ったと認識される年令以上の人達へ向けて書いた、職業紹介の本である。この本が今、あらゆる年代人達に読まれている。本の帯には、「いい学校を出て、いい会社に入れば安心」という時代は終わりました。 好きで好きでしょうがないことを職業として考えてみませんか?」と書いてある。先日テレビのインタビューで、村上氏自身も「終身雇用制の崩れた今だから、いろんな職業を紹介してみようと思った」と答えていた。しかし、子どもを持つ親達の大半は、いまだに「良い学校=良い会社=安定して裕福な暮らし」という図式から離れられずにいる。その証拠に有名私立中学の受験には、未だに多くの子ども達が殺到している。しかし反面では、ゆとり教育の弊害により子ども達の学力低下も問題になっている。本来は、一つ一つの事にゆとりを持って勉強できるようになるように、完全週5日制になりと学習内容も3割削減が実施されたはずであった。しかし、それが子ども達の学力低下に繋がってしまったのだ。このことが、年頃の子どもを持つ親たちに、ゆとり教育に不信感を抱かさせる事になった。2月1日の読売新聞の地方版にも興味深い記事が載っていた。それは、横浜にある横浜中華学院(横浜市中区山下町 江再郷校長)に、日本人の入学希望者が急増しているという記事だった。記事には「急速な経済発展が続き、日本企業の進出が進む中国を意識し、中国語教育などを特色とする同学院で学ばせたいという親が増え、2005年4月の新入生からは入学試験制度の導入を予定している」―2004年2月1日 読売新聞 地域面より―とある。同学院は、孫文が架橋子弟のために1874年に設立した「中西学校」を前身とし、全国にある架橋学校の中では最も古い歴史を誇ると言う。幼稚園から日本の高校に当たる学年までの学校がある。そのうち日本人の入学希望が多いのが、幼稚園と小学部。小学部では約100人の児童のうち3割近く、幼稚園では約60人の園児内の半数を超える子ども達が日本人児童だという。ここでは週8時限が中国語の授業で、日本語(週4―5時限)の倍近く用意されている。江校長は、「日本のゆとり教育への反発も急増の一員ではないか」と述べている。こうして見ると、独自の教育方法で授業を進めていく都心の私立の学校と、地方の学校や公立学校とに通う生徒の格差は広がっていくばかりになる。政府がいかに「ゆとり教育」を唱えようと、その内容親が不信感を抱いたり、上記のような「良い学校に行けば」という図式から離れられなければ、辛い受験勉強をさせても良い学校に行かせようという親心に変化が訪れるはずもない。結果としてゆとり教育は子ども達の未来に何ももたらさない事になる。表面的なことばかりではなく、今の子ども達に一番必要なことは何なのか。子ども達が大人になった時に本当に子ども達のためになる教育とは何なのか。それをきちんと見直した上で、ゆとり教育の見直しもして欲しいと思う。2004.2.11掲載
2004年08月07日
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早いもので、今年ももう節分を迎えてしまった。節分の行事といえば、豆まきである。我家にも数年前まで節分に鬼が来ていた。当時娘が通っていた学童ホールのOG・OBの保護者の方が、鬼になって廻ってくれていたのだ。始まりは、もう10年前くらいのことらしい。その当時学童ホールに通っていた子供達の家を、その学童ホールに子どもを通わせている保護者の中の有志で、鬼役になり廻り始めたのだ。その後、自分たちの子供達が学童ホールを卒室しても鬼は廻っていた。もう鬼達にとっては、節分に子ども達の元を襲撃することが年中行事と化していたのだ。 そのうち鬼も衣装に凝り始め年々派手になっていった。自前のかなり派手な鬼の格好で街中の学童ホールに通う子供達の家を廻っていたため、途中で交番のおまわりさんに呼びとめられたことも何度もあったという。 しかし、そのうち鬼の子供達が成長し、行く先々でまるでマシンガンのような勢いの豆攻撃に遭うようになり、当たった豆の痛さに鬼が泣くこともしばしば起こるようになった。あるご家庭に行った時には。玄関を開けた途端、玄関先で待ち構える子ども達の大きさとその気迫に恐怖を感じた鬼が、慌ててドアを閉めて逃げ出したこともあり、一時はもう止めようかと思ったという。 鬼達にとっては年中行事と化しているのに、肝心の廻る先が無くなって来てしまったのだった。そこで、自分の子供達の後輩にあたる、今学童ホールに通っている子ども達の元にターゲットを変える事にした。そうして鬼達はまた、自分たちを恐いながらも心待ちにしてくれる、新たな子ども達のことを襲撃しに行く事になった。我家の子供達が学童ホールに入室したのは、丁度そんなころだった。あるお父さんから、「もし良かったら、節分に鬼が廻っているんだけど、お宅もどう?」と声を掛けられた。当時我家の娘が小学校1年生。息子は保育園だったので、喜んで鬼にきてもらった。玄関から大きな掛け声と共に乱入してくる鬼達に向かって、子供達はちょっとビクビクしながらも、一生懸命豆を投げる。すると鬼達はその子ども達の勢いに降参し、最後には降参した証拠に一緒に写真を撮って仲直りする。というストーリである。 当時保育園に通っていた息子は鬼が来るまでは元気が良く。口に一杯豆をほおばりながら、「オレが鬼をやっつけてやるんだ!」などと言っていたにも係わらず、鬼が来た途端に、泣きながら押入れに逃げ込んでしまい。最後にいくら鬼が「降参したから、一緒に写真を撮ろう」と声を掛けても出てこなかった。 それから数年が経ち、学区内に大きなマンションが数棟建った。すると、鬼は引っ張りだこになり、各家庭には廻り切れなくなってしまった。そこで、マンションの集会室を借りて合同豆まき会が開かれるようになった。 今年も鬼は、自前の派手な衣装で交番のおまわりさんにうさんくさい顔をされながらも、意気揚揚とマンションの集会室の子供達にやっつけられにやってくる。2004.2.4掲載
2004年08月06日
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一般的には、1月2日を書初めの日としているが、この日を書初めの日とするようになったのは、古来宮中において「吉書始の式」がこの日行われ、若水で墨をすり、芽出たい名歌名文を書いたのが起源とされている。江戸時代の寺小屋では正月五日の講義開きの日に縁起が良いとされている詩歌の詞を清書する習わしがあったという。その風習を今の学校教育にも取り入れているのか、小学生の冬休みの宿題と言えば「書初め」である。新しい年の初めに、普段とは違う大きな半紙にその年の目標などを書くということは、毛筆の上達を願うだけではなく大きな意味があると思う。心を落ち付けて、大きく白い紙の上に、真っ黒な墨の付いた筆を走らせて行くことは、自分と向きあうことの出来る瞬間でもあると思う。しかし、普段習字を習っていない我家の子ども達にとっては、「単なる冬休みの宿題」でしかなく。煩わしく面倒臭いもの以外の何物でもないようで、なかなか手をつけようとはしない。年が明け、短い冬休みの終わりが近づいていた。私は、連日外に遊びに出掛ける息子に向って「書初めの宿題はイツやるの」と小言を言った。すると息子が、「じゃあ、今日の午後にやるから場所を作ってよ」と言い残して出掛けて行った。書初めをするには、最低でも畳一帖分ぐらいのスペースを用意する必要がある。しかし、我家はマンション暮らしで殆どが洋間なので、なかなかそのスペースを確保するのは難しかった。子ども部屋は、子ども達の勉強机やベッドで一杯だし、私達の寝室もベッドがあって、書初めをするどころの騒ぎではない。リビングには、畳2帖ほどの床を確保出きるのだが、いくら周りに新聞紙を敷いたとしても、そこで墨を使って書初めをさせることに、私は抵抗があった。もう少し広い床を確保できないかと思案してみた。しかし、リビングに置いてある、ダイニングテーブルもソファーも簡単に動かすことが出来なかった。昨年まではどうしていたんだっけと思い返してみると、リビングにソファーが置いていなかったことに気がついた。たいした大きさのソファーではないのだが、あるのとないのでは、差が大きかった。しかし、現状ではこのリビングの狭いスペースに新聞紙を敷いて書かせるしかなかった。仕方がなく私は、出来るだけ場所を確保できるようにと、動かすことの出来る家具を移動して、息子の書初め用の場所を作った。昼食を食べに帰って来た息子は、私の顔を見るなり「家じゃ狭いから、書初めは友達の家ですることになったから」と言った。話を聞いてみると、書初めをする為の場所を確保するのに苦労していたのは我家だけではなかったらしい。いっしょに遊んでいた仲間の子が「どうしよう」と言い出したのを聞いて、遊びに伺っていたお宅のお母さんが「じゃあ家でいっしょにやれば」と言ってくれたのだという。たまたまそこのお宅には広めの和室があり、2~3人が書初めを出来るスペースがあったらしい。そこの子も、一人でやってもつまらないからいっしょにやろうよと、息子も誘われたのだ。早速私は、先方のお母さんに電話をして、手数をかけてしまうことに対しての礼を述べた。確かに和室であれば、普段は居間として使っている部屋でも、食卓を端に寄せ座布団も重ねてしまえば部屋を広く使うことが出来る。もちろんベッドと違い、布団は朝になれば押入れにしまう。つまり、一つの部屋が食事をする部屋にも、寝室にもなるわけである。息子を送り出してから、いつもより少しだけ広くなったリビングの床に座って、和室という先人達の知恵が詰まった部屋の偉大さを実感していた。2004.1.21掲載
2004年08月05日
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ある調査によると、今年のお正月に子ども達がもらったお年玉の平均額は、一人に約5千円もらい、総額約2万5千円と昨年より少し多かったらしい。また、昨年末にお年玉について主婦を対象に行なわれた調査では、一人当たり約5千円上げる予定で、あげる予定の人数が4人で総予算は2万円という回答があり、上げる側の予算より、もらった側の総額の方が上回った。つまり、こんなところにも少子化の現状が垣間見られた。しかし、これはあくまで平均値である。中には7万円近くもらった子もいたという。よく、最近の子どものことを「シックスポケット」という。父方の祖父母、母方の祖父母、そして両親の6つのポケットからお金が出るという意味だ。しかし、実際はもっと多くのポケットを持っている子どもが数多くいるのだ。それは、おじさんやおばさん達のポケットである。私の友人の息子さんもその一人だ。彼の場合も、子どもがいない伯父伯母夫婦などからもお年玉をもらったのだ。数えてみると、一人っ子の彼は9つも専用のポケットを持っていた。お年玉の使い道も、昨年は「貯金する」と言う答えが一番多かった。今年は、「ゲームソフトを買う」という答えが一番多く、こんなところにも景気回復の兆しが見られるのではないかと記事は伝えていた。この年末年始は、その子ども達のお年玉に向けて、各おもちゃやゲームメーカーもこぞって新作を発売する。今年もかなりの数のゲームソフトの新作が発売され、冬休みのゲームソフトの売場には、お年玉を手にした子ども達で溢れていた。しかし今は、沢山のお金が出てくるポケットであるが、これが20年後には立場が逆転してしまうのだ。昨年末にWHOが発表した世界各国の寿命の統計によると。日本の平均寿命は、81.9歳。また、同時に発表された平均健康寿命75歳といずれも加盟192か国中トップだった。平均健康寿命とは、平均寿命から重度のけがや病気の期間を差し引いた指数だという。現在、彼の祖父母はまだ充分現役と呼べる60代に差し掛かったばかりだが、20年後には平均健康寿命を過ぎ、介護が必要な年になってくる。両親や伯父さん達も定年を迎える年令になる。つまり、彼が独占しているポケット達の老後の面倒は、彼が一人でしなくてはいけない事になる。もしこれが現実になってしまったら、ポケット達を支えるための税金や社会保険などの負担はかなり高額になる。いくら働き盛りの30代と言っても、それらを負担しながら自分の家族を養っていくのはかなり困難になると思う。もしかしたら、そのことが原因で、また晩婚化による少子化が促進してしまうかもしれない。お年玉は、景気の回復いかんにかかわらず、そんな時代が来た時のために、貯金しておく方が懸命なのかもしれない。2004.1.14掲載
2004年08月04日
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毎年、財団法人日本漢字能力検定協会から「今年の世相をあらわす漢字」が発表される。今年の漢字は「虎」だった。阪神タイガースの優勝に沸いた一年であったことや、イラクへの自衛隊派遣を「虎穴に入る」と例えた人もいたという。2位以下には、「戦」「乱」「冷」「選」「星」と続いた。「戦」はイラク戦争や、総選挙があった年ということを表わし。「乱」は、イラク問題やSARSなど。「冷」は、今年の冷夏などをそれぞれ表わしている。早いもので、21世紀になってから丸2年が過ぎてしまった。2003年は、鉄腕アトムが誕生する年でもあったのだ。そのせいか、子どもの頃の21世紀のイメージは、明るく楽しく希望に満ちたものだった。しかし、実際は前述の漢字があらわすように。明るいイメージよりも、暗く不安に満ちたものばかりが目に付く。連日のように流される、幼児虐待などのニュースにも目や耳を覆いたくなり、私達が子どもの頃描いていたような、楽しい未来への希望を、今の子ども達に持たせるにはどうしたら良いのだろうか、と考えてしまうような出来事が続いている。いつからこんなに未来に希望が持てない世の中になってしまったのだろうか。若者達の無気力も、こんなところから来ているのかもしれない。しかし、私達が子どもの頃に持っていた明るい未来のイメージも、今考えてみるとかなり無責任なものだったような気がする。例えば、科学が進歩して生活が便利になるとか、どんな病気でも治るようになるとか。それは理想に近いもので、誰かがそうしてくれるのではないか。と思っていたような気がする。しかし、現実はそんなに甘くなかった。確かに、科学技術や医療は各段に進歩を遂げた。だからといって、人々が幸せに暮らしているかといったらそうではない。星野監督が言った「勝ちたいんや!」という言葉が、流行語なったが。自分で未来に対して目標を定め、その目標に向って、自分達の手で変えていかないといけないのだろう。そうする事によって気力や希望が産まれ、自然と未来も変わっていくことになるのだろう。ドラえもんが誕生する22世紀は、マンガそのままとは言わないまでも、少しは明るく希望の持てる世界になっていて欲しいと思う。それには、今の私達の努力が必要なのだろう。来年こそは、いい年だったといえる一年になって欲しいと思う。2003.12.31掲載
2004年08月03日
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ある山にクマが居ました。クマは自分の声の大きさも牙の怖さも知らずにすごしていました。そして、クマが知らないうちに、クマの周りにはあまりみんなが近づかなくなっていました。ある日そのことに気がついたクマは、崖の上にやって来ました。クマにとっては、たった一人で立つ崖の上は、孤独でとても淋しい場所でした。崖のしたでは、海が大きな口をあけているようにクマには見えました。そこに猫が通りかかりました。しきりに下を覗き込んでいるクマに向かって、猫はこう言いました。「金木犀のいい香りがするね~。下のほうで咲いているの?」その声に、クマはビックリして振りむきました。すると猫は、「ここは高いから、景色がいいねぇ~」と遠くの方をを見ながら、ニッコリ笑っていいました。その言葉に、下ばかり覗き込んでいたクマは、始めて顔を上げて、周りの景色を見てみました。確かに良く晴れて、遠くまで良く見える気持ちのいい小春日和の日でした。「ここはね、私のお気に入りの場所なんだよ!」と猫は嬉しそうに話を始めました。それからクマは猫としばらく話しをしました。それはとても楽しい時間でした。クマはしばらく忘れていた気持ちを思い出したように感じました。そして、相手の話しを一生懸命聞いて話しをするようにすれば、大きな声でほえなくても、必ず相手に伝わるものなんだと思いました。 猫は街で暮らしていました。街の暮らしはとても忙しく、猫はそんな暮らしに自信をなくして、疲れていました。猫もクマとの話しはとても楽しいと思っていました。猫にはクマが山で大きな声でほえていたとはとても信じられませんでした。それは、猫にとってクマはとても優しくて暖かかくて大きな存在だったからです。そして猫は、クマと話しをしているととても安心出来るのでした。それはクマが、ありのままの猫の事を受け止めてくれようとしているのが、良く分かったからです。クマの言葉端々に、クマが心から猫のことを案じ、大事に思ってくれているのだろうと感じる言葉が沢山隠れていたからです。お互い離れたところで暮らしていたので、ゆっくり話しをする時間はありませんでした。それでもクマは、時間を見つけては一生懸命猫と話しをしてくれました。猫もクマと話しをするのがとても楽しくて、一生懸命時間を見つけては、話しをしたいと思っていました。離れたところに住んでいた二人は、お互いの場所で見ることが出来るものを見つけては、それを伝え合って、お互いの心の中に浮かぶ風景を、一緒に眺めてました。いつしか、お互いの心が繋がっていることに気付きながら。猫に出会ってからクマは、ほえることをしなくなりました。そして猫も、少しづつ自信を持つことが出来るようになっていきました。でもクマと猫は、一度も会うことはありませんでした。なぜなら、クマにも猫にも帰らなくてはならない場所があることを、お互いに知っていたからです。そして、どんなに二人で話す時間が楽しくて、ぬくもりにあふれているものであっても、それは、お互いが離れていて、一生懸命伝え合おうとしているからこそ、成り立っているのだと二人とも分かっていたからです。そして何よりも、二人でぬくもりを持ち寄ってしまったら・・・。もう2度と帰れなくなってしまうかもしれない。それがとても怖かったのです。結局、二人はどちらからも会いたいと言うこと事が出来ませんでした。そして、お互いのぬくもりで、お互いが少し元気になれたという思い出だけを心の奥に閉じ込めてお互いがいるべき場所へ帰っていくことにしました。そして、毎年秋になると。そっとあの崖から見えた美しい景色と、陽だまりのぬくもりのようなやさしい金木犀の香りを思い出しているのでした。
2004年08月02日
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「はーちゃんとりょうくん、急いで帰るしたくをしなさい! あなたたちのお母さんが、会社でたおれて入院したんだって。今お父さんがむかえに来るそうよ」 いつもみたいに学童保育でママのむかえを待っていたら、そう言いながら福田先生がプレイルームにとび込んで来た。 (ママが入院した?なんで?うそでしょ?どうして?どうして?)私の頭の中に、今朝げんかんで「いってらっしゃい」と手をふってくれた、ママの顔が一杯になって頭のなかでぐるぐるしていた。。「ついたよ」とパパの声がして、気がついたら、学校よりもずっと大きなビルの前に車が止まっていた。ママが入院した病院だった。弟のりょうが、のどちんこが見えるくらい大きな口をあけて、ビルを見上げて「でっけ~」と言った。 ビルの中は少し暗くて、ほけん室みたいなにおいがした。「あれ?はーちゃんじゃない?」とつぜん後ろから声がした。ふりかえるとやさしそうなかんごふさんがコッチを見ていた。(見た事あるような気もするけど、だれだっけ?)と思っていると、「こうちゃんのママ」とパパが言った。 そっか思い出した、こうすけのママだ。こうすけは、保育園から小学三年生になった今も、ずっといっしょのクラスのいじめっ子で、すぐに私にちょっかい出して来てはいじわるをしてくるいやなやつなんだ。こんどは頭の中に、こうすけがいじわるそうにニヤッとわらった顔が大きくうかんで来た。(なんでこんなにやさしそうな人から、こうすけみたいないじわるが生まれてきちゃったんだろう?)パパと話しながら歩いているこうすけのママの背中を見ながら、私はすごくふしぎに思った。 まっしろなカーテンの向こうのベッドの上にママがいた。ママのうでから、とうめいなチューブがのびていて、上の方のビンにつながっていて、そこでオレンジ色の水がポタポタと砂時計みたいに落ちていた。ママはすごく顔色が悪かった。ママが死んじゃう!って思って「ママしんじゃいやだ~!」と言おうとした時、いきなりりょうがママにとびついてなき出した。 「しんぱいかけてごめんね」って、ママは青白い顔で言った。あんまり大声でりょうが先になきだしたもんだから、私は何も言えなくなってしまった。いつもそうなんだ。りょうはチビだからって、すぐにママにあまえるんだ。私は、おねえちゃんってそんだと思った。「ほらほら、そんな事したら、もっとママの病気が悪くなっちゃうだろ?」 パパがりょうをママのベッドからおろして言った。ママが、りょうの頭をなでて、私たちの手をにぎりながら「しんぱいかけてごめんね、ふたりともパパのお手伝いをしてあげてね?」と言った。すると、「はーちゃんとりょうくんがいいこにしていれば、ママはすぐによくなるからね!しんぱいしなくてもだいじょうぶだよ!」こうすけのママがウインクしながらそう言った。 そっか、私たちがいい子にしてればママはすぐによくなるんだ!でも、いい子にするって、どうすればいいんだろう?びょういんからの帰り道、私はずっとずっと、いい子ってなんだろうと考えていた。 次の日から、私がママのかわわりに学童保育にりょうをむかえに行って、つれて帰る事になった。でも、りょうはワガママばっかり言ってなかなかキチンと歩こうとしない。とうとう、「ぼくつかれた」とか言って、とちゅうの公園のベンチでランドセルを下ろしてすわりこんでしまった。「より道しちゃだめだよ、りょう。早く帰ろうよ!」と私が言っても、りょうはそっぽ向いてる。私はだんだんはらが立ってきた。「あんたがそんな事ばっかりするから、ママは病気になっちゃったんだからね!」と、つい大きな声でどなってしまった。のどのおくがなんだかにがくなってきて、なみだがひとつぶポロッとこぼれた。するとりょうも、目にためたなみだを、いっしょうけんめいこぼさないように、グッと歯を食いしばってコッチを見てた。(ヤバイ!言いすぎた) と思ったしゅんかん、「な~に兄弟ゲンカしてるんだよ!」後ろから聞いたことのある声がした。こうすけだった。私は、あー、またいじわるされる、と思った。するとこうすけは、自分の自転車のカゴにりょうのランドセルをヒョイと乗せて、ビックリしているりょうに向かって「おまえのねえちゃん、おこるとすげーこわいよな?」と言った。そして、「後ろに乗ってしっかりつまれよ」と言うと、私のほうにクルッとふりかえって「オマエは後から帰ってこいよ!お・ね・え・ち・ゃ・ん!」と、いつもみたいに、いじわるくニヤッっとわらって私に言った。私はいっしゅん、何がおこったのかわかんなかった。ん~?こうすけって、いじめっこなんじゃなかったの?頭の中がグルグルしていた。「早くしないとおいてくぞ~!」こうすけの自転車の後から、えらそうにりょうさけんできた。「ちょっとまってよ~!」私は大きな声でそういうと、こうすけの自転車をいっしょうけんめい追いかけた。風を切って走っていると、なんだかちょっと気持ちがよかった。。 その夜、ふとんに入ってうす暗いてんじょうを見ていたら、またママの事がしんぱいになってきた。ママはもうねたかな~と思っていると。となりのふとんからヒックヒックとしゃくりあげる声がする。いつもママといっしょにねてるりょうは、さびしくってねられないらしい。「うるさいな、私、今日ウンと走ってつかれているだから。しずかにかにしてよ!」と私が言うと、いつもなら言い返してくるはずなのに、りょうはないてるままだった。しかたがないな。りょうはまだ一年坊主のあまえんぼうなんだもんな。私は、りょうのふとんに入って「いい子にしてたら、ママが早くよくなるって、こうすけのママも言ってたでしょ?だからもうなかないの」りょうの顔をのぞきこみながらそう言った。「おねえちゃんなんかママみたい」 そう言ってりょうはしずかに目をつむると、いつのまにかねてしまった。次の日の帰り道も、こうすけはだまってまた自転車にりょうを乗せて、私の前を走っていた。だけどこうすけは、きのうみたいにビュンビュン自転車をとばさなかった。 その時、ポツッポツッ・・・いきなり夕立がふり出した。「いけな~い、せんたく物ほしっぱなしだ!」と、私が大きな声を出した。するとこうすけが、「オマエはコレに乗って先に帰れ!」と自転車を止めてさけんだ。 ベランダのせんたく物を全部カゴに入れ終わったころ、途中で雨やどりしていたこうすけとりょうが帰って来た。「こうすけのおかげでバッチリだよ」と私が言うと、こうすけはちょっとてれくさそうにニヤッとわらった。 「わーきれい!見て見て!」りょうがまどの外を指さした。見上げると雨上がりの空に、きれいなにじがかかっていた。 ステキな虹の写真は、「空色地図」さんから提供してもらいました♪
2004年08月01日
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童話「雨上がりのにじ」は、私の中にあったリアルと、想像と、夢が一つになって出来上がった物語です。書こうと思った、キッカケは某童話賞への応募でしたが、そのずっと前から、このお話のベースが私の中にあり、それをいつか形にしたいと考えていました。そこで、童話賞に向けてその想いを形にしてみる事にし、出来上がったのが「雨上がりのにじ」でした。結局童話賞ではなんの結果も残せませんでしたが、私なりに、ずっと胸の中にあった想いを形にするという作業のキッカケをもらう事が出来て、よかったと思います。 私の中にあった想い。その一番目にあったものは、娘が小学校1年生の時に書いた、一遍の詩でした。「おかあさんがにゅういんした」 がくどうからかえったら、おかあさんがいなかったにゅういんしたんだなきそうになったおかあさんが、「おとうさんのおてつだいをしてね」といったことをおもいだしたポツポツとあめがふってきたので、せんたくものをかごにいれたがっこうのよういも、ひとりでやっただんだんげんきがでてきたおかあさんが「いいこね」っていってくれるかなこの詩は、その年の某市の小学生の詩集に選ばれて載りました。仕事とお姑さんの看病で私が倒れて入院してしまった時のことを、娘が詩に書いたものです。この詩をみて、私は泣きました。もっと、もっと普段から娘に「いいこね!」って、「頑張ったね!」って言ってあげればよかったなって。それから、何年も経っても、私は自分への自戒の念と、子供達からの思いを感じながら、時々この詩を読み返しています。この詩は、子供から私へもらった最高のプレゼントでした。そして、その最高のプレゼントに託された思いに応えたいと。童話という形で残そうと思ったのでした。 2番目には、私が幼い頃何度も読み返した、一冊の童話にありました。「大きい1年生と小さな2年生」(古田 足日著) 体格が大きいのに、いまいちしっかり出来ない泣き虫の1年生 まさやと、背が小さいにも関わらず、負けず嫌いで上級生の男の子とケンカをしても涙を見せない あきよ と、あきよの同級生でのんびりやの まりこが出てくる物語です。私も、あきよのように、クラスで一番ちびのくせに、負けん気が強くて、男の子とケンカしては泣かしていた、おてんばな女の子でした。そのせいか、この物語は、自分の姿を見ているようで思い入れがあったのだと思います。まさやは、あきよに手を引かれて学校へ通ううちに、あきよみたいにしっかりしなくちゃ!と思います。でも、どうしたら“しっかり”できるのかわかりません。そんなある日、あきよの大好きな花である、ホタルブクロの花を踏まれてしまったことで、あきよが見せた涙をみて、まさやはホタルブクロの花を一人で取りに行くことことにするのですが・・。物語のラスト近くに空に虹がかかります。私は、自分が大好きだったその物語の主人公達のいる場所と、虹の橋をはさんだこっち側に私の書く物語の場所を設定して、物語が同時進行しているような気持でこれを書きました。そうすることで、大好きだった物語の中に、自分も一緒に入れたような気がしていていたのかもしれません。そうして、私の物語に出てくるわが子の分身たちは、私が昔読んだ物語の主人公達と一緒に同じ虹を見上げるのです。 この物語は、童話として子ども達のために書いたというより、昔子どもだった私や大人たちのために書いたのかもしれません。
2004年07月31日
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