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◇ とある考え方一覧-3 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ News ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆・オフィシャルHPはこちら・私が治療を受ける施術院→JR田端駅「樹徳館(じゅとくかん)」http://www.jutokukan.com/☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆→その3・人生の中身は達成よりもプロセスものごとを達成させられないことで悩む方もいらっしゃいます。望んだ結果が得られずに悩みます。こういった方に効果的なのがこの言葉です。達成するかどうかや、達成具合にまつわる執着から離れることで楽になります。世界各地の名言に「達成することよりもプロセスが大事」とあります。これは、「達成させることよりも、気持ちを込めることが大事なのだよ」というような類の意味に取り違える方が多いのですが、そうではありません。また、「達成することよりもプロセスが大事、つまり、達成しなくてもよい」ということでもありません。取り違え方としては他に「達成させることに対するプレッシャーを軽減させるための名言だろう」という解釈も間違いです。「達成よりもプロセス」というのは、まさにそのままの意味です。具体的にいうならば、本気で達成を狙った行動はするのだけれど、本質は達成するまでのプロセスにある。という具合です。他の言い方をするならば、「達成=終了」という言い方もできます。何かを達成することの目的が、金銭的なモノや楽しみ、成長であったらどうでしょうか?「達成=収入ストップ、楽しみの終了、成長のストップ」ということになります。歴史的に偉業を為し遂げている方の傾向を見るとわかることがあります。一つのことを修めるだけでなく、ひとつを終えるとすぐに次のことへと連続的にことを為し遂げていきます。これは一昔前にヒットした「チーズはどこへ消えた?」という本でもテーマになっていたように思います。こういった偉人の行動原理が「達成よりもプロセス」というわけです。つまり「達成=終了」なわけです。達成すること自体には意味がないということを多くの偉人が知っていたのだろうと私は考えます。だから世界の名言に「達成に意味はなく、プロセスこそ人生」という類のものが多いのではないかと思っています。こういったことを踏まえて初めて「達成すること自体には意味はないのだよ」と気休めを言ってあげることができることでしょう。ものごとを達成させることには意味はなくとも意味はあります。しかし、それがほんの一瞬の達成感などの快感であり、そういった意味で、意味がないということなわけです。本気でことを為し遂げることを目的としたプロセスに本当の意味が出てくるわけです。説明が難しいので、同じことを何度も繰り返してしまいますが、達成させたいことがあるとして、それを本気で為し遂げようという行動をとり、それを為し遂げること自体には、やはり意味があります。達成感もあります。しかし、振り返って考えたとき、やはり手応えがあるのは、本気で達成しようとがんばっていた達成するまえの時間であり、成長や楽しみもその時間にあるというわけです。現代は、達成するために苦しむ方が多くいらっしゃるように思います。苦しんで苦しんで、達成してもあまり嬉しくないという悪循環にいらっしゃる方がこちらにいらっしゃいます。そんなときに引用する思想が「達成には意味がない」というこの考え方です。「達成は楽しむ、しかし、本質は達成させようと努力していたプロセスにあり」これを知ることで、達成することを大切にもできますし、しかし達成自体に意味がないこともわかります。達成に対するプレッシャーも下がりますし、プロセスで苦しむことをやめようとします。結果、日々のストレスを軽減させ、リラックスすることでパフォーマンスが向上し、おまけに結果も良くなったりします。結果にこだわりすぎて苦しんでいる方、完璧主義が行きすぎて苦しんでいる方には効果的な概念だと思います。・何をするかではなく、何をしにきたかこれにはいささか、もしくはかなりスピリチュアルな考え方が含まれます。というより、ほとんどスピリチュアル系な考え方です。「何をしたらいいかわからない」「どうやって生きていったらいいかわからない」という方におすすめの考え方です。一つ目の情報として、幼児期に母親のお腹の中にいた頃の記憶を持つこどもがいて、更にその前の霊的な存在だったときの記憶を持つこどもまでいるという話があります。もう一つの情報としては、人の悩みは絶えず、クリアしてもクリアしても終わりません。と思えば、悩まずに生きている方もいらっしゃるという不思議な差があります。この二つ目の情報から考えていきます。悩みの絶えないかたと悩みのない方がいらっしゃるわけですが、共通して不思議なことがあります。この二パターンに限られたことでもありませんが、いずれの方も、よくよく人生を振り返ってみると、とても不思議な人生を送って来られているのです。「あのときはラッキーだった」「あんなことが起こるのは不思議だ」「こんなアンラッキーは不思議だ」などなど、これはどなたにもあることかもしれません。しかし、人生はよく考えてみたら不思議な流ればかりです。心理カウンセリングにいらっしゃる方は、お悩みの解決を目的としているわけですから、どちらかと言えばアンラッキーが多いとおっしゃる方がほとんどなのですが、整体にいらっしゃる方の中には、人生がラッキーの連続だとおっしゃる方が比較的少なくない数でいらっしゃいます。いずれにせよ、「人生って不思議」という結論です。「何をしたらいいかわからない」「どうしていったらいいかわからない」というお悩みに対して「何をするかではなく、何をしにきたか」という考え方が有効ですよというお話なわけですが、どういうことかというと、ひとつは「胎児やその前の記憶を持つこどもがいる」、もうひとつは「人生は不思議」という情報から見えてくるものがあります。例えば前世があったとします。そして魂や霊という状態があったとします。そして、この世がたくさんの宗教が言っているように修行の場だったとします。とすると、この世に生まれてくる直前に、「このような修行をしーよおっと!」というノリで身体に入ったとするとどうでしょうか?自分の身に降りかかってくるたくさんのことは、どのような意味があるのでしょうか?もしかしたら、そういった不幸が降りかかってくることも知った上でやってきていたらどうでしょうか?そういった不幸を通してでしか得られない成長があったとしたらどうでしょうか?人生が不思議な流れを持っていることに理解ができるかもしれません。いいことばかりが起こるのも不思議ですして、不幸なことばかりが起こるのも不思議なことです。いい人たちの中で日々生きられるのは不幸な環境にいる方から見れば不思議ですし、良い環境で過ごしている方から見て、不幸な環境にいる方は不思議です。こういった不思議の理解として、宗教的な概念はひとつの答えになるかもしれません。「何をしたらいいかわからない」「どうしていったらいいかわからない」という悩みの解消法として「何をするかではなく、何をしにきたか」ということですが、現実的に説明しますと、「どうしたらいいだろうか?」という考え方は、「新たな発想を探す」ような感覚になります。それにたいして「何をしにきたんだろうか?」という考え方は「思い出す」ような感覚です。この発想の仕方の転換で答えが見つかることがあるということです。スピリチュアルなものの見方を前提として説明しているのは、現実的には新たな発想をしなければならないのに「思い出すような気持ちで考える」という発想の仕方の転換を促すため、雰囲気に信憑性をもたらすのに必要な情報というわけです。新たな発想をひねり出すのは無から有をひねりだすようなものですから、心的負荷は高いものです。しかし、知っていることで忘れてしまったことを思い出すのは、それよりも心的負荷は低くなります。この発想の仕方の心的負荷に変化を起こすのが、この考え方のポイントです。いかがでしたでしょうか。おそらく「そうは言っても、なかなかそうは考えられない」と思われた方が多かったかもしれません。悩みの解決のお手伝いが心理カウンセリングの目的のひとつでもあります。よければお越しいただければと思います。では。Hashimoto.biz※当コラムは、Hashimoto.biz の独断と偏見において執筆しております。 ・私が治療を受ける施術院→JR田端駅「樹徳館(じゅとくかん)」http://www.jutokukan.com/・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・Hashimoto.biz【最新の予約空き状況はこちら】◇オフィシャルHPはこちら
2012.05.06
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◇ とある考え方一覧-2 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ News ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆・オフィシャルHPはこちら・私が治療を受ける施術院→JR田端駅「樹徳館(じゅとくかん)」http://www.jutokukan.com/☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆→その2・基準はいのちこの悩みは、大切に、かつたくさんの時間・エネルギーを費やして取り組むべきものなのだろいうか?このように考えます。その判断の基準のひとつが「この問題は命に関わるだろうか?」です。または、「この問題を早く解決しなければ世界に影響を及ぼす大問題に発展するだろうか?」です。自分に降りかかってきた問題は、こういった観点で見てみることも大切です。人の命にも、世間にも影響を及ぼさない問題は、果たしてそんなに自分の命をかけて取り組むべき価値があるだろうか?このように考えてみます。逆に、人の命に関わる問題や世間に大きな影響を与える可能性がある問題ならば、全力を持って取り組むべきだと知っておくのも大切です。問題解決に取り組むことに意味があるのか、ないのか、その判断基準は「いのち」だと知っておくと、なぜか長期間自分を悩ませ続けた問題に意味を感じなくなることが多いように感じています。・ケンカは相手を許すためにやるこれもよく驚かれるお話です。「憎い相手を許す」なかなかできることではありません。しかし、これを知って楽になる方が多いように思います。ケンカの目的は「相手を許す」ことです。これを知らない方が圧倒的に多いのではないでしょうか。それは日本の文化が壊れつつあることを表しているのかもしれません。この話、どういうことかと言うと、怒りや憎しみというのは、結局「自分が相手を恨んでいる」というが問題であり、それがスッキリしなければ怒りや恨みは終わらないという考え方です。つまり、怒りや恨みというのは、「あいつが悪い」「こういうことをされた」というような文章で表されるかと思いますが、考えの焦点が「相手」になっていることがほとんどです。しかし、冷静に考えると不思議なのですが「相手にどうして欲しい」とか「相手にこうなって欲しい」という要求はあまり湧いていない方がほとんどなのです。怒りや恨みに飲み込まれると、相手を傷つけたくなるのが普通なのでしょう。復讐したい気持ちとそれをしたくない気持ちで葛藤している方がほとんどです。こういった問題は、そのからくりを見い出すことで同時に解決策も現れます。つまり、イライラや気分の悪さの正体は「自分が相手を恨んでいること」であり、それを解消すればその悩みは消えるということです。つまり、考えるべきは「どうすれば、一番スッキリするか」なのです。残念ながら、経験上、相手に復讐される方はあまりスッキリしません。復讐し合う結果になり、復讐した後に残るのは、またいつか何かあったときに自分がやられる番になることを恐れる日々がやってくるだけだからです。いつも私が提案するのは「相手が本気で謝ってくる」というパターンです。こういった悩みのほとんどが、来談者様がお話される通り、相手が悪いパターンがほとんどです。そしてお話を解読するに、相手の間違いに気付き、そこを直して成長して頂きたいというところに落ち着きます。つまり、正義心からくる怒りであり、相手が間違った行いをしなくなることで思いは果たされるようなのです。そのひとつの現れが「相手が本気で謝ってくる」ということなのですが、どうすればそこに近づけるのかがわからないというところで葛藤しているというのがわかってきます。私がおすすめするのは「自分が相手を許すことを目的としたケンカをしていただく」ということです。これも驚かれます。最近の常識では「ケンカはよくないこと」とされているようですが、残念ながらこの考え方は要素を欠いていると指摘せざるを得ません。ケンカは人と人が理解し合うために必要なことだとしか考えられません。最近の文化では「ケンカの仕方」「ケンカのルール」というものが欠如していると思われます。ケンカは「お互いに許し合う」ことを目的としてしかしてはいけないと思うわけです。「相手が本気で謝ってくる」ためには、こちらが受けた被害をよりよく相手が理解する必要があります。それを説明するのがケンカです。相手がそれを理解したとき、やっと本気で謝ることができるわけです。つまりケンカは激しくなくてもいいわけです。しかし、相手の非を克明に語るわけですから、相手の気分は良くないはずです。ここを恐れるので、ケンカはしたくなく、人々が全体的にストレスに弱くなってきていますから、避けられるわけですね。こういった意味でケンカは必要というわけです。こちらが受けている被害をきちんと伝えなくては、相手は改められません。相手は相手なりに正しいと思ってやったり言ったりしているわけですから、そこはお互いにしっかり主張し合い、お互い改めなくてはならない箇所も見えてくるでしょう。それができたときにお互いに謝ることができるわけです。そのとき、きっと相手を許すことができるでしょう。相手を許せたとき、ストレス源は解消されます。つまり、ケンカは自分が相手を許すことを目的にやるのが望ましいわけです。しかし、いつもこれがうまくいくわけではありません。物別れすることもあるでしょう。面白いもので、ケンカで物別れしても、納得が得られます。これもまたストレス源を解消したことになります。物別れするわけにはいかないパターンもあります。もし、ケンカするかどうかを検討している段階でこれがわかったならば、傷口がぐちゅぐちゅしていてストレスが溜まるかもしれませんが、現状がベストなのだと気づけるでしょう。これもストレス源に対して納得がいき、心理的負荷が下がります。・スッキリするかどうかがポイントここまでで、「・人は結局好きか嫌いかで判断している」「・イライラするのは、直接的な事象よりも疲労」「・人にはストレス発見器がついている」「・病は性格から」「・結局ほとんどのことは忘れる」「・基準はいのち」「・ケンカは相手を許すためにやる」というのを見てきてわかってくる方もいらっしゃるかと思いますが、結局人にとって大切なのは「スッキリするかどうか」ということです。様々な問題は放っておいてもやってきてくれます。人がストレス発見器である以上、これは仕方のないことです。様々な問題が降りかかってくるごとに、「どうしたらスッキリするだろうか?」ということを中心に物事を読み解いていくと、問題解決への最短ルートが見えてきます。ぜひお試しください。・結局自分を苦しめるのは我欲様々な問題に関わり、いろいろと考えを巡らせていると、やはり宗教の中にある言葉の深さに気付かされることが多々あります。仏教、キリスト教をはじめ、様々な宗教で「欲」の問題は触れられています。歴史を見ても禁欲的な考え方と開放的な考え方の行ったりきたいです。やはり「欲」というものがどういうものなのかを考えておくことは、人生を楽にするためには必要なことなのでしょう。結婚や離婚に関わる悩みに触れることが多々あります。独身の身で言うのもなんですが、ここにはキリスト教でいうところの七つの大罪がわかりやすいです。結婚に関わる問題のほとんどが、色欲の葛藤です。結婚ができない方や、結婚生活がうまくいかない方の価値観には「色欲」が見られます。結局自分の好みを中心に相手を見ていることで、足らない部分を発見してしまいます。これがストレス源です。ボトムアップとトップダウンと言いますが、現状から考えるのがボトムアップ、結論から考えてくるのをトップダウンと呼びます。視野が開けている方はトップダウンと第一に考え、その後ボトムアップの視点を持ちます。これを結婚に当てはめると、自分の好みから考えるのがボトムアップ、どんな方と一緒にいたら幸せなのかから考えるのがトップダウンでしょう。しかし、これがごちゃごちゃになってしまっている方が多いように思います。「こんな感じの人と一緒になれば幸せになれるはず」これは一見トップダウンに見えますし、文言だけ見ればトップダウンです。しかし、こういう考え方をしているのにも関わらず、相手選びがシビアになりすぎてうまくいかない方がほとんどなのです。ポイントは、「こんな感じの人」の条件に自分の欲が混じっているかどうかです。具体的に言うならば、身上の人や、人生経験が自分よりもはるかにある経験者の意見を重視するかどうかというところに現れます。恋愛結婚とお見合い結婚の差のようなものです。お見合い結婚と恋愛結婚では、離婚率に大きな差が出るようです。やはり年配者の目はあなどれないものです。欲が強い方の見分け方のひとつとして、お見合い結婚を理解できるかどうかは利用しやすいように思います。自分の身の丈がわかっている方ほど上司や先輩に恵まれる傾向があるようにも思いますし、それによって良い縁をいただけているような印象があります。また、身の丈がわかっている方ほど、よき上司や先輩を自ら探し求め、出会っています。我欲とは、「自分の思うとおりにやり、思う結果が欲しい」という言葉でまとめることができるかもしれません。「自分の身を人にまかせる」「自分の人生を流れにまかせる」このような行動を実際にやる方が我欲から離れている方と言えるのかもしれません。自分の思うような行動を望むが故に、うまくいかないときに苦しみます。結局欲があることで、それが叶わなかったときに苦しみを味わうということですから、やはり自分を苦しめるのは自分の欲というわけです。→その3へつづくHashimoto.biz※当コラムは、Hashimoto.biz の独断と偏見において執筆しております。 ・私が治療を受ける施術院→JR田端駅「樹徳館(じゅとくかん)」http://www.jutokukan.com/・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・Hashimoto.biz【最新の予約空き状況はこちら】◇オフィシャルHPはこちら
2012.05.06
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◇ とある考え方一覧-1 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ News ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆・オフィシャルHPはこちら・私が治療を受ける施術院→JR田端駅「樹徳館(じゅとくかん)」http://www.jutokukan.com/☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆とんとブログから離れています。久しぶりの記事です。特に何かを教えたいとか、発表したいという欲求に冷めてしまっています。今回は、私が心理カウンセリングをしている中で、来談者様の思考体系が大きく変化したと思われる常識とは少し離れた新たな視点を紹介しておこうと思います。これでまた記事から離れるかもしれませんね(笑)◇ とある考え方一覧・人は結局好きか嫌いかで判断している・イライラするのは、直接的な事象よりも疲労・人にはストレス発見器がついている・病は性格から・結局ほとんどのことは忘れる・基準はいのち・ケンカは相手を許すためにやる・スッキリするかどうかがポイント・結局自分を苦しめるのは我欲・人生の中身は達成よりもプロセス・何をするかではなく、何をしにきたか大きくあげるとこのような感じです。ひとつずつ解説しておきます。・人は結局好きか嫌いかで判断している常識的には、「好き・嫌い」で物事を判断することは、わがままな印象があったり、不公平・不平等感を与えるように考えられているのではないでしょうか?しかし、よく考えてみると、人は「好き・嫌い」に大きく影響を受けています。人がある人を見るにせよ、出来事の印象を感じるにせよ、結局は「好き・嫌い」が大きく影響しています。例えるならば、好きな人がミスをして自分に被害が及んだときと、嫌いな人がそれと同じミスをして自分に被害が及んだとき、好きな人のミスは許せるよう努力する気になりやすいですが、嫌いな人ですと、許すのに、若干の心的負荷や抵抗を感じることがイメージできませんでしょうか。つまり、多くの人は結局は「好き・嫌い」に支配されているわけです。大義名分や常識的な判断、平等性などを表向きには考えますが、その根底には、結局「好き・嫌い」が元になっていることがほとんどです。つまり「人間関係」を重要視するというのはこういうことで、人に好かれるような行動をとる方は評価がよく、実績をあげるけれども人に好まれないような行動を取る方は、思ったような評価を得にくいというわけです。これを聞くと、不平等感を感じる方が多いのですが、それを感じているご本人でさえ、やはり人をこの基準で区別しています。つまりお互い様なわけです。このどうしてもしてしまう「好き・嫌い」での判断に気付き、乗り越えられている方が、周囲から「立派な人」と呼ばれていることでしょう。まずは、この特性を理解し、もし自分に不都合が起きているならば、この特性を知ることで、とりあえずの納得が得られることでしょう。その後どのような舵取りをしていくかが自動的にわかってきます。・イライラするのは、直接的な事象よりも疲労人が苦しむ感情として、イライラ・怒りが多いように感じます。カウンセリングをしている中でも、やはり件数が多いように思います。私自身もこの怒りの感情を長くテーマとして持っていましたので、非常に苦しみました。しかし、カウンセリングを通してこのイライラについて考えて行くうちに、このことに気がつきました。イライラしてもいいような出来事に遭遇するとき、直前にいいことがあって非常に気分がいいと、イヤな出来事もさほど対処に困らないということがないでしょうか?逆に、たいした出来事でもないのに、体調が悪かったり、イヤなことが連続で起こると、非常に頭にくることがないでしょうか?つまり、結局「怒り」というのは、直接的な出来事で発生するのではなく、それまでにたまっていたフラストレーションが本体なのだと言えるのではないでしょうかというものです。怒りを感じる対象、人にまつわる記憶でイライラしますが、その相手をどうこうしても結局怒りが収まらないことがあります。よく例に使うのですが、夫婦ケンカについてがわかりやすいです。たいしたことでもないのに大きめのケンカになります。これを「ケンカのしっぽを出してくれている」と表現します。イライラは発散するとスッキリします。夫婦や家族というのは、特殊な状況でない限り、本人からすると安心している相手と言えます。その相手で怒りを解消しようとしているわけです。つまり、夫婦ケンカというのは、相手がケンカのしっぽを出してくれており、それを踏むことで始まります。おかげで他人にケンカを売ることなく、イライラの矛先を引き受けてもらえるわけです。たくさんイヤなことがあっても、「夫婦ケンカ中」という大問題が出てきてくれるおかげで、他の問題から感じるイヤな感情が抑えられるわけです。ここからもわかるように、結局イライラの矛先など、どこでもいいケースが多いわけです。つまり、怒りの本質とは、出来事ではなく、それまでに蓄積したものだということがわかります。その主原因が「疲労」だというわけです。・人にはストレス発見器がついているよく、「ストレスがたまって仕方がない」という話を聞きます。一般的にはストレス発散の何かをするのがいいと考えられているような印象がありますが、これで問題解決がなされた経験がありません。私が個人的におすすめするのは、「なぜストレスを感じるのかを理解すること」です。なぜかこれを理解するとスッとします。話がにわとりと卵になるかもしれませんが、答えは「人にストレス発見器がついている」からです。わかりやすく言うならば、「人は日々、ストレスを探して歩いている」ということです。これは人の基本機能のように思いますので、これ以上説明しにくいのですが、そうとしか考えられません。しかし、これは悪いだけのものではありません。人に備わっている基本機能は他に「ストレス発生箇所改善機能」がついています。よくトイレを例に使うのですが、ここ何十年かでトイレは飛躍的に快適になっています。人がストレスを感じるもので目立つのは、衛生に関わるものがですが、トイレは圧倒的に美しくなっていることがわかります。これは、人に備わった「ストレス発生箇所改善機能」が働いていることに他ならないかと思います。つまり、人は四六時中ストレスを探し、それを改善・改良しようと四苦八苦しているわけです。おかげで、いろいろなものが発明されたり改良されたりします。肉体的に負担があるものが、どんどん改良され、楽に過ごせるよう改善されています。つまり、「ストレスを感じる」というのは、必要な機能なわけで、それをどうこうしようとするのは、お門違いなわけです。ストレスを感じても「あぁ、これは人間に備わった必要な機能なわけね」と感じられるようになったとき、ストレスを感じた出来事は記憶に残りにくくなります。一晩寝て忘れてしまうことは、悩みでもストレスでもなくなります。継続するものや忘れられないものを悩みやストレスと呼びます。この「ストレス発見機能」を理解することで、ひとつひとつのストレスに納得することで、なぜか楽になる方が多いように思います。・病は性格から「病は気から」とはよく言ったものです。私はこれを少しわかりやすくするために「病は性格から」とお伝えします。性格が原因で発生する不具合は多いように思います。自分のタイプや性格への理解が浅い方ほど、肉体的な不具合とお付き合いしているような印象があります。肉体的・精神的な不具合のほとんどの原因は「ストレス」なわけですが、もう少し具体的にいうと、「緊張」です。この「緊張」とは、イメージとして、人前に出るとあがるなどというようなものではなく、無意識に身体に力が入り続けるような状態を指します。個人的な印象ですが、人は局所的な緊張には強く出来ているように感じます。しかし、整体でたくさんの方の身体をみて、お話を伺っていると、ひとつのことに気がつきます。不具合が慢性化し、お医者さんに通ってもなかなか改善せずに困っている方の共通点として、強くはないが、軽めの緊張が長時間継続するような何かをされているのです。人は動物ですから、身体は動くことを目的に設計されています。不具合のきつい方の共通点としてあげられるのが、長い座り仕事や、長時間の車の運転です。おそらく人の身体は局所的な緊張には強いが、弱くても継続する緊張には弱いのではないかと考えられるわけです。病は性格からということですが、もう少し具体的にいうならば、「病は自身の性格を理解していないから」でしょうか。慢性的な不具合をお持ちの方の多くが、自分の性格に合わない考え方を自ら自身に強要しています。「こうでなければならない」「常識的にはこうだ」このような考え方の中で、ご自身に合わないものは心理的緊張や心理的ストレスを発生させます。考え方というのは、強いショックはありませんが、じわじわと常にストレスを発生させ続けます。これが不具合につながるわけです。こういったパターンで出やすいのが、肩こりや腹痛です。緊張していると、常に肩に力が入り続けます。肩の筋肉は背中の筋肉ですから、背中が全体的に凝ってきます。背中が凝ると、背中にある目の経絡が懲ります。これで眼精疲労が発生します。また、緊張している状態では交感神経が優位になりますから、内臓のうち、回復に関わる臓器は活動しにくくなります。特に腸です。胃や腸は栄養を吸収することに関わりますから、ここが活動しにくくなり、ひどいと痙攣を起こします。これが腹痛です。緊張が続くと、回復力が下がるのと、背中の疲労がたまりますから、他の臓器にも影響を与えます。これで内臓のどこか弱い部分に負担が集中すると、健康診断でひっかかるというわけです。・結局ほとんどのことは忘れる身も蓋もない話ですね。しかし、この言葉は比較的効果が大きいように感じます。ほとんどのことは忘れていくのです。数年前に起こった個人的にイヤだった思い出をいくつ思い出せるでしょうか?こう聞かれてやっと思い出すことがほとんどのはずです。つまり、大半のことは日常では思い出さないほど忘れているのです。この言葉には利用方法があります。「ほとんどのことは忘れる。今渦中にあることは何年くらい常に悩んでいるだろうか?」このような具合です。何年も日々常に悩み続けるようでしたら、全力を持って取り組むべきです。しかし、数年後、もしくは数ヶ月後には忘れるかもしれない、または、常に考え続けてはいなと思うならば、それはたいしたことではないのかもしれません。人は生まれた瞬間から、寿命が尽きるまでのカウントダウンが始まります。その限られた時間をイヤなことを悩む時間にするのはもったいないことですね。これには、後に続く「基準」という条件を併せて考えると楽になる方が多いように思います。→その2につづくHashimoto.biz※当コラムは、Hashimoto.biz の独断と偏見において執筆しております。 ・私が治療を受ける施術院→JR田端駅「樹徳館(じゅとくかん)」http://www.jutokukan.com/・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・Hashimoto.biz【最新の予約空き状況はこちら】◇オフィシャルHPはこちら
2012.05.06
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