全18件 (18件中 1-18件目)
1
毎日のように走ってましたが、練習は好きじゃなかったです。 走るのは好きなのに不思議ですか?やっぱりしんどいですから、走るの。 そこそこ走れたときは気持ち良いですが、限界に近いとまでは言いませんが、健康を度外視した練習ですもん、辛くないはずが無い。 今でも大食漢なのですが、当時は今の倍食べていました。それでも太ることができなかったのは、食べた分を消費していたからです(もちろん今は年をとって、新陳代謝が悪くなってはいますが、それを割り引いても)。 たまに練習を見に来ていただいた方もこの練習は産業大学の一年生の練習と言われたこともあるので、府の中での練習量はそれなりにしていたのだと思います。 ただ、試合前のアップは上手くやっていました。 試合で走る前に準備運動としてジョッグ、流しとかするのですが、一番遅く行って、一番先に終えていました。 どういう風にすればいいのか、体調、レースのスピード、天候を考えてやっていました。これについては高校のときに失敗したことなかったです(順位はともかく)。 試合の日には神経も研ぎ澄まされていましたから。 それでも一流になれなかったのは素質がなかったのか?練習が足りなかったのでしょうか? とにかくもっと練習好きになっていたら良かったのでしょうが、社会人になっても陸上をするつもりだったんです。実業団で走ればいいから、無理をしないでいこうと思ってました。ところが結局選手の居ない職場にいきましたから、でもそれが人生ですね。やはりできるときにやっておかないといけません。教訓です、まぁ後悔はしていないので、いいんですけど。
2005.03.29
コメント(0)
そうこうして駅伝も終わって、のんびりとはいきません。 年末に1日か2日休みがあったくらいで元旦も元旦ロードレースがあるし、2日、3日と休んだ後は練習、その後も嵯峨野でロードレースがありました。 冬の練習は週に3回くらい20Km走がありました。 タイムは全力ではないですが、1時間10分くらいで走りました。 5千メートルのレースとそんなに変わりませんでしたね。 トラックは好きじゃないんですよ、ロードの方が好きなんです。 身体も寒くなってきた方が体調が良くなるんです。 今でも暑いよりは寒い方が良いですね。暑いのは全然ダメなんです。 寒いときは練習までに十分に柔軟運動していました。 距離のある練習が多かったです。 一番嫌いなのが千メートル10本でしたね。千メートルを9分くらいのスピードで走って間を4百メートルジョッグで繋ぐものでした。 しかも10本目が遅いと更に追加されて下手したら13本っていうのもありました。 夏にしても冬にしても練習が終わったらクタクタでした。 学校から家まで歩いて13分と短いものの、帰るのもしんどいくらいでした。 でも家で「しんどい」なんて言えば、親から「それなら辞めろ」って言われますから、言わないようにしていましたが、それこそ勉強する気力も起こりませんでした。 まぁ勉強は嫌いだから、どうせしないですけれど。 とにかくいつも疲れていました。でも若かったから次の日はたいてい平気でした。 疲労が蓄積したりして、年に2回から3回は休みましたが、あんな過酷な練習ばかりしてたのに今だったら毎日、朝起きれないと思います。 確か西脇は365日練習しているんじゃなかったかと、それよりはマシ?って感じでした。 日曜日も関係無しに学校で練習、レースもあるし、ほんとうにしんどい一年目でした。
2005.03.23
コメント(0)
駅伝が終わった後は、疲れたって感じと安堵感がありましたね。 はじめての出場なので、どのくらいの成績が残せるかなんてわかりませんでしたからね。11位、悪い成績でなかったので、来年度以降の目標ができましたから。 10位以内にはふつうにやれば入れると思いました。 その後は元旦の元旦ロードレース、京都会館と皇子山の間で行われる京滋駅伝があります。 この駅伝は5区間と区間が短いものの狐阪、山越えという過酷なコースです。 この年は滋賀スタートで京都ゴールでした。 エース区間はここでも1区で、その次に長いのが5区でした。 出場チームは少ないものの、優勝するのは全国高校駅伝府予選と同様の力が必要で、結局府予選を制した東山が5区間すべての区間賞という圧勝でした。 私は先頭がスタートしてから10分後の繰上げスタートでした。チームの結果は残念ながら9位でした。 ただ、自分なりには走れていたので、次年度には頑張ろうって思いました。 また、京都会館がゴールで丸太町通りなどの大通りを走ったのは気持ちよかった。 あとは試合もないし、練習の毎日でした。
2005.03.21
コメント(0)
中学時代からきっちりと陸上競技に取り組みました。新人戦以外には出場することもなかったです。練習は木曜日が休みでしたし、日曜日もなかったです。そのとき、個人練習するわけでもないし、書物などで勉強するわけでもなかったので当然かもしれませんね。でも一年の夏休みの練習では自分自身がかなり伸びたので、今年は無理だけど来年にはもしかしたら駅伝のメンバーに選ばれるかもと思っていました。でも結局は2年生の途中に休んだり、3年生の駅伝前に辞めさせられたので出場はできませんでした。それなのに高校でも走ることになったのは縁があったのでしょう。走るのも好きになっていましたしね。走るということはどのスポーツでもそうでしょうが、素質があってそれを引き出していかないといけません。短距離は素質、長距離は努力と思っている人もおられるかともしれませんが、決してそうではありません。長距離も素質がなければそこまでいけません。長距離の素質、走るということは耐えれる、耐久力だと思います。例えば千メートルを3分で走れるのはそのスピードと距離に身体が耐えられるからです。それが練習をすることによって2分50秒まで耐えれるようになって、更に短縮されていくのです。しかし、資質がなければ限界がきます。距離においても同様です。例えば1Km3分のスピードが1km、1.1Km、1.5mと段々と耐えれる距離が増えていくとしますが、それすらも限界がくるのです。走るということは距離、時間という数字に反映されるスポーツです。同着というのも駅伝以外ではあり得ません(1区以外はタイムで競うい、100分の1秒の計時はしません)。徹底して勝ち負けが決まります。そういう意味でもシビアなスポーツです。そこに面白みもあります。負けは負け、しかも勝敗に偶然の要素が入りにくい、そういうスポーツです。厳しいといえばそうでもありますね。
2005.03.20
コメント(2)
サウンドカードを交換した次の交換はビデオボードした。 Aopenの32MBのビデオボードでした。その前のが4MBでしたからね。 今のようなスペックを必要とすることしなかったので、実感しませんでした、性能アップは。 一からつくったわけでないのですが、これが私のはじめての自作ではないかと思っています。ゲートウェイのケースを使って、マザーとCPUの交換でした。 ゲートウェイのサイトでCPUの交換をしてもペン2の300か350までしかできないので、マザーごと交換することにしました。 Aopenの64PROでしたか。セレロン500にしました。 このときは性能アップを感じましたね。233→500ですから倍以上ですから当然ですね。結局このマザーでセレロン850(800だったかも)まで使いました。 ケースはそのままで、中身がマザー、CPU、ビデオボード、サウンドカードとメモリーとCD-ROM以外は交換なので、羊の皮をかぶった狼まではいかないものの、格段によくなっています。 そうしてはじめての自作は終わりました。巷で聞いていたようなトラブルも無く、すぐに使えて、楽でした。
2005.03.19
コメント(0)
高校に入るときのことは書きましたが、中学で陸上部に入るいきさつについては書いていませんでした。そのときのことを振りかえってみます。 私は小学4年生の途中で引越しのため転校しました。その先で4年生以上はクラブに入ることになっていました。別段何がしたいこともなかったのですが、担任から運動着に着替えさせられ、運動場の前に連れて行かれました。そのときたまたま通りかかったクラスメートに先生が「この子も連れて行ってあげて」という言葉とともにサッカー部に連れて行かれました。 それまで体育の授業では運動していましたが、それ以外はしていませんでした。でも特段何も考えていませんでしたねぇ。嫌とも思いませんでした。 はじめはデフェンダーでした。そりゃあ運動していないし、ボールの扱いができない。それなら攻めてきたら守る、敵の前に立って少しでも攻撃を遅れさすことくらいならできるかってところでした。 そうして入ったクラブで、週に一時間しかありませんでしたが、楽しくなってきました。サッカーだけでなく、運動することがです。 それまで朝や昼にクラスメートがドッジボールをしていた輪に一度として参加していなかった子が、朝早くから行ってそのドッジボールをするようになったのですから。 クラブの中でもゴールキーパーをするようになって、それもそれなりに上手くなっていきました。 中学に入ったら運動クラブに入ろうと思いました。 残念ながらサッカー部はありませんでした。いろいろなクラブを見学しました、こっそりね。見学させてくださいと言えば、入れて欲しいみたいですし、勧誘されるのも嫌でしたから。 結局、先輩の優しいところ、しごきがないところということで陸上部を選びました。別に走ることが好きでも得意でもなかったのですけどね(小学校のときの長距離で40人中10番目くらいでしたから)。 陸上部の練習というのは基本的に1年から3年まで同じ練習をするので、後輩が練習をしているときにこうしろああしろとも言わないから、後輩をしごくなんてことないですから。 そのときは長距離が強くて、府の駅伝大会でも優勝、しかも1区間以外は全て区間賞で独走をしたこともあるというのは入部した後で知りました。
2005.03.19
コメント(0)
当時の駅伝メンバーについて少し話をしていきます。 1区はサッカー部の一年生、ほんとにそこそこ走りましたよ。だから1区でしたしね。残念ながら5区の先輩よりも速かったし、スタミナもありました。無かったのは経験でしたね。一度も陸上の試合に出ていないのですから。どうやら自分の力がわからずに競技場を出るときは先頭集団にいたらしいですから、それでも区間21位は立派でした。 2区、2年生の先輩、素質がすごくありました。貧血だったか、身体が弱いためにほとんど練習をしていませんでした。確か駅伝の一ヶ月か二ヶ月前に練習を再開しましたが、それでも3Kmならそこそこ走ってしまうんです。スタミナは練習できていないのでありませんが、スピードはこのメンバーの中でぴか一でした。 3Kmまでなら当時の私よりも速かったのではなかったかもしれません。 3区、私、エースに次いで力がありました。でもそれだけで当時はだめでしたね。 優勝を狙うチームなら補欠がせいぜいだったと思います。 4区、エースです。府内で5千メートル2位になったこともありました。この日も区間2位の走りで、優勝したチームの同区間走者よりも速かったです。 5区、2年生、このチームの中で一番遅かったです。この日は特に不調だったようで、本人も納得できない走りだったと思います。 6区、サッカー部の3年生、すごい人でしたね。陸上の試合は恐らくはじめてだったはずですが、サッカーの試合で慣れているからか緊張することも無く、十分に日ごろの力を発揮しておられました。 7区、一年生、私の次に力があった選手です。スピードもそこそこあったし、何よりも粘りがありました。 こういうところです。 3位以内に入るチームであればこの中からエースと2区の先輩くらいしか選ばれなかっただろうという布陣でした。それでも40校以上参加があったと思いますが、その中での11位、悪くはないデビューではなかったかと思います。
2005.03.17
コメント(0)
駅伝メンバーの結果は、この間の日記のとおりですが、小さなドラマがありました。 サッカー部からの助っ人が入ったことにより、本来であれば残っていた全ての選手が出れるところが結局は出れない選手も出てきます。 最後の最後まで5区の出場選手が決まらず、当日、2年生のある先輩が走ることになりました。敗れた1年生は結局退部しました。 実力的にどちらもそんなに差がなかったので、結果的には選ばれたことが間違いではなかったかと思いますが、後味は悪かったです。 優勝を狙うチームでもなかったので、助っ人はひとりで良かったかなぁって今となっては思うこともあります。でも、出るからには少しでも良い成績を残したいという監督の気持ちもわかります。 結果は11位でした。 40チームほどの出場で、初にしては上出来でしょう。 個人的にはそれなりに走れたというだけで特段良い出来でもなかったですね。 そんな形で駅伝は終わりました。
2005.03.15
コメント(0)
夏も過ぎ秋となりました。ついに駅伝シーズン突入です。 我校が全国高校駅伝府予選にデビューです。ただ、3年生の先輩はひとりおられたが故障していて全然だめ(そのころには引退されてました)。2年生の先輩は3人おられました(他は退部されました)。1年生が私を含めて4人、全部で7名です。 しかし、学校代表ですから一番ベストのチームを組みたい。そこまでいかなくてもベターなチームを組みということで、サッカー部からふたりの助っ人を連れてくることになりました。 サッカー部からの助っ人も秋から一緒に走りました。そして1区と6区に出てもらうことを先生から指示がありました。 普通でしたら花の1区というところからいけば1区はエースなのでしょうが、サッカー部ですからひとりで走ることはそう得意じゃありません。誰かと走るならなんとかなるしかも1区を走る子も1年生ですが、それなりに走ります。次の長丁場の3区と4区が勝負といったところでした。 1区はサッカー部、2区が2年生、3区が私、4区がエース、5区が2年生、6区がサッカー部、7区が1年生という布陣になりました。 ここの至るまでにひとつのドラマがありました。それは次回ということで、この辺で今日のところは終わります。
2005.03.14
コメント(0)
今までPCを10台以上も自作をしてきました。 はじめてのパソコンは、ゲートウェイ2000のペンテアム2の233のマシンでした。当時は20数万円しましたが、今となってはスペック低かったですね。 インターネットもこれでダイアルアップからスタートでしたね。 音楽は聴けるし、ホームページは見れるし、ワードを使ったりには全然支障なかったです。 そこがパソコンのはじまりでした。 最初は自作までいきませんでした。 MIDIをダウンロードして音が良くないので、ゲートウェイに聞くとサウンドカードのドライバを更新しないとだめかもしれないとのこと。しかし、そのサウンドカードのメーカーはゲートウェイではもう取り扱っていないと。仕方ないのでもうひとつの提案があったサウンドカードの交換をしました。AopenのYamaha744のチップのでした5千円近くしました。 そうしたら音が全然違いました。ここで部品の交換だけでこれだけ違うんだと思いました。結局MIDIの音は元々良くなったみたいで音は悪いみたいでしたけど。 ここからパーツの交換がスタートしました。
2005.03.13
コメント(2)
試合は学校から種目別に3人までエントリーできます。 幸いなことに当時の母校は選手層が薄かったので、一年のときからレギュラーで出場していました。結果的には満足のいくものではありませんでしたが、一年生であること、はじめのころと比較して力もついてきているのがわかりましたので、特に悲観もしていませんでした。まだ、予選すら通過していませんでしたが、エースに追いついてやると思っていました。 うちでは校内駅伝大会がありまして、運動会とは別に大会があり、全クラスが出場します。 当然、選手に選ばれて校内駅伝のエース区間1区を走ることになりました。 いつもの練習のように走ればいいし、陸上部よりも速い選手もいないでしょうから、気楽なもんでした。しかも校内とはいえ注目されるのは気持ち良いじゃないですか。 予想通りエースが1位、私が2位、3位にも一年生が入って、校内の先輩方が(陸上部以外の)、「一年が1位から3位までや」と驚いていたのを覚えています。 その日の夕方の練習は軽いもので、楽しかったですね。みんなは注目して見てくれたし、練習は軽いしと言うことなし?でしたね。
2005.03.13
コメント(0)
高校一年生のときは、府の大会で一度として決勝まで進めませんでした。 中長距離では15人が決勝に出れます。だいたい5組くらいあって20数人中3位までが決勝という感じでした。 1,500メートルと5,000メートルに出ていました。 エースは5,000メートルでいつも決勝まで出ていました。確か近畿大会で10位だったかと記憶しています(彼が2年のときだったかもしれませんが)。 ほとんど毎日練習なので、日祝日、夏休みとかいう感覚はありませんでした。 クラブの連中以外の同級生との付き合いは皆無に近いものでしたね。だって授業のときくらいしか会わないし、どこかに行く、遊びにいくこともなかったから。 そんな毎日、後悔はしていないけれど、女の子と楽しむような生活もできたかもしれないなぁ??ないか、それは。 別に他の連中の毎日が良いとも思いませんでしたが、たまには練習しないで遊びに行くのもいいかなぁってのは思ってました。でも考えると何をしたいわけでも、することも思いつかなかったので、家でだらだらしてるくらいなら走ってる方が良かったと思います。 今思い出しても走っていた記憶しかないです、はははって感じです。
2005.03.12
コメント(0)
しばらく忙しくて日記も書けませんでした。 ここでいつもの話題と少し離れて私の高校生活そのものを振り返ってみます。 朝、8時過ぎに家を出て学校に(徒歩13分)、2時間目と3時間目若しくは3時間目と昼休み、食堂にダッシュしてカレーを食べる。一杯200円、だいたい5分で食べれます。10分の休憩時間の間に食べて教室へ戻ってくるんだから、今思うと若かったなぁ。 でも2時間目に欲張って2杯食べようとして2杯目にはペースが落ちて10分かかったことが一度あり、それ以降は必ず一杯にしていました。 カレーばかり食べていたので、クラブの中で私のことを「カレー」なんて呼ぶ奴もいましたね。でも中華そばの麺はゴムのようだったし、うどんやそばではお腹がもたないしね。大学の学食のように定食もなかったですしね。 食事というよりも餌をがつく犬のような感じだったのでしょうね、今思うと。 そうして真面目に6時間目までの授業を受けて、そうじ当番のとき以外は部室(私たちはボックスと呼んでしました)に直行でした。 一年のときはライン引きなんかもあって、昼休みにそういう雑用もしに行きました。 とにかく授業が終わってから3時間ないし3時間半ほど練習。 土曜日も同様でした。日曜日、祝日は9時からだっかかな練習。 練習でくたくたになって帰って、ご飯を食べたら後は風呂に入ってテレビでも見て寝る。そういう生活でしたね。しかもうちは9時に寝かされていましたので、毎日、食べて風呂入って寝るだけでした。 えっ、勉強ですか、自慢じゃないけど、高校3年生の就職のとき以外はしなかったです。しかもそのときですら一日、律儀にせいぜい参考書を一時間までというおのでしたらか私は勉強できない身体に生まれついていたんですね。 そんな今考えると退屈な?毎日をおくっていました。
2005.03.11
コメント(0)
西脇工高での合宿パート2です。 西脇工高のレギュラー陣はAがほとんどで、残り少しがBでした。 エースはBに入れてもらって奮闘?していました。ただ、外に出るとだめなようで、学校にいるときほどの元気はありませんでした。 朝からそれなりに走って、昼間は補強運動、夕方はしっかりと走る練習にみんなはヘトヘトでした。暑さにやられて食欲を落とす者も多く、何人かダウンしていました。 私は食欲は落ちてはいましたが、何とかご飯をかきこむ感じでお腹に入れていました。食べれない者は脱落していきます。そりゃあそうでしょう、いつもより練習はきついし、暑いし、しかも家でないので夜もぐっすりとはいかないので疲労が溜まるので、当然といえば当然です。食べれずに走れるはずがない。 まぁ、私はグーグー寝ていましたが。 合宿での楽しいひとときはお風呂でしたね。食欲はないし、そんなに美味しいものもないし、それでは楽しいはずもないですよね。 みんなで銭湯にいっての、ゆったりしたときだけが楽しいひとときでした。寝たら後は起きての地獄の練習が待ってますから…。 最終日の朝、宿泊所からの練習に向かうときは何とも言えずに楽しかったなぁ。 朝、しっかり走れば?あとは帰るだけ。不思議と笑顔が出そうでした。 そうこうしながらはじめての西脇の合宿は終えました。 覚えているのは、暑かった、西脇の選手がすごかった、それだけでした。やっぱりまだまだってのも実感しました。
2005.03.07
コメント(0)
千葉ちゃんが名古屋に出場できなくなった。悔しいだろうなぁ、でもまだ次があるので、いつものようにスマイルで乗り切ってくれーっ。 限界に近いところまでやっているからそういうこともままあるものね。 話をいつものところに。 夏休みになりました。ふつうの高校生なら?夏休みは何をして遊ぶ、どこへ行こうかということになるのでしょうが、私の場合は練習があるだけで、他には何もありません、予定なんて。 みんなは春休みにも行っていたようですが、私のはじめての西脇工高での合宿は辛いものでした。 先ず暑いんですよ、京都も盆地なのですが、西脇も山々に囲まれています。だから京都に負けないくらい暑い、いや京都よりも暑かったかもしれません。 今では変わっているかもしれませんが、当時は今は使われていない会社の寮に寝泊りさせてもらっていました。 練習は朝と夕方の二部練習でした。クラスをAからDまでかに分けてくれてまして、私はCに入れてもらいました。 しんどいと思ったのとこいつら化け物かと思いました。黙々です、真剣に練習に取り組んでいるとき私語は一切ないし、速いし、もうだめって記憶しかないです、はじめての合宿は。
2005.03.06
コメント(0)
初レースは本当に苦いものでしたが、反面、ブランクがあったにもかかわらずにそれなりの成果を得て、自分なりに手ごたえを感じていました。 先生からも「○○に勝たせてやる」と私の中学のひとつ下で、府内ではトップクラス選手で、うちのエースと中学の府駅伝で競っており、エースが勝ちはしましたが、実力的には○○が勝っていたレースでもありました。 早くそうなると良いなぁとは思っていましたが、そのときは漠然としていました。 そうこうしているうちに7月、私は千メートルで、はじめて3分を切って、2分58秒という、入部して3ヶ月ほどでそれまでの記録をいっきに20秒も縮めました(エースは2分55秒)。 今考えるとたいした記録ではありませんが、当時はすごく嬉しくて、走り終えてのジョッグで足が軽く感じらたほどでした。 そして夏休みになって、恐怖の西脇工高との合宿がはじめりました。当時、全国高校駅伝で9位に入っていました。その恐怖を味わうのは次回で。
2005.03.05
コメント(0)
今度の名古屋女子マラソンに千葉ちゃんがエントリー、良い結果を出して、後輩ふたりが世界陸上に出場となれば嬉しいなぁ。 でも、旭化成を退社するとき、第一線で活躍することは困難と会社が判断していたようだから、今走れることが何より楽しいと感じているだろうから、に精一杯の走りをしてくれたらそれだけでも嬉しいこと。 えーっと私の話に戻ります。 高校でクラブをやめようと思ったのは、この初レースの後でしたね。ほんとにかっこ悪いって思いましたしね。後にもやめようと先生に言いに行ったことはありましたが、これは話の成り行きで、本当にやめる気は微塵もありませんでしたけど。 とにもかくにも一月もしない練習であっさりと中学の自己記録を破るとは思いもしていませんでしたから良い気持ちでした。もちろん中学の記録がたいしたことなかったんですけど、それでも嬉しかった。 入部して知ったのですが、私が入ったときから選手集めをはじめていまして、入部したときには既に6人の新入生がおりました。ただ長距離はエースの彼だけでしたけどね。 そんな中での入部は後から考えてラッキーでした。これから強い選手が入ってくるのですから。一緒に走ればこちらも強くなれますから、そのときはエースに追いつくことしか考えてませんでしたけど。 益々走ることのみにのめりこんでいきました。
2005.03.02
コメント(0)
入部して一月も経たずに試合に出場することとなりました。 練習で走っていない5千メートルでした。中学のとき練習で走ったことはありましたが、半年も練習をしていませんでしたから、ペース配分も何も考えられませんでした。 いきなりトップギアに入れたような状態で走ってしまいました。何とはじめの1周、400メートルのラップをとってしまいました。 もちろん最後は先頭に2周ほど引き離されて終わりました。 がっかりでした。はじめてでもあり、半年以上のブランク、練習再開からそんなに経ってはいませんでしたが…。 その後、先生からの話で「何も気を落とすことはない、はじめの千メートルのラップが3分10秒で走っているから」 嘘かと思いました。といいますのも中学時代の千メートルの最高タイムが3分18秒だったからです。 でもノートに記載されているなら本当でしょう。 嬉しいような悲しいようなデビュー戦でした。
2005.03.01
コメント(0)
全18件 (18件中 1-18件目)
1


