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そこもとには、この光貞がついている大原健之助が帰ってきたところは、材木問屋岸屋信右衛門の屋敷でした。そして、そこには糸路がどういうわけか、大原の逗留中身の回りの世話をする者として入り込んでいたのです。その頃江戸城中では大火による町民の困窮をよそに、将軍自ら能を舞うという華やかな能楽の宴が催されていました。綱条は席についていましたが、叔父にあたる紀伊大納言光貞は最後まで席にはつきませんでした。宴が終わって、綱条は下がる途中、勅使御饗応役を仰せつかった頼前に声をかけると、「家紋の誉れにござりまする」という言葉と反して、頼前の表情に暗いものを読み取ります。 綱条はやさしい言葉をかけるのです。綱条「なにかと物入りのことと存ずる。・・・お手に余らんうちに、小石川へ相談 に人をよこされ、中山備前に申し付けておくによって」頼前は綱条の気づかいに「中将殿」と・・・綱条は振り返らずにいく・・・頼前は声をかけてくれたことに感謝し頭を下げます。 宴の席に出ず控え部屋にいた紀伊大納言光貞が、戻って来た綱条に声をかけます。光貞「中将殿、ごらんなさい、庭の花がうつくしゅうござる」 綱条の花を眺める様子を見ると、光貞は部屋の中に綱条を促します。光貞「綱条殿、中納言殿はいまもって、旅の中の遍歴をお続けでござるか」綱条「はい、昨今は江戸の市井におるやに承ります」 光貞は黄門や綱条の気持ちをはかり、こういうのです。光貞「光貞、本日、上様の猿楽拝見の席に参らず、ひとりこの部屋にあって、思い を黄門殿の上に走らせており申した。・・・江戸市中に相次いで起こる大 火、それにとものう人心の動揺、・・・上様、猿楽に夢中になっていられる ご時世か・・・いや、上様の猿楽を悪いとは申さぬ、さりながら、猿楽で天 下は治まらんぞ。・・綱条殿、この間に処して、天下の副将軍たるそこもと の責めは重い。それに、水戸家に対する大奥向きのとやこうの噂も耳にいた す、しかし、気を屈せられてはなりませんぞ。・・・そこもとには、・・・ この光貞がついているということをお忘れなきよう」綱条「・・・叔父上・・・」 続きます。
2023年10月27日
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月形竜之介主演による水戸黄門。オールスターキャストが顔を揃えた豪華な娯楽時代劇です。この作品では、黄門様の正体を明かしそうになる場面があり、観客にフェイントをかけるような、よい意味で肩透かしを食らわせ面白くなっていて、一度も印籠を見せずに、陰謀を解決していきます。脚本家と監督がスターの持ち味をよく知っているので、スター各自に見せ場がちゃんと用意されており、その配分も監督ならではのもので、スターの特徴を活かしています。そして、笑いと涙の場面の観客が喜ぶ配分のうまさは絶妙です。その一つに、錦之助さん扮する威勢のよい火消の頭と、大友さん扮する方言丸出しの田舎侍の掛け合いが絶妙で、観客も自然と頬が緩んできます。また、副将軍綱条が将軍綱吉に死を覚悟で進言するところで、叔父の光貞が綱吉に助言し綱条に助け舟を出します。そして光貞は自分が助言したことはおくびにも出さず、黄門様に綱条が立派に役目を果たしたことを告げるのです。黄門様は、わが子綱条に対しての光貞の好意に感謝する涙を流します。そして、将軍に死をもって諫める覚悟で出かける綱条と奥方継の方とのもしやこれが・・・の別れのシーン。画面の中だけで泣くのではなく、一緒に観客も涙を流し、画面の中に引きずり込んでいるのです。お互いに、仕事のためなかなか撮影所でも顔をあわせない、スタアたちが、「やあ、やあ」と集まり、そこへ集まったオールスタアを見ようというファンの波に、撮影所は、お祭りのような賑やかさで、その楽しい雰囲気が、東映オールスタア映画ににじみ出して、ファンの期待と拍手を集める。これは東映だけが誇れる豪華版といえるでしょう。「僕をふくめて若手スタアは、目の前で片岡・市川・月形先生がたの芸道の深さをしみじみと感じながら、緊張のうちにも、無言の教えをうけることができるので本当に幸福です」と橋蔵さんが語っていました。 ▲66作品目 1960年8月7日封切 「水戸黄門」 水戸黄門 月形龍之介佐々木助三郎 東千代之介渥美格之進 中村賀津雄放駒の四郎吉 中村錦之助水戸中将綱条 大川橋蔵井戸甚左衛門 大友柳太朗お光 丘さとみ糸路 桜町弘子継の方 大川恵子 岡部求馬 三島雅夫滝川軍平 原健策森下半兵衛 吉田義夫将軍綱吉 伏見扇太郎中山備前守 黒川弥太郎治兵衛 千秋実金井将監 山形勲岸屋信右衛門 薄田研二柳原大納言資廉 片岡千恵蔵紀伊大納言光貞 市川右太衛門綱条このままにあるは許さん江戸で大火が頻発していた元禄四年。大火の原因を探るために素性を隠した水戸黄門、助三郎と格之進の一行は下町の一膳飯屋にいた。そこで知り合った浪人の井戸甚左衛門に案内され長屋を訪れた一行は、彼の友人が殺害され甚左衛門が捕らえられる現場に黄門様が遭遇。火消しの頭の放駒の四郎吉達と江戸の町に火を放つ黒覆面の一団を発見し、追い詰めた一人の浪人が逃げ込んだのは寺院。その頃、時の副将軍水戸中将綱条は、江戸の大火の責任を追求され、苦しい日々を送っていた。そんな我が子の苦しみを感じとりながら・・・黄門様がみんなと一緒に乗りだします。元禄四年江戸には大火がしきりにあり、6月2日夜には、半蔵門外平河町より出火し、西御丸に飛び火全焼するという事態、黄門様は助さん格さんと身分をかくして江戸へ来て、米沢町の一膳飯屋に入り込んでいました。そこで声をかけて来た人のよさそうな田舎浪人井戸甚左衛門の好意で、黄門様たちはその夜甚左衛門の長屋に泊まることになります。長屋に戻った甚座衛門は家に明かりが灯っているのを不思議に思い家へ入ると、家の中で騒がしく、黄門様たちも行ってみると、抜いた刀を持ち呆然とつったっている甚座衛門の傍には、甚左衛門の友人の村尾が殺されていました。最近甚左衛門を斬らなけれはならないと口にしていた兄を心配して追って来た妹の糸路は、駈けつけて来た町方に、刀についている血が証拠といいますと、黄門様は血は切先だけについている、ということは軽い手傷を負わすもので殺しはできない、と糸路にいいます。町方に見かけぬ顔だがといわれ、事態が事態だけにまことの身分を打ち明けた方が・・・と、その時易者の鰑堂が黄門様をじっと見て、水戸の御老公といったのだが、黄門様は水戸の目明しといい、その場では町方に犯人として捕らえた甚左衛門に、明日の朝にはご放免になるだろうと。長屋の衆がどうにかならないかと騒ぐなか、黄門様に耳打ちをされた助さんは急いで出て行きます。黄門様は格さんと、甚左衛門が一太刀浴びせた血痕があるかも知れないと調べていくと、滝川軍平という浪人の家の前にたどり着きます。助さんは水戸藩上屋敷に出向いていました。黄門様の使いで、副将軍水戸中将綱条に目通りし、黄門様が江戸へ来ている報告を受けます。綱条「なに、父上が水戸の城下の目明しで、其の方と格之進が配下の下っぴきにな ったともうすのか」助三郎は綱条に、黄門様の江戸入りは、度重なる大火が扶持を離れた浪人達の策謀ならゆゆしき大事であると、自ら探索に出たことを告げ、そのことを水戸家より町奉行に内々に知らせておくようにとのことを伝えます。綱条は中山備前守から町奉行に申し入れいたすことを約束します。 浪人達の各藩お召かかえの禁令を廃止するよう、数次にわたって上様にご進言したが、どういうわけか未だに取り上げてくださらない、と綱条の悩みは・・・綱条「上様の御側近も、水戸家に対する大奥の思惑をはばかってか、動こうともせ ぬ。・・・しかし、御老齢の父上に、このご苦労をかけては、綱条このまま にあるは許さん。副将軍の職をおとし、いや、綱条の命にかけても・・・」 長屋に甚左衛門と親しい火消し頭の四郎吉がやって来ると、黄門様を見るなり、甚左衛門を町方にしょっ引かせたと大憤慨で黄門様を殴りつけからむのです。大家が、明日の朝には、ご放免になるといっているといい聞かせても納得はしないのです。翌朝、一膳飯屋に黄門様、四郎吉はじめみんなが甚左衛門がご放免になって帰ってくるのを待っています。ところが、迎えにやった駕籠に乗っていたのは、昨夜えこう院の近くで、火付け疑いの浪人の手入れがあったところに通りかかり牢に入っていて、甚左右門と一緒にご放免になった大原廉之助という浪人が乗ってやってきました。遅れて、やって来た甚左右門にやきもきさせられた四郎吉は、甚左衛門に心にもないことをポンポンといい帰って行きます。大原兼之助という浪人が甚左衛門に礼をいって帰っていきますと、甚左衛門は用をたしに糸路さんのところを尋ねたところ、商家の番頭風の者が駕籠で迎えに、引越していまったというのです。 続きます。
2023年10月13日
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