高橋信次先生に学ぶ
カテゴリ未分類 163
SE研究会セミナー情報 9
各種案内 57
関連ブログ 15
日々雑感 9
メルマガ投稿 21
法語 55
高橋信次先生の言葉 5
釈迦の教え 1
天上界の計画 2
大予言 1
国際情勢 1
詩 1
質疑応答 1
信仰のあり方 2
正法誌No35 1
正法誌No36 5
正法誌No37 27
正法誌No38 12
正法誌No39 34
正法誌No40 51
正法誌No41 11
正法誌No42 20
正法誌NO43 58
正法誌No44 22
正法誌No.45 34
正法No.46 10
全1件 (1件中 1-1件目)
1
キリストの祈りは「天に在しますわれらの父よ」という言葉で始まる。一切の罪を赦すのは父である。夫は父となって妻を守り妻のすべてを生かし、妻のすべてを赦さなければならない。妻が夫の心を憩わせなければならないと同じように、夫は妻の心を憩わせなければならない。 人問は、ある時は男に生まれ、ある時は女に生まれて父となり母となりして、神の性である永遠の父性と永遠の母性を体験して人格を完成してゆかなければならない。 男性的ではあるが女心のやさしさはわからないという男性は、まだ男性としては未熟であるし、女性的ではあるが男心の逞しさが充分にわからないという女性も、また女性としては未熟である。神の心をそのまま知ることが出来た方を如来というのであるが、如来の持ちたまう慈悲は、永遠の女性から生まれたものであるし、如来の智慧は、永遠の男性から生まれたものであり、如来が智慧と慈悲とを一身に兼備していられるのは、神が智慧そのものであり慈悲そのものでありたまうからである,人は男心も女心もよくわかるようになってゆかなければ人格を完成することはできないのである。家庭生活とは、夫婦が単に調和するだけでなく、夫は女心をよく理解し、妻は男心をよく理解して、ともに人格(実際は神格の顕現)を完成してゆかなければならないものである。妻は夫をして、子供達だけの父とならしめるだけでなく、自分にとってもよき父たらしめるべく、夫と話をしてゆかなければならないし、夫は妻をして、子供達だけの母たらしめるだけでなく、自分にとってもよき父たらしめるべく妻と話をしてゆかなければならない。 男と女と、夫と妻と、父と母と、この問にたゆとう愛の面のふかしぎさを、余すところ なく味わい尽して行くところに人生の喜びかあり、人格の完成がある。なんとふしぎな人生であることよ。神の摂理のふしぎさに私は哭く。今生は今生で、尽さなければならない愛を尽さなければならないと思うし、未生は未生でまた愛を尽さなければならない。限りなく愛を尽して神に至るのである。 正法誌No35 1981 7月号 より抜粋5月18日東京品川セミナーのご案内http://plaza.rakuten.co.jp/hhokari/0220015月度長野市セミナーのご案内http://plaza.rakuten.co.jp/hhokari/022000心と波動の世界・総合版http://sefuti.seesaa.net/
2008.05.12
コメント(0)