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どんな悪いことをしても、心から懺悔すれば赦される。われわれは、自分の心に正直でなければならぬ。瞑想によって、愛が、調和がひろがる。自分の行為を、夜寝る前に反省をして、朝、瞑想すれば効果がある。反省をしないと瞑想にはならぬ。沈黙は大事である。冗舌の人は心をきれいにすることはできない。瞑想の目的は、無限なるものに、われわれの波長を合わせることである。病気は不安、緊張によって、肉体細胞が正常な働きをしなくなるのであるから、心の中から不安、緊張をなくして心を安らかにすると、細胞もまた正常に活動するようになるのである。病気は、個人に属するもの、集団に属する社会的なものもある。日常繁煩なしごとをしていると、心は物質的なものに執着しやすくなる。いくらかの時間を魂の根源に振り向けることが必要である。地球はわれわれの本当の棲家ではない。われわれは生命の巡礼者であって、一時期この地球で生活するのである。われわれは、自分がなにものであるか、本当の自分を知りません。また、どこから来たかを知りません。こうした本源的なものに自分を立ち帰らせるもの、それが瞑想であります。瞑想をするには、心が散乱しない落ち着いた場所を選ぶ。できれば、毎日決まった場所で、同じ時間にするのがよい。座り方は自由である。決してむずかしい坐法は必要ではない。自分の気に入った坐り方でよい。長時間坐れる坐り方がよい。蓮華坐法(結跏趺坐)は普通の人にはむずかしい。手掌は膝の上に、背筋を伸ばして、極くわずかに頭をほんの少し垂れる。顔を上げて上を向くと高慢な心が起こる。坐るとつぎつぎに雑念が浮かぶ。雑念が浮かぶ時は瞑想に入らぬほうが良い。雑念が浮かんでどうしようもない時は、横になる。本を読む、散歩をするなどして心の散乱がしずまるまで待つ。出来ない時は無理してしないほうが良い。散乱した状態で形だけしたのでは、いい結果を見ません。心は自分自身の内に向け、神、仏、幸福、慈悲、愛が自分の中にあると観ずる。瞑想をする人は日常生活においても規則正しくあることが大事である。仕事の関係できつい仕事をしている人は、瞑想は軽くやって、反省するほうが良い。集中しないで神のことを考える。瞑想するには肉体を安定させる。坐っても、掛けても、ゆっくりとやる。たくさんの神がいるが、それらは人間がこしらえたもので本当の神ではない。光明、至福である。すでにそのままあることを認める。求める心をなくする。われわれの心は守られている。精神的価値を実現するためには瞑想がどうしても必要である。正しいものに近道というものはありません。裏口というのもありません。その道は、ひたすら謙虚に従わなくてはいけないのです。正しい原則に従って正しく行動するということが真理です。人類に対する限りない愛を持って、悩めるもの、貧しきものを助けることです。祈りつつ人に施しを行い、簡素な生活をすることです。瞑想をする前にはんせいをすること、瞑想は八正道の実践をしてするべきこと、心を内に向けて、すでにそのままある神理を認めることであること、霊能を求めて瞑想してはならないこと、そうして、姿勢においても呼吸法についても、それは私が(園頭先生が)教えている瞑想と同じであった。正法誌第36号 1981年8月号より抜粋7月20日・品川セミナーのお知らせです。詳しくは、こちらをご覧ください。http://plaza.rakuten.co.jp/hhokari/022001ほしいものを引き寄せようとしても失敗するのはなぜか―。理由は、感情の処理方法にあった。感情を「クリアにする」方法を知り、そして「クリアでいつづける」ことこそが、奇跡を起こす“キー”だ!これまでの自己啓発書・啓発プログラムがとりこぼしてきた重要な秘密のひとつが「クリアリング」であることを10の具体的方法に分けて詳説する、まったく新しい実践的バイブル。
2008.07.05
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園頭先生とゴービ師の出会いより 『瞑想は不自然な姿勢ですると心臓を圧迫します。自然な無理のない姿勢がいいのです。(禅宗で教えている結跏趺坐のような無理な姿勢はひつようではない) 瞑想の目的は、心を静かに安らかにすることにあります。つまり、そのためには心に愛を持つことです。エゴを脱却することです。つまり、我々の狭い自我を超越するためのもので、よい高い次元の世界に没入するためです。瞑想をすることによって何か霊能、霊感を得たいとおもうことはエゴを強調することになります。 多くの人をみていると、超能力を得るために瞑想しているという人があります。それは間違いです。 あるいは菜食主義者にしても、菜食して瞑想しているということが一つの誇りとなって、自分は人のしないことをしているという意識があるとそれはいけません。われわれと神の障碍(しょうがい)を為すものは「自分は人よりも秀れている」とか「自分は人より神に近い」とか「人よりも心が清らかである」というような気持ちを持つことです。 われわれは精神集中の結果、いろいろな智慧を与えられる。芸術に集中する人はいい芸術品を生み出し、星をみつめている天文学者は新しい星を発見する。瞑想も精神集中の一つだとはいえないこともありませんが、瞑想は、神なる存在に自分の心を集中することです。 精神集中に関しては科学者は無知です。つまり、われわれの精神を向けるものが多様化して、一つのものに集中することがむずかしくなっている。今の人は、政治、経済、教育、科学、芸術等、またそれらはさらに細分化されて、その細分化された目で世界を見つめているから、見えるものは細分化された部分のみであって全体が見えない、仏陀が見られたように全体として見なければいけないのです。 プラナヤーマ、呼吸法は、瞑想にとっては大事なことですが、それは危険が伴います。(現在、書店でみる瞑想の本には、呼吸法がたくさん書いてあり、その呼吸法をマスターしないと瞑想にならないように書いてあるが、呼吸は普通に腹式呼吸をすればいいのであってむずかしく考える必要はないのである) それよりももっと安全な道があります。それは仏陀が説かれた八正道を実践することです。(これまで瞑想の指導者で八正道の実践を強調した人はいなかった。ゴービ師がそう言われた時に「ここに正しく知っている人がいた」とうれしくなった。この一人の人があれば他のインドの瞑想家には逢う必要はないと思った) 心の背景に、一切の根源的エネルギーがある。 正法誌第36号 1981年8月号より抜粋★第五回東京品川波動改善セミナーのご案内6月15日(日) 10:30~16:00 にて行います。東京都品川区東品川3-27-25 オフィスイン品川2F アストラル品川 カフェテリアテーマは、 【心を大きくする瞑想と心の浄化法】詳しくはhttp://plaza.rakuten.co.jp/hhokari/022001長野市では、毎週金曜日の夜、18:30~21:00まで行っています。いつでも参加できます。http://plaza.rakuten.co.jp/hhokari/022000人間は御仏の生まれ変わりであり、地から湧き出た菩薩だという人間観をもつ著者が綴った十五人の生き方。
2008.06.04
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日本人は元来、調和された民族である。天候気象はそこにすむ人の心によって左右されるというが、日本人が移民するまでのカリフォルニアは砂漠であったのに日本人が移民してから、今は豊沃な土地となり、アメリカ東海岸では、日本人が野菜をつくらないとアメリカ人は一日も生きていけないといわれるまでになった。ブラジルもそうである。なんにもできなかった所を開拓して農場にし、ブラジルから日本人がいなくなったらブラジルは国が崩壊するといわれるようになった。 遠く外国のことまで考えなくても、日本の内地のことを考えてみただけでもわかることである。作物がよくできる家はみな明るく調和されているが、何をつくってもよく出来ないという家は暗く不調和である。 世界的な食糧危機を解決する道は、自然の気象条件に適した技術開発、品種改良を進めると同時に、作物を作る人々が心を調和させることである。 しかし、世界の人類の多くはまだそこまで気がついていない。とすれば、それに気がつくまでは食糧危機がつづくということもまたやむを得ないということになる。 異常気象も、食糧危機も、人口問題も、人類はみな兄弟だという人間の原点に立てば、この問題は明日にでも解決してゆくという言葉は、早く一人でも多くの人々に伝えなければならない言葉である。正法誌No36 1981 8月号より抜粋私の中の神との出会い
2008.05.30
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神はその意識をもって、エネルギーを発生せしめ、原子をつくり、分子をつくり、気体を発生せしめ、やがて液体となり固体となり、大宇宙は神の意識のままに整然と天体がつくられ、太陽を中心とした星雲はそれぞれ凝固すると、太陽を中心として自転しながら公転し始めた。地球も元は、太陽の自転によって飛ばされた一つのガス状の星雲であった。濡れたタオルを手に持って振り廻すと水滴が飛び散るように、太陽の回転によって飛ばされたガス状の塊りが、長い時間の間に凝固して、それぞれ太陽を中心として回転する惑星となったのである。ガス体であった地球が次第に冷え固まって地殻を形成した。空ができ、できたばかりの地球は全部水におおわれていた。このことを創世記には「空と水とにわけられた」と書かれている。水におおわれていた地球に爆発が起こり、やがて水面上に陸地が現れた。地球全体が爆発を起こしたのであるから、その頃の地球は噴煙と灰と溶岩がふき出たための水蒸気によって空は真っ暗であった。空に昇った水蒸気は雨となって地表面に降る。するとまた、海底火山が爆発して、灰と水蒸気を天に吹き上げる。そのうちに全地球的な爆発はなくなり、天にのぼっていた灰も水蒸気も地表面におさまって地球は静かになり、晴れた空と、海と陸地とに分かれて、やがて生物が発生し、人間の住む環境が整えられた時に、神の子である人間が天孫降臨したのである。それ以来、自然現象と地表上に住む人類の意識の複合により、人類は栄枯盛衰を幾度かくり返してきた。天変地変は、自然現象と人類意識、またはそこに住んでいる人達の意識との複合汚染である。高橋信次先生が「これから共産圏であるソ連、中共は食糧飢饉になる。アフリカも南米も、共産思想を持っている国には飢饉が来る」と予言をされたのは昭和50年であった。正法誌No36 1981 8月号より抜粋人生を変える一番シンプルな方法感情を解放すると人生が変わる!『ザ・シークレット』マスターが明かす幸せを引き寄せる秘訣「手放しの法則」。
2008.05.23
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高橋信次先生の言葉 異常気象、食糧危機、人口問題、この3つは相互に関連しあって動いているが、これについて、さまざまな見方がなされているので取り上げてみたい。 まず気象については、太陽、月、地球の自転公転によって、その条件の基礎がつくられている。 かつて地球に人類が住む以前は、火山爆発と雨のくり返しがつづき、氷河時代を何度も現出した。これは火山爆発の降灰が天空に舞い上がり、層をつくり、太陽の熱と光を遮断したため地上の気温を下げたからである。 今日、冷害や干ばつが各地に起こっている。原因の一つは熱消費の増大であり、煤煙、排気ガスの塵がのぼり天空に、層を作り始めているからである。もう一つは地上に住む人類の想念行為によって、地軸の位置、自転のリズムを変化させていることもあろう。 地上に住む人類の想念行為が人口の増大に比例して、さまざまな異常気象を生み出している。アフリカの大干ばつ、ソ連、中国、インドなどの食糧不足、これは一体何がそうさせたかをいえば、それは前述の説明を理解されればおのずと明らかであろう。気象は天然の産物であり、人間の生活行為とは直接無関係と思われるが、今日の公害を見れば、気象も人為的に左右されることは説明を要しないと思う。人口問題は、食糧生産と密接に結びつき、地球は満員だという見方をする人もあるが、しかしまだその余力は十分にある。問題は現時点の人々の意識構造(政治理念、民族意識、人種差別、経済の考え方など)に問題があり、バランスを欠いているので、歪みが生じているのだ。一方の国は食糧が有り余り、他の国では餓死者が発生すること自体、調和された地上とはいえないだろう。 こうしたアンバランスがなくなり、天然の気象条件に適した方法で食糧生産が行われ、技術開発を平均的に進めてゆけば、地球の人口許容量はまだまだひろげられる。異常気象、食糧危機、人口問題は地球人類の責任でもある。それぞれの責任において調和された生活、つまり、人類はみな兄弟だという原点に立って処理してゆくならば、この問題は明日にでも解決してゆくであろう。しかし、今のままの状態が続けば、食糧危機を発生せしめ、問題を深めてゆくことになりかねない。正法誌No36 1981 8月号より抜粋
2008.05.15
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