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孔明は、先ほどの問いをもう一度口にしました。
「我が君」
「人を育て、点と点をつなぎ、それを一本の線にする」
「しかし、その線は――」
孔明は静かに盃を置いた。
「店長がいなくなったら、切れてしまわないのでしょうか」
俺は少し笑いました。
「孔明先生」
「実は、その答えになる出来事があるんです」
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それは、俺がかつて店長を務めていた店での出来事でした。
ある日の閉店前。
営業終了まで、もうそれほど時間は残っていません。
店内では、少しずつ片付けへ入り始めていました。
厨房でも同じです。
営業中に使っていたものを整理する。
すぐに使わない食材やトッピングを片付ける。
翌日に向けた準備も始める。
飲食店では、ごく普通の閉店前の光景です。
このまま大きな波もなく、静かに閉店時間を迎える。
誰もが、そんな営業の終わりを思い描いていたことでしょう。
ところが――。
その日は違いました。
突然、お客様が来店された。
五名様。
続いて二名様。
さらに一名様。
その後も、
六名様。
二名様。
また二名様。
さらに五名様。
短時間のうちに、二十名を超えるお客様が次々と来店されたのです。
閉店へ向かっていた店が、一瞬にしてピーク営業へ逆戻りしました。
しかも、その時の店内は――。
ホール一名。
キッチン三名。
そして、
店長である俺は、その場にいませんでした。
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こういうピークは厄介なんです。
昼時や夕食時のように、
「これから忙しくなる」
と分かっているピークなら、最初から準備できます。
食材を揃える。
ポジションを確認する。
人員も、ある程度その時間を想定して配置されています。
ところが閉店前となれば話は違う。
少しずつ片付けに入っている。
気持ちも営業終了へ向かっている。
そこへ突然、
二十名を超えるお客様が押し寄せる。
当然、一気に仕事が重なります。
お客様をご案内する。
お冷を出す。
飲み物を提供する。
オーダーを取る。
先にいらしたお客様のお会計もある。
厨房では料理を作る。
出来上がれば、すぐに提供する。
そして、新しいオーダーがまた入る。
一つひとつは、普段から行っている仕事です。
ですが、
それらが一斉に押し寄せれば、
店は簡単に詰まります。
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こんな時、
全員が自分の持ち場だけを見ていたらどうなるでしょう。
ホール担当は、
「俺はホールだから厨房のことは関係ない」
厨房担当は、
「俺は料理を作る人間だから、ホールのことは知らない」
レジが詰まろうが、
料理提供が遅れようが、
お冷が出ていなかろうが、
「それは俺の仕事じゃない」
そう考えていたら、店は回りません。
そして、
誰も全体を見ることができなければ、
やがて、
「誰が何をする?」
「次はどうする?」
「誰か指示を出して!」
という状態になります。
ですが――。
その日の彼らは違いました。
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ホールスタッフが、お客様のオーダーを取る。
すると厨房の一人が店内の状況を見る。
ホールが追われている。
お冷がまだ出ていない。
その状況を見て、
誰かから命令されたわけでもないのに、厨房からホールへ出る。
お客様へお冷を配る。
そのまま必要と判断すれば、今度はレジへ入る。
会計を済ませる。
別の厨房スタッフは、
出来上がった料理を持ってホールへ出る。
料理を提供する。
最初にフォローへ出たスタッフは、
レジが落ち着けば、今度はオーダーを取りに行く。
一つの仕事だけを抱え込むのではない。
その瞬間、
一番必要とされている場所へ動いていく。
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しかし当然、
厨房から人が出れば、
今度は厨房の人数が減ります。
ホールを助ければ助けるほど、
その分、厨房には負担が掛かる。
最後には、
鍋を振っていた一人が、
ラーメンも作る。
餃子も焼く。
鍋も振る。
次々と入ってくる料理を、一人で支える状態になる。
それでも慌てない。
文句を言うでもない。
今、自分がやるべき仕事を淡々とこなす。
料理は上がっていく。
ホールへ運ばれていく。
お客様へ届いていく。
店は止まらない。
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俺がこの話で一番大切だと思っているのは、
誰か一人が、すべてを指示していたわけではない
ということです。
「あっちへ行け」
「お前はレジ」
「次は料理提供」
「オーダーを取れ」
「もう厨房へ戻れ」
そうやって、一手一手を誰かが動かしていたわけではありません。
状況が変わる。
すると、人が動く。
人が動けば、また状況が変わる。
今度は別の場所が苦しくなる。
すると、また別の誰かが動く。
その動きによって店全体が少し落ち着けば、
必要な役割もまた変わる。
一見すると、
最初からすべて決められていたように見えるかもしれません。
ですが、
実際には違います。
その瞬間、その瞬間で、
必要な場所へ人が動いている。
これが大事なんです。
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そして、
ひと波が過ぎる。
突然押し寄せたピークも、やがて落ち着いていきます。
すると今度は、
「もう戻っていいぞ」
と言われるわけでもない。
ホールへ出ていた者は、自然に厨房へ戻る。
料理提供へ回っていた者も、元の持ち場へ戻る。
そして店は、
何事もなかったかのように、
いつもの形へ戻っていく。
後に俺は、その時の様子を知りました。
その話を聞いた時――。
嬉しかったですね。
もちろん、
突然のお客様をきちんと迎えられたことも嬉しい。
店が崩れなかったことも嬉しい。
でも、
俺が一番嬉しかったのは、そこではありません。
俺がいなかった。
それでも、
線が切れていなかった。
そこなんです。
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第七杯で、
一人ひとりが「点」で仕事をしていてはいけないという話をしました。
まず、
自分に与えられた役割を果たす。
自分の仕事をきちんと完成させる。
そして、
次の人が仕事をしやすいようにつなぐ。
困っている仲間がいれば、必要に応じて助ける。
その仲間が、また次へつなぐ。
そうして、
点と点が結ばれ、
一本の線になっていく。
しかし、
ここで一つ考えなければならないことがあります。
その線は、
誰がつないでいるのか。
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店長がいる。
店長が全部を見る。
店長が、
「あれをやれ」
「これをやれ」
と指示する。
スタッフは、
「はい!」
と返事をして動く。
これはこれで、
店は回ります。
外から見れば、
非常に統率の取れた店に見えるかもしれません。
ですが、
もし店長がいなくなった瞬間、
「次、何をすればいいですか?」
「誰が決めるんですか?」
「自分は何をやればいいんですか?」
となってしまうなら――。
それは本当に、
点と点がつながっているのでしょうか。
俺は、少し違うと思っています。
それは、
店長という一本の線に、すべての点がぶら下がっているだけ
なのかもしれません。
店長がいるから、つながって見える。
しかし、
その一本を抜いた瞬間、
全部の点がバラバラになる。
それでは、
まだ強い店とは言えません。
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店長がいる時だけ、
大きな声で返事をする。
店長がいる時だけ、
一生懸命動く。
店長から言われたから、
仲間を助ける。
言われたから、
掃除する。
言われたから、
次の準備をする。
言われなかったら、
何もしない。
それでは、
自分で仕事をしているように見えて、
実際には、
店長から次の指示が出るのを待っているだけです。
もちろん、
新人の頃は、それでも構いません。
最初から何もかも判断できる人など、ほとんどいません。
まず教わる。
やってみる。
失敗する。
また教わる。
少しずつ経験を積む。
できることを増やす。
最初はそれでいい。
問題なのは、
いつまで経っても、
「言われなければ動けない」
状態から抜け出せないことです。
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店長がいなくても、
一人ひとりが自分の役割を果たす。
そして、
自分の持ち場だけを見るのではない。
今、
店のどこが苦しいのか。
何が詰まり始めているのか。
自分がそこへ入った方がいいのか。
逆に、
自分が動けば自分の持ち場が止まらないか。
誰が今、一番動けるのか。
どこへ一人入れば、
店全体が一番楽になるのか。
そして、
状況が元へ戻ったなら、
自分も元の役割へ戻る。
誰かに言われたからではない。
自然に、それができる。
そこまで来て初めて、
店長がいなくても、線は切れない。
俺はそう思っています。
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孔明は、しばらく黙っていました。
盃の中の酒を見ながら、
何かを考えているようでした。
やがて、
静かに口を開きます。
「我が君」
「ひとつ、分からないことがあります」
「何でしょう?」
「店長である我が君は、その場にいなかった」
「そして、誰かが細かく指示を出していたわけでもない」
「それなのに――」
孔明は俺を見ました。
「なぜ皆、自分が次に何をすべきなのか分かったのでしょう」
俺は思わず笑いました。
「孔明先生」
「そこなんですよ」
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人は、
「周りを見ろ」
と言われただけで、
周りを見られるようになるわけではありません。
「自分で考えろ」
と言われただけで、
自分で考えられるようになるわけでもない。
「もっと気を利かせろ」
と言われたところで、
何を見て、
何を考え、
どう動けばいいのか分からなければ、
結局は動けません。
「フォローしろ」
と言われ続けたからといって、
本当に必要な瞬間に、
自然と動けるようになるわけでもない。
では――。
なぜ彼らは動けたのでしょう。
なぜ、
自分の持ち場を越えて動くことができたのでしょう。
なぜ、
誰かから命令されなくても、
その瞬間に必要な仕事を判断できたのでしょう。
そして、
なぜピークが終わった時には、
また自然と元の持ち場へ戻ることができたのでしょう。
偶然でしょうか。
たまたま、その日のメンバーが優秀だったからでしょうか。
俺は、そうではないと思っています。
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孔明が少し身を乗り出しました。
「では、何が彼らをそう動かしたのですか」
俺は盃を口元へ運び、ひと口呑みました。
「それには、ちゃんと理由があるんです」
孔明が笑います。
「ほう」
「では、その理由を聞かせていただきましょう」
俺も笑いました。
「いや、孔明先生」
「今日はここまでです(笑)」
「ここで全部話したら、また徳利ごと空けることになりますから」
孔明も声を上げて笑った。
「これは一本取られましたな」
俺は残った酒を飲み干しました。
店長がいなくても、
線が切れない店。
それは、
偶然できたものではありません。
では、
どうすれば、
人は言われなくても動けるようになるのか。
どうすれば、
自分の仕事だけではなく、
店全体を見ながら動けるようになるのか。
そこには、
ちゃんと理由があります。
その話は――。
また次の一杯で。
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「店長がいる時だけ回る店では、まだ強い店とは言えない。店長がいなくても線が切れない時、その教えは初めて店に根付いたと言える」
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では、また次の一杯で。
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「周りを見ろ」
「自分で考えろ」
「もっと気を利かせろ」
言葉で命じることは簡単です。
しかし――。
なぜ、それができないのでしょう。
そして、
どうすれば、
指示を待つ人から、
自分で考えて動く人へ変わっていくのでしょう。
店長がいなくても線が切れなかった店には、
偶然ではない理由がありました。
ただ、
その答えをすべて一度に注ぐつもりはありません。
次の一杯では、
その理由をもう少しだけ。
人が、
「言われたから動く」
ところから、
「自ら動く」
ところへ進むために、
指導者は何をすべきなのか。
次の酒席で、
また少しだけ酌み交わすことにいたしましょう。
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