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今年も行ってきました、島好き必見の祭典「アイランダー2004」@池袋サンシャインシティ。離島の方に直接、観光や生活などの情報が聞ける貴重な機会です。今回は、「ニッポン全国むらおこし展」も同時開催です。こちらは、聞くところによると各地特産品の試食天国らしい。はりきって午前中から出かけました。お目当ては、11:00からの上々颱風の無料ライブです。上々颱風フロント3人のエコノミーバージョンだそうです。さすがに午前中のライブは初めて、と言いつつキッチリ客席を盛り上げます。ノリノリ長崎県小値賀諸島からやってきた、「ちかまる」をステージに引っ張り上げます。ちかまる、目がなぜか4つある4曲ほどでライブ終了。渡嘉敷島のエイサー隊も来てました。サンシャイン広場まで宣伝で出張してました。エイサー俯瞰てなかなかないかも会場は、島や諸島ごとにブースに分かれています。ギャルもいる種子島コーナーでは、宇宙服のヘルメットを被らせてくれました。レプリカだけど、けっこう重かった。種子島宇宙服各島を回っているうちに、資料が5cmほどの厚さになりました。中では、香川県直島の屋号マップが面白かった。商店の名やご先祖の名などの屋号の由来が書き込んであるマップです。今でも通っているんでしょうね。出身のミュージシャンのCD販売をしてる島もあったり、なかなかユニークでした。次は、ニッポン全国むらおこし展です。こちらは会場がとても広くて、3ブロックに分かれていました。全国津々浦々から5000点もの特産品が揃っているとあって、活気に溢れていました。わたしもいろいろ試食をさせてもらいました。仙台のビビン麺ピリ辛です黒米信州のそばパスタほんのりそば味で、そば粉配合率は企業秘密とのこと五家宝実演販売中2つのイベントを回って、アンケートに答えたり、くじ引きに当たったり。いろいろいただきものをしちゃいました。来年も行ってしまいそうです。本日のいただきもの種子島のむらさき芋、あじの丸干し、黒糖焼酎、すみれの花・・・
2004年11月28日
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【追記】出かけようと思ってドアを開けたら、アパートの廊下が全面ペンキ塗り立てでした。出られない・・・。工事のおじさんに声をかけたら、「あれ、いたの」って。橋を渡してもらってなんとか出られましたが、土曜の昼間はいるだろう、普通。道理で時間指定の宅急便が届かないわけですよ・・・。-------------------------------------------------------新木場のイベントに行きました。【出演者】ダンディ坂野SHIRO THE GOODMANオールタイチモユニジュモ(イルリメ)劇団ひとりAFRADokakaカンニングナタリー・ワイズfeaturingハルカリスチャダラパー笑い×音楽のイベントらしいです。”ヒューマンビートボックス”AFRAはよかったですね。スチャダラパーのBOSEが、最近若い人に「以前聴いてました」と言われることが多いらしくて、「90年代イジメだよ」と言ってました。
2004年11月27日
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高田渡ライブ@高井戸地域区民センターに行きました。なんと、先着300名無料のコンサートです。以下「広報すぎなみ」より抜粋。-----------------------------------------------------「時代を超えたフォークシンガー高田渡コンサート」1960年代後半から社会派フォークシンガーとして活躍し、最近特に再評価されている「伝説の人・高田渡」が贈るコンサートです。曲目=「鉱夫の祈り」「自転車に乗って」「リンゴの花咲く町」ほか出演=高田渡とその仲間たち-----------------------------------------------------開場の30分前に行くと、すでに長蛇の列が出来ていました。客層はオトナ世代と若者半々くらい。会場は、区民センター内の中学校の体育館のようなところでした。手作り感溢れる仕切りです。わりと前のほうの席に座って開始を待ちました。すると、前説で出てきた関西弁のおじさんが、よくみると春一番の仕掛人、福岡風太さんでした。お体を心配してたので、姿が見えてうれしい。わざわざこの日のために関西からいらしたのでしょうか。先に書いておくと、わたしは今日、ライブ専用メガネを忘れました。それでもって、撮影OKなのにカメラの電池が切れました。前座で、アフリカっぽい民族楽器の演奏が15分ほどあったんですが、よく見えなくてなんだか分かりませんでした。その後に、スーツを着た区民センター長が、上記の広報のような説明と挨拶。本人を目の前に伝説、って言ってるので会場から笑いが漏れました。そしていよいよ高田渡さんが登場。「その仲間たち」1は佐久間順平さんでした。風太さんがかいがいしく世話を焼きます。---【曲目】仕事探しスキンシップブルースハッピーニューイヤーブルース秋の夜の会話コーヒーブルース朝日楼アイスクリーム鮪に鰯あきらめ節しらみの歌魚釣りブルース---「その仲間たち」2の佐藤GWAN博さん登場、渡さんは楽屋へ。1曲目曲名不明青空ブスのブルースたんぽぽのお酒ほんの小さな歌---再び渡さん登場。鎮静剤ひまわりトンネルの歌相子酒が飲みたい夜はブラザー軒風夕暮れ生活の柄くつが一足あったなら---2時間、充実のライブでした。渡さんは、あんまりしゃべってないからなかなか時間が進まないよ、とボヤきながらたくさん歌ってくれました。佐久間順平さんは、ギターにバイオリン、マンドリンと自在に楽器をあやつってサポート。以下、渡さん節で読んでくださいませ、本人による曲解説です。告知にあった曲は1曲も歌わなかったんですけどね。昼間っからこの歌を歌うんですよ、といいつつ「スキンシップブルース」。「コーヒーブルース」では、お店で出されたコーヒーに、店員の目を盗んで近くに置いてあった焼酎を注いだ話を披露。20歳の頃は、コーヒーばかり飲んで酒なんか飲まなかったけど今はね・・・、だそうです。ある番組で「あさひさくら」と紹介されてしまった「朝日楼」。「ソフトクリーム」とリクエストが入った「アイスクリーム」。日本人の気質をよく表したという「あきらめ節」。「しらみの歌」では、歌いだしてから途中でやめて、一番前の席の人に、一緒に歌うような歌じゃないから、って注意。会場静かにウケる。佐藤GWAN博さんは、渡も休まなきゃいけないからね、といいつつ5曲。100人に一人は興味持ってくれるかなと思って、CD3枚持ってきたそうです。「ブスのブルース」は桃井かおりさんのために作ったそうな。NHKではたったひとつの言葉がひっかかって歌えなくなる、と話してから次の「相子」へ。最近養命酒のCMで歌っている渡さんですが、大量の養命酒が送られてきたけど、全く飲まないらしい。でも、「養命酒の原料」の焼酎一斗樽が送られてきたのはすごく嬉しかったそうな。おーい、買ってきて、って言わなきゃならないところを、玄関に置いといて蛇口をひねればいいからね、と本当に嬉しそうにニッコリ。そして、「酒が飲みたい夜は」。最近の仙台「ブラザー軒」は、大きなビルになってしまって違うので、誘われたけど行かないそうです。順平さんが弾くヴァイオリンの美しい音に載せて歌う、渡さんの「夕暮れ」はとてもよかった。渡さんの1年のスケジュールは、ライブと入院の合間にいせやだそうです。でも、年末ジャンボを買ってこんな仕事はもうやめる、とひとくさり。死んだら葬式はせず、釜を持ってるお兄さんのところで1200度で焼いてもらって終わりがいいそうです。最近、焼き鳥屋で見ないね、と言われるけど誰も行方を知らない。そして、「生活の柄」を歌うのでした。いちいち引っ込むのがいやだから、と言って、3人揃ってラストの「くつが一足あったなら」でライブは終了。外へ出ると、ちょうど夕暮れ時になっていました。今日は、真っ赤な夕陽が出ていました。
2004年11月21日
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2004年11月18日
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八重山では、様々な種類のみるくさまを見かけます。同じみるくさまと言っても、島や集落ごとに若干違うようです。竹富島で石垣島で「みるく」は「弥勒」が沖縄方言に変化したものです。弥勒は、釈迦入滅後56億7千万年後にこの世に出現し、釈迦仏が救済しきれなかった衆生を救う来訪仏とされ、弥勒信仰は、大乗仏教と共に中国経由日本にも伝わりました。 それが、元々沖縄にあった、海の彼方にあって神々が住むという楽土「ニライカナイ」信仰と結びつきました。そしてみるくさまは、年に一度、楽土からみるく世をのせた神船に乗ってやってきて、五穀豊穣をもたらす神と考えられるようになりました。なお、波照間のパイパティローマ、与那国のはいどなんもニライカナイ信仰に類します。 ↓経緯はこちらに詳しいミルク面とミロク信仰パイパティローマ 楽園の島は何処だったのか?---「弥勒節」大国ぬ弥勒 我が島にいもち御掛き欲せみしょり 島ぬ主 サンサン グヤーサーサーサー弥勒世やいもち 遊ばばん遊び踊らばん踊り御免しでむぬサンサン グヤーサーサーサー弥勒世ぬしるし 十日越しぬ夜雨掛きぐさいみしょり 御代ぬ記しサンサン グヤーサーサーサー「やらよう節」ヨウ ヤラヨウ今日ぬ日ぬ さにしゃやヤラヨウ ヤラヨウ黄金日ぬ さにしゃやヤラヨウ ヤラヨウ---<大意>「弥勒節」大国の弥勒が我が島に参られましたどうかゆっくりと御逗留ください弥勒世がやってきて、遊ぶときは遊び、踊るときは踊りましょう御許しも出ましたから弥勒世のしるしは 十日越しの恵みの夜降る雨 どうぞ御世のしるしを示してください「やらよう節」今日の日の嬉しさは黄金の日の嬉しさです※二揚げの曲です---竹富島種子取祭では、弥勒節の歌に促されて、みるくさまが大勢のこどもたちを引き連れて現れます。そしてシーザ(先輩=二才)4人によるシーザ踊りが奉納されて、「やらよう節」で退場します。みるくさまは、八重山では子だくさんのお母さんでもあるのです。竹富島種子取祭で携帯に着信すると目が光るんですよ・・・<参考>「八重山古典民謡工工四 上巻」 「琉球列島島うた紀行 第二集 八重山諸島・宮古列島」仲宗根幸市編著 琉球新報カルチャーセンター発行 「竹富島文庫1 種子取祭」狩俣恵一著 NPO法人たきどぅん発行
2004年11月17日
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【11月10日】この日は、波照間港から石垣港に戻りました。海は荒れていて、椅子からこぼれるほどに船は揺れました。石垣空港から直行便に乗ると、羽田はとても近くて、あっという間に着いてしまいました。こうして、波照間行きは終わりました。---波照間の空駐在所で見かけたポスター民家の壁には南ちゃんが・・・数少ない売店と商店を回り、幻の泡盛「泡波」を探すここにはなかったあった!泡波ミニボトル育てよう土 われらの力で青い波カラスには最南端なんて関係ないはてるま子にゃんこヤギ
2004年11月16日
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【11月9日】この日の朝は、あいにくの雨でした。雨が止むのを待つ間、八重山の英雄「オヤケ・アカハチ物語 南風よ吹け」(琉球新報社)の絵本を読んでいました。オヤケアカハチは、重税を課す琉球政府に反旗を翻した、波照間島出身の土豪で、沖縄芝居にも取り上げられています。しばらくして、雨がほとんど上がり、自転車を借りて島一周に行くことにしました。波照間島は、周囲約15Kmの島です。波照間島全景まずは、中心地近くの、オヤケアカハチ生誕の地へ行きました。500年も前にここに住んでいたんですね。オヤケアカハチ生誕の地それから、南下して日本最南端の碑へ向かいました。有人島では、波照間島が日本最南端に位置します。わたしはここに、ずっと来てみたかった。曇り空がだんだん明るくなってきました。海が見えた!日本最南端の碑波照間の碑雲の切れ間から、海面に光が差していました。波照間の南にあるという、理想郷「パイパティローマ」だったらいいなあ、と思いました。さらに南のはしっこのはしっこに行ってみたくて、断崖ぎりぎりまで降りてみました。足元を覗き込むと、激しく波が打ち寄せています。ここで、しばらく、海を眺めていました。それから、波照間一周道路に沿って、反時計回りに北上しました。星空観測タワーが見えます。夜、ここに星を見に来ることにしました。波照間空港は、1日1便。中に入ると、がらーんとしていました。そこから先は、建物もなくずーっと人の姿が見えません。地図を見ても目印は牛、なのです。自転車を漕いでも漕いでも、さとうきび畑が続くだけ。すっかり晴れて、気温が上がり、夏の気候になりました。牛とヤギだけさとうきび畑、ざわわ、ざわわ風にそよぐ音に包まれるそのうちに、さとうきびの間に人影が見えました。すれちがいざま挨拶すると、その人はまっ黒に日焼けして、なぜか片手にギターだけ持って歩いていました。畑の向こうに海シムズケー井戸は、昔、干ばつ時に、赤牛が探し当てて村人を救ったという伝説を持つ。今は集落がなくなり、近くに貯水池がありました。シムズケー井戸ぶりぶち公園は、下田原城跡を公園にしたもの。今は、公園さえも跡になっているよう。ぶりぶち公園一旦、島の中心部に戻ってうっちん茶を仕入れてから、ふたたび島一周の続きに出ました。ニシハマビーチは、白い砂にきれいなブルーの海でした。ニシ、とは波照間では北のこと。東西南北は、あり、いり、ぺー、にし、らしい。青いこんなきれいな浜で殺人事件があったなんて水着で泳いでいる人もいたくらい暖かいビーサンで波に足を浸すと気持ちいいここで、ごろんと横になってお昼寝をしました。空を見上げる海に落ちる夕陽を見たくて、ペー浜(西にある浜)に向かいました。ちょっと不思議な光景街路樹に巨大なアダンの実けれども、浜への入口が見つかりません。かなり南のほうまで行ったりきたりしましたが、分からない。途方にくれていると、原チャリに乗った長い白髪のおじさんが見えました。道を尋ねると、おじさんは、ついておいで、と途中まで案内してくれました。そして、おじさんは、さわやかに去って行きました。せっかく教えてくれたのですが、見ると非常に暗く細い道で、距離も長いとのことなので、浜に出るのはあきらめました。波照間港に向かいました。陽は防波堤の向こうにゆっくりと落ちていきました。そうして、島一周は終わりました。愛車日が暮れたあと、星空観測タワーに行きました。道はもう真っ暗なので、宿が送迎サービスをしてくれます。心配していた雲はほとんど晴れて、本当に満天の星空です。天体観測ドームに上がると、200mm屈折式天体望遠鏡で、係りのお兄さんが星を見せてくれました。M31星雲、おうし座近くの二重星、夏の大三角形・・・。肉眼で昴も見えました。12月から6月の間は南十字星が観測できるといいます。これだけ澄んだ空だったら、とてもきれいに見えるでしょう。星空を見ている間に、天の川の位置が動いたのが分かりました。
2004年11月15日
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【11月8日】竹富島種子取祭奉納芸能2日目。今日も晴れ前日の玻座間村に続いて、この日は仲筋村の奉納芸能日です。弥勒起こしから始まる1日の流れは、だいたい前日と同じです。演目は、庭の芸能は玻座間村と同じで、舞台の芸能は1部重なるものがありました。多数ある中から選出されるので、毎年全く同じにはなりません。会場の世持御嶽請福酒造が、泡盛の試飲を大盤振る舞いしていた<仲筋村の奉納芸能>・庭の芸能棒、太鼓、マミドー、ジッチュ、マサカイ、祝種子取、ウディ棒、馬ヌシャ・舞台の芸能1.長者2.弥勒3.シドゥリャニ4.かぎやで風5.夜雨節6.竹富節7.天人8.たのりゃ9.世果報10.仲筋ぬぬべーま11.種子蒔12.揚作田節13.蔵ぬ花14.赤またー節15.仲良田節16.揚古見ぬ浦17.父子忠臣18.扇子舞19.大浦越路20.高那節21.夏花22.畑屋ぬ願い23.江差節24.崎山節25.する掬い26.かたみ節27.海上節28.鬼捕り出番待ち---<庭の芸能>「棒」種子取祭を始めるにあたっての清めの位置づけらしい2人ずつ5番棒までの戦いの演技がある「太鼓」竹富小中学校関係者による衣装は沖縄のものではなく羽織袴「マミドー」「真栄」「祝種子取」「ウディ棒」「馬ヌシャ」<庭の芸能>「弥勒節」弥勒さま、今日もいっぱいこども連れてるシーザ踊りシュワッチ出番終了「シドゥリャニ」仲筋村の現在の長老4人が、種子取祭で豊作の祈願をする、という設定「たのりゃ」曲は「タラクジ節」、「大原越路節」粟の種蒔きの様子「仲筋ぬぬべーま」仲筋村のヌベマという娘が、水瓶と苧麻の種子のために新城島に嫁いだその娘を思い、ンブフルの丘に登って新城島を眺めた悲しい母の歌まさにこの村で生まれた歌「揚作田節」「蔵ぬ花」祭り半ばでしたが、石垣発波照間行きの船に乗るため、竹富島をあとにしました。竹富島は、据えた盆のような形をしていることから、「しきた盆」と歌われています。さようなら、しきた盆---石垣港から波照間港まで船で約1時間。この日の海は穏やかで船は揺れませんでした。波照間島は、日本最南端の有人島です。島の周りは珊瑚礁に囲まれ、12月~6月までは南十字星が見えるといいます。「波照間」とは、果てのうるま(珊瑚礁)の意味です。人口は600人弱で、面積は12.77Km。わたしは、ずっとこの島に来てみたかった。---波照間港から島の中心地に向かいます。小学校、中学校や公民館、郵便局などがあります。中心地といっても人通りはあまりなく静かでした。島の中心地散策に出かけました。波照間派出所の外装には日本地図が描いてあって、一番南端、波照間のところが赤く塗られていました。このときはだれもいなくて、「季刊最南端駐在平成16年夏号」が置いてありました。そこには「港で友人を見送るときは、海に飛び込まないようにしましょう」と書いてありました。波照間駐在所藩制のころの火番所の跡、コート盛に登ってみました。コート盛北に、西表島が見える西の空に夕焼け風車がくるくるとまわる東京よりもずっと遅く、6時半くらいまで空が色づいていました。遠くへ来た気が、少ししました。けれど島の夜は早く、日が暮れると、あたりは真っ暗になりました。
2004年11月14日
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【11月7日】竹富島種子取祭奉納芸能初日。種子取祭は、1977年に国の重要無形文化財に指定されました。毎年、新暦10月~11月の干支「甲申~壬辰」までの9日間開催されます。この時は、普段人口300人強の竹富島に、大勢の観光客と報道陣が集います。甲申の初日は、奉納芸能の練習開始日。最も盛り上がるのは庚寅の7日目、玻座間村の奉納芸能日と、辛卯の8日目、仲筋村の奉納芸能日です。会場は、世持御嶽です。<1日の流れ>午前5時半頃 神司による祈願。 東側の弥勒奉安殿で、担当家の当主や古老たちによる「弥勒起こし」の儀式。午前6時頃 世持御嶽の特設舞台で「歓待」の儀式。午前8時頃 世乞い歌を歌いながら、集落の責任者である主事宅訪問する「参詣」。午前10時頃 参詣の集団が世持御嶽に帰ってきたら、その広場で迎えがあり、「庭の芸能」が奉納される。午前11時頃 特設の舞台で舞踊と狂言の「舞台の芸能」が始まる。午後5時頃 舞台の芸能終了後、神前でイバンカミの儀式。 続いて夜通しの世乞いが始まる。 3集落に分かれた世乞い集団は、生年(年男・年女)の家や、決められた家を回る。 家々では、塩、タコとニンニクの和え物、泡盛などをふるまう。<玻座間村の奉納プログラム>・庭の芸能棒、太鼓、マミドー、ジッチュ、マサカイ、祝種子取、ウディ棒、馬ヌシャ・舞台の芸能1.長者2.弥勒3.神司スー踊い4.鍛冶工5.赤馬節6.八重山上り口説7.組頭8.ササラ銭太鼓9.大浦越路節10.世持11.鳩間節12.元タラクジ13.世曳14.胡蝶の舞15.鶴亀節16.かたみ節17.下原節18.伏山敵討19.祝種子取20.夜雨節21.竹富育ち22.布織ユンタ23.むりか星24.ペーク漫遊記25.しきた盆26.早口説27.種子取節28.ガイジンナー29.安里屋節30.鳩間節31.真栄節32.長刀33.竹富口説34.曽我兄弟---<弥勒起こし>まだ暗い中、朝5時半からの弥勒起こしを見に行きました。奥が弥勒奉安殿で、弥勒さまのお顔が見えます。弥勒起こし起きた弥勒さま歓待の儀式奥の壇上に司たちが見える夜が明ける<庭の芸能>庭で集団演技と舞踊が行われる。「マミドー」働き者の女性のゆんた鎌や鍬、ヘラで労働する様が織り込まれている「ジッチュ」人頭税に苦しみながらも10人の子を育てる夫婦が、琉球国王に表彰されて喜ぶ様貧しいゆえ片袖の着物、という設定「マサカイ」人頭税時代、人口増加に伴って強制移住させられることがあった移住希望者がほとんどいない中、自ら希望した「真栄」の歌「祝種子取」石垣種子取郷友会50余名による道歌、安里屋ユンタ、クイチャーで構成される「ウディ棒」空手を取り入れた力比べの戦いを、女性が演じる様がコミカル「馬ヌシャ」腹にはりぼての馬をくくりつけて踊る<舞台の芸能>「長者」「村の父」が豊作の祈願をし、芸能の開始を宣言する「弥勒節」弥勒さま登場!!こどもたちをいっぱいひきつれて弥勒さま大好き「沖縄の弥勒信仰は、ニライカナイ信仰と習合して、海の彼方の楽土から世(豊作・富)を運んでくる五穀豊穣の神と考えられており、八重山の弥勒神は安南から伝来したという。」~「竹富島文庫1 種子取祭」より~「赤馬節」「祝種子取」島出身の功労者表彰もある「ササラ銭太鼓」銭で楽器をつくってる「鳩間節」「元タラクジ」曲は、元タラクジ節、クイガマ節太郎叔父と姪のカマドマの悲しい物語「胡蝶の舞」舞台裏では化粧に大忙し「伏山敵討」チャンチャンバラバラ、客席は大喝采「夜雨節」波照間の歌途中、コンドイビーチまで散歩に出かけました。白砂のビーチに寝っころがって、オリオンを飲んでいたら、知らないオジサンが写真を撮っていきました。---舞台の芸能が終わると、世乞いが始まります。わたしは、世乞いに参加する前に腹ごしらえ。写真左下は、祭の主食「イイヤチ」です。もち米ともち粟、あずきを入れて煮、練ったもち飯。飯自体は薄味で、味ノリをまくと意外と合う。祭り会場でも販売していました。これにアサリとアーサーの汁が祭の膳とのことです。---<世乞い>世持御嶽から出発し、まず種子取祭を戊子の日に定めた「根原家」へ向かいます。各家々を回るときの手順は、以下の通り。「道歌」を歌いながら家へ向かう。門を入ったら、「巻歌」を歌いながらぐるぐる回る。家の前で、迎えの集団が待ち構えている東西に別れ向かい合って「しきどうよう」を歌う。両集団が押したり引いたりしながら「ガーリー」を行う。当主や生年の人などを胴上げする。座敷に上がって、神司の祈願、神棚に向かって二礼二拍一礼を2回。このとき、上座から、1番座、2番座、3番座の順で関係者~観光客が座る。神棚に向かって座る塩、お神酒(泡盛)、酒の肴が順番に回される。肴は、タコとニンニクの和え物。泡盛が回ってくるこれがタコニンニクだ!!「稲が種子アヨー」、「根下りユンタ」を歌う。ユンタは、21番まで歌うが、基本的に奇数が男性、偶数は女性。最後に、当主の挨拶があって終了です。これを、夜通し何軒も繰り返します。タコニンニクの他に、ゴージャスなお宅だと、そば、みかん、ジューシーかまぼこなどもふるまわれます。ジューシーかまぼこかまぼこの中身が炊き込みご飯で、おいしい">歌う、踊る、泡盛、タコニンニク、を繰り返しているうちに体が熱くなります。終わるのは午前3時になるときもあり、翌日の弥勒起こしがまた午前5時半からですから、全て参加すると、ほとんど寝る時間はないと思います。それを乗り切るためのカンフル剤状態ですね。翌日は、自分では麻痺してるんですが、島中がニンニクの匂いであふれます。それにしても、客は「世」を運ぶ、と言って、見ず知らずの観光客まで大勢家に上げて、酒肴をふるまう人々の懐の広さ。そばなんて300食は作ったらしいです。あるお宅では、挨拶で、世界遺産登録を目指してNPO法人を作ったこと、竹富のよさを残しつつ、この島をもっと知ってほしいことを力説していました。
2004年11月13日
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【11月6日】まず、バスで石垣島の名蔵湾方面に向かいました。目的地は、八重山民謡「あんぱるぬみだがま」の舞台となった網張干潟です。新聞で調べると、この日の干潮は午前8:16。それに合わせて行くと、見事に干潟が現れていました。あんぱる干潟---「あんぱるぬみだがま」あんぱるぬ ウリ みだがまでんど ハイヘマタハイヘ マタハイヘマタハイヤーヌカヌスィ潮や干しゃ ウリ 下ぬ家かい ハイヘマタハイヘ マタハイヘ下ぬ家や ウリ 瓦葺でんどぅ ハイヘマタハイヘ マタハイヘマタハイヤーヌカヌスィ潮や満ちゃ ウリ 上ぬ家かいハイヘ---「あんぱるぬみだがま」とは、網張の目高蟹という意味で、これはその生態をおもしろおかしく歌ったゆんたです。名蔵湾に面している保護色になってる蟹ちょっとちいさいけど「あんぱるぬみだがま」かなビニールを持った人たちが、潮干狩りをしていました。どうやらアサリを獲ってるようです。アサリ?散歩にもきてる犬の名前はジョン気がつくと、干潟がちいさくなっていました。潮が満ちてきたようです。それから、すぐ近くの八重山民俗園に行ってみました。赤瓦の家や海人の家が移築再現され、八重山の民俗文化が紹介されています。園内に入って散策。三線の音に誘われて赤瓦の家をのぞくと、弥勒さまがお出迎え。弥勒さまどこの集落のものがモチーフなんだろう中では、ミニ舞踊教室などを行っていました。三線も弾いてくれたので、リクエストをお願いしちゃいました。曲はもちろん「あんぱるぬみだがま」と、「船越節」、「まやゆんた」です。やっぱり三線は赤瓦の家になじむ庭には八重山黒木が生えていました。最高級の三線の材料になりますが、最近ではめったにありません。八重山黒木オオタニワタリ前夜、チャンプルーで食べたものの正体はコレやわらかくゼンマイ状に巻き巻きした部分を食べたシダ植物らしいなぜかボリビアリスザル・パークもありました。ちっちゃくってわらわらと肩にはいのぼってきます。わたしのカバンの上に乗って、フタをめくって中をのぞいてました。そこにエサはないよ・・・。リスザル市街地に戻って、新栄公園に向かいました。ちょうど11月6日、7日の日程で石垣島まつりが行われていると聞いたからです。今年から八重山産業まつり&石垣島まつりが合体したとのこと。ちなみに、ここはとぅばらーま大会の会場となるところです。八重山産業まつり&石垣島まつりがらーん・・・なんというか、手作り感いっぱいの学祭的屋台が出てます。なぜか野球部関連の組織が多い。石中野球部父母の会オヤケアカハチは波照間出身の八重山の英雄売り物は、豚汁ならぬ牛汁や、牛そば、やきそばなど。牛そばは具がたっぷりで、出汁が効いてておいしゅうございました。牛そば翌日にはミヤギマモル氏のライブや打ち上げ花火があったらしい。---ここで友人と合流して、竹富島に渡りました。石垣から船で10分ほどと近い位置にあります。竹富島といえば、赤瓦の屋根、白砂の道、黒い石塀が美しい。花咲く白砂の道赤瓦の家ひさしぶりに訪れた竹富島は、港湾施設など立派なハコものができていました。後で聞くと、西表島と併せての世界遺産登録を目指して、NPO法人もつくったらしい。西桟橋の夕焼けがきれい島随一のデートスポット宿の夕飯刺身はわたしたちと同じ船で届いた冬瓜の煮物がおいしい翌日からは、芸能の島竹富島の最大の行事、種子取祭の芸能が始まります。この日は、島のあちこちで稽古が行われていて、その音は夜遅くまで聴こえていました。会場となる世持御嶽での稽古ビジターセンターで竹富小中学校の人たち集会所で夜中まで続く
2004年11月12日
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旅行期間:2004年11月5日~10日旅行場所:沖縄県石垣市、竹富島、波照間島芸能の島、竹富島の種子取祭を3年ぶり3回目に訪れました。沖縄へはだいたい年1回行きますが、毎回なるべく行ったことのない島を加えます。八重山諸島では、石垣島を起点に船や飛行機で他の離島へ移動します。今回は、あこがれの波照間島にも行くことにしました。---【11月5日】羽田から那覇経由石垣空港へ。修学旅行生が、飛行機に大ハシャギしていて元気です。那覇での待ち時間、景気付けに早速オリオンビールを飲みました。石垣に入って、まず宿に荷物を置きました。とっても居心地が良いので気に入っている宿です。スコールでも窓なんか閉めないガラス瓶の中のグッピーは、いつか逃げ出せるかもあやぱにモールをぶらり。腹ごしらえは八重山そばで。それから、バスで宮良集落へ向かいました。去年も行きましたが、宮良橋節と赤馬節の舞台となったところです。---「宮良橋節」仲尾次主ぬ御蔭に 宮良大川や宝橋かきてぃ 見事でむぬ※テンヨウテンヨウ シトウルトウテン宝橋上から 通ゆる人々や目眉打ち晴りてぃ 笑いふくい※くりかえし橋ぬ蔭徳や 百果報どぅみせるながらやい給り 幾世までん※くりかえし---仲尾次主により、宮良川に素晴らしい橋がかかったことを讃える歌です。ここに自生するマングローブは、国の天然記念物に指定されています。面白い形で生命力に溢れています。宮良橋今では普通のコンクリ橋宮良川宮良湾に面しているマングローブがびっしりと今にも歩き出しそう根っこも夜中に歩いてそうはぜもぴょんぴょん赤馬の碑に向かって歩き出すと、陽がさしてきました。---「赤馬節」いらさにしゃヨウ 今日ぬ日ヒヤルガヒどぅくぃさにしゃヨウ 黄金日ヨウハリヌヒヤルガヒ我ん産でぃるヨウ 今日だらヒヤルガヒ羽むいるヨウ たきだらヨウハリヌヒヤルガヒ---宴の座開きに歌われる祝い歌。八重山にいた赤毛の駿馬が、琉球政府に召し上げられましたが、悲しみにくれる飼い主の下へ、返還されたことを祝った歌です。赤馬の碑集落の中心に向かって歩きました。小浜御嶽は、幻想的で気に入ってます。次の御嶽の木もたくましいあやぱにモールに戻って、食堂で沖縄料理に舌鼓を打つ。どれをとってもおいしく、オリオンにピッタリでした。右から時計回りに、ナーベラーチャンプルー(へちま)、イカスミチャーハン、島豆腐のニンニク揚げオオタニワタリのチャンプルーモズクの天ぷらこの後、一旦宿へ帰ってから民謡酒場に行こうとしましたが、あいにくの雨が降ってきました。夜雨は朝まで降り続き、出かけるのをあきらめました。
2004年11月11日
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波照間を後に石垣へ。昨日とはうってかわり快晴、29度になるそうです。夏だわ。帰りの船は揺れに揺れました。石垣から、宮古島経由で羽田へ向かいます。羽田到着 (PM 04:12)宮古では給油だけだったので、たった30分しかいませんでした。言葉も歌も八重山と違うので、ゆっくり来てみたいものです。羽田は、寒いし、四時なのに夕陽です。昨日までは六時でした。帰宅 (PM 06:07)あっという間に家へ着いちゃいました。工事は終わっている模様。とりあえず、おそば食べたいな。これにて、八重山旅リアルタイム更新は終了です。
2004年11月10日
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今、最南端の岬にいます。雲の切れ間から海に射す光が、南海の彼方にあるという、パイパティローマに見えます。島一周 (PM 12:43)ただ今、チャリで島一周中。周囲約15Km。波照間空港は無人状態です。この先、地図には、ウシって書いてあります…。島一周2 (PM 12:54)人がいません。でもこの島はスローガンが好きみたいで、石碑や看板は点々とあります。ここには、「育てよう土、われらの力で」と書いてあります。下田原城跡 (PM 01:23)城跡がぶりぶち公園になっているのですが、今や公園も跡になっている模様。幻の泡盛 (PM 01:46)泡波入手!波照間でもたまにしか手に入らないという泡盛です。わたしも一舐めしかしたことないのでうれしいなあ。ざわわ、ざわわ (PM 03:03)ずーっとさとうきび畑です。ビーチでおひるね (PM 03:46)海はエメラルドグリーンです。波照間港の夕陽 (PM 06:04)夕陽を眺めて、島一周は完了しました。結構キツかったです。星空観測タワー (PM 10:15)200ミリ天体望遠鏡で、M31星雲や、おうし座近くの二重星を見せてもらう。観測ドームの屋根が、見たい方向へロボットのように開く。街灯がなく満天の星空。朝方スコールが降り、しばらく曇っていたが、晴れてよかった。流れ星がひとつ、見えました。
2004年11月09日
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昨夜は、世果報を願う踊り行列、世乞いに参加。歌う→踊る→たこにんにく→泡盛を何時間も繰り返しているうちに、訳分からなくなります。たこにんにくは、お邪魔した家々でふるまわれます。段々からだが熱くなる、ドーピング状態です。こうして二日間寝ないで乗り切るのでしょう…。仲筋集落 (PM 02:04)今日は仲筋集落の奉納日。先生の出身地で、習う歌もここのものがあります。やはり本場で聴けるのはうれしい。波照間入り (PM 05:39)友人と別れ、日本最南端の有人島波照間にやってきました。今、風に吹かれながら夕陽を眺めています。しずかな夜 (PM 10:50)日没後は、島の中心地でも、闇が濃く静かです。昨夜の祭の喧騒とは対照的です。
2004年11月08日
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まだ暗い朝五時半の弥勒起しで、奉納芸能の二日間が始まる。庭の芸能に続いて、ただ今、玻座間部落の舞台中。こちらはよく晴れて暑いです。コンドイビーチ (PM 04:30)遠く民謡を聴きながら、白浜のコンドイビーチでオリオンを飲んでいます。世乞い (PM 06:10)奉納芸能終了。これから、各戸を繁栄祈願しながら夜通し回る踊り行列です。一般人も参加OKなので、行ってきます!
2004年11月07日
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干潮を狙ってあんぱる干潟にきました。みだがーまの歌をかけあいしてみました。石垣島まつり (PM 01:15)新栄公園でお祭り。出店が、八重高野球部父母の会とか文化祭チックです。豚汁ならぬ牛そばうまし。竹富島入り (PM 03:05)友人と落ち合い、竹富島入り。西桟橋で (PM 05:12)夕陽を見ています。庭の芸能 (PM 05:31)島中で、明日からの種子取祭の稽古をしています。リハーサル (PM 11:06)夜中まで続く。でも明日は朝5時半から神事弥勒起しです…。
2004年11月06日
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羽田から那覇に入りました。これから石垣へ向かいます。修学旅行生がいっぱいです。いいなあ、学校で来れて。待ち時間 (PM 12:49)景気付けにオリオンを飲んでます。石垣到着 (PM 02:16)気温24度。宮良集落にて (PM 09:40)民謡スポットをめぐり、島料理を堪能してから一旦宿に帰る。今、スコールが降り始めました。この分だと民謡酒場には行けないかな。
2004年11月05日
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トルコから帰ったばかりでなんですが、明日から八重山諸島へ行ってきます。ひさしぶりに竹富島の種子取祭を見てこようと思います。多分メール更新ができるので、リアルタイム更新しますね。
2004年11月04日
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トルコ旅行中は、広い国土を毎日数百キロのバス移動をしていました。その間にトルコ人ガイドF氏は、様々な話を聞かせてくれました。トルコの情勢、文化風俗、自分の家族のこと、こどもの頃のこと。民族舞踊を学び、首都アンカラ大学で経済学を修めたという、彼の話は広範囲に渡っていて、エーゲ海・シルクロードと車窓からの眺めも美しく、長丁場も楽しく過ごせました。以下に、メモした話を少し書かせていただこうと思います。点線で囲まれた部分、写真下及び括弧内はわたしのコメントです。車窓からの綿花畑<基礎知識>・農業人口が40%を占める農業国で、自給自足 特産物は、綿花、砂糖大根、じゃがいも、さくらんぼ他 EUに加盟が実現した際には、八百屋的役割を担う・EUに加盟するために政治制度改革を進めている・新義務教育制度は5・3・3の11年で、公立なら無料・イスラム圏では最初の1930年代から、女性に参政権がある・イスラム教徒が99%、そのうちシーア派35%、スンニ派65%・男性は、18歳から18ヶ月の兵役義務がある 学生・外国居住者は35歳まで延期でき、学生は8ヶ月、外国居住者は1ヶ月に短縮できる・1999年に発生した2度の大地震で死者約2万人・観光客年間1400万人、うち日本人は8万人→詳細労働事情はこちらトルコ国旗10月29日は共和国記念日だった<イスラム教>---毎日、各地で早朝から礼拝の刻限を知らせるアザーンが聴こえてきました。ちょうど断食月だったので、日中は飲まず食わずで木陰に座る男性たちなどを見かけました。F氏はシーア派なので、この時期は断食せず、別途12日間行うそうです。以下にはその見地からの話があるかもしれません。---コーランの解釈は十人十色で、国によっても違う。トルコのイスラム教はソフトなので、他国から認められていない。イスラム教は最後にでてきた宗教だからソフトで簡単。・五行1:何かするとき唯一神アッラーの名を呼ぶ(信仰告白のことか)2:礼拝は1日5回。砂漠なのでそのつど洗い清める。 5:00~6:00 めざまし、立ったり座ったり朝のスポーツのよう 昼食後 15:00~16:00 昼寝はしないで 夕食後 21:00~22:00 おやすみ3:ラマザン1ヶ月。 正しくは、日中飲食せず、日の入時1回のみパンとオリーブを食べる。 現在は、日の出前と日の入時2回ごちそうを食べるから、食べて寝るので太る。4:喜捨。年一回、財産の1/40。5:巡礼。一生一回サウジのメッカ、カーバ神殿へ巡礼する。 貧しければ免除される。・元々、コーランに書かれていないが、マホメットの模倣か土俗習慣である決まりごと4人妻帯→元々女性を守るため。 戦乱の世は、未亡人が多かったし、女の赤ちゃんは殺したから。女性はスカーフで隠す→コーランには、女性は胸から膝まで、男性は腰からひざまで隠せとしかない。 元々男性のあごひげ同様砂漠生活で身を守るためのもの。 神殿の女性はスカーフをしていた。 現在のトルコでは、公務員・学生はオンタイムのスカーフ着用禁止。アルコール禁止。→当初は飲んでいた。 暑いところで飲んで寝込んだら死ぬこともあるため。豚肉禁止→頭を落としても血が流出しないから腐りやすく、砂漠に適さない。 (ちなみに、F氏は外国では豚肉を食べるそう)朝焼けのブルーモスク<トルコ人の特徴>元々中央アジアから移住した遊牧民。ヨーロッパの気質にアジアの習慣を併せ持つ。(ヨーロッパの気質、について説明はありませんでした)家では靴を脱ぎ、目上の人を敬い、旅人をもてなす。男尊女卑。特に東部はキツく、女性は家から出られない。こどもたちは人なつっこく元気いっぱい<結婚事情>結婚平均年齢は男性22歳、女性18歳。見合が多く、駆け落ちすると女性が殺される。---ある村に通りかかったとき、屋根の上にガラス瓶が置かれていました。その理由は何か、とF氏がクイズを出しました。---答えは、未婚の娘がいる印。結婚したい男は、その家の周りをぐるぐる回り、娘の顔を見る。母親に許可をもらい、ツテを頼ってその家に茶を飲みに行く。娘は、OKなら着飾って出て行き、NGなら普段着。また、OKなら甘くておいしいコーヒーを淹れ、NGなら塩を入れる(!)・伝統的結婚式は夏場の金、土、日の3日間。 何組かで合同結婚式もある。王族は40日間。1日目:(婿側)嫁側とは別々に祝い踊る。嫁側に羊を贈る。 (嫁側)婿側とは別々に祝い踊る。2日目:(婿側)親戚の女性が、嫁側に嫁入り道具を取りに行く。顔を見る。 (嫁側)絨毯、レース編み、飾った新居などを用意する。3日目:(婿側)友人とハマムに行き、床屋で髭を剃る。モスクで祈る。 (嫁側)ヘンナで手を染める。ベールを被る。 そして、婿側が友人と共に踊りながら嫁側に行く。 友人が婿の背中を叩く。 5つのプレゼントを渡す。(5つの中身は聞いてません) あとは2人の世界だそう。ナザール、トルコの魔除けの目玉カッパドキアの街路にも埋め込まれていた以前もらってから気に入っていて、いつも身につけています<ハマム>---蒸し風呂式の共同浴場。イスラム教では体を清潔に保つことは重要。トルコではアカスリサービスが頼めます。ちなみにわたしの母はホテルでチャレンジしましたが、わずか5分で終わりました。あとで聞くと、風呂が壊れていたそうです。---東部では、ハマムは今でも重要な社交場。男性と女性は別々に行く。女性は、普段自由に出かけられないので、ハマムに行く日を楽しみにしている。何日も前から親戚の女性たちなどと約束をし、当日は着飾って出かける。中では、裸のまま1日中過ごし、踊ったりしている。男子禁制だが、7歳までの男のこどもは入ることができる。(F氏も実際母親と一緒に通っていた)母親たちは、ここで息子たちのためにいい娘を品定めする。そしてどこの娘なのか確認し、ツテを作って後日お茶を飲みに行く。(普段、ベールで顔を隠しているが、ここでは裸ですものね・・・) ---その他、いろいろな話を聞くことができました。F氏は、トルコ人は日本人に好意を持っているが、日本人はトルコのことをあまり知らない。だから観光を通して、少しでもトルコのことを知ってほしい、と語りました。トルコと日本の友好の起源、エルトゥールル号事件と山田寅次郎についてはこちら↓エルトゥールル号事件イラン・イラク戦争時に、トルコ政府がテヘランにトルコ航空機を派遣し、在イランの日本人を救出してくれたのは(日本の航空会社が躊躇したのに?)、この事件の恩返しだといいます。わたしは、今回聞くまでこの経緯を知りませんでした。メヴラーナ博物館で、「日本人大好き!」とトルコ語で一生懸命話しかけてくれた、かわいい女の子の顔が思い浮かびます。この旅行中、トルコの人々はわたしにとても良くしてくれました。わたしも、トルコのことが好きになりました。聖母マリアの家では、クリスチャンが祈りを込めて布を結び付けていく レストランの庭にいたニワトリの足に毛が生えていた店員の兄さんが、明日食べる、と冗談を言ってたクモよけにあちこちにダチョウのたまご朝食弁当カッパドキアで気球に乗る前に早朝食べたキュウリがまるごとごろんキャベツが巨大奥のレタスと比べてみるとよく分かる墓ばかりの死者の街の住人は、今ではトカゲだけぴょこぴょことちいさな頭がふたつ→参考文献「イスラームとは何か」小杉泰著、講談社現代新書、1994年
2004年11月01日
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