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<料理>世界3大料理と言われるトルコ料理は、種類が豊富でとてもおいしゅうございました。油が多くて味が濃いので、お口に合わない方もいるようです。野菜や豆料理もたくさんあって、トマトやナスが味が濃い。また、パンが皮はパリパリ中はもっちり♪イスケンデル・ケバブ iskender Kebab甘くないヨーグルトソースで食べるケバブこれは下にパンが引いてあって、ソースがしみてとてもおいしかったトルコピザ Pide舟形のタイプもあるレンズ豆のスープ Mercimek Corbasi街の食堂で左はチキンソテーの下にマッシュポテト右はひよこ豆と牛肉の煮物どちらもとてもおいしかった左上に見えるのはしょっぱいヨーグルトドリンク、アイラン ayran タマネギピラフ Sade Pilavこれがまたおいしい米はおかず扱いらしいトルココーヒー上澄み数cmしか飲めないけれど、おいしいおじさんが専用パンで作ってくれましたアップルチャイ普通のチャイもおいしかった<デザート>ケーキやパイのハチミツ漬けが多くて、なんでもものすごーく甘い。でもそのうち、病みつきになってきました。ドンドルマ Dondurmaトルコ名物のび~るアイス作るときはすごくのびるパフォーマンスをしてくれる食べるときは2~3cmくらいだったかな四角いのはプディングで、他はケーキみんなハチミツ漬け口に入れるとハチミツがじゅわ~としみだす真ん中のを割ってみるとメレンゲ生地の中にナッツがぎっしり焼きライス・プディング Firin Sutlac
2004年10月31日
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【追記】トルコと日本の友好関係についてこれから調べたいと思っているのですが、トルコ在住のturkuvazさんの日記の中で、初の移住者山田寅次郎についてわかりやすい記事がありました。ここにリンクをはらせていただきます。http://tb.plaza.rakuten.co.jp/turkuvaz/diary/200411030000/-------------------------------------------------------さかのぼって10月20日から書き込んでいます。アップしている最新日記はそちらになります。
2004年10月30日
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トルコより成田へ、ただいま到着しました。わたしは元気です。楽しかった旅の報告はまた改めて。アパートが… (PM 02:45)ひさしぶりにアパートへ帰ったら、足場が組まれて外観が変わっている。台風対策で急遽二週間の防水工事中らしい。雨漏りしたんだろうか?すっかり浦島気分です。---この期間に日本ではいろいろ大変なことが起きていたようで、今ニュースを見ながら驚いています。新潟地震のことは第一報だけ聞いてたんですが、これほどとは。いったいどうしちゃったんでしょうか。昔、帰国したらソ連がなくなってた時よりビックリです。
2004年10月29日
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イスタンブール最終日、朝の新市街を散歩してみました。朝のお祈りが終わったあとの街は、やはり9:00くらいから動き出します。念入りにショーウィンドウを磨く商店主たちが、開店の準備をしています。朝の通勤・通学風景モスクの前では、靴磨き屋根の上にノラ猫5匹制服姿のこどもたちはじめ、こどもたちに話しかけると恥ずかしそうにしていたんですが、ともだち同士顔を見合わせると、見る見る間に集まってきてあっという間に20人くらいに囲まれちゃいました。みんな元気いっぱいで、大写真撮影会になりました。あいさつ以外はお互い何言ってるのか分からないけれど、そんなことおかまいなし。そんなに近づいたら撮れないよ~右から2人目のスザナちゃん、かわいかったイスタンブールの足は、バスとアンティークを復活させた路面電車と、地下鉄。地下鉄は始点終点のみのわずか3分。路面電車の中はトルコ音楽がかかっていた<トプカプ宮殿>それから、1460年代建造のトプカプ宮殿へ向かいました。前日見た、ドルマバフチェ宮殿ができるまでの間、オスマン朝支配者の居城として400年栄えたといいます。あまりに広大で、写真には収め切れませんでした。門鮮やかなタイル中央下のモチーフは生命の樹宝物館は撮影禁止ですが、もう、ためいきが出るような財宝ばかり。イスラムの色、緑が珍重されたため、重さ3Kg!!のエメラルドが輝き、86カラットのダイヤモンドは目を疑います。30cmもある宝石箱にぎっしりエメラルドが詰まっていたり、映画「トプカピ」の中で泥棒役のメリナ・メルクーリが盗んだという「トプカプの短剣」もありました。オスマン朝以降、イスタンブールは侵略されたことがないそうで、略奪されることなく残っているのですね。その栄華のほどが偲ばれます。銀食器だってスゴイボスポラス海峡を臨むやはり城は小高い海を臨む丘に建てられるのですね。この日は晴れて、眺めがよかったです。古いエキゾチックな街並みと、人々のひとなつこい笑顔はとても魅力的で、名残惜しかったのですが、イスタンブールを後にして帰途に着いたのでした。
2004年10月28日
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この日は、ヨーロッパ側にある新市街を散策してから、ボスポラス海峡クルーズに出かけることにしました。まずは、ドルマバフチェ宮殿方面に行くためのバスに乗りたい。バスは路線が複雑で、チケット購入に苦戦していたら、新聞売りの兄さんが教えてくれました。やっと希望のバスをつかまえますが、車内放送はないので降りるところがよく分からない。途方にくれていたら、隣にいたロンゲの兄さんが、英語は話せないけれど、といいつつ身振り手振りで教えてくれました。みなさん日本人旅行者に親切です。お互い英語が母国語ではないので、まったくのブロークン(単語を並べただけともいう)だけれども、意思疎通しようという共通認識があればなんとかなるみたい。トルコ語も発音がほぼローマ字読みなので分かりやすい。それこそあいさつを3つくらいしか覚えなかったんですが、向こうは日本人とみれば日本語で「こんにちは」と話しかけてくるし、こちらもつたないトルコ語で笑って話しかければ向こうも笑顔で応えてくれました。若干「アニョハセヨ~」とか言って韓国人と間違われましたけれども。韓国人と結婚したい、とか話しかけてくる人もいて、日本人だ、と答えるとそれでもいい、なんていいかげんな返答もありました。客引きやコネ作り目当ての人もいるので、もちろんそれは要注意です。<ドルマバフチェ宮殿>1843年着工のオスマン朝トルコ最後の居城。大理石をふんだんに使ったバロック様式とオスマン様式の折衷させた宮殿です。ボスポラス海峡に面していて、海上の船からもよく見えました。開門を待つ衛兵6人が行進してきて来て、1人が残り微動だにせず門前に立つ新人なのか、先輩に衣服を直されていたイタリアからの修学旅行のこどもたちも来てる宮殿内は、どの部屋も豪奢なシャンデリアがまばゆい儀礼の間ボスポラス海峡を臨む大理石風呂庶民のわたしはきっと落ち着いて入れないハレムは、入口が意外と地味なのですが、中はやはり豪華絢爛でした。ドアノブが、そろいのピンクの陶製でかわいらしい。<ベシクタシュ>宮殿をあとにして、ボスポラス海峡を行く定期船に乗りに、近くの港に向かいました。しかし、そこでは江利チエミの歌にもあるアジア側の「ウスキュダラ」行きしか出ていなくて、もう数100m先まで海沿いに行った港まで進みました。時刻を確認すると、乗ろうと思っていた船は欠航らしい。次の船まで時間があるので、ベシクタシュの街を散策することにしました。果物市場トルコの果物はみなおいしいけれど、キロ単位の販売なので買えなかったここでは旅行者はあまりみかけませんでした。7-11なんかがある普通の街で、本屋やスーパーに寄ってみました。どこの街でも、市場、本屋、スーパーには入ってみることにしています。スーパーは販売単位が大きく、菓子類はものすごく甘そうでした。本はビニールがかかっていて、トルコ語のハードカバーが多いように見えました。街の食堂では、ランチを食べている人が結構いました。・・・ラマザンは?水だけ注文している女性もいましたけど。カウンターで、おいしそうなひよこ豆の煮込みなどを指差しで注文すると、皮はパリパリ中身はもっちりしたトルコパンがついてきました。<ボスポラス海峡クルーズ>港に戻ると、ウスキュダラ行きを待っている通勤客らしき人がたくさんいました。その船が寄港した後、エミノニュを出港してきたクルーズ船が寄港しました。乗り込む際は、ウスキュダラ行きに一回乗って、その向こうのクルーズ船まで抜けるという、因幡の白兎方式だったのでちょっと驚きでした。あいにく霞がかかっていましたが、船は快調にボスポラス海峡を進みました。マルマラ海から黒海まで、ヨーロッパとアジアの間を約1時間半かけて北上します。チャイをゆっくり飲みながら海風と景色を楽しみます。左がヨーロッパ、右がアジア第2ボスポラス大橋の下をくぐる街並みは西洋のようだけれどモスクが見える終点アナドル・カバァヴ港に近づくと、山の上のほうに城壁が見えました。そこまで上ってみることにしました。遠く城壁がまずは、港で名物サバサンドとムール貝の串揚げを入手。兄さんは、注文を受けると、生のサバを鉄板でジューッと焼き、フランスパン状のパンを割ってキャベツ、タマネギ、トマト、と共にはさみます。それに塩とレモンをたっぷりふりかけました。サバサンドとムール貝の串揚げそしてピクニック気分で城壁を目指すのですが、港に上陸してしまうと城壁が見えない。野生のカンで、アタリをつけて山を登っていきました。途中、木によじ登っているおじさん2人に手招きされました。近づいてみると、いちじくの実をもいでくれました。道を尋ねると、車で送ってくれるという。この道以外にどうやら自動車道が通っているようなのですが、そのまま歩いて進むことにしました。途中からは道なき道となり、手に持ったサバサンドをついついかじって半分くらいになりつつ、ようやく到着しました。城壁に到着中に城跡もあった十字架が見えるかすむ黒海サバサンドは生臭さもなくおいしい。ムール貝は、ビールもってこ~い、というような濃い味。いちじくは皮を剥くと白くて、あま~くおいしゅうございました。ふとみると、足元にサバトラの猫がいて、サバサンドを狙っています。足に飛びつく奴をかわしつつ、ちょこっと分けてやりました。すると、帰り際、ずーっとずーっと追いかけてきました。ゴロゴロとのどを鳴らしてかわいいコでした。帰りの船は、夕陽クルーズとなりました。みるみる夕陽が落ちるトルコでは毎日きれいな朝焼け夕焼けだった旧市街エミノニュ港に着く頃には、すっかり暗くなって、夜景がきれいになっていました。そのまま香辛料のエジプシャン・バザールへ足を伸ばしました。せまい市場通りを車が突っ走っていきます。日没なので店じまいを急いでいるようです。手前が干果、奥がチーズチーズは、多彩な種類があってどれもしょっぱかったスパイス屋ぶら下がっているのはみんな唐辛子それから、新市街までガラタ橋を渡って夜のお散歩です。月が海を照らし、海上には灯りを灯した船が浮かんでいます。ガラタ橋の上では、男性たちがズラーっと並んで釣りに興じていました。橋の中も通れるようになっていて、レストランが軒を並べています。ここでは、テラス席に腰掛けた恋人たちが、海を眺めながら楽しそうに語らっていました。とてもロマンティックな光景でした。ガラタ橋の上から月を見る
2004年10月27日
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イスタンブールは、ボスポラス海峡をはさんでヨーロッパ側とアジア側にまたがっています。そして、ヨーロッパ側は、金角湾をはさんで歴史的建造物が残る旧市街と、商業の中心地である新市街に分かれています。古今東西の文明がまさに融合した不思議な土地となっています。街行く人も、現代的なスーツ姿から長いスカーフに身を包んだ女性まで様々。トルコは他国に比べると、イスラム教の信仰の度合いは比較的ゆるいそう。2004年は10月15日~11月13日までラマザン(断食月)にあたるのですが、この時期、地方からは大都市イスタンブールへ逃げてくる人もいるそうです。また、ガイド氏によれば、断食の意味も変わってきてしまっていて、夜明けから日没まで断食をして飢えを知ったあと、日没から夜明けまでに食事をする楽しみの方に重きを置いている。そのため、ドカ食いをして5Kgも太ってしまう人もいるらしい。旅行者や妊婦などは断食を免除されるため、わたしはこの旅の間に、特に不便を感じることはありませんでした。喫茶店を見ると、男性たちが何も飲まずチェスをしているのはちょっと不思議な光景でした。お店でチャイを配膳してくれた方が、われわれは飲めないんですけどね、と言ってました。ちなみに、ガイド氏はシーア派なので、別の時期に断食するそうです。そんなイスタンブールの街を歩いてみました。<スルタン・アメフットジャミイ:別名ブルーモスク>大きな丸天井のドームに、6本もの尖塔(ミナーレ)をもつモスク。青を基調にしたオスマントルコ朝建築で、1616年の建造です。スケールの大きさに、カメラのフレームに収まりきりませんでした。トルコを代表する眺めだと思う豪奢なステンドグラス、下が祭壇ドーム<アヤソフィア博物館>元々は360年建造、ビザンツ様式のギリシア正教の大本山。1453年にコンスタンティノープルが陥落すると、モスクに改造されました。ステンドグラスの下にメッカの方向を示す祭壇が追加工事されていますが、はじめ間違った方向に向いていたのを修正したため、ズレています。大理石は豊富後年、塗りつぶされた漆喰の下からキリスト像が発見された競馬場跡は、ラマザン期間中、日没を迎えると大勢の人が繰り出してお祭騒ぎになるといいます。屋台の仮設テントがたくさんありますが、昼間はひっそりとしていました。昼間そこで、夜に再び来てみると、本当に大賑わい。ブルーモスクがライトアップされて簡易メリーゴーラウンドがくるくる屋台に明かりが灯るいろいろおいしそうなものがあるので、試してみました。お酒はないので、ザクロジュースを片手に。王道ドネルケバブ熱々チーズが飛び出すクレープわたしは口の中をヤケドしました・・・。クスクスを揚げたもの飴細工どぎつい4色の飴をきれいに巻きつけるパフォーマンスを見せてくれる巨大コーラ昼間、何だか分からなかったが、夜は窓がパカッと開いておじさんがコーラを売ってた焼き栗いったん剥いた実を殻に入れているので食べやすい他にも、民族衣装のコスプレ撮影小屋とか、なぜかゲバラモチーフの指輪があるアクセサリーの屋台、スカーフ屋さんなんていうのもありました。おしゃれのポイントがスカーフなんですね。家族連れは、芝生の上にシートを敷いて、夜のピクニックをしてました。お母さんたちは、このために腕によりをかけてごちそうを作るそうな。わたしたちはこの夜、デザートに焼き栗をホテルに持って帰り、ボスポラス海峡の輝く夜景を見ながらいただきました。
2004年10月26日
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今回、最も楽しみにしていたのはカッパドキアでした。エルジェス山の火山灰と溶岩の堆積物が、風雨にさらされて侵食が進んだ大奇岩地帯です。固い部分が残されて、キノコ岩やラクダ岩など面白い形に見立てられています。この凝灰岩に洞窟を掘り、4世紀ごろからキリスト教の修道士たちが住み始めました。迫害から身を守り、洞窟内に教会を作って天井や壁にフラスコ画を描きました。予定はしていなかったんですが、急遽、気球に乗って上空からカッパドキアを眺めることにしました。気球の飛行は早朝です。朝4:30起きでまだ星がまたたく中、現地に向かいました。気球はまだペッタンコ火が入りました空が白んできて、いよいよ出発です。全部で7つの気球が上がりました。気球は見る見る上昇していきます。早朝の上空は寒いのですが、気球の中は炎にあおられて暖かい。レッドバレー穴が開いている・・・ということは住居だったのか石灰石が削られているのがよく分かる操縦士さんはサービス満点で、発火音で三三七拍子を奏でてくれたり岩と岩の間をスリ抜けて進んだりと思えば下降して木々スレスレに飛んでみたり朝陽が昇る陽が当たりはじめるキノコ岩がニョキニョキ気球はさらに上昇をはじめる。カッパドキア自体が標高1000m以上の地点にありますが、さらにそこから1000m上空にまで上がりました。本末転倒ですが地形図のよう洞窟の街と現在の街が見える早朝の飛行はとても気持ちが良くて、上空からの眺めは壮観で、おりるのがもったいない。けれど、気球はだんだんと高度を下げて、野原に着陸しました。飛行証明書をいただいて、シャンパンで乾杯!次は、地上から奇岩を見て回りました。ラピュタみたい<カイマクル地下都市>地下8階まである、キリスト教徒が隠れ住んだという都市。最大25000人を収容可能だといいます。内部は迷路になっていて、ところどころ落とし穴もあります。この下に地下都市があるとは思えない左下に落とし穴が見える厨房跡がありました。煤は石灰石が吸収するので煙突は作られていません。スパイスを入れていたという石があって、生活感が感じられました。キノコ岩・・・シメジ?ラクダ岩<ギョレメ野外博物館>ここには、30以上の岩窟教会があります。穴がぽこぽこ開いているここに本当に人が住んでいたのか?中に階段が見える・・・住んでいたのか教会の中のフレスコ画は、偶像崇拝を否定するイスラム教徒によって、キリストの顔が石つぶてで削られていました。はじめ、人が住んでいたという実感が湧かなかったのですが、その削られた姿を見たときに、異なる民族による攻防があったことが急に事実として感じられました。ゴリさん・・・勝手に名前をつけてみた洞窟ホテルや洞窟レストランがあって、そこで昼食を取りました。そして、カッパドキアを後にして、首都アンカラへ移動しました。夕景のモスク陽が沈む遠く塩湖が見えるこの時期は干上がっていて塩だけが残るそれから、寝台特急アンカラエキスプレスに乗って、イスタンブールへ向かいました。個室の2段ベットの上で、揺れを意外と心地よく感じながら眠りにつきました。アンカラエクスプレス
2004年10月25日
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この日は、パムッカレからカッパドキアまで、シルクロードをバスで数百キロ突っ走る長丁場。途中、アナトリアの重要都市コンヤや、シルクロード沿いに点在する隊商宿を経由しました。砂漠ではなく、ハゲ山と野原と畑の風景が何時間も続くどこまでもまっすぐ遠くに雲の影が映るだんだん、ちいさなことがどうでもよくなってくる草原の彼方に集落ディナルの街で一休みこれは名物の硬いヨーグルトとハチミツ逆さにしても落ちません風景の中で動くものといえば、ときおり遊牧民の追う羊の群れが立てる土煙くらい。大きな湖に差し掛かったときに、ぼうっと湖面に家々が立ち並ぶのが見えました。蜃気楼だと、教えられました。【コンヤ】古代からの歴史を持つこの街が、最も栄えたのは13世紀ごろ。ルーム・セルジューク朝の首都として、芸術家・建築家・神学者などが集まりました。イスラム神秘主義の一派、旋舞教団メヴレヴィーもこの地で創始されました。年に1回、創始者メヴラーナの命日前後に、セマーと呼ばれる旋舞が開催されるといいます。<カラタイ神学校>1251年創立の神学校。現在は博物館となっています。レース編みのように繊細な天井モザイクは美しいブルー四隅から細長い三角が5つターキッシュトライアングルという建築様式<メヴラーナ博物館>メヴラーナの霊廟が、博物館として一般公開されています。共和制に移行後、修行場は閉鎖され教団も解散させられましたが、今も多くのイスラム教徒が訪れています。見学していると、スカーフ姿のティーンエイジャーの女の子が、わたしたちに何か一生懸命トルコ語で話しかけてきました。通訳してもらうと「日本人が大好き!またトルコに来てください。」と言っているそう。この旅の間、老若男女問わずいろんなところで同じように話しかけられました。ひとなつこく笑顔の素敵な人たちです。とてもうれしかった。トルコブルーメヴラーナの棺コーランの豆本、非常に細かい旋舞セマーの伴奏に使用されたのか館内では、靴の上から青いビニールカバーを履かされました。ちょっとまぬけな姿です。クモよけのダチョウの卵があちこちにぶらさがっていました。【隊商宿】商人には3晩まで無料で提供されたキャラバンサライ。質素なものを想像していたのですが、石造りの立派なものでした。おじいちゃんとお孫さんかな恥ずかしそうに手を振ってくれました夕陽が照らしだしたそしていよいよ、カッパドキアに近づきました。山の向こうに、真っ赤な夕陽がつるべ落としで沈んで行きました。
2004年10月24日
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【聖母マリアの家】現在ではイスラム教国ですが、実はキリスト教が最初に布教されたのは、トルコです。エルサレムを追われた12使徒のひとりヨハネは、聖母マリアを伴って、ブルブル山に隠遁しました。ヨハネの墓所は発掘されていますが、マリアの墓所は現在も調査中だそうです。わたしは知らなかったんですが、欧米の信者が多く巡礼に来ていました。中は教会【エフェス遺跡】地中海最大規模という遺跡。大理石をふんだんに使ったマーブル通り、競技場、大劇場、神殿、図書館、浴場などが残されています。ここはトルコリラ札の裏のモチーフとなっているモザイク模様がきれい公衆トイレは、男性たちの社交場となっていて、穴のところに腰掛けたまま議論に興じたという。って落ち着かんわ~。美にゃんこケルスス図書館蔵書数12000巻娼館の広告が大理石に刻んである。諸説あるが、右下の「女の子が待って」いて、「お金が必要」で、「左足の方に進む」と、「心をこめてサービス」するという意味らしい。パバロッティがここで歌ったという円形劇場ニケ【ヒエラポリス】ペルガモン時代の遺跡。沖縄のように家型の墓【パムッカレ】「綿の城」という意味の温泉保養地で、真っ白い石灰棚は世界遺産登録されています。温泉は枯れつつあるそうですが、多くの観光客が裸足で入っていました。わたしもそっと足をつけてみました。ぬるい水が流れる石灰棚は、ゴロゴロして足裏マッサージのようにツボを刺激しました。石灰棚壁は、綿というよりバニラアイスのように泡立ってる夕陽に光るとても空が澄んでいたので、星を見に夜の散歩へ出かけました。でも、月が明るすぎてあんまりよく見えません。翌朝、早起きしてみると、オリオン、昴までよく見えました。
2004年10月23日
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【トロイ】トロイの地では、紀元前3000年ごろの青銅器時代に集落ができ始めて以来、これまでに全部で9層に渡る都市遺跡を形成されています。ホメロス作のギリシア叙事詩「イーリアス」に記された、紀元前1200年ごろの「トロイ戦争」は、第6市にあたるそうです。「トロイの木馬」伝説を信じた、ドイツ人シュリーマンの発掘をきっかけに、現在までも発掘調査が続いています。2004年、ブラッド・ピット主演で映画化もされてましたね。観てませんけど。封切り時に新宿でも見かけましたが、チャナッカレの港にはハリウッドから送られたという木馬が置いてありました。そして、このトロイ遺跡にも復元した木馬がありました。中に入れます井戸が見えるマケドニア時代に、この丘から、アレキサンダー大王がエーゲ海を臨んだという9層というのが、いかに翻弄されてきた土地柄なのかを示していますよね。それにしてもアレキサンダーって実在なのか・・・。【ベルガマ】アレキサンダー大王の死後、分割されたこの地にペルガモン王国が築かれました。ギリシア風の遺跡が結構しっかり残っています。<アクロポリス>海抜300mの丘の上にあるこの遺跡は、水源に乏しく、44km離れた地から、水道を敷いていたそうです。2000年も前の技術とは思えません。ひこうき雲が見えました(画像では分かりづらいですね)トラヤヌス神殿はすべて大理石モチーフは生命の印<アスクレピオン>ここは古代の医療センターです。自然療法のみ行われていて、温床やにんにく療法などがありました。円形劇場で音楽療法も蛇は伝説から医療の象徴治療施設の入口は薄暗いトンネルになっていて、水が流れ、よく音が響く。天井に開いた穴から医師が治療方針などをつぶやくと、それが神の声と受け取られたりしたという。暗示療法かしら。ここから、エフェソス近くのクシャダスの街へ移動しました。
2004年10月22日
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旅行場所:トルコ共和国期間:2004年10月20日~10月29日かねてから行きたかったトルコへ、母と出かけました。おりしもイスラム教の国であるトルコではラマザン(断食月)。台風23号が接近する中、どうなるのか分からないまま出発しました。【トルコ基礎メモ】面積:81万4758平方キロメートル(日本の2倍強)人口:6649万人(日本の半分以下)首都:アンカラ(イスタンブールではない)宗教:イスラム教99%時差:日本との差は6時間(夏時間。冬時間では7時間。)通貨:単位はトルコリラ インフレで20000000TLは約1400円。億万長者気分が味わえる。ユーロ加盟のため、もうすぐ0を6つ取るそうな。ちなみに人物は、建国の父アタテュルク。10月29日は建国記念日で祝日でした。ヨーロッパとアジアの接点にあるトルコ。イスタンブールはヨーロッパ側、その他の大部分アナトリアはアジア側に位置する。古代から多くの文明が築かれては滅びていったため、歴史的建造物が多い。北方系民族のヒッタイト、ギリシア文明、ローマ帝国、ビザンツ帝国、オスマントルコ。キリスト教が最初に布教された土地でもあります。現在、国民の99%はイスラム教徒ですが、政教分離を進めて、公務員及び学校でのスカーフや礼拝は禁止。ユーロ加盟を目指し、急速に国内の整備が行われています。トルコ航空の機内食は豚肉不使用メッカの方向を示すキブラホテルの部屋にも書いてあります【今回のルート】ブルサ~トロイ~ベルガマ~エフェソス~パムッカレ~コンヤ~カッパドキア~アンカラ~イスタンブール。西トルコを反時計回りにバスで移動。鉄道はあまり発達していません。トルコ人ガイド氏お手製のマップ【10月20日】成田より直行便で12時間、イスタンブールのアタテュルク空港着。【10月21日】フェリーでマルマラ海峡を渡り、オスマントルコ帝国最初の都、ブルサへ。時刻表はなく、客でいっぱいになると出発マルマラ海峡の朝陽【ブルサ】古都ブルサには、イスラムの色である緑を使用した多くの建築物が残っています。礼拝の前にはここでお浄めモスクの裏にはバザールがありました。ここは、シルクロードの街でもあるので、絹織物を扱っています。イェシル・ジャミィ、別名グリーンモスクは、緑のブルサの象徴で、1424年メフメット1世の建築です。礼拝時にはここに導師が立つ絨毯の柄は祭壇柄で、これが一人分のスペース三角がメッカの方向を示し、頭部をつける部分イェシル・テュルベは、メフメット1世と家族の霊廟。イスラムでは土葬なので、棺は飾りで、遺体はその下に眠るという。その後、チャナッカレへ移動しました。港の夕陽
2004年10月21日
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今日の成田はガラ空き。やはり台風のせいか。飛行機はなんとか飛びそうです。行ってきます!
2004年10月20日
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【追記】日本シリーズ第3戦、西武勝利!すごい満塁弾合戦でした。結果を知ることができないのが残念だわ。-------------------------------------------------------一度このタイトルにしたかった。そう、明日から念願のトルコに行ってきます!!おりしもイスラム圏はラマダーン(断食月)のただ中。旅行者は飲食を認められていますが、地域によっては日中食堂が休んでいるとか。政教分離の徹底しているトルコとはいえ、どんな状況なのか分かりません。それはそれで楽しみです。ただ、大型台風が来ているのと風邪気味なのがちょっと気がかりかしら。飛行機が飛びますように。月末には帰ってくる予定です。旅日記はまた改めて。それでは行ってきます♪
2004年10月19日
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今日もきれいな夕陽でしたね。といっても、わたしが見たのは木々の隙間から少しのぞいた分だけですが。ここ数日広いところで夕陽を堪能したので、都内でも空の広いところに行けば、きれいな夕陽をみられるのだなあ、と思いました。一昨日のお台場で見た夕陽はすごかった。毒々しいまでに色づいていました。アクアシティから眺めた景色を、数枚アップしておきます。左下に見えるのは自由の女神です。明かりを灯した屋形船が、だんだんと眼下に集まってきて、最終的にはみっしりと並んで怒りの王蟲みたいになってました。普段お台場にはライブでもないと行かないのですが、この日は、本当に来てよかったと思いました。暗くなるまでうっとりと見とれていました。
2004年10月18日
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歩行者天国の秋葉原を歩いてみました。巨大電気街としてまたオタクの街として有名ですが、わたしにはどうも敷居が高くて居心地がよくない。今まで、街に来たとしても目的地と駅の往復だけでした。ゆっくり歩いてみると、今更ながら濃いところなんですね。「ラジオ会館」は、フィギュアばっっっかり!!!置いてあって、中野ブロードウェイを煮詰めたみたいになってるし。来てる客は男子は地味で、女子はコスプレちゃんばかり。ぐったりして下りエレベーターに乗ったら、従業員の女子たちがガンダムのセーラみたいなコスプレで乗ってきました。彼女たちはそのまま店外へ出て行ったけど、歩行者天国にはチラシくばりのコスプレがたくさんいましたね。けっこうかわいくて、昔見かけたような、あちゃ~っていうのはいませんでしたけど。楽しかったのは、パーツばっかり売っている横丁。敷居が高くて入ったことなかったんですが、ちいさな店がぎっしり並んでいます。それぞれ何に使うのかわたしにはサッパリ分からない、細かいパーツがみっしり並べられています。これがまたカラフルで、夜店で売っているおもちゃの宝石みたいなんです。薄暗いからよけいにきれいでした。中学生くらいの男のコも来ていましたね。何を作るんだろう、ラジオとかかな。今のコはそんなもの作らないのかしら。当てられてぐったり疲れたお散歩でした。
2004年10月17日
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銀河鉄道999の、メーテル、鉄郎、車掌さんが水先案内人をつとめる船があるという。東京都観光汽船が運行する近未来型水上バスヒミコ号。松本零士プロデュースのこの船は、浅草~お台場海浜公園間を約1時間で結ぶ。以前から気になっていたので、浅草から乗船してみることにしました。今日も雷門は大にぎわい。乗船チケットを購入して船着場へ。吾妻橋のたもと、例のビルを見上げる場所にあります。ヒミコ号登場。虫のようだ。いよいよ乗船です。内部は床・天井共にライトがつき、めまぐるしく色が変わっていきます。前方に、メーテル、鉄郎、車掌さんが!!鉄郎は映画版のようです。なつかしい3人の声(声優さんが同じ)が、このクルーズのガイドをしてくれます。車掌さん「え~、次の停車駅は、じゃない、橋は、両国橋~、両国橋~」メーテル「この橋は、○○年に出来たのよ」鉄郎「メーテル、すごいや!」てな具合です。操縦席もカッコいい。後方には、ドリンクバーがあってくつろげるようになっています。漫画家さんのサインが。12あるカラフルな橋をくぐりつつ、両岸の眺めを堪能。東京タワーが見えてきました。レインボー・ブリッジ封鎖せよ!フジテレビ近くでは、メーテルが、お買い物のあとはホテルで泊まれるのよ、なんて営業トークをしていて笑えます。船はあっというまに終着点へ。メーテルの「楽しい時は早く過ぎるものよ、また遠く時の輪の接するところでお会いしましょう」の決めゼリフで旅は終わったのでした。
2004年10月16日
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秋祭りで神輿を担いできました。叫びすぎて声が枯れたし、体中がバキバキに痛いです。年に一度のお祭り日。心配していた台風も過ぎ去り、快晴を期待していたのですが、あいにく時折小雨がちらつく天気でした。携帯を忘れてきたので目覚し機能が使えず、実家の目覚まし時計を借りたら、お約束で鳴りませんでした。祭りの開催を予告する、朝7:00の花火の音で、慌てて飛び起きました。幸い遅刻はしなかったんですが。以前少し書きましたが、わたしは女子だけの神輿会に所属していて、175Kgの神輿を1日担ぎます。去年1回休みだったので、今年は2年ぶりの参加です。先日練習には参加したものの、まだ足さばきがおぼつかない。今年は、揃いの半纏・鯉口を新調しました。藍染めでなかなか渋くていい、と思ってたんですが、道端で知らない老夫婦に、地味になったねえ、と言われてヘコみました。そのあとおかんにもダメ押しされましたし。染めたての藍の色が落ちるんで、手が真っ青に染まってしまったのは難儀でしたわ。2年ぶりに会うと、妙齢の会員さんばかりなので、連れているこどもの数がぽこぽこ増えてたりします。そのこどもたちを神輿の上に乗せて担ぐことが多いのが、女神輿の特徴かな。お母さんたちは、やっぱり我が子を乗せたいものなのか、最高3人乗ったときはキツかったです。1日の流れは、朝、御払いを受け、オープニングセレモニーで太鼓連が叩き、担ぎ出し。それ以降は、担いで、商店街の大店ごとにふるまい酒をもらい、お礼に商売繁盛を祈願、を繰り返しています。途中、歌に合わせて担いだり、四谷担ぎをしたり。他の神輿や山車に行き会ったらひっかわせもあります。担いでは飲んで、を繰り返しているうちに、肩の痛みもあって脳内麻薬が出てきます。長い休憩時には、「どんぶり」というお遊びもあります。鏡割りした樽酒のところまで、数人でどんぶりを抱えて神輿のステップを踏みながら近づき、注いでもらって一気飲み。帰りは空のどんぶりを掲げながら帰ってくる、というもの。これは飛び入り参加もOK。夜、祭りのクライマックスを迎えると、サラシ姿になったりもします。今年は、その直前に小雨がまた降り出して、寒かったですね。わたしはパスしちゃいました。その後、軽く打ち上げをして、また来年、となります。実家に着いた後、本格的に雨が降り始めました。よく持ちこたえてくれたな、と思います。さて、明日は祭り衣装をメンテナンスしなければ。晴れてくれないかしら。
2004年10月10日
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台風に備えて、カッパ持ってタオル持って、着替え持って、準備万端のつもりだったのに、携帯を忘れました。実家にいるので、これから3日間連絡が滞ります・・・。----------そんな雨の中、松尾スズキ初監督作品「恋の門」初日を観てきました。お目当ては、松尾さんと主演の酒井若菜さんの舞台挨拶です。詳細は後ほどご報告いたします~。----------さて、雨に濡れた洋服も乾いたので、続きです。映画恋の門の、シネ・リーブル池袋で行われた初日舞台挨拶を観てきました。羽生生純(はにゅにゅうじゅん、と読むそうな)さんの同名漫画を原作に、劇団大人計画主宰の松尾スズキさんが映画化。松田龍平さん演じる、石で描く自称「漫画芸術家」と、酒井若菜さん演じるOL兼同人コスプレイヤーの、サブカル臭漂うラブストーリー。主役2人に、元売れっ子漫画家役の松尾スズキさんをはじめ、アクの強い面々が絡んで、物語は暴走します。わたしは原作読んでいないんですけど、冒頭、主人公2人が出会うシーンは、街角でパンを持って走るOLと無職の男がぶつかるという漫画的表現。物語の進行もモノローグを交えて漫画的です。酒井若菜さんが、オツムとオシリが軽い女のコ役を演じたときが好きです。だから、今回はうまくハマってました。コスプレ姿はちょっと引きますけどね。松田龍平さんは、今まであんまりピンとこなかったんですが、あのコワモテで笑わないイメージは、それはそれでギャグには合いますね。あと、大竹しのぶさんのメーテルが結構イケてて怖いです。以下、ネタバレですが、その他登場する面々は・・・謎の下宿人役の忌野清志郎、劇中アニメ製作の庵野秀明&安野モヨコ夫妻、金紙・銀紙、漫画家の町田ひらく、山本直樹、他多数。町田さんは、言われるまで気づきませんでした。クレジットにはつげ義春さんの名も・・・。観客の反応は、若い人が多かったんですが、ギャグではちゃんとウケてました。全体的にハイテンションなので、観終わった後には、結構疲れるかもです。上映終了後、舞台挨拶。台風で外がすごいことになっている中ありがとう、という製作会社の方のMCで始まって、松尾スズキ、酒井若菜、羽生生純のお三方登場、それに、急遽、松尾さんが池袋に呼んだ、という大人計画の皆川猿時、村杉蝉之助、平岩紙さんの特別ゲストが登場しました。松尾さんは、思っていたよりもスリムで、ときどきそっぽむいたりしてマイペースな印象、酒井さんは、謎のひらひらのピンクの衣装に身を包み、顔も体もキュッとちいさくてかわいかったです♪原作者さんは、本来表に出る職業じゃないでしょうから、ちょっと居心地悪そうでした。村杉さんのニットキャップ姿が、知り合いにソックリなので一人でウケてしまいました。終了後、劇場の外に出ると、劇中登場マンガが販売されてました。来るときには雨は小康状態だったのに、実家に着く頃には暴風雨になり、傘を飛ばされそうになりながら濡れネズミで帰ったのでした。
2004年10月09日
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「ウォーターボーイズ2」のメイキング番組を放送してました。5ヶ月におよぶ撮影とシンクロ合宿に打ち込み、最後に5段矢倉が完成したときには、本気で号泣するボーイズにほろり。なんだかんだ言いつつやっぱり見てしまうのです。その映画版を監督した矢口史靖監督が、今度は女子高生ものを撮ったという。セーラー服でジャズバンドですよ。その名も「スウィングガールズ」、安易なタイトルですが、セーラー好きとしては見ないわけにはいきません。(いや、そんなことないのだが)-----------------【あらすじ】東北の田舎の高校の夏休み。数学の補習授業を受けていた女子高生たちが、補習をサボる口実にビッグバンドを始めることに。はじめはやる気のなかった彼女たちだが、徐々にジャズの魅力にハマり出して、ついには地元の音楽祭出場を目指すようになるが・・・。-----------------随所にギャグのくすぐりを散りばめた、音楽コメディ。たわいのないお話だけれど、ガールズはかわいい。実はバンマスに男の子が1人いるんですけどね。個人的萌えポイント・セーラー服集団で管楽器。お好きな方にはたまらないのでは・・・。・東北弁。女子の方言は、かわいくて耳に心地よいので好き。・雪合戦。「がんばっていきまっしょい」の夏合宿での花火シーンにも通ずる、 青春のはかない一瞬を切り取ってますですよ(大げさ)。・音楽。知識のないわたしでも耳にしたことのあるスタンダード多し。主人公はトラブルメーカーで、自業自得的に問題が発生しているので、感情移入はできず。その上野樹里さんは広末に似てる!と思ったらクレアラシルのCMガールだったらしい。同じだ。かわいいっす。派手なグループのコの役の貫地谷しほりさんは、どこかで見かけたなあ、とずーっと考えていたら、思い出しました。先輩の元奥さんにソックリでした。そして1番のお気に入りは、おとなしい「関口」でした。演じるのは元仮屋ユイカさん。気弱で要領はよくないけれど、才能はあってメガネを取ると美人・・・の一昔前なら主人公かものパターン。イケイケ自己中のコが多いので、なんかホッとするんですよね。もちろん、最大の見せ場はラストの演奏シーンです。意外と短かったような気がしますが、各地でライブもしているようなので、今は、もっと曲数が増えているかもしれません。なんにせよ、楽器ができるのっていいですね。
2004年10月04日
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学生時代の同級生に、毎日、片道2時間半をかけて、山梨から都内の学校まで通ってくる人がいました。その話の中で印象深かったのが、自分の家はとある公園にあって、園内には熊のくまたろうが住んでいる、という話でした。それを聞いて以来、一体どんなところなんだろう、くまたろうに会いたいね、というのが仲間内の話題によく上りました。その友人は、今はその家を出て、アジアを転々としています。最後に会ったのは、数年前、マレーシアででした。去年、葉書を送ったら転居先不明で返ってきてしまいました。今はどこにいるんだろうね、なんていう話を仲間としていたら、ひさびさにくまたろうの話を思い出しました。前置きが長くなりましたが、今日、ふと思い立ってその公園に行ってみることにしました。公園名を元に調べて駅を特定しました。青い空の中を、特急は進む。(本当は、各駅停車ぶらり、でした)山々がとても近い。駅を降りて、左手に公園が見えてきました。とても広い公園で、川も湖もあります。さて、くまたろうはどこだろう。動物園にいるのは、リスにシカにイヌワシに・・・サル。1頭が3頭にグルーミングしてもらってます。モテモテ?探しましたが、残念ながらくまたろうはいませんでした。あれから○年、やはりもういなくなっているのですね。気を取り直して、お昼を食べることにしました。甲州名物といえば、「ほうとう」。好物なんです。平麺はなんでも好きですが、かぼちゃがほっこりと甘くて幸せになります。写真の鍋は、2人前くらいある大きなものでした。デザートのぶどう付、1250円。そのあと、巨峰とバニラミックスのソフトクリームも食べちゃいました。おなかいっぱい。ところで、友人の家はどこなんだろう。このあたりのハズなのに見つかりません(中にはありませんでした)。電話帳を見てみると、それらしい家が1軒載っています。じゃんけんで負けたほうが、電話をかけてみることにしました。・・・アッサリ負けました。かけてみるとお父さんが出ました。友人の消息を教えていただいて、電話を切りました。まだアジアにいるとのこと、元気そうで良かった。くまたろうには会えませんでしたが、楽しい秋の遠足になりました。
2004年10月01日
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