新発想ビジネスヒントフォーラムWEB2.0

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2007年01月29日
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さて、ふたたび天皇を鈴木邦男著「愛国者は信用できるか」を読み通してみる。

自分は、鈴木がこの時期にわざわざ「愛国者」をテーマに語る理由が次第にわかってきたように思える。鈴木邦男は、三島由紀夫をひとつの羅針盤のように73年以降を生きてきたと告白している。しかし、自分はあの事件になんの触発も受けなかった。この落差は一体どうしたことだろう。

鈴木によれば、三島由紀夫の市谷占拠事件の衝撃が赤軍派や、東アジア反日武装戦線ひいてはアラブ赤軍などおよそ解体期全共闘運動全体を揺るがすような影響を生じさせたという風に描写されている。そのように読めた。

そこが、他の既成右翼(体制同伴暴力装置)と、一線を画している部分だというのはよく分かるのだけれども、自分には三島由紀夫の事件そのものに触発されるものが皆無だったために、彼の主張の全般が「愛国者」についてのひとつの趣向、つまり解釈に過ぎないという印象になった。悲しいかなこの時代の状況では、愛国者という対象化がほんとうはかなり困難なのである。日の丸掲揚や、国家斉唱の強制がこれほど話題になるのは、その困難が誰の眼にも現前し始めたからである。自分には、鈴木の論旨ではこの困難そのものはけして低減しないと思った。

今日は、この件についてふれてみたい。





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最終更新日  2018年03月22日 23時19分39秒
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