JINさんの陽蜂農遠日記

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2026.05.24
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カテゴリ: JINさんの農園
次に訪ねたのが「 本石町「時の鐘」(ほんごくちょう「ときのかね」) 」。



本石町「時の鐘」(ほんごくちょう「ときのかね」)
1711年(宝永8)4月/製造
椎名伊予藤原重休/鋳造 複製 東京都中央区 原資料所蔵
江戸には〈時の鐘〉があり、これによって人々はおよその時刻を知ることができた。
鐘撞役守源七の由緒によれば、当初江戸城内にあった〈時の鐘〉は、1626年(寛永3)に
日本橋本石町三丁目の200坪余りの土地に移転された。この鐘撞役は、〈時の鐘〉が聞こえる
範囲にある町の住人から、1か月銭4文ずつの〈鐘役銭〉を徴収する権利をもち、これが
〈時の鐘〉の運営資金となった。
その後、市街の拡大とともに〈時の鐘〉の数もしだいに増加していった。」 



ズームして。



「幕末の日本橋周辺図」と「現在の様子」はピンボケ。



ネットから。
「石町時の鐘 鐘撞堂跡(こくちょう ときのかね かねつきどうあと)

時の鐘は、江戸時代に本石町三丁目へ設置された時刻を江戸市民に知らせる時鐘です。
徳川家康とともに江戸に来た辻源七が鐘つき役に任命され、代々その役を務めました。
鐘は何回か鋳直されましたが、宝永八年(1711)に製作された時の鐘(東京都指定文化財)が
十思公園内(日本橋小伝馬町三丁目)に移されて残っています。
鐘撞堂は度々の火災に遭いながら、本石町三丁目(現日本橋本町四丁目・日本橋室町四丁目
周辺)にあり、本通りから本石町三丁目をぬけて鐘撞堂にいたる道を「鐘つき新道」と
呼んでいました。そのことにより、時の鐘が移設された十思公園までの道が、平成十四年三月に
「時の鐘通り」と命名されました。
近くの新日本橋の所には、江戸時代を通してオランダ商館長一行の江戸参府の時の宿舎であった
長崎屋があり、川柳にも「石町の鐘はオランダまで聞こえ」とうたわれ江戸市民に
親しまれていたのです。
(写真キャプション)
現在の時の鐘(十思公園内)
江戸之下町絵図(中央区教育委員会より)
平成十五年三月
中央区教育委員会/中央区文化財保護審議会」


「現在の様子」をネットから。

十思公園・石町時の鐘





6Fから5Fの展示会場を見下ろす。



「日本橋」、「服部時計店」 を振り返って。



6F⇒5Fへのエスカレータ を見る。



6F マップ。
●現在地



6F「E2 町の暮らし」コーナーへ。



「体験展示/Hands-on Exhibit
本石町 時の鐘の音 (小伝馬町一の部会 提供)
江戸時代には、町人たちは「時の鐘」の音で時刻を知りました。
決まった時間に鐘が鳴ることで、人々は日常生活の節目を判断していたのです。
The Sound of the “Bell of Time” in Hongokuchō
Provided by Kodenmacho Ichi-no-Bu Neighborhood Association
During the Edo period, townspeople knew the time by the sound of the “Bell of Time.”
The sound of the bell at set times allowed people to keep track of the moments
in their daily lives.」



E2-1 町のしくみ
時の鐘の管理と運営
Management and Operation of the Bell of Time
時の鐘の管理運営には、定められた時刻に鐘を撞く鐘撞役と、時の鐘を管理する時の鐘会所に
よって運営された。
The bell of time was rung at fixed hours by official bell ringers, while its management and operation were handled by the Bell of Time Office.

現在の鐘の位置図
(地図中の主な鐘)
①本石町
②上野寛永寺
③浅草寺
④目白不動尊
⑤市ヶ谷八幡
⑥四谷天龍寺
⑦赤坂円通寺
⑧芝切通し
⑨本所横堀
⑩下大崎村寿昌寺
香盤時計
お香の燃える速さを利用して時間を計る時計。
鐘撞役(時の鐘の管理をする人)は、徴収した鐘役銭から時計の管理費を捻出しており、
時間を確認するために使用していた。


時の管理
江戸時代の時刻制度は、現代のように1日の昼夜を均等に24分割した〈定時法〉ではなく、
日の出と日の入りの時刻を基準とした〈不定時法〉が一般的だった。不定時法では、
日の出の時刻を昼の始まりとし、日の入りの時刻を夜の始まりとし、昼と夜それぞれを
6等分した時間の長さを〈一刻〉とした。地域(緯度・経度)や季節によって昼と夜の長さは
変わるため、一刻の長さも変動する仕組みだった。江戸城下では、〈時の鐘〉と呼ばれる
鐘の音を頼りに時刻を確認した。
幕府による〈時の鐘〉は、2代将軍・徳川秀忠の時代に本石町に設置されたのが始まりとされる。
明暦の大火後に、〈時の鐘〉は都市の拡大とともに町人地のほか寛永寺や浅草寺などの寺社にも
設置された。本石町の場合、〈鐘役〉を請け負った辻源七によって〈時の鐘〉の維持・運営が
なされた。その費用は、家持一軒につき月4文ずつを410の町々から徴収された。 」 



江戸の時刻制度 不定時法
Time System in Edo: The Variable-Hour System
江戸時代の時刻は「不定時法」を用いていた。これは一刻の長さが昼と夜、季節によって違った。
The variable-hour system was used for timekeeping during the Edo period.
This meant the length of one toki (unit of time) varied depending on whether
it was day or night, and also by season.
定時法
季節を通じて時計を均等に動かす仕組みで、1日を24分して、それぞれ1時間とする。
A system dividing a day evenly into 24 hours throughout the year.
不定時法
昼夜それぞれを6等分して時刻を測る。季節によって一刻の長さが変化する。
A system dividing daytime and nighttime each into six parts; the length of each unit
changed with the seasons.
明け六つ
日の出の約35分前
暮れ六つ
日の入りの約35分後
一刻の時間が毎日変化する
冬至
冬は太陽が出ている時間が短いため、昼の時間が短いため、昼の一刻が短く、夜の一刻が長い。
夏至
夏は太陽が出ている時間が長いため、昼の一刻が長く、夜の一刻が短い。
(図中の十二支と時刻)
子(ね)
丑(うし)
寅(とら)
卯(う)
辰(たつ)
巳(み)
午(うま)
未(ひつじ)
申(さる)
酉(とり)
戌(いぬ)
亥(い)」 



「​ 香時計(こうどけい) ​」👈️リンク。



ズームして。
 


香時計(こうどけい)
Incense Clock
1831年(天保2)
香時計(香盤時計)は、線香や香木の燃焼する長さや速度を利用して時刻を測る装置。
ならした灰の上に木型を置いて抹香を敷き、端から点火し、燃焼している位置で時刻を測る。
『享保撰要類集』によると本石町時の鐘の入用として常香(香盤時計)が記載されており、
時計とともに時間を確認するツールとして使われていたといわれる。」


棟割長屋(むねわりながや)
復元年代:江戸後期  縮尺:1/1
長屋は、一つの棟を数戸に区切った住居である。なかでも、棟の前後で部屋を分ける形のものを棟割長屋と呼んだ。屋根は柿葺で仕切りの壁は薄く、資材のほとんどが木と紙からなる木造建築で火事にもろかったことから〈焼屋〉ともいわれていた。江戸の町の約2割に当たる狭い地域に、多くの庶民がこのような部屋を借りて暮らしていた。
代表的なものに「九尺二間の裏長屋」がある。間口9尺(約2.7メートル)、奥行き2間(約3.6メートル)の約3坪の広さで、居間は4.5畳あった。ここで復元した棟割長屋は、九尺二間の部屋が3戸と、間口2間、奥行き2間で約4坪の広さに居間が6畳となる部屋が2戸で、各部屋の生活の様子を表現している。
いずれの部屋も、戸口を入ると台所兼用の土間があり、置き竈や水がめなどが置かれている。部屋は押入れがなく、衣類などは行李という入れ物や風呂敷に包んで収納し



江戸ゾーン「 棟割長屋(むねわりながや) 」の一室、「 指物職人の部屋 」の模型  



ズームして。



江戸指物
指物とは、板材を組み合わせて作る木工のことで、日本でも古くから技術が発達しているが、
とくに発展したのは江戸時代からである。家具製品が中心で、箪笥・机・椅子・茶棚などの
大物と、硯箱・煙草盆などの小物とがあり、高級品から一般品まで技術の幅は大変広い。
指物にたずさわる職人は、指物師や指物屋と呼ばれ、居職が基本である。細かな工程と正確で
緻密な作業を要し、道具は鑿・鉋を中心に、種類・大きさともにさまざまある。
指物は各地で発達しているが、江戸指物は商業の中に堅牢な作りを特長とし、伝統を引き継ぐ
職人が今も製作を続けている。」 



増築された「棟割長屋」。



「棟割長屋」の中には 寺子屋 が。
師匠(右)と生徒達(左)。
江戸時代には、寺子屋と呼ばれる学校が広く普及し、庶民の読み書き能力は世界最高水準
であったといわれている。
後方にはなんか暇そうにしている子供の姿も。



師匠。



ズームして。



寺子屋師匠
寺子屋とは、江戸時代に普及した、文字の読み・書き、算盤(そろばん)などを教える
初等教育の施設である。寺院のものは檀家(だんか)までを対象とすることが多かったが、
寺院における師弟教育が基になったことから寺子屋の名称が残ったと考えられている。
「手習い」「手習指南(てならいしなん)」などと呼ばれることもある。
寺子屋には、師匠が書いて与えた手本、往来物と呼ばれる教科書を使っての上級生による
手合わせなどにより学習が行われた。大きい子が小さい子の面倒にかわりをつとめることも
あった。子供たちが集っている机は入門の日に持参した机で、天神机とも呼ばれた。
毎朝、前日に教室の隅へ片付けた自分の天神机を引っ張り出し、墨をすって手習いの準備を
した。寺子屋は師匠の自宅を利用した普通のものがほとんどで、師匠の職業であるとともに
生活空間でもあった。」


廻り込んで。



子供の世界
江戸時代、家族形態は直系の親子を主な単位とする小家族が大部分で、これまでにも増して
子供は家族の愛情のなかで育てられるようになった。それまで公家や武家の儀礼であった
子供の成長を祝う行事がこのころ民間に普及し、大切に育てるための育児書や教育書が
数多く刊行された。
また、町人の活発な経済活動の展開で、職人や商人に読み書きや計算の素養が必要とされる
ようになった風潮を背景に、庶民の教育への関心も高まり、庶民教育の場として寺子屋が
普及した。子供たちは6、7歳から10歳を過ぎるころまでの間で「読み・書き・そろばん」の
初等教育を身につけた。奉公や修業に出る者も多く、先輩たちから帳簿やそろばんについて
教わった。幕末期に江戸の識字率(読み書きができる人の割合)が非常に高かったのは、
寺子屋や奉公先での教育によるところが大きかったといわれている。
遊びの分野では、江戸時代中期から玩具が種類・数ともに増え、子供向けの本も出版された。
長屋の子供同士で楽しむ遊戯も多く、子供の生活を豊かに彩った。」


の室内の様子。



木樋と上水井戸のしくみ
←竿がついた桶などでくみ上げる
←井戸桶が積み重ねられている。
木樋や井戸の埋設のためにいったん掘って埋め戻した土1~2m
― 木樋接続部分 (継ぎ手)」



上水井戸の構造
江戸市中には、上水を流す樋が道路下に埋設され、水を供給していた。そのようにして
運ばれてきた水は、長屋に設けられた上水井戸を通して人々のもとに届けられた。
上水井戸は、地中で底を抜いた桶をいくつか重ねて水を溜めおき、必要な時に竹竿の先に
取り付けた桶でくみ上げるしくみとなっている。」



木桶。



木桶の中には水が。



移動して。



「正一位稲荷大明神」と。 



奥に朱の鳥居のある「 稲荷神社 」。

江戸東京博物館 | サンパウロ駐在 3人と1匹→その後武蔵小杉生活

その横に「 洗い張り 」。 



井戸・ごみ溜め・雪隠・稲荷
裏長屋の一角に、井戸・ごみ溜め・雪隠・稲荷がまとめて設けられていた。長屋の住人は
これらを共同で使用した。また稲荷も共同でまつっていた。
長屋の各戸には、流しはあるが水道は引かれていない。したがって、野菜や食器の洗浄、
衣類の洗濯など、たいていの水仕事は井戸端でなされた。井戸の底に溜まったごみの掃除は
長屋の住人共同の仕事で、そこに連帯感も生まれた。
便所も長屋の各戸になく、惣雪隠あるいは惣後架と呼ばれる便所を使った。
惣雪隠には、小便所と大便所が並んでいる。小便所に扉はなく、江戸における大便所は
扉が下半分しかなかった。」


大便所 」。

今回ワイが16年振りに東京へ行ったのは、やっと改修工事が終わった江戸東京博物館へ行くため。 まぁ復元便所 とか復元臭突見てヾ(*´∀`*)ノキャッキャしてただけなんですけどねw

江戸における 大便所は扉が下半分 しかなかった。

江戸東京博物館へ | 底辺ワーママの子育て日記

注意書き「 あけはなし たれかけ 無用 」。
・あけはなし(開け放し)無用 : トイレの戸を開けっ放しにしないでください。
・たれかけ(垂れ掛け)無用 : 便器の外に汚物を汚く垂らしたり、飛散させないでください
              (汚すな)。



小便所 」。




                                                                                             ・・・​ もどる ​・・・



                 ・・・​ つづく ​・・・


















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Last updated  2026.05.26 00:16:08
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