全204件 (204件中 51-100件目)
平成28年12月20日(火) 午前4時起床。曇り一時雨。毎朝のことですが床を離れて先ずはトラの食事です。ネコカリを皿に盛ぅってやります。ニャゴニャゴ纏わり付いて始末に負えません。次いでストーブに薪をくべます。私は午後9時、遅くても10時には横になります。その後、妻が薪を足すこともありますが、そうしなくても熾火の大きいのが炉内に残っています。終夜、部屋を暖めてくれます。起きがけに寒い思いをしなくてすみます。これがいいんです。写真はくべ足すの図。 くべたす前、熾火の大きいのを手炙りに移します。足もとに置くと、ストーブの火とは違った温もりがジワリきます。格別です。夜だったらスルメなんぞを炙って銚釐(ちろり)で燗をとなりますが、朝なのでそうはいきません。 炉内は忽ち燃え上がります。キンキンに乾いた樫です。弾けず、無音の炎がよいです。腹のくちたニャロメがやってきて指定席に座ります。 先月からは、とまあこんな朝の毎日です。さて閑話休題、先月末に始まった長丁場の会議は本日が打ち止め。会議室に入りはしませんでした。モニター観戦。午前に決まりがつきました。何とはなしにホッとした空気が流れました。午後はお客様があったりミーティングだったり。 ところで私、忘年会にはまだ1回出ただけです。もう1回、来週に控えていますが、何だか寂しいので1人忘年会をすることにしました。右手で左手に注ぐのです。がしかし、ちょっとまずいことになりそうな状況に直面、急遽中止しました。真っ直ぐ帰宅。走りもしませんでした。写真ネタがないので、つね三の鍋メニューを。先日に写しました。これをやって暖まりたいな。 書くことがないので野見山暁治のことを。画家ということだけ知っていました。日経の18日つけ文化欄に「10日間のパリ」という文章を寄せていました。戦後間もなくの10数年間をパリに過ごした人です。その頃の思い出と、90を過ぎて久しぶりに訪ねた都の印象を書いてありました。よき時代の空気、ジャコメッティ、ピカソとの出会い、フジタとのすれ違い、興味深い話でした。翻って今のパリは、世の中がグローバル化して変わってしまったと書いてあります。しかし最後はそうであってものパリだとも。腐っても鯛という言葉がありますが、まさにパリは変わってもパリ。「バスもメトロも人であふれていたが、これだけは言っておこう。爺のツラをしたぼくを見ると、だれもが競うように席を譲ってくれた。ありがとう、パリ。」いいエッセイでした。余談です。彼がエッセイストを知りませんでした。本も書いています。ブックオフを覗いてみます。今日の一句手炙りに熾火の玉や猫背寄り今日の写真は飲兵衛の必需品。準備万端でしたが、役目を果たす場面はありませんでした。
2016年12月20日
コメント(4)
平成28年8月12日(金) 午前4時起床。晴れ。 ポカ休を取りました。旅の疲れが今ごろになって出ました。朝の散歩も夕刻のランもなし。終日、本を片手にゴロゴロ。でも身につきません。オーストラリアの余韻が残っていていました。午睡。覚めて、風が出てきました。家の周りを歩いてみました。写真は白木蓮の葉と上弦の月です。 勝手口の先に咲いたサルスベリ。この下に愛犬レオが眠っています。飼い犬の登録時、ナイルという名を書きました。子どもたちの「レオのほうがいい」という言をいれ、その名になりました。賢いゴールデンレトリーバーでした。この花の咲く度、思い出します。この木を植えたのは妻の発案でした。 地蔵も暑そうです。水を掛けてあげたい。 おっ、Tやんだ。私「なにをしよる?」Tやん「ああHちゃんか、西瓜のてりぐわいをみよるんよ、音がまだじゃーわい、てっちょらん」 ポンポン叩いて確かめていました。私「Tやんよい、あのの、蔓ん分かれちょるところぃ1本ヒゲんようんもんがあろうが、それが枯れちょったらいいんじゃが、こるーみぃ、もうしょわーねぇ」Tやん「ほいたらとろうかのぅ」 次の写真は私です。ブリスベンの空港で買ったグラサンを掛けてみました。 陽が傾きました。今日は神戸から妻の友人が二人の子どもを連れて帰省することになっていました。美味しい魚を食べたいというので、つね三を予約してありました。一足先に突っ込みました。 先ずはビールです。モイ香先生風に書くと「くわゎゎゎ~!もちぇん!」の図。彼も生ビールが好きでした。 5人がそろいました。刺身盛り合わせを頼みました。剣先、スマ、鮃の3種盛り。 天下の清流番匠川の天然鮎。 ごま出しうどん・鯵寿司セット。他にもアンカラ、鯵フライ、出汁巻き玉子。定番をあれこれ注文。 大分名物トリ天も。 大将がサービスだといって、内臓だけでこさえたうるかを出してくれました。これ、絶品でした。当然出羽桜で流しました。 帰省の3人にもサービスしてくれました。鮎の姿寿司。喜ばれました。大将、ありがとう。 ん?仕事帰りの7段がいた。ありがたくなっていました。なんでも高校の同級生が帰省し、仲間数人、集まったとのこと。左の男性は某大学医学部で生体肝移植を手がけているとのこと。話を聞いたら、KのTさんの息子さんでした。Tさんとは仕事関係で一緒した方です。元気になさっているか訊きました。3年前に亡くなったとのことでした。彼の顔を見ていたら、何とはなしに面影があるような。Tさん、立派な息子さんをもって幸せですね。それにしても7段です。壊れている。 肝臓を壊したときはよろしく頼みます。今日の一句蝉時雨地蔵の頬に汗を見る 今日の写真は妻と友人です。素敵な娘息子さんを連れていました。余談ですが、私、ポカ休という言葉を使います。20年近く前、彼女のご主人が拙宅にみえた折、その言葉を使いました。面白かったので覚えたのです。いい感じでしょう、ポカ休。
2016年08月12日
コメント(8)
平成28年7月28日(木) 午前4時起床。晴れ時々曇り。早朝散歩をしませんでした。6時半に居間で1人、ラジオ体操をしました。妻が起きてきて、どうしたの、という顔をしました。 腹が減って、朝ご飯が間に合わず。これをパクつきました。これ、残飯を埋めていたところに芽を出しました。その幾つかを妻が植え替えました。この頃、こんな実を付けるようになりました。野菜は雑草に比べ弱いと相場が決まっています。しかし、南瓜やトマトの類は強い生命力です。 仕事はデスクワーク。明日、某協定に調印します。その準備に大わらわ。午前にあった会議を一つすっぽかしました。夕刻、難儀な案件についての会議。判子押しはその後になりました。午後7時、会社を出ました。写真は弊社ビル脇に並ぶ幟です。この秋、西日本各地のご当地グルメが大分・佐伯にやってきます。11月19日・20日の2日間、西日本B-1グランプリinSAIKIと称して開催されます。23団体が出店予定です。 近寄って撮ろうとしていたら、「〇〇くーん!」と私の名を呼ぶ女性の声。ん!信号待ちの車から降りてきました。「わかる?Uよ!」なんと、高校の同級生ではありませんか。卒業以来です。3年の折は同じクラスに机を並べました。決して美人ではありませんが、惹かれる内面の美しさがありました。当時はふっくらでしたが、40年ぶりに会う彼女は高橋真梨子似、ぐっとスリム、一層素敵な女性になっていました。確か、東京学芸大に進み、都会で教師をしていると風の噂に聞いたことがあります。問わず語りに彼女曰く「もう親を都会に引き取って随分になるわ、佐伯に親戚はいるけれど、すっかり縁遠くなってしまったわ、教員を退職して今は講師をしているの、仕事は随分と楽になったわ、休みを利用して久しぶりの帰省というか帰ってきたの、1週間ほど滞在するわ、〇〇君は仕事、何をしているの?」説明が面倒なので名刺を渡しました。それにしてもの久闊を叙しました。10分足らずの会話でした。私、仕事のこともあって、このところ煮詰まっていました。彼女のくれた空気に、気持ちが軽くなりました。足を止めたまま、交差点を渡り見えなくなるまで見送りました。ああいっちゃった。並んで写真に収まりたかったな。現実に引き戻されました。写真はグランプリの幟です。帰宅したら妻がカレーをこさえて待っていました。走らず。 今日の一句玉響(たまゆら)の遠き目をして消えにけり今日の写真は拙宅庭に咲いた花です。夜気に佇むの図。シャッタースピードを遅くしたせいで、ぶれてしまいました。でもそれはそれでいいような気もします。Uさんに遇ったからなのか、そう思いました。
2016年07月28日
コメント(9)
平成28年6月11日(土) 午前6時起床。昨日は花金を我慢。真っ直ぐ帰宅。妻不在をいいことに焼酎相手の独り相撲。自爆しました。 曇り時々雨。 珍しく早起きの妻は、朝のうちに菜園へ出ました。私はダラダラ読書。途中、昼寝もしました。午後になって通り雨がありました。シャワーを浴びた妻に昼ご飯をこさえてあげました。といっても禁玉さんのようなことはできません。キャベツを刻んで入れたサッポロ一番味噌ラーメンでした。吉村昭の次を読んでいたらピンポーン。おっ、シメイが届きました。 3種類を各4本ずつのセットです。禁玉さんが毎日旨そうに飲んでいるのを見て、そんなに美味しいんなら飲んでみようと。 早速、冷蔵庫へ仕舞いました。 雨があがったので、カープの試合を聴きながらジョグ8km。湿度も気温も高く、蒸しました。おかげでいい汗になりました。シャワーを浴びて早速ルージュを抜栓。妻「あなた、これからお呼ばれなのに、今から飲んでどうするの」私「やかましい。味見をしないといけないんだ。もし腐っていたらどうすんだ」大丈夫でした。コクといい、風味といい、修道院に流れる深く落ち着いた時間を醸す一品でした。そうなんです、このビール、ベルギーの修道院で造られているのです。 おっ、トラがテレビの前に座りました。丁度BSジャパンの「ウイニング競馬」放映中でした。彼の此処に鎮座は吉兆です。しかし、宝塚までは見るだけ。今週は手を出さないと決めていました。折角のチャンスなのに、馬柱を検討する時間がありません。困ったな。なんとかしなければ。焦りました。ということで原良馬氏の押す馬を衝動買い。結果は12ラーの儲け。ウッシッシ。トラ、お前はいい子だな。明日、鯵の刺身をこさえてやるからな。 夕刻、Iさんがやってきました。友人です。電気が専門の技師です。年齢は私よりも10近く若い。数年に一度、思い出したように拙宅で一杯やります。今日は彼の家に招かれました。迎えに来てくれました。妻を伴って車に乗りました。 彼の家はログハウスです。フィンランドからキットを輸入したそうです。手付け金として半分のお金を振り込んで、暫く連絡がなかったとのこと。問い合わせをしたら、今、シベリアとの返事。船便ではなく陸路で運ばれてきたそうです。浪漫です。この家を一人で組み立てたそうです。何年もかかったそうです。こだわりも此処までくると恐れ入谷の鬼子母神です。 壁にドイツ製の柱時計が掛かっていました。手巻きのようです。15分おきにウエストミンスターの音を奏でました。小中学校の終業時刻に流れるあの音です。 電話にこだわりを感じます。 ラジオしかり。 彼の趣味は色鉛筆で画を描くことです。室内に何枚も飾ってありました。そのうちの1枚です。写真と見紛うばかり。鉛筆は120色、つまり120本を。一作品を仕上げるのに3ヶ月~4ヶ月かかるそうです。緻密というかなんというか。根気あるな~。家の建築といい、たいした男ではあります。 おっ、料理がでてきました。春雨の酢の物です。 バンサンスウ、チキンと夏野菜の揚げ浸しです。色に食欲をそそられました。味も格別。 鮃と浅蜊のブイヤベース。これいい感じでした。何杯もおかわりしました。 酸味の利いたスパ。ベーコンの味がたまりません。これもおかわり。 ビールで乾杯した後は白を抜栓。赤も抜栓。後者はブルゴーニュ。ジュブレシャンベルタンでした。いい気色になりました。素晴らしい香りに酔い、写真を忘れました。 アボカドとクリームチーズのディップ。これ、絶品でした。隠し味に山葵が入っていました。 Iさん夫婦には大学生の息子さんがいます。京都の名門に遊学中とのこと。寂しくなったのでペットを飼おうか思案しているのだそうです。飼うのなら犬がいいとはご主人。奥さんは猫にしたいようでした。猫の方を勧めました。 楽しい時間はあっと今に過ぎてしまいます。今夜がそうでした。妻も彼の奥さんと話が弾んだようでした。有り難うございました。 今日の一句招き猫濡れ手で粟の梅雨競馬お呼ばれの酒と料理が腑に落ちる(手前味噌ながら秀句)今日の写真はヒメホタルです。これ、Iさん撮影。美しいの一言です。パソコンの壁紙に使いたい。撮った場所は私の住む木立・大中尾だそうです。SNS繋がりで東京や大阪から観に来る人がいるそうです。
2016年06月11日
コメント(4)
平成28年5月27日(金) 午前3時半起床。薄曇り。時々陽が射しました。湿度が高く、梅雨を思わせるような空気でした。昨日だったか、防災に関連する関係各社の合同パトロールがありました。入梅を控えての準備でした。出発式を覗きました。とりまとめ役は弊社社長でした。挨拶の中に、今年はまだ台風が発生していないという話がありました。そういえばそうだな。 前後します。朝の散歩を1時間。松浦越に朝日が覗きました。 以下は路傍の草2題です。小さな花を咲かせてありました。名を知りませんが、接写にしたら気品の漂っているのが判りました。 こちらは紫の実になる花です。これも名前を知りません。それはそれとして、小さな花はマクロ撮影に限ります。 朝ご飯はマスクメロンでした。しかも四分の一カット。贅沢でした。 これ、熊本・八代の親戚から届いたものです。昨晩も同じだけ食べました。送り主は、義弟の奥さんが実家です。妻方の筋からはいろいろなものが送られてきます。私の親戚からは一つもありません。どうのこうのという話ではありませんが、妻方の一族一統はほのぼの系、互いを気遣い、思い遣るほのぼの系。翻って私の血縁はというと無頓着、個人主義の家系です。いいところから嫁をもらいました(笑い)。而してのメロンなんです。余談ですが、私の娘が嫁したとき、先方は拙宅のこと、私たち夫婦のことをどう思うんだろうか。まだ縁談のえの字もありませんが、想像してしまいます。それとは別に、こんなことを書くことの出来る幸せ。普通が一番です。 つまらぬことを書きました。世の中にはいろいろな身の上の人があります。普通に縁(よすが)を頼ること能わずの人たちこそ、その先に幸せとなってほしいです。 終日デスクワーク。稟議書にハンコを押し、来週に控えた会議の準備。案件が多く、整理に手間取りました。写真は昼に取った出前です。細切り冷やおろしうどん。これにツユを掛けて啜りました。天かすのシャキシャキ感、香ばしくもあり、goodでした。 夕刻、喉が渇きました。家に帰ってもコーラスに出かけて妻不在。彼女、それを見越して晩ご飯の作り置きをしない旨、宣言していました。条件は整いました。しかし、そこは天の邪鬼の私です。グッと我慢。コンビニへ寄りました。セブンのロックアイスを買いました。スーパーへ寄り、惣菜を物色。iichikoを仕入れました。 勝手口の鍵を開けたら、トラが待ち焦がれていました。ネコカリをやりました。着替えてラン7km。短パン半袖が気持ちよかったです。シャワーを浴び、プシュッ。当ては出来合い、鰯の蒲焼きと鯵の南蛮。 次いで、ロックアイスにiichikoを。うん、やっぱり冷蔵庫でこさえた氷とは違う。 それならばとウイちゃんに変えてみました。いい感じでした。録りだめた映画の中からインディージョーンズ魔宮の伝説を見ました。惹かれませんでした。見終えてバタンキュー。明日は梅林の草刈りです。来週、支援学校の生徒が梅穫りに来るからです。梅ジュースをこさえるそうです。今年の実はイマイチのようです。美味しく出来るといいんですが。雨の予報ですが、頑張ります。 書くことがないので女性二人のことを。 走っている最中、MのCさんに遇いました。花屋を営むご主人と二人、鎌で田の畔草を切っていました。彼女とは小学校から高校まで一緒でした。所謂幼馴染みというやつです。私たちを含め、中学校2年までの8年間、木立の40人あまりはずっと一緒、1クラスでした。中三の春、木立中学校が廃校になりました。1学年6クラスある中学へ転校。仲間がバラバラとなりました。以来、なんだか疎遠になってしまいました。40代になって4年に一度、オリンピックイヤーに同窓会を開くことが決まりました。リオ五輪の今年は彼女が監事です。あれこれを相談されました。それはそれとして彼女「H君(私のこと)の奥さん、スタイルいいよね、食事制限しているの?私はご飯が美味しくて美味しくて。毎朝3杯食べるのよ」えっ?本当?流石木立の女性です。 木立の女といえばもう1人、TのM代です。彼女も同級生。中学では陸上部。砲丸投げの選手でした。小規模校でした。そのほかに女子バレーと男子卓球があっただけでした。私は中距離のランナーでしたが鳴かず飛ばず。彼女は中2の時から大分県でNo1。全国区でした。同じ高校へ高校進学。地元大学の教育学部を卒業、今は小学校の教師をしています。父親が高齢のため、同居を目的に、近くの学校に転勤してきました。その彼女に今日、先のスーパーでたまたま遇ったのでした。ギリシャ神話に出てくるメドゥーサのような髪型をしています。顔つきもエキゾチックで魅力的。 私、女性と話すのは苦手です。幼馴染みだと、調子が出ます。スーパーの中、田の畔、それぞれの場所で久闊を叙しました。田の畔は走る途中だったので、立ち止まっての長話はいけませんでした。蚊に刺されました。今日の一句梅雨空を本格焼酎掻き分けて今日の写真は電話機です。会社に備え付けのものです。昼休み、新しいものと取り替えるからと、営繕の同僚が来ました。珍しい形をしていたので写しました。これ、衛星携帯電話です。普段は役立たずですが、いざというときは命綱。もしもの備えです。但し、屋外でないと使えません。 もう1枚は広告です。つね三が鱧シャブの宣伝をしていました。天下の清流番匠川を遡上の天然鰻もあるとのこと。しまった。突っ込めばよかった。
2016年05月27日
コメント(8)
平成28年4月24日(日) 午前5時起床。曇り時々雨。 楽しい時間はたちまち過ぎます。やってきた友は今日それぞれの土地に帰りました。 いっしょに食べた朝ご飯は妻の心づくし。味噌汁がいい感じでした。昨晩の残り、鯵刺の漬けとナメロウ。炊きたてに載せてめし上がれ。米が美味しいと言ってくれました。 別れはいつも寂しいです。紛らわすため、海の市場〇へ連れて行きました。Tが飼い猫にペット用の煮干しを買いました。ちなみに彼の飼い猫の名はニーチェと諭吉だそうです。てやんでぃ。 佐伯駅に送りました。振り返らずにサヨウナラをしました。あっけないのがいいんです。列車の時刻は午前10時過ぎ。また会おうな。写真は玄関先に咲いた菖蒲です。楽しい宴の後、無言に咲く花を見ると、寂しさが募ります。 帰り、城下堂へ寄りました。妻に、薔薇パンを買ってきて欲しいと言われていました。店への配達は午後3時頃とのこと。仕方ありません。あなみ(鯛焼きの店)へ寄りました。回転焼きを3つ買いました。 帰宅したら、昨夜、飲みながら皆で聴いたアール・クルーのCDがぽつんと1枚。余韻を消そうと、棚に仕舞いました。それからの一日はネットサーフィンと読書。1眼レフのカメラが欲しいな。ネットショップの注文ボタンをポチする一歩手前で踏みとどまりました。危なかったです。雨が降ってすることなし。無聊を託つとはこのことです。夕刻、広島の負けを知りました。仕方ない、雨が上がったので散歩に行くか。「私も行くわ」。妻を伴いました。以下は其の途中を切り取った4枚です。 先ずは杉の新芽。緑の態が瑞々しいです。 次いでオオテマリ。これは向津留にある民家の庭先で撮りました。緑っぽい花びらです。 タラノメはこんなになっていました。伸び放題です。誰も採らなかったんでしょう。写真にはありませんが、よく見ると其処此処にまだ十分天麩羅になりそうなのがありました。そそられました。天麩羅にするのは妻です。目が「あなた、やめてちょうだい」と言っていました。採るのをやめました。 堤防沿いのサボテンを見つけました。誰が植えたのか判りませんが、しっかり根付いて、芽を出しています。花を咲かせるんだろうか。 午後6時、風呂に入りました。「あなた、今日はノンアルコールよ!」。釘を刺されました。しかしプシュッ。妻が入浴中に白岳の20馬力をコップ一杯。生でやりました。ありがたくなりました。昨夜の残り、煮付けと猪の煮込みがおかずでした。バタンキュー。今日の一句忽ちの別れや哀し菖蒲咲くスペインへ打ち鈎腰に渡る友 今日の写真は友人Sが送って寄こした3枚です。 昨日は乾杯が早かったです。午後9時、いい気色になりました。次の遊びの約束は当然のこととして、リタイアしてからの生活、健康のこと、死についてまで話が及びました。 勃然、同じ講座に所属したSにTELしてみることになりました。彼は卒業以来、ずっとマグロ関連の仕事をしています。今は静岡に住んでいます。豪快な男です。大酒飲みです。酔うほどに青くなります。彼のことを皆、青鬼と呼びました。電話にでたS曰く「なんや!〇〇(私のこと)かいな、どないしてるんや」。相変わらずのきつい大阪弁でした。長電話になりました。KとTにも代わりました。彼、このところ地中海の定置物を取り扱っているととのこと。写真を送るからメールアドレスを教えてけろと言われました。そうしました。即座に写真が届きました。1枚目は彼が昨年、スペイン・ジブラルタルに出張した折のマグロ定置だそうです。 2枚目もその模様。 3枚目はS本人です。ジブラルタル海峡か~。旅情を感じます。行ってみたいな。
2016年04月24日
コメント(4)
平成28年3月16日(水) 午前4時起床。晴れ。昨日今日と寒の緩むというか、暖かい日でした。霜は降らず、露天の軽トラはフロントガラスが露に濡れるの図。 仕事の方は今日も小会議。出番がありました。明後日まで続きます。 帰りが遅くなりました。駐車場で同僚と立ち話をしたのでした。面白く、人気のある人でした。つい話し込んで、時を忘れました。内容は、こう書くと意味不明ですが、道化師の寂しさについてでした。その人をして然(さ)もありなん、独りごちました。 帰宅して風呂。酒保を覗きました。口を切っていない日本酒の一升瓶とワインが数本。寂しい限りです。仕方がないのでという枕詞はこの酒に失礼ですが、宝焼酎にしました。味がないので梅干しを放り込みました。当ては大根と煮たモンゴイカのゲソでした。なんだか本格的「焼酎飲み」になったような気分です。 さて、数日前、大学の同窓会誌が届きました。 これ、年2回、送られてきます。内容は水産学部の現状、誰それに学位や学会賞がという類、死亡欄と追悼文、総会や支部会の案内や報告、それに寄稿などで構成されています。支部報告には写真が添えてあります。時折、そこに同級生の顔を見つけます。二十歳前後であった頃の面影が残る面に、得も言えぬ感慨を覚えます。ずいぶん前、私も一度、大分県支部総会のことを投稿しました。その時、支部長だった富成さんは鬼籍に入って久しいです。今は私がその代わりをしています。無精です。もう何年も支部総会を開いていません。名簿によると大分県在住者は20名ほどです。私を含め5名が佐伯市に住んでいます。まだあったことのない後輩もいます。今度、声をかけてみようかな。 ペラペラ捲っていると、西山作蔵先生の追悼文が載っていました。89歳だったとのこと。ということは私が講義を受けた時、先生は50代前半だったことになります。漁具漁法学講座の助教授でした。定置網やトロールが専門。講義の内容はもう失念しましたが、漁網実習でカエル又結節を教えてもらったことは記憶にあります。色が黒かったです。作業服を着て埠頭を歩いたら、船網船具販売店のおやっさんに間違われそうな風情でした。講義の最中、面白かった話を一つだけ覚えています。彼の若い自分、おしょろ丸で南太平洋に延縄実習航海した時でした。サメが針に沢山かかって揚がり、甲板に並べたそうです。先生は「よし、因幡の白兎だ」といいながら丸太のような魚体の上をピョンピョン歩いたそうです。間が悪いというか、その時、足を滑らせ、長靴の踵がサメの口に嵌まったのでした。動かなくなっていたのに最後の抵抗か、それとも口の筋肉だけが反応したのか、ガブリやられたそうです。講義の最中「今も大きな傷跡が残っている」と笑いながら話してくれました。合掌。 ん?珈琲のいい匂いがしました。リンゴパイが出てきました。妻がお茶をしたのでした。ミスマッチ何のそのの私ですが、焼酎を飲みながらのこれはいけません。明日食べることにします。ちなみにこのお菓子、熊本のY、T君が妻に送ってくれたものです。ホワイトデーだからだそうです。 珈琲をを楽しんだ彼女が台所でゴソゴソし始めました。レモンを輪切りに。瓶に蜂蜜漬け。おっ、レモネードを飲めるぞ。楽しみです。 次いで分葱を茹ではじめました。スヌタは酒の当てにもってこいです。そうだ、花見用の日本酒を見繕う必要があります。楽しみが出来ました。 今日の一句教官が鮫に噛まれる武勇伝今日の写真はネタ切れにつき、夜の更けてバッハを聴くトラの図です。ハンス・ピシュナーのチェンバロで平均律のオムニバス。いい感じでした。
2016年03月16日
コメント(4)
平成28年3月2日(水) 午前5時起床。晴れ。霜降。 日中はミーティングに終始。遅くまで詰めました。残業のキンノジを残して家路へ。途中、スーパーに寄りました。時刻が下がり、店内は閑散でした。メアジと青鯵が山盛りになっていました。買おうか迷いました。遅い時刻に包丁を持つのは億劫という気持ちが首をもたげました。手ぶらで帰りました。風呂へ飛び込みました。今日の当ては鯖の塩糀焼きでした。冷やを1合、引っ掛けました。なんだか一日の終わるのが早かったです。 今日を思い返して、何か書くことはないか。ああそうだ、キンノジにチョコレートをもらいました。現物はこれです。何とも彼らしいお菓子ではあります。 早速、食べてみました。美味しかったですが、形から連想する味ではありませんでした。これ、彼の友人(女性)が営むスナックでもらったそうです。 お菓子ついでにも一つ。こちらはカシューナッツと、飴です。前者は、スリランカ産だそうです。唐辛子が混ぜてあって、乙な味でした。後者は宇佐飴。ラベルに神饌と書いてあります。供物のことです。供え先は、大分県宇佐市にある八幡の総本宮。和気清麻呂がやってきたあの宇佐神宮です。道鏡事件は、大学受験に押さえておくべき事柄です。まあそんなことはどうでもいいとして、この飴、噛んだら、歯の詰め物が持っていかれそうです。気をつけなければなりません。飴自体が美味しいだけに、もどかしかったです。両方とも、時折姿を見せる旦那、Sさんにいただきました。ありがとうございました。 関連でも一つ。突然ですが、Sさんの奥さんは魅力的です。美しい顔立ちを忘れられません。昔、何処かでお会いしたような気がずっとしていました。でもそのことは、言い出せませんでした。接点のあろうはずがないからです。想いを巡らせました。記憶の底にありました。やっぱり遭っていました。その人はレコジャケを飾っていました。チャイコフスキーのシンフォニー5番、ドイツグラモフォンの名盤です。ムラヴィンスキー、レニングラードフィルです。後期三大交響曲の演奏に関し、ファンの大方が最高の名演と絶賛する盤です。中のレコードはそれでよしとして、ここに描かれている女性がそうなんです。奥さん、今は少しふくよかさがありますが、若い時分はきっと、いや間違いなくこのような感じだったと思うんです。瞳の奧がペルシャ色を帯びているんです。以前、蕎麦を一緒した折、なれそめを訊ねました。拝み倒したと聞いたような。美男は美人と結婚しますが、美女はそうでない男と一緒になるという法則、間違っていません。失礼。ところでこの画、誰の作なんだろうか。ネットで調べてみましたが、判りませんでした。知っていたら、教えて下さい。 今日の一句エフゲニが蠱惑の瞳紡ぎだし今日の写真はネタ切れの折の助け船。トラです。チャイコにはあまり反応しません。
2016年03月02日
コメント(6)
平成28年3月1日(火) 午前4時半起床。薄曇りのち晴れ。未明の外気温2℃。日中も10℃近くまでしかあがりませんでした。寒い一日でした。早朝ジョグは中止。起きがけ、たっぷりのミルクティーがよかったです。ビスケットがありませんでした。クラッカーのようなものを代用しました。未明の2時間は、本を読みました。このところ、辻原登です。25年前「村の名前」で芥川賞を受賞した作家です。先月「許されざる者」を読んで、嵌まりました。調べて読売、谷崎、川端、大佛、芸術選奨、司馬、伊藤整などを冠した賞を総なめしていることを知りました。 朝ご飯を済ませ、ネクタイを巻いたら会社人間です。「すまじきものは宮仕え」という諺がありますが、その世界に踏み出します。「宮仕え」とは官庁や会社などに勤めることをいいます。人に使われる身ということです。何かと苦労が多いから、やめておいたほうがよいという意味です。私の仕事はその宮仕えです。ということで週末を除く5日間、お天道様のあるうちは滅私奉公です。首巻きを解いたら人間に戻ります。 随分と日が長くなりました。明るさの残るうちに家路へ。途中、門の鼻橋を過ぎて竹の鼻あたりにさしかかった時でした。おっさんが1人、ブラブラ道を歩いていました。千鳥足でした。川縁の吹きっさらしでした。なんだ、IのHやんか。泥酔の一歩手前でした。 私「Hやん、つんでかえっちゃる、はよのらんしぇ!」 大声を掛けました。 彼「うーぃ、儂ゃー運がいいわいのー、地獄に仏じゃー、足がたたんのじゃー、須留木で一杯やっちょったんよ、はいのいてくりー(乗せてちょうだい)」 助手席のドアを開けました。うーっ、たまりません。すえた熟柿の臭いが充満しました。 私「Hやん、いい気色じゃーなー、昼酒が羨ましいわい」 彼「飲まなーよい、眠れんのじゃーが、ほいての、寝入ったらおまい、夢ん中でどんし(どの人)かしらんけんど話かくるんよ、ほじゃーきぃおまい、儂もこたえんのよ、起きちょって人ん話ぅ聞き、寝てからも聞かなーいけんきーのぅ、ほいての、毎日飲まなーいけんじゃろーが。やおーねーんじゃが、のうはるちゃん(私のこと)よい」 乗せたところから彼の自宅までは2km。送りました。小さな橋を渡ったところに1人住まいの家があります。イメージとしては童話に出てくる村はずれの水車小屋という感じでしょうか。Hやんの歳は70前でしょうか。造船所で働き、定年を迎えてからは自適のようです。運転免許を取ることができず、車はありません。会社まで10kmの道をずっと自転車通勤でした。私が高校に通っていた頃からそうでした。写真は彼の後ろ姿です。 彼のことをして、朝聴いたラジオのことを思い出しました。NHK第一の毎朝ラジオです。7時前の番組に「社会の見方・私の視点」というのがあります。今日は三浦展氏でした。実施したアンケート調査の内容を話しました。老後に蓄えのある人とそうでない人で、幸せを実感するのに差があるのか否かという切り口でした。幸福感は貯蓄の多い人の方が勝ったが、少ない方にも、少なからず幸せと感じる人たちがいたという話をしました。彼等は、歳を取ると、物欲が薄れ、伴侶や孫の存在や、あれこれ思い生きていることに感謝することで安息を得るというのです。弁には深い問題も含まれていましたが、それはそれとして、Hやん、蓄えがあるのかないのか判りませんが、襤褸を着て1人住まい。趣味もなさそうですが、飼い猫と過ごす彼の背中、なんだかいい感じに見えるんです。至って陽気、明るいんです。 家に帰り着き、ネクタイをしたまま、今夜に燃やす薪を手当て。背広を脱いだら解放された気分になりました。早速抜栓。開運です。嗚呼甘露甘露。当ては鹿肉のころ煮でした。これがまたよろし。 おっ、ビビンバが出てきました。妻が半分ずつによそおってくれました。混ぜ込んであるモヤシの味がよかったです。美味いというと彼女曰く「一風堂のホットもやしソースを使ったのよ」ああなるほど。ありがとうございました。 飲みたりません。何か裏メニューはないの?聴いたら、鯵の開きを燻製にしたのが出てきました。これ、いい感じでした。 今日の一句羨ましヒロやんの酒春心地今日の写真は新聞広告です。このテーブルが4千3百万円だそうです。素晴らしい。 翻って拙宅の座卓です。 もう一枚はテーブルです。この2枚、厚さ12cmあったものを製材所で半分に割ってもらいました。ですから兄弟です。いまはもうない会社H銘木のTさんに譲ってもらいました。2枚が8千円でした。あとは私が鉋を掛け、サンダーで磨いてポリウレタンを塗りました。この新聞広告を見るにつけ、コスパの観点からこちらの方がずっといいや。悦に入っています。ちなみに拙宅のそれも90cm×200cmと広さ十分です。
2016年03月01日
コメント(8)
平成28年2月4日(木) 午前4時起床。晴れ。毎度5時半からジョグ散歩。外気温1℃。霜降。霧が出て、三日月が朧になっていました。金星は霞んで見えました。勿論木星は見えません。須留木の農道を歩きました。息の白いのが懐中電灯の明かりで判ります。吐いたそれが、歩の進みと同じスピードで前に流れました。霧の動いているのを感じました。案の定、折り返して、微かにではありますが、向かい風になりました。汗ばみました。写真は新地の農業用水を制御する弁です。上部が白くなっています。凍っているのかな。 もう一枚、梅です。偶(たま)さか、ここを通ると、KのKちゃんを思い出します。自裁して、もう10年になりましょうか。白い蕾に彼の笑顔が重なりました。酒好き、陽気でした。一杯気色で夕陽を眺める姿をよく見かけました。マジックアワーを楽しんでいるものと思っていました。今思い返すと、その折の顔は笑顔では無かったような気がしてなりません。深い闇の中、藻掻いているような感じです。確かに曲がっていました。首を吊った理由の何であるかは、葬儀の後、暫く近所の語り草になりました。私は噂話とは違う考えでした。彼の顔をして、ヴィトゲンシュタインのそれとと同じと、密かに考えを巡らせました。 朝に似合わないことを書きました。しかし、彼のことを懐かしむのは、もうここで、この花が咲いた折しかありません。この時刻、二人っきりになれた気分です。 出社は霧の道でした。会社の隣、大きな駐車場にトイレが出来つつありました。朝、午前8時前、クレーン車が動いていました。現場の人たちは朝が早いです。写ってはいませんが、このビームの上に飛行機の航跡がありました。それを見て、いよいよだなと思いました。名古屋行きが近づいています。大分空港からセントレア向けの飛行、楽しみです。 午前中はミーティングに終始。慌ただしかったです。午後は忙中の閑。新聞の整理や人事考課の書類をあたりました。ちっとも捗りませんでした。気分が乗らなかったです(私、気分で仕事をする人間です)。夕刻、ボードを玄関に見送りました。私も真っ直ぐ帰宅。途中、ローソンに寄りました。レターパックプラスを買いました。長らく友人に借りた本をこれに入れて送り返します。 家に着いて、薪を居間の前に運びました。新しい台車が届いたので、楽ちんの作業でした。風呂に飛び込みました。バスタブに多めの湯は、幸せを感じます。出て頭を拭くのもそこそこ、燗をつけました。コップ酒。今日も蓬莱です。小鰺の漬けがいい感じでした。 おっ、サザエが登場。これ、息子の好物なんです。見る度、思い出します。元気にしているかな。 いい気色になりました。「あなた、今夜は頂き物のこれを食べませんこと?」Sさんに頂戴したチャンポンのカップ麺でです。チキンナンバン発祥の店、延岡の老舗「おぐら」の監修です。ここはチャンポンも有名なんです。エースコック社製。 野菜たっぷりでした。然り、火薬やスープのパックが計4袋。素晴らしい。 湯を注いで5分。いい感じです。リンガーハットのそれに近いというと大げさかな。結局、妻が独り占めでした。ありがというございました。よろしくとのことです。 一杯気色でYou Tube を楽しみました。竹内まりやの「駅」がよかったです。夜ですが、白昼夢に浸った気分になりました。 今日の一句漬けを嗅ぐ愛猫可愛春の立つ今日の写真は眠り薬。シリーズものです。BOOKOFFで仕入れました。この作家、初めてです。「慶次郎縁側日記」というタイトルに惹かれました。勿論新潮文庫です。スピンがいい感じです。
2016年02月04日
コメント(4)
平成28年2月2日(火) 午前4時過ぎ起床。毎朝、残った熾火に追いくべをします。今日は灰が多く、十能で掬い取りました。金バケツが一杯になりました。勿論、火種は残してあります。これに薪を乗せます。5分ほどで大きな炎になります。灰掃除は、5日に1回位です。薪ストーブ、冬の間は火の大小、薪の多寡はありますが、24時間燃やし続けています。 終日デスクワーク。合間を縫って、人事考課の面談をしました。短い時間で半分の人を終えました。夕刻、まだ陽の残るうちに会社を出ました。ジョギングの準備をしていません。天井の張り替えをしました。15分で終わる安い店です。今日は、同世代と思しき女性が頭をあたってくれました。カットする程度や鬢の長さ、バリカンを入れるか否か、聞かれました。私「うまいとやっちょってください」彼女「?」私「ああ、適当にということです」短くされました。私の顔は少しの下ぶくれです。忽ち「茄子のへたカット」が出来上がりました。 帰りにいつものスーパーへ。鯵を買いました。二日連続でした。帰宅したら妻に呆れられました。今日はもつ鍋でした。刺身にしましたが、食べずに漬けとしました。その鍋、キャベツの沢山入ってモツがどこにあるか判りません。燗酒2合を流しました。 夕餉を終えてNHKFM。ピーター・ウィスペルウェイのチェロでBachの無伴奏チェロ組曲。昨年3月、ウィーンコンツェルトハウスの録音でした。籠もっているような音がしました。この演奏家、CDを持っていますが、どうも違うような感じがしました。どうなんだろうか。聴き終えて本を手に取りました。眠り薬が効いて、忽ちバタンキュー。 書くことが無いので、日中に話をしていて思いだしたことを。私、若いころは水産部門の営業でした。加工組合の方々との付き合いもありました。年1回、視察と称して、業界団体と一緒に九州・山口の水産課工場を見て回りました。その中に、面白い社長、Yさんがいました。当時で、多分70を越えていたと思います。飄々、穏やかなんですが、話し始めたら止まりません。人の声に耳を傾けません。さて或る折、長崎の水産加工事情を知るため、一同、西に向かいました。Yさんひとりだけ、着物に羽織を羽織っての参加でした。珍しいものを見るような感じを覚えました。佐賀・有田付近のドライブインで昼をしました。大きな施設でした。土産物売り場を併設していました。Yさんは、子どもの土産にといいながら、ゴム製のちょんまげカツラを買いました。数百円の子どもだましです。まさに好々爺でした。しかし、後がいけませんでした。彼は、道中、それをずっと被り続けました。勿論、案内される水産課工場、説明を受ける会議室、質疑応答の際もでした。勘弁してよという気持ちになりました。しかし、なんだかユーモアじみた感じもし、皆もそうなのか、まあいいや、許す気持ちもありました。見かねた同業の社長が「Yのお爺、冗談もそのくらいにしておかんと」と注意しました。先に書いたとおり馬耳東風。最後までそのヘアスタイルを押し通しました。 以上、ひょんなことから思い出した昔話です。今日の一句豆袋明日は頼むぞ鬼を追え今日の写真は、つまみにとこさえた鰺刺です。熱めしの素に漬けました。好い色合いです。明日の当てに回しました。
2016年02月02日
コメント(2)
平成27年11月5日木曜日 午前4時起床。晴れ。朝の散歩を1時間。暗い中、歩いている人がいました。すれ違い態、挨拶をしました.HのSちゃんでした。私より2つ歳上、材木店を経営しています。ちゃん付けで呼ぶのは幼馴染みだからです。一緒しようと言われ、肩を並べました。須留木まで行って折り返しました。 道中、木材事情を聞きました。彼曰く、小径木が不足している、3寸角の材が取れるくらいの丸太だ、それより大きいものはだぶついている、国内市況は思わしくない、加えて輸出もお隣さん、中国の経済が冷え込んでだめ、船に積んで運んでいっても向こうの港で荷役を断られる、佐伯の山はどんどん伐採が進む、年間30万立米が切り出されている、これからは拍車がかかる、はげ山が目立つようになった、中国木材は撤退、日向に大きな工場を建てた、大きなバースがあるからだろう、隣まちに林地残材を当てにしたバイオマス発電所が稼働する、曲がりも大小も立米7千円で買い取ってくれる、Hちゃん(私のこと)、山師(樵)になって発電用の杉を切ったらいいよ、儲かるよ・・・。 彼と別れ、門の鼻橋を渡り戻しました。川向こうの県道色宮木立線を、都会に向けトラックが走っていきました。米水津のブリを積んでいるのでしょうか、それとも演歌「男の港」で有名な鶴見・松浦漁港に揚がった青物を載せているのでしょうか。下がその写真です。 午前中デスクワーク。午後は弊社をあげての災害対策訓練がありました。私のまちは九州一の面積があります。903平方キロメートル。東京との半分近い広さですが、人口は180分の1。人の住んでいない田舎まちです。海岸線が長く、270kmあります。半分以上が太平洋に面しています。南海・東南海沖地震による津波来襲が懸念されています。10mを越えるのだそうです。米水津や蒲江地区の海岸線は、建物の全てが倒壊してしまうのではと心配になります。梅林庵のある木立は大丈夫ですが、市街地にある弊社社屋付近はマックス3mの津波に洗われるとの予想です。ということで、地震発生からの一両日を想定、模擬対策本部を設置しました。社員100人あまりを動員して、その場で条件を提示、ケーススタディを実施しました。警察の飛ばすヘリコプターから逐一入る津波被害の状況に、身の毛がよだちました。安否確認、避難状況、ズタズタになった道路網、混乱する通信状況・・・。広い会議室はてんやわんや。緊迫感がありました。不埒ですが、東北の震災がいまこの佐伯市で起きていると思うと、これから先、不眠不休が続くのだな、覚悟が要るな、大変だ、というような思いになりました。シミュレーションは丸々半日を使いました。多くの課題が見つかりました。今後、反省に基づき繰り返し訓練を行わなければなりません。 真っ直ぐ帰宅。おっ、煮物が出てきました。食卓は、夏野菜から冬バージョンへと変わりつつあります。蒟蒻と里芋です。 うっ、これ、あまり得意でないんです。 誤魔化すため、30馬力の黒糖焼酎「高倉」にシークヮーサーを放り込み、炭酸で割りました。うん、これはいける。 写真は生姜の佃煮です。昨晩、妻が大量にこさえました。その折の一枚です。 ちょっと物足りないので、鹿肉の角煮を出してもらいました。熱燗で流しました。猪口をショットグラスで代用しました。悪くないです。 ビデオの整理をしていたら、妻が「これを見て」とニュース録画を指しました。再生しました。こんなのが映っていました。親方です。師匠です。私にはオーディオと、山の世界とに、それぞれ師匠がいます。前者は都会的というかセンスのよいスマートな方、芸術に確かな審美眼をもっています。一方、山の師匠は田舎者、シベリウスといったら「そん臼ぁ餅ぅつく臼な?」と返すような人です。取り柄は全くないのですが、ユンボの運転と野菜作りが上手です。おっと、横道に逸れました。そのニュース、佐伯支援学校の生徒に森のあれこれを体験させるボランティアがいる、という切り口でした。その人が私の師匠なんです。いつもは山師のような格好をしていますが、この日は画面で判る通り、営林署の管理職と見紛う姿でした。 今日の一句里芋を弱音聴きつつ頬張りて今日の写真は本二題。一冊目は七段に読めと渡されました。中に私のまちのことが書かれてあります。 もう一冊はキンノジに読めと渡されました。この本、書いた人が私のまちに住んでいます。高校の折の同級生です。
2015年11月05日
コメント(6)
平成27年10月6日火曜日 (明日から出張です。上京します。数日、ブログを休みます) 午前4時起床。外気温13℃。冷えるようになりました。まだノーネクタイですが、背広を羽織りました。今日も早めの出勤。朝礼前の小一時間、抱えた原稿の校正をしました。ページがすすみ、気分がよかったです。午前はミーティングと会議。事前準備にバタバタなりましたが、始まってしまうと、後は流れに任せるだけ。すんなり終わりました。 昼に弁当を食べていたら、広報が訃報を知らせてくれました。驚きました。今日の未明、某全国紙記者のFさんが亡くなったとのこと。死因は心臓麻痺らしい。53歳。呆然。先週、嘉風関市民栄誉賞の記事を書いてくれました。数日前、月1回の記者発表があり、そこで会ったばかりです。信じられない。午後は気もそぞろ。社員も、顔を合わせる毎、彼のことを話し、ため息をつきました。社内の空気が沈みました。 日の落ちて、会社を後に。とるものもとりあえずということで、通夜へ。読経は午後7時からでした。30分前に着きました。まだ一人の弔問客もいませんでした。奥さんと息子さん二人が、故人に寄り添っていました。兄は大学生、弟は高校生です。奥さんは気丈でしたが、突然のことに彼等は涙を流すことさえ忘れたような感じでした。 棺は閉じられていました。蓋の上に気象予報士の登録通知証、National Geographic誌、それに一冊の文庫本が置かれてありました。私の知らぬ彼の世界を垣間見たような気がしました。線香を手向けた後、3人に声をかけました。別れをさせて欲しいというと、奥さんがぜひそうしてやって下さいと返してくれました。蓋を開けました。瞳は閉じられていました。意志の強さを感じさせる目をもう見ることができません。肩にのぞく死に装束が哀れでなりませんでした。いまわの際、家族を残しての後ろ髪は如何ばかりか。嗚呼、人の生死の儚さ、あわれというも疎かなりです。 が、残された者は生き続けなければなりません。息子さんたちに、頑張れよと声をかけました。少しはにかんだ表情をしたように見えました。救いでした。Fさん、いい息子に育てたな、大丈夫だよ、という気持ちになりました。弁えずに言わせてもらうと、羨ましくさえありました。これが私の弔辞です。 帰りの夜道、無性に冷酒を飲みたくなりました。スーパーに寄りました。 木立に入ると、途端に夜気が増しました。田んぼの中にある公民館のグランドに照明が点いていました。闇の中の灯りがFさんを弔う蝋燭のように見えました。 家に着いて西空を仰ぎました。アンタレスが沈む直前でした。ため息が出ました。風呂に湯が張ってありました。長風呂になりました。頭を拭いて酒を抜栓、オクラを精進に見立て、彼を偲びました。 「あなた、今日はイシダイのムニエルよ」妻がこれを出してくれました。今日のことを知るよしもありません。彼女には彼女の世界、私との幸せがあります。この料理に、図らずもそれをかみしめることとなりました。 今日の一句朋友が星になりてのこの一夜今日の写真はありません。代わりにFさんの書いた新聞記事を。嘉風関に市民栄誉賞 秋場所、2横綱撃破の大活躍 /大分毎日新聞 2015年10月01日 地方版 佐伯市の西嶋泰義市長は9月29日、大相撲秋場所で白鵬と鶴竜の両横綱を破るなど、大活躍した同市出身の嘉風関(33)=本名・大西雅継、尾車部屋=に市民栄誉賞を贈ることを決めたと発表した。西嶋市長は「小柄ながら、大きい外国人力士に挑む闘志あふれる姿に、市民も感動している」と語った。同市の市民栄誉賞は、今年1月に芥川賞を受賞した小説家の小野正嗣・立教大文学部准教授(44)に次いで2人目。贈呈式の日程は未定。 嘉風関は前頭筆頭で臨んだ秋場所、両横綱のほか、2大関も撃破して11勝4敗の好成績を収め、殊勲、技能の両賞も獲得。5月の夏場所は10勝(5敗)、7月の名古屋場所でも入幕後最多の12勝(3敗)と、3場所連続で2桁の勝ち星を挙げている。11月の九州場所では、小結への再昇進が予想されている。 嘉風関は市立灘小4年の時、佐伯巡業に来た若花田(後の横綱・若乃花)の胸を借りたのがきっかけで相撲に目覚めた。中津工(現中津東)高、日体大へ進み、アマチュア横綱も獲得。2013年からは、佐伯市と中津市で交互に「嘉風相撲大会」を主催し、相撲人口の裾野の拡大にも努めている。 合掌
2015年10月06日
コメント(6)
平成27年9月1日火曜日 午前4時起床。夜来の大雨は未明に上がりました。目の覚めたときは、止んでいました。今日も床の中で読書1時間。起きてコーヒーブレイクと洒落こみたかったのですが、面白さに思わず引き込まれました。 湿った空気の中、午前7時前に家を出ました。交通安全の黄色い帽子と襷を纏い、旗を持って、土井の交差点に立ちました。月1回のボランティア活動でした。私、年齢は57ですが、集まった10人余りの中で一番若かったです。未だに若手です。ことある事に若いもんがやれ、といわれます。しかたありません。皆は8時過ぎまでここに立ちますが、私は7時半でこらえてもらいました。 午後の半ばまでデスクワーク。校正作業が進みました。その後はミーティング。明日からは終日です。 会社が引けて真っ直ぐ帰宅。走ろうという段になって、落ち始めました。午後6時半を過ぎ、パンツをはきましたが、林道の暗さを思い、断念。弱気になりました。風呂に入り、一日の疲れを流しました。午後7時前の入浴は、幸せな気分になります。頭を拭き拭き、冷やを1合。底溜まりを飲み干しました。これで大人買いした樽酒シリーズは終わり。日本酒は冷蔵庫に入ってある亀泉1本となりました。 あーあ、雨も降るし、書くこともないし。本を読むべか、音楽を聴くべか。これを手に取りました。「釜山の人情食堂」双葉文庫チョン・ウンスク602円。これは新刊書です。先月、発売になりました。いつか釜山にと思い、買ってみました。このまち、九州からは近いんです。海を渡ります。下関からフェリーが、福岡からは連絡船が出ています。格安です。グルメのまちです。海鮮とホルモンが主体です。今一番行ってみたいところの一つです。その街には古い友人が住んでいるはずです。金さんです。学生時代に遡ります。彼は韓国からの留学生でした。博士号を得て、釜山水産大学の教員になるんだと言っていました。当時、学生は皆素寒貧でした。彼の貧乏は特別目立ちました。夏も冬も同じ服を着ていました。学食で玉子かけご飯ばかり食べていました。おかずナシ。昼を我慢することたびたびでした。勉強は出来ました。摺り切れた英英辞典を持ち歩いていました。今調べて、釜山水大は釜慶大学校と校名を改めていました。彼、どうしているかな。 なんだか遥かな心持ちになりました。若いころ、一時の偶然を経た後、母国へ戻っていった友人。彼方の記憶なのですが、釜山の本を手にとって、妙に懐かしく思い出しました。目先の雑事、酒を飲む毎日にあって、ふと昔のことを思い出すのは、歳を取ったということでしょうか。私の先は長くないのかもしれません。命短し酒飲めオッサン、です。今日の一句醤油飯掻き込む友の箸悲し今日の写真はサギです。一昨日、沖田に餌を求めていました。昨日も生き物の写真をアップしましたが、ハエやヤモリだったので、今日はグッと上品に。
2015年09月01日
コメント(8)
平成27年7月14日火曜日 午前3時半起床。晴れ。気温が高く、蒸し暑い一日でした。出勤前になって、妻が何かいると言いました。西側の網戸にカミキリムシがとまっていました。黒いのはよく見かけますが、この色は珍しい。長い触角が印象的です。 終日、空調の効いたビルの中で過ごしました。帰宅したら「エアコン電気代を節約したわよ」暑くて暑くてと言いながらも自慢げの顔でした。走りに出かけました。ラン5km。汗をかく前、一緒に歩こうかと誘いました。「陽が陰ったので野菜畑に出るわ」腰に蚊取り線香を下げた図は、もう木立の女でした。 前後します。日中は忙中閑有りでした。関連する新聞記事をくまなくチェック出来る余裕がありました。若い連中は出張、協議やミーティングはありませんでした。リマインダーに積もった雑事を片付けました。社内は昨晩の地震を忘れ、迫る台風を気にする空気でした。 書くことがないので、このところ、手に取っている本について。宇野功芳「名指揮者ワルターの名盤駄盤」講談社α文庫です。 Sさんに借りました。早く目を通し終えなければなりません。筆者は歯に衣着せぬというか、大胆というか、人によっては毒舌の評論家です。私がクラシックを聴き始めた大学時代、昭和50年代前半ですが、飛ぶ鳥を落とす勢いだったカラヤンを貶(けな)すイメージがありました。ブルックナーはクナッパーツブッシュの棒に勝るものはないというのが信条だと思い込んでいました。彼は今も現役です。時折、新聞に新譜の批評を見かけます。好みの問題ですがその個性、悪くないと思います。 本の中身は題名の如くです。録音年次に従い、盤ごとの解説が続きます。それはそれとして、凄いのは後書きです。引用します。「思い起こせば、僕がワルターに初めて手紙を出したのは1952年(昭和27年)春、返事をもらったのが同年7月。それはウィーンでの例の第40番や大地の歌を指揮し、カリフォルニアの自宅に帰った直後に認められたものだった・・・」以来、文通が続いたともありました。へーっ、ワルターと手紙交換していたのか。驚きです。今とは時代が違うとはいえ、天下のブルーノ・ワルターです。なんだか神様にファンレターを出したら返事が来たような感じです。 解説本は、本文よりもまえがき、あとがきに驚く発見のあることがあります。特に後者がそうです。 今日の一句朝露を天牛(かみきりむし)も堪能しワルターに針を落として迫り来る今日の写真は香魚です。先日もこれで一杯やりました。当てのない折に解凍して食べるの扱い、失礼をしました。落ち鮎につき腹がパンパン。 背割ってみて納得。濃厚な東洋美人にさえ過ぎたる一品です。
2015年07月14日
コメント(2)
平成27年6月27日土曜日 午前3時半起床。休日は目が早く覚めます。終日、雨でした。未明から夕方まで、家の中で過ごしました。コーヒーを楽しんで、シュークリームを一つ。活字を追うのが至福の時間。お茶の後はレコードを3枚聴きました。オーマンディ、フィラデルフィア管でワーグナー。金管の鳴るオケですが、弦も悪くない。アンプが安定した後は、いい感じでした。目を瞑ると、新しい発見がありました。タンホイザー序曲の終わり間際、ホルンの一吹きがありました。 写真手前のローラーはピクソールです。盤上の塵を取るためのものです。強力な粘着力があります。クルクルワイパーと思ってもらえばよいです。英国製です。オーディオの師匠に教えてもらいました。 続いてビーバーの「ロザリオのソナタ」メルクスのヴァイオリンです。グラモフォン系列のバロックレーベル、アルヒーフ盤です。ジャケのデザインが懐かしい。学生の頃、このレーベルに手が出ませんでした。廉価版漁りの時代でした。これを聴くのは初めてです。10年ほど前に100枚ぶっ込み大人買い、何が入っているのかは開けてのお楽しみ、という段ボールをヤフオクで落札。4,000円位だったかな。 盤は並のレコードより厚め、重量感がありました。針を落とした形跡無しの完全版。リュートとガンバの音が艶めかしい。タンノイの面目も躍如です。 午睡の後、陸上の日本選手権を見ました。男子1万メートルは鎧坂が優勝しました。旭化成の選手です。隣まち延岡にベースがあります。先月にあったゴールデンゲームズは見逃しました。来年こそ行くぞ。 午後7時を過ぎて、家を出ました。つね三に出撃。Yさんと一献の約束をしていたのです。先日、偶然その店で遇って、いつか飲もうと名刺を渡しました。メールが届き、今日がその日でした。彼は大学も学部も一緒の後輩です。山一つ越えたところ、岬にある大手水産会社の研究所に勤務しています。同僚の3人と、懇意にしている漁師Aさんが一緒でした。早速乾杯。その分野の研究と、田舎住まいに思うところを聞きました。皆、全国区だからです。 その彼、Yさんは札幌・平岸の生まれ。大学を卒業後、このまちにやってきたとのこと。柔道部出身の猛者。寝技が得意の由。「七帝柔道記」増田俊也を地でいくハンサム男です。28歳独身。出合いの機会に乏しく、誰かを紹介して欲しい、先輩、頼みます、と言われました。一瞬、娘のことが頭を過ぎりましたが、押しつけはいけません。弊社に勤務の美人女性を紹介してみるか。 話を聞くと、Eさんも後輩になるそうでした。静岡・浜松の出身。魔がさして北海道へ遊学。私はマイワシでしたが、彼は講座でウナギの研究をしたそうです。千葉の人を嫁さんにして一児の父、32歳。ナイスガイです。 Kさんは、マグロ養殖で有名のK大出身。大学でその分野を勉強したとのこと。目玉のくりっとした男前です。隣まち延岡が故郷だそうで、木立に住んでいるとのこと。何だ、直ぐ近くなんだ。聞くと、通勤時に見える新築の家がそうでした。薪ストーブを入れたとのこと。話が弾みました。 Mさんは兵庫・三田の生まれ。広島の大学を卒業後、函館でその道のドクターを終えたとのこと。一時、水産庁の研究機関に勤務する同級生Nの下で働いていた由。顔つきは、水産学の研究者然りの髭面でした。 みんな、学究肌。切った張った、おべんちゃらごますりの世俗に身を置かずの感じでした。目が澄んでいました。話は自ずと自然科学の視点です。楽しい時間を過ごしました。心が洗われるとはこのことです。 当ては研究所の生け簀に泳いでいたブリとイシガキダイの持ち込みでした。絶品でした。 もうひとり、研究所の筏が浮かぶ漁村の漁師、Aさんが同席。なんと、40年ぶりに再会の旧友でした。高校の同級生にして懐かしい。その頃は、半島の道路が整備されていない時代でした。岬めぐりの羊腸通学を避け、市街に下宿していました。不良っぽいところがありましたが、なぜか馬があいました。国分寺にある大学に進学、名古屋近くのまちに就職し、そこで結婚。2児をなしました。奥さんの実家で家業を手伝っていたとのこと。数年前、実家の母が認知症になり単身帰省。生家で介護をしながらタコ漁をしているとのこと。高校の折、彼の家を訪ねたことがあります。海水浴でした。その折のことを覚えています。彼の母は薄い緑のワンピースを着ていました。今思うと、40歳くらいでしょうか。細身で、漁村に似合わずの美しい人でした。妙に印象深かったです。隣に座り、久闊を叙しました。写真はつね三玄関の図です。 もう一軒、Aの河岸へいくという皆を見送り、妻の迎えまでつね三に居座りました。〆の塩ウニです。流した酒は西の関のぬる燗。甘露でした。 今夜は楽しかった。帰りの車中「あなた、そんなに飲んでどうするのよ!」「僕、まだ酔ってないよ」そう言いながら、呂律の回っていないことの判る家路でした。今日の一句久闊に鎧剥がれて気持ちよし閑居なりオーマンディに針落とす今日の写真は拙宅菜園のキュウリです。夕刻、妻が一本漬けにしました。甘露の当てによろしい。余談ですが、キュウリは河童の好物。多治見のうながっぱさんもホリホリ食べているんだろうな。
2015年06月27日
コメント(8)
平成27年6月22日月曜日 午前6時過ぎ起床。曇り一時雨。 日曜出勤の翌日は、足が重い。オマケに午前中、某案件の説明会議が難航しました。踏んだり蹴ったりでした。午後はデスクワークとミーティング。一日の経つのが速かったです。夕刻、親友、営業某課の管理職KからTELがありました。依頼してあった某業界の動向調査案件でした。懸案を幾つも抱えて遅れたが、いよいよ始めるよ、との連絡でした。私は昼行灯、行き当たりばったりの性格ですが、彼は我が社のエースです。一つ年下ですが、信頼厚いいい男です。同い年のような付き合いをしています。このところ、多忙を極めていました。電話の切り際、近いうち一献如何、誘いました。二つ返事が返ってきました。拙宅で樽酒を飲んでもいいし、気安い店に突っ込んでもいいし。彼曰く「誰か誘おうか、でも薪ストーブに読書、クラシックを聴く連中は弊社にいないしな、やっぱり二人でやりますか」彼は父親を早くに亡くしました。苦学して新島襄が創立、京都にある名門大学を卒業。学生の頃は山岳部に在籍、岩登りに没頭、硬派だったと聞きました。老母をみるため帰省。弊社に働きながら、週末は家業のみかん園に働く男です。ダンディーかつ、スマートです。私は小説読みですが、彼の読書は思想、ビジネス、経済のジャンルです。甘いところではチャイコフスキー、ショスタコにも入れ込むところは変わり種。言うとおり、薪ストーブを焚くロマンチストです。彼の息子と豚息は、高校・大学を一緒しました。乾杯が楽しみです。 話が逸れました。日中にパラついた雨は、会社の引ける頃にあがりました。身体が重かったですが、運動公園へ。ジョグから始めました。5kmを過ぎ、汗も出て、調子がよくなりました。2kmの周回コースを5周。アップダウンが適度にあり、太ももと肺に負担がかかりました。最後の1周は4分30秒で押しました。今日の10kmはいい練習、充実感がありました。 帰宅してシャワー。「盛りつけが悪いから写真は撮らないでね」という餃子を当てに生酒を流しました。甘露でした。樽酒と1合ずつで打ち止め。本を持って横になりました。今日の一句樽酒や微醺で我慢の月曜日 今日の写真は王朝物です。先日、ブックオフから届きました。割引と送料無料を使ったので、1冊が80円足らずの計算になります。暖簾の燗ピン1合が500円です。どちらが安いか、価値のあるか、判りきっています。が、そんなことを考えて面白くないのが人生です。
2015年06月22日
コメント(2)
平成27年5月18日月曜日 午前4時起床。雨模様。梅雨に入ったような天気でした。出勤は傘を持ちました。私の席は弊社ビルの5階窓際です。南側にあって、市街地を一望。川面は見えませんが、その向こうを番匠川が流れています。更に向こうは、木立野を遮る灘山です。その先、ひときわ高いピークは九州百名山の一つ「元越山」。大きな山塊です。仕事を始める前、この景色を眺めていい気分になるのですが、今日は違いました。湿気のため、見通しが悪く、山頂は見えませんでした。シイやカシの花が終わり、緑の濃くなり始めた新芽も色無しでした。灰色一色の窓外でした。そのせいか、朝礼の折り、午後の出張を失念。恥ずかしい思いをしました。ところで、部下のF、奥さんの父親が亡くなり、今日から忌引き休暇でした。実家は県北、車で2時間を要します。行き来が大変です。例えば東京・大分間の飛行時間は90分ですが、所用時間は時として距離感を惑わします。同じ県内にあっても移動に時間がかかってしまうと、鄙び感が増します。今日、そのことを改めて思いました。 午後、雨の中をMと大分向け。PM3時からの会議でした。県内同業他社の管理職が集まりました。業界の営業方針に沿って某案件の取組をもっと進めよ、という話でした。重箱の隅、大勢に影響のない内容でした。会社にとって返した時、既に夕闇迫るでした。雨も降っていて、ランは無し。真っ直ぐ帰宅。あっという間の一日でした。風呂に入って、南部美人のぬる燗を2合。今日はこれで打ち止め。 「あなた、何時酒を切るの!」厳しい指摘を浴びました。まずい。もうすぐポチした樽酒が届くというのに。1升瓶5本です。明日あたり、姿勢を見せる必要があります。 書くことがないので、昨晩のことを。風呂に入ったあと、一杯気色。火照った身体を夕風にさらしたく、外へ出ました。写真は陽の落ちた西の空です。 剪定した茶の葉と小枝が山盛りになっていました。明日は雨模様だ、よし、燃やそう。火を付けました。薪用にと、梅林横に放置したシイの丸太が腐り始めていました。これもついでに焼いてしまおう。タケノコを湯がくためにとっておいたツバキの小枝ももう要りません。草が巻きつき、始末に負えなくなる前に処理。火が大きくなりました。キャンプファイヤーのようでした。写真のないのが残念です。思い出しました。今日は大阪都構想の賛否を問う投票日でした。先週、大阪を旅した折、Tがあれこれを話していたな。TELし、その後どうだい?訊いてみようと思いました。かけました。不通。まぁいいや、スイッチを切った途端、折り返しの電話が鳴りました。Sからでした。???間違って履歴にあった彼の宛先を押したのでした。大阪から一度かけたんですが、電話に出ず終いだったんです。彼も大学の同級生、学部も講座も一緒でした。静岡・清水でマグロの商売をしています。兵庫・芦屋の出身です。学生の時からどぎつい関西弁を話しました。曰く「なんや?Tか、なにか用があるんけ?えっ、ない?なら電話かけ直させんなよわれ!このどあほが!国際電話は高いやぞ、えっ、わしか?今、スペインにおんのや!嘘やない、昨晩、入ったんや、マラガのレンタカー会社やで、カウンターで車借りよるねん、マグロの買い付けや買い付け!えっ?言葉、そんなもん出来るわけないやんけ!ナントカなるんや、ほな切るで、今度会おうな」まくし立てられました。地中海か~。遙かな気持ちになりました。酔いが回りました。 今日の出張を失念したのは、この電話がせいでした。今日の一句門灯に蛾の集まりて夜の更け電話有り鄙びた土地にマラガから 今日の写真はネタ切れにつき、脈絡のない3枚です。先ずはトラ。家猫の辛いところです。 こちらはジャガイモの花。枯れたら収穫です。 フルトヴェングラーの10枚シリーズvol2。著作権の切れた名演てんこ盛りです。
2015年05月18日
コメント(5)
平成27年4月26日日曜日 午前5時過ぎ起床。金曜日の昼から遊び歩きました。猶もう一日、休みのあることを思うと、得をした気分になりました。小旅行の疲れは残っていませんでした。 朝のうち、ブログを書いたり本を読んだり。朝ご飯を食べて、野良に着替えました。地下足袋を履き、チェーンソーを軽トラに積みました。波越むけ。親方からTELがあったのです。ユンボでシイとカシを始末してくれるとのこと。晴れて緑一色の堅田路は、浮き立つような気分にさせてくれる風情でした。どうですか、この景色(なんだか釧路や本別の皆さんに自慢しているようだな、悪いな)。 現場に着きました。親方がいました。2月だったか、杉の全伐を手伝った御礼が今日の仕儀なんだそうでした。まず雑木を倒しました。といっても胴回り50cmはある大木です。枝が張って、狙いのところに倒しにくかったです。矢を打っても効かなかった。 次いで、ワイヤーロープを掛けてはユンボで引っ張り、玉切るの仕儀。陽気も相まって、汗びっしょりになりました。みるみる始末がつきました。重機の作業は捗ります。 正午近くになって一段落。疲れました。水で喉を潤しました。そんなに冷たくなかったですが、乾いた身体には甘露でした。息を吹き返しました。先日、kusuhito氏と作業をしたところに廻りました。もうひと頑張り。カシを玉切り、1車分をこさえました。積み込んで一息。 ふり仰ぐとクヌギの新芽が空の青に溶け入りそうでした。話が逸れます。この時期、このコントラストを見るにつけ、初夏の札幌を思い出すんです。低い湿度、陽向に出ると汗ばみますが、日陰はひんやり。黄緑に満ちた世界は、全てが落葉樹がためでしょう。大げさですが、悲しいまでに透き通った色合いでした。もう40年近く前の記憶です。心象風景じみていますが、肌の感覚と相まって、強く残っています。薪を積み終えて、しばし白昼夢に浸りました。 帰宅して遅い昼をしました。重い腰を上げてもう一仕事。軽トラの荷を下ろしました。大きい丸太は斧で割りました。途中、妻が電話の子機を持って出てきました。私にでした。職場で一緒したことのあるH女史からでした。日曜日、まさかデートの誘いではなわな。よい報せか悪い報せか、冗談めかして訊ねました。悪い報せですと暗い声が返ってきました。 Oさんが亡くなったとのこと。絶句。1年前から癌を病んでいたとのこと。全く知りませんでした。彼女は結婚してこのまちにやってきました。弊社の臨時職に応募。たまたま私がチーフをする広報と総合案内の職場に配属されました。10年余り前のことでした。1年間、一緒に仕事をしました。ソフトな暖かさというか、ふんわり包み込むような優しさがありました。ウフッと微笑む表情に、思わずクラッときそうでした。やり直せるものならやり直したい気分にさせられるほどの女性でした。美人ではないんですが、内面の美しさに惹かれました。時として別の女性に気を惹かれるのは男の性です。愛する妻との世界とは別物。勝手な空想の話です。 話を戻します。退職した後、街中で声を掛けてくれたこと数度。1年くらい前でしょうか、S内科の隣、調剤薬局で処方を受けているところに行き合わせた折が最後でした。その際はOLの格好をして、男の子の手を引いていました。今思えば抗ガン剤だったのかも知れません。享年42。若すぎる死です。 これまで、身近であっても身内であっても、人の死はどこか他人事でした。が、彼女の訃報は違いました。軽々に言うべきことではありませんが、昔愛した人(といっても私の勝手、独りよがり、ほのかな想いを寄せただけなんですが)が死んだ折の気分とはこういうものかという思いがしました。通夜は午後6時からとのことでした。荷を下ろし終えたら「あなた、柚子を植えるんでしょう?ハナミズキもよろしくね」妻の声に引き戻されました。ああ、私には妻がいる。彼女の薄幸は気の毒の極みですし、複雑な気分ではありますが、改めてかみしめる幸せのあることに感謝の気持ちが湧きました。写真は植えた2本の苗木です。 シャワーを浴び、喪服を着ました。通夜へ向かいました。道中、妻の車にラフマニノフのピアノコンチェルトが流れました。この音楽、Oさんの弔いとして記憶に残りそうです。焼香の後、ご主人と彼女の姉という女性に悔やみを言いました。別れをさせて下さいと言うとと、どうぞ、ぜひ会ってやって下さいと返してくれました。死化粧の彼女は美しく、眠っているようでした。涙がこぼれそうになりました。斎場を出て、家路につきました。途中、コンビニにより、冷酒を買いました。帰宅したら、複雑な気分を知らぬ妻がピザを焼いてくれていました。気を取り直し、赤にする?泡にする?彼女に選択を促しました。目の前に「泡がいいわ」と嬉しそうに話す妻の顔があり、かたや葬祭場に死化粧のOさん。これが人間の哀れです。仕方がないんです。それはそれ、これはこれ、いまのこの世界、この時を生きるしかありません。私にとってはそれが幸せなだけに、妻に感謝です。今日の一句死化粧の色気に見とれ涙ぐみ今日の写真はありません。
2015年04月26日
コメント(6)
平成27年4月8日水曜日 午前4時起床。未明は雨が残りました。午前中曇り、午後は晴れました。冷たい北風が吹きました。天気予報、朝の渋谷が3℃だと報じました。当地も冷たかったです。焚くまいと決めた薪ストーブに火を入れました。 終日デスクワーク。1週間経ちましたが、待ち受けていた仕事に時間を取られすぎの感あり。しっくりいきません。3月まで担当した仕事の一部を持ち込みましたが、滞っています。早く自分のペースに持ち込みたいです。キンノジも同じ思いでしょう。 夕方、遅れをとりました。夕闇迫る時刻に運動公園へ着きました。晴れましたが、寒かったです。上下ともウィンドブレーカーを着ました。走り始めて、おっ、ルノーが停まっている。もしかして!そうでした、トラックの中をkusuhito氏がもがいていました。県内一周駅伝チームがインターバル練習をやっていました。先頭を引っ張るのは師匠のKさん。集団の後方に彼がいました。山口・防府マラソンでサブスリーの記録を出した氏です。誘われて一念発起、スピードトレーニングを始めたのだそうでした。いいな、若い人は。彼等のメニューが終わったところで、私も足を止めました。ラン7km。今週末に薪取りへ行く約束をし、別れました。 帰宅したら妻不在。冷蔵庫にカツオが。新玉がいい感じです。天孫降臨で流しました。カープを応援。勝った勝った。祝杯をあげました。気分がいいので、ワグナーをかけました。ワルキューレ。聴きながら(禁玉さんの言葉を借りて)寝オチ。 書くことがないので、差し障りのない範囲で新チームのことを。 今度の室は小所帯です。部下は7人。キンノジチームが4人。野郎ばかりですが、弊社のエース級が集います。7段とキリノスケは既出。も一人、財務畑からコッポネ男がやって来ました。頑として曲げない主張が気持ちよい。大酒を飲みそうです。ということで仇名はコッポネ。 もう片方のチームは3人。リーダーはかつていっしょに仕事をしたF。飄々としていますが、実務に長けます。間違いのない男です。英語で表現するとstand aloof的な感じかな。いや、決して悪い意味でなく。ということでアルフ。彼には部下が2人。1人はテキパキという言葉の似合うS。仕事柄、先取り感が必要ですが、なおその前を行く(褒めすぎかな)スマート男です。美男子ですが既婚。弊社女性諸君、ちょっかいを出してはいけませんぞ。ということで仇名はスマオ。も1人は、工業系を卒業したばかりのリケ女Iさん。吉永小百合と紺野美沙子、堀北真希をたして3で割ったような可愛い人です。掃き溜めに鶴とはこのことです。写真をアップし、自慢(何が自慢か)したいですが、まだちょっと早すぎるかな。仇名をつけたいのですが、浮かびません。単刀直入、ツルにしました。 これで全員きまり。えっ、お前は?私は行灯(アンドン)です。今日の一句春鰹新玉葱に押し切られ今日の写真、ネタ切れにつき昼の弁当に登場してもらいました。これからの一ヶ月間、毎日筍がおかずになります。
2015年04月08日
コメント(8)
平成27年3月29日日曜日 午前4時起床。昨日の焼酎がせいで二日酔い。朝のうち雨が残りましたが、午後は晴れました。そぼ降る天気を衝いて、地域の作業がありました。襤褸を着、長靴に足を突っ込みました。切り開いた庵山の頂部に桜や躑躅を植えました。苗はUのKちゃんがユンボに乗って山の上まで運んでくれました。彼とは幼なじみの同級生。今は地元建設会社の番頭です。 植える場所はこんなです。 桜の木はかなり大きい。ソメイヨシノです。これくらいになると1本が8~9千円するんだそうです。もう50cm伸びたら1万4~5千円。植え込み指導に来ていた造園屋さんの話でした。 ツツジもあちこちに。深い穴は必要ありませんでした。 山の上ですから、水運びが大変です。 植えた木にはもう蕾が。 当方、杣夫です。つい切株に目がいきます。誰だ、こんな始末をしたのは。夜になると、倒された木の精を慰めに山の神がやって来ます。切株に座り、瞑想します。しかし、黙す前に尻をちくりやられてはたまりません。立腹し、罰を当てます。 作業が終わりました。全員で記念写真。お疲れさまでした。 山を下りたら、あれっ。上を見上げカメラを構えているのはキリノスケ? 帰宅してシャワー。サッパリしました。今日は近所さんたちが集まって花見の日でした。弁当をとり、Yさん宅の庭に一品持ち寄って昼酒。でも私は参加能わず。妻が鮎を解凍、塩をして持ち込みました。炭火で焼いたとのこと。ワインを楽しんだそうです。 前後します。ラフな格好で出勤。異動元の片付けと引継のあれこれを準備しました。会社への途中、喫茶「ランブル」に寄りました。美味しい珈琲を飲みたくなって。おしぼりとロゴの入ったコップがよろしい。 土蔵を改造したいい感じのお店です。静かな時間が流れます。黄はヤマブキの花です。 こちらはカイドウ。花の後、小さな赤い実をつけるとマスターが教えてくれました。コーヒーを楽しみながらのゆるりはいい感じです。 彼が本を出してきました。岩佐礼子?知りません。マスター曰く、姓が変わった、旧姓は西島、大学を卒業後KLMのスチュワーデスに、その後仏語を学ぶためスイスに留学、続いてユニセフで人道支援の仕事をし…。あっ、思い出した。高校の折の同級生です。話したことは殆どないけれど、いつだったか、ユニセフ繋がりで朝日新聞の人欄に載ったことがあります。へーっ、彼女、活躍しているんだな。 遙かな気持ちになってランブルを後にしました。写真は弊社駐車場です。「佐伯レストラン」と銘打った催し。まちのグルメ店が逸品を出店。ワンコイン以下で提供しています。 当地佐伯の一押し「ごまだしうどん」と覇を競うB級グルメ、福岡県田川市の「田川」ホルモン鍋」、大分県日田市の「日田焼きそば」も友情出店。 おっ、つね三の大将がうどんを茹でている。 オーディオの師匠ご夫妻と遇いました。彼は毎度ダンディーです。奥さんはすらりの美人。羨ましいデートの図でした。見とれて写真を撮るのを失念。 裏口から入り、たまった資料を断捨離。タフロープが役立ちました。引継書は適当に。午後4時前、会社を後にしました。運動公園に廻りました。ラン6km。調子が出ませんでした。30分余りで断念。帰宅して再度シャワー。プルトップを引きました。ワインを舐めはじめてバタンキュー。 カープ、黒田で勝利。いいぞいいぞ。 阪神3連勝で首位。つね三の生ビールが無料で振る舞われます。今日の一句才媛の出したる本は難しく今日の写真は松寿寺の本尊、弥勒菩薩です。庵山の麓にある小さなお堂の中に鎮座。でもいい感じです。桜の植え付け作業を終えてお参りしました。
2015年03月29日
コメント(4)
平成27年1月22日木曜日 午前5時起床。晴れ。南東、ぼんやりした稜線の空は群青色でした。夜の白んで霧が出ました。玄関を出て梅林はこんな感じです。梅の根元、右下のもっこりした緑は彼岸花の葉です。この時期、厳しい霜に煮えるんですが、今年はまだ大丈夫です。 出勤途中の道です。木立は盆地です。そのせいか、無風かつ湿度のある朝は、一気に露点となります。 茶屋ケ鼻橋を抜けると、視界が開けました。新佐伯大橋から見た南方向、今日の灘山は随分と高く感じました。その右、元越山は太陽の光と霧に霞んでよく見えない。 終日ミーティング。夕方、プロジェクトの関係者を集めてフレーム作りの協議。ということで今日も走ること能わず。前後しますが、朝の天気予報に傘を持ちました。その必要はありませんでした。昼に寒冷前線通過。会社を出たときは、北西が吹いていました。駐車場までの道すがら、午後8時を過ぎて猶、M銀行の窓明かり煌々。帳面が合わなかったのかな。その隣は佐伯に過ぎたる喫茶店、珈琲絶品のランブルです。夜の静寂にほんのり灯るこの店の白色電球がいい感じです。遅くなった夜道に感じる安息です。今日は定休日、見ること能わず。帰宅して空を仰ぎました。オリオン座が思いの外大きく見えました。 智恵美人を抜栓してみました。大分・杵築の中野酒造の酒です。一口舐めて、Uさんのことを思い出しました。彼、この蔵の杜氏でした。去って後、味がきつくなったような感じがします。あのゆるりとしたフルーティー感、懐かしいやら残念やら。今どうしているのかな。人の便りに徳島の方へ移ったとか。彼との出合いは20年ほど前。大学の大分県同窓会でした。会場に智恵美人を沢山持ち込んでくれて、それをがぶ飲みしました。遇って同い年と判りました。彼は経済学部でした。文系を卒業して杜氏となった変わり種です。後日、訪ねたとき、特別の槽酒をくれました。案内された蔵にはモーツァルトが流れていました。後にマーラーのCDを送ったら「日本酒には合わない」と苦笑されました。懐かしい。 当ては冷や奴。ゆるりの時間を過ごしました。今日の一句朝霧にふわり抱かれて寒の入る今日の写真は、昼に食べたホカ弁のスーパー海苔弁当です。白身フライがいい感じです。470円。二日連続の仕儀でした。
2015年01月22日
コメント(10)
平成26年11月12日(水) 午前4時起床。曇りのち晴れ。朝ご飯にアジの吸い物が出てきました。一日の始まりにこんなのを飲むと、最高です。 もう一枚、朝のブロッコリー。露の玉が美しいです。 終日デスクワークとミーティング。陽の落ちるのがめっぽう早くなりました。会社を出たときは既に暗い。でも北海道はこんなもんじゃーなかったです。1年の頃、冬に向かうこの時期、教養の講義を終えて、それでもまだ午後4時を少し廻った時刻、外に出たら真っ暗でした。すっかり夜道でした。その年の根雪は、12月の中旬に入ってからだったことを覚えています。 会社が引け、運動公園へ向かいました。北西の季節風が強くなりました。寒冷前線が通過したようです。星が瞬きました。ラン7km。昨日よりは調子がよかったです。もう少し距離を伸ばしたかったです。でも強い風に折れました。帰宅して風呂に飛び込みました。妻は英会話で不在。これ幸いです。燗を一本つけました。寒い夜にはもってこいです。ん?何かのメモがありました。見ると土曜日にすべき作業を書いていました。全部私のすべき作業のようでした。週末はこき使われそうです。 NHKFMの日本音楽コンクール、本選は一昨日がヴァイオリン、昨日がピアノ、今日は声楽でした。パス。録りだめたBSTBSの女酒場放浪記を見ました。新たな女性がメンバーに加わっていました。寺澤ひろみ氏と万波奈穂氏でした。前者はハモニカ奏者。いい感じでした。彼女につられ、酒がすすみました。燗酒を2合、焼酎を2合、発泡酒を1缶でした。 遠い親戚筋、YのT兄が死にました。もう3週間ほど前のことです。拍子に多い出しました。70を過ぎてなお若作りでした。彼のことを書いておきます。水田の拡がったところ、須留木新地の山際に住んでいました。黒いシェバードを飼っていました。ボニーという名前でした。大酒飲みでした。素面の時はにこにこ顔をし、剽軽でした。酔うと大トラになったそうです。私は、その場面に直に接したことはありませんが、親戚筋は異口同音でした。タクシーの運転手をしていました。定年後も請われてハンドルを握りました。盛り場から酔って帰るとき、彼を指名しました。家路の道すがら、母方の係累についてあれこれを話してくれました。ああそうだったのか、へーっそういうことがあったのか、というような話が多かったです。問わず語りは、口にするのを憚られるような家庭事情に及びました。彼の車を利用したこともあって、私には優しかったです。酒のことを書きましたが、YのK兄と2人、何時も飲んでいたようでした。もっぱら焼酎と聞きました。こんなことがありました。つまみがなくなると、かな突きを持って近くの池に行きました。緋鯉を突き刺して、洗いにしました。ちょっとそれは・・・というと「かんまん、かんまん、刺身にすりゃー赤も黒もわからんのじゃーが」勘弁して下さいの仕儀でした。猪やモクズガニを獲った際、よく誘ってくれました。腰が引けて、遠慮しました。そのうち、声は掛からなくなりました。死因は肺ジストマだったそうです。さもありなんです。今日の一句北風の小僧に負けまし燗酒や今日の写真は陶器です。弊社ロビーに某者の趣味を展示していました。いい感じのものがあり、映しました。
2014年11月12日
コメント(0)
平成26年10月15日(水) 午前5時起床。昨日今日と、朝は冷えました。半袖パジャマには応えます。既に冬仕様、厚手のものを用意してくれていますが、風呂上がりは暑いんで、そのままの仕儀となっています。この時期、こまめに着替えて、風邪をひかないようにしなければなりません。 出勤途中の木立川、鴨が増えました。目につくようになったのは1週間ほど前からかな。冬の到来間近です。 終日、ミーティング。今週から来週にかけ、会議が重なっています。その打ち合わせも。人事考課はほっぽり出したままです。何とかしなければ。日中、オーディオの師匠が立ち寄りました。札幌旅行の話をしました。横道に逸れました。若い時分、魚市場に勤めていたこと、入社し見習社員の時、隅田川の岸壁に並ぶマグロの背中を毎日拭いて涙が出たこと、大学の練習船で遠洋航海をしたこと、などを話しました。私ばかりがしゃべりました。彼は沢山の人を知っています。訊きたかったことがありましたが、そのままになりました。 夕方、運動公園へ。ラン8km。帰宅して風呂、調子を2本やっつけたあと、赤霧島のお湯割りを舐めました。阪神勝利、万歳。ウッシッシ。G党の方々、ご免なさいね。 グラスを置き、ジャズを聴きました。マランツ8bに火を入れました。ハービー・ハンコック、オーネット・コールマン、マッコイ・ターナー・・・。よいです。夜が更けました。写真はトラです。「うーん、ジャズはちょっと・・・」 書くことがないので、K兄(にい)のことを。80を過ぎたオッサンです。本当はさん付けでよばなければなりません。しかし、そこは田舎、親しみを込め〇〇兄(ニイ)〇〇姉(ねえ)となります。所用あり、今朝、出勤途中に彼の家を訪ねました。某者から預かった書類を届けるためでした。家は、朝日の当たらない、東に山を背負った窪地にあります。玄関にインターホンはありません。引き戸に手を掛けたら、鍵はかかっていませんでした。中を覗き、声を掛けました。K兄・・・K兄・・・K兄っ!三回目に寝ぼけた返事がありました。まだ夢の中だったのでしょう。奥さんを亡くし、やもめです。廊下にあれこれの雑貨が転がっていました。特有の臭いがしました。彼には娘が一人あります。私、彼女と同級生、高校も同じでした。地元の大学を卒業し、教師になりました。親の反対を押し切り、他所の街へ嫁ぎました。時折、帰省して父の面倒を見ているとのこと。・・・ただそれだけのことですが、切なく、やるせない気持ちになりました。今日の一句木立川冬の使いが羽休め鍵掛けぬ鰥夫暮らしに足を止め今日の写真はマランツです。アルテックとベストマッチです。
2014年10月15日
コメント(6)
平成26年9月22日(月) 午前5時前起床。終日曇天。このところ涼しい日が続いていました。今日は蒸しました。会社のエアコン、午後は稼働しました。 真っ直ぐ帰宅。林道を走りました。ブヨが舞い、困りました。湿度が高いからでしょうか、目や口に入り、難儀しました。秋風が吹いてくれたら、こんなことにはならないのに。運動公園を走ればよかった。6kmで止めました。 晩ご飯はまたもやです。今年、佐伯市民の内、ナスを最も食べた男はたぶん私です。ナス大王になれるかも知れません。妻にそう言ったら「上には上がいるわよ、オホホ」 おっ、なんだ?シビの鎌でした。身離れがよかったです。昨日の残り、愛知・西尾、山崎合資会社の「奧」で流しました。直ぐに空いてしまいました。次いで赤を抜栓。酔いました。 今日聴いた音楽はカザルスとシノーポリ。前者はシューベルトのピアノ三重奏曲1番とブラームスのソナタ2番。歌曲の王とよばれるシューベルトですが、好みではありません。ブラームスのそれは名演でした。緊張感あり。1936年。古い録音でしたが、アルテックが支えてくれました。 後者はウィーンフィル他でヴェルディ特集。運命の力やシチリア島の夕べの祈り、ナブッコの序曲、アイーダ、リゴレットの間奏曲などが入ったCDです。カリスマ性を持った指揮者でした。十数年前、50台で早世。生前に入れ込みました。今日聴いて、なんだか色あせた感じがしました。私が歳を取ったからかな。 一昨日、段ボールが二つ届きました。 ヤフオクで落とした本でした。松本清張を無性に読みたくなったからでした。図書館通いが面倒なので「まとめて100冊以上」との言葉に釣られて落札。3千円だったかな。読んだことのあるのも混じっていますが、一冊あたり30円しません。かんまんごしです。ブックオフより安価です。これで秋の夜長は大丈夫です。 箱から出していて、Kのことを思い出しました。大学に入学し、最初に出来た友です。本の虫でした。美香保の先にあった下宿、山王丸という名でしたが、そこを訪ねたとき、彼がこう言いました。「一生のうち、読書に費やすことの出来る時間はどれくらいあるとおもう?1冊平均3時間としても1日せいぜい2冊だ、読まない日もあるから1年で300冊。後50年生きるとして15,000冊、惜しんで頑張るつもりだよ」無類の漱石ファンでした。彼、2浪しての入学でした。私の兄と同じ年齢でした。いがぐり坊主の私でしたが、背伸びして彼と付き合いました。天売島出身で、ほんとか嘘か判りませんが、島開闢以来、初の大学生だと笑っていたことを覚えています。同窓会名簿に、段ボール製造で有名な会社に勤めているとありました。卒業以来、会っていません。どうしているのかな。これから読む100冊あまりを前にし、彼と彼の言葉を思い出したのでした。懐かしいな。今日の一句濫読の旧友何処秋の空今日の写真は明日に控えたナスです。こらえて欲しい。ネタ切れにつき、玄関、上がり框の灯です。段ボールを開いていて、見上げました。拙宅はあばらの木造です。ということでもう一枚。居間の壁です。息子を描いたこの画、気に入っています。父が作です。
2014年09月22日
コメント(4)
平成26年8月22日(金) 午前5時起床。曇り一時雨。湿りは僅かでした。朝のうち、大分県に竜巻注意報が出ました。その気配、当地佐伯には微塵もなし。 午前中、ミーティング多し。昼は出前を取りました。南国ラーメン。写真のないのが残念です。午後は出先へ。昨日に続き、大分からのお客様とやりとり。 真っ直ぐ帰宅。本を読んでいて、うとっとなりました。いかんいかん。走りました。林道を6km。シャワーで汗を流しました。サッパリしてプルトップを引きました。当てはカレイの煮物でした。オクラがいい感じでした。 書くことがないので、妻の話を。「今日は大分市へ行ってきたの。熊本から知り合いが来たのよ。卒業して以来だから30年ぶりだわ。楽しいランチだった。彼女、教師なの。弟がいて、彼も小学校で教えているの。凄いのよ、その弟さん。管楽器一式、ブラスバンド一団分を私財をはたいて買ったのよ。優に家1軒分よ。これを学校の子どもたちに貸し与えて練習をするの。今日、大分のiichikoグランシアタで、九州一円のコンクールがあって、それに出場したらしいわ。友人は弟の応援だって」。うん、そりゃー凄い。いろんな人がいるものです。今日の一句鰈煮る妻が項に刺され痕今日の写真は夜更かしの図です。焼酎ロック、当ては海苔。タブレットでジャズを聴きながらでした。
2014年08月22日
コメント(2)
平成26年8月6日(水) 午前4時起床。曇天。夕方、青空がのぞきました。沖田の早期米が熟れました。頭を垂れています。そろそろ稲刈りです。農家は天気が気になります。台風も近づいている。心配です。 タンノイに灯を入れるのは、久しぶりでした。夜の白むのを見ながらブルックナーを聴きました。シンフォニーの7番。ハイティンク、ロイヤルコンセルトヘボウです。人によっては朝からステーキ?と変に思うかも知れません。そうではないんです。深い森の中に呼吸をするの気分になれるんです。話が逸れます。聴いていて、全集を持っていたかどうか思い出せません。有名どころ、4番、5番、7番、8番、9番は、それぞれブルックナー振りを数枚ずつ。しかし如何せんバラです。揃いはEMIのチェリビダッケのみかかな。この週末、注文しようかな。盆に休みが取れそうです。秋の立った夜、チクルスと洒落こむのもいいな。 午前中ミーティング、午後デスクワーク。急なお客様がありました。困っての来訪でした。要望を容れてあげたいのはやまやまですが、こっちに累が及びそうでした。及び腰の返事をせざるを得ませんでした。また来るそうです。避けること能わず。夕方、運動公園へ。ブルースカイは久しぶりでした。 ラン12km。最後に1kmのタイムを2本取りました。4分20秒と4分10秒。戻ってきた感じです。汗びっしょり。帰宅してシャワー。妻は英会話で不在。隠し置きの豚足を出しました。蒸して冷蔵したものです。日の出フーズで販売しています。これだけで280円は安い。塩とすり胡麻につけ、ハイボールで流しました。余談ですが、豚足には骨が多い。よくもまん中をスパッと割れるものだ。 前後します。帰宅途中、木立に入って、NのM君に遇いました。道路を走っていました。車で並びかけました。彼、足を止めて曰く「膝が悪くてね、練習はほとんど出来ていない、今日も30分位を走っただけ、復調するのは10月くらいかな」故障の辛さはよく解ります。治るといいな。彼とは幼なじみ。私より2つ歳上です。父親は20年ほど前になくなりました。タクシーの運転手でした。銃を持ち、猪猟が得意でした。ひょうきんで、地域の皆に「K小父」の愛称で呼ばれていました。独特の木立弁を話し、内容もかんまんごしでした。人相は猿面でした。子どもながらに彼独特のエスプリが大好きでした。夕方、家にやってきて、上がり框で焼酎を引っかける姿が目に焼き付いています。その際はほらを吹き放題。腹を抱えて笑いました。もちろん、飲酒運転でした。話が逸れました。話して、今日のMくん、顔つきが父親に似てきました。ただし、人柄は皮肉と優しさを入れ替えたよう。素敵です。よい先輩です。ついでですが、母親のSさん、K小父の奥さんですが、今も健在。田舎饅頭が得意です。 閑話休題、書くことがないので、料理のことを。朝は香の物と味噌汁。写真は朝餉です。緑はクウシンサイです。妻が誰かに苗をもらい、1本、野菜畑の隅に植えたのでした。 ナスの漬け物。これ、好物なんです。 こちらは夕食の菜。そうめんチャンプルーです。これ、いい感じでした。白波で流しました。 猪とナス。後者は肉の煮汁でこさえました。獣出汁が利いて、これはこれでよいです。 カボチャ煮。どうですか、この黄色。食欲をそそります。 うっ、また茄子料理。イカが入っています。毎日、なんだか小料理屋のカウンター、皿盛りメニューの感です。今日の一句盆前に頭を垂れるコシヒカリ猿面の小父懐かしや白饅頭 写真は通勤途中にあるチチブの木です。実が熟れました。食べたいな。 もう一枚、弊社の旧社屋です。解体が進みました。ここは更地にして、お客様の駐車場にします。
2014年08月06日
コメント(4)
平成26年6月30日(月) 午前5時過ぎ起床。曇りのち晴れ。 終日デスクワーク。午前にボードの部屋へ。午後は会議を一つ。 夕方、運動公園へ。ラン11km。2kmの周回コースと1.5kmのそれの組み合わせ。走っていて右腰の違和感あり。この鈍痛、長引くのかな。整体か針に掛かってみようかな。それとももうしばらく腰痛体操を続け、様子を見ようかな。写真は着替えたスコアボード裏のクスと青空です。梅雨が明けたような空気の色です。たっぷり汗をかきました。 書くことがないので、週刊誌の記事から。雑誌「週刊ポスト」7月4日号に永谷脩氏の追悼記事がありました。彼はスポーツライターです。野球のことが専門でした。雑誌や新聞に連載を持っていたそうです。今日の内容は、球界・往年の名選手との付き合いについてでした。王、江夏、山田久志、江川、ダルビッシュ、イチロー・・・。個人的な付き合いだったことが透けて見えました。努力によっての信頼の勝ち取りと、広い人脈形成をを賞賛する切り口でした。王氏の哀悼文も掲載してありました。彼を知ったのは、TBSのラジオ番組でした。「話題のアンテナ日本全国8時です」の月曜日、ゲストコメンテーターを務めていました。ベースボールに限らず、ゴルフやサッカーのことも話題にしました。通勤時、よく聴いたものです。語り口は、批判・批評をせず、褒めることが主体でした。先に書いた、人脈と信頼を大切にしてのことと、今さらながらですが、判りました。急性骨髄性白血病、享年68でした。 彼の死を知り、佐瀬稔氏のことを思い出しました。番組「話題のアンテナ~」、永谷氏の前任者です。佐瀬氏のトークは辛辣でした。永谷氏と違い、もとはノンフィクション作家でした。ボクシングやホッケーに造詣が深く、もちろんスポーツライターとしての顔も持っていました。うまく思い出せないのですが、氏のこだわりと思い入れは、人脈や信頼とをおもんばかる語り口とは違い、本質を鋭く切り取るものでした。病気で一時、放送を休みました。再登場したときは声色が変わっていました。喉頭或いは咽頭の癌を連想する変化でした。心配していて、すぐに訃報を聞いたのでした。今日の一句研ぎ光る薄刃の切れよ茄子を割る今日の写真はエビ煎餅です。誰か伊勢参りに行ってきたのかな。
2014年06月30日
コメント(0)
平成26年6月27日(金) 午前5時前起床。小糠雨。 朝一、財務とのミーティング。午後は取引先の観光キャンペーン会議に出ました。午後5時半に終わりました。その後、席を替えて懇親会がありました。花金ということで、主催者が配慮してくれたのでした。しかし、飲むこと能わず。夜、旅客船協会の救命措置講習を入れていました。消防署へ向かいました。途中、ガソリンタンクが空になっているのに気付きました。贔屓のスタンドまで戻るのは面倒でした。同級生夫婦の営む店が、近くにありました。そこで給油。ここは通勤の道から離れています。年に数度しか寄りません。それでも満面の笑顔で迎えてくれるMobil石油です。「夏が来たら一杯やろう、同級生のNが警察署長になった、Hも地銀役員に昇格、大したもんだ、二人をよんで肴にしてやろうぜ」二つ返事のOKをくれました。彼、ナイスガイなんです。鶴城高校野球部の捕手でした。1年生の時、甲子園に行きました。 腹が減って仕方ありませんでした。マックが目に入りました。ドライブスルーで100円マックを一つ買いました。自意識過剰ですが、軽トラに乗ったおっさん、荷台に茅の切れ端が残っている、日の暮れて100円マックを一つ買うの図、店員のお姉さんに哀れな年寄りと思われただろうな。消防本部の駐車場に車を停め、文庫本を開いてパクつきました。ピクルスが美味しい。 講習内容は心肺蘇生とAED使用について。内容はともかく、話す救急救命士の顔を見て驚きました。NのDちゃんでした。 彼、私が木立小学校の野球監督をしていた時のファーストでした。中学、高校と野球を続けました。甲子園には届きませんでした。消防士になったとは聞いていましたが、ここで遇うとは。27歳になったと張る胸に、星の二つ付いた徽章リボンが縫ってありました。1時間半の講義は、話術も含め、人を引きつけ飽きさせない。彼の部下だろう消防士数人とする実技指導のてきぱきさは、見ていて気持ちよかったです。立派になりました。 彼の祖父Yさんとは知り合いです。農家です。彼には二人の子どもがありました。一男一女。男の方、H君は私より一つ年下でした。小学校の頃、一緒に遊ぶ仲でした。大学の折、交通事故で命を落としました。娘さんが婿養子を迎えました。その子どもがDちゃんです。大げさですが、成長するにつれ、叔父のH君に生き写しとなりました。祖父Yさんの思い、推して知るべしです。帰りの車中、いい気分になりました。 遅い時間でしたが、こうなってはスイッチが入ってしまいます。つね三モードです。講習会を一緒した船舶部門のKを誘い、突っ込みました。 あっ、部下のキリノスケがいる。日本酒を引っかけている。剣道7段の弟子M君と一緒でした。遅いねと言うと、さっきまで焼肉屋にいた、魚を食べたくなってここに来た、といいました。若いモンは定石知らずです。 生ビール駆けつけ2杯。アジフライを頼みましたが、売り切れとのこと。何でも海が時化て漁が細いんだそうです。 ではとハモフライを注文。ホクホクです。 獺祭に切り替えました。廻しの締り具合はかわりません。美味しいです。がしかし、最近、何かもの足りないんです。一本通っていた芯がなくなっている感じです。 サービスのサザエ和えです。酒がすすみます。 空きっ腹に日本酒はいけません。握りをたのみました。ハンサコ(イサキ)の白子が載っています。こんな寿司、どこへいっても出てこないだろうな。 キンノジからTELあり。今行くから待っていろとのこと。間もなく暖簾を潜ってきました。彼も獺祭を注文。寿司をパクつきました。 私のいたのは1時間半くらいかな。コーラス帰り、待っていてくれた妻の車で帰宅。付き合いの悪い上司です。今日の一句少年が心肺蘇生説く人に生酒が冷たし夜の小糠雨今日の写真は古い消防ポンプです。消防本部に展示してありました。ドイツ製だそうです。もう一枚はイモリです。拙宅庭を這っていました。これを見かけると、娘・息子の小さい頃を思い出します。手にとってかわいいを連発していましたから。
2014年06月27日
コメント(6)
平成26年6月20日(金) 午前4時起床。曇り。 今日はいつもより40分早くに家を出ました。黄色い襷と帽子、それに交通安全の旗を持ち、会社近くの交差点に立ちました。 終日デスクワーク。途中、森林組合を訪ねました。この建物、材が素晴らしいんです。玄関の柱は欅。中に入ると、梁は檜の丸太でした。依頼は、快諾頂きました。世間話に父のことが出ました。かつて理事をしていたことがあります。亡くなって何年になるのか?訊かれました。まだ元気にしておりますと返すと、相手の方は赤面し、恐れ多いといいました。目上の人なので、なんだかこちらのほうが恐縮しました。 某紙記者のFさんが机を覗きました。福岡マラソンの抽選に漏れたと言いました。仕方がないとも。彼曰く「最近調子がいいんだ、昨日は10kmを47分で走ったよ」素晴らしい。練習でこのタイムを出すなんて。彼、50台前半の年齢です。今の私には無理です。花金でしたが、この言葉に刺激を受けました。運動公園へ。ラン10km。 ランニングシューズに履き替えていたら、Iさんが自転車でやってきました。「これから走るの?一緒しようか?」と言われました。そうしました。彼は60代後半です。キロ6分30秒のペースでした。私には遅すぎましたが、こんな日もあっていいかと思い直し、付き合いました。彼は1,000人近くを雇用する造船所の社長さんです。ここ運動公園のジョギング中に面識を持ちました。そうと知らず、しばらくはただのオッサンと思っていました。幾度か並走し、あれこれを聞き、感じ入りました。以下は今日の話です。 自分は大分市の出身だ、トリニータのホーム、ビッグアイのある辺りに生まれた、実家は百姓だ、次男だったので農家を継ぐ必要はなかった、鶴崎高校に通った、当時は工業科も一緒だった、在校中に分かれ、鶴崎工業高校が出来たよ、東京商船大に合格、上京した、村の人たちにいくら金を積んだのかと言われたよ(笑い)、全寮制だった、航海が80人、機関が80人、私は後者だった、何代か前の大成丸や銀河丸、日本丸に乗ったよ、同級生はとは今も交際がある、同じ釜の飯を食った仲はいいね、柔道部でね、主将を務めたよ、折しも東京オリンピックのころでね、神永がヘーシンクに負けた試合は記憶にあるな、五輪候補の選手が越中島の道場にやってきていたのを覚えている、ところでね、これからは海の時代だよ、一つ構想があるんだ、20年経って役目を終えた船の利用さ、〇〇してね、〇〇するんだ、そうすればあと20年は〇〇の役に立つ、いい考えだろう、その話とは別ににね、今、海事業界の協力を得て海洋少年団の立ち上げを画策しているんだ、子どもたちの記憶に故郷の海を残したくてね、それじゃーね、また一緒しましょう・・・。いい話でした。 先にFさんが言葉に感化された、と書きました。本当は違います。仕事を終え、つね三に突っ込みたいな。妻にTELしたんです。私「もう晩ご飯を作った?」妻「はい、今夜は焼きそばよ、テーブルの上にラップを掛けて置いてあるわ、シメサバは切って冷蔵庫の中よ、まさか暖簾を潜るんじゃ-ないでしょうね、一人酒するのはダメよ、さっさと帰ってらっしゃい、私は実家へ行くわ、今日、父の命日なの、線香を手向けた後、コーラスの練習に廻るわよ、それじゃーね」まくし立てられました。しょんぼり運動公園へ向かったんです。今日の一句手裏剣か夕暮れに舞う燕あり今日の写真は蜂蜜です。熊本・天草に住む友人が送ってくれました。タンカー船長を最後に船を降り、趣味で養蜂をしています。ニホンミツバチが集めたものです。希少価値があります。サッパリとして、僅かに独特の酸味です。
2014年06月20日
コメント(0)
平成26年6月19日(木) 午前5時起床。曇り。 午前、某団体を訪問。来春に東九州自動車道佐伯・蒲江間が開通します。行橋手前の数キロを除き、北九州から鹿児島まで全線開通となります。便利になります。そのことをしてのあれこれを情報交換。午後はミーティングを一つ。メディカル関連の整備について、すりあわせをしました。 夕方、運動公園へ。ラン12km。いい汗をかきました。坂混じりの1周2km周回コースは半分程が芝若しくは土です。足に優しい。薄暗くなって帰宅。妻もまだ家に入っていませんでした。手足が土で汚れていました。この時間までコンニャク畑の草をむしっていたんだそうです。 こちらも妻作。 もう一枚、なんとか着いたサツマイモです。 私の肘はかさぶたが小さくなりました。 風呂上がりはエールビールを流しました。 当てはイカ大根です。 書くことがないので、某のことを。 先日、新聞の死亡欄にK・Tの名を見つけました。90歳近くの年齢でした。私、若い時分に彼と出合いました。営業をしていて、シリアスな相談を受けたんです。内容は裁判沙汰でした。有志が集まり、彼もその一人でしたが、小さな入江を付き焼き的にコンクリートで仕切り、中を池沼として登記しました。海水交換が可能な造りでした。中にマダイを飼い始めました。そのうち、出資や登記の問題で争いが起きました。そのことについて弊社へ、個人的な支援を求めてきたんです。心情的には応援したかった。でも介入すること能わずでした。彼、若いころは小型ディーゼルエンジン売る商売をしていたようです。当時、漁船は焼玉からの換装ブームでした。羽振りがよかったようです。でもそれはほんの一時でした。小学校にカラーテレビを寄付しました。しかし、支払いをせず、これを校長が肩代わりしようとしてやめたとか、電気店が困って引き取ったとか、いう話がありました。市会議員に出馬して落選。裁判の方も不如意、失意のうちに奥さんを失いました。晩年は一人住まい、10年ほど前まで時折、大きな犬を連れた姿を某漁村で見かけました。活字の名を見るにつけ、なんだか遙かな気持ちになりました。 今夜はキーマカレーでした。ルーをバケットに載せて食べました。赤を抜栓。飲みながら食べながら、Tさん、キーマカレーを食べたことはなかっただろうな、と思いました。今日の一句 欲なのか蒟蒻玉を細腕が今日の写真は弟の出来るかも知れなかったトラです。
2014年06月19日
コメント(2)
平成26年6月9日(月) 午前5時起床。晴れ時々曇り。 終日会議。今日から4日間、木曜まで缶詰が続きます。年に4回、3ヶ月毎の仕儀です。 夕方、運動公園へ。ラン10km。最後の2kmは4分40秒でした。頑張りました。やる気になったのには理由があります。先週、阿蘇カルデラマラソンを走った同僚Mがきっかけです。このレース、100kmなんです。彼、12時間かけて完走したとのこと。素晴らしい。それに比べ私は毎日酒浸り。週20~30kmの練習量になり果てていました。こんなことではいけない。巻き返しをします。今日から心を入れ替えます。いや、酒はやめませんがね。 前後します。夕方、弊社OBのSさんが訪ねてきました。用件は別にありました。私の席へ来てくれたのは、ついででした。近況を話をしてくれました。彼には3人の子どもさんがいます。皆、成人しています。某大大学院に通っていた長男が病にかかりました。今は車椅子の生活です。数年前、Sさんは奥さんを亡くしました。癌でした。兄や母のことをしてかどうかわかりませんが、長女と次男は看護師と介護士になりました。彼女は大学病院の手術室に勤務しました。兄重篤につき、看病のため私のまちの総合病院へ移りました。次男も勤務先を私のまちへ移しました。それぞれ働きながら、自宅の兄を看ています。二人は兄の風呂を交代でするそうです。Sさんは、食事をこさえる役目が自分だと話しました。二人の婚期が過ぎていくことを心配する父の気持ちを感じました。長女は夜勤明けに医学部の大学院へ通い始めたとのこと。そのことを嬉しくもあり、不憫でもある、複雑な表情で話す彼を、眩しく感じました。近いうちに酒を飲もうと言ってくれました。誘い、嬉しかったです。3人の子どもさんは、彼らが幼少の頃から知っています。長男は背が高く、明晰でした。長女は瓜実顔、芯の強そうな美人でした。次男は高校野球で地元紙を賑わしました。家族愛を画に描いたような家庭です。今日の一句兄妹の父が目の色秋の空枇杷貰い種大きいぞ二級品軒下を家守の這うて夜が更けるヒゴタイに見立てた吾が悪かった玉杓子玉爪に追われて逃げ惑う今日の写真はズッキーニです。デカイのが穫れ始めました。
2014年06月09日
コメント(0)
平成26年5月18日(日) ホテルは素泊まりでした。朝食は食べませんでした。8時前にチェックアウトしました。市営の浜脇温泉へ向かいました。朝の6時半からやっている、熱い湯です。kは相変わらず烏の行水。車にカメラを忘れました。写真はありません。ここの玄関におっさんが3人たむろしていました。なんだか崩れた感じの雰囲気でした。酒は飲んでいないよう。他愛のない話をしていました。暇そうでした。このあたりに朝ご飯を食べさせるところはないか聞いてみました。帽子をかぶった男曰く「ジョイフルがやっちょるど、あそこは24時間じゃぁけの、便利がいいわい」がっくり。ファミレスはちょっとね。 明礬(みょうばん)温泉に向かいました。別府は坂のまちです。鶴見岳の裾野を上っていくような感じです。湯気の立っているところがありました。地獄蒸しのプリンや温泉たまごを売っていました。 朝ご飯になるようなものはないか、物色しました。たまごかけご飯がありました。これを掻き込みました。甘手の醤油がかかっていました。海苔の風味が相まっていい感じでした。 Kがアルバイトの若い男性に声をかけました。お国はどこ?アルバイト「ベトナムです」K「ゴニョゴニョゴニョ(意味不明の言葉)」アルバイト「ゴニョゴニョゴニョリ!」K「ゴニョッ!」アルバイト「ゴニョリ(笑い)」何のことか判りませんでした。ベトナム語の会話でした。Kは英語を話します。ベトナム語が出来るとは知らなかった。 道なり、十文字原へ向かいました。ここに放送局の鉄塔があります。駐車場が有り、展望台をかねています。これからの時期は、緑一色です。晴れたら別府湾と対岸の大分市、臨海工業地帯、関アジ・関サバで有名な佐賀関、速水の瀬戸を隔てて遠く佐多岬半島が見えます。伊方原発のあるところです。今日は霞んでいました。足下にAPUが見えました。 別府市街と、向こうは大分市です。まだ見たことはありませんが、夜は街の夜景と暗い海がいいコントラストなんだそうです。 ということで、ここは全国夜景百選に選ばれています。 http://yakei.jp/japan/spot.php?i=jyumonji ゆったりの景色を見下ろす擬木の柵に腰掛けました。あれこれの話をしました。同窓の消息、仕事のこと、リタイアしてからの時間の過ごし方、老いる両親・・・。彼は読書家です。読んだ本の紹介をしあいました。彼は、笹本稜平、薬丸岳がよかったといいました。手に取ったことがありません。私はこのところ面白いものにであっていません。古いけど、と断って佐々木譲の戦争三部作、高村薫の「レディー・ジョーカー」、船戸与一の「猛き方舟」等を勧めました。絶対読むべし、必読の小説に話題が及びました。彼は山崎豊子を挙げました。私は五味川純平。社会派という点が共通です。嬉しかったです。 閑話休題、もう一回温泉に入ろうということになりました。「鶴の湯」へ向かいました。霊園奧にある無人、無料の湯です。前にも彼を案内したことがありました。こんな感じです。 おっさん3人が、湯船に渡した簀子板の修理をしていました。 素っ裸で金槌をふるうの図、何とも滑稽ではあります。私も裸になって、釘を打つのを手伝いました。ここの湯は知る人ぞ知るというか、ひじょうにマイナーです。混浴ですから、湯浴みする一般人は少ないです。地域のごく一部の人たちが使っているようです。秘湯を求める旅行客に加え、外国人が時々来るとのこと。ここは、海外で発売される日本の温泉本に掲載されている、と金槌のオッサンが言いました。随分前、浸かっていたら、フランス人家族が入ってきました。若夫婦と小さなお子さんでした。もちろん3人ともすっぽんぽん。ブロンズ、目のやり場に困ったことを思い出しました。 昼は冷麺を食べました。この食べ物は別府のウリです。あらかじめ、ホテルのフロントに訊ねたのでした。かわいい女性が「六盛(ろくせい)」を勧めてくれました。そこへ向かいました。開店時間の直後でしたが、既に店先で20人ほどが待っている。入り口に看板猫が座っている。 冷麺の大盛り950円。面はゴムのような感じです。キムチが入っています。好き嫌いのある食感ですが、私は好みです。 別れの時間が近づきました。コーヒーを一杯飲んでサヨナラしようということになりました。駅前にある「なかむら珈琲店」に入りました。 おっ、オーディオを置いてある。スピーカーは三菱の古いもの、JBL、タンノイのスタジオモニター。アンプはクラウンだ。これは師匠もコーゾーさんも所有していたな。 コーヒーが美味しい。カップはロイヤルドルトンです。広いんですが、客は私たちのみ。静かな空間でした。 バスセンターに彼を送りました。別れはいつも寂しいな。帰りの高速はカーラジオでカープ対ジャイアンツ戦を聴きました。完勝。落ち込んだ気分でしたが、救われました。帰宅し、だらりの時間を過ごしました。早めの夕食、ワインを抜栓。バタンキューでした。今日の一句珍しや金槌持って風呂に入る明礬の湯の花小屋に首入れて今日の写真は猫です。別府市内の果物屋で撮りました。デッカイ。問うたら看板猫とのこと。 スイカの横に丸くなっています。かわいい。さっきの冷麺屋といい、別府には猫が多いです。
2014年05月18日
コメント(2)
平成26年5月14日(水) 午前5時起床。曇りのち雨。落ち始めたのは昼前でした。夕方から本降りとなりました。 昨日に続き大分へ出張しました。朝礼を済ませて、直ぐに出発。今日借りた営業車は軽でした。高速道路のドライブは単調です。景色のいいところですが、もう飽きました。写真は大銀ドームです。前にも書きましたが日韓ワールドカップの会場になりました。イタリアチームが試合をしたピッチです。 午前10時から2時間、説明会がありました。抜けられぬ仕事を抱えた部下に代わり、私が出向いたのでした。缶詰にされ、一方通行で説明されると面白くない。午後もオリエンテーションがありましたが、急ぐハンコ押しがあったため、とんぼ返り。帰途は国道10号を南下。節約が会社の方針です。でも所要時間は倍になります。ドアツードア、粋は時間、帰りは2時間かかりました。昼食は想夫恋(そうふうれん)という焼きそば屋に突っ込みました。 結構硬い。モヤシがたくさん入っています。この店、大分・日田(ひた)に本店があります。日田焼きソバはB級グルメとして有名です。その中でも一番有名なチェーン店です。九州北部を中心に展開しています。関西・関東へも僅かですが、出店しています。満腹になりました。帰りの道中は睡魔との戦いでした。 夕方、強い雨脚にランを断念。思い立って理髪店へ。サッパリしました。ハサミを持ったマスターは鈴木史郎似のオッサンでした。店内に森進一・冬のリヴィエラが流れました。続いて庄野真代・飛んでイスタンブール。私「懐かしい曲がかかっていますね」旦那「その時代の曲ばかり流れる有線チャンネルなんだ、昔、真代のコンサートに行ったことがあるよ」私「私は56ですがご主人は?」旦那「64だよ」私「それなら扇ひろ子を知っているでしょう?」旦那「おっ、新宿ブルースだね」私「若い時分の映像を見たことがありますが、綺麗ですね」旦那「でも気が強そうだよ。今も現役だ。私は好きだな」その時、奥さんにカミソリで顔をあたってもらっていました。旦那の「好き」の一言を吐いた途端、刃使いが荒っぽくなりました。嫉妬したんだろうか。 夜はNHKFMを聴きました。ベストオブクラシック、今週は「カザルスの遺産」と題し、月曜から4日間、ベルギー放送協会提供の録音を中心の番組構成です。プエルトリコ・サンファンでの録音が多い。彼の没した土地です。この国は母と妻の出身でもあります。今日はモーヤンのk550、ベーヤンの三重奏曲、シューベルトの悲劇的。演奏はというと、激烈な棒振り。Bachの管弦楽組曲のそれと同じタクトです。今日の一句髪を切る世間話に人の耳今日の写真はネタ切れです。ということで1ヶ月前のものを。4月の中旬、福岡市博物館へ金印を見に行ったとき、昔の手紙体験というのをしました。いい感じです。付け文のようで。
2014年05月14日
コメント(0)
平成26年1月14日(金) 午前5時起床。快晴。暖かい一日でした。 午前中は契約関連のやりとりがありました。不如意でした。あれこれの書類を整理しながら、仕事に手がつきません。きもそぞろでした。午後は休みました。明日からのレンタカーを予約しました。レガシーを廃車したため、借りたのでした。N-boxで観光地を案内するのはちょっと。亮さんも私も巨漢ですから。あれこれ、手持ちぶさた、そわそわ時間が過ぎていきました。 午後6時、佐伯駅へ迎えに行きました。ホントに北海道・釧路からやってきました。ようこそ、大分・佐伯市へ。 すぐさまホテルに案内、チェックイン。荷を解く暇を与えず、我がホームグランド「つね三」へ直行。 乾杯の後、早速豊後水道の幸を刺身で。ブリ、マダイ、モイカ・・・。大将曰く「今日のサバは定置だわ、ちょっとやわい」 亮さん、ナマコは不得手のよう。 ラプンテビエ。いい感じです。 アンカラをもらいました。此の店の逸品です。 亮さん、初物のフキノトウに舌鼓。 大将がアカメフグの刺身とトラフグのキモを出してくれました。前者の写真はありません。後者はこれです。亮さん、目を白黒させながらでした。 大将が北海道のどの辺か、地図を書いて説明を求めました。亮さん「ちーず(地図)へたくそだわな~、まん中より右なんだわ」 大将、まっ一杯。 マムシ焼酎が出て、目をクルクル。 大将、懐かしい、ハグしよう。 もう一軒。大衆酒場二十八萬石。吉田類の世界です。 九州・大分の焼酎「豊後太郎」を味見する亮さん夫婦。 厠の背中です。一期一会の酔客と連れション。 かんまんごしでウロウロする亮さん。今日の一句つね三に朋友来たり鯖の刺身(あて)釧路にはあずましくない置いてきてクッチャンの歓待を聞き涎繰る
2014年01月24日
コメント(4)
平成26年1月21日(火) 午前5時起床。晴れ。 睡眠時間は足りました。が、今ひとつすっきりしません。疲れが抜けません。仕事帰り、運動公園へハンドルを切って、気がつきました。ランシューズを忘れた。今日も休むべしというお告げ。勝手に解釈し、午後6時前帰宅。ちょうど白鵬の一番でした。旭天鵬はなすすべなしでした。横綱の優勝は決まったようなもんだな。でも鶴竜に賜杯を持たせたいな。嘉風は10日目を終わって7勝3敗。給金直しはすぐそこ。それに満足せず、星を重ねて欲しいな。願わくば来場所、三役を狙える位置まで番付を押し上げたい。そうなればまちが盛り上がります。明日の取組は誰かなと、ぼんやり考えました。と、その時でした。弓取式が始まりました。おーっ、素晴らしい。「颯爽」という言葉がありますが、まさに颯爽です。涙が出るとはこのことです。数多の弓取を見ましたが、これほどのものはありません。客もそれと解るんでしょう、四股の際の「ヨイショーッ」が館内にことさら大きく響きます。カメラは、横綱の取組が終わっても帰る人の少ない様子を捉えました。調べたら聡ノ富士でした。36歳。序二段と三段目を行き来する力士。土俵上の勝ち負けはそれとして、弓を取った面構えに、心意気を感じました。いやーっ、いいものを見た。皆さん、彼を一度ご覧になっては如何。ということでいい気分になり、獺祭を抜栓。今日の当ては牡丹鍋でした。ゴボウの味がよろしい。2合ほどを舐めただけで、盃を置きました。 さて、聡ノ富士の余韻に浸っていて、季刊誌「考える人」の特集記事を思いました。2014年冬号のそれは「日本の『はたらく』」です。副題に「いい仕事、いい生き方」とあります。1~2頁を一人に費やし、20人あまりを掲載しています。働く人の生き様をインタビュー形式で扱っています。皆、立派です。私のようなものがコメントするのはおこがましいですが、彼らの共通点は、その職業に就くまでの人生に紆余曲折のあったこと、転職を経験していない若い人にも心に右往左往のあったこと、今の仕事に情熱のあること、金銭に恵まれていないこと、等でした。読んで、暖かさと勇気のようなものが沸いてきました。娘息子に読ませたいな。でも読まないだろうな。おっと、横道に逸れました。まあ、それはそれとして、それら共通点をして、私の中では弓取の聡ノ富士なんです。力士生命の尽きようとする年齢にして、あの表情、あの心意気なんです。重ねてですが、今日は感動しました。 関連しても一つ、今日の朝礼、1分スピーチは剣道7段でした。先日あった講演会を企画した部下です。彼曰く、講師に礼の電話をしたら「御社の社員に必要なスキルは『仕事の知識』『プロ意識』最後に『郷土愛』」と言われた。うーん、そうか。前の二つにもですが『郷土愛』と聞いて、痛いところを突かれた気分です。混ぜっ返しになりますが、先の考える人に載った人たちは、郷土愛も強かった。今日の一句今場所の打ち出し前は光りおり今日の写真は2枚です。1枚目、水仙が咲き始めました。拙宅梅林の其処此処に幾種類か。これからがシーズンです。早春の口紅水仙はよろしい。も一枚。今日の弁当です。今日のには釧路の時鮭が入っていました。荒巻とは違い、いい塩加減です。美味い。イカ大根もいいです。
2014年01月21日
コメント(0)
平成26年1月14日(火) 午前4時起床。晴れ。外気温2℃。日中、気温は上がりませんでした。終日、10℃未満だったのかな。 午前中、デスクワーク。午後は会議。質問が多く、話しっぱなしでした。喉が渇きました。夕方、運動公園へ行きました。ラン5km。Kさんに併走してもらいましたが、調子悪し。フラフラしました。腹が減って仕方がなかったです。昨日の疲れが残っているのかな。歳なのかな。一風呂浴びたあとのビールが沁みました。 昨日書き残したことを。大分市営陸上競技場で受付を済ませた後、勝手知ったる、石油ストーブのある更衣室へ行きました。スタート時間が迫ると、人いきれでムンムン。サロメチールの匂いが充満します。くるり見回しました。50歳くらいとおぼしき男性が、ここにどうぞと言ってくれました。ベンチの端を譲ってくれました。言葉に甘え、彼の隣に座りました。どちらから来たのか問うと、大分市からとのこと。私は佐伯市からといい、自己紹介し合いました。あれこれ聞いて、すごい選手だということが判りました。今年50歳、かつて別大マラソンで2時間20分を切ったこと、佐伯市のKさんやOさんとは九州一周駅伝仲間だったこと。走った後、知ったのですが、この日も1時間20分を切ったようでした。そんな人が、見ず知らずの私にベンチを空けてくれる心遣い、加えて優しく丁寧な話しぶり。嬉しかったです。彼は、港湾荷役会社で働いていて、残業が多い由。いつ練習するのか訊きました。夜10時を過ぎても走るとのこと。これもすごい。真似はできません。その会社名を聞き「中学の同級生が確か御社に就職したはずだ、名前はYといいます」というと「私の上司です」なんとこの偶然。親近感が増しました。Kさん、Oさんによろしくと言付かりました。偶然の出会いでした。大会にはこんなことがあります。よいです。今日の一句大会に一期一会の笑顔あり寒月の影を踏み踏み白い息今日の写真は、その月です。13夜、待宵月というには風情なしのスコアボードが写っています。走った後に撮りました。
2014年01月14日
コメント(0)
平成26年1月7日(火) 午前4時半起床。外気温0℃。冷えました。私の起き出すのを待つトラが、今朝は後れをとりました。ストーブの火を大きくしていたら、寝ぼけ眼でやってきました。夜明け前のしんしんとした冷えは、猫の餌ねだりさえ抑えます。 熾火に手をかざし、昨晩のことを思いました。床について、気がつくと午前零時過ぎ。毛布に滴がついて、それが冷たかったです。寝汗をかいたのでした。悪寒がして風邪薬を飲んだら汗が出ます。そんな感じでした。熱を出したわけではないのですが、朝になってすっきりした気分でした。 朝ご飯は、七草粥でした。腹に優しいです。弁当のおかずに、玉子焼きをこさえてくれました。でっかいです。端っこは朝、食べました。ネギの風味がよろしい。 仕事は、休み明け二日目になります。リズムが出てきました。新年の挨拶を交わす回数が減りました。正月ぼけが消えていきました。 夕方、運動公園へ。一人新年会はしませんでした。今日もKさんがいました。並走してくれました。10km。県内一周駅伝チームのこと、日本文理大学附属高校駅伝部選手の進路、彼の娘さん(4歳)のこと、あれこれ話しながらでした。一人走りだと中々時間が経ちません。会話しながらだと、たちまち距離を稼げます。 昨春まで部下だったY君が、本を返しに来ました。池波正太郎・剣客商売を貸していたのです。新潮文庫、全16巻。「面白かった、親父も読ませてもらった」それはよかった。彼の父親は中学の教師でした。「技術」を教えていました。私も習いました。催眠術が得意でした。本当です。実際に生徒へかけてみせました。S君がかかりやすいといい、彼が実験台になりました。本当にかかりました。私、S君の手を力一杯つねりました。三白眼になった彼は、痛がりませんでした。Y先生は、自転車のサドルに後ろ向きにまたがって乗ることも、して見せてくれました。最近は、デパートの贈答売り場で熨斗に字を書いている姿を見かけました。前後しますが、剣客商売、お薦めです。貸しましょうか。今日の一句七草の粥を吹き吹き妻が顔今日の写真、ネタ切れです。弁当にしました。昼は毎日、こんなです。
2014年01月07日
コメント(2)
平成25年12月27日(金) 午前4時起床。晴れ。寒い一日でした。 仕事は今日まででした。午後2時に社長の訓示があってお終い。3時を過ぎると、管理部門は店じまいの感です。ただし、営業の窓口はお客様が多い。午後4時を過ぎて営業9課の懸案について財務と協議。 薄暗くなって運動公園へ。ひとっ子一人いない。寂しさと寒さに気持ちが折れました。3km走っただけでした。軽く汗ばんだだけでした。年間、最も重きを置く大分シティーハーフまであと半月です。こんなことではいけません。仕切り直しをしてばかりですが、明日から立て直しです。今さら感もありますが、年末年始は走り込もうと思います。 帰宅して風呂。プルトップを引いた後、猪の内臓を当てに、宝焼酎を流しました。猟師の流儀です。 書くことがないので、思い出したMさんのことを。年の押し詰まってくると、新聞に載る2013回顧〇〇という記事も少なくなります。〇〇には文藝、美術、論壇、クラシック、ファッション等、いろんな範疇が入ります。この手のもの、好きなんです。12月20日付け朝日に映画のそれがありました。「愛・アムール」「セデック・バレ」が評論家の評価を得ていました。両方とも見逃しました。残念。「ハンナ・アーレント」は来春2月、シネマ5で上映されます。必見です。さてその「セディク・バレ」台湾が舞台です。日本統治時代の抗日暴動を描いています。いわゆる霧社事件です。私は、五味川純平「戦争と人間」を読んで、そのことを知りました。「人間の条件」もそうですが、彼の小説は、人の生き様を通じ、軍隊と戦争を痛烈に批判する内容です。ストーリーに引き込まれます。面白いんです、これが。手に取ったのはもう30年ほど前なんですが、内容のあらましは覚えています。そういう伏線もあって、映画の宣伝をしてあああのことか、と思い当たったんです。伏線は、もう一つありました。Mさんのことです。妻の遠い親戚に当たる人です。私は結婚し間もない頃、岳父の家へ、よく将棋指しに行きました。その時初めて、Mさんを知りました。彼も王手が好きで、よくやって来、駒を並べるのだそうでした。当時、70を過ぎて白頭でした。無口でしたが優しい言葉遣いは、ケビン・コスナーが年を取ったらこんな感じかな、という雰囲気でした。何かの拍子に彼が若い時分に警察官であったこと、戦前、台湾に住んでいたことを耳にしました。ならばということで、霧社事件をご存じか?訊ねました。途端に指す手が止まり、遠くを見るような目つきになりました。表情が険しくなりました。盤上の勝負はそれまでになりました。以来、滅多に妻の実家へ姿を見せなかったです。1年以上経って、たまたま遇った折り、霧社事件の本を持っている、今度君にあげるからね、と言われました。その本は、届きませんでした。間もなく彼の訃報を聞きました。 閑話休題、私は「一人親方樵夫」を名乗っています。樵夫とは「戦争と人間」中に登場する伍代産業電気技術部長の矢次樵夫から戴きました。気に入っているんです。 余談ですが、小学館の昭和文学全集に五味川純平の作品は掲載されていません。今日の一句臓物に宝焼酎冬の味霧社事件大伯父の顔青くなり今日の写真はネタ切れです。ということでトラにお出まししてもらいました。朝4時、ネコカリを食べたあとは、ゲップしながらこの仕儀です。
2013年12月27日
コメント(2)
平成25年12月21日(土) 午前5時起床。晴れのち曇り。寒い一日でした。 午前中、ブログを書いたり本を読んだり。忙中閑ありでした。 午後は、月一開かれる市民講座を聴きました。講師は矢野大和(たいわ)氏でした。高校の2年先輩。入学したとき、3年生に落研の人がいて、話が上手だなという記憶があります。その人が彼でした。その道(落語ではありません)の大学に進学、宮司の資格をとり、家業の神職を継ぎました。でもそれだけでは食べてゆけず、地元の役場に勤めたとは本人の弁。50歳まで公務員でした。退職の後、いろいろあったようです。今は講演(彼は「口演」と言いますが)を年400回こなしているそうです。大分市に事務所を構えています。旅費と僅かの手当で全国どこへも出かけていくそうです。テーマは希望に添うようオールジャンル仕立て。コンセプトは「笑って元気」です。話の面白さは保証します。数年前まで、私のまちの観光大使でした。現在、おおいた観光特使をしています。私は知りませんが、AKB48に指原莉乃という人がいるそうです。彼女と彼とがその特使なんだそうです。こう書くと、なんだかすごいような気がします。今日の演題は「佐伯観光への思い」でした。期待に違わずの内容でした。 聴講生から質問が出ました。口演にはコツがあるんですか。矢野氏曰く、原稿を見ない、終了時間をきっちり守る、自慢話をしない、の3点だとのこと。なるほど。 公演中、彼曰く「私は神主だが、未だに神様を見たことがない、本当にいるんだろうか」の弁に皆大笑い。終わって彼に言いました。「大和さん、神様は絶対いると思いますよ。何故って?だっていつも私はバチが当たるモン」 夕方、運動公園へ。寒い中、中学生主体の野球クラブが、多目的グランドの階段を走っていました。私はラン6km。明日、蒲江ブリロードレースがあります。汗をかいただけ。 今日は中山大障害でした。不如意。明日は有馬です。頑張ります。今日の一句寒鰤を赤霧島が流し込む先輩に元気をもらい明日は晴れ文春の請求ありて年暮れる今日の写真は本です。矢野氏著。私宛のサインをしてくれました。
2013年12月21日
コメント(0)
平成25年12月12日(木) 午前5時過ぎ起床。晴れ。 ミーティングや小会議。なんだか締まりの無い一日でした。 夕方、運動公園へ。Kさんに並走してもらいました。10km。最後に1,000mのインターバルを2本。一杯になりました。これがいいんです。右足太もも裏に違和感。大事をとって3本目は止めました。 書くことがないので、どうでもいい話を一つ。Tという男がいます。30代のナイスガイです。弊社ロビー活動の世話役をしています。よく飲みに出ています。いい酒にしてグルメです。ちょっと太めなのはそのせいか。先日、階段状になった大きな会議室、大学の半すり鉢状講義室のような感じなんですが、そこの上段に立ち、仕事をしていました。暑い暑いを連発。Yシャツ姿、しかも腕まくり。暖房が効いているとはいえ、異常な汗でした。上司「下にヒートテックでも着ているの?」T「いや、そんなの着ていませんよ」上司「じゃあミートテックだわな」T「安もんじゃありませんよ、この脂肪、うまいもん通りに通い詰めて仕上がったんですよ。お金がかかっているんです」上司「おうそうかい,スマンスマン」今日の一句さあダッシュ一番星に見送られ写真ネタがありません。モデルになってもらいました。バッハの名曲半音階的幻想とフーガBWV914を聴くの図です。
2013年12月12日
コメント(6)
平成25年12月8日(日) 午前4時起床。霜降。晴れ時々曇り。 午前中、ダラダラ読書。 先日、室内の可動バーが落下しました。ステンレスのパイプです。シーリングファンの下、両サイドに環二つを下げ、この中に通していました。冬のこの時期、洗濯物のハンガーをこれに吊るんです。夜に干すと、朝、厚いトレーナーが乾きます。その環を、釣糸で吊っていました。ラインが劣化、切れたんです。昨日、釣具屋へ寄り、強力なものを買いました。店の兄さんに、これなら大丈夫と言われました。昼前に、仕上がりました。脚立の上は怖かったです。 午後、kusuhitoさんが木立にやってきました。時々、書き込みをしてくれる方です。初対面。ブログに、先日倒したシイを始末しなければと書きました。それを読んで、加勢を買って出てくれたのでした。木立小学校の正門付近で待ち合わせました。スマート、背の高いジェントルマンでした。年を訊ねると30代後半。県内大手企業に勤務。専門は植物学。学生時代はアメフト部一本槍。ガチンコ勝負に明け暮れ、勉強する時間がなかったのでしょう、マスターに行った由。あれこれ聞いているうちに、同窓と判りました。本人は九州生まれのようですが、奥さんは北海道らしい。袋の包みを差し出し「うがい薬です。それに家内の実家が送って寄こしたジンギスカン」ヱビスビールと味付きのラム肉です。ユーモアと心遣い。嬉しいな。 家に引っ張り上げました。コーヒーを淹れながら、あれこれ質問をしました。音楽は何を聴くの?えっ、千春?いいな。今かけるね。丁度出していたCDを、アルテックに流しました。「大空と大地の中で」なんだかいいな、この雰囲気。 チェーンソーを持って来たというので、早速、裏山に行きました。樫を5本ばかり倒しました。玉切りを手伝ってもらいました。倒しておいたシイにも取り付きましたが、大きすぎて手に負えません。幹の大部分は手つかず。写真は、小振りのスチールを振り回すkusuhito氏です。 彼、最近、家を新築した由。ついでに薪ストーブを導入。けれど薪不足。購入して、この冬を何とか凌ごうという算段のようでした。今日倒したカシをと思いましたが、まだ燃やすことができません。拙宅に乾いて積んであるものを持たせました。乗ってきた車はバンタイプの小型車。見たことがありません。訊くとルノーとのこと。後部座席を倒し、ビニールシートを敷いた上に載せました。まんざら、積めません。奥さん用の軽が別にあるというので、これを売っぱらい、軽トラを買うよう勧めました。余計なお世話かな。 別れ際、自分もランナー、サブ3、別大マラソンを走るんだ、こんどつね三に連れていって欲しい、大分にはいくつも角打ちがある、案内しますよ、と言いました。驚き桃の木です。ということで、新しい友人ができました。嬉しいな。コーヒーを飲みながらの際「初対面だけれど同窓だし、薪ストーブのオーナーだし、拙宅までわざわざやってきて加勢してくれた、肉と酒をもらい手打ちも済んだ、もうこれで兄弟だ」という旨を伝えました。今日の一句二人して玉切る樫に暖を観る今日の写真はいただいたジンギスカンです。早速食べようかと思いましたが、レースの日にとっておくことにしました。も一枚、気分がよかったのでウイちゃんを抜栓。さらに一枚。これを聴いた後、N響演奏会を楽しみました。ブラームスのヴァイオリンコンチェルトとシンフォニーの4番。ツィンマーマン、ブロムシュテット。テレビ中継にしては久しぶりの名演でした。
2013年12月08日
コメント(4)
平成25年11月9日(土) 午前5時起床。晴れのち曇り。昨夜、家内はコーラスの練習に出かけました。花金でしたから、私もつね三に突っ込もうかと思いました。剣道7段にさそい水を向けました。用事があると振られました。暖簾を断念。運動公園にも行きませんでした。真っ直ぐ帰宅。一人酒。チャイコのピアコン1番。カラヤン、ワイセンベルグ、ベルリンフィル。ということで、少しジンが過ぎました。 遅い朝をして野良着に。タマネギを植えました。200本。和式トイレスタイルで2時間。腰が痛くなりました。その足で妻の実家へ。柿採り。先週と同じ、裏庭の木に取り付きました。渋抜きをするので、今週もよろしくとのことでした。帰宅は正午を回りました。朝を腹一杯にしたので、まだ空かない。走りに出かけました。葦高の林道。登り込んで小中尾ダム。更に上の小さな砂防ダムまで。これでもかと続く坂道に閉口。でも太ももはパンパン。ふくらはぎもいい感じに張りました。快なり。1時間、いい汗をかきました。 午後2時、妻が明日の発表会を控え、会場確認に出かけるといいました。彼女に、それなら連れて行けといいました。途中、二八萬石で降ろしてもらい、彼女が弥生文化会館のそれを済ませた後、帰りに拾ってもらう作戦でした。が、急にKのやっている店を思い出しました。TELしてみました。昼から開けているとのこと。手土産にと、急いで富有柿を穫りました。店は鶴岡町にあります。名はYです。メニューに定食もある半食堂的感じです。1年ぶりでした。まだ、三楽のキープがありました。走ったせいで渇いていました。先ずは生ビール。うまいっ!陽の高いうちに泡を傾けるのは至福です。 シメサバをもらいました。ここのは絶品なんです。腹が空いて、シャッターを押す前に箸をつけてしまいました。撮ること能わず。次いでマダイの兜煮とアジフライ。三楽で流しました。 さて、そのK。高校の同級生です。彼はラグビー部でした。ナンバー8。硬派。賢かったかも知れませんが、勉強に関心はなかったな。福岡のS学院大に進学すると聞き、校風と彼のイメージのあまりに異なることに、同級生は驚き、笑いました。さほど親しくはなく、以降、風の便りに私的生活のああだこうだを聞き、ふーん、あのKがね、そうかもね、という感じを持っただけでした。数年前、市民プールでA(旧姓U)に遇って、Kが呑み屋を開いたことを知りました。よしみです、それではということで暖簾をくぐったのが2年前。今日が3回目でした。この時間です。他に客はありません。二階堂麦をキープし、包丁をおいた彼に注ぎました。自分で水割りのロックにしました。互いの近況、同級生のこと、あれこれの話に花が咲きました。 彼曰く「おまえ、課長になったのか、K支店のN・Sちゃんはラグビー部の先輩だ、時々店に寄るが酒にだらしがないんだよ、以前Sさんがおまえの会社の社長だったとき、俺、大学に入る前だったんだが、入社しないかと誘われたことがあるんだ、いいな、おまえの会社、社屋、いつできるんだって?えっ、これかい、ケーブルの競輪チャンネルだ、月決めの契約なんだ、そう、車券を買うんだよ、別府には行かないよ、電話投票だよ、もっぱら3連単、えっ、おまえ競馬なんかやってんの?畜生に賭けるなんて気が知れねーな、複勝?ふーん、おまえらしいな、あれかい、女房だよ、歳上なんだ、アルコールは俺より強いけれど、今は全く飲まないよ、店では俺を立ててよくしてくれるけれど、アパートに帰るとテレビのチャンネルまで握られている、エヘヘ、店を閉める時間かい、夜の9時前後かな、場所が場所だしね、更けると客は少ないし、正直焼酎1杯で何時間もというのは御免だしね、その代わり昼の11時から開けてるよ、おまえ、昼酒が好きそうだな、時々寄れよ、親父かい、年寄ったよ、80を過ぎたからね、足がふらつくんだけれどパチンコが好きでね、まあそれができるうちは大丈夫と思ってね、ところでおまえ、色話はしないのか?ああ女房がいるからか、気にしない気にしない・・・」話は尽きません。他愛のない会話は、酒の肴にいいです。 午後5時、携帯電話が鳴りました。帰りの妻が隣のローソン駐車場からかけてよこしました。勘定を済ませたら、前掛けをしたまま、店の外まで送ってくれました。今日の一句悪友の兜煮美味し三楽や今日の写真は柿です。もうシーズンが終わります。今年はよく食べたな。
2013年11月10日
コメント(0)
平成25年11月8日(金) 午前5時起床。晴れ。 終日デスクワーク。気がつくと、会議やミーティングがなかった。ポッカリ穴の空いたような気分でした。机上と背中の棚を片付けました。協議・面談のため、書類が溜まります。放っておくと、何が名なんだかわけのわからないことになります。積み上げたままは法度。私の場合、1~2週間に一度は整理が必要です。でも、ファイリングは下手です。結局、締まりのない仕儀で終わってしまいます。 夕方、部下のWが帰社しました。深島へ渡っていたのでした。シュノーケルだけで水中ビデオを撮影する人を案内したとのこと。豊後水道が日向灘に開けた沖合に浮かぶ、人口20人足らずの孤島です。珊瑚の北限として知られています。ダイビングのスポットです。向かう定期船は足が速いです。蒲江港から30分。絶海の感がします。灯台からの眺めは太平洋遙かです。水平線が見えたか訊ねました。少し霞んでいたとのこと。あれこれの様子を聞いて、行った気分になりました。来週に、撮った写真を分けてもらいます。 市野瀬仁氏が亡くなりました。米寿を越えていたのではないかと思います。数日前の新聞に訃報が載っていました。彼は、佐伯史談会の会員にして重鎮でした。私、その方面に疎く、知り合いはいません。面識を得たのは、ひょんなことからでした。広報室にいた頃、部下の一人がタウン誌の編集をやっていました。私は「平成塔の旅」というコラムを受け持ちました。平成塔とは、御影石の標柱です。昭和から平成に代わった際、私のまちの名所旧跡をそれがそうだということで、その名を刻んでその場所に設置しました。これを月1回取り上げ、400字程度に紹介しました。長島町にある地蔵菩薩の番が回ってきた時でした。その分野は全くの門外漢。誰かに教えを請わねばということで、紹介を受け、氏を訪うたのでした。夏でした。御宅は閑静でした。公園の桜から蟬時雨。しかし、氏の居間はひっそりとして、別世界でした。ステテコ姿で現れました。小柄でした。かみしめるような語り口は、それだけで碩学とわかりました。資料をいただき、辞しました。その時はそれだけのことでした。その後、弊社の玄関先で数度、お遇いしました。飄々とした足取り。グランドゴルフをやっているんだ、と話してくれました。ある夜、某病院の会議室を借りたピアノコンサートがありました。岡田将でした。出かけたのですが、そのとき、そこの玄関で彼に会いました。「やあ、久しぶりですね、会場にはどう行けばよいですか」と訊かれました。既にステッキの要る様子でした。普段着でした。その時が、最後になりました。それからもう10年くらい経ったかな。僅かの交誼でしたが、妙に印象深いんです。あの夏の、世俗から離れた氏の居間が、今になって蘇るんです。毛の三本足りないお調子者の私に、懇切丁寧の説明をしてくれました。思い返すと、急ぐ私をたしなめるようでもありました。しんみりします。今日の一句交誼の死新聞で知り朝の露今日の写真もトラです。彼なりに考えのあるような後ろ姿です。
2013年11月09日
コメント(0)
平成25年10月26日(土) 午前5時起床。北風が吹きました。台風の後足になお絡まっているの感です。綿のような雲が南に流れていきました。少し肌寒かったです。ストーブに火を入れようかと妻に言ったら、叱られました。 仕事疲れか飲み疲れか。わかりませんが、何もしたくない気分でした。読書。妻は支援学校の「風の子まつり」に出かけました。 活字に没頭していたら、親方がやってきました。彼は支援学校のサポーターです。まつりを覗きに来たのだそうでした。支援学校の女教師を意識したのか、頭を撫でつけ、小綺麗にしていました。妻が、現役のとき、森に関する授業の仕立てを彼にお願いしました。以来、ドングリの森づくり、椎茸のコマ打ちなど、数多の作業体験を無償で提供しています。子どもたちに心を洗われるというのが口癖です。今日は拙宅に、チンゲンサイの苗とキクラゲをもってきてくれました。後者を「バリもんぞ、よい」といいました。自家栽培ものです。居間に上げ、コーヒーを馳走しました。バッハを聴かせましたが、上の空でした。ラーメンを食べに行かないかと誘ってくれました。さっき、インスタントのそれを食べたばかりでした。断ると、それじゃーいんで昨夜のすき焼きの残りにうどんを入れて食べよう、と言いました。昨夜、飲み会があったので会社に車をおいてきたことを知り、其処まで送ってくれました。助かりました。わかれしな、今度クヌギを切るからチェーンソーを頼むと言われました。鍬を持つのはいやですが、山仕事はオチャノコサイサイです。 午後も本を読みました。2冊やっつけました。夕方、着替えて走り始めました。すぐに止めました。西日を受けてトビが舞っていました。空が高く、雲の足が早かったです。冷たい北風に、気分が萎えました。えいままよ。とって返し、本をもって長風呂をしました。汗をたっぷりかきました。昨夜の酒が全部出ました。キンキンに冷えたビールを飲みました。一息つけたこの気持ち、ビール党にはわかってもらえると思います。 午後7時就寝。今日の一句朝鮮の料理によろし木耳か
2013年10月26日
コメント(4)
平成25年10月22日(火) 午前5時起床。晴れのち曇り。 朝一、脇の甘かった案件について、シリアスな話をしました。尻ぬぐいというと大げさですが、それは出来ない相談と断りました。対案を出し、納得はしてもらったと思うのですが。 午前中にミーティングを一つ二つ。 午後にお客様がありました。某社の役員Gさんでした。用向きを書くこと能わずですが、前を向いた話ではありました。守秘義務の話になりました。彼はファイナンスの業界に身を置いています。「当行のコンプライアンスはしっかりしている」と言いました。顧みて弊社のガバナンスはというと、いささか心許ないです。しかし、情報、特に個人情報の管理は徹底しています。おおかたのすりあわせは出来ました。 世間話になりました。その業界ですから話題は自然、半沢直樹のことになりました。彼曰く「F銀行の役員某と懇意にしている。あの番組に困っていると言っていた。自分たちの業界が、あの通りというような目で見られるのは心外なのだろう。でも当たらずとも遠からじのところはある、実を言うと愚妻もそれに見入っていた。つまらぬものを見るなと言ったら『あなたも苦労しているのね』と言われた」 生いたちになりました。出身は私のまちでした。高校の先輩でもありました。弊社に彼の同級生が勤務していることも判りました。偶然ですが、私の上司でした。話が弾みました。生家は山一つ隔てたA地区。私が木立の人間だというと、HさんとNさんの名を挙げました。彼ら二人とも、高校で机を並べたとのこと。二人とも木立の人です。学校帰りにやってきて、両人の家を泊まりあるき、高校生の分際でウイスキーを飲んだそうです。 脱線します。そのNさんは関西のR大に遊学、酒の席で「オレの卒論は北一輝」だという話を聞いたことがあります。その時もウイスキーが好きだと言っていました。今は地元に戻り肉牛の肥育農家です。も一人、Hさんは自転車屋の息子でした。暴れん坊でした。私が小1のとき、彼は小4だったかな。6年生に殴られているところを見たことがあります。暴力の激しさを初めて目の当たりにしました。余談の余談ですが、その時叩いた側の一人は今、地元の焼酎「杜谷」を造る会社に勤め、製造に携わっています。少年の頃、人を叩いた手が、今、芳醇の甘露を造っています。戻ります。Hさんは、家業が左前となり、夜逃げ同然、土地を離れました。不如意となり自裁したと風の噂に聞きました。彼には弟がいました。私より一つ年下でした。遊んだ記憶があります。今どうしているのかな。 閑話休題、夕方、運動公園へ。ラン8km。暗い中、ポツポツ落ちてきましたが、中4日練習を休んでいました。休み癖がつくといけないので、懐中電灯をもって40分。汗をたっぷりかきました。シャワーを浴びて今日は飲むまいと思いました。しかし、野菜サラダと生ハムがテーブルの上に。仕方なくワインを抜栓。今日の一句畢生の流転哀しき定めかな今日の写真はマラソン大会のパンフです。今日届きました。来年1月13日です。陸連公認。私にとってはこれが一番上位に位置するレースです。
2013年10月22日
コメント(4)
平成25年10月18日(金) 午前4時起床。晴れのち曇り。夕方に降り出しました。ランは無し。 床屋に行きました。頭をあたってもらうと、眠くなります。ウトウトしました。気がついた時はひげそりを残し、あらかた終わっていました。隣に座ったおっさんの話が聞こえました。行きつけの店は、それぞれの椅子を観葉植物で仕切っています。顔は見えません。声色をして70辺りかなと思いました。面白かったので、紹介します。 彼曰く「こないだ、頼まれ仕事をして状袋に入った5千円の謝礼をもろうた、ほいて帰りに田舎のスーパーに寄ったんよ、ワンカップ大関を買おうち思うたんよ、助手席にその謝礼をおいたまま車を離れたんがいけんかった、ちゃーっとやりそこのーた、鍵をかけんままじゃった、ほんの一時よ、そん間にやられてしもーた、年金生活じゃーきー5千円ぁこたうわい、痛えー、それいしてん盗人のこつー考えたら腹が立つやら、あんしぇめー(あの狭い)地区に人んもんを盗ろーっちする奴ぁ誰か判っちょろーけんどのー、世の中、働かんで楽ーする者がおるんが情けねーわい、帰って嚊にこんこつー言ったら、『そらーあんたが馬鹿じゃー、鍵をかけんで、窓を開けたままじゃったら盗ってくだんせっち言いよるようなもんよ、ほんと馬鹿じゃなーあんたは、そんこつー人ぃ言うたらいけんで、あんた方んぁ馬鹿亭主じゃなーっち、私が笑わるるきーなっ!』ち言われた、そげーバカバカ言わんでもよかろーにのう、嚊ん奴ぁおまい、何かありゃーただ儂んこつーバカバカ言うんよ、バカタンなーどっちか、誰ぃ養われちょるんかっち言いてーんよのぅ、嫁ぃ来たときぁおまい、ハイハイゆうて可愛らしかったけんど、今ぁよう肥えて色もなんもねーわい、パクパク喰いさがいてからぃ、しまたつかん、オナゴもあがっしもーたら終いじゃわい、よいママさん(床屋のマスターの奥さん、彼女が彼の頭をあたっている)手前ぁ旦那ぃバカっち言うたらいけんど、大事ぃせんとな、あーはげらしい」 今日は山の親方に会いました。元気そうでした。カップリの調子もいいみたい。減った体重も元に戻ったようでした。話している最中、以前に厚誼をいただいたKさんが通りかかりました。挨拶をしました。最近、その業界が変わってしまった、あの頃が懐かしいと話しました。必然、話は某のことになりました。某は某の弟が死んだとき、葬儀に呼ばれなかったそうでした。本当かどうか知りませんが、某のことです、さもありなんと思えなくもない。しかし、聞きたくない下賤話ではありました。Kさんは「今年のサツマイモは出来が悪い」といって去りました。Mさんの話になりました。親方の集落に住んでいた人です。村八分のようなことになっていて、不憫に思った親方が親切にしたことを後で聞きました。彼は窃盗で懲役刑を受けた人です。仮出所して、更正したかに見えました。しかし、池波正太郎が鬼平に書いてあるがごとく、この病気は治りません。某宅納屋の冷凍庫から猪肉を盗みました。再度塀の向こうへ。昨年、多臓器不全で亡くなったのでした。私、彼と何度かあったことがあります。鮎狩りに行きあわせ、彼の網で狩ったこともありました。「であります」調の語尾は刑務所言葉なんでしょう。印象深かったです。親方は別れ際に豆腐を買ってくれました。へんてこりんのカボチャをもらいました。 閑話休題、帰宅して文庫本を手に長風呂。たっぷり汗をかきました。プルトップを引きました。KIRIN秋味。次いでキャンティを抜栓。当てはタラの西京焼きでした。食べながら流しながら「そろそろブワの季節だね」「近いうちにそうするわ」ブワとはタラの剥き身です。鱈ちりをリクエストしたんです。コッド、いい響きです。今日の一句馬鹿馬鹿と世間話に花の咲く今日の写真は豆腐屋です。店主はは朝方に始末を終え、無人でした。5千円盗む輩もいますが、ここの小銭は盗まれない。
2013年10月18日
コメント(8)
平成25年10月4日(金) 午前4時半起床。すぐにトラがまとわりつきます。餌を欲しがるのです。レンゲに2杯、2種類を混ぜたネコカリをあげます。食事は朝晩の2回です。毎日、同じメニュー。時々、猫缶を開けてやります。運がいいと、豊後水道の活魚にありつきます。 午前、午後とも会議。合間を縫って人事考課。 夕方、運動公園へ。ラン9km。今日の坂道の練習。足に心地よい疲労感。 書くことがないので、文藝春秋9月号から。広島大学整形外科の先生が短文を寄せていました。肩書きが医学部教授とあったので、ふーん、何か医療の話かなと思いました。読むともなしに題を見ると「医師ホプキンスの凱旋」とありました。そうなんです、あのカープのクリーンアップ、山本浩二、衣笠祥雄、ホプキンスのホプキンス氏のことなんです。内容の概略は次のとおりです。 彼は大リーグでプレーしながら、イリノイ工科大学の大学院に通っていた、ルーツ監督の目にとまりカープに入団した、広島で野球の傍ら広大医学部で組織学を学んだ、練習の合間や雨の日は寸暇を惜しんで顕微鏡をのぞいた、アメリカに帰国後はシカゴの医科大に入学、整形外科医になった、60歳を期に医療職を辞した、今は大学の教官である、その彼が今年広島で開かれた学会に整形外科医として出席した、広島対楽天戦始球式でバッターボックスに立った、3万人の大歓声が球場を揺るがした、時は変わって忘れもしない1975年10月15日、後楽園球場の対巨人戦、9回表に飛び出した初優勝を決める彼のスリーランホームラン・・・。 いい話です。記憶が定かでありませんが、安仁屋宗八、外木場義郎、金城などの名前を思い出しました。大学2年の時、広島出身のKと友だちになりました。彼はコテコテのカープファンでした。宝物を持っていました。その年その日のRCCナイター番組を録音したテープでした。聴かせてもらいました。感動しました。 以下どうでもよい話。 1975年(昭和52年)は私が高校2年生。妻は高校1年生。年表をめくってみました。 ザ・ピーナツ引退 山陽新幹線岡山-博多間開通 サイゴン陥落ベトナム戦争終結 長島ジャイアンツ最下位 シクラメンのかほり 『いちご白書』をもう一度 22才のわかれ ハートのエースが出てこない 私鉄沿線 およげたいやきくん ルージュの伝言 中島みゆき「時代」 なごり雪 鶴光「うぐいすだにミュージックホール」 映画ではタワーリング・インフェルノ ジョーズ 芥川賞 林京子 『祭りの場』中上健次 『岬』 岡松和夫 『志賀島』 直木賞 佐木隆三『復讐するは我にあり』 ベストセラー 有吉佐和子『複合汚染』司馬遼太郎『播磨灘物語』檀一雄『火宅の人』 ドラマ 俺たちの旅 前略おふくろ様今日の一句年譜あり あれこれのこと 走馬燈今日の写真は何にしようかな。ネタが切れたな。これにしよう。スズメ脅しです。ドラム缶をビニールハウスの骨でガンガン叩くんです。ランニングコース、葦高林道入り口手前にあります。
2013年10月04日
コメント(2)
平成25年9月12日(木) 午前5時前起床。晴れのち曇り。夕方は蒸しました。 終日会議。末席の私は、数あわせでもあります。でも突然に発言を求められることがあります。一昨日がそうでした。今日、私の頭は議論を離れ、ペーパーの数字とにらめっこ。来週から長丁場の会議を予定しています。上手い切り回しが浮かんでこない。久しぶりにまずいなという気分になっています。 残暑が続きます。それでも運動公園の取り付け道路、パークウェー線脇にコスモスの一輪二輪。このあたり、株が群生しています。田の半分に稲を植えず、この仕儀です。持ち主のことを思うと、何とはなしにいい感じです。たけなわの頃は見事だろうな。 2kmの周回コースに、ソメイヨシノが植わっています。樹下のコンクリートに、直径2mmほどの黒い粒が一面散らばっていました。虫の糞でした。桜の葉の何れにも、食べ後の穴が空いていました。どんな輩か判りません。いや、近寄って観察しようとは思いません。青虫は嫌いなんです。アゲハチョウの幼虫を見ると、虫酸が走ります。ん?、そういえば先日も今日も、黄色いチョウを見ました。大きさはモンシロチョウと同じくらいでした。この幼虫かな。群舞するようになるんだろうか。 ラン10km。終わりに1,000mのインターバルを2本。何れも3分50秒でした。思わぬタイムにニヤリ。嬉しかったです。 前後します。今日、Tさんに遇いました。懐かしかったです。知り合ったのは30年近く前。彼は漁師です。季節により刺網やカゴ漁をします。儲け頭はサヨリ漁。数トンの漁船に、機動性のある小クレーンを人間が万歳するような形に設置します。その両先端に網袖を通します。前方、舳先をかわして水面下に降ろし、エンジン全開で群れを追うんです。珍しい漁法です。漁具漁法学上は「サヨリ船曳網」といいます。知事の許可漁業です。許可証にもそう書いてあります。共同漁業権内のみが許可区域です。時折、境界線を越えました。漁師同士のトラブルが昂じて、組合の合併に水を差しかねないこともありました。もう20年近く前の話です。 彼曰く、エンジンが不具合になった、修理には500万円かかる、そうまでしてもそれだけの水揚げがない、魚も安い、ずっと沖に出ていないよ、今はグランドゴルフに凝っている、えっ、弟か?、生きてはいるが儂より元気がねーよ、ワッハッハ。もう80近くですが、矍鑠としています。定年のない仕事をしていると、いつまでも若い。 ちなみに弟さんは、同業他社の社員でした。マダイ放流の仕事で取引がありました。余談ですが、ある時、彼の考え方に与する者と、そうでない者に分かれたことがありました。業界を二分する議論になりました。内容は次のとおりです。種苗生産のF1ステージ、成長の早い(業界ではトビと呼びますが)マダイを囲います。この中からまたトビを選んで採卵。これがF2ステージ。これを繰り返します。F3、F4を経るに従い、種苗の優良度が増します。これは主に養殖用として使われていました。あるとき、これを放流用に供しては、という声が上がりました。売れ残りを安く買うことができるから、そうしたいというのでした。生残率、再捕率ともアップするというのが言い分です。Tさんの弟はこれに強く反対しました。操作された特定の魚種を放流するのは悪い、生態系によからぬ影響がでる、との主張でした。普段寡黙で、昼行灯のような人でしたから、驚きました。当時、放流事業は、資源回復の手段として広くおこなわれていました。大方の声は、かまやしないさという流れでした。ただ、資源生物学の観点からは、白黒はっきりさせるような簡単な問題ではありませんでした(今もそうですが)。議論の末、この話はなしになりました。今日の一句桜香をおまえも好きか青虫よ閂を傘寿の男生業に(閂:カンヌキ、サヨリのこと)今日の写真は、骨の標本です。フライドチキンでこさえたとのこと。わがまち某小学校4年生の夏休み自由研究です。部下の一人が弊社商品宣伝に使えないかということで、借りてきたのでした。
2013年09月12日
コメント(0)
平成25年9月6日(金) 午前5時起床。晴れのち曇り。夕方は蒸しました。 午前中デスクワーク。午後、来期及びその次の年度の某計画協議。これは懸案でなく、明るい話です。上も口が軽い。 夕方、運動公園へ。低く垂れ込めた雲の下をラン10km。昨日は不調でしたが、今日はそこそこの練習ができました。 前後します。出勤前、歯磨きの最中、隣YのN兄が来ました。Iのおいちゃんが亡くなったとのこと。寝込んでいたことは知っていました。が、訃報を聞くと、「ふと我に返る」に似た心持ちになりました。無沙汰をしていても、自分と関わりのあった人の死は、想い遙かです。最後に会ったのはいつだったっけ。見舞わなかったこと、少し悔やまれます。 おいちゃんは、父の家の隣に住んでいました。入り婿入り嫁の結婚だったと聞いたことがあります。背丈は150cmなかった。私の記憶は、彼が酪農を営んでいた頃に始まります。乳牛を10頭ばかり飼っていました。牛乳生産が生業でした。息子さん(といっても私より一回り以上歳上ですが)と一緒に頑張っていました。母は毎朝、おいちゃんから手鍋一杯の牛乳を買いました。兄と私はそれを飲んで育ちました。温めたとき、膜のできるのがいやでした。牛の出産は何度も見ました。息子さんには、よく遊んでもらいました。牧草の刈り入れに連れていってもらいました。鎌の使い方を教えてもらいました。畑の中で軽トラのハンドルを握らせてくれました。運転はその時に覚えました。トラクターには乗せてもらえませんでした。今思うと、危険だったからでしょう。牛舎は遊び場でした。乳牛の放たれた柵の中を走り抜け、向こうの柵を越える肝試しが怖くもあり、面白かったです。幾頭かがどう猛で、角突き立ててむかってくるからでした。後に経営が厳しくなり、息子さんは乳製品製造会社へ就職。牛を手放しました。おいちゃんは、倫理研究所の活動をするようになりました。家庭倫理の会という学習に通いました。毎朝5時に始まるそうでした。2kmほどの道のりを春夏秋冬、雨風も突いて徒歩の仕儀だったようです。いつもニコニコ、優しい顔しか知りません。大学の休みに帰省したとき、北海道のことを話して聞かせたら、喜んでくれました。おいちゃんのお世話になったのは父です。市議会の議員を6期しました。おいちゃんは選挙の際、6回とも事務所の責任者をしてくれました。田舎選挙です。期間中は殺気立ちます。その中にあって全く腹を立てず、ユーモアの仕儀。無体な要求、誹謗中傷にジョークで返しました。小柄で飄々とした人柄、大好きでした。代議士が応援に来てくれたとき、おいちゃん曰く「あんた誰な?知らんしじゃな」老境に入り、目を患いました。この10年は視力を失っていました。それでも裏山に入り、雑木を切ったり竹藪の手入れをしていました。這うような姿を見かけたことがあります。今日の一句儚きは露たる滴一期なり今日の写真は、出勤途中に見上げて撮りました。おいちゃんが死んだ日の空は青かった。
2013年09月06日
コメント(2)
全204件 (204件中 51-100件目)