「きらりの旅日記」

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ほしのきらり。

ほしのきらり。

2018.01.10
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カテゴリ: 美術館・博物館
​​​​​​​​​​​ヴァチカン美術館まで来てしまった私ですがっ!めっちゃ~興奮して

ラファエロ、ラファエッロと連呼し何度も大騒ぎしておりますが

モナリザの「ダ・ヴィンチ」や、

最後の審判の「ミケランジェロ」に比べると、どうなのでしょう

Musei Vaticani Stanze di Raffaello Sala di Costantino



きらりのわがまま『ヴァチカン旅日記』ラファエッロ


そもそも


ラファエロ・・・とは?

Raffaello Sanzio

ラファエロ・サンツィオ

(正しくは、ラファエッロであり)


ラファエッロ・サンティ Raffaello Santi





ラファエッロ・サンティは・・・?

1483年~1520年

イタリア

盛期ルネサンスの画家で

イタリアのウルビーノ地区に生を受け

レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロと並ぶ

盛期ルネサンスの・・・『三大巨匠』の一人

聖母の画家としての異名を持つことからわかるように

聖母マリアと幼子イエスを描いた作品が有名



ラファエロ(1483-1520)は

レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)や

ミケランジェロ(1475-1564)とは・・・



この二人や師ペルジーノから多くを学び、

その結果、

盛期ルネサンスの集大成とも呼べる

絵画作品の傑作を数々描いている。

またペルージアでの修行時代から



若くして独立し芸術の都

フィレンツェでの有意義な滞在を送った後、

25歳から死去する37歳まで、

教皇ユリウス2世からローマに呼ばれ、

ヴァチカンの宮廷画家として栄華を極めた。

近代からはその調和に富んだ古典的様式から、

古典主義絵画(西欧アカデミズム)の祖として見なされた。


・・・ざっくりと説明しました・・・


そんな感じで、


ラファエッロは、


ヴァチカンで最後の大作に望んだのであります。


それが、


ヴァチカン美術館の


『ラファエッロの間』であります。


ラファエッロの間は、


4つの部屋に分かれております。


第1室は、コンスタンチヌスの間(ラファエッロ工房・弟子たちの手)

第2室は、ヘリオドロスの間(ラファエッロ本人の作)

第3室は、署名の間(ラファエッロ本人)

第4室は、火災の間(ラファエッロ工房)


1508年の秋の頃


ローマに到着したラファエッロは、


教皇ユリウス2世の依頼により


のちに「署名の間」と呼ばれる事になる


彼の書斎の装飾を手がける。


そのなかでもっとも知られている壁画が


『アテネの学堂』であります。


第3室「署名の間」は、後ほど・・・


まず、最初に入場した

「コンスタンチヌスの間」 Sala di Costantino から始めたいと存じます。







ガイウス・フラウィウス・ウァレリウス・コンスタンティヌス

古典ラテン語:Gaius Flavius Valerius Constantinus

ガーイウス・フラーウィウス・ウァレリウス・コーンスタンティーヌス

272年2月27日 - 337年5月22日

ローマ帝国の皇帝(在位:306年 - 337年)

帝国を再統一し、

専制君主制を発展させたことから「大帝」と称される。

ミラノ勅令を発布したことでキリスト教を公認、

その後の発展の政治的社会的基盤を用意したことから、

正教会、東方諸教会、東方典礼カトリック教会では、聖人とされている。

記憶日は、その母太后聖ヘレナと共に6月3日。

日本正教会では正式には「亜使徒聖大帝コンスタンティン」と呼称される。


「コンスタンチヌスの間」天井画

ラファエロの間に含まれる4つの部屋のうち、


コンスタンティヌスの間がもっとも広い。


この部屋の装飾画に関しては、


制作はユリウス2世、


およびラファエロの存命中にはほとんど進められず、


また題材は、


異教徒に対するキリスト教の戦いと勝利に絞られている。


ローマ帝国のコンスタンティヌス帝の生涯に始まり、


ロマーノ、ペンニ、デル・コッレによる絵画がその後の歴史を綴っている。 


これらは、彼らの師であったラファエロ自身によるものではないため、 

他の間にある絵画ほど有名ではない。 

彼らは当時の慣習に倣い、絵画中のシルウェステル1世の姿形として、 

実際にはクレメンス7世の姿を描いている。

十字架の出現    英:The Vision of the Cross 

イタリア語:Apparazione della Croce a Costantino

「十字架の出現」では、コンスタンティヌス帝が対立する

マクセンティウスに向かって進軍しているときに、

上空に十字架が現れた情景を描いている。 

十字架の近くにはラテン語で In hoc signo vinces という文字が現れたとされており、

絵画中ではそれがギリシャ語で Εν τούτω νίκα と描かれている。 


ミルウィウス橋の戦い

Vittoria di Costantino su Massenzio a ponte Milvio

「ミルウィウス橋の戦い」は「十字架の出現」に続く、

西暦312年10月28日のミルウィウス橋の戦いを描いている。 

他国のツアーガイドの青い旗がっ。チラチラ


コンスタンティヌスの寄進状  The Donation of Constantine 

「コンスタンティヌスの寄進状」では、

コンスタンティヌス帝がローマ教皇に領地を寄進する旨を記したとする

同名の偽書の内容を描いている。



コンスタンティヌス帝の洗礼 Battesimo di Costantino

コンスタンティヌスの間の端にあります(白い壁の右)

死の床に伏すコンスタンティヌス帝を描いており

ラファエッロの死後に

ペンニによって描かれました。

見上げる人々・・・


コンスタンティヌス帝の洗礼 Battesimo di Costantino

コンスタンティヌス帝の洗礼  The Baptism of Constantine 


ここまでは、以前にも書いておりますが・・・

ラファエッロの間・第1室コンスタンティヌスの間説明
https:/ /plaza. rakuten .co.jp/ hoshino kirari/ diary/2 0170728 0000/

実際に観ると違いますね~こんな端っこ


コンスタンチヌスの間・・・窓たち

フレスコ画が、びっしり・・・

いずれもラファエッロの死後にジュリオ・ロマーノが

師の構想ををもとに描きました。

窓から見た【世界遺産】ヴァチカン国内の駐車場


天井画


壁も天井も見事ですね


第1室=コンスタンティヌスの間でした・・・つづく手書きハート


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最終更新日  2018.01.11 15:45:17
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