「きらりの旅日記」

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ほしのきらり。

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2020.09.11
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カテゴリ: 美術館・博物館
​​​​​​モネは、1877年37歳のころ第3回・印象派展に「サン=ラザール駅」8点と風景画を出品をします。


​クロード ・モネを知りたい・・・その20​​


​1877年4月、第3回『印象派展』参加。


手書きハート手書きハート
​Claude Monet​
1840年11月14日〜1926年12月5日(86歳没)

Les Dindons (1877)​


『七面鳥』 1877年​

174.0cmx172.5cm

油彩・カンヴァス​

パリ『オルセー美術館』所蔵。


​1877年、第3回『印象派展』に出品。​


1876年 夏から 


経済的に苦しくなったモネの絵を購入してくれた


実業家:エルネスト・オシュデ の所有していた


モンジュロンのロッテンブール館で描いたのは


大きなお城で放し飼いにされた「七面鳥」たち


後景には、お城が見えています。


邸宅の居間に飾るための『七面鳥』など4点を制作。


エルネストの妻「アリス・オシュデ 」は


1877年8月20日に第6子:ジャン=ピエールを生むが


​彼は・・・モネの子ではないか


とも言われている


モネは、相変わらず経済的困窮が続き


ゾラやシャンパンティエを含め





クロード ・モネは・・・

1877年初めには、


パリのサン=ラザール駅の近くのモンシー街に部屋を借り




異なった時刻に描いた12点の連作に取り組んだ。


これは、のちの


『積みわら』や



『ルーアン大聖堂』

などの連作につながっていくものであった。


サン=ラザール駅は・・・


アルジャントゥイユへの列車が発着する駅で、

モネは、日頃からこの駅を利用していた。


鉄道は・・・


マネや印象派の画家が追求した


近代性を象徴する主題でありました。


​1877年4月、第3回『印象派展』には、​


『サン=ラザール駅』の連作8点のほか


『テュイリー庭園』『モンソー公園』『七面鳥』を描いた作品も出品した。


美術評論家:ジョルジュ・リヴェールは、


第3回展参加者18名を紹介する小冊子『印象派』を刊行し


とりわけ、サン=ラザール駅の連作に賛辞を送った


このころ、


アルジャントゥイユでの生活に出費がかさんだこともあり


モネは借金に追われ、


家具の競売を求められる状況に陥った


そのうえ、妻のカミーユが病気に倒れた。


モネは地主に『草上の昼食』を
借金の担保に引き渡して


1878年1月17日、アルジャントゥイユを去った。


そして数ヶ月間は、


パリのエダンブール街に滞在した。


3月17日、カミーユとの間の次男「ミシェル」が生まれた


しかし、出産直後


カミーユの健康状態はさらに悪化していった。


その春テオドール・デュレは、


『印象派の画家たち』と題する小冊子を出版し


モネ、シスレー、ピサロ、ルノワール、ベルト・モリゾの5人を


印象派グループの先導者として選び出し、解説を書いた。


(資料:ウィキペディアさまより)
(写真撮影:ほしのきらり)


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最終更新日  2020.09.11 00:10:10
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