ふたごノート

ふたごノート

PR

×

カレンダー

キーワードサーチ

▼キーワード検索

コメント新着

2021.10.18
XML
カテゴリ: 愛to映画・ドラマ
​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​

映画感想、ラスト記事(予定)!

映画感想『リョーマ!新生劇場版テニスの王子様』-その5


前記事までで、個々に書きたいことはだいたい書き尽くしたかな…という状態なのですが、
補足で書きたいことと、本映画に対する個人的な感想の総括 を。

(先に断っておきますと
この記事上の、どこで誰が、どういう順番でこの映画作品を構築していったか、というのは
本当に私たちの中での、 ​​​ ただの「想像」「いち鑑賞者の解釈」 ​​ ですので。
この作品を観て、 こういう風に捉えている人も居るんだな 、と思っていただければ。)



*以下、現在公開中の映画作品の、ガッツリネタバレあり感想です。
未鑑賞の方は、お気をつけください。*




●黒猫

こちらも「ゲストキャラクター」で良いのか分かりませんが、
本映画随所に登場する、「黒猫」。

​監督様のお話で、 「夢へ案内するキャラクター」 との見解があったようですが、​
アリスで言うと兎のような立ち位置ということでしょうか。

映画序盤、桜乃ちゃんをリョーマ君に引き合わせたのもこの黒猫ですし、
クライマックス、全米オープン会場で、リョーマ君にボールを渡して、
戦うように促したのもこの黒猫でした。


観ていると、
この黒猫が、鑑賞者が気になるレベルで登場してくるシーンは、
​基本的に、 リョーマ君と桜乃ちゃんのシーン です。

最初の、エメラルドさんの倉庫のシーンや、
ラストシーン、現在に戻ってきた二人が別れるシーン…等。
心配そうに観てる…って雰囲気かな?と。


​一番大々的に登場するのが、やはりリョーマくんと桜乃ちゃんの 教会のシーン

教会→星の光の世界へ、この黒猫が二人を導いたのかな?
というニュアンスになっていました。

この星の光の中でのリョーマ君&桜乃ちゃんのデュエットシーンですが、
​明らかに不自然に、
黒猫の「眼」が随所で「くわっっ」と観客を観てくる 、​
謎演出がなされています。

桜乃ちゃんが「私大丈夫だよ」って、とにかくプリンセスな表情と仕草で応えるシーンと、
「どこに居ても君と回る世界~」の、リョーマ君と桜乃ちゃんが浮遊するシーン…かな?

後ろで、ものすごく不自然に、
黒猫が大きな眼を見開いて、観客を睨んで来ます。

​まぁ…基本、 ​黒猫は許斐先生​ で、​
​このシーンでの目線は、 「観客への威嚇」 なんだろうな、​
と私は受け取っています。

今回、こうやってこの二人を描くことについて、
確固たる決意・覚悟を持ってやっていることとはいえ…
​不安…でしょう、心配…でしょう、そりゃ…​
これまでの、経緯のあれこれからして、そりゃ…
キャラクター守らなきゃ、って思うでしょうよ…と。


この解釈で合っているのかは分かりませんが、
「何かの目線」の示唆ではあると思っています。

感じ取る人だけが感じ取れば良い、
興味深い演出だな、
と思っています。





●オープニング・♪Dear Prince~テニスの王子様達へ~ ​​
 クライマックス・♪世界を敵に回しても の対比

本映画作品ですが、随所で、
「テニスの王子様」という作品が、第一線の作品ではない
という現状の立ち位置について示唆されている と思っています。

表題曲 ​♪世界を敵に回しても​  の歌詞中にある、この言い回し。
​​ 「時の異邦人(エトランゼ)だとしても」

もちろん、リョーマくんと桜乃ちゃんが、
過去にタイプスリップして来ている「時の異邦人」という概念とひっかけてありますが、
歌詞の意味合いとしては、 ​作品の立ち位置としての意味合いが強い​ のだろうな、
と受け取っています。


​この概念、 ​OPのシーンと、クライマックスシーンとの対比​ で​
一番表現されていると思っています。

​オープニング・ ♪Dear Prince~テニスの王子様達へ~  ですが、​
テニプリ旧作の最終回のシーン。

観客が皆がノリノリで躍りもてはやす 、「熱狂」ですね。​
​​ 作品としての「人気絶頂期」のイメージ なんだと思います。


​対比で、クライマックス・ ♪世界を敵に回しても  のシーン。​

全米オープン会場で、観客は皆ブーイングをしながら帰ってしまって、
​​ 家族や、今回の映画でかかわった人たちしか観ていない中 で、​
リョーマくんの、一番叶えたかった夢のような試合が始まります。


この2つのシーンの対比 は、本当にオモシロくって…
シーンとしての概念も対比になっているのですが、

​もう一つ、 ​「リョーマくん」というキャラクターの描かれ方​ ですね。​
この2つのシーンで対比になってます。

オープニングの方は、 ​​「アイドルのリョーマくん」​​ です。​
表情・動きがとにかくアイドルです。

集団アイドルの中で、一番小さくて、一番大きな眼をして、
真ん中でバシッとキメる…
作品の人気絶頂期に求められた「アイドル(センター)像」なのだと思います。


この オープニングの ​「アイドル・リョーマくん」像​ との
​​ ギャップを魅せるのが、映画本編 でした。

表情・演技動作の質が違います。

正味80分くらい…だと思いますが、ひたっすらこの子の、
​​ 特に「プライベートの部分」 …ですね。

生まれ育った環境と、見て来たものと、大事にしていきたいものとを、​
ひたっすら魅せて来てからの、クライマックスシーンなので。

オープニングでも、青学メンバーはじめ、
みんな踊って応援してくれてたんですけど、
​クライマックスはもう… ​感受性が違う​ というか、

「テニプリ」という作品の、
これまで積み上げて来たものすべてが、
背中を押してくれる力強さを、 ​リョーマくんにつられて、
観客も強烈に実体感します (させられます) 。​

​とにかく、この2シーンの対比は、観れば観るほど面白いところです。




◆総括

劇場公開から、1カ月以上が経過しましたが…
はい。毎週末、車で1時間半かかる劇場まで足を運び…
​​結局、 ​現時点で ​14回​​ 鑑賞してきました。​

過去、 「銀魂 完結篇」の自分内最多16回鑑賞 という記録がありましたので、​
そこまではいっていないのですが…

でもな…銀魂はセカンドランまで合わせての回数だったから…
ペース的には同ペースかも…。


年季の入ったテニプリファンでもないため、
作品を応援したくて行っているわけでもなく、
特典の40種ポストカード狙いなわけでもなく
(パッと名前が出てくる子の方が少ないし)、

​​ ただただ単純に、この映画を鑑賞したかった…。
完全に中毒症状です。



この映画作品は、
​​ ​需要や波に当て込んだ作品ではありません。 ​​


「こういうものをファンが待ってるから」
「こういう波が来てるから、それに乗ろう」
…という意識の企画とは、 ​かけ離れたところ ​​ から生まれて来ている作品です。

ただただ、
​​ 許斐先生が最高だと思うもの を、​
疑いようのない力のあるスタッフ様たちの力を存分に借りながら・任せながら、
これまで培ってきたメディア・エンタメノウハウのありったけを駆使して、
最高にこだわり抜いて、
最高だと思う「形」にしてある作品 …だと思っています。


これが何のつくり方か?というと、​大袈裟ではなく、
​「ラピュタ」「トトロ」の作り方だな、​ と思います。
「お前に誰もそれは期待してない」と言われながらも、
「最高だと思うもの」を、形にしてある。


​​形にしないと、口で言ったところで
何も伝わらないじゃないですか。​​
「トトロ」「まっくろくろすけ」「ねこバス」なんて概念で説明されたところで、
受け手には、何が面白いのかなんて全く分からないですよ。


本テニプリ映画にしても、
​​ ​少年漫画の主人公としての「リョーマくん」像… ​​
お父さんに憧れて憧れてキラッキラしてるところや、
桜乃ちゃんと2人でいる時の、どれほど「王子様」かという部分…

どれほど、許斐先生の中に構想があろうが、
どれほど 「『このリョーマくん』が魅力的なんだ」 と口で説明しようが、
​​ やっぱり描写して、作品にして伝えないと、
分かってもらえない
んです。

​これが、 「形にする」ってことなんだ 、​ と思います。

​「形」にして、「作品」として表に出したものしか、
何かを伝え、他の方を説得し、押し切ることはできません。



​ただ、製作サイドとして、 「形にする」までの ​紆余曲折​ …というのは、​
当然あるのだと思いますし、
特に、今回の「新生テニスの王子様」については…。


映画立ち上げ時には、
​「これほどの攻撃性をもった ​『作品としての概念戦』​ 」​
を展開するつもりは、なかったんじゃないかな、 と思うんです。


鑑賞すれば分かりますが、 ​今回の映画、 とにかく「異常」 です。​
​「異常なハイテンション」​ が、ずっとずっと空気感を支配しています。​

鑑賞者の記憶を飛ばしたり、
​​ 「麻薬」 と称されるほどの爆発的な感情が、渦巻いてる。​


「テニスの王子様」の原作を読んでいて、本当に感じたのが、
許斐剛先生のお人柄や、信念 という部分だと思うのですが、​
​​​​ 絶っっっ対に、「負の感情」を使わない ​​​ んです。

キャラクターにしても、総勢数十人、数百人というキャラクター達が居るのに、
一切、「負の感情」から生まれたキャラクターが登場して来ません。

普通、使いたくなると思うんですよ。
家庭環境があまり上手くいっていなかったりだとか、
不幸な生い立ちを背負っていたりだとか…
​それが、 一切ない。


許斐先生自身が、
「ハッピーメディアクリエイター」 を名乗られていることからも、​
クリエイティブの源泉が「ハッピー」であり、
形作るもの自体も絶対に「ハッピー」であるのだ、 という
確固たる信念 を持ってらっしゃるんだな、というのをひしひしと感じます。


今回の映画作品も、
最初は「ハッピー」だけで作ろうとしたんじゃないかな、
と思うんです。




​​
以下↓、あくまで私と妹の中での、
​「こういう流れ・考え方なんだと思う」​ という、ただ想像です。

原作・旧作の全国大会に向けて、 20巻後半から30巻台 …ですね。
​(初期構想では、主人公に設定していたという) ​金太郎くん​ を大々的に出して、​
ファンの要望に応えて、氷帝学園をもう一度大々的に描写して、

35巻 …でしょうか。
​​あそこで一度、明らかに 「リョーマ君軸の少年漫画」を
再開幕させようとしてる と思うんです。
​​
金太郎くんと、桜乃ちゃんと、リョーマくん で、三角関係をベースに、
​金太郎くんとリョーマくんの対峙​ …ライバル関係を、分かりやすく定義して。

この時にやろうとしたのは、
今回の映画の立ち上げと、同じ試み だったと思うんですよ。
​「少年漫画の作りに戻そう」​
「リョーマくんが運命的に感じ取ったもの、
リョーマくんにとっての重要な要素のバランスで描こう」 という。

​これが、おそらく、 ​​ファンの反発が凄すぎて…​​ だと思います。​
​許斐先生が描きたい形に 「出来なかった」 。​ 多分。

だから、旧作は42巻・全国大会優勝までで、
青学だけはしっかり主役主体として描き切って、
​​ 一旦締めることにした(なった)んだろうな、 と感じました。​
(35巻には、許斐先生の腰痛による休載についての記載もあったため、
体調面のこともあったのかもしれませんが…。)

準決勝の四天宝寺戦で、 ​リョーマ君VS金太郎くんの試合が実現せず、​
(その前に決着がついたため)1球のみの対決だけが描写されましたが、
『ここではもう描けない』から、『保留』した のだと思います。


また、 41巻・決勝戦に向かうリョーマくんに、桜乃ちゃんが話かけますが、
リョーマくんが、 「悪いけど 後にしてくんない」 と言うシーン。​

今回、原作をじっくり読み直している時に、このシーンを読んで若干涙ぐみました。

このシーンは、本当にリョーマ君の言葉のままで、
「試合の後に、何らかのエピソードがある(今は描写はしないけど)」
という含みも持たせつつ、

『走らせてきたこの連載の中で、
(リョーマくんと桜乃ちゃんを)描いてあげられない』
『また後で、何らかの形で、絶対に描く』
という作品としての示唆だと思ったんです。


今回、原作を読み直してひしひしと感じましたが、
リョーマくんと桜乃ちゃん に関しては、
10巻台…アニメが始まったあたりから、
原作の中で、本当に描けてません。

随所で、「出したい」という意図をすごく感じるシーンが出てくるのですが、
​​リョーマくんが、桜乃ちゃんの方を見て、
普通に会話できるシーンがほぼありません。 ​​​
たぶん…皆無じゃないでしょうか。

​それくらい、 旧作の中では、「普通に」描写できなかった。


旧作完結が2008年で、1年後… 2009年、
『新テニスの王子様』が続編として連載開始 しています。

「新テニスの王子様」も、ざっと読みました。
​作りとしては、本当に… 「分かる」「上手い」「流石」

まだまだ人気拡大ができる「テニプリ」という作品のコンテンツ提供…
高校生たちという新キャラクターの拡充を行いながら、

「U-17世界大会」に向けた、隔離された合宿所でのバトルロワイヤル的な出だし…
話筋の定め・縛りを極力抑えた中で、数多のアイドル人気を誇るキャラクター達を、
​​ 需要に沿った形で活躍させることが出来る ようになっています。

求められるものに対して完璧 な、​
「流石」としか言いようのない作りだな、と思います。

ただ、ざっと読んでの印象は…
​​ 「『物語』ではないな」 というのが、正直なところです。

特に、 ​『リョーマくんの物語』ではないな、​ です。

本当は、新~になってから、人気キャラたちも個々に活躍させつつ、
もっともっと、リョーマくんと金太郎くんの軸を、
少年漫画的に描いていきたかったんじゃないかな、 と思うんです。

なかなかそこが、 ファン層の需要と折り合わない…
「テニスの王子様」という作品・商品パッケージを背負って、
このジレンマの中で、『リョーマくん』が描けない… というか、
​もう動けない…​ というか。


新~の コミック13巻
リョーマくんが日本の合宿所を(失格)という形で離れて、
お兄さん(リョーガさん)の導きで、アメリカチームに入る展開 を読んだとき、
許斐先生の中で、何らかの決意があっての展開なのかな…と感じました。

衝動的なものだったのかもしれませんが、感じたのはとにかくコレ↓です。
​​ 「リョーマくんを、『アイドル集団』から離してあげたい」

このタイミングで、 桜乃ちゃんが原作本編に鮮やかに登場 して、
漠然とですけど、力強く励ましてくれるデート回が描かれるのですが、
…すごく分かるんですよ。

​これが、 ​2014年の段階​


今回の映画作品が、お話を見ていると
5年以上かけて製作している映画作品のようですので、
2016年くらいから? 動き出しているのかな?

許斐先生が、インタビューやメッセージ等でしきりに
「最初は、タイトルから『テニスの王子様』を外したかった」
とおっしゃってるのを見て、

最初の感情は、本当に…
​​「リョーマくんを、『アイドル集団』から離してあげたい」​​
だったのではないかな…と思うんです。

「テニスの王子様」「テニプリ」を背負わなくて良い場所 で、​
​リョーマくんと、そして桜乃ちゃん…​
​この2人を、 生き生きと、思いっきり
しゃべらせてあげたい、動かしてあげたい 。​



最初、この映画のビジュアルと概要が公開されたとき、
「リョーマくんと桜乃ちゃんで、アドベンチャー!」
なんだな、と思いました。

この2人のキャラクター、(あとは金太郎くんもですが、)
​そもそもが「子ども向け」に作ってあるキャラクター​ です。
どう見ても。

​​ 「王子様」と「お姫様」 という、考え方自体が 完全に ​「童話視点」​ なんです。

​​
​だからこそ、集団アイドルが求められる「テニスの王子様」の中ではなく、
別の、 子供向けのパッケージ感 の中で、​
森の中で出逢った王子様とお姫様
それくらい安直で絶対的な存在として、​
この2人を、転生させてあげたい…というか。


​だから最初は、 ​子供向けのワクワク大冒険!​ という筋立ての中で、​
リョーマくんが桜乃ちゃんを一生懸命守って、
桜乃ちゃんはとにかく健気で可愛くて、リョーマくんをずっと見てて…
それが描ければ、やりたかったことは出来てたんだと思うんです。

それこそ、今回の映画作品を、 許斐先生だけの感性…
「ハッピー」 だけで形作ってたら、​
↑こういう作品になるのが、 ​​​至極妥当な形​​​ だったと思います。


…ただ、やっぱり、 この2人を活き活きと会話させてあげようとするほど、
向き合えば向き合うほど、
​それだけじゃ…終わらなかったんだろうな、 ​​ というか。


やっぱり、何がどうあったって、
この子たちは、存在がもう ​「毒」​ なんです。

作品の大成功と、独自路線の発展の陰で、
理不尽に抑圧を余儀なくされ、 犠牲になり続けて、20年…。

​この2人を巡る、関係者の方たちの 気苦労や心痛 、​
ファン・読者・ちょっとだけ知ってる層も含め、
​何万・何十万・何百万という人々 各々に渦巻く感情
何より、「最高だ」と思って仕掛けたキャラクター、キャラクターの関係性を、
(一部の読者だと思いますが) 延々と攻撃・拒絶され続け、
読者が誰も傷つかないようにと気を使い続けて、
​描くことすらままならなかった 許斐先生自身の中の激情 と、​
​​​この2人のキャラクターに対して積み重ねた、 「申し訳ない」という感情
​何がどうあったって、絶対に 「あります」 。​


監督様・脚本家様
が本映画作品の構想を練る段階で、​
​この 「毒」 であり、そこに渦巻く「感情」それ自体が、​
特殊だし、 ​本映画作品の、他にはない面白さなんだ、​
と位置付けた んじゃないかな、と思うんです。

提案として、 ​ガンガン 作品の歴史的背景・概念 を、​
サブキャラクター設定や話筋自体に組み込んできます し、

そうした中で、いざ、 リョーマくんと桜乃ちゃんを2人っきり にして、
向き合って、落ち着いて、自由に会話させてあげようとしたら、
12歳らしい会話そっちのけで、

「足手まといになってごめんね」
​「怖い目に遭わせてごめん、巻き込んでごめん」​
って言い合ってる…。

いったん、集団アイドルパッケージから引き離そうとしたからこそできた、
「(桜乃ちゃんに)本当に言いたいことは、何だ?」 という問いかけに対する、​
​​ リョーマくん(というか、=許斐先生)の返答(意志) が、
​「謝りたい」​ と​
​​ 「『絶対に守るよ』って誓いたい」
だったんだろうな、と思います。


​この意志が、 ​教会のシーンに結実した​ …というか、​
​「これしかない」​ という形で定まった​ 時に、
​これはもう… ​『そういう作品』​ だ​ 、と。

「絶対に嫌だ」「ここは描いて欲しくない」って言うファンが
一定数は確実に居ること分かってて、やることなんで。


​どうしても 「ハッピー」 だけではいられない…​
​作品としての ​「負の感情」や「傷」を、
「そういうもの」だと認める​
…というか。

今まで積み上げて来た作品の歴史や、周囲の目線 は、
何がどうあったって、リョーマくんにとっての ​​ 「壁」 ​​ だし、

ここに突っ込む行為が何なのか、
その源泉にある感情は何なのか、と言ったら、
​『世界を敵に回しても 譲れないものがある』 ​​
だったんだろうな、と思うんです。


許斐先生おひとりで形作る作品 だったら、
ファンに気を使いまくるお人柄、これまでの作品展開を見るだに、
​絶対にやりたくなかったし、 ​​​​出来なかったこと​​​​ だと思います。

出来なかったからこそ、20年間もこの状況を続け、
抑圧された感情が熟成に熟成を重ね、、
​今回、こんなド肝を抜かれるような
「ゲキブツ」映画​
が生み出されてしまったわけで。

ただまぁ…改めて振り返ると、
「世界を敵に回しても」 描きたいものが、何かって…​
​​『王子様とお姫様』 ​​ ですからね…!!​

この2人(←ただただ微笑ましい、 王道中の王道 )を描くのに、
​​ いったい何をどうしたら、
ここまでの覚悟が必要な状況に陥るのか…
っていう…;;

まぁ…オモシロいんですよ。
​本当に、 ​「他にない」​





ここまで5記事に渡って感想を書いて来て、 私があまりにも
「リョーマくんと桜乃ちゃん」に寄った観方を
してしまっている
自覚はあります。

これまでの「テニスの王子様」の作品背景に目を向けなければ、

「父親のテニス」に一直線に向かう少年の、
感情・動きを主軸に展開させた映画作品
という認識で一切問題ない作りになっていますし
(脚本家様の筋立てが本当に上手)、

​鑑賞後に 「満足感」 が得られていたのであれば、​
​それはもう、 映画内でリョーマ君が思いっきり楽しく動けた…「満足」していた し、​
そこがちゃんと観客に伝わっていたんだな 、ということだと思います。

それだけで、製作主体のやりたかったことも全部出来ているし、
傑作映画だ! と言い切れると思います。


ただ…やはり、私の視点では、です。

これまでの作品背景への視点が大きい ため、
​この作品に渦巻く 「異様なハイテンション」の源泉 は、​
間違いなく 「リョーマくんと桜乃ちゃん」を描くこと
​それ自体にある、​ という観方になりますし、

​本映画作品の ​核心​ は?​ と言われたら、​
まず ​『教会のシーン』だ​ と思っています。​

​​ 教会のシーン  及びそこでリョーマくんと桜乃ちゃんが歌う ​♪Peace of mind​ と、​
​敵キャラとして設定され ​た ​エメラルドさん​ は、​
「少年向け」の作品を描こうとして、素直に出てくるものではありませんし、
「新規ファン」開拓向けとして妥当な要素だとも感じません。

​これらは、 ​20年を背負った、 ​作品の在り方の概念戦の結晶​​ です。

「世界を敵に回しても」 なんてフレーズは、この概念戦からしか出て来ません。



​リョーマ君が、枷を外してあげたら、本当によく動くんですよ。 ​​
この映画内で。

絶対にじっとしてない。

​​桜乃ちゃんにも、まっすく向き合って、
どこまでも踏み込んだことを自力で伝えて ​​
​​​ その上で、 憧れに向かって、観客置いてけぼりにして、
どんどんどんどん進んでいく んです。


​こんなにパワーのある子だったんだ…!​ って、​
許斐先生自身も、 製作の中で何回も何回も、
​​この子の 主人公としての底力 に惚れ直したんだ​​ と思いますし、

​そうした中で、 ​リョーマくんが
「『テニスの王子様』を呼んだ」​
というか。

先輩たちや、ライバルたち…作品自体を、呼んだ。

逃がしてあげたかったものを、
自ら呼び寄せて、それを声援に変えて、
自分の力で、集約していこうとし始めた んじゃないかな、と思います。


​だんだん、 ​その過程でテンションがおかしくなっていった​ というか…

​「リョーマくん、最高だよ!」​
「大丈夫だ、桜乃ちゃんも、作品自体も、そしてファンも、
何もかも全部、リョーマくんの力で『ハッピー』にできる!!」
​「やっぱり君が、『テニスの王子様』だよ!!!」​
​「『テニプリ』って最高だよ!!!!」​

​映画のクライマックスは、もう
↑このテンションでお祭り騒ぎしてる んだと思うんです。


作品として、時流の波が来ているわけでもなく、
本当に、 ​​​ただただ作品内で、​ 壮絶な概念戦 ​​ を繰り広げて、​​
​自家発電 で勝手に盛り上がって、
​​​暴発ええじゃないか​​ ​してる ​​ というか。

​​​
それを、映画作品として、世に出す、 とか。

面白過ぎるんだ…。





原作・新テニスの王子様、20巻台の前半。

おそらく、 本映画作品の筋立てがおおよそ整う段階…
2017~2018年にかけての原作展開の中で、
リョーマくんが、日本チームに戻って来れてます。

この映画作品を作ることができているから、
​​ リョーマくんが「大丈夫」になったんだな、 と思って読みました。



2021年10月10日…でしょうか?
テニスの王子様・アニメの20周年というタイミングで、
​「テニスの王子様」TVアニメの新シリーズ開始​ と、​
​​ ゲームの製作・発売 が発表されました。​

テレビ東京 ​ブシロード​​
どちらも、今回の映画作品の製作委員会に名前が並んでいます。

​​ 映画作品の内容の評価が、切り開いた道 だと思って観ています。




なかなか言いたいことがまとまりませんが、
流石にそろそろこの辺で、 5記事に渡った感想記事を書き終えたい と思います。

​​ 傑作です!!!!

エンタメは毒。
テニプリはヤク。
20年間の抑圧で醸成された激情は、凶器。

全部ひっくるめて、
​20年間の作品展開で培ったノウハウのすべてで
​「ハッピー」​ にコーティング​ した、​
​​スーパーゲキブツ映画 ​​ です。​

​​​ 最高にエゴイスティックな作品 だと思います。
​だから、最高なんです。

​やっていること、詰め込んであるものの 「質」 は、​
​どれだけ言葉を尽くしても表現しきれない程に 「高尚」 です。


​​この映画を、 数多の「テニスの王子様」コンテンツの中心に据え置く ことで、​​
​​ 原作・アニメ・ミュージカル・キャラソン
その他諸々のメディアミックス… ​​
​​テニプリワールドのどこへでも興味を持って行ける ​​
「ハブ」 ​​
として機能します。​​


​​​ ​​ …凄い。
何が凄いって、 ハブ機能を持った作品の入り口
「ゲキブツ」を仕掛ける大胆さが、凄い。


​傑作です!!!!! ​​

​​未鑑賞の方も、 是非…! ​​
劇場公開中に間に合わなくても、
今後、鑑賞できる機会はたくさん出来てくると思います。

​​ なにがなんでも、 ​是非…!!!​

​これは、 できるだけ多くの方に鑑賞してもらうこと に、意義がある作品です。





先ほど、ポストカード目当てではない と書きましたが、​
やっぱり、 ​リョーマくんが出てくれた時はテンション上がりました♪​




テニプリって…いいな!!!
​​

(沼の入り口で叫ぶ)

by姉
​​ ​​ ​​​​​​​​​​​​​ ​​ ​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​ ​​





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2021.10.18 19:38:11
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: