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《日本の政治は神から解放された。あるいは、神が――というよりは、むしろ神々が――日本の政治から追放されたといってもよかろう。日本の政治は、いわば神の政治から人の政治へ、民の政治へ、と変ったのである》(宮沢俊義『憲法の原理』(岩波書店)、p. 384)
<神の政治>とは具体的にどのような政治のことを言っているのだろうか。戦前、天皇は「現人神(あきつみかみ)」と称された。が、これは、抽象的な「目に見えぬ天皇」であって、具体的な「目に見える陛下」のことを意味するものではない。「目に見えぬ天皇」は、歴史伝統の中に存在するものであって、これが「神」の如く称されているのである。
各種世論調査でも、天皇は多くの国民に支持されている。今でも日本人の心の中には天皇という「神」がいる。日本は、天皇という「神」に守られている。当然、日本の政治も天皇という「神」に守られている。にもかかわらず、<日本の政治は神から解放された>などと言うのは、天皇に愛着を持たぬ宮沢氏の個人的心情の吐露に過ぎないと言うべきである。
《この革命によって、天皇制はかならずしも廃止されなかった。その廃止が約束されもしなかった。しかし、天皇制は一応維持されはしたが、その根柢は根本的に変わってしまった。天皇の権威の根拠は、それまでは、神意にあるとされたのであったが、ここでは、それは、国民の意志にあることになった。日本の政治が、神の政治から民の政治に変ったのと照応して、天皇も、神の天皇から民の天皇に変ったのである》(同)
天皇の存在の根拠は「伝統」にあるのであって、憲法に書かれ、定められているから天皇が存在するわけではない。天皇が伝統的存在であることは、昔も今も変わらない。明治以降、天皇が憲法に規定された「国家制度」のような形になってしまっており、「天皇制」という左翼用語がこれに呼応してしまうのではないかと危惧される。「天皇制」という用語は、国際共産主義組織コミンテルンが日本の皇室破壊を命じた際、使われた用語であって、この用語を使用することには少なからず注意が必要である。
《この革命――8月革命――は、かような意味で、憲法史の観点からいうならば、まことに明治維新このかたの革命である。日本の政治の根本義が、ここでコペルニクス的ともいうべき転回を行ったのである》(同)
が、果たしてこの<転回>は正しいものだったのかどうか、さらには、日本の主体性なしに、GHQによって無理矢理<転回>させられたことをどう評価するのか、といったことは、どこかで改めて考えるべき問題であろうと思われる。
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