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《その提唱者たちが、この戦争をことさらに「大東亜戦争」という名でよんでいるのも、この戦争がアジア諸国民解放の戦争であるかのごとく率強付会しようとした当時の思いあがった為政者たちの見解にたいする共感と同情の表明としか考えられない》(淡徳三郎「現代のナショナリズム」:『再建』(日本自由党中央機関紙)、p. 39)
開戦した東条内閣が大東亜戦争と呼称したのであるから、当然大東亜戦争と呼ぶべきだ。むしろこのことに難癖を付けている淡氏の方がおかしい。また、大東亜戦争を「亜細亜解放戦争」とするのは牽強付会(けんきょうふかい)であり、為政者たちの思い上がりだとするのも淡氏の偏見だ。大東亜戦争は、基本的に自存自衛の戦争だ。これは『昭和天皇独白録』にも出て来るし、後年マッカーサーが米上院公聴会でも証言している通りだ。が、戦争途中に「大東亜会議」が催され、戦後多くの亜細亜諸国が独立を果たしたのであるから、大東亜戦争に亜細亜解放的側面があったことも間違いない。
《もちろん、林氏も、大熊氏も、主観的には、大日本帝国のリバイバルを意図しているのではあるまい。林氏自身、その労作の冒頭で、「聖戦」「八紘一宇」「大東亜共栄圏」などという、林氏によれば「御用ずみの」戦争標語を復活し、もう一度あの戦争をやり直せというのでは毛頭ないとことわっているし、大熊氏も、国家主権を否定し、国家理性を否定することによって、国家そのものを骨ぬきにすること、つまり世界連邦主義こそが、人類の一員としての日本民族の悲願でなければならないといっている。しかし重要なのは、史観提唱者の主観的意図ではなく、この史観のもつ客観的意義である》(同)
が、例えば「大東亜共栄圏」という考え方は否定されるべきものなのだろうか。大東亜戦争を侵略戦争と考えるから、大東亜共栄圏も否定的に見られてしまうのであろうが、欧州が欧州連合(EU)を作ったように、東アジアが大東亜共栄圏を作るのは何もおかしくない。
また、大熊氏の国家を否定した<世界連邦主義>は、ここでは深く掘り下げないが、非現実的「妄想」と言うべきだろう。
《それにしても、敗戦後20年になろうとしている今日、今さらのように東条英機の亡霊が、林氏や大熊氏らという恐らくは善意の巫女(みこ)を霊媒(れいばい)として、ジャーナリズムの舞台にさまよいでることができたのは、そもそもどうしたわけであろうか》(同、 pp. 39f )
大東亜戦争は、東条が引き起こした戦争ではない。大東亜戦争を見直すことが東条を蘇(よみがえ)らせるかのように言うのは、淡氏が「戦勝国史観」に呪縛されているからだろう。
戦後日本は、大東亜戦争を総括することから逃げてきた。戦勝国によって与えられた「歴史」に呪縛され続けているのだ。
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