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ポインセチアカレンダーに赤丸が付いていて祝日になっているが何の祝日なのか分からなかったが、近づいて読んでみて初めて勤労感謝の日と分かった。近年勤労といえば働かせすぎが問題になり、働き方改革などで時間短縮や休憩時間の延長など、勤労を悪者にみる風潮が強く、勤労は大切だ、勤労に感謝しようという掛け声は小さくなっている。しかし勤労は人類にとって極めて重要なことなので当祝日の意義について解説させて頂く。元はと言えば収穫祭である宮廷行事、新嘗祭が11月23日に行われていたのを引き継いで1948年に働くことやその成果を尊重して個々の労働が社会全体を支えていることに感謝の気持ちを共有しようということで勤労感謝の日が制定されたとのことである。勤労には様々な形がある。生活のために給料をもらうための労働、主婦の炊事選択等の家事労働、米や野菜、果物、水産、畜産物などの生産のための作業、給料とは関係ない自治会活動やボランテア活動、など様々である。何のために働くかは個々人の考えで違っている。金を稼ぐために働くという人もいれば、人様に喜んでもらうために美味しい果物や野菜を作っているという人もいる。金を稼ぐための労働でもそこで造りだす製品によって人々を喜ばせたり、満たさせたりしている。自覚している、いないに関わらず、働くことは全て社会に何らかの影響を及ぼしている。殆どの労働は社会に貢献しているが、中には小林製薬の紅麹のように、腎臓病を引き起こすというマイナス結果を引き起こすこともある。製品を作る場合は常に、使用者を念頭において、その人達に害を及ぼさず健康で幸せになって頂きたいを念頭に仕事をしていく必要があると思う。仕事には大勢で力を合わせてする仕事と、自分一人でしなければならない仕事があるが、共同作業の一員である場合でも終局的には自分の責任で仕事をすることになる。個人の仕事への取り組みの姿勢で製品が良くも悪くもなる。勤労感謝の日を契機に、各人それぞれの仕事に対する気持ちを点検し、ミスを起こさないで利用者に喜んでもらえるようにとの新たな決意の日としてもらいたいと思う。
2024.11.23
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朝8時20分からのNHK総合「未来をつくる君たちへ」という番組をみた。素晴らしい内容で感銘を受けた。東大教授で歴史学者が鹿児島県内の中学校のクラスで西郷隆盛と大久保利通について授業をして、それを聞いた生徒たちが街に出て西郷と大久保ではどちらが首相に相応しいかなどを聞いて歩く内容だったが、生徒たちの授業中の目や表情、質問に答えた内容、市民に聞いて歩く姿など実によかった。西郷隆盛は西南戦争で負傷した後自決して死亡、享年51歳、大久保利通は西郷の死の翌年不満士族達に暗殺されて49歳の人生を閉じた。西郷は鹿児島県内に私学校を作り、士族の教育に力を入れてきたが、それが政府を倒すための偏向教育ではないかと危惧した政府と西郷を中心とする士族達との間で明治10年西南戦争が勃発したが政府側の中心人物は大久保利通だった。幕府を倒し新政権樹立までは共に手を携えて力を合わせてきた二人、征韓論で対立して(西郷は積極派、大久保は外国を攻めるよりは国内安定が先と反対した)西郷は明治6年に中央政権から離脱して鹿児島に帰り上記の私学校設立と充実に奔走することになるが、西郷と大久保は育った家が近いこともあり少年時代から仲のよい友人だった。西郷は情の人、大久保は理の人と言われるが、天下国家を納めるのは大久保の方が適していると西郷も認めていたが、お互いに天下国家のための志は同じでも方向性が違ってしまい、敵味方に分かれることになってしまった。西郷は大久保に自分が敵側にいるからといって手を緩めることなく思う存分にやってくれとの手紙を出している。大久保が暗殺された時彼の懐にはその西郷の手紙があったとのことで、西郷戦死後も肌身離さず持っていたことが推察される。西郷戦死の報告を受けた時も大久保はすごい悲しみのようすだったとのことで、両者の友情は堅く結ばれていたように思う。二人とももう少し長く生きて日本のために尽くしてもらいたかったと思う。
2010.11.03
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今アメリカ第44代大統領として、大変困難な政治・経済状況の中で必死で頑張っているバラク・オバマ氏、その生い立ちを知ると、よくもそこまで生き残り、勝ちぬいてきたなと思った。アフリカ、ケニア出身の留学生の父と白人の母親がハワイ大学で知り会い結婚してバラク・オバマ氏が生まれた。母親は生れてくる子供が黒人の血をひく場合どんなにつらい思いをするか分かっていたか疑問である。父親はオバマ氏が2歳の時、もっと勉強したいからと言って家を出てそのまま家に帰らず、本人不在のままオバマ氏3歳の時離婚、母親はオバマ氏5歳の時インドネシア人と結婚して子供をつれてインドネシアに移住。オバマ氏10歳の時、母親の両親(祖父母)に引き取られてハワイの学校に通うことになったが母親はそのままインドネシアに留まっていた。無責任な父親からも母親からも捨てられたと幼心に感じたであろうことは容易に想像できる。高校時代はバスケットボールに夢中になったが、コートを離れると孤独感に悩まされ、麻薬にも手を出したとのことである。現在の彼があるのは、祖父母の愛情と、大学卒業後、シカゴの職場で知り合った黒人女性ミッシェル・ロビンソン氏の知性と支えによるものだと思う。ミッシェル氏とは結婚して共に支え合い、啓発し合いながら成長してきたが、祖父母とミッシェル氏がいなかったら間違いなく現在のオバマ氏はいなかったと思う。無責任で、どうしょうもなかった両親はもう亡くなってこの世にいない。オバマ氏はその両親を讃えに讃えている。2歳の時いなくなった父親がいい父親であるわけがない。子供の将来のこともあまり考えず黒人と結婚し、そしてまたインドネシア人と結婚した母親、いい母親かどうか疑問だ。それでも讃えている。アフリカとアメリカの血が混じったので自分が生まれたのだ。インドネシアにも住まわせてもらいアジアをも知る機会を得た。父と母には心から感謝していると演説の中で述べている。そのような気持をオバマ氏に持たせてくれたのは祖父母が日頃オバマ少年に、父母のことをよく話していたからではないかと考えられる。オバマ氏のような家庭に育った子供は、多くはぐれて社会の厄介者になることが多い。しかし氏は厄介者どころか自らの生い立ちの悲しさをバネにして、人間全て平等の大原則を貫くために厳然と戦う人間に成長した。それは自分一人でなれた訳ではなく多くの人の支えがあったからだといつも述べているが、祖父母から教わった感謝の気持、これが氏を正しく成長させた大きな原動力になったのではないかと思っている。
2009.03.09
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ナンテン先週変形性膝関節症の手術をしてその後のリハビリ目的で入院してきた女性は91歳だったがハキハキしていてすこぶる元気で老人とはとても思えないたたずまいだった。11月8日NHK放送の「ときをかけるテレビ:きんさんぎんさん100歳のとき」では約30年前放送された100歳になっても元気で活躍していたきんさんぎんさんの生活ぶりの再放送だったが、お二人は双子の姉妹で当時100歳以上の人は珍しく4000人位だったが今は99万人ですぐ10万人になろうとしているとのことだった。日本人は確実に長命化しており、生まれる子供の数は年々減少して子供や若年者が減少して高齢者が急激に増えている超高齢化社会になりつつある。今までは生まれた子供を立派な社会人に育てた後は役目を終えて静かに消えていくのが高齢者の人生と考えられてきたが、現在の年齢別人口構成分布をみると、高齢者や老齢者は次世代にバトンを渡す役目だけでなく、れっきとした社会の一員であり、自分達の生活の質を高めることを考えてもよい世代と位置付けられるのではないかと思えてきた。市の広報では手芸教室、書道教室、合唱クラブ、読書クラブ、英会話、体操クラブなど様々な習い事の誘いをしている。昔は「年寄りの冷や水」と言って、年寄りは若い人がやるようなことをするべきではないと戒めていたが、最近の趨勢は、年寄りでも何でも貪欲に学んで人生をエンジョイしていこうという空気になりつつある。齢をとったら若い人たちに養ってもらうという考え方も改めていく必要があると思った。齢をとることの意味が変わり、老年者の役割も変わってきているなとつくづく思った。
2024.11.12
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丹精こめて咲かせた朝顔日曜日は6時35分からのNHK俳句を楽しみに観ている。本日は西山睦先生担当週で保育園と幼稚園機能を合併した保育園を設立した元園長がゲストで子供目線で見た多くの名句が紹介された。その番組の途中で数分間俳句同好の高校生グループ等の紹介番組が挿入されたが、その中である女子高校生が先輩の俳句甲子園提出句「新涼やきらいなやつの良いところ」に感銘を受けたと述べていた。私も感銘を受けたのでここにとり上げさせていただく。夏も盛りを過ぎて秋風が吹いてきた頃、新学期も始まろうとしている時、嫌いなやつだなと思っていた人間にふっと好ましい所がみえて、あいつもそれ程悪い人間ではないのだな、と思えた瞬間を読んだ句だと思う。倫理的には人を差別することなく、全ての人を同じように愛しなさいと教えられるが、卑怯な人やずるい人、横柄だったり、怠け者だったり、攻撃的だったりすると心の中では嫌いになる人もいると思う。でもある時の振る舞いをみたら「意外といいやつじゃん」と思える時があり、人間理解が深まった句と言えよう。この句をみて反対の句が浮かんだ。「熱風に大好き人のやなところ」大好きで憧れていた人がいたが、この暑い盛りに、嫌なことをしているのを目撃して戸惑っている句である。「あばたもえくぼ」という言葉があるが、一旦好きになってしまうと少々なことでは嫌いにならないかも知れないが、何度も嫌なことをする人は結局嫌われ人になっていくのだと思う。一つの俳句から色々なことに思いをはせた。俳句とは「古池やかわず飛び込む水の音」のように自然の一こまを切り取って句にする場合もあり、人間の心の動きを句にする場合もあるのだなと思った。人間の心の場合は「人を憎んだり、嫌ったりしてはいけないのだ」と心に縛りをかけないで、あるがままの気持ちを詠めばいい句になるのだなと思った。
2024.07.14
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