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ジャーマンアイリス日本国憲法は、1946年11月3日に公布され、1947年5月3日に施行された。5月3日の記念日は憲法が施行された日を記念したものである。本日朝日新聞社の世論調査で高市政権下で憲法改正に賛成47%、反対43%で戦後初めて改正の方が多かった。しかし戦争放棄を謳っている憲法9条改正の是非については変えない方が良いが63%で、変える方がよいの30%より多かった。殺傷能力のある武器輸出については賛成は25%で反対は67%でいずれの年齢層も反対の方が多かった。見出しで「高市政権で改憲、賛否拮抗」とあったので驚いたが内容を見たら9条については変えない方が良いが圧倒的に多かったし、武器輸出についても反対が圧倒的に多く、国民はきちんと大切な所は押さえているのだなと思った。毎年巡ってくる憲法記念日、私達日本国民の生活の根本である。多くの人が憲法を理解し、意見を交換してより良い国に導いてもらいたいと思った。
2026.05.03
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庭で咲いているアヤメ本日昼頃のラジオで1932年(昭和7年)5月15日に犬養毅首相が暗殺される2週間前5月1日にラジオ放送した肉声を聞いた。録音状態が良くて人柄までよくわかる素晴らしい内容だった。犬飼首相が訴えたのは、侵略主義の否定、平和主義を強調、政友会内閣は外国に対して侵略する意志はないと言うもので現在の平和思想そのものである。しかし当時においては侵略は正義と考えられており、海軍、陸軍とも首相の発言に意義を唱え、海軍縮小条約への調印には反対運動が起こっていた。犬養毅首相は76歳で尊きお命を奪われたが、当時の将校たちは首相を襲い、銃撃することを正義だと信じていた。また武器を彼らに供与した人物は正しいことをしたと思っていたかもしれないが、殺人事件に手を貸した共犯者である。青年たちの国を富ませて軍事力を増強させ国際的地位を上げたい(クーデター)とする熱意は分かるが、国の指導者を軽々しく暗殺したことは時代がどのように変わろうとも到底許すことのできない大犯罪である。彼らを殺人者に追い込んだ理由についてよく勉強して今後そのようなグループが誕生しないように微力を尽くしたいと思った。
2026.05.02
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サツキとサツキの間にテッセンが蔓を延ばして咲いていた今日は2,3,4階の回診の後、午後から入院対応があり、その後3階で呼ばれて3階で仕事していると一階の外来で呼ばれ、それを済ませて3階に戻ると、また外来で呼ばれると言うように階段を何度も上り下りしたためか午後5時過ぎには大分疲れてしまった。これから連休が続くので連休明けの5月7日、8日に退院する人達の紹介状書きや同じく7日、8日に入院する人達のカルテ準備のためにかなり遅くまで仕事しなくてはならないと思っていたが、階段の昇り降りがきつかったからか、仕事に取り掛かる気力もなかったので6時頃帰路に就いた。それらの仕事を今日、明日で分担してやろうと思っていたが、今日は無理で明日全部しようと決めた。あす遅くなるのは覚悟の上だが、疲れた時には早く切り上げて、明日遅くなるかも知れないが、明日に懸ける方が賢明ではないかと思った。明日は明日の風が吹いてくれると信じて、その日は早く切り上げる方式で行こうと思う。
2026.04.30
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紫のシランと白いシランパーキンソン病は指定難病でわが国の2020年調査で約29万人と報告されており、1000人に1.5人、65歳以上では100人に一人罹患しているとされており、全国パーキンソン病友の会もあり、身近にも同病の方がいたりして関心が高まっていると思われる。歩き方が小刻みになったり手が震えたりして思うような活動ができなくなり、内臓障害その他の合併症が加わったりして寿命は10年から15年と言われてきた。最近ではiPS細胞を使っての移植手術で根本的治療への道も開かれつつあるが一般的治療になるまでにはまだ時間がかかると思われる。昨日の新聞に55歳の時医師からパーキンソン病と告げられ、現在75歳の男性の方の経歴が載っていた。病名を告げられた時には人生が終わったような気がして落ち込んでしまった。でも奥さんから「病気なら仕方ないでしょう」と明るく励まされて元気をだして頑張って生きてきたとのことである。薬は1日4回服用し、卓球やグランドゴルフ、模型のログハウス作りにも挑戦し、通信制大学を6年で卒業したとのことである。畑仕事も再開して、震える体で鍬をもち、収穫した野菜で近所との交流も深めた。読んでいてすごく感動した。奥さんが凄いと思った。落ち込んだ旦那と一緒に落ち込んでいたなら、きっと今のような境涯でなく苦しみながらもっと早くお亡くなりになっていたと思う。奥さんが「仕方ないでしょ」と明るく励ましてくれた結果が大学卒業であり、野菜を通じてのご近所との交流だと思う。他の病気と同様、パーキンソン病にも病状や寿命に個人差があり、明るく生きるか、死線をさまよいながら苦しんで生きるかは、本人の自覚と配偶者など周りの人の心の支えで違ってくるものなのだなと改めて思った。
2026.04.29
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庭のガーベラ今入院している書道の師範が病前に書いた書がベッドの頭側に貼ってあることは以前書いたが、今日改めて回診の時眺めてみた。冒頭に「人は生まれるからずっと他人のお世話になって暮らしてきた。人生とはその恩に報い、お返しいていくことである」とあった。本日ご主人と娘さんに対して病状説明のミーティングがあった。そこで「あの文章は何かの本に書いてあったのを写したものですか?」と聞いたら「自分で考えて書いた」と言っていたとのことだった。大したものだと思った。それぞれの人にはそれぞれの思いがあるのだろうなと思った。私についていえば、農家の長男として生まれ、貧乏だけれど何不自由なく育てられ、農業を継ぐつもりだったが、高校時代に感ずるところあり、大学進学を目指し、静岡大学に入学したがそこでシュバイツアーの伝記を読み、医師になることを決意して北大医学部に進んだ。医学部の学生には年間相当額の金がかかっていると聞いていたが、国立大なので自分が支払う授業料は安く、実際にかかる費用との莫大な差額は国が負担してくれていた。学生時代も卒業してからもその恩義は忘れたことはなかった。書道の先生が書かれた通りだなと思った。医者にしてくれたのは国である。その国に恩義を返していかなければならないとずっと思ってきた。年老いても仕事してきたのはそのためである。でも引退とか終末の時期はある。それまでは恩義を返しながら生きて行こうと思っている。
2026.04.27
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浪速イバラ今朝のサンデーモーニングで取り上げていたが、政府は防衛装備品の輸出ルールを定めた「防衛装備移転三原則」と運用指針を4月21日に改定した。国産装備品の輸出を非戦闘目的の「救難、輸送,警戒、監視、掃海」に限定する「5類型」が撤廃され、戦闘機や護衛艦など殺傷、破壊能力のある装備品を原則として輸出できるようにしたのである。歴代政府は、戦争放棄の日本国憲法に準じて殺傷能力や破壊力のある兵器は輸出しないように歯止めをかけてきた。自国は戦争しなくても同盟国などに殺傷能力のある兵器を輸出することは、それを使って殺傷や破壊が行われる可能性があり、明らかに憲法の精神に違反している可能性がある。高市内閣は先の総選挙で圧倒的な支持を受け、与党が絶対的多数(衆議院)を占めており、何でも思いのままになると思っているのかもしれない。本件のような重要案件は国会で十分討議するべきであり、このように内閣の判断で改定することは当然許されることでは無いと思う。現内閣は絶対多数を背景に何をどう決めても良いと思っているのかもしれないが、武器輸出など憲法の精神に反することは国会討議を行わなければ決定することが出来ないことを肝に銘じるべきだと思う。
2026.04.26
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薔薇アルテシモ朝起きて朝食時に口が開かなくなって噛めなくなり、右で噛むと痛い状況が続き、流動食とかおかゆで何とか対応しながら経過をみてきたが、右耳下の顎関節部の痛みが中々取れないのでかかりつけ医が医大の歯科口腔外科に紹介状を書いて下さったので先日医大病院を受診してきた。医大病院は約40年前に新設され、私は創設時の最初のスタッフで、第一内科の初代医局長として4年間通勤してきたところだが、40年間ですっかり様変わりして眼が廻るような巨大組織で別世界にきたような感じがした。朝8時に家を出て8時40分位に病院に着き、巨大な駐車場にやっと車を止めることが出来てそこから何とか総合受付にたどり着き、待つこと40分、2階の歯科口腔外科受付に行くように院内地図を渡されたがあまりよく分からずうろうろしながらたどり着き、その外来受付で待つこと20分、レントゲンを撮ってきて下さいと言われ1階の放射受付へ、そこで1番の撮影室の前でお待ちくださいとのこと。その1番と言う所が中々見つからず広い廊下をあちこち探し、1番らしきところを見つけてその前の廊下の椅子に座って待っていた。40分位経っても中々呼ばれずここでいいのかなと不安になった。目の前の長い廊下を様々な人が歩いて行った。杖をついた患者さんや手押し車に荷物を積んだ患者さん、車椅子に乗せられた患者さん、名札を付けた技師さんやお医者さん、床磨き用の機材を積んだお掃除のおばさん、颯爽とした歩きぶりの薬メーカーの宣伝スタッフなど様々な人が歩いて行ったがいつまで経っても私の名前は呼ばれない。スマホでも見ていようかと思ったが、電波の届かない所で無理だった。そしてやっと名前を呼ばれて撮影を済ませて歯科口腔外科受付に戻ったらそこでしばらく待たされた後、待望の医師診察に呼ばれた。そこでは先ほど撮影したX線の説明をしてくれて、「それ程大きな顎関節のずれはありません。口を上下左右に動かすリハビリをして下さい。特に下あごを前につき出す運動をして下さい」とのことだった。時間にして数分だった。それから会計に回ったが広場に大勢の人が椅子に座って前のパネルに自分の会計計算が終了した合図が出るのを待っていた。この時間がまた長かった。40-50分かかったと思う。会計を済ませてこれから帰れると車に乗ったのが12時20分位で、家に着いたのは1時、数分の医師の説明を聞くために約5時間かかったことになる。その間、出会ったのは医療関係者は説明してくれた医師とレントゲン撮影してくれた放射線技師だけで、他は駐車場整理係、病院入り口での案内係、総合受付係、各外来受付担当者、会計受付など事務系の方々だったが皆さん親切で感動した。自分の病院の事務系の人や医療スタッフはどうだろうかと思った。それにしても大病院での人の流れをみて患者さんがこんなにも多いのかと改めて思った。
2026.04.25
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庭のシャクナゲコロナで様々な宴会や歓送迎会は中止されてきて今夜7年ぶりに新人理学療法士の歓迎会が近くのお蕎麦屋さんで開催された。全参加者は55名で、その内新人11人が新たに参入して一人一人が自己紹介して抱負を述べた。いつの時代も新しい人達が加わってくれるのはいいものだと思った。ピチピチしていてはちきれんばかりでこれからの病院を発展してくれる人達だなと思った。私も挨拶をして、リハビリ記録は医師、看護師などもみる大切な情報なので他部署の人にも分かりやすく書いてもらいたいことと、カンファレンスの時の方針を喋る時はしっかり目標を立ててはっきり述べてもらいたいと述べた。そして場が和むように思って「無法松の一生」を歌わせてもらった。今の若者たちが歌う歌とは少しかけ離れた歌だが、若者達を激励する気持ちとリハ部の発展を願っての歌謡と言うことを感じてくれて上手下手に関係なく惜しみない拍手を頂いた。11人の若者たちが立派なリハビリ士になってくれることを心から願う。
2026.04.23
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庭のスズランが咲いた脳梗塞で入院している90歳の女性がいる。回診の度に左手を激しく振ってくれる。言葉は出ない。その枕元に一枚の書が貼ってあった。読みやすいかな文字で素人が見ても大変上手な字だと思った。患者さんは病前書道の師範でその頃書いた書とのことだった。内容は「人を支える力になれ、自分も必ず人に支えてもらう時が来る、援助は素直に受け入れろ、この世は持ちつ持たれつで成り立っている。」というものだった。「ご自分で書かれたのですか?上手ですね」「内容も素晴らしく本当にその通りですね」と言ったら嬉しそうに笑いながら左手を振ってくれた。私は歳と共に衰えを感じ、引き時を考えているが、勤めに出ると回診で患者さんから元気をもらい、期限までは頑張なくてはという力が湧いてくる。発熱者や呼吸困難者、徘徊者など必ずスタッフを悩ませる患者さんはいるが、それ以外の多くの患者さんはこちらの激励に対して「先生もがんがって下さいね」と応えてくれる。上記脳梗塞の患者さんも左手を必死に振りながら激励してくれる。もう少し頑張らなくてはと思う。
2026.04.21
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舗装地面と直角に置かれた踏み石の境目に生えてきて花を咲かせたサフィニア朝ドラ再放送「どんど晴れ」が昨日で終わった。横浜のケーキ屋さんの娘、夏美が婚約者、雅樹が岩手県盛岡市の老舗旅館加賀美屋の跡を継ぐことを隠居していた大女将から託されたことを知ってそれなら自分は女将になろうと決心して中居として働くことからスタートして2年間で若女将にまでなった物語である。これから女将になるまでは更に大変だと思われるがそれは視聴者の想像に任せるとのことである。夏美自身も様々な苦難に遭遇し、加賀美屋も大きな外資系の地域開発会社に乗っ取られる寸前まで行ったが皆の団結で其の危機を乗り切った。昨日の最終回で、加賀見屋には様々な事件が起こり、人の心もバラバラになり危機に直面してきたが、最後には加賀見屋を愛する皆がおもてなしの心で団結して新しい加賀見屋に生まれ変わった節目で女将の環が、「人は変われるもの」「変わらなければならない」と述べて終了になった。実際、人の心は様々に変わったが主人公夏美は常に笑顔で相手のことを思い、お客さんの事を思い、愛する加賀見屋のことを思い、自分や他人の心を変えて奮闘して結果を出してきたが、主人公以外の出演者も全てが真に迫った演技で輝いており、素晴らしいドラマだったと思う。最近の「ばけばけ」や「風薫る」とは比較にならない格調高い作品だったと思う。
2026.04.19
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2~3日前にふと庭をみたらボタンの花が咲いていた。なんてきれいな花だろうと思った。翻って自分とか自分の身の周りをみたら顎が痛くてまだ食事がスムーズに食べられなかったり、腰椎圧迫骨折で夕ご飯を作りそれをテーブルまで運ぶのでも息がきれて大変な人もいて、人生年取るといいことは何もないと思えることもある。でもこの綺麗な花でも時がくればしぼんで地面に落ちていく。自然界とはそういうものだと思う。何らかの機根があって、生まれて、成長して、花を咲かせ、そして萎れて地に落ちていく。人の一生も同じである。今の私も萎れて地に落ちる一歩手前の状態だと思っている。ジタバタしてもどうなるものでもない。自分の今の状態をしっかり認識することが大切だと思う。地に落ちる時が来たのに、落ちまいとして枝にしがみついていると干からびて反って見苦しい。時の流れに身を任せながら、無駄な力は入れずに、澄んだ心で1日1日を過ごしていくのが大切ではないかと思っている。
2026.04.17
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チェリーセージ世界中どこでも誰にとっても同じ時間が同じように流れている。誰それには沢山時間があって誰それには時間がないと言うことは絶対にない。ところが子供の時は学校から帰ってきてから結構長い時間遊ぶ時間があったし、学年が1年上がるのにも結構時間がかかった。老人の今は勤めから帰ってきたらあっという間に時間が過ぎてしまい、あっという間に1日が終わり、1年が過ぎてしまう。時間は誰にも平等に与えられているが、その人の年齢によって過ぎ去る時間の感じ方が全然違う。人生100年時代などと言われるが子供にとっては想像もできないようなとてつもなく遠い先の話だが、老人にとってはあっという間に100年が来てしまう。私の机の周りはすごく散らかっている。片づけなければいけないと毎日思っているが、勤めから帰って服を着かえて夕食を食べるともう8時半過ぎ、ピアノのレッスン日が迫っているので練習しなくてはと鍵盤に向かっているとあっという間に9時過ぎになり、入浴時間になってしまい片づける時間が無くなってしまう。毎日がそれの繰り返しで時間が猛スピードで過ぎ、齢を重ねている。少年時代と同じ心で時間に向き合っている人は幸せだと思う。年とったら時間が著明に短くなってしまうので物事をするのに優先順位をつけてやらないと何もできなくてズルズルと後ろに流されていく。明日は片づけを優先順位第一にして積み上げられた書類や新聞、書籍、雑誌などを片付けようと思う。
2026.04.13
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オダマキ日本内科学会参加のため東京国際フォーラムに行って来た。有楽町駅で降りて徒歩5分位の所にあったが、巨大で広くて何度も迷子になってしまった。あっちこっちで聞きながらやっとたどり着いたが皆さん親切に教えて下さり、申し訳なかった。学会場までの道や会場内を歩くのに人よりかなり遅い歩きで疲れてしまい、もう東京まで来るのは無理だなと感じた。学会場内を見ても私より先輩と思える人は一人くらいしか見かけなくて、何万人と言う参加者の中でその人と私が最高齢で他の人は皆さん若い人ばかりと思えた。80歳過ぎた人がこんな大都会に出てくるのは無理なのだろうなと思った。今回第123回の日本内科学会のテーマは「包摂する内科学」で多様性を包み込む「包摂」を掲げて広い範囲に渡っての講演やシンポジウムがが行われた。会期は3日間で私は最後の本日12日のみの参加だったがてんかんや関節炎など様々な分野に渡っての講演が多く、学会テーマのごとく、内科学は全ての医療の基礎であり社会をも包摂する学問であると実感した。学問は進歩し、学会は益々巨大化していくが、私は益々老いて会場に足を運ぶだけでも大変になってきている。しかし不思議と自分が取り残されているとは思えなかった。体力は衰えているがまだまだ色々なことは理解できるし負けてはいないと思った。こんな老体だが内科学の進歩に少しでも貢献したいと思う。
2026.04.12
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庭の芝桜少年時代は運動とか音楽とか人間性などでなんとか水準に達しようと努力する。中でも人間性については親や教師や社会から学びながら自らも書物などを読んで人間性を高めてひとかどの大人になろうと模索する。その結果が現在の大人社会だが、悪いことをする人もいるし、自分さえ良ければ他人はどうなってもよいと考えている人もいる。実際は大多数の大人は立派な大人になっているが悪いことをしたり、利己主義の人は目立つだけかもしれないが、社会生活を送る上ではたとえ少数でもその人たちのことを考える必要がある。社会的には刑罰や補導所などがあるが、問題はその人自身の考え方であり、行動である。少年、少女時代の生活や教育環境に問題があったと考えられるケースが多い。親も教師も学科の学習だけでなく人間性の教育に力を入れてもらいたいと願う。老年時代はどうか。少年、青年、壮年時代に努力した到達点が老年時代だと思うが、前の時代と違うのは体力の衰えだと思う。心や精神はそれまでの集大成で、自信があると思っていてもあまりの体力の衰えに、目指すものを忘れて命尽きる時のことしか念頭にない人もいる。寿命が昔のように短かった時代には壮年時代が終わったら老年時代がきて直ぐにあの世に行けたのでそれでよかったかもしれないが、寿命が延びた現在では老年時代を如何に生きるか、何を目指して生きたらよいかが問題になっている。人生のサイクルがあり、世代交代は自然の摂理だが、この世に生存する限り、老年といえどもその日が来るまでは生き甲斐を持って生きるべきだと思う。体力の関係で仕方ないかも知れないが、他人に面倒見てもらいたいと思っている老人が多い一方、他人に尽くしていくと思っている老人は少ない。老人人口が急激に増えている現在、老年世代の生き方によって国の幸福度は決まってくる。少年時代を思い出して人間性陶冶に向けて再挑戦して頂きたいと思っている。
2026.04.11
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ダッチアイリス今日4月10日から11日、12日と3日間東京国際フォーラムで日本内科学会が開かれている。今日は勤務で明日は月に一回の土曜勤務で行けないがせめて12日の日曜日には東京まで行ってこようと思う。コロナ以後学会はオンラインになり、学会場に行くことはなくなったが、最近ではハイブリッド方式と言って会場参加でもオンラインでも参加できる学会が増えたが、学会場に直接出かけていく人は少なくなった。以前は色々な所で開催される学会に参加することにより、その地方への旅行にもなり、楽しいひと時を過ごすことが出来たが、もう何年も学会場に行くこともなく、旅行気分を味わうこともなく、閉じこもった寂しい人生を送ってきたように思う。今回の学会のプログラムをみると心臓病や糖尿病、睡眠障害など従来からの内科に関係した演題や講演もあるが、訪問診療や地域医療など新しい領域の講演もあり、日曜日だけでも参加して学会の息吹を感じてこようと思う。日曜日の東京行きを妻に話したら「もう少ししたら勤めを辞めると言っているのにそんな所にいかなくてもいいのに」と言われた。「例えいつかは辞めるにしても仕事をしている間は絶えず勉強していかなくてはと思っている」と言ったら、理解を示してくれた。持つべきものは心では反対していても無理して東京に行かせてくれる者だと思った。
2026.04.10
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太神楽(ダイカグラ)数十年前に妻が書道を習っていた師匠の旦那さんから椿の枝を頂いてそれを挿し木して育てたものである。何十年か前に「自分と他人」と言う本を書いた。人は大なり小なり自分と他人を比べて見るものである。「あの人はスマートで運動もできるし頭もいい。それに比べて自分は」などと比べながら成長してきた人が多いと思う。中には「俺は俺、他人は他人、他人のことは一切考えず自分の思う通りに生きてきた」と言う人もいるかもしれないが、実際は他人の姿に何らかの影響を受けているものである。自分とは何か、他人とは何かと言うことを分析し、自分と全く同じように他人をも愛することが大切だということで、「自分と他人」の次には「ラブラブ思考で世界は変る」と言う本を書いた。そして今は、エネルギーが溢れていた若い頃の自分と年老いてよぼよぼになった自分を眺め、他人との比較でなく過去の自分と将来の自分との比較を考えることがある。いずれの場合も自分中心である。広い広い宇宙の中心に自分がいて色々感じ、色々考えるのである。自分はどうなっていくのだろうかと考える。自分が死んでもこの世は何もなかったように動いていくが、自分はもういない。自分の世界は終わったのである。そこでそれではつまらないからと来世のことを考える人がいる。しかしそれは空想であり、想像である。死んだら全てが終わってしまうのだ。しかし、せめて「楽園があるのかもしれない」と思いながら死んでいきたいと思っている。
2026.04.09
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毎年庭で咲いてくれるスイセン食堂のご主人が入院している。爪が横に広がっていて荒れている。昼間働いて夜も他店に手伝いに行っていて、昼夜働きづくめで病気になったのではないかと思われる人だ。昼も夜も働きづくめで手を使って料理を作っていたので爪が荒れたのだろうなと思っていた。今日医師会報を読んでいたらある眼科の医師が、爪は一般的には縦長なのに自分の爪は横に広がっており、ずっと悩んできたことを書いていた。今入院している食堂のご主人も、もしかしたら働き過ぎたからでなく、先天的に爪が横長だったのかもしれないと思った。その眼科の先生のお母さんが横長爪だったとのことで、生まれつき横長爪で嫌でたまらず劣等感にさいなまれていたとのことだ。誰かに書類などを渡す時もその爪を見られないようにあれこれ取り繕っていたとのことである。医科大学を卒業して眼科医局に入局してからもその悩みはずっとつきまとっていていたが、ある日女性教授の手術の助手について器具かたずけや糸結びをしたりしていた時、教授が不意に手術の手を止め、「○○君の爪は変な格好をしているね」と言った。自分が一番気にしていることを言われてどきんとした。ところが教授は「私も実はそういう爪なのですよ。こういう爪の人は皆手術が上手なんですよ。君もきっと上手になりますよ」とおっしゃった。それまでは劣等感の塊で同期入局者の中では手術例数が最も少なく、こんな爪では恥ずかしくて手術に集中できないという不安もあった。ところが手術が上手で、最も尊敬していた教授が同じ爪だったということを知り、その日を境に気持ちが一変し、教授のようになりたいと思って必死で努力して眼科手術の名手になったとのことである。自分が尊敬していた教授が自分と同じ爪だったと知った時、劣等感は吹き飛んでしまい、教授の技術に追いつくべく人一倍努力して名医になれた。劣等感は何らかのきっかけで逆にその人を発奮させるバネになることもあるのだなと思った。
2026.04.07
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玄関に飾ってあった庭のチューリップ私が新宿のJR東京総合病院に勤務していた頃、愛知県に住む中年女性がおならが多くて凄く悩んで東京まで相談にいらっしゃったことがあった。凄く深刻にお悩みになられていたが、おならが多い人は結構多く、貴女ばかりではないですからそんなに悩むことはないですよとお話しした。でも人前でも出てしまい恥ずかしくてどうすることも出来ず苦しんだことが何回もあったとのことだ。「病気でしょうか、治す方法があるでしょうか」と聞かれた。原因で一番多いのは物を食べたり飲んだりする時空気を一緒に飲み込んでそれが腸内に溜まっていて折に触れておならとして出るので急いで食べないとか、良く噛んでたべるとか心がけて空気を飲み込まないようにすることが大切ですねと話した。サツマイモなど腸内で発行しやすいものは避けた方がいいかも知れませんね。とも助言した。人前で出ないようにするには座っていて立ち上がる時にお腹を前に出すようにしてから立つといいかもしれません。歩いている時出そうな時は歩幅を狭くすると防げることがあるかも知れませんなどと話したがどれだけ参考になったか分からない。名古屋から東京までの往復電車賃に見合うような助言ができたか今でも心残りだ。空気を飲み込まないようにするのが大原則だが、顎が悪かったり歯のかみ合わせが悪くてどうしても空気を飲み込んでしまう場合には歯科や口腔外科で治してもらう必要がある。以上のことを心がけても改善しない場合には、病院受診して精査を受けて頂きたいと思う。
2026.04.04
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ムラサキモクレン、50年前、田舎から甲府に新築移転してきた時、田舎の従兄弟が田舎にあったムラサキモクレンを持参して植えてくれたもの一昨日脳梗塞に肺炎を合併した84歳男性がお亡くなりになった。中心静脈栄養といって首の静脈から栄養を入れている方だった。昨日は脳梗塞と間質性肺炎が合併して食事が食べられなくて点滴で水分と栄養を補っていた87歳男性がお亡くなりになった。食べられなくなった時、鼻から管を入れるか胃ろうを造るか家族に相談したところ、「色々病気してきて元気になることは望めないので点滴だけで他のことは何もしないで、静かに見守って頂きたいです」とのことだった。鼻管を入れるか胃ろうを造って栄養を入れれば少しばかり長生きが出来るかもしれないが、自由に動くことも出来ない寝たきりの状態ではかえって気の毒だとの気持ちがあったのだと思う。一昨日亡くなった人も昨日亡くなった人も会話は殆どできなかったので人工的な延命を望んだか望まなかったか分からないが、結果的に苦しまないで静かに息を引き取られて本望だったのではないかと思う。数日前には98歳の女性が退院していった。右大腿骨転子部骨折の手術後のリハビリ目的で入院してきたが途中で全然食事が食べられなくなり、点滴で水分と栄養を補っていたが、衰弱は進み、再び食べられるようになるのは難しいと思われていたが、1か月後くらいに食べられるようになり、元気で退院していった。亡くなった二人の男性と98歳女性は病気の状態や合併症などが異なり、単純に比較できないが女性は家族に「ここまできたら100歳まで生きたい」と言っていたとのことで、そのような気持ちが後押ししてくれて元気になり、退院に結び付いたのかも知れないと思った。人にはそれぞれ寿命があり、終焉の仕方も様々だと思う。でも上記3人の生死をみて、人は何歳になっても過去ではなく先を見ていくことが大事ではないかと思った。
2026.04.03
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庭先で咲いているボケの花いよいよ4月から新学期が始まる。アメリカの高校を卒業した少女が日本の大学医学部に合格して4月から1年生になることを紹介したいと思う。父親の仕事の関係で彼女が幼稚園生の時アメリカに移住して日本語も英語も自由に話せるバイリンガルに育った。高校2年の夏休みには当院で看護助手として患者さんのおむつ替えや清拭、シーツ替えなどのボランティア活動を行った。3年生になり、大学受験することになったがアメリカの大学入試はボランティア活動の数やその内容も評価されるので日本での看護助手仕事も評価されたとのことである。またディベートと言って討論集会での発言内容も評価されるとのことで州内大会、全米大会でも上位に入ったことも評価された。それに共通学科試験があり、総合的に評価されるとのことで、住んでいるアイダホの州立大学は奨学金付きで合格させてくれたとのことで、私立大学の名門コロンビア大学にも合格した。日本の大学についても早稲田、慶応、東大を受けてみたら全部合格した。しかし医学を学んで国際的に医療の仕事をしてみたいとの気持ちがあったので、帰国子女の枠で筑波大学医学部を受けてみたら、その枠内では一人しか合格できなかったが運よく合格することができた。国際的な医学者と言っても曖昧で今後志望内容は変わっていくかもしれないが、当院で看護助手のボランティアをした少女が難関と言われる筑波大学医学部に合格したということは大変なことだと思ったので紹介させて頂いた。これからアメリカ生活と日本生活の違い、将来展望と学科内容の整合性など様々な問題と向き合いながら日本での大学生活を送っていくことになるが、立派に学習を継続して国際的な女性医師に育ってくれることを願っている。
2026.03.30
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庭のチューリップ人生には山あり谷あり平坦があると言われるが、別の言葉でいえば天国あり地獄ありその中間があると言えるのではないかと思う。天国だけのこともないし、地獄だけのこともないが、人間は苦しい時間は長く感じて、楽しいことは一瞬のように感ずるように出来ているので、苦しいことが続くと人生は地獄だと思ってしまい、自ら命を絶つ人もいる。私の場合、1月下旬に急性心膜炎と言う病気で4日位入院し、その後発作性心房細動や心不全になり3日ぐらいで体重が4kg増えて少し歩くと息が切れる状態になってしまった。それでも入院中の4日以外は勤めを休む訳にはいかないので普通に勤務しながら利尿剤を飲み、何十回とトイレに行って排尿してむくみをとり、2日で元の体重に戻すことが出来た。そして心不全が少し良くなったと思ったら一か月前くらいから右の顎が外れて何も食べられなくなってしまった。私が勤めている病院の歯科を受診したら「例えば大きな欠伸など何らかの原因で顎が外れてその後顎の筋肉が捻挫の状態になっているので噛めるようになるには1~2か月かかるかもしれない」とのことだった。「捻挫なのか」と、少し納得したが食事の時間が来るたびに、食事が食べられない苦痛は大きく、ストレスも相当なものだった。そして昨夜、右では全く噛めないので左顎でだましだまし少量ずつ食べていたが、ガキッと言って左下犬歯がボッキリ折れて取れてしまった。右はダメなので左で何とか食べていたが左の歯が折れてしまっては何も食べられないお先真っ暗の状態になってしまった。これぞ当に地獄で、折れた歯はブリッジにしなければいけないのか、治すまでに何か月かかるのか分からず、右顎のねん挫と重なり、自分ながら不幸のどん底にいるように思った。朝、歯科医院に電話して11時の予約を頂いたが、のんびり11時まで待っていることが出来ず、10時半までに到着して11時から診察して頂いた。「難しいかも知れませんね」と言われ、覚悟していたので、何日もかかるのだろうなと思ったが、折れた根元の歯にネジをさし込んでその周りに人工の歯を作ってくれて1日で完成してしまった。折れた左下犬歯が右の顎関節症に関係していたのか、今度の左下犬歯の治療で右顎関節症が少し修復されたのか右でも少し噛めるようになったのである。嬉しくて天にも昇るような気持になった。これぞ天国と言うのだと思う。嬉しくて畑にジャガイモの種芋を植え、月に1度片道1時間かかる歌謡教室にもらんらん気分で行って来た。不幸が重なり、地獄がどんどん深みに嵌っていくのかと思ったが、一瞬で天国に様変わりしてしまった。嫌なことが重なって苦しんでいる方がいたら、いつかきっと思いもかけない解決が来るものですよと伝えたいと思う。
2026.03.28
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花瓶に挿した椿、スノーフレーク、馬酔木一昨日59歳男性、脳出血の方が入院してきた。2か月前位に右視床部出血したが、入院2週間くらいで良くなって仕事に復帰したが、今度は左視床部の出血に見舞われ、全然しゃべれなくなってしまった。食事処を経営しているが、生活のために夜10時から朝3時までアルバイトをしているとのことだった。土日、祭日も仕事しており、休めるのは正月とお盆の2~3日だけとのことだった。昼間自分のお店で働き、夜はご友人のお店を手伝って体が休む時がない。高血圧があり、その治療は受けていたと思われるが、毎日昼も夜も働いており、今度の病気は働き過ぎの結果だと思われた。入院時に奥さんにその旨話したが、奥さんも休みなく毎日働いており、働き過ぎが健康にどんなに良くないことか分かってもらいたいと思った。お話の内容から判断するに、そんなに働いてもそれほど裕福な生活ではなさそうだった。儲かるためでなく、貧乏な人でも腹いっぱい食べられるようにご飯もおかずも大盛でしかも安いお店として何十年も経営してきたとのことである。学生や貧乏な人にとっては安価で腹いっぱい食べさせて頂くのは良いが、ご主人が体を壊してしまったのでは何にもならない。受け持ち医になったので、回診の都度、仕事と健康、睡眠時間と健康、血圧と脳卒中の関係などについて色々話し合っていこうと思っている。
2026.03.26
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ムスカリ今は卒業式シーズンである。4月からは新学期も始まる。卒業も新学期もとうの昔に経験したがその感激が薄れてしまっている人もいるかもしれない。今日の新聞にある大学の創立者の言葉が載っていた。「天才とは何か特別な力とか才能を持った人の事ではない。地道に勉強している人のことだ。粘り強く学び続けている人のことだ」天才とか勉強とかの文字を目にして自分には縁のないことだと思った人もいるかもしれない。大学は学びの学舎なので天才とか勉強とかの言葉が使われているが、私は一般人、一般学生に向けた言葉だと思った。誰でも学問を身につけ、ひとかどの人物になろうとするなら、地道に粘り強く学び続けることが必要ですと言う意味だと解した。少年、青年、壮年、老年の全ての人に対する言葉だが、老年の人にとってはぴんとこないかなと思った。今まで学んできたことはどんどん忘れていくし、これから学んでも身に付くとは思えない。その言葉は青年や壮年迄の人に対する言葉で老年に対しては意味のない言葉なのかなとふっと思った。でも私は老年だが新聞や雑誌や専門書を読み、ピアノを習い、英会話も習っている。学会でも発表している。しかし体力がなくなり、記憶力が落ち、若い人の自然でスムーズな動きを見て、もう終点が近い人にとっては学問は無縁なものかなと思えることが多くなった。しかしこの創立者の言葉、「天才とは粘り強く学び続けている人のことだ」が心に響いた。私は自分のことを努力家とは思っているが、天才と思ったことは一度もない。年をとっても粘り強く学び続けたなら天才になれる、とするならそれに賭けてみようかと思った。
2026.03.22
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昨日県立図書館で開催中の第6回岡田稲香と仲間書展に行って来た。岡田門下生の書道の大作や小作品がコメント付きで沢山展示されていた。皆さんそれぞれ優れた作品で感銘を受けたが、紹介しきれないので、身びいきで申し訳ないが妻の作品2点を紹介させて頂く。上の作品は留美さんの言葉を書で書いたものだが、コメントに自分もいつも西空に真っ先に輝く星を見ている。それが母親のように思える。自分もいつしか星になってお母さんの側に行って色々話したいと書いてあった。誰にとっても母親は特別な存在なのだなと思った。下の作品は貧乏な父親が娘を嫁に出す時の心情をつづったもので多くの書家が書にしているとのことだが、かなり長い作品でこの書はその詩の最後の部分とのことである。私の気持ちは例え貧乏でも娘の結婚の時ぐらいお化粧代ぐらいだしてやればいいのに、着物だって買う金がなくても必死で頼めばだれか貸してくれたかもしれない。提灯だけぶら下げて嫁に行くのはあまりに可哀そうだと思った。妻に聞いたらそれらも何もしてやれない父親だったのだと思う。病気だったのかもしれない。でもこのような詩を書き残したということは娘さんに対する愛情は一杯あったのだと思う。と言っていた。お化粧もしないで花嫁衣装も着ないで嫁に行くなんてあまりに可哀そうで、何もそれを書にしなくてもいいと思ったが、時代もあるだろうしその他の事情もあるだろうし、妻の心に突き刺さったのならとやかく言うことではないかなと思った。
2026.03.21
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50年くらい前から田舎の両親が育ててきたツバキを40年前に甲府に引っ越す時持参してきてくれた。それを私の妻が引き継いで育ててくれて今も咲いている。その一輪と庭の白菜が薹がたって花を咲かせたのを摘んできて生けたものだが、目を引いたので写真に撮らせてもらった。今日も忙しかった。6人の患者さんのカンファレンスがあり、2人の患者さんの家族に病状報告した。その後明日退院する人が退院後に受診するクリニックに紹介状を書き、木曜日に入院する人のカルテ準備をして帰ってきたら8時を過ぎていた。それでも妻は食事を作って待ってくれていた。今日の2人の患者さん家族への説明の内、一人は元気になって明日退院する人の奥さんへの説明で時間は短時間で済んだが、もう一例は窒息後の蘇生で命を取り留めた方の奥さんに対する説明で殆ど認識力がなくなっている状態だが延命方法としての頸静脈からの点滴栄養法と鼻管や胃ろう栄養法について説明した。その際奥さんからご主人の病気になる前の生活法などについてのお話もあり、約1時間近く説明に時間がかかてしまった。夫婦というものは様々な形があるものだなと思った。人様のお話を伺いながら我が夫婦のことにも思いを馳せた。どんなに遅くなっても心配しながら待っていてくれるし、何気なくあちこちに花を飾ってくれるし、いい人と夫婦になれたものだと神様がいるならその本尊に感謝した。
2026.03.17
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白い木蓮が咲いた。昭和59年(1984年)に医学博士号を頂いた時に植えた記念樹である。今年は蕾がふくらんできたと思うと寒波がきて枯れてしまい、花は咲いたが半分枯れた花が大半でここに載せられないので下の脇枝に枯れていない花があったのでそれを一輪載せさせて頂いた。博士号は今から42年前に頂いたがその時に指導教授は、「これは入り口です。研究者の仲間に入ったということです。これを機に人類に役立つ研究をして下さいと言う意味です」と指導して下さった。今日3月15日に県医学会総会で「ウエルニッケ脳症にリハビリ介入して歩行可能となった2症例」と言う研究発表を行ってきた。私は既に80歳半ばのかなり高齢の医師である。しかし医学博士号をを頂いた時の教授の言葉は忘れていない。医学博士号は研究への入り口であり、生きている限り研究を続けて下さいと言う意味だと教えて頂いた。高齢になったら研究はしなくていいなら博士号の意味がないと思う。6分間内に発表して下さいとのことで、何度も何度も練習して時間内に収まるように努力したが、どうしても6分を超えてしまうのでスライドを2枚飛ばせて発表するようにしたら6分内で治まり、もっと早くそれをすればよかったと悔やまれたが、いずれにしても無事終了して心が楽になった。妻がジャガイモを植えるための土起こしのことを気にしていたので学会発表から帰ってきたらすぐ、その土起こしをして、後は種芋を買ってきて植えればいいだけにした。ブログも学会準備で2日間休んでいたので土起こしの後夕食を食べ、「豊臣兄弟」を見終わったらすぐブログを書き残した。
2026.03.15
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知らぬ間にヒヤシンスが咲いていたこのところ忙しかった。確定申告のことで何日もスマホと格闘して神経をすり減らしてきた。3月15日には医学会の学会発表がある。その準備もしなければならない。仕事の方は重症患者さんが次々に入院してくるし、入院している人でも重症化する人が多い。そして本日互助会主催の病院全体の懇親会があった。150人位集まったと思う。コロナ後5年ぶりの全体懇親会だった。懇親会と言えば飲んで騒いでビンゴをするのが相場だが、私はかねてから、ただそれだけではつまらないので歌を歌おうと思っていた。そのタイミングが難しいが司会者に言っていいところで出させて頂き、アカペラで「北国の春」を歌った。自分が思っていたほどは上手に歌えなかったがそれでも皆さん喜んでくれて良かった。久しぶりに気分が晴れた。残るは明後日15日の学会発表だが、明日土曜日にじっくり練習しようと思っていたら友人がコロナで入院してしまい、急遽明日の朝9時から午後1時までの外来、約30人位を担当してくれる医師を探しているが誰も引き受けてくれないと泣きそうな声で電話があった。困っている人を助けるのが私の仕事なので引き受けた。妻は「ずっと神経使ってきて翌日に学会控えているので断ったでしょうね」と言っていたが、引き受けたと電話でいったら「なんてことを!!」と言っていたが、今帰ってきて「明日も朝早く出かけなければならない」といったがそれ程怒っていない表情で安心した。今日は久々に気分晴れ晴れのいい日だった。
2026.03.13
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アセビ(馬酔木)確定申告は今までずっと税務署に行って申告してきたが、この頃テレビでスマホで簡単に申告できるとか、4人中3人はスマホを使って自分で申告しているなどの宣伝を見て、4分の3という大多数、75%の人が出来て自分にできない筈はないと、土曜、日曜の大部分の時間を確定申告に注ぎ込んだが、終了、送信のボタンを導き出すことが出来ず、諦めることにした。途中で中断して記入欄に戻って見ると、再度マイナンバーカードの暗証番号を入力して、カードをスマホの対物レンズ面に接着させなければならなかったが、通算で20回以上それをしなければならなくて、簡単どころか極めて複雑、そして入力データーを使って申請ページに行こうとしても入力データはありませんと答えてくる。入力したらダウンロードするのボタンを押さないと保存できないとのことで、再度マイナンバーカードをかざして再入力して先に進めても、全体のサマリーには何も記載されていなくて再度やりなおしになることが多く、2日がかりで、からかったが、得ることがなく、諦めて寝た。私の職場に確定申告を何年も前からスマホで申告している同僚がいるので、本日申告ボタンはどうしたら出てくるのか教えてもらった。セクション、セクションで入力が終わったら必ずダウンロードを押してくださいとのことだった。それをしないと保存されていないので送信ボタンにはたどり着けません。とのことだった。私はダウンロードボタンを押していなかったので、入力データが保存されていなかったみたいで、全部やり直ししなければダメなのかと思っていたら、その同僚が私が入力したデータをスマホの中から見つけ出してくれて最終的には確定申告を提出することができた。国民生活を豊かにするために、税務署は税金を沢山徴収したいのだと思う。それならもっともっと易しい形で分かりやすく、誰でも申告できるようにしてもらいたいと思った。
2026.03.09
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妻が友人から頂いたゼラニウムが咲いた昨日指定難病の黄色靭帯骨化症の患者さん宅を訪問診療した。黄色靭帯骨化症と言うのは背骨の外側を上下につないでいる靭帯が膨らんで硬くなりその前方にある脊髄を圧迫して痛み、しびれ、歩行障害などの運動障害、知覚鈍麻などが起こってくる病気である。石灰化した靭帯を取り除く手術によって、症状が軽快されるとされているが、手術後もあまり変わらない人もいる。昨日訪問した方は手術したが症状があまり変わらないで、週に2回訪問リハビリを受けている方だった。一通り診察した後、「○○さんはいいですね、大変な思いをしてきたのでさぞかし辛かったと思いますが、明るい顔をしている。それが素晴らしい」と言ったら「最初は苦しかったです。良くなるだろうと思って手術受けたのに、症状があまり変わらず落ち込みました。その頃は暗い顔をしていたと思いますが、リハビリの人に励まされて、リハビリしている内に、知覚が少しずつ戻ってきて、手足が少し動くようになり、松葉杖をついて家の周りを散歩しています」とのことだった。少し良くなりかけてきたから顔が明るくなったのか、明るくなったから効果が出てきたのか厳密には決めがたいが、実際はその両方が原因なのではないかと思った。「最初の頃は、手術しても良くならない。何故私はこんな苦しみに遇わなければならないのか、と」悩んだとのことである。しかしその後、「天を呪い、生んでくれた両親を恨み、社会を恨んでいたが、恨めば問題が解決するわけではなく、却って状況が悪くなることに気づいて、明るくするように心がけたら、少しずつ改善してきた」とのことだった。中々出来ないことだが、「現状をありのままに受け入れ、それをリハビリで少しずつ良くするんだと気持ちを切り替えたら体が動くようになり、いい結果がでてきて心に喜びが生じて、それが顔にも出てきたのでしょうかね」とも語っていた。「何故私だけこんな苦しみを」と思っても何のプラス効果もない。自分に課された試練と考えて少しでも改善するように努力することが大切なのだなと思った。
2026.03.07
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水仙庭の水仙が咲き始めた。2月27日に日本集中治療学会などの4学会が終末期医療の指針の改定案を公表した。回復の見込みがない患者さんに例えば1週間とか人工呼吸器をつけてそれで変わらないようなら、人工呼吸器をはずすTLT(Time Limitted Trial)もとりいれるとのことだった。その一例として昨年の春、名古屋の日本赤十字社医療センター病院に、80歳代の女性が心肺停止の状態で運び込まれた。救命処置により心拍は再開したが、意識は戻らなかった。その女性は事前に延命処置は希望しないという遺書を残していたが、ご主人は「このまま別れるのは嫌だ。何とか助けて欲しい」とのことで、主治医は家族に「1週間意識が戻らなかったら、人工呼吸器を外すことを検討して下さい」と伝えた。結局入院23日目に人工呼吸器を外し、20日目にお亡くなりになった。葬儀の後亡くなった女性の長女から主治医に電話があり、「望まない治療を続けないで本人の意志を叶えさせてくれてありがとうございました。」と感謝の気持ちが伝えられたとのことである。本例は事前に「延命処置は希望しない」と書いておいたのであまりもめなくて済んだが、危篤になった時何も書いてない人が多いので、この時間を決めての人工呼吸器などの延命治療、TLTは普及するかもしれない。私達の職場でも一旦心肺停止になって救命処置で心臓が動き出してその後のリハビリを依頼されるケースは結構多い。一旦心肺停止になった方は心臓は動き出しても意識障害は残っているケースが多く、今後このTLTがしばしば採用されるのではないかと考える。
2026.03.05
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雛飾り 今年も忘れずに飾ってあった仏の座 ほとんどは雑草として抜かれてしまったが残っていた花の写真を撮った。昨日イスラエル、アメリカがイランを攻撃して多くの死者を出し、ハメネイ氏師もその攻撃で死亡したと伝えられている。イランの宿敵イスラエルが主導してアメリカのトランプ大統領が参戦したことになっているが実質は米軍主体の攻撃と思われる。アメリカとイランは核開発問題で協議を行っている最中の攻撃で国際法上当然許されることではない。しかしトランプ大統領は、「テロ輸出国家イランに核兵器を絶対持たせてはならない」と言い、私には国際法も、国連も関係ないと言い放っている。世界一強力な軍事力を後ろ盾にして、国際法も倫理も人命も一切無視して自分勝手な行動を押し進めているトランプ大統領は非難されるべきだし裁判にかけられるべきだと思うが、表立っては誰も咎めだてしていない。アメリカの権力が強大で、世界秩序も倫理も人命も吹き飛ばされている感じだ。今回はイラン国内で反政府デモが過熱し、イランの政権交代を加速させるチャンスとみて攻撃を開始した面があるが、いかなる理由があろうともいきなり人命を無視して爆撃を加えることは絶対悪である。ましてや交渉途中での爆撃は絶対許されることではない。日本は日米安保で国防は米国に依存している面があるが、それとこれとは別である。いかに今回の攻撃は人倫に反するものであるかをはっきり言うべきだと考える。
2026.03.01
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今日南アルプス市から写した雪を被った富士山朝勤めに出て回診のために廊下に出ると看護師や看護助手、理学療法士などが如何にも軽やかに歩いている。わが身を見ると背中を曲げてやっとの思いで歩いている。歯医者さんに行ったがまだ噛むことが出来ない。顎関節が痛くて口を開けたり、噛んだりできないのである。右の膝も痛い。それでも回診をこなし、病棟からの上申を受けて、発熱やむくみに対する指示を出して何とか仕事はしている。学会発表の準備も順調に進んでおり、頭を使ってやる仕事はきちんとできている。しかし体の方は歩くのが結構大変になってきたし、階段の上り下りも辛くなってきた。頭を使ってやることは十分なことが出来ているが、それをする体の方はあちこちガタがきており、ぼちぼち考えなくてはいけないかなと思っている。ここしばらく雨も雪も降らず富士山にも殆ど雪はなかったが今日見たら真っ白だった。2~3日前久しぶりに平地でまとまった雨が降ったので高地の富士山では雪になったのだなと思った。全てが雪で覆われている富士山もいいものだなと思った。心と体のアンバランスで悩んでいたが、全身雪に覆われた不動の富士山を見て、心を強く持ってもう少しの間、体をリードしていかなくてはと思った。
2026.02.28
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黄梅 妻が何十年か前に今は亡き書道の先生のご主人から頂いたもの今年も3月15日に山梨総合医学会があるので演題を発表することにして、今その準備をしている。演題名は「ウェルニッケ脳症にリハビリ介入して歩けるようになった2症例」である。お二人ともお酒が好きでおかずは殆ど食べないでお酒ばかり飲んでいた結果ある日突然足が立たなくなり歩けなくなってしまった。1881年にドイツの医師ウエルニッケによってビタミンB1欠乏によって意識障害、眼球運動障害、歩行障害の3徴候を示すウエルニッケ脳症を報告した。この2症例は食事を食べないでお酒ばかり飲んでいたのでビタミンB1が不足して急に歩けなくなるこの病気ではないかと思い、ビタミンB1を大量に投与されたが症状の改善がなく、リハビリを依頼されて当院に転入院してきた。当院でリハビリした結果1人は3週間で歩けるようになりもう一人は歩けるようになるのに3年かかった。お酒を好きなのもいいが他のものも食べないと栄養が偏り、歩けなくなることがあるので、酒はちびちびにして野菜やたんぱく質その他色々なものをバランスよく食べるようにしてもらいたいものである。
2026.02.25
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ツバキも咲いてきた昨日、天皇誕生日休日で3連休になってしまい、その間回診がなかったので普段以上に心を込めて回診しようと思った。脳梗塞後の方、骨折後の方、発熱している方、意識のない方、等様々だ。最近自分の体調があちこち悪く、歯のかみ合わせもまだ悪くて食事も良く食べられない。そんな人が患者さんの所を回って「具合はいかがですか」などと聞いて歩くのはおこがましいかなとも思った。しかし患者さんも私も体調の悪い所を抱えながら一生懸命生きている。患者さんは私が体調が悪いことは知らない。廻って来てくれるのを楽しみにして最も頼りにされていることも良く分かっている。いつも以上に明るく笑顔で対応することが大事なのだと思い直した。医師になったからには、自分の体調には関係なく患者さんのために尽くすことが当然のことで、今朝はそれを再確認した。
2026.02.24
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クリスマスローズ花の名前からクリスマスの頃咲く花かと思っていたら厳寒の2月に庭の片隅にひっそりと咲いていた。国によってはクリスマスの頃咲くところもあるのかもしれない。冬のオリンピックが終わった。日本選手の活躍はすさまじく歴代最高の24個のメダルを獲得した。スノーボードの大活躍からはじまり、ジャンプ、フィギアスケート、スピードスケート、大回転と選手はそれぞれのゲームで大活躍してハラハラドキドキで壮大なドラマを見ているようだった。中でもりくりゅうペアのフィギアペアではショートプログラム5位で一時はメダルに届かないかと思われたが、フリーで完璧な演技をして歴代最高得点を出し、大逆転で金メダルを獲得した。ペアでメダルを獲ったのは初めてでしかも金とは大したものである。ショートで失敗した木原龍一選手が泣き崩れて眠れないほど落ち込んでいたのを、三浦璃来(りく)選手が慰め、激励していたが、あれほど落ち込んでいた木原選手がフリーでよくパーフェクトの演技が出来たものだと感心した。普段の練習の賜物だと思うが、神が応援してくれたのかもしれないと思われた。他には惜しくもメダルに手の届かった選手もいたが、皆さんよく頑張ったと思う。また4年後を目指して経験者や新しい挑戦者達は技を磨いて大きな花を咲かせてもらいたいと思う。
2026.02.23
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シバザクラ庭を見たら枯葉の中にシバザクラが咲いていた。これから青い葉がでてそれから花が咲くのが順序だと思うが春を待ちわびた花が葉より先に咲き出したのだと思われる。幕末の頃には多くの有能な人物が出現して我が国の近代化に貢献してきたが、きょう午後4時過ぎにラジオを聴いていたら「歴史発見」の中で、近代化を目指す佐賀藩藩主鍋島直正に見出されて、近代化産業の基礎を築いた佐野常民について紹介していた。彼は医学を学んでいたが、藩の近代化産業の責任者に任じられ、産業革命を成し遂げた西洋を見習い、その技術を藩内で興して行くことを命じられた。。それには優秀な科学者や技術者を雇わなくてはならない。この人と目をつけた人には粘り強い交渉と思いやりの限りを尽くして自分の部署に招き入れて研究開発を行い、1865年には国産初の実用蒸汽船 凌風丸を建造している。彼の人柄の特徴は技術だけでなく、人を見る目の確かさと粘り強さがあり、けなされたり、反対されても、すごすごと引き下がらずに、誰に対しても公平で思いやりがあり、ことを成し遂げるためには自分の身命も投げ出してことに当たったとのことである。1867年にはパリ万博に佐賀藩代表として参加し、国際的な赤十字の理念に感銘を受け、1877年には敵味方を問わず救護する博愛社を設立して日本赤十字社の礎を築いた。明治政府では元老院議長、農商務大臣等を歴任して産業、医療、芸術分野で活躍したとのことである。当時は、骨のある根性の座った優秀な人材が次から次に出現していたが、佐野常民もそのうちの一人で、特にその人間性にひかれる所があり、尊敬できる日本人として顕彰していきたいと思った。
2026.02.22
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今日は土曜日だが出勤当番だったので午前中出勤して午後歯医者さんに行って来た。1週間前位から歯のかみ合わせが狂ってしまい顎が痛くなり、口が開けなくて固形物は食べられなくなってしまった。素人判断だが、以前低くなってしまった歯に対しその上にセメントみたいなものを貼り付けて高く調整してもらって普通に噛めていたがその盛り上げた部分がとれてしまって低くなり噛めなくなってしまったのではないかと推察した。今日も顎が痛くて朝も昼も殆ど食べられない状況だったので、今日歯医者さんに行っても顎の問題なので治らないかもしれないとも思っていた。受診の結果はやはり盛り上げた部分がはがれてかみ合わせ部分に大きな隙間が出ているとのことだった。「又盛り上げましょう」と言われたので、「こんんな辛い思いはあまりしたくないので貼り付けるのでなくその低い歯の型を取って新しい歯を作ってくれませんか」と言ったら、「型を取ったりして時間もかかるし大掛かりになるから今回も貼り付けて見ましょう」と言われて貼り付けてくれた。今度は高くなったので、噛めそうである。顎の問題だったが、噛んでみて顎も痛くなさそうだった。とりあえず今夜から物が食べられそうである。ものが食べられないのは辛いものである。今夜は食べられるかもしれないと思うと気分が明るくなった。一本の歯が高いか低いかでこれだけ体調が悪くなり精神的にも落ち込むものかと思った。
2026.02.21
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昨年11月7日に甲府で行われた認知症スキルアップ研修会で東京都立松沢病院の布村明彦先生が講演した内容が甲府市医師会報2月号に掲載されていた。2024年1月1日に施行された認知症基本法では、古い認知症観を新しい認知症観に変えるべきだと明記されていた。古い認知症観では、他人事で嫌なこと、厄介者で自分はならない。暗い、諦め、絶望的だが、新しい認知症観は、齢をとれば誰でもなることで、お互いさまで向き合っていく必要がある。その気で付き合ってみれば、明るく楽しく、希望が持てる状況とのことだ。嫌なもの、絶望的で排除すべきものと考えて付き合うのと、いつかは自分もそうなるのだと思って付き合うのとではかなり違ってくる。勿論、認知症の程度や種類によって症状は変ってくるので、一概に明るく楽しく希望が持てるとは言えないが、こちら側の理解が変ることによって、認知症患者とその介護者との関係がかなり変わってくると思われる。私は今リハビリ病院に勤めており、患者さんは殆ど90歳前後の高齢者だ。皆さん大なり小なり認知症の症状を有している。たまに大声で騒いだり、暴力的行為をする患者さんもいるが、殆どはおとなしくてかわいらしい。大半の患者さんはなついてくれて心の会話をしている。新しい認知症観が出来ていたことは知らなかったが、私は何年も前から新しい認知症観でお付き合いしてきたなと思った。
2026.02.19
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70歳代くらいまでは健康保険証を使うこともなく、病気らしい病気はほとんどしなくて多少無理をしても平気な状態だったが80歳を過ぎたら様々な症状で病院受診することが多くなり、逆さまつ毛で眼科、尿漏れで泌尿器科、臭いが分からなくなって耳鼻科、と言うようにいくつもの病院の受診カードが財布の中に入っているようになった。先日は胸痛で4日間入院してきた。そして今日は退院後の受診に行って来た。検査の結果かなり良くなっているとのことで少し安心したが今度は歯が欠けてかみ合わせが変って顎が痛くなり、物が噛めなくて食べられなくなった。まだ勤めているので土曜日まで歯医者さんに行けないので、流動物やおかゆでその日まで持たせようと思う。年とると次から次にどこかどうか悪くなり、大変だが、それは老人になれば避けられない事なので、それらと仲良く付き合っていこうと思っている。
2026.02.18
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今年も地域医療や住民の生活を支えている医師を表彰する赤ひげ大賞受賞者が発表された。例年高齢医師が選ばれることが多いが、今年は選ばれた5人の中に50歳の若い女性医師も含まれていた。その人は徳島県の循環器内科医師の前川裕子さんだ。15年前の東日本大震災の時には徳島県から岩手県宮古市に移住して被災地支援をしながら、24時間緊急対応可能な循環器診療の実現に尽力し、2023年には故郷の徳島県に戻り、県立病院に勤務しながら無医地区の診療所にも就き、地域住民への健康講和などにも力を注いだ。2024年の能登半島地震の際には被災地に駆けつけて住民の救済活動に当たってきた。平時にも災害時にも患者さんに寄り添う医療を実践してきたことが受賞対象になったとのことだが、素晴らしい女医さんがいたものだと思った。15年前と言えば前川さん35歳の時だが、災害が発生した時、いても立ってももいられなくなって被災地に駆けつけたのだと思うが、その同情心、使命感は凄いと思った。私はその時は既に70歳になっており、もう役立たないだろうと思って駆けつけなかったが、若くても行かなかったかもしれない。その時勤めていた病院を留守にすることになり、中々決心がつかなかっただろうと思うが、彼女は東日本の時だけでなく、能登半島の時も駆けつけており本当にすごい人だなと思った。
2026.02.16
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今、冬のオリンピックで日本選手が連日大活躍しているが選手の名前を見ると鍵山優真、佐藤駿、戸塚優斗、山田流聖、平野歩夢など優雅でスピードの出そうな名前が並んでおり、両親もオリンピックで活躍するような選手になってもらいたいと願ってつけたのではないかと思われ、実際にそのように育ててられた選手も紹介されていた。今回の衆議院選挙で中道勢力惨敗の要因が色々語られているが、私は最大の理由は、その「名称」にあったのではないかと思っている。「中道」という言葉は、仏教的には深い意味を持ち、極端に走らず調和を重んじる立場を示すものだが、一般の有権者にとっては、「中途半端」「どっちつかず」「当たり障りがない」といった印象を与えてしまったのではないかと思う。現代の政治においては、明確なメッセージや立場が求められており、少し過激な名称や主張の方が、メディアにも取り上げられやすく、有権者の記憶にも残りやすい傾向があるが、その点で「中道」は、どうしても印象が薄く、どうでもいい政党として、積極的に支持を集めるには至らなかったのではないかと思う。今後、中道勢力が再起を図るのであれば、以前の「立憲民主」と「公明」に一度分かれ、それぞれの立場や理念を明確にした上で、名称も含めて再検討する必要があると考える。今度徹底的な情報公開とゆるぎない民主主義、平和外交と現役世代の安心と未来世代の希望を政策に掲げている小川淳也氏が新しい代表になった。期待が持てる有能な人材と思われるが、現状の中道のままなら前途は厳しい。今の世は公然と戦争が行われ、地球温暖化にもそっぽを向いている指導者がいる世界である。世界平和を全面に掲げ、世界のリーダーシップを取っていくような気概で奮闘して頂きたいと願っている。
2026.02.15
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献杯の挨拶をと言われたので、「いつも野菜つくりの指導をしてもらっていてその作業終了後、お茶を飲みながら色々話をしてくれたが、奥さんが入院していた時担当してくれた看護師さんの名前とか工場で働いていた時の担当者の名前とか実によく覚えていて、私自身の記憶力はどんどん落ちているのに比べて素晴らしいと思ったことを話してその頭の良さにあやかりたいと思い献杯します」と挨拶した。80歳過ぎるといつ自分も告別式や法事をされる身になるか分からない状況になってきていることが感じられ、特に先日は心臓症状で数日間入院したので益々その感を深くしている。式で送る側と送られる側の区別が段々分からなくなりつつあるが、齢をとり段々その日が近づいている時の心境は教科書などにもあまり書いて無く、みなさんそれぞれどんな心境なのか分からない。でも確実に分かっていることがある。それは今どんな心境であろうともその日が来るまでは精一杯生きなければならないということである。老化により体のあちこちに故障が出てきた。耳も眼も悪くなってきた。今までできたことが段々でいなくなってきた。それは当たり前のことである。それでもわずかに残された能力を使って何とか生き抜かなければならないのである。身内や知り合いの告別式や法要に他人事のように参列するが、数日後には自分のことになるかも知れないのである。その日までの体力や精神を鍛えていかなければと思っている。
2026.02.14
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ジョン万次郎漂流記 (偕成社文庫) [ 井伏鱒二 ]価格:880円(税込、送料無料) (2026/2/12時点)楽天で購入日米文化の橋渡しをしたジョン万次郎は1827年1月1日に土佐清水市中浜で貧しい漁師の次男として生まれた。9歳の時父に死なれたあと家計を助けるために漁に出ていた。14歳の時遭難して無人島鳥島に漂着した。無人島生活143日後仲間と共にアメリカの捕鯨船、ジョン・ハウランド号に救出された。船長ホイットフィールドは万次郎を除く4人を安全と思われるハワイで降ろし、万次郎にはアメリカに一緒に行かないかと聞き、行ってもいですとなり、アメリカに渡りホイットフィールド船長の養子になり、学校に入れてもらって英語、数学、測量、航海術、造船技術などを学び、主席になるくらい優秀だった。卒業後は捕鯨船に乗り、数年の航海の後日本に帰国することを決意した。帰国資金を得るためゴールドラッシュで沸いていたカリフォルニアに渡り、金鉱で得た資金を持って、ハワイに残された漂流仲間の所に行って一緒に日本に向かって出航した。10年後の1851年(24歳の時)沖縄に上陸し、色々取り調べや審査を受けて、2年後に土佐に帰ることが出来た。土佐藩主山内容堂によって「漂客淡奇」「漂撰紀略」等の出版を奨励され、幕末志士達も目にして文明開化への足掛かりになったとされている。その後幕府に招聘されて幕府直参になり、1860年日米修好通商条約の通訳として随行員になった。1870年(明治3年)ニューヨーク訪問時恩人であるホイットフィールド船長と再会を果たし、帰国後、病に倒れて明治31年に71歳で死亡した。死因は脳溢血と言われている。数奇な運命をたどり、日米交流の礎になった人の伝記を読み、感銘を受けたので紹介させて頂いた。
2026.02.12
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コロナ以前はよく飲み会があったものである。しかしそれ以後5年間は殆ど飲み会と言うものはなくなった。長く勤めてくれていた医局の秘書が辞めてしばらく空席になっていたが今度新しく秘書が来てくれてその人の歓迎会を兼ねて新年会をやろうという話が持ち上がり、本日その宴会が行われた。宴会参加は6年ぶりであった。ほとんどのメンバーが久しぶりだ、久しぶりだと言って医局員全員と病棟のクラークさん全員が参加した。久しぶりだったからか凄く楽しかった。昨日のブログに患者さんの病状が悪くなると自分迄心身ともに落ち込むと書き、それでは良い対応はできない。患者さんの病態が悪くなっても気持ちを切り替えて明るく振舞いたい趣旨のことを書いて自分の気持ちを奮い立たせていたが、今回の宴会は日頃の押しつぶされそうな気分から解放してもらうのに丁度よい機会だと思った。私達の席は個室でなく、アコーデオンカーテンみたいなもので仕切られた会場だったが、周囲に遠慮しながら「ああ上野駅」を歌った。古い先生は感銘を受けたと言ってくれた。周囲のことを気にして少し声が小さかったのでもっと思い切って大きな声で歌えば良かったなと思ったが、それでも皆さん喜んでくれて良かったと思う。これで気持ちを切り替えて明日からまた頑張って行こうと思う。
2026.02.10
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私達医療関係者の仕事で大変なのは、必ずだれかどうか予期しない誰かが発熱することである。まずコロナとインフルの検査をして陽性なら隔離し、陰性なら胸部レントゲン、血液と尿の検査をする。血液や尿の検査で細菌感染が疑われたら抗生物質を投与する。効いてくれれば良いが耐性菌なら効かない。そのようなケースでは打ちのめされストレスを蓄積していくことになる。毎日のように発熱者はおり、今朝も発熱者の対応をしながら他の熱のない一般患者さんの回診を行った。熱はなくても背中が痛いとか血圧が高いとか様々な訴えがある。ある85歳の女性患者さんの所に来たら「先生のやさしさ」にいつも励まされ幸せを感ずると言われたので私も「〇〇さんの上品さに心を洗われる感じにになりますよ」と答えた。しかし実際にはいつも心の中は発熱者のことで一杯でどんよりと曇っている。「心の持ちようが何時もこんな状態でいいのだろうか」と今日はふと思った。発熱者のことは気になるがそのことばかり気にしていたら医療者個人の身が持たない。打つべき手を打ったら、結果はその患者さんの生命力に任せて、もっと明るい気持ちにならなくてはいけないなと思った。
2026.02.09
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大雪の中、本日衆議院選挙が行われている。新聞の世論調査結果などを見ると既にほぼ大勢が決まっているとのことだが、この選挙によって日本の方向性が決まるだけに今後を注視していきたい。国士館大学の八幡和郎先生が右派、左派、中道について興味深い記事を書いていたので紹介したいと思う。右派、左派と言うのはフランス革命後の議会において右に王党派、左に共和派が座ったことに由来するとのことだ。第一次世界大戦後は社会主義か否かが左右の対立軸になっていた。産業革命を経た19世紀末、ヨーロッパでは貧富の差が拡大する中で自由な経済的競争によって利益を追求する資本主義と、市場経済の弊害に反対し、平等な社会を目指す社会主義が対立していた。1891年ローマ教皇レオ13世は「新しきもの」という回勅を全カトリック信者に通達した。行き過ぎた資本主義の弊害を批判すると同時に過激な社会主義が唱える階級闘争や暴力革命を否定するものだった。資本家に搾取されていた労働者の権利と尊厳を訴え、労働者を救う道を示した。このようにキリスト教民主主義は中道主義を基調とし、ヨーロッパ政治を安定化させ、欧州の統合や連帯の推進に寄与してきた。しかし現在欧米では極右、極左政党が台頭し、極端な主張を繰り返す政治家が支持を集めるようになっている。現在の選挙制度では、極端な主張ほど反映されやすく、中道的意見を持つ層は排除されがちになってきた。日本でも極右発言の多い、高市政権は予想外の支持を集めており、自民単独過半数に届くかもしれない。戦争に向かうようなことになってはならない。極右、極左政権は危険な方向に国民を向かわせる可能性をはらんでいる。国民はきちんと注視ていく必要がある。
2026.02.08
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二十一世紀への対話: 対談 (中) (聖教ワイド文庫 9)価格:869円(税込、送料無料) (2026/2/5時点)楽天で購入今衆議院選挙の真っ最中だが殆どの政党が重点政策として物価高対策、特に食料品の消費税減税もしくはゼロにすると喧伝している。それも必要かもしれないが国会議員の目標にしてはあまりに小さいと思う。最も重要な日本の方向性、進むべき道について明確に示している政党も候補者もいないと思った。「21世紀への対話」(中)の中で池田氏とトインビー氏が「日本が世界に貢献する道」について対談していたので紹介したいと思う。トインビー「日本人は西洋人以外の中では西洋の問題処理に対して最も成功しているのではないかと思います。ロシア民族に比べても、中国、インド、イスラム圏の諸民族よりはるかに成功しています。日本人は第2次世界大戦での軍事的敗北を今度は非軍事面で西洋を打ち負かすことによって、今日センセーショナルな成功を収めています。しかし技術は人間事象のほんの一部にすぎませんし、その最重要部門でもありません。私は物質的要素よりも精神的要素の方が重要だと信じています。」池田「今後の世界に日本が何をもって貢献できるかといえば、一つは日本民族独自の創造性で、第2点は他文化との融和的精神において諸民族の手本になりうるという点だと思います。」トインビー「日本民族は西洋の近代技術を自家薬籠中のものとしつつも、それによって固有の宗教的伝統を失うことはありませんでした。この伝統こそ、自然を汚染し、人間生活を非人間化している近代技術に対して適正な精神的解毒剤となるものです。この日本的伝統は人間の尊厳性と共に、人間以外の尊厳性をも擁護しているのです。」等と日本の役割について対談した後、世界を一つにまとめる思想、宗教についての対談もあった。池田「キリスト教もイスラム教も儒教も道教もすでに力を失い、凋落してしまっている現在、世界人類の統合に力を与える新しい宗教は何かと言うことが問題になります。現在人の開発された理性は非科学的、非合理的な教義に対しては強い反発を感ずると思います。大多数の人々を惹きつける新しい宗教の必要性とその宗教の備えるべき条件について博士のご意見を伺いたいと思います」トインビー「人間は人生の目的や意義、運命と言った疑問への回答を宗教に求めます。伝統的な諸宗教はこれらに独断的な回答を与えていますが、現代人はこの見せかけの回答が誤りだらけだったことに気づき、宗教そのものへの不信を感ずるようになっています。私は独善的宗教はもう2度と受け入れられないだろうと思っています。宗教は宇宙の構図を示すと共に、人間の行動に指針を与えるものだと思います。宗教の説く最重要の教義は自己超克こそ人間の第一の課題であると信じています。テクノロジーの進歩の結果、人間が自然環境と自分との関係を逆転させてしまっている現在、貪欲と慢心を克服しなければなりません。自己克服こそ宗教の真髄で、これを説く宗教こそ未来において人類の帰属心を勝ち取る宗教だと思います」本書の発行は50年前だが現代にも通ずることが多く、今でも私は時に応じて読み返している。
2026.02.07
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カランコエ 廊下で咲いていたものを摘んでボールのように丸くして机の上に飾ってあったので綺麗だなと思って載せました。今首の骨の手術後のリハビリで入院している81歳の男性がいる。首の手術後リハビリすれば元通り歩けるようになると思っていたが、実際には歩行は無理で車椅子生活を余儀なくされた現実に対して、今まで森林管理関係のボランティア活動ができなくなるのではないかと失望落胆していた。「ボランティアが生きがいだったので今のボランティアが出来なくなるくらいなら死んだ方がましだ」と言っていた。「車いすでもできるボランティアはあると思うし、今のボランティアだって仲間の協力や了解が得られれば車いすでも奉仕活動は出来ると思いますよ」と慰めたが辛そうだった。高齢になると正規の仕事は無くなりボランティアに生きがいを見出している人もいるが、それが出来なくなったら死と同じだというのは少し極端だなと思った。生き甲斐はその人その人で様々だと思う。趣味の世界に生きがいを見出している人もいれば、ボランティアで子供の通学路に立って交通整理する人もいる。孫の成長が楽しみで生き甲斐だという人もいる。でもその生き甲斐が出来なくなってしまうような時にはどうしたらいいのだろうか。生きがいとは一生かかって見つけるものと思っている人もおり、それが無くなったら別の生きがいを見つければよいと言ってもそう簡単に見つけられるものではない。病気の配偶者を介護するのが生きがいだったのにその病人が亡くなってしまった後の喪失感を埋めるのは大変なことだと思う。それに比べれば、今まで出来ていたボランティアが出来なくなるくらいなら、死んだ方がましだ、というのは少し贅沢すぎるかもしれない。生きがいについてその患者さんともう一度話し合ってみようと思う。
2026.02.06
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妻が室内に入れていた胡蝶蘭に一輪の花が咲いた今日は世界対がんデーである。現在人の寿命が急激に伸びているのはがんで死ぬ人が少なくなっていることも関係ある。昔は胃がんや大腸がん、肺がん、子宮がん、乳がんなどで死ぬ人が多く、身内の人をがんで亡くしたという人も多いと思う。しかし最近ではあの人は7年前に肺がんの手術をしたが今も元気でなんともないとか、10年前に胃がんの手術をしたが今は何ともないと言う人がかなりいる。それは早期発見システムと治療技術の進歩によるものだと思う。昔はがんと言うと死ぬ病気と思われていたが今では治る病気と認識されつつある。それには早期発見、早期治療のために検診とか人間ドックをきちんと受ける必要がある。またがんにかからないような食生活や生活法の指導もあり、平均寿命延長の一因になっていると思われる。しかしすい臓がんは未だに治る病気ではない。有名人が亡くなる時その病名がすい臓がんのことが多い。すい臓がんは早期発見が難しく、早期発見されても命が助かるとは限らない。他のがんと同様にそのがんに罹ったけれど今は全く健康ですという時代に早くなって欲しいと思う。すい臓がん担当医や研究者のより一層の研究を心より願っている。日本においてはすい臓がん以外の死亡率はかなり減少している。でも世界中ではまだがんで死ぬ人は多い。日本のノウハウを世界に広げて世界中でがんで死ぬ人が少なくなるように援助や教育を行っていく必要があると考える。
2026.02.04
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病気にも色々あるが、心臓病だと全身に血液を送っているエンジンなのでそれがエンストしてしまったら命の終わりとなるので特別心配する人が多い。今は人生100年時代などと言われているが、認知症になってもならなくても100歳まで生きるには心臓が一分一秒も休むことなく100年間働き続けてくれなければダメである。。車や船、飛行機などのエンジンにも耐用年数があり、数十年の寿命と思われるが、途中で何度か故障して新しいエンジンと取り換えられている。人間のエンジンも技術的には交換できるが丁度その時亡くなって心臓を提供してくれる人がいなければ無理なので車などのエンジン交換とは状況が異なり、交換できないものとして一生大事に使っていくことになる。心臓病を指摘される前には殆どの人は自分の心臓について気に掛けることなく、水泳したり、野球したり、土方仕事などをしている。その途中でエンジンが急に止まってしまう場合が、心臓麻痺で急死である。心筋梗塞でも心臓の筋肉の中を走っている血管が詰まって血液がそこから先に進まなくなると同部の心筋が働かなくなり、心停止してしまうことがある。このような時、心肺蘇生法で心筋が動いてくれて生き返ることがあるが、その割合は少ない。普段から心臓の血管の動脈硬化を予防するために野菜や果物を多く食べ、血管壁にコレステロールを蓄積させないように動物性脂肪の摂取を控えることが大切である。心臓の病気の多くは心筋内の血管の動脈硬化に由来することが多い。そのためには先に述べた食事に気をつけることが大切だ。心臓病にはその他に一定のリズムで収縮するリズムが狂う不整脈と言う病気がある。それによって血栓ができやすくなり脳血栓や脳梗塞、脳出血などの重大な病気を引き起こすことがある。不整脈の中で最も多いのが心房細動でこれを放置しておくと脳梗塞を起こす可能性が高まるので血液を固まりにくくする血液をサラサラにする薬を服用する必要があり、現在この薬を服用している高齢者は相当数いる。エンジンが故障してしまったら一巻の終わりなので常日頃から心臓を守るような生活習慣を身に着ける必要がある。心臓は止まらないがその働きが落ちてポンプ力が減少して体内に水分が貯まるうっ血性心不全と言う病気がある。1日で4kgも体重が増えてしまうこともある。それは利尿剤を服用することによってその水分は尿として出てくれてやはり1日で4kg減って元の体重に戻ることもあるが、医師と相談しながら慎重に水分調整してもらいたい。体内に水が溜まっている時は歩いたり階段をのぼるとかなり息切れするものである。高血圧の方などは心不全や脳出血、脳梗塞を起こしやすいのでかかりつけ医に定期的に診察を受けるようにするのが良いと思う。
2026.02.02
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