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癲癇(1)の続きです。申しおくれましたが、大意は損なっていませんが、プライバシー保護のために僕が取り扱った事例に脚色を施した架空の物語であることをご了承ください。
いつも学校から帰って来るとぐったりとしていた。そんな彼女が祖母の畑の手伝いも出来るようになってきた頃から、僕の問いかけに、ボツボツと応えてくれるようになってきた。初診から1年は過ぎていたように思う。
祖父母と両親と姉の6人家族。「私の本当の気持ちを分かってくれるのは、おばあちゃんだけや。」
本人のつぶやきのような一言がきっかけだった。
次第に分かってきたことは、家庭内で父親は支配的で、「私は奴隷」 と言う。
ショックだったのは、姉もまた彼女に布団をかぶせて動けなくしたうえで、大した理由もなく、殴る・蹴るの暴行を加えていたことだ。
母親にそのことを訴えると、逆に自分の非を説教される始末。次第に何を言っても無駄なのだと諦めに変わって行った。
母親は、ケンカ両成敗でどちらにも味方しない姿勢を貫いていたが、起きてる事の重大さの認識が欠けていた。結果として傍観者になってしまっていた。
かつて姉も治療したことがあり、屈託のない明るくかわいい表情を見せる子だったが、そんな彼女にも人に見せられない闇を持っていることを知って、なんともいえないまんじりとした気持ちになった。
何度か母親と話す機会はあったが、解決には至らなかった。
父親は、何故か僕と接点を持つことを極度に避け、最後まで一度も話す機会はなかった。
その分、母親は淡々と毎週娘をつれて通院を続けてくれた。今思えば、母親が出来る精一杯のことだったのだろうと思う。
そして本人が中学生にあがった頃、遅い反抗期が訪れた。切れるようになってきたのだ。
あれだけお母さんのことが大好きと言ってた子が、お母さんに対して暴れる。
幸いなことにお母さんは、戸惑いと動揺の中、起きてることに理解を示して、しっかり受け止めることができた。
学校では、好き!嫌い!と、はっきり感情と意思を表現することが出来るようになり、かつて彼女を無視したリーダー格の同級生が、逆に彼女に仲直りを申し出てきたことなど、今までと状況が大きく変わってきた。
そのころには、右に大きく側弯していた背骨もほぼ真直ぐになっていた。
そして彼女が高校に合格したころ、ついに喜びと共に僕から離れて行った。足かけ5年の濃い関係だった。
幼い子は、親になにがしらの問題があっても、大切な親のマイナス面を人に知られたくない気持ちからか、親をかばう傾向にある。やはり親は自分のよりどころなのだ。
現実をありのままに受け取るにはあまりに辛いと、背骨を曲げてでも感覚を閉ざしてしまう。
そして幼いながらに、自尊心も持ち合わせている。
自分の辛い状況を訴えることは、自分のみじめさを感じることになるからだろうか、自分ひとりの中に抱え込んでしまうことがある。みじめと感じている自分自身を誰にも知られたくないのだ。
病の背景には、本人を取り巻いている環境にその問題の根があることが往々にして存在する。
このケースの場合、父親の権威的・支配的な圧力への反発が、末っ子の彼女で行き止まって出口が無かったことによるのだと思えた。こういったケースは、度々遭遇してきた。
また幼いながらも、自尊心が傷つくのを恐れるあまり、一切口を閉じてしまったり、本当に自分で自分の事が分からなくなってしまっている子供に何度も出会った。
こちらが心を砕いて接しても、子供に激しく拒否をされて治療関係が終わってしまうことも1度や2度ではなかったことも、ここに付けくわえておきます。
僕も手探りだったのです、あの頃も今も。
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