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前日の雨雲は去り、明け方には晴れていた河口湖。宿の部屋から見事な富士山が姿を現わした。母親は、山頂に雪がある富士山を見たがっていたが、まだ残雪がある状態だったので、ほぼパーフェクト。年齢が年齢だから、もうこうした遠出は最後になるだろうという覚悟のもとでの河口湖だったが、よかったと思う。八王子に車で戻った後、東京駅までJRで一緒に行き、常磐線に乗るところまで見送ったのだった。
2017.05.27
85歳の両親が上京。人気のそば屋・車屋でランチを食べた後、引っ越して7カ月になろうという新居に迎える。そしてその足で、車で河口湖へ向かう。雨模様で、富士山の姿は見えなかった。宿は、6年前の2011(H. 23)年秋にも一度泊まっている秀峰閣・湖月。
2017.05.26
よほど薬が効いたのか、機内で泥沼のように寝た。が、首や肩や腰は痛い。行きの KLM はそうでもなかったのだが。で、機内食の朝食の後、着陸態勢へ。ほぼ12時に羽田空港に無事帰着。飛行機を降りて、真っ先にトイレに入り、タイツとカーディガンを脱いだ。日本は晴天で、初夏のようだった。奥さんに連絡をし、14:50発のリムジンバスで京王八王子に向かう。奥さんには三鷹あたりでメールをするはずが、発車してすぐにうとうとしてしまい、気がついたら日野。慌てて奥さんにメール。何とかイースで迎えに来てもらう。やはり自宅は落ち着くのであった。
2017.05.06
朝5時台に起きる。帰国準備はすでに万端のはずだが、ついついチェックしてしまう。ロンドンを去る日は、そこそこの晴天の様子。ホテルでの最後のコンチネンタル・ブレックファストを食べ、8時にはお世話になった145号室に別れを告げ(持参したスリッパだけは置きっぱなしにして)チェックアウト。ジャンパーはキャリーバッグの中に入れてしまっていたが、Russel Square 駅まではさほど寒くなかった。で、ヒースロー空港のターミナル4に行くピカデリーラインに乗車。最初は立ちんぼだったが、ほどなく座れ、A. D. リンゼイ著『自由の精神』を少しひも解くが、結局はうとうと。しかし、西部の地上線になったあたりで、緑豊かなロンドン郊外の景色を車窓から懐かしく眺める。そしてターミナル4駅に到着し、使っていたオイスターカードを精算して残額を払い戻そうと思ったら…あろうことか、10ポンド以上残っている場合にはそれができないのだそうな。そんなん知らんかった。次回、いつロンドンに来るのだろうか?で、すでにチェックインは前日にホテルでインターネット経由で済ませていたが、ボーディングパスがまだ入手できていなかったので、エールフランスのカウンターへ。座席がちゃんと通路側であることを確認し、キャリーバッグを預けて、さっさと出国手続きに。免税店エリアに行き、様子を探りにウロウロしたら、シーフードバーの Caviar House & Prunier を見つけたので、10時ぐらいに入ってしまう。シャルドネの白ワインとプラウン・カクテルを注文。後から振り返れば、オイスターにしておけばよかった…が、まぁいい。そこでポンドの紙幣は使い切った。免税店ではこれといって買うものはなかったが、ゼミの学生用にロンドンの 3D ポストカードなるものをせしめた。また、ロンドン市内でとうとう買わないままだったキャドバリーのチョコレート Dairy Milk Whole Nut を発見したので、衝動買いして日本に持ち帰る。パリ行きのフライトが1時間遅れたが、無事にロンドンを出発して CDG のターミナル 2E へ。乗り換えゲートの K に行くと、以前に奥さんと来たところとはまったく違う、広く開放感のあるターミナルだ(壁面は木のようだし)。K43ゲート前は、さすがに羽田行きだけあってほとんどが日本人客だった。AF272便でも、しっかり通路側の席。ほぼ定刻通りの17:20には発進し、巨大な CDG 内を延々と taxi した後に17:50にはフライト。あとは、機内食で晩御飯を食べて、薬を飲んで寝るだけである。食前酒にはシャンペンを注文するドラゴン山田であった。
2017.05.05
今日も朝から曇天のロンドン。しかし幸い、雨には降られなかった。4月30日の朝食からずっとコンチネンタル・ブレックファストだったが、さすがに飽きたので、5ポンド余計に支払って久々にブリティッシュ・ブレックファストを食べた。さて、ロンドン大学 UCL の Institute of Education でのリサーチも、いよいよ最終日となった。やることは多くは残っていないが、それでもカメラとウルトラブックを持参して10時前に到着。昨日までの時点でデジカメにおさめていない資料をチェックし、必要に応じてさらに撮影。さらには、パソコンに取り込んでひたすらファイルに名前を付けるという作業をした。正午までには片づけも済ませ、最後にスタッフの女性に、私と The Moot Papers の入った箱が一緒に写っている写真を撮ってもらった。ホテルに戻って、結局は3パック残っていた Walkers のクリスプスを食べつくして、お昼ご飯の代わりにした。そして、いよいよ帰国に向けてのパッキングを始めた。なかなか上手く入らない。16時過ぎに、ホテル周辺でまだ行っていない方向に向けてテクテク歩き出す。2008(H. 20)年の「シェフィールド殺し」以来となる St. Pancras 駅にも行き、駅構内を歩き回る。その足で、『地球の歩き方』に載っていたガストロ・パブ The Perseverance を目指すが、いざ着いてみたら、空いている席がみな予約席のようだったので、さっさと脱出。結局はホテルすぐそばのパブ The London Pub で、今回の旅で初のフィッシュ・アンド・チップスの晩御飯を食べる。ホテル1階のバーで食べるという手もあったのだが、何となく、入ったことのない店(しかも、ちゃんとしたパブ)で食べたいという思いが働いた。明日は早い。ひと風呂浴びれば、さらにパッキングが進むと見た。なお、メールチェックして発見したイギリス政治学会 PSA のニュースレターによると、来年2018年の大会はカーディフだそうな。問題は日程だが…。
2017.05.04
曇天で、朝から小雨のぱらつく5・3のロンドン。今日も午前中から IOE の図書館で資料収集。昨夜デジカメの電池をしっかり充電したので、全く問題はなかった(ということは、日本を出る前の充電が不十分だったということだ)。また、今日はパソコンも持参したので、図書館内でデータをパソコンに移し替え、どこまで文献を集めることができたのかを逐一確認した。14時ぐらいにはホテルに戻り、またしても、データのファイル名を書き換える果てしない作業が夕方までかかった。夕べのうちにインターネットで、ピカデリーサーカス近くのシーフードレストラン Bentley's (11-15 Swallow Street, London W1B 4DG) を予約しておいたので、17時には再び出かける。ピカデリーで地下鉄を降りて地上に出たら、よりによって風雨。早く着きすぎたので、昔よくウロウロした日本食レストランが集まるエリアに足を運ぶと、あの Ten Ten Tei がまだ健在であることを発見する(John Keane さんと来たのは2005年だったな)。また、30分弱だったが、ピカデリーの Waterstones に初めて入るが、4階の政治学書・哲学書・歴史書のフロアはなかなかの品揃えだった。18時に予約した Bentley's には今回初めてだが、やっと「美味しい」と思える食事にありついた。まずはシャンパンを注文し、養殖じゃない生のオイスター3つに、エビ(prawn)の料理に、最後はロブスター入りスパゲティ。ちょっと味が薄い気もしたが、高級店だけはあった。5・3に資料収集の「山場」を越えた自分へのご褒美だった。
2017.05.03
晴れた朝、University College London の Institute of Education 図書館(Newsam Library and Archives)に乗り込む。箱に納められた The Moot Papers は、カテゴリーごとに紙のフォルダに分類されていた。去年6月、Kettler 教授のところで資料収集した経験があるためか、さほど「ついにお目見えだ」というワクワク感はなかった。ここでいよいよ、科研費で買ったミラーレス一眼・オリンパス OM-D の出番だ。次から次へとシャッターに納めていくが、さすがに足腰が疲れる。正午前に、トイレに行きがてら、大学内で売っていた Prawn & Mayonnaise のサンドイッチのランチ。意外に速いスピードで資料収集が進むかに見えたが、予想外にカメラの内臓電池の持ちが悪く、途中で電池切れとなってしまった。やむなく今日はここでリサーチを打ち切り、ホテルに戻ることに。なお、その途中で HSBC に立ち寄り、1枚だけ残っていた旧札の50ポンド紙幣を、新札のもっと少額の紙幣に替えてもらった。ホテルでは、今日収集した資料のデータをパソコンに取り込んで、ひたすらファイルに名前を付けて整理を試みた。こういうことは、ここでやっておかないと、おそらく帰国後の日常生活ではやるまい。それにしても、やむを得ないこととは言え、写した資料に自分の影が映ってしまっていて、下から半分は暗くなっている。いずれ読む時には苦労するだろうと覚悟する。あっという間に夕刻になってしまったので、もう食事に出るのも億劫になり、30日(日)に TESCO で買っておいた Salt & Vinegar 味のクリスプス3袋で晩御飯をごまかしてしまった。ただ、ホテル1階のバーにビールを飲みにだけは行き、WADWORTH とかいうアンバーエールをハーフパイント飲んだ。そんなに美味しかったとは言えないが。
2017.05.02
バンクホリデーの今日は、夜にミュージカル『Mamma Mia!』を観る日。ホテルに戻るのが遅くなる予定で、あまり疲れるのも問題なので、午前中はホテルでおとなしくしていた。日本から持参した A. D. リンゼイのもう1冊の本『自由の精神』(未來社、1992年)を手に取るが、あまり頭に入らない。ホテル1階のバーで、ローストビーフのサンドイッチのランチを食べた後、1990(H. 2)年2月の感覚を取り戻すべく出かける。昔の Dillons、今の Waterstones をかなりゆっくりウロウロした。政治学書・哲学書・歴史書がかなり充実しているように見える。が、これぞという本は決して多くない。なお、「Dillons」の名は、併設のカフェの名前として残っているが、どう見ても客はみなロンドン大学の学生だ。みんなパソコンを持ち込んで、テーブルに陣取っていろいろやっている。まるで大学のカフェといった感じ。そう言えばこの書店の前で、エディンバラ時代の友人・Cさんと最後に落ち合ったのが、1994(H. 6)年6月だったな――と記憶が脳裏をよぎる。その後、ロンドン大学本部や SOAS の界隈を歩き回り、いったんホテルに戻る。部屋の掃除は終わっていた。しばらくしてから、地下鉄で Covent Garden へ。わずか2駅だから早いものだ。この界隈は(確か)初めてだったので、地図を片手に慎重に歩き回る。『地球の歩き方』に載っているシーフードレストランが、このあたりに複数ある。また、コヴェントガーデンというのは基本的にマーケットだな、と思う(ロンドン交通博物館なるものもあったが)。『Mamma Mia!』が上演されるシアター・Novello に向かうが、途中で雨が降り出す。シアターの Box Office で、日本で事前に予約しておいたチケットを入手し、17時に予約のイタリアンレストラン・Orso に行くまで、そのあたりをウロウロする。別のシーフードレストラン・Loch Fyne が、『歩き方』の地図とは場所が微妙にずれているのを発見する。イタリアンレストランでのセットメニューは、スープにチキン料理だったが、正直イマイチ。しかも、食事の途中で変な汗をかいた。まぁ、50ポンドの旧紙幣が使えて新札でお釣りが来たのは幸いだった。が、早めにシアターに行って時間をつぶそうと思ったら、「19:15まで入れない」と言われ、40分ほどどこかで時間をつぶさなければならない。コヴェントガーデン方面に戻り、アップルマーケットとか言われるところをうろつく。ヴァイオリンの演奏があったり、大道芸人が何かやっていたり。そんなこんなしているうちに時間が迫り、シアターに戻ったら、今度は長蛇の列。まぁ、あそこに突っ立って40分も待つよりはましだったか。で、入場したら、右隣にいたく体格のよい男性がドッカと座り、かなり狭くなる。19:45開演だったが、正直、話をちゃんと理解していなかった上に、寒暖の差が激しく雨にも濡れたので身体が疲れていたのだろう、前半はほとんど居眠りをしてしまった。インターバルの時に白ワインを飲み、後半はそれなりにちゃんと観ていたし、最後はそこそこ感動したので、まぁよかったのではないか。確かに ABBA 三昧だったし。ホテルには、思ったほど遅くない時間に戻れた。シャワーを浴びて汗を流して、ひどく「スッキリ」したので、いかに汗で消耗していたかよくわかった。「消耗する汗」は、最近はあまりかかなくなっていたはずだが、今回は久々にかいたなぁ。
2017.05.01
夜明け前に、日本から訃報のメールが届く。わが恩師が逝去。しかも、すでに4月24日亡くなられていたとのこと。詳細はまだ公にされていないらしい。今にして思えば、恩師のフェイスブックの写真が4月24日に更新されていたのは、ご家族が「遺影」として残されたものだったのかもしれない…。この連絡を、ロンドンで受けるとは――1990(H. 2)年2月、マンハイムの資料収集のため LSE を訪れていた私は、疲れ切って B&B (Hotel Cavendish, 75 Gower Street) で昼寝(夕寝?)をした日があったが、その時に、恩師が飛行機事故か何かで亡くなるという嫌な夢を見て、ぐったりして目を覚ましたのを思い出す(詳細は、帰国してから当時の日記を引っ張り出すことにしよう)。それから27年経って、よりによってそのロンドンで本当の訃報に接するとは。恩師から受けた31年の学恩は、簡単に語り尽せるものではない。また、研究・教育の1側面が、過去の知的蓄積を未来に継承するところにあるのであれば、恩師が残された知的遺産を次の世代へと意味ある形で展開するのが、残された者の使命だろう。今、そのために私は、マンハイムの資料を求めてロンドンに滞在している。心よりご冥福をお祈りいたします。(追伸:帰国後に公にされたところによれば、亡くなったのは4月23日、葬儀が翌24日だったという。)
2017.05.01
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