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夜、ある勉強会が終わった後、理系の研究者であるF氏と30分ほど語り合ってしまう。強烈な個性を持つF氏とは、6年前に知り合ったが、こうして腹を割って話し合うことはほとんどなかった。どちらかと言えば、きちんとこちらのことを理解もしないで頭ごなしに決めつけられることが多く、何度も閉口したものだったが、いやいや、いざサシで話ができるようになってみると、私の言わんとしていることを受けとめ、理解するよう努力してくださっている。日本でしか通用しないことは何なのか、逆に、国や文化や時代が違えども変えてはいけないものは何なのか。先人の血涙滴る闘争で世界に開かれた道を、続いて歩み行くのは一体誰か…。かなりディープな話の、序の口の序の口の話をした。考えてみれば、10年前の春に帰国するまでの、留学中の私は、いつもこうした問いに直面していたっけ。あの頃の思考・思索の多くは、忘却の彼方ではあるものの、この身に刻み付けているものが自分の奥底にあることも事実。F氏らとの話の中で、埃をかぶって眠っていた何かが再び「意味あるもの」として蘇生して出てくるかもしれない。同じ構想が共有され実践されるには、「時」と「人」が揃わなければかなわないものだが、徐々に条件が整いつつある、ということか。
2006.01.31
ライブドア・ショックに関する議論も、ほぼ出尽くしつつあるのだろうか。私は経済の動きをきちんと分っているとは言えない人間だが、種々思うところはある。まぁ、近年やたらと重要視されている「起業家精神(アントレプレナーシップ)」とやらは、新しい創意工夫を生み出して、停滞した社会に活力を生むという方向に働けば、確かによい面を持つものだろう。だが、第1に、結局はマネーゲームでしかなかったのかと思うと、この国はバブル崩壊から16年経とうというのに今だに「バブル」的思考なのだろうか、と思ってしまう。考えてみれば、バブル崩壊と冷戦崩壊とアメリカ型グローバリゼーションがほぼ同時だった、というのは皮肉だ。ビジネスに身を置く人が、儲けを追求することは、資本主義経済においては当然のことだろう。小さな政府・自由経済・規制緩和をうたい文句に、グローバル化の波に乗ろうとするのをよしとする風潮を考えれば、ホリエモン的な人の出現に顔をしかめる理由はなかろう。しかし本来、バブル崩壊がもたらした教訓は、労働するとか物を作るとかすることなく「濡れ手にアワ」のような金を手にすることは所詮「バブル」に過ぎない、ということだったはずだ。にもかかわらず、その点は全く学習されなかったのだろう。最近の「勝ち組/負け組」「稼ぐが勝ち」「下流社会」等々といった言説に接すると、バブル崩壊は日本の経済界に何の教訓ももたらさなかったのだろうか、と思わざるを得ない。かつて1980~90年代、日本のむき出しの資本主義を「何でも商品にして恥じない」と痛烈に批判していた藤田省三氏がもし存命だったら、この状況をどう見ていたであろうか。「いや、テレビやマスコミをにぎわし、人気を集め、株価を上げることは、立派な労働だ」という向きもあろう。だが、第2の問題点は、そうした「人気取り」およびメディアがそれに便乗するという構図は、「国民は政治家の話の内容よりネクタイの色に左右される」のと同じくらい、あまりにも古典的な大衆社会の問題だということだ。私が10数年間「大衆社会論」にこだわってきたから言うのではない。現にそうではないか。今回のライブドア・ショックについて、ライブドアやホリエモンをやたらと持ち上げタレント化させたメディアの問題性・責任も問われているが、私に言わせればそうした論点は何ら新しいものではない。1世紀も前から(当時はテレビはなかったにせよ)形を変えて言われ続けていることではないか。メディアが商業主義に陥り、売れればよいという発想で、はばかることなく「黒」も「白」だとぬけぬけと言う、そして一般大衆はメディアの流す宣伝や嘘やプロパガンダを見抜けない――というのは、改めて確認するまでもないくらい古典的な問題だ。だからこそ、真実を追究するという本物のジャーナリズムが今こそ必要な時代もあるまい。そして、それについていみじくも、「ジャーナリズムが必要だったのは、インターネットがなかった時代の話だ」と言い放つホリエモンは、以上のことが問題なのだということが認識できなかったのか(もしそうなら「愚か」)、それとも分った上で開き直っていたのか(もしそうなら「悪党」)、そのどちらかではあるまいか。「本当か嘘か、真実か虚偽か、そんなことはどうでもいい。要するに売って儲けた方が勝ちだ」という思考回路が、どれほど堕落しきったものであるかを、改めて一々指摘しなければいけないかと思うと、そのあまりのレベルに低さにバカバカしくなる。「何だ、いかにも賢そうな『勝ち組』の顔をしているが、所詮その思考回路は低俗週刊誌と同じレベルかよ」と言いたい。それを、持ち上げるだけ持ち上げておいて、いざ真実が明らかになると「ショック」だなどというのは、お里が知れようというものだ。同じことは、地下鉄サリン事件を起こす前にオウム真理教をことさら持ち上げていたメディアや一部「知識人」にも言えたことだ。新奇さを求めているように見える連中の思考回路が、何でこうもワンパターンなわけ? 「才能ある畜生」「合理的な愚か者」というのは、本当にいるものだ。そういう人たちが、経済やメディアを動かしている(かのように踊っている)のかと思うと、薄ら寒いものがある。
2006.01.31
早くも、今年も12分の1が終わろうとしている。今日は1月の晦日だ。昨日書きそびれたのだが、夕べ、ロンドンでお世話になった恩人T子さんからエアメールが届く。長年お仕事ではご苦労された方なのだが、種々考えるところがあって退職なさったと。今後は、自分が本来成し遂げるべき「使命」を全うするために生きる、という気概であられるようだ。「大津波や地震で、世界中で何千人・何万人という人々が被害にあっている。自分は直接、そうした苦難に直面してはいないが、しかしこの現実に言葉を失った…」と書かれていた文面には、重いものを感じた。去年の夏も数日泊めていただいたが、果たして今年はロンドンに行く機会があるのやら??ロンドンと言えば、これも昨日、ウェストミンスター大学の John Keane 教授のHPを久々に開くと、かなり更新されていた。特に、そのHPのフォトギャラリーには、アジアを訪問した時に写した教授の写真がいくつか載っていたが、去年の5月に来日した時に、都内で撮った写真もあった。恐ろしいことに、私もしっかり写っていた。げげげ~、であった(汗)。
2006.01.31
しばらくぶりに治療院で鍼をやってもらい、その後、夕方のスケジュールが二転三転し、2日連続で伊豆長岡に行くことに(またも温泉はなし)。地域の人材グループで1年間訓練を受けてきた知人・T氏が、見事に結果を出して訓練を終了。彼は立派な活動報告を行なった。その席で、ふと、脳裏をよぎった言葉がある。久しく忘れていた(ということは、自分のあり方が惰性だった、ということだろうが)のだが――「活の法門」という言葉である。ありとあらゆる、複雑極まりない物事を、プラスもマイナスも高低浅深も全部含め、的確に位置づけ、すべて活かしきっていく、という原理だ。自分にとってマイナスのモノさえも、疎外して切り捨てるのではなく、自分の中に位置づけて活かす。文字通り「蘇生」だ。今自分が直面していること、自分が出くわす出来事・人・モノ、すべては自分の「外」にあるのではない。「外」から来るのではない。「外にある」と捉えてしまうと、他人のせいにし、環境の悪さのせいにする。そうではない。全部自分で決めていることなのだ。だから、自分が変われば周囲も変わる。自分の「一念」次第で、すべての物事を活かしていける――それを改めて確認した夜だった。
2006.01.30
どういう風の吹き回しか、今日は小春日和の三島である。ちょっと風が強かったりするが、さすがに春一番には程遠い。しかし、厳寒のはずの2月を前にして、職場の自室に暖房を入れなくても済んでいる今日は、ちょっと意外だ。これでまた、急に寒さが戻ってきたりすると、風邪の病魔がつけこんで来るのだろうな。世間でインフルエンザが猛威を振るっていることには、変わりない様子だから…。
2006.01.30
たった今、論文「ジョン・キーンにおける『Civil Society』と『Uncivil Society』(1)」の3校を提出し、校了とする。どうも、2月に出る雑誌の巻頭論文になるらしい(あぁ、恐ろしい)。それにしても、3校までやって、出来上がった現物の中に誤植を見つけたら、ショックで口もきけないだろうなぁ(去年の秋に出した共著で、自分の第5章で3ヶ所も見つけたから、あり得ない話ではない)。それにしても、研究費や研究助成金をもらっている以上、業績を形にしなければならないのはその通りなのだが、思索が深まらないうちに論文を書いて、粗製濫造になっているのではないかと思わざるを得ない。その時その時にベストを尽くしているつもりではあるし、また、書くことで思索が深まることも事実だから、あまり疑心暗鬼に陥る必要もないのかもしれないが…。研究費で買った本もおびただしい数になるが、ほとんどは満足に読まずに書棚のインテリアと化している。業績作りに追われることなく、1年間ぐらい、これまで買った本や直接研究に関係ない本を読んで、思索を深める時間が欲しいものだ。そうか、研究費を申請しなきゃいいのか!
2006.01.30
ふと、ここ数年間の歩みと、自分の調子がよい時のパターンおよび悪い時のパターンを、種々振り返る。やみくもにバクシンするだけでは成長がないので…。Ph.D.論文を完成、提出し、口頭試問に合格したのが2002(平成14)年。年明けて2003(平成15)年1月には、シェフィールドでの卒業式で赤いガウンを着た。その後、転居など、その年の春の無理がたたって、10年ぶりに自律神経失調症が再発。特に10月末に最悪の事態となり、2004(平成16)年3月末までの約5ヶ月あまり、最低限の仕事をこなす以外は寝たきりの生活を送った。その最悪の事態から徐々に抜け出し、初の単著執筆にかかったのが、その年の4月。どこからそんなエネルギーが涌いたのかは知らないが、約3ヶ月あまりで一気に原稿を仕上げ、出版社への提出の期限であった7月末という約束を果たす。拙著は11月に出版。およびそれと並行する形で、Michael Kenny 訳をスタートさせた。2005(平成17)年は、邦訳作業および、5月の John Keane 教授招聘に、相当なエネルギーを割いた。それと同時に、出版助成金がおりることになったにもかかわらず、Ph.D.論文出版を引き受けてくれる英米の出版社が見つからず、苦慮した上に、国内の出版社に決まったのが秋口。そこから、原稿チェック、初校・再校・三校とおびただしい作業が入ってきた。共著出版と Kenny 訳出版が、ほぼ10月後半。Keane 教授の civil society / uncivil society に関する論文を脱稿したのも、その前後だった。今年2006(平成18)年に入ってからは、すでに以前のこの日記にも書いたように、英文著書のインデックス作成および校正で「死闘」を演じた。現在、その英文著書は近々完成することになっており、また Keane 論文も明日念校を提出する。そして今、深く疲労し、前向きなエネルギーが出なくなっている自分がある…。再発した病を乗り越えて、2004~2005年は、ひたすら目の前の課題をこなしてきた。時に淡々と、時に馬車馬のごとく、とにかく、1つ1つの仕事に取り組むことが自分の使命だととらえ、エネルギーを注ぎ込んできた。しかし、2006年の1月も終わろうという今、今年はその延長では行かないのではないか、というシグナルが心身から発せられている。確かに、今でも多くの課題を抱えており、時間との戦いになることには変わりない。だが、特定の課題にのみ没頭することによって、他のことができなくなっている。目先のことばかり追っていて、自分の器が小さく閉じたものになりつつあるのではという危機感がある。仕事の「結果」「成果」を出すことも大事だが、一歩引いて、もっともっと自分の世界・境涯を広げなければ、成果を稼ぐだけのマシーンになってしまう気がする…。価値を生み出すことのできる、創造的なエネルギーとは、内発的なもの(ソフト・パワー)のはずだ。だが、ここ2年間を振り返ると、もちろん内発的なエネルギーを燃やしたことは事実であるものの、どちらかと言えば「締切に追われて」とか「頼まれたから」とかいった外からの要素が大きかったことも否定できない。去年・一昨年には、それが必要であり、それでよかったのだろう。だが、ここ2週間ほどのスランプ続きの中で、「今年からはそれでは行かんぞ」と言われているように思えてならない。いくら寝ても寝ても眠く、物事を前向きに捉えていくエネルギーが著しく枯渇している現在、自分のあり方を立ち止まって考えなければならない「時」なのかもしれない。
2006.01.29
所用で、昼過ぎに伊豆長岡へ(温泉ではなかった)。BGMは、実に久々に、ドヴォルザークの交響曲「新世界より」。記憶違いでなければ、21年前の大学1年の時に買ったグラモフォンのレコードからテープに録音したもの。指揮は、今は亡きレナード・バーンスタインだ(ドイツ語読みをすれば、レオナルド・ベルンシュタイン、とでもなるのか?)。本来は三島から車で30分の距離だが、渋滞だったので45分ほどかかったか。教育者、芸術家、医者、そして学術者が集う地域の会合で、自分がPh.D.の学位をとった体験談を7分で披露する。かなり早口だったが…。その場には、私が学生時代からお世話になっているパステル画家のSさんも同席。久々にお目にかかったので、つい話し込んでしまった。何のための芸術か、何のための学問か――この原点を、改めてこの5年間で深めなければ、と思った半日だった。帰路も渋滞だったが、国道136号線を北上する間、白雪の富士が目の前に広がっていた。途中、国道1号線の箱根の入り口にある、よく行く喫茶店キャロットに立ち寄り、遅い昼食(16時頃だった)。ついでにデザートに頼んだフルーツババロアが、身にしみるほどおいしく感じた。
2006.01.29
『ドラえもん』や『オバQ』などと違って、同じ藤子不二夫原作でも『ジャングル黒べえ』はあまり覚えられていないのだろうな…。「ドラゴンの『ド』の字は 『ドンデン返し』のドの字 マイナスをプラスに 毒を薬に 決意の固さだ 祈りの深さだ 実践の力だ べ~ あ ベッカンコ~」ウラ、ウラ、ウラウラウラウラ、ベッカンコ!
2006.01.28
昨日、さんざん寝まくったはずだったが、必ずしもスッキリとした目覚めではなかった今朝。自分がダグラムを操縦して、連邦軍の攻撃から逃げ回る、という妙な夢を見たこともあって、冷えた朝の三島で布団から出るのは楽ではなかった。が、一度起きて、出勤してしまえば、体がそれなりにしゃんとするから不思議だ。これ、ひょっとして「ワーカホリック」?? いやいや、そんなに仕事はしていないはずだが…。とりあえず、学生に頼まれた文章添削を終わらせ、2月のシェフィールド滞在に関して各方面にメールを送り、John Keane 論文の3校目をほぼ終わらせ…という程度のことしかやっていない午前中であった。今日も三島はよい天気。朝は凶悪に冷えたものの、タイツをはいて、熱いコーヒーをすすっていると、職場の自室では特に暖房の必要がない。口にしているのは、スニッカーズならぬ、ミスターイトウのアメリカンソフトクッキー(ミルクチョコレートマカダミア)。さて、土曜の午後はどこまで仕事を進めようか…。
2006.01.28
10年前の1996(平成8)年1月27日。前日からの大雪で積もりに積もった、雪景色のシェフィールド。この日は、アパートをシェアしていたフラットメイトと連れ立って、カメラ片手に雪景色の写真を撮りに出かけた。以前、本家HPのトップページに、シェフィールド大学図書館前で、吹雪の中で立っている私の写真を掲載したことがあったが(それも真夏に)、それはこの時に撮影したものだ。あの頃使っていたブーツは、もう履くことなく10年間も下駄箱に眠っている。当時は、紺のトレンチコートを使っていたのだった。242 Crookesmoor Road には、今は誰が住んでいるのだろう…?
2006.01.27
先週から、ちょっとスランプ気味の時もあったが、ともあれ年の初めの1月、気を張っていかなければ…と思っていたのだが、知らないうちに疲労がたまっていたのだろう。また、一昨日には風邪の予兆もあった。夕べはついにダウンし、19時半には寝てしまった。12時間以上寝たのは実に久々だぞ。何か夢を見ていたのかもしれないが、よく覚えていない。泥沼のように寝た気がするが、何か背中が痛く、しばしば寝返りをうっていたような…。さすがに、これだけ寝ると、起きた時には体の不調の方はかなり楽になってはいたが、それでもスッキリしているとは言えない。まぁ、午後はできる範囲のことをしよう、あまり気合を入れずに…(スニッカーズでも食べながら?)。
2006.01.27
1月26日。シェフィールドで冬越えをした1995(平成7)年と1996(平成8)年、2年連続して大雪となったのが、この日だった。95年の時には、福岡からいらしていた理系の客員教授が雪道で転んで骨折し、入院なさった(何回か病院にお見舞いに行った)。96年の時には、夕方バスルームで突き指して、小指がひどい内出血となった(数ヶ月治らなかった…トホホ)ことが、当時の日記に書かれている。この、国境を越えた市民の連帯を改めて強く誓い合う日に、当初の予定では英文著書 Democracy and Mass Society: A Japanese Debate が出版されるはずだった。が、ちょっと予定が後ろにずれ込んでいる。それでも、もう印刷・製本にかかっている最中のはずだから、2月の頭に完成するに違いない。考えてみれば不思議だ。シェフィールドでの留学を中断して八戸に赴任することになった96年当時、10年後にPh.D.論文を出版することになるなど、誰が想像し得ただろうか。シェフィールドの冬も寒かった。八戸も寒かった。そこにエディンバラを加えてもよい。やはり、寒い冬の時代の「忍耐」こそ、春を迎えた時に花を咲かせるエネルギーを蓄積する営為なのだろう。冬は必ず春となる。闇が深ければ深いほど、暁は近い。
2006.01.26
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どういう風の吹き回しか、ボルテスV。「たとえ 非難されようとも たとえ 苦悩にあえぐとも 漕ぎ出そう 戦いの海へ 飛び込もう 戦いの渦へ 触発する生命(いのち)と生命 魂を磨き合う われらが同志 大願成就に すべてを賭けて やるぞ 力の尽きるまで 三島の夜明けは もう近い」闇が深ければ深いほど、暁は近い!
2006.01.26
プロメテウスは、「先に智慧が出る者」であったがゆえに、人間に火を与え、文明を与え、そしてゼウスに迫害された…。このギリシャ神話を通じて師匠が、「諸君は『先に智慧の出る者』でなければならない」と指導なさったのが、早くも15年前のこと。師匠は「諸君の成長を待っている」と仰ったが、それから15年後の自分は、今だに「後から智慧が出る」愚者でしかないのでは…とふと思う。何かが起こり、その時に不必要に動揺することなく対処することは、確かに以前に比べてはるかに上手になった。しかしそれは、良くも悪くも「慣れ」のなせる業であり、かえって油断・慢心・惰性の源かもしれないのだ。しかも、起こったことに事後的に対処するのが上手だからといって、「智慧者」とは限らない。むしろそれは、「後から智慧が出る者」であることの証明でしかない可能性がある。智慧とは英語で wisdom だが、自分が今、wisdom を研ぎ澄ませて先んじて手を打てる人間になっているとは、到底思えない。来るものから逃げなくはなった。来たものを正面から受け止め、こなすことはできるようになった。だが、これが「成長」なのだろうか? 単に「こなす」だけでは、「価値」を創造しているとは言えないのではないか…? まして、「後から知った」ということがあまりに多い私は、人一倍努力しなければ「先に智慧が出る者」になり得ないにもかかわらず、その努力を十分にしていないのではないか。この、疑心暗鬼との戦いが、自分に課せられた「精神闘争」なのかも知れない。
2006.01.25
「お~じゃまじゃまじゃま…」長い1日だった。疲れた。霜柱が解けてドロドロになった野外ステージに、出勤して車を停めるところから始まり、午前中は、先日大変な失態を演じた人の後始末に追われ、昼過ぎにはある人の進路について相談に乗って本を貸し、その後、マイクの使えない部屋で「吼えて」声をからし、今日もまた新聞をきちんと読まないまま、夕方には再びアコードワゴンで疾駆…。帰宅は午前様をとうに過ぎていた。風邪をひいたかも知れぬ。それにしても、自分の甘さ、安易さが、生活のすべての面に現れているのではないかと、しきりに考えさせられた1日だった。自分の一念が環境のすべてに反映するというならば、時々刻々と起こることはすべて自分自身の生命の実相。自分が変わるよりない。変えなければならない余地がたくさんある、不完全で未成熟な自分であることを、またしても教えられた気がする。昔の自分であれば、ここで後ろ向きに自分を責め、自己嫌悪に陥っていただろう。今では、「まだまだ成長できるってことだ」と、「たくましき楽観主義」で前向きに捉えるよりない。おじゃましますます、おじゃましますます、や~ま~だ、山田くん…。
2006.01.25
午後、同僚と、「最近の学生は、自分で調べるってことをしないねぇ~」という話になる。何でも、同じ学生が、何度も同じようなことを聞きに来て、自分で調べもしなければ、教えられたことをメモすることもしないとか。確かに、中にはそういう学生もいるだろうなぁ。私の授業の受講生の中にも、「教員たるもの、学生が自分で調べなくても済むような教え方をすべきだ」という顔をしているのが少なからずいる。難しいことを易しい言葉で語ることが大事だ、ということは私も認める。それは要するに、語る側が、語ろうとしている内容をきちんと理解しているかどうか次第なのだから。難しいことを難しくしか言えないのであれば、言っている本人が分かっていないという謗りを免れまい。だが、平易な言葉を使って、分かりやすく語ろうとすればするほど、そこには「単純化」「一面化」の危険性が潜むのであり、私の意図する微妙な点が聞き手に全く理解されない、かえって偏ったヘンな先入観を与えてしまう――ということにもつながりかねない。まして、「分かりやすく語る」ことと、「学生が自分で調べる手間をかけなくとも済むように教える」こととは、全く別の話だ。学問はそもそも、学ぶ側に対しても、それ相応の労力と知的禁欲を要求するものなのだから。高校を卒業して何年経っても、「一方的に教わる」という態度が抜けきらない学生から、授業評価をされるのだから、出る評価結果はマユツバものである。「自分で本を読めだなどと言うヤマダは、不当に厳しい」とか「不親切だ」とか思っている学生がいたら、私に残されている言葉はただ一つ――「おとといおいで」。
2006.01.24
NHKみんなのうた by 榊原郁恵である。「東に住む人は しあわせ 産まれたばかりの 太陽を 一番先に見つけることが できるから 北に住む人は しあわせ 春を迎える 喜びを 誰より強く感じることが できるから 南に住む人は しあわせ いつでも花の 首飾り 愛する人に捧げることが できるから 西に住む人は しあわせ いつも終わりに 太陽を 明日の空へ見送ることが できるから 生きていることは しあわせ 悲しい時も あるけれど 未来をいつも夢見ることが できるから」今日から明日へ…。
2006.01.24
凶悪に冷えたが、好天でくっきり富士が見える三島の朝。私の心身の調子とは、見事なコントラストだ(苦笑)。「ドラゴン山田は 旅行く山田 根を張る場所なし 家もなし スランプの時は 空を見る はるか無限の 新世界 遠い欧州の果てを見る だけど 戦う舞台は三島 ドラゴン山田は 戦う山田 燃える愚直な 青い色 論文執筆はつむじ風 翻訳作業は命がけ 倒せ にせもの まがいもの 守る僕らの 職場は三島」『シルバー仮面』放映から、今年の秋で35年か…。
2006.01.24
先週のスランプから立ち直ったつもりだったが、夕刻以降、心身のエネルギーが著しく落ちる。パワー切れか?「ヨガの眠り」ではないが、気力が落ちてひどく眠くなる。自己への叱咤・激励にも、限界があったか…。(1月24日記す)
2006.01.23
センター試験も終わった。卒論指導も終了した。後期の授業もほぼ終わりつつある。英文著書もいよいよ印刷段階だ。ゆえに本来なら、わずかだが時間的な余裕が若干でき、これまで沈滞していたドブソン訳を進めるチャンスのはずだ。にもかかわらず、何かとちょこまかと不測の事柄が入ってきて、まとまった時間が常に分断される。しかも、時間の流れは速い。「え~っ、もうこんな時間なの? 何もできないじゃないか」と思う日々が続く。しかし、その「何もできないじゃないか」という自分の一念に負けてしまうと、そのままズルズルと沈滞が続く。たとえ1時間でも、30分であっても、できる時間があるなら、1段落でも1行でも訳さなければ。訳した分だけ前進なのだ。何もしなければゼロだ。8年かけたPh.D.執筆だって、同じような状況の中で勝利してきたではないか。あの時にできて、今できないはずはない! と、我と我が心を励ます。轟鷹也の「1センチでも、1ミリでも、俺はゴールに近づきたいんだ!」とのセリフを、心の中で反芻しつつ…。
2006.01.23
長崎県のある大学で、大学センター試験の英語リスニングの最中に、県知事選挙の選挙カーが付近で名前を連呼したために、リスニングの試験時間を遅らせた、というニュースを目にする。だから、以前この日記で書いただろう。読んでないのか?(笑) 学校や病院の近くでは、選挙カーがマイクのスイッチを切るというのは、極めて初歩的なマナーだろうが! そんなこともできないなら、選挙活動などするな! と言ったら言い過ぎか?
2006.01.23
2月にシェフィールドに行くのだが、気がつけば1ヶ月を切っている。町内会の会合を終えた後、久々に、シェフィールド時代にさんざんお世話になった、和歌山に住むS氏宅に電話する。年末年始から、何回か、先方から私の電話に着信があったことが記録で残っていたのだが、忙しさにかまけてついつい電話しそびれていた。帰宅したら、S氏宅から夕方2回着信記録が残っていたので、今日はかけようと思った。ひとしきり、奥さんおよびご主人とおしゃべりをすると、あっという間に25分も経っていた。新築のS氏宅にお邪魔したのが、もう何年も前だから、しばらくご無沙汰してしまっている。「また来て下さいね~」と言っていただけるのは非常に有難く、また嬉しいことなのだが、さすがに三島から和歌山は遠い。去年の夏も、琵琶湖に出張で行ったが、そこから和歌山に足を延ばすことはとてもできなかった。本当はシェフィールドに家をお持ちなのだが、種々の事情から、10年ほど前にご一家で帰国なさったS家。私は2月にシェフィールド行きだが、S氏も3月には、他人に貸していた我が家がどうなっているか見るためにシェフィールド入りの予定だと言う。2年間を過ごしたシェフィールドの懐かしい想い出が頭をよぎる。この冬はヨーロッパも大寒波とか。2月のシェフィールドも寒そうだ。
2006.01.22
センター試験2日目。朝はかなり冷えたが、日中は青空も広がり、雪や雨には見舞われずに終了。夕刻、箱根の山の上が雪で白くなっているのを見る。早朝からの労働を終えて帰宅すると、休む間もなく待っていたのは、19時からのマンションの町内会・月例会。本来は先週だったのが、1週延びたおかげで出ることができた。早いもので、1年間のお役目も終盤近くなり、次年度の役員(今年度は4階の住人だったが、次年度は5階)を選出する時期となった。そもそも、町内会役員の「貧乏くじ」を引いたのが、約1年前。高熱を出してしんどい中を、「欠席の場合は、どんな役職をつけさせられても責任を持たない」というチラシの脅し文句に、身体を引きずって会合に参加。その場で、前年度の3階の町内会長から、「仕事の都合とか、家庭の都合とか、そうしたものは一切考慮しない。くじで当たった人にはやってもらう。本人がダメなら代理人を出せ」という、問答無用の決め方を言い渡され、納得行かないままくじを引かせられた。22世帯中13名の役員を出すのだが、その役員に当たってしまう。町内会長でなかったからよかったものの、平日の昼間に活動することが多いという保健委員にさせられた。そもそも、このマンションに引っ越してから、特に隣近所付き合いをしたわけでもなく、選ばれた13人の役員(私はひそかに「13人衆」あるいは「Ex 13」と呼んでいた。分らない方は『エルガイム』をご覧あれ)は、お互いに顔なじみでもなく、知らないもの同士が嫌々行政の下請けをさせられる、といった感じのスタートだった。仕事や出張などで、月例の役員会を休むことが続くと、会長さんから「またですか?」とイヤーな顔をされたこともあった。「こっちだって都合があるんだい!」と思いつつも、任された責任をそれなりに果たさなければという思いもあり、出られる時には出たし、何かの当番が回ってくる時には可能な限り協力した。そして間もなく1年…。不思議なもので、今夜の月例会では、それなりに和気藹々という雰囲気。そんなにしょっちゅう集まって、一緒に苦労して何かを築き上げたわけでもないが、しかし何はともあれ1年間、月に1度でも顔をつき合わせていろいろ議論し合ったという事実が、人のつながりを作ったのだろう。時の流れというのは不思議なものだ。おそらく、「貧乏くじ」を引かなければ、エレベーターや通路ですれ違っても挨拶もしないような、お互いに知らない同士で終わっていたかもしれない。また、町内会というものを実際にやってみることで、行政との関係や日本の「ムラ社会」のあり方を、体験的に知ることもできた。物事をどう決めるのか、その「決め方」を決める、という困難なことも実体験できた。その意味では、ささやかな体験ではあっても無駄ではなかったのかもしれない。地域に根を張るということは、よい意味での共同体を形成する面もあれば、悪い意味でしがらみに絡め取られる面もある。しかしいずれにせよ、身近な人と人とのつながりを大事にすることは、私化した都市型社会において困難な挑戦なのかもしれない。
2006.01.22
今年も、大学入試センター試験が始まった。悪天候の中、受験する生徒たちは大変だろう。また、試験を運営する側も、ミスが許されないため緊張の連続のはずである(まして今年からは、英語にヒアリングが導入されるとあっては…)。受験生が能力をいかんなく発揮し、また重大なミスや事故が起こることなく終了することを、祈らざるを得ない。私が、今のセンター試験の前身である共通一次試験を受けてから、早くも21年の歳月が流れている。私の実家は福島県いわき市だが、福島大学が受験会場だったので、高校でそろって飯坂温泉に宿泊して受験した「温泉つき受験ツアー」だったものだ。私たち、昭和57(1982)年高校入学者の代から、文部省(当時)の教育課程変更に伴い、「現代社会」と「理科I」という新規(新奇!)科目が登場した。前年まではなかった科目だから、受験雑誌も、参考書や問題集を出している各種出版社も、全く予測がつかなかった。当然、授業を受けている当の生徒であった当時の私たちは、その科目の意義など理解できようはずもない。結果として、私たちが受験した年の共通一次では、5教科7科目という凶悪な科目数を強いられることとなった。私は今でも、「現代社会」と「理科I」には恨みを持っているし、当時の文部省をも恨んでいる(笑)。私は高校時代、この2つの新規科目で挫折しかかった人間である。特に「現代社会」は、今この歳になってこそ、それが大学教育で言う「社会科学」の総合的な基礎科目だったと理解できるが、それが導入された私の年代では、教える教員もとまどい、授業を受ける我々も途方に暮れた、というのが実態ではなかったか。私が「現代社会」の教科書の中で興味を覚えたのは、倫理・哲学・宗教の部分で、問題集などでもその部分は得意。これで万全と思っていざ受験したら、実際の共通一次の「現代社会」にはそんな問題は1つも出やしない。社会科では、必修の「現代社会」の他に、私は「日本史」選択だったが――そもそも、将来進学して大学の何学部に行くのかも、全く分らない高1の段階で、社会科をどれか選べと言われたのも、今から考えれば犯罪的なことである――、いずれも社会科科目は散々な結果。後から知ったことだが、もし私が「日本史」でなく「倫理」を選択していたら、かなりのいい点数が取れたはずの出題だった。他方、「理科I」は、「物理」「化学」「生物」「地学」の基礎的な部分がミックスされたような、雑多な内容で、いくら授業を受けても何の話をしているのかさっぱり理解できなかったり、あるいは覚えるべきことがあまりに多すぎたりして、頭がパンクしていたものだ。基本的に私は、「生物」ではメンデルの遺伝の話で完全に挫折。「生物」を「いきもの」とか「なまもの」と呼んで嫌っていた。他方、「物理」も全くダメで、授業中の試験で0点を取ったこともある(あの時の屈辱感は、今でも忘れない)。小学校の時には火山に興味があり地学が好きだったはずだが、高校時代には興味が失せていたので、理科系の選択科目では「化学」を選んだ私。だが、高校3年の夏休みまで理解不能状態が続く。いずれにしても、小学生の時分にはそれなりに理科が好きだったはずの私は、中学・高校の6年間でほぼ完全に「理科嫌い」にさせられた。もっとも「化学」については、高3の夏休み中から「俺は10月から化学の巻き返しを図る」と決め、当時の参考書『チャート式化学』を用いて、10月に入ってから徹底的に自己研鑽。結果として、共通一次で「化学」は、足を引っ張った「現代社会」や「日本史」のマイナスを十分に補うだけの、得意科目にまでなった(それにしては、せっかく勉強した高分子化合物の問題は全く出なかったなぁ)。そんなこんなの受験の想い出が脳裏をよぎる。あの時私は、苦手だった数学や英語長文読解も乗り越え、クラスでトップの共通一次スコアをたたき出した(と後から聞いた。本人には実感なし)。しかし、そのスコアでは、第一志望だった東北の某国立大学法学部には若干足りない(と判断された)。偏差値的に少し低い、第二志望の茨城県の某T大学の国際関係学類を志願することとなった。これが見事に大失敗。T大学の方がはるかに難しく、私はあえなく不合格。かえって、私より共通一次のスコアが低かったクラスメートの方が、東北の某国立大学に合格した。あの時ほど、受験産業が出してくる偏差値表がいかにあてにならない犯罪的なものかを、痛感したことはない。何が「合格圏」だ? 何が「足切り」だ? そんな基準など、結果からすればみんないい加減なものでしかなかったではないか! …「大学全入時代」を迎えつつある現代では、考えられないことかもしれないが、私は受験戦争を終えて大学に入学する21年前の春には、文部省(および受験産業)に心底「怒って」いたっけ。特に、新規導入の「現代社会」と「理科I」については、「文部省によって、俺たちはモルモットにされた!」とのルサンチマンが、大学1年の終わりまで続いた。受験戦争は、3勝3敗という結果で幕引き。共通一次での高得点にもかかわらず、私は私立大学に進学した。もともと法学部志望だった私が、他に合格した法学部をけって「国際関係を勉強したい」という選択をしたことについては、いつかこの日記で書いたように「功罪あい半ば」。しかし、間違いなく言えることは、18歳の時にこの選択をしたから今の私がいる、ということだ。悔いはない。そう言えば、夕べDVDを入手した『超時空騎団サザンクロス』の本放映を、途中からちまちま観始めたのも、高3の夏ごろだったっけなぁ…。
2006.01.21
今日もまた、1日の戦いを終えて帰宅。冷たい夜風が身にしみる。この週末は雪でも降るか? ともあれ、寒さはこれからが本番である。と同時に、一方で別のことに気づく。日が長くなりつつあることだ。確かに、冬至を過ぎて約1ヶ月だから、日が伸びるのは道理だ。少し前までは、16時半にはすっかり暗くなっていたものだったが、今日は喫茶店で17時半まで一服しても、まだ若干の明るさが残っていた。帰宅すると、『超時空騎団サザンクロス』のDVD-BOXがポストに。本来は2万円台なのだが、すでに品切れのため、アマゾン上で4万円強。思い切って高い買い物をしたものだ。本当は『重戦機エルガイム』のDVD-BOXセット(2セット)を買うはずだったのだが…。『エルガイム』は人気が高いから、簡単にはDVDも品切れにはならないだろうし、見ようと思えば手元にビデオもある。が、『サザンクロス』はおそらく品切れになったらそれっきりだろうし、レンタル屋には絶対入らないだろう。1984年当時、きちんと観たとは言えないから、思い切って手に入れようか…等々と考えて購入したのだった。
2006.01.20
夕べ、ふとしたことから、「しまった! 出版社にゲラのファックスを流す時に、直すべきところを残したまま送ってしまった」と気づく。もはや手遅れかどうか、ともあれ伝えるだけ伝えようと思い、今朝、メールで出版社にそのことを伝える。内容が変わる変更ではないのだが、体裁上の全体的な整合性を考えた場合、そのまま残しておくと本になってからやたら目に付くと思ったので、細かいところだが指示を出した。「もう手遅れであれば、その場合は仕方がない」と覚悟していたところ、午前中の授業をこなして自室に戻ると出版社より返信メールが届いており、23日(月)に直せるということだった。あぁ、危機一髪、気づいてよかった。さらに出版社からは、カバーデザイン案のファックスが職場宛に送られてくる。さすがにこの段階まで来ると、「いよいよ出来上がるんだなぁ」という気持ちになってくる。
2006.01.20
出版社からの電話で、英文著書のインデックスについては昨日の(執念の)校了で一段落し、カバーデザイン等が決まればいよいよ印刷、2月の2日前後にも出版となるのでは、という話をうかがう。そもそも出版社が決まらないというところから延々と続いてきた、この英文著書出版の戦いも、いよいよ大詰めを迎えようとしている…。考えてみれば、目次にしても図表にしてもインデックスにしても、カバーや背表紙の字の大きさやスタイルに至るまで、ここまで1から10まで自分で手を入れたのは、実は今回が初めてではないか。これまでは、基本的なスタイルについては出版社任せだったから、あらかじめ一定のフォーマットが出版業界に共通にあってそれに合わせているものだとばかり思っていた。ところが今回、そうではないことを体験する。よく言えば、自分の思った通りにしてもらえる。逆に言えば、全部自分の責任で決め、出版社や印刷所にきちんと分るように指示を出さなければならない、ということだ。Ph.D.論文を仕上げる時も、もちろん相当な苦労はしたが、基本的に自分ひとりで書いているものだから、どんなスタイルにするかは全部自分で考え、自分のパソコン上の作業だけで仕上げることができた。しかし、出版となるとおのずと違う。出版社の編集者や印刷所の方々に、自分の意図が伝わらなければ、校正の時の指示が全く違った形で出てきてしまう。もちろん、他者を介在するからこそ、自分では気づかなかったミスを発見もできるのだが…。そう考えれば、今回の校正を通じて、相当多くのミスを発見したから、いかにミスだらけのPh.D.論文だったかが知れようというものだ(涙)。よくこれで、学位が取れたな。まさに、「自由」ということは「自分で責任を取る」こと。これまでのいろんな思いが詰まったものが本になるわけだから、自分の書いたものには必然的に、愛憎あい半ばというアンビバレントな想いがつきまとう。本来、苦しみと楽しみというものは、一つのものを作り上げ仕上げていく上で、常に表裏一体の関係にあるものなのだろう。産みの苦しみを乗り越えるからこそ、そこには言い知れぬ「歓喜」「随喜」が湧く。困難を避けることからは、決して生じない喜びなのだろう。もっとも、出来上がった後で誤植を発見するとショックだから、本となった後は怖くて読めずに、書棚のインテリアとなって終わるのだろうな(苦笑)。
2006.01.19
午前中に1つの会議を終え、昼食を済ませ、次の会議まで約2時間。ボリボリとスナックを食べながら、ドブソン訳にたずさわる。スナックの中身は、チョコレートならぬミックスナッツ。カシューナッツにアーモンドに生クルミ。ついつい口淋しい時には、こうしたナッツ類が無類に食べたくなる(だから、チョコレートを選ぶ際も、ピーナツやアーモンドの入っているものに限るのだ)。そんないかにも不健康そうな自分の姿を、ハンニバル・ゲンにだぶらせてしまう。バッフクランの武人で、大型戦艦ガドモア・ザンで戦いの指揮をとり、自らも重機動メカ・ギド・マックを駆ってイデオンとの戦闘に出た猛将である。彼は、部下から報告を受ける時にも、戦いの指揮をとっている時にも、常にピーナツのようなものをボリボリ食べていた。最終的に彼は、準光速ミサイルで衛星を破壊してナイト・スターに落とし、イデオンとソロシップを押しつぶして葬ろうという作戦に出て、スターダストでのイデオンとの激戦の末にギド・マックもろとも散っていった。劇場版イデオン『発動編』のラスト、人々の再生シーン。本来なら、最後の最後に目覚めたユウキ・コスモをハンニバルが迎えて、「待っていたぞコスモ。好敵手と言えるな君は」というセリフを吐くはずだった。が、劇場版にはハンニバルは登場せず、せっかく映像化されたラストシーンなのに彼はオミットされた。玄田哲章氏の、あのドスの効いたしぶい声が聞けなかったのは残念である。…何てコト書いている暇があったら、翻訳を進めねば(ボリボリ)。
2006.01.19
会議の2時間半前に出勤。今日も寒い一日になりそうだ。「凍てつく空気に 霜柱 吐息が白い 冬晴れの空を 突如切り裂く ○○の叫び 急げドラゴン アコードワゴン 少壮の学徒の 良心は痛み 怒りを込めて 突き進む 原稿の〆切 なんのその とどめの一撃 火を放つ」○○には何が入るんでしょうね? 自分でも思いつかないのでそのまま残しました(汗)。
2006.01.19
昨日、今日と、久本雅美に関するビデオを見る機会があった。どんな人にもよい面がある。そこを見出し、ほめてあげる。その繰り返しの中に、わはは本舗のメンバーの団結が生まれている…というくだりは、感動的だ。100パーセント善人という人はいない。と同時に、100パーセント悪人という人もまたいない。生まれてこのかた一度も反省したこともないような極悪人でも、自分の妻子を愛する慈愛の心を持っている場合だってある。ならば、善にも悪にもなりうる人間の生命の実相を見据えた上で、相手のよい面を見つけて伸ばしてあげられる自分でありたい、またそうならねば――と思った。もちろん、悪い面にふたをすればいいというものではない。相手のよい面を伸ばしてあげるということは、悪は悪であると言い切ることと、表裏一体。「怒りは善悪に通じる」とするなら、悪を放置するのは優しさでも寛容さでもない。悪に対して怒れる自分であらねば。相手を単純に「善玉」「悪玉」と決め付けるのではなく、不断に悪を断ち切り善を生じる、営々たる作業を、地道に続けていくよりないのだろう。(1月19日記す)
2006.01.18
心身のスランプの中、押して押して押しまくった1日だった。心がスランプの時、頑張ってしまうことが危険であることは、百も承知。だが、やるべきことは目の前に厳然と存在する。それらに真剣に取り組むことで、気がつけばスランプの闇も消えうせつつある。まことに、人間の心と身体は精妙にできている…。英文著書のインデックス作成。1日遅れで、職場に3度ファックスが入る。同僚の有難い手助けもあり、あれだけ手こずったインデックスを夕方には校了にすることができた。土日、心身のバランスを崩すほどに頑張った甲斐があった、というものだ。自分で自律することは重要なことだ。しかし、いくら力んで踏ん張っても、それだけではどんなに強そうな人間でも、倒れてしまいかねない。だが、しっかりとした支えを得ることで、どんな強い風に吹かれても倒れない自分でいられることもある。所詮、人間は、人と人との間で生きるよりない。ならば、「自分のことで精一杯」という自分から、「他人のことが心配で仕方ない」という自分へと、脱皮したいものだ。そんなことを考えた、夕方のディスカッション・ミーティングであった。
2006.01.18
今年に入って最初の、手ごわいスランプである。「いつ 目覚めるのか いつ 開くのかと 待っているだけの 淋しさならば 疲れた心に in light, true light, shower それが それが 今 スターライト・シャワー」夕べ再見した『エルガイム』の名残であった。「時」を待ち、「時」を作る勇気。勇気と表裏一体の「忍耐」。「大変な」時とは「大きく変わる」時。変わる時には、いろいろなことが起こる。それに直面した時、「賢者は喜び、愚者は退く」。グシャグシャになってたまるか!
2006.01.18
「レッシィが何を言おうとしていたか、分った。俺自身が、もっとハッキリと決断しないと、危険なんだ」――夜、このセリフを無性に聞きたくなって、ビデオ『重戦機エルガイム』30話「アワー・マスター」を観る。何度も観直したビデオだが、今回観るのは実に久々だ。昨日、今日と、いささか内面の動揺を感じないでもない。やることはやっているつもりだが、実は「つもり」であって、惰性に流されているのかもしれない。新年を迎えたというのに、果たして自分に、今年何を目標とするのかについて、明確な決意があっただろうか? 「相変わらず」、目先のことに追われてしまっているのだろうか…? だから、元気が出るどころか、小さなことに一喜一憂してしまっているのかもしれない。これまでの戦いで、さんざん苦杯をなめてきたダバ・マイロード。だから、少々増えた味方の数を頼みに焦って打って出ることの愚かさを、身にしみて分っている。同じ轍を踏まないためにも、我と我が心を戒める――「動く時は、必勝でなきゃならないんだ」。人知れず涙を流しながら、こうつぶやくダバの決意の深さを知るものは、誰もいない…。そして、最後にはついにダバは、率先して反乱軍のリーダーと立って、「打倒・ポセイダル」の旗を掲げるに至る。そうだ。成り行きに任せたり、周囲にあわせてばかりいてはダメなのだ。「自分は」どうするのか、「自分は」どうなりたいのか、しっかり決めて、行動しなければ。改めて、「俺自身が、もっとハッキリと決断しないと、危険なんだ」。決着のついていない諸問題に、ひとつひとつケリをつけていく1年にしよう!
2006.01.17
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「星空のどこかに ふるさとがある 愛する人が 俺を呼んでいる 悲しみの重さに うつむく夜は 瞳を上げるのさ 銀河の彼方へ 『立ち止まるな 弱音を吐くな 夢を あきらめるな』 数え切れない 光がささやく あたたかい 星空のメッセージ」疲れきった頭に、ギャバンの「星空のメッセージ」であった。
2006.01.17
八戸時代にお世話になった、近所にお住まいだったA氏。青森県警の警察官だった。そのA氏から、久々に14日(土)に留守電が入る。折り返し電話したのが15日(日)だったが、やはり八戸時代にお世話になり、現在は弘前にいる自衛官U氏のお母様が亡くなった、ということを私に知らせたかったのだそうだ。U氏は一昨年、イラクのサマーワに3ヶ月間派遣されていた。U氏もA氏も、私にはかけがえのない八戸時代の友。早速、U氏には弔電を送った。A氏もまた、過酷な状況の中で使命を全うしている。単身赴任で、下北半島の北端・大間にいるのだ。家族とも会えない。いろんな意味で孤立気味である。しかし、それが任務である以上、逃げるわけにも行かない…。まさに、風雪の本州最北端で、孤絶の戦いの日々であろう。今日、ある新聞からの引用で、彼の携帯に激励のメールを打った。「誰もが、不可能とあきらめてしまうことも、やり方次第では可能となるのだという確信と、そうしていくための賢明さを身につけていただきたい。」そう言えば、数年前の新聞の切抜きを数日前に発掘し、自宅の机の上に置いてある。「『困難があるからできない』は敗北者! 『困難があるから戦おう!』が勝利者!」
2006.01.17
土日をつぶして、今日の午前中に必着で出版社に送った、英文著書のインデックスのゲラ。本来なら、私の校正をもとに修正された原稿が、今日中に職場にファックスされるはずだったのだが…帰宅したら出版社から電話。さすがに、私が真っ赤にしたゲラを見て驚いたのだろう、担当者の方が開口一番「大変だったでしょうね」。そりゃ、もちろん、大変でしたよ! しかし、出版助成金を職場からもらっての今回の出版。年度内に出さなければ支払いができないとなれば、「執念」で〆切を守るのがスジってもんでしょう。もっとも、それで日曜日は体調がすぐれなかったから、やはり自他共に認める「過酷な作業」だったことには違いあるまい。結局、出版社の方でも、手直し作業が大変なため、今日中に私の元へファックスするのは不可能となった。明日になるか、あさってになるか…。その一方では、John Keane 教授の Civil Society と Uncivil Society に関する日本語論文の、再校を事務局に提出した私であった(さらに念校があるらしい。助かる)。これは、2004年度にもらっていた個人研究費の成果の一部となる。そう言えば、2005年度にもらっていた学内の研究費は2種類。本来なら、両方の研究成果を1年後には形にしなければならない。しかし実際には、一方の研究費の内容(アイデンティティの政治)については、ほとんどケニー訳で費やされたし、その翻訳を持って研究成果に替えるというわけには行かない。他方の研究費(カール・マンハイム再考)についても、資料を集めただけで、読み込むことは全く手をつけていない。それらの両方について、これから1年かけて成果をまとめるというのは、現実の作業を考えてみると空恐ろしいものがある。これも、最後にモノを言うのは「執念」か。
2006.01.16
今頃「あら!」と気づいたことがある。このブログの管理ページには、言うまでもなく私がお気に入りに入れているブログの皆さんの「おすすめ新着」一覧が載っている。たまたま隣あわせになっていたのが、私の職場の同僚のブログと、北海道の知人のブログ。最新日記のタイトルが、方や「しずけさやぁ~」、方や「ありがたやぁ~」。う~ん、似ている!!「だからどうした」というツッコミは、人権蹂躙である(??)。
2006.01.16
私のゼミ生の1人で、隣国からの留学生がいるのだが、ハンナ・アーレントに関する卒業論文を仕上げつつある。そのドラフトを読みつつ、感慨深いものがあった。日本人でさえ手こずる、日本語で書かれたアーレント関係の書物を、その留学生は的確に読みこなし、ある意味では日本人以上に立派な日本語で文章化している。論理構成もそれなりにしっかりしたものであり、相当苦労して勉強したあとが見られた。いつもいつも、自分に自信がなさそうで、なかなか書いたものを持ってこない学生だったが、いざ持ってきたものを読ませてもらうと、見事なできばえであり、こちらが非常に勉強させられる。その学生のドラフトを読みつつ、ふと自分の留学時代と重ね合わせる。――私もまた、構想は頭の中にありながらも、それを的確な文章として出すのには恐ろしく時間がかかり、シェフィールドの指導教官たちにはいつも断片的なものしか出せなかった。しかも、留学を途中で中断して帰国・就職したのがちょうど今から10年前。そこから先は、働きながら6年かかって、日本にいながら英語でPh.D.論文を書いた。それもまた、労働の合間しか研究時間がなかったため、指導教官たちには常に思考の断片しか伝えられなかった。Anthony Arblaster 氏も、Andrew Gamble 教授も、また Michal Kenny 氏も、内心「ヤマダはPh.D.を仕上げられずに終わるのでは?」と思っていたかもしれない。しかし、提出期限ギリギリのところで執念で下書きを終え、一気に指導教官たちに送ったのが、2002(平成14)年の1月。指導教官たちは、ここで初めて、私が何を考えていたのかの全体像を見ることとなった。そして、Gamble 教授から届いたメールでは、開口一番「very good」だった! ただし、私の英語は余りにひどいので、ちゃんとネイティブに校正を受けよという注文はついていたが…。ともあれ、粘りに粘り、最後には教官たちを唸らせることができた。「最後に勝つ」――これが私の決意であったし、それができたことはささやかな私の誇りである。今、私の元にいる留学生の卒論を読みつつ、そんな私の学位取得のいきさつが脳裏をよぎった。
2006.01.16
ゲストさんが、アクセス20000の切り番をお踏みになった。感謝感謝。
2006.01.15
英文著書のインデックスのゲラ。夕べ深夜までかかって、凄まじい量の校正を行なう。校正紙は赤だらけで、何をどう直したのかすら印刷所で判別つかなかったりして?? 夕べは頭が疲弊して、午前2時で一旦打ち切って布団に入ったら、今日は午前中ほとんど死んでしまった。起き出して、体調のすぐれない中で最後の見直しを行い、見落としていた箇所をいくつも発見。ともあれ、死闘の末、近くのコンビニから、出版社に明日の午前中着で宅急便で送る。これで、1つの困難は乗り越えた。残るは、やはり明日までにやらにゃならない別の困難。しかし、ちょっと一服しようか…。
2006.01.15
午後には、いつのまにかザンザ降りの雨になった三島。夕方は、外からゴロゴロと音が聞こえるが、雷雨にでもなっているのだろうか。それにしても、ドラゴン山田に過酷な時がやってきた。来週提出〆切の卒業論文の指導を、今になって2人の学生が求めてきた。月曜日までに、添削を行なわなければならない。その上、出版社から届いた英文出版のインデックスのゲラが、明日までにおびただしい修正を迫るものであるために、ドラゴン山田の週末の予定は完全に狂ってしまった。この、2大困難に挟撃されたドラゴンは、果たして勝てるのだろうか?(夕陽を背に、グドンとツインテールに挟まれているウルトラマンの姿を思い浮かべたあなたは、なかなかツゥです。)
2006.01.14
しばらく晴天の続いた三島だが、今日は雨が降ったりやんだり、すっきりしない空模様である。職場の同僚(と言うか人生の大先輩)と出くわしたら、「疲れてませんか?」と言われてしまった。そんな顔をしていたのだろうか。1月14日。新年も2週間が過ぎた。「もう2週間が過ぎた」と言うべきか、「まだ2週間しか経っていない」と言うべきか…。それにしても、夏休みであろうと師走であろうと、その年に初めてあった人には片っ端から「明けましておめでとうございます。今年も宜しく」と言ってしまいそうな私だったりして…?
2006.01.14
“友人が悩みや困惑を打ち明けてくれた時、彼らを勇気づけることのできるものは何か?” ジョルジュ・サンドによれば、それは“自分自身の経験から引き出した話”であるという。「『私も同じ苦痛を味わった、私も同じ暗礁に乗り上げた、そして私はそこから脱出できた。だからあなたも治り、打ち勝つことができるでしょう』これが友人が友人に語ることであり、人が人に教えることである。」「他人に最も働きかける力があるのは、最も試練にあった人である。」いい言葉である、と実感。
2006.01.13
インドの詩人バルトリハリの言葉だそうだ。「劣った人は障害を恐れて何も企てない。 普通の人は企てても障害にぶつかるとやめてしまう。 最上の品性の人は幾度も障害にぶつかっても企てたことを決してやめない。」至言である。
2006.01.13
日本経済評論社から、マイケル・ケニー著『アイデンティティの政治学』邦訳の書評が載った『図書新聞』のコピーが届く。評者は、新潟大学助教授の向山恭一氏。かなり的確な読みをなさっておられる。私はどなたかの本の書評をまともにしたことはないが、短期間のうちに読んで内容を的確に把握した上で評するというのは、なかなか難しいことではないかと思う。
2006.01.13
今年2006(平成18)年から2010(平成22)年までの5年間を、100年に匹敵する価値あるものにしようとすると…、1年間で20年分の人生を生きることになる。1日で、20日分にも匹敵する生命を燃やすことになる。そう自分で決めれば、力と智慧と勇気が湧く!夜、20分の時間があれば何ができるか? 朝、少し早く起きるだけで、どれだけ多くのことができるか? ひたすら、自分自身に問いかける。否、問いかけるだけではダメだ。実践が伴わなければ。「本物の決意には、本物の行動が伴う。」
2006.01.12
「自分は一般世間のことにあまりにも疎すぎるのではないか…」と、実にしばらくぶりに省みる。もともと視野が狭く、特定のことについてはトコトン深く追求するものの、それ以外のものには目が行かない、というのが小学校時代からの私の傾向性だった。その傾向性に、大学生時代には随分悩んだものだったが、やがて自己否定から開き直りに転じ、「中途半端じゃなく、徹底的に深めてやろう」という方向に走った。そして、特定の「個別的な」ことがらを深く深く掘り下げていくうちに、あらゆるものに通じる「普遍的な」地下水脈を掘り当てる、という経験を何度もしてきた。こういう自分だが、昨日の会議でふとしたことから、自分は極めてミクロな次元と、極めてマクロな次元は得意だが、その中間領域――普通の人々が当たり前のように知っている次元のこと――がスッポリ抜け落ちているのではないか…と改めて考えた。カッコよく言えば「反時代的」、悪くすると「世間に背を向けているだけの無知蒙昧な人間」。確かに、「日本のメディアは信用できない」とか言って、新聞もテレビも決して好きでない私。今、何が話題になっているのか、今、人々の共通の関心事は何か、等々といったことにはほとんど関心の薄い私である。これでいいのか? そういう自分を変えなければならないのではないか? 夕べから今朝にかけて、かなり真剣に考えた。だが、今日の夕刻、同僚のH助教授と雑談する中で、必ずしもそういう自分を否定する必要もないかと思えてくる。そもそも私がずっと専門分野として追究してきたのは「大衆社会論」だが、新しい商品を購入し消費するだけの「経済的な」ことにしか関心が向かない時代や社会を、批判する目を持っているのが大衆社会論であったはずだ。ことさら時代に反逆する必要はないものの、しかし「自分はそういう生き方からは距離を置きたい」というのも、自分のあり方として一つの選択だろう、と改めて考え直す。無論、時代がどういう方向に向かっているのかを「知らない」のではまずい。「知った上で」批判するのでなければ。
2006.01.12
英文著書 Democracy and Mass Society: A Japanese Debate も、いよいよ出版間近となってきている。昨日、出版社から依頼があり、書店向けに200字程度で本書の「宣伝文」を作成して欲しいとのこと。内容を的確に表現し、かつ「売れるように」宣伝する、そういう文章を書くというのは、決して易しいものではない。が、一気に書き上げて勝負を決した。こういうことは、ズルズル時間をかけてやるべきものではない。それから、これも昨日連絡があったことだが、昨秋出版したケニー訳書『アイデンティティの政治学』について、『図書新聞』に書評が載ったとのこと。私自身はまだそれに目を通してはいないが、いかなる評価がされているやら。今頃になって、ある単語への的確な訳語を知ったりしているので、訳文への批判などが来たら冷や汗ものである。内容そのものは著者の責任だが、それを日本語できちんと伝えられているかどうかについては、われわれ訳者の責任である。
2006.01.12
寝坊~出勤~2時限目授業~会議~学生相談室にてコンビニおにぎりの昼食~必死の教材コピー~4時限目授業~論文の2校目を手にする~大量のメールチェック。すべて終えて、自室にて熱いコーヒーとスニッカーズ。今日も日が暮れようとしている…。
2006.01.11
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