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2005.05.11
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学習意欲を「内発的」とか「外発的」とかでは捉えることができないのは、どうしてだろうか。

佐伯氏は「イメージ化による知識と学習」のなかで、「『知的好奇心』に動機づけの原因を帰する場合の難点」として、次のように述べている。

 ・・・・・

 もう一つの難点をいおう。「知的好奇心」は、オヤからさずからなかったらどうしようもない―つまり、もともと何事にも好奇心を持たないならば、持ちようがない―か、あるいは、ヨソサマが最適条件を用意してくれなければどうしようもない。要するに、知的興味がわかなければ、自分の遺伝子の中に「好奇心」を組み込んでいなかったオヤをうらむか、「好奇心」をひきおこさないそういう環境をうらむか、自分をそのように「鈍感」に育てた教師をうらむか、そのいずれかであり、いずれにしても、わたし自身では、どうしようもないことである。もしもこんなことならば、「内発的」といいながら、「ヨソサマ」に帰因されるべき「外発的」なものという以外にはないではないか。
 さらに気にかかる点がある。知的好奇心は手品をみたっておこる。不思議だなあという実感はわく。しかし、「知的探求」の行動は発生しない。「どうせタネやシカケがある」と判断した地点でストップする。また、いろいろな錯覚現象も、認知的不調和をもたらし、知的興味はわく。エッシャーの描くあの「不思議な世界」の絵画はたしかに人目をひきつけるが、それをいくらながめても、そこから新しい知識は生まれてこないであろう。
 知的好奇心をかき立てられることと、知識の獲得と創造の活動とは、どこまでいっても平行線のままのように思えるが、いかがなものだろうか。

 ・・・・・

ここで注目すべきは、「知的好奇心」と「『知的探求』心」とは異なるということである。子どもたちを「知的探求」にかりたてるものは、個の興味・関心に依存するものではなく、共同体との関係としてかかわりあいのなかでうまれるのであろう。





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最終更新日  2005.05.11 14:58:18
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