授業研究のあしあと

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2013.12.19
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カテゴリ: その他
前回のblogのつづき。

「借り物の言葉ではなく「『切実な言葉』による授業研究」。鹿毛雅治先生(慶應義塾大学)は著書「子どもの姿に学ぶ教師−『学ぶ意欲』と『教育的瞬間』−」(教育出版 2007)で次のように書かれている。

・・・・・

 この悲劇は「評価とは見ることである」という通念を鵜呑みにしたことから生じていた。「見る」行為で問われるのは「見られる対象」としての子どもである。そのような授業研究で積み重ねられるのは、子どもの「情報」ばかりである。しかし、授業研究を通して教師の「見える力」を大切に扱いたいのならば、評価を「見ること」ではなく「見えること」として捉え返さなければならない。「見える」といったときにはじめて「見える主体」としての教師のあり方が問われるのであり、自らの見え方を吟味することこそが、授業研究の目的そのものだからである。

・・・(中略)・・・

 授業研究とは「かたち」を整えることではない。借り物の言葉で指導案を埋め尽くすことでもない。ましてはひとごとの言葉が形式的に飛び交うような授業研究会をつつがなく執り行うことではありえない。切実な言葉を交流させることを通して、子どもや教師の姿に気づき、授業の奥深さを「自分ごと」として体感していくプロセスそのものが授業研究なのである。
 まずは、自分の内から湧き出る言葉で実践を語ってみよう。

・・・・・



私は今、そんな「よこしまな」授業研究をしているのではないか。この鹿毛先生の本は、7年前に何度も読んだつもりなのだが・・・。





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最終更新日  2013.12.19 09:32:22
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