授業研究のあしあと

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2013.12.25
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カテゴリ: その他
「教師自身が、目の前の子どもが経験していることをストーリーとして語ることができなければ、子ども一人一人の『学びのストーリー』を大切にすることなどできない。」

これは、つい最近まで私が「『学びのストーリーをつむぎだす』のは子ども自身」という誤解をしていたことに気づいたときに、このblogに書いたもの。このことについて、秋田喜代美先生(東京大学)は著書「学びの心理学 授業をデザインする」(放送大学叢書 左右社 2012)の中で、次のように書かれている。

・・・・・

 そして第二に、授業を見あい聴きあうことを軸にした研修にすることである。授業研究を話しあい、振り返りのばと捉える人は多い。しかし検討会での話しあいの前に、まず研究授業の中から、いかにの目の前の授業を見聞きし豊かに可能性を見出すかが授業研究の可能性を拓くカギになる。

 ・・・(中略)・・・

 このとき、ポストイットやメモ、模造紙に断片的にやったことを書くだけの記録と、物語として授業の世界をみる記録とでは、学びの捉え方が違ってくる。授業をうまい下手、良い悪いで見ていると、「この子はこんなことをしていた」という行動事実だけを書いてリストにして終わりがちである。しかしその事実を手掛かりに、この子どもはこのように考えていたに違いない、こうした子ども同士の関係があったに違いないという推測ができると、それがそれぞれの子どもと学習内容、子どもと子どもや教師の関係の物語を読み取るカギとなる。教育学的推論、推理ができることが教師の専門家たる力量である。だからこそ専門的見方を共有するには断片ではなく、特定の子どもや特定のグループの学びの流れを捉えて、ストーリーとして語れることが求められる。

 ・・・(中略)・・・

 たとえばある子どもが特定の所では授業から離れていても、ある部分ではまた学び始める。そこにはある理由が推論できるだろう。授業に参加できていた、いないではない、その子どもの内面で起きていることを読み取ることが、教材や教師の働きかけのありようを深くとらえる鏡となる。見通しと振り返りを語りあうことで、過ぎた授業のことでありながら、語りが未来を生み出していくのである。

・・・・・



授業研究会で「一人の子どもの未来」が生み出されるような語りができない「私」は、やはりこの1年間「よこしまな」目的で授業を見ていたのだろう。





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最終更新日  2013.12.25 11:55:44
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