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◆私は世界が汚いことも、人間が醜い者であることも知っていた。それは小学五年生から。 綺麗なのは物語の中だけだと気がついた。 涙は醜い。 浅ましくない人間なんていない。 正義は負けるものだと。 そして大人は自分や他人や世界を誤魔化してなんとか生き延びているだけだと気がついた。 そんな大人になりたくなった。 私の思っていた大人はそんなものじゃなかった。 だからこそ私は私を貫き通したいと思った。 私は私で在りたい。世界を捻じ曲げて都合のいい解釈なんてしないで、ありのまま受け止めて生きていきたいと。 真摯に生きていきたいと願った。 覚悟した。 そこからが地獄だった。 それまで私にとっての世界というのは清く正しく美しく、間違いは正され、正義は勝つ。 妖精がいてもおかしくない、そんな世界だった。 しかし現実に妖精などいないし神もいない。全ては偶像人間の欲の化身、正義は大体負けるもの。筋が通っていればいいわけではない。筋が通っていても、めんどうならば淘汰されるのだ。多数決で負けるのだ。 悟ったから、私は静かに生きようとしたのだ。 けんたという邪魔はある意味私を救ってくれた。けんたは馬鹿なので世間なんて知らず子どものまま、子どもとしての感情で生き子どもとしての感情をぶつけてきた。 けんたとなら私は在りのままでいられた。 これはとても救いになっていたと思う。5、6年生の記憶の殆どがけんたなのもそのせいだろう。 でも、この頃から人間不信が高まった。 必要じゃない人間なのだと少しずつ気づき始めていたし、人間が人間を本当に信じるなんてあり得ない、どこかでみんな陰口を叩いたいるんだと思った。広瀬のせいだ。 ここで親友すら信じられなくなり、手のアトピーと潔癖が相待って私は自分を醜い、人に触れる身体じゃないと認識するようになった。それでも私は全て正しく理解し受け入れ、その上で生きようとした。強かったのだ。負けるわけにはいかなかった。それは自分を否定することに繋がるから。 だからこそ中学時代に安定剤を勧められて私は断った。忘れるなどあってはならない。私は全てきちんと受け止めなくてはならないからだ。 そうやって、そういう志しが常に中心にあった。気高いものでありたかった。 清く正しく美しく、そう生きたかった。 その信念を貫き通した結果私は瓦解し、結局記憶も落ち、記憶力もなくなり、というか脳の機能そのものがおかしくなり私もおかしい人間の仲間入り、都合のいい大人の仲間入り。 これでは生きていても嬉しくないのは当然だろう。在りたい自分ではないのだから。 自分に正直に。 真っ直ぐに生きる。 純粋な心を忘れない。 これができない今だから、自己嫌悪はしゃーないのか。むしろ結婚当時はよくできてたな……。今は人を心から信じることもないしね。あーあ。そりゃ自分の命軽んじるわけだわ。 こんな自分なら捨ててもいいもんね。つーか持ってて良いことがないもんな!
2014.10.02
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◇昔は16歳だった。そんなの当たり前だけれど、なんだか、私は16歳をとても愛おしく思う。そして、まるで懐かしくない。17歳はどこか遠い。でも16歳は、私にとって、何か大切な時期だったような気がする。色々なものが変わった時期だったと思う。何もかもが変わった。がらりと。その後はただ堕落して過ごした。静養という名前がついた堕落に甘んじて、いよいよとなった頃には妊娠。立ち上がってすぐに妊娠した。夢も失ったけれど、それ以上のモノを得た。命を得た。でもいまの私の手の中には何がある?16歳がとても身近に感じる。16歳は様々な転機だった。きっと今、16歳を身近に感じるのは、今の私もまた「転機」に立ち会っているからなのだろうと思う。まあ確かに色んなものが変わったけどな、一気に。でもそれ以上の何かが待っている気がする。予感。プレッシャーにも、似ている。脱皮のトキ。心の中で後ろを振り返る。薄暗くて何もない。けれど考える。この背に背負っている物はなんなのだ?重たく感じて、息苦しくなる、この重圧的な物は一体何なのだ。正体不明。こういう時は、占いでもして、背中を押してもらいたくなる。恐怖が。洗っても洗っても取れない染みのようで。私はそれから逃げる。逃げて逃げて、走って、止まった瞬間に我に返って恐怖にのまれる。こわくてたまらない。なにが?さあ、なんだろう。未来が、変化が、すべて怖い。いまの私は、脆弱だから。立ち向かう力が欲しい。立ち向かう力を、自分で作って生きたい。まだ、早いだろうか。
2009.05.05
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◆なんていうかなあ、自信がないのに、私に声をかけてくれるヒトは思いのほかいたりして、不思議で不安でしょうがない。どうして私なんですか?なんとなくそれは聞けなかった。どうして私と結婚したの?なら、よく聞いているけど。私は全く持って自分に自信がない。誰かに好かれるような人格とも思っていないし、小説とかでも、才能があるようには思えない。声をかけてもらえるほどの実力とは思ってない。ただいつも、夢だけは見ているという、だけだ。できるだけ他人に害が及ばないようにはしているつもりだけど、その努力が実っているかはわかんない。あ、烏が鳴いてる。そんな時間か。こんな時間になったのも、人生で二度目の奇跡に出会ったからで、娘が寝ないとパソコンに向かえないから、です。なんで私なんですか?前の時はたしかそう聞いたな。遠まわしに。素っ頓狂にも思える予想外の答えは、私の欲しいものとは違っていたけれど、私を納得させるのには充分だった気がする。でも今も思う。どうして私を選んだんですか?時折、私には、身に余るほどの奇妙な人が寄ってくる。私が望んでいる人が寄ってきたことは少ないけれど、よってきてくれた人はみな光栄と言うにもあつかましい程の人だったりする。私には何があるんですか?私には何かがあるんですか?私が夢見るように、私には何かがあるんですか?それとも冷やかしですか。よくわからなくて、不安になる。でも寄ってきてくれる奇妙な人たちはみな、優しい。不思議だ。私の中にはこんなにも自信がないというのに。不思議だ。私自身の中身はこんなに空っぽで、私以外のもので溢れているだけなのに。不思議で、不安だ。◆どう転ぶにせよ良いことには違いないので、チャンスには乗っておくことにする。でもパソコンには娘が向かわせてくれなくて、少しいらいらした、今日。どんよりした今日。でも思いっきり考えたら、答えなんかでないけどすっきりした。落ちるところまで落ちたらぽちゃんと音がした。そしたら頭の中が一気にクリアになった、だけ。がんばってみませう。◆頭の中で流れている歌。シンデレラの、たとえつらいときも しんじていれば 夢はかなう はずねえ、私は夢は見ているけれど、何を信じているのかな。
2008.10.12
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◆あたしはたぶん、一番に置いてきてしまったのは、夢、で。それまでの生きがいを置いてきて、代わりに命を得た。だけどそれは、あたしのものじゃないのよ。最近妙に不安になる。夢がないのに、目標がないのに、どうしてみんな生きていられるの?そんな、むなしい世界で。◆もともとない文才は、書く量と、読書量により、大幅に減少。むしろ皆無。おもしろい文章ってなんなの?こんな年になって、こどももできて、それでまた一から夢を追いかけようなんて、そんなの素敵で、そして愚かじゃない。愚かなことなんてもうできないよ。あたしは、もう、自分本位で生きていてはだめなの。全力を注ぐのは子供に。その他の力で、自分を形成しなくちゃ。趣味とか、仕事とか、そういう、目に見えるもので自分を形成しなくちゃ。自分がどろどろの液体じゃ、こどもはどうやって頼ったらいいの?せめて固形になろうね。ああでも、一度、諦めたけどさ。少しだけ時間ができるようになって、少しだけ文章を書くことだってできるのに、なくしてしまったものの前に絶望して、がんばれない。だってあたしは全力投球がしたかったの。すべては小説のためにあった。あたしの生活のすべてが小説につながっていた。あたしの、脆くて敏感な心は、あえて維持していたのよ。失くしたくないものだったから。それがあたしの、文章の、一番の武器だと思っていたから。きっといつでも、それを失くして人生楽に生きることだってできたよ。でも絶対にそうしたくなかった。だから強くなろうと思っていた。強くなれば、いろいろなコトに敏感になっていても、自分は影響を受けずに自分を同じ形で維持できるかな、って。思っていたの。思っていたんだ。譲れなかったんだ。それなのに母性って不思議。それを捨ててでもって、思えるんだものね。◆悲しいよ、悲しいよ。でもだからそれがどうしたの?変わってしまった自分が悲しいよ。すべてにやさしくない自分が悲しいよ。世界を美しく受け止められない自分が悲しいよ。だからどうしたの?それでも生きていられるじゃない。だからどうしたっていうのよ。優しいゆりちゃんじゃなくなったって、純粋じゃなくなったって、汚れたって、その方が生きやすいじゃない。傷つかないよ。知ってた。だからあたしはどうしても、大人になんて、なりたくなかったんだ。◆でもいまあたしの足元で寝ている娘はかわいくて、愛しくて、もう本当に、繭玉のように大切にしなきゃって思うよ。本当だよ。第一に優先するのはあの子だよ。まあその感情すら一度壊されたけど。あたし、最近愛を失いました。愛することも、愛されることも。箱にしまいこんで、捨てました。だからいま、娘を愛しいと思うのも、前と同じ感情じゃあ、ないんです。一時期より全然マシだけど、それは、安定剤のおかげなんだもの。安定剤なしでは愛せない。誰よりも大切なはずなのに、大切に思えない苦しみ。あたしは、愛する娘を失いました。新しく得たのは、旦那の娘。悲しくてしょうがないけど、それでもこのままがんばっていくしかない。あと何年かしたら、あたしは前みたいに、愛しくてしょうがないと、思えるようになるんだろうか。娘を。あのころはつらくても苦しくても最高に幸せだった。娘に関してはもう毎日が、天国かのように幸せだった。むしろ娘が天国とも言えるぐらいに。いまは、普通に幸せです。つらくも苦しくもなくって、普通に幸せです。最高地点はいつか落下するものだよね。きっと、そうだよね。◆自分への言い聞かせじゃなくて幸せだよ。でも愛という幸せっていうよりは、充実した幸せって感じで、あたしはまだ若いから愛という幸せの方が好きってだけの話ですよ。慣れりゃいまの方が幸せに決まってる。
2008.07.20
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◆私はよく、『~ができるほど大人じゃない』と言ってしまう。だって実際、一年ぐらい前まで中二病だったんだぜ。死にたい消えたい勇気が無いっていう、そのぐるぐるの中で、薬とお酒に溺れて起きながら夢を見てた。夢を見始めたのは中二で、そこから少しも成長しないでぐるぐるしてた。時々居眠りをするように夢から覚めて、衰弱した精神はすぐ夢に戻ってくる。毎日、罪悪感と敗北感の中で腐ってた。なのにいきなり、一足飛びに大人にはなれないんじゃない?すべて張り詰めてぼろぼろになって瓦解するさ。瓦解するのが怖いからがんばらない自分を正当化。しょうがないじゃないって、諦める。だって、しょうがないじゃない。責任感と、大人とは、一緒なの?大人になれば耐えられるの?大人になるのと冷めて諦めるのとでは紙一重で、でも全く違うものなのに?急げば諦めてしまうんだと、思うよ。そしたら全部終わりだ。こどもの前では他の大人を盗み見て、理想像に擬態しよう。できないだろうけど、がんばろう。でも、なんで、これが、甘えなの?貪欲すぎるのはそんなにいけないこと?いけないことなんだ、と思うけど。まだあたし、ネバーランドにいるまま。体だけ抜け出して、心はそのまま。まだ二十代にもならないのに、そんなに、そんなに、諦めなくてはいけないの?一緒にいるために、一緒にいたい理由を、削って捨てなくちゃいけないなんて。ああこんなコトが書きたかったんじゃない。でも、どうしたって、自分が正当化できない。でも正当化したがる自分がいや。時間がろ過してくれるまで待っては、くれないのかな。書かなければよかった、こんなの。自分の穴がいっぱい見える。見えすぎて嫌だ。愚かなら自分を擁護して自己満足に浸れるのに。いつか大人になったら、なったら?どんな明るいことを書こうとしていたのか、もう忘れちゃった。◆いつか、大人に、なったら、人と人との、真っ当な距離を、とれるようになるんだろうか。それだ、これだ、これが書きたかった。住み着いて離れない洞窟のように果てが無い孤独感も薄れて、ひとりを好むことができるようになるんだろうか。ひとりの時間が欲しいと思うのだろうか?距離を置けなくて、近すぎて、いつも失敗する。それは寂しいからだよ。寂しくて、いつ捨てられるのか不安で、隣にいないと怖いからだよ。諦めるのではなくて、信じられるようになったら、どうにかなる気がする。で、それは、時間が必要なのだと思った。もっと、自分の生きてる世界に慣れなくちゃ。拒否してた世界を受け入れ始めて、まだ一年とちょっと。慣れなくちゃ。そしたらきっと。
2008.05.04
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◆捨てたものは数え切れない。得たものは計り知れない。そうやって過去ばかり見ている私じゃ、きっとどこにもいけないまま。◆みんな知ったかぶってる。あたしだって、彼だって、彼女だって。理解したふりして、なにも分かち合えていないくせに共有してるカモフラージュ。誤魔化し、勘違い。うわべを見て、自分と重ねて、理解したフリ。ああ愚か者。ただ知っているだけで理解したフリなんて、なんて愚か。あなたは私を理解なんてできてないよ。あなたは私という人間が存在しているのを、知っているだけだよ。あなたが見たのは、りんご飴の飴の部分。りんごには触れてない。だけど私だって、知ったかなのだ。知ったような口をきくのだ。理解なんてできるはずもないのに。「あなたはどうせこうなんでしょう?」決め付けて、押さえつけて、責め立てて、反論させないで。そうやってうまく握手できないまんますれ違って、孤独が増えていく。「理解できないから、わからないよ、教えて」中途半端に頭が回ったら、そんな言葉もつくれない。自分の中でねじまがった、真実ではない相手の姿を認めて、見えている本物を否定して、最後になにがあるんだろう。そんな繰り返しで。純粋に信じればいいのに。言われたコトを、見聞きしたコトを。わからないコトを考えるのは大事。ヒトの気持ちを考えるのも大事。だけど自分が持ってるデータは完全じゃないのに、データだけで推測したものを本物としちゃったら、ねえ。きっと暖かい握手なんてできない。あなたが握手したのは、虚像なんだよ。そして私が握手したあの手も。◆疑うコトを知らなかったら人間生きていけませんけど、ね。◆弱いから探るんだ。優位に立ちたいから。理解すればどうやったら攻撃をかわせるのかすぐにわかる。理解すればどうやったら倒せるのかすぐにわかる。理解してしまえば、自分が探られる前に、消せる。ズタズタにできる。相手を。だから探るんだ。いつ自分の心を殺されるか、恐怖でいっぱいだから。◆ひとりじゃないのならもっと強くいられると思っていた。でも、ひとりでは強く在れない時点でもうそれは、最弱。◆なんだか全然交わっていない気がする。声がすり抜けていくみたい。いるのに、会話してるのに、なんだか記憶の中じゃあたしは独り言。泣く機会を逃して、ストレスになって、だけどもう、もうイヤだ。責めたくない。責めるのはイヤ。自分が不幸になるより、大事なヒトが不幸になる方がずっとずっと、悲惨。悲惨。昔、あの頃、あたしは一体なにをもってして、つながっている気になっていたんだろう。みんな生まれてから死ぬまでずっと、ずっと、最後まで、孤独はついてまわるものなのに。◆訪れ去っていく波のよう。満たされ、孤独に落とされ、拾い上げられ、またひとりになる。満ちては引いていく。だからいつでも切望してる。満たしてくれる、誰か。埋めてくれる、なにか。常に足りないから、誰かを求めて、だからひとりでは生きていけない。だけどそんなのおかしい。ひとりでは生きていけない、なんて言ってみたって、人間は死ぬまでひとりぼっちじゃないか。◆孤独は寂しくない。切ないだけ。ただ少し、孤独は、寒い。寒くて、凍傷になってしまいそう。
2007.12.26
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◇たったひとつの、大きな幸せ。量よりも質な感じの幸せ。だけど、人間ってどうしても、ないものねだり。◇久しぶりに少しだけ、小説というか、文章を書いてみた。ほんの少し。たぶん200文字ぐらいしかない。でもそれだけですごく心が軽くなった。視界が開けて、不幸は沈み込んだ。なにが、苦しかったのか、なんとなく自分を理解した。寂しいだけ。とてもとても寂しいだけ。でも泣くこともできなくて、イライラしてしまうだけ。過去が懐かしいだけ。得たものはとても大きくて、でも失ったものは、多い。だからとても足りない気がした。思い出は美化されてしまうから、まるで過去の自分は満たされていたかのように思ってしまっていた。そんなことはないのだ。満たされるなんて、そんな。あたしは今、ツライんじゃなくて寂しいだけ。理解したら縮こまっていた体は伸びて、寂しさを受け止めた。排泄せずに、心の中に。だから少しだけ、センチメンタルなだけ。◇理解して欲しいんじゃない。あたしの感情はあたしだけのものだ。苦しみも悲しみも、喜びも。だから誰にもあげないし、理解したフリなんか、やめてほしい。私はただ知っていて欲しい。理解なんかいらない。本当に理解できることなんてないし、理解されたらあたしだけのものじゃなくなるから。だから誰にもあげない。苦しいのも、悲しいのも。でもただ知って欲しい。あたしが幸せなこと、悲しいこと、ツライこと。でも黒くてどろどろしたものを、最初から知らない人生だったなら、知らせない方がいいんだろうな。あんな、毒ガスみたいな気分は。だけどあたしは、それができないで、結局。結局、同じコトを繰り返す、だけ。だけ。
2007.12.23
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◆ここしばらく忘れていたんだけど。何かに夢中になったり努力できたりするコトって、見ていてとても気分がいい。はずなんだけど。邪魔者が入る。羨望とか、そんな不純物。ああ、がんばっているなあと思うと、あと一歩でコネが作れたトコロだったから余計に悔しいのかな。ずぅっと怠けていたから、いまはもう自分の感情を言葉にするのすら難しい。この感情は、なんなんだろうってね。◆なにも沸いてこない。いまあるのはただの執着心。◆もうそんな、ガソリンがないんだ。ガソリンがないからエネルギーが作れない。だから、ダメ。精神的にがんばれない。だって情熱もなにもないもの。ない、とはっきり言ってしまえた方が、つらくない。人間ひとりが背負っていける荷物の数なんて決まってる。器がちいさいのよ。だから背負えない。と、思いたい。背負いたいのは昔からの執着心。背負えないと思うのは教科書的な考え。背負いたいけど、背負わない方がいいというのが、本心。そうだよ、本心なら知っている。だから、再びの一歩をためらう。だって未来なんてあった?そんな、不可視なもの。
2007.06.14
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◆睡眠って大事よね。足りないとイライラするもの。三大欲のひとつだし。私としては恋愛に睡眠は大事だと思うの。ラブホで毎回彼氏は寝てるのに自分だけ起きてるとか、やるせなくない??ていうか結局、寝れる=安心だと思うしね。安心は大事じゃない。でも別の意味では結婚にも睡眠って大事だと思う。毎日の健康に睡眠は大事。そして、相方置き去りに寝れるのも大事。と母を見ていて思う。彼女は九時には寝たいヒト。俺より先に寝るな俺より後に起きるなは、健康にどうかと思うよ。必要な睡眠時間ってヒトによって違うから一概にどうとは言えないけど。とりあえず睡眠は大事だ。と思うのも、喉と頭が痛くて寝れない現在だからです。だって風邪治らねーよ!!!!
2007.05.23
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◆親に対する苛々とかは結局、ほっといて欲しいのに介入してくるのがイヤだったのだと思う。なんかそれ以外にも理由ありそうだけどそういうことにしておいた方が楽だ。でもいまの、もやもやは、そんな苛々じゃない。不安なだけだ。これも一般的な不安ならいいのに。なんでイレギュラーばかりなんだろう。たまに爆発してたのは、確認したいから。離れていかないかを。でも理性が止めるから中途半端なことになって結局、自分への悪意という自己完結ばかりだったけど。いまはもう、あまりにも爆発しすぎて爆発できない状況だからこんなにもイヤなんだ。これ以上『ワガママ』って言われたら、きっとすごく落ち込むから。悲しいから。定期的に確認しないと不安。やっぱり根底に、大人への不信感はあるのだ。軽いトモダチ付き合いは不信と信頼を重ねてしている。建て前って必要だもの。お世辞も大事だもの。そんなのって、公然の嘘だ。だけど距離が近ければ近いほど、そういう言っていい嘘とか言わなければならない嘘とかと、本音の区別が付きにくくなる。全部信じてしまったことに時々気づいて身を引かないと、ダメなんだよ。とても傷つくから。身を引けない場合は確認するしかないんだけど、きっともうそんな方法ダメなんだ。自分だけでどうにかできないと。できるならその方法がわかるまで絶縁したいぐらいだ。自分に一番適した方法なんてやっぱり、自分で模索するしか道はない。◆胃に悪いコトはしてないが胃薬やめたので最近胃が痛い。胃潰瘍じゃないか??◆ペットでもないこどもでもない地位がいいの。なにを捨てて、なにを手に入れればいい??
2007.05.18
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◆満喫で少女マンガを読む。しかしなんていうかそれどころじゃなく、こっちはリアルずきんずきんです!もうとっくに帰宅してるけど。マンガが頭の中を素通りしていく感じ。集中力皆無。なんのために満喫行ったのかわからん。お金をドブに捨てたかったのかな。久しぶりに、どこにも帰りたくない失踪症候群再発でした。しょうがないから帰ったけど。◆なんなんですかね、この差って。なんなんですかねっ!もうずっとここ一年ぐらい考えてる気がするんだけど!どうしてこうも、差があるのか。この差はどうしたって埋めようがない。みんなどうやってやり過ごしているんだろう。価値観の違い?それともあたしが粘っこい人種なだけか。最善を尽くしてくれてるはずなのに、足りない。最善を尽くしてくれてるからそんなこと、言えやしない。なにがそんなに悲しいんだろう。なにがそんなに不安で、信じられないのか。
2007.05.09
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◆故郷ってつまり、自分が一番安らげる場所だと思う。全面的に受け入れてくれる場所、自分が羽を休める場所。帰りたいドコカがあるヒトは、安らげていないんだろう。帰りたいのにどこにも帰れないヒトは、一番安らげる場所を知らない。どこに行っても羽を休められない。どこに帰ればいいのかわからない。◆ずずん、ずん。きっと現実が怖いだけなのでしょう。たったそれだけで不安定になる。甦るモノがあるから。どこなら良いって言うんだろう。
2007.02.27
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◆雰囲気を盛り上げて、楽しくする。だけど本人は心の内では楽しいだなんて思ってない。盛り上がっている時に本当に楽しんでるか、楽しんでるフリをして盛り上げてるのか、違いなんて簡単にわかる。話していないときに差が出るのだ。楽しんでるヒトっていうのは話していない時もただの「間」だと思える。楽しんでいないヒトは、フリをする必要のない、喋っていない時は寂しい、ため息をつきそうな顔をする。陰りがでる。そんだけの差なのである、と思う。ぼけーっとしてるかため息ついてるか、だな。◆なんかこっちの更新が一週間に一度のペースになってきてます。オーイ。◆別に私なんて、そこまで必要ないんじゃないの、って思う。私にとって必要でも相手にとって必要ないなら、私は他の場所へ歩いていけばいい。寂しくても。だって、要らないのに居るなんて、ウザイよ。◆そろそろ日払いのバイトしようと思います。まずは口座を作るところから。今日は眠剤飲んで寝坊しましたけどねー。ハハン。
2007.02.23
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誠実な嘘で誤魔化して、いつもキミのことを想っているよなんて言って、信頼の糸を手に入れて、だけど糸は時折切れている。そんなこと知りもしない彼女は呑気に彼を愛し続けてる。誠実な嘘で誤魔化されて、いつも貴方を愛してますと本気で誓い、実行して、知らないところで裏切られていることを、アタリマエのように彼女は一生知ることはない。それは、罪ではないよ、忘れてしまっているだけなんだ。彼だって最初から、嘘をつこうと思っているわけではないさ、本気なのさ。永遠はどこにもないということを彼女は知らないだけなのさ。いつも、いつでも、いつまでもなんて、言葉にすれば嘘になってしまうのさ。どんなに誠実な言葉でも。その瞬間は言った本人すら信じていても。彼女はそれを知らないのさ、知らないのに、塔のてっぺんにいる彼女は彼に首ったけ。いまごろ彼はなにしてるかなって、彼はいまごろビールサーバーに恋してるんだよ。_________________________自分は無償の愛を与えられないくせに無償の愛を欲しがる。無償の愛を与えられないからこそ。無償の愛を与えていないのに無償の愛を返してくれるのかどうか、それを試しているんだ。それ以外に無償の愛を確かめる方法はないから。無償の愛に対して無償の愛を返されたって、そんなの等価交換なだけ。___________________________◆ドラマ「わるいやつら」にでてくる、家定サマもとい北村一輝にらぶです。カッコイイよーカッコイイよー。色っぽさがいいよね。やっぱり男は30からなのか。でも「男は30から」なんて言葉、ダンディな人にしか通用しないと思うゼ。大概の人間は、往々にして美しくあるための努力でもしない限り加齢とともに落ちぶれていくのだと思う。美しくあるための努力に金はつきものだと思う。誰か大金をクレ……。おばんになった頃にいまよりみすぼらしくなっていたらドウシヨウ。マミィは結構実年齢より若く見えるんだけどな。そのうち化粧も時間かけないとダメになってくるんだろうなーイヤだなー。
2007.02.16
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◆遅ればせながら明けましておめでとうございます。随分長い期間空いたな日記。彼氏サンとこにいると、パソコンが重いのでついついこっちをサボリがちに。ヒマならあまるほどあるんだけどね。◆学校を辞めてから、私はとても私らしい生活を送っているように思う。規則に縛られない生活、好きなヒトとだけ交流する生活、好きなことを好きなだけやる生活、労わられる側の生活。労わられるのは好き嫌いで言ったら嫌いな方だ。でも仕方がない。自由に生きるためにはしょうがない絶対必要不可欠なプロセスだから。でもいまの生活を続けて、嫌だ嫌だと嘆いていた「労わられる側」の生活を赦せるようになった。自由に生きる喜びを手に入れて、代わりに労わられる辛さにぶちあたる。でも逆を言えば、いまのこの生活のために「労わられる側」に回るというコトなんだから、それはそれでいい。私は自由を手に入れられるから。引き換えに失ったものもそれは多いけれど。後悔なんて微塵も感じない。後ろを振り返るのは、過去が輝いているから。私の隣にいた子達はあまりにも普通で、とても輝いていて、あこがれてしまうから。でも後悔はしない。それほどに弱くもないし愚かでもないし、自分を嫌いではないから。わが道を行くのが楽しいから。どうしようもなく心地良いから。密度の濃い人生がどうしようもなく心地良い。私はきっと自由な魚だ。限られた自由の中を好きなように泳いで回る魚。群れにならないというよりも、なれない。私に友達は意外と多いし、どこに行っても大抵順応力を駆使して遊ぶための友人を作ることができるけど、ずっと同じ場所にとどまれない。誰だってずっと同じ場所にはいられないものだけど、私はそのサイクルが人よりも早い気がする。そんな私に親友なんて人がいてくれるのは、友達じゃないから。親友であって友達じゃないから。コバンザメみたいにひっつかないちょうどいい距離を保って、心の奥底だけを深く強く繋ぎ結んで、だけどお互い束縛しない。友達だからとか、そんな理由の束縛に属さない。だけど拒絶しない、されない。お互いにお互いを認知しあって受け止めることができる。だから私は親友たちの前ではとても自由に振舞えるし、また自由に去ることができる。ある意味親友たちは、私にとって「故郷」のようなものじゃないかな。お互いの生活は別のところにあるけれど、時折ふらりと「里帰り」できる、そんな他人。学校を辞めて私は「故郷」との繋がりを深く実感したし、親友以外の他人は別に要らないと思うようになった。というよりも、親友以外を必要としなければいけない固定観念からも自由になっただけ。友達に重きを置く青春時代とかに無理して自分を合わせなくて良くなっただけ。だから自由になって、とても心地良い繋がりだけが残って、いま直接誰かと触れ合っているわけでもないのに幸せを感じることができる。どんなことだって、過ぎてしまえばどうってことないって話。当たり前だよね、最後に残るのは厳選された「良いもの」ばっかりなんだから。◆だから私は親友たちにとって少し、どこか遠いと感じられてしまうことが多いかもしれない。でも私だって親友を遠いと感じることだってある。遠さも全部含めて親友やってるんだ。いつも遠いけれど、それは個々の確立がうまくいってきてる証拠だと思う。いつも遠いけれど、いつも案じてる。心が奥底でつながってるから。いつも遠いからこそ、ピンチの時には駆けつけたい。悲しみも苦しみも分かちあうことはできないだろう。それは私の役どころじゃないから。だけど、さびしいときは隣にいて温度をわけてあげるよ。To My Honey's人間ってそういう生き物デショ?◆小説を書きたいような、そうでもないような、スーパーカップを食べたいような……>勝手に食えよで、まあ労わられる側であることはまあそれはそれでいいんですが、ていうかむしろありがとうなことなんですが、遊ぶ金が欲しい。なのでバイトしてぇ。私の身体が薬さえ飲めば健康で、心もめんどくさいほど情緒不安定じゃなかったら、ホントに私は糸のない凧みたいにふらふらーっとひとりで生きてしまうだろう。私を大事に想ってくれるヒトと顧みないで、自分の好きなヒトだけを選んで、勝手に飛んでいっていつか見えなくなるぐらい遠くまで行って、きっと帰って来なくなる。たとえばその行為に心が痛んでも私はたぶん、ふらふらと飛んでいってしまうだろうと思う。欲に勝てないと思う。だから、私は病気である方がいいのだと思う、いまはまだ。まだ、ひとりで飛んでいってしまうには、時間が早すぎるから。病気を克服するまでの間は、バイバイへの長い長い準備期間だ。◆手がちべたい。末端冷え性どうにかしてくれ。でも雪が降るとどうでもよくなる。手が真っ赤になるまで遊ぶ。息が白いとウキウキする。呼吸の度に目の前の景色が白く霞む変化が楽しいから。でもいまは手がちべたい。
2007.01.04
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◆人間は欲が深いから、ひとつ壁を乗り越えて何かを手に入れると、今度はもっと大きなものが欲しくなる。満足は一瞬で過ぎて、同じものでは物足りなくなるから。それは成長している証でもあるけれど、欲深い証でもある。成長という進化がなければ人間はここまで進化しなかっただろうし、ひとりの人間個人としてもそうだ。欲がなければ成長だってしないだろう。こう、身体的な成長とかじゃなく。例えば勉強とか、趣味とかの面の成長。一定値をたもっていれば別に支障はない部分を特化させようとする「成長」。欲が深いから成長するのだ、頭がよくなるのだ。欲が深いから努力するのだ。とおもう。だって欲がなければ特化させようと思わないもの。文章力とか、小説のクオリティとか、そんなもの、欲が深いから努力するんだ。がんばろうと思うんだ。欲が前提にあるから、満たされるための努力だから、満たされないとムカツクんだ。「もっともっと」が前提で行われる作業に、その苦労に見合うだけの報酬がないとムカツク。それはしごく当然のような気がする。そして、思想の応用で、私はがんばっているから「欲がある」ことにも一応証明つくんです。純粋な「好き」だけで人間は努力とかできないよ。向上心も持てないよ。目標ができて、自然と自分と目標との間に欲が生まれて、やっと努力が生まれるんだ。努力が報われなかったら誰だってむかつくさ。しょうがないだろう。ここには「欲」がある。絵を描いたり、詩を書いたり、そういう気楽になんの期待もなんの欲もなくやってるんじゃないから。小説以外で創作して、けなされたってほとんどへこまないよ。へこむ理由がない。だって努力してないもの。がんばってないもの。ただ好きなだけだもの。自由にやってることだから、その評価がどうであっても気にしない。いや、良かったら違う意味で気にするけど。プラス方面で。小説だけはそうはいかないんだよなあ……。この感覚を、私をよく知らない人間に口頭で伝えるのは難しい。文字なら下手でも一応カタチになるのに。◆そこにはもう純粋な「好き」はない。くっついて、混ざり合って、溶け合って、もう離れないから。ブラックコーヒーに注がれたミルクだってかきまぜちゃえばもうわけることはできないんだよ。黒と白とで見えてたはずのカップの中身は灰色になっちゃうの。それと同じ。欲だけじゃないし純粋な好きだけでもない。たぶん、そこにあるのは向上心。成分を分析すれば灰色だって黒と白が混ざってるだけだということがわかるだろう。でもぱっと見、ただの灰色なだけなんだ。気づくのは容易にはできない。◆ところで寒いネ?手がかじかむ寒さ、こんな時には寒さついでに洗い物とお米とぎも一緒に済ませてしまおう。あたためたってどうせ1分ぐらいですぐ冷たくなる手なんだし。
2006.12.29
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◆自分以上に自分のコトをわかってくれているヒトが、怖いのは当たり前だと思う。それが求めているヒトではないのなら、ね。特定の人物には見透かされたい、だけどそれ以外に見透かされるのは怖い。だってそれは自分が透明人間になってしまうのと同じだから。相手の手のひらに転がされるのと似ているから。いや、間違ったら、相手の手のひらの上で転がされかねないから。丸裸にされて、平気でいられるわけがない。すべてを見せてもいいと、許した相手にだけ見せる。もしくは見て欲しい。それは当たり前の欲だと思う。つまりそういうコトで……いいのかなあ?と、ほとんど私信。怖いよね。見透かされたら誰だって怖いよね。私だって、許した相手以外に見透かされたらすごく怖いよ。◆某所の某フェスタ。よ、読み終えた……。投票締め切り一分後に。_| ̄|○カミサマのいじわる……。
2006.12.16
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◆久しぶりにすみやんとたくさんしゃべりました。将来のコトについて。すみやんは進路について悩んでいて、その、理由のひとつには母がいる。母の足の調子が最近とみに悪い。私はよく家にいないからわからないけど、それでもなんとなくわかっていたよ。どんどん悪くなっていっているのとか、体調が悪いのとか。心配しているのは本心です。だけど、私は母以上に大切なヒトがいるし、なにより、私が一番危うい状況だから、私では母を支えられない。私がいま母にできる親孝行と言えば、「甘える」コトだけだ。中学、小学校とうまくできなかった、甘えるコト。それだけしかいまはできない。すみやんは母のコトを考えて、それも将来の進路の迷いの中に含んでいる。だけどすみやんはすみやんで、いましかできないコトをしたいと想っているところもある。だけど母のためには「いましかできないこと」を後回しにするしかない。そこで悩んでいるのですが。私は、悲観的な注意しか言わなかった。いままでのすみやんを見ていて、これから将来、すみやんががんばると言って、挫折して壊れない証拠がいまどこにも見当たらないから。家族がみんなすみやんに批判的なのはそういうところがあると思うんだよね。で、壊れた側からの意見をたくさん言った。悲観的すぎだ、と言われたけれど、でも未来なんてどうなるかなんてわからないもの。本当に。理想ではなく、現実的に将来が見えたとしても、突然崩れるコトだってある。それはまあ、私の場合病気の所為ですけど。すみやんは病気じゃないけど、でも、完全に健康とは思えない。これはもう感受性の世界の意見なんだけど。私がいままで見てきた成功者、がんばりきれたヒトと、決定的に、どこかすみやんは違う。きっとどこかでがんばりすぎて折れると思う。いままでのすみやんを見ていたらね。そう思ってしまう。だけどまあ、本人ががんばる気で、変わる気でいるなら、私が口出しても意味がないな。どんな可能性を掲示してみせても、すみやんはもう、本当は心に決めているもの。それが私には見えた。私の思い違いでなければいいのだけど。……私は、母にとても感謝しているし、これ以上足が悪化して欲しくない。泣いて欲しくない。だけど、私はいま、何もできない。だから何もしない。もどかしくて悲しいけど、それしかない。私より母の方が現状、ツライとしても、私はまだヒトを支えられるほどには回復していないのだから、またがんばって壊れてはいけない。一度壊れると色々なコトがわかるんだ。すみやんはわかっていないから、あんなに明るいんだ。健康に近いから。いいな、と思った。羨ましい。すみやんは、変わるためにがんばりたいと言った。私にはそれは無謀でムチャで、大変で、壊れてしまいそうな程つらいコトに思えたけど、未来はどうなるかわからないものね。もしかしたらすみやんの思うとおりに壊れないでいられるかもしれないし、もしかしたら私の思うとおりに壊れるかもしれない。すみやんは限界になるまでがんばるほどの人間じゃないと自分で言っていたけど、さあ、どうかな。いままでがんばってこなかった人間にそれがわかるかな?私はただ、壊れるコトが心配。ひとりが壊れると、それを取り巻く全てが崩れ去っていくから。立て直す力が、果たして、周囲……母に、残っているかな。まあ、本人の問題なんですけど。やりたいようにやればいいさ。後悔するのは勝手さ。若いんだもの、後悔ぐらい何度でもすればいい。でも、お願いだから、私のように壊れたりはしないで欲しい。そうして二次災害に遭うのは、母だから。◆悲観的なコトを言ったのは私が壊れた経験者だからでもあるからだけど、まあ、いま憂鬱なんですね。小説で。一番好きなヒトに好きになってもらうコトは、たぶん一生ない。私カミサマじゃないもの、天才じゃないもの。好きなジャンルが違う。私が読みたいモノと書きたいモノが違うのと同じで、あのヒトが読みたいモノは、私が読みたいモノと同じようなモノ。だからきっとムリだな。全部を好きになって欲しいなんて、無理なこと。それでも願ってしまう。小説だって私の一部なんだ。身体の一部なんだ。だけど、他人から、消費者から見たら、著者と小説はベツモノだよね。それはわかっているから。望んではいけないコト。でもどうして望んでしまうのかな。イヤなのに。望みすぎて、叶わなくて、絶望するのは。がんばろうと、努力しようとは思う。けど、一生、あのヒトは私の小説のファンにはならない。ような気がする。未来はわからないけどね。◆一秒一秒が未知の世界なんだと思いました。こないだ、彼氏サンと一年を越えて、二年目を迎えて、そう思ったら、ね。だって私恋人と二年目に突入したコトなんて初めてですから。未知の世界です。それと同じように世界はいつでも未知の世界。一秒先、いま、将来未来、全部、過去以外は未知の世界。いつでも私たちは未知の世界を歩んでいる。だから不安にもなるし、思わぬ幸福を拾うコトもある。そんなアタリマエのコトを実感すると、なんだか世界って不思議だと思う。◆私は母を嫌悪したけれど、憎んだけど、憎悪したけど、だからこそ愛してもいる。いまは愛している。だから母の幸福を願ってやまない。それは子供の性でしょう?こんなに、こんな私なのに、いま、幸せになっている。ここにいれるのは両親が愛してくれて、がんばってくれたから。だからもうこれ以上あのヒトに不幸になんてなってほしくない。泣いて欲しくない。幸せをあげたい。だから、私は、病気を治す。いまできることはそれぐらいしかないんだ。……もう泣いて欲しくない。これ以上泣く必要なんてないハズだよ神様。お母さんがこれ以上悲しまなければいけない程、幸福をあげたの?私は苦しんだ代価にありえない量の幸福を得た。だけど、お母さんはいまでもずっと、囚われたまま。どうしたら救ってあげられるんだろう。神様はどこにいるんだろう。お母さんは、こぼした涙と同じ量の幸せなんてまだ、もらっていないのに、それなのに、これ以上苦しめるの?世界は不条理だ。不公平だ。これ以上苦しめるコトより、いままでよりもっと多くの幸福を与えるのが、神様の役目じゃないの。もうやだよ。泣いて欲しくない。責める相手のいない苦痛に、顔を歪ませたくない。悲しい声を出させたくない。……でも、私はその苦痛をやわらげるどころか、私は、母を一番に愛せない。だからできない。そばにいてあげることすらできない。しない。だって、私はもう、一番大切なヒトと出会ってしまった。……早すぎる。早すぎた。後悔してないのに、私は一番大切なヒトと出会えて幸せになれているのに、でも。早すぎた?一番、大切なヒトが他にいるなら、私はただ、お母さんが苦しむのを見ているしかできないんだ。一番をふたつ選ぶコトなんてできないから。無力感を味わうのが、私の義務だ。一番大切なヒトと出会って、彼と、私との幸福を選ぶ私の、義務なんだ。
2006.12.06
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◆私は何回も闇に落ちて落ちて、でも、書いてきた小説は、そこで終わりじゃなかった。私が書いた小説はまあ……バッドエンドもあるけど。それはそこでオシマイの悲しい物語。だけど私は、暗い闇からはいずりあがってくる物語をいくつも書いてきたと思う。そう、そして、それらの物語はそこで終わりじゃないんだ。ENDって書いても、それはとりあえず、今回、この事件での物語りはオシマイというコト。その物語を私がもし書き続けたなら、暗い闇と光とは延々と続いて、繰り返すだろうと思う。そして年をとって、最後に光に包まれて死ぬんだ。あの頃……っていうと、もう何年前かわからないけど。私はずっと暗い暗い中で、鋭い目つきで、死にたいとずっと願いながら生きるのだと思っていた。けど違う。違う。だって、もしそうだとしたら私、ハッピーエンドなんて書けない。光を最後に入れる解決法なんて作れない。闇は何度も降りてくる。そのたびに、光に当たるために、上に昇るのです。たぶん。そうやって強くなっていかなくちゃいけないんだよなあ。いまは、昔とは違う。きっと突然小説が書けるようになったのは、私の回復の兆しなんだと思う。私はまだハッピーエンド(と言わないヒトもいるだろうけど)を書ける。だから大丈夫。私は幸せを書きたいと思う。だから大丈夫、治る、直る、這い上がる。私は弱いけど強い。人間は弱いけど強い。だから大丈夫。これからも暗い時期は来るだろうけど、こうやって、幸せを願えるようになったなら、もう将来は安心だと思う。ひとりじゃないし。いまは、苦痛の時期だ。完治の前は結構ツライものだ。リハビリだと思えばいい。くじけてもいいや。つーか何回もくじけてるけど。くじけて闇に落とされても、落ちても、這い上がれる。だって私、ハッピーエンドを書きたいと思ってる!生きる限り、苦痛も、闇も、消えないのだ。だから光があるのだからしょうがない。死んではいけない。自分から闇に落ちて死んでいったら、闇に包まれて終わってしまう。最後まで、生きなきゃ。がんばら……がんばろうと思うと失敗するから、えーと。とりあえず休息。自分で自分を許さない限り、最終的には、自分は救われない。誰かに許されても、最後に自分が許さなきゃ、救われない。老婆になるまで生きなくちゃ!
2006.11.27
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◆ぷうーっとなって、拗ねてみても、キライになったわけじゃないのに避ける必要はどこにもない。ただ、ひとり、自分だけ感情がぐるぐる回ってしまうのが悔しいだけなのである。だから相手の感情も掻き混ぜてしまおうと思うんだけど、それってマイナスの意味しかない。心配して不安になって、それで終了。それってとても意味がないことだと思うのですよ。だけど人間って、それじゃ納まらなくて、結局「ぷうー」って膨れちゃうんですよ。それで事件を起こさないと、いられないのです。なによりも平和が大事だというコトを実感するには、スパイスである不幸もたまにはないとわからないから、かな?じゃあ不幸を自ら引き起こしてばかりいる子って果たして幸せを知ってるんでしょうかね。すごく、寂しい生き方だ、それは。私はしたくないな。でもなにもないのもイヤだと思うのは傲慢だな。人間って単色じゃ生きられないモノなんだよね。困るなあ。でも、ぷうーっとしているのです。うがー。
2006.09.17
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◆精神安定剤。それを服用していたんですが、やめました。どうも私にはマイナスの方向にしか働いていないように思えた。阿片や、シンナーってありますよね。アレは精神の強いヒト達と普通のヒト達で同量を摂取した場合、精神の強いヒトは飛ばないそうですね。私は諸刃の剣だろうけど精神は強いと思う。それを揺るがしたのは精神安定剤じゃないかと思う。だって、強い安定剤を飲んでも意味がなかったもの。落ちた精神は浮上するコトなく、逆に冷静さを欠いて落下の速度を速めた。過去の栄光に頼るのはいけないコトだと思いますけど、検証には使わせてもらいます。私の精神は強いゼ、と思います。折れたらスッゲー折れるけど。過去を巡れば、強い精神を持たなければできなかったコトがたくさんあるのですよ。勉強だって陸上だって。発作起こしながら校庭十何周もできるかっての。で、まだ飲むのをやめて少ししか経っていませんが、家族の目から見ても好調です。顔色が良いし、元気だってさ。夜の不安定も少ない。てなわけで、今年の夏は遊び倒したいと思います!>結論がオカシイ◆人間と人間の間には、たくさんの壁がある。言葉なんて所詮、その壁を越えられない。固定観念先入観感情の色、距離。どれだけの量の言葉を使おうと、その人の感情によって捉え方は様々。時間が経って濾過されるのは、良い言葉だけの人間もいれば悪い言葉だけの人間もいる。記憶に残らない言葉もたくさんある。その言葉は、どこに行くんだろう。消えていないはずなのに思い出されることのない言葉はどこに行くんだろう。齟齬は、消えない齟齬は、どこに行くんだろう。つまりはそれが、私達が人間であることの証。楽しくて幸せで不幸な人類の証。人間なんて大嫌いだ。でも、誰もがいとおしいのに。◆小説が、ね……。どれもこれもさー。考え付くのは長い話ばかりでさー。長編病はどうしてくれよう。まだ書ききる体力はネェ!
2006.08.07
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◆体重が増えない増えないと嘆いておりましたが、原因がわかりました。昨日が通院日だったので行ったのですよ。で、私、胃下垂じゃないかと疑っていたんですよ。事実調べてみたら症状ドンピシャだし。で、結果。胃下垂でした☆胃下垂は消化不良をおこすので栄養吸収率が悪いのです。昔から太らない体質で、「私もしや胃下垂では? いやいや腹筋こんなにあるのに……?」と思っていたのですけど、腹筋がいくらあっても体質的に胃下垂な場合は胃下垂になるらしいです。で、治療のしようがないと言われた(*´∀`)というわけで、愛人にも言われたけど、「とにかくこれ以上体重を減らさないこと。不妊につながるから」と言われました。タンパク質を多くとれとのご命令。そして生理不順の方ですが、こちらは基礎体温を計って調べてみようとのことになりました。一体どんなひょうきんな値になるか楽しみだよね。自律神経失調症の方で、まあホルモンバランスが崩れているとの予想ですが、稀に、ごくごく稀に稀に、癌の可能性があるらしい。若い子に多い。それを見逃すのがイヤだから検査もちゃんとしようねーというコトで、胃カメラ決定。_| ̄|○イヤだ。胃カメラなんて一生飲むモノかあー!と思っていたのに……ッ!癌なんてまったく疑っていないんですが(結構健康だしね)、胃カメラがイヤだ。イヤイヤー。でも、お薬が増えなくてよかったです。増えたのは鉄剤ぐらいで、他はなし。減らなかったけどね。で、栄養剤と喘息の方の点滴をしていただいて、最後の客として帰る。もともと胃下垂体質だったのが、拒食で一気に筋肉が減って完璧な拒食になってしまったらしい。ふざけんなチクショー。がううう。胃もたれに悩まされる日々です。ううう。おみくじに書いてあった「病気 長引く」って…………。「病気 増量」じゃんかチクショウ!いいけどね。これから治していくし。でもさ。いつになったらニート卒業できるのかなあ……。早く働きたいんだけどね、私は。大検の勉強もしたいし。◆そうそう大検。大学のお話ですよ。桐生操という作家さんをお知りの方は少ないかもしれませんが、「本当は怖いグリム童話」の著者だと言えばおわかりになるのではと思います。いま、この方の「世界史 怖くて不思議なお話」というのを読んでいまして。ハマった。めっちゃおもしろい。で、ハマったところでお茶こぼして台無しになった……_| ̄|○でもでも、そこで思ったのです。いままで理系を目指していたけど、文系もいいかもしれない。こうやって過去をあさっていくのは将来タメになるし、意外とおもしろい。体力的にも考えて、文系をおもしろいと感じられるようになったのなら文系大学を目指した方がよさそうだ。もうね、大検はスルーする気満々ですから。早くも。大検受かるかどうかって心配はしてない。だって受からなくちゃいけない科目暗記科目だけだし。暗記大の得意だし。いまは治療中で勉強もままならないからしてないけど、やる時はやる子ですから!体力戻って病気よくなったらがんばりますよ。春から勉強して夏の大検に受かる気満々ですから。ナルシ?ははは、そう呼びたいならなんなりと呼びたまえ(何)。三流大学に行く気はない。私のがんばり次第で、行きたいところにいけると思ってるし、周囲もそう言っている。私が本気で努力を始めたらスゴイぜ火傷するゼ!(全然違)まあとりあえずは、体力回復とニート脱出と大検合格を目指して。前進中。◆しかししかし、最近忙しかったり精神的に良くなかったりパソコンに向かう体力すらなかったりで、小説を書いていない。読んでもいなかったし。いまはピーターパンと海猫と、乾燥中の世界史(以下略)を同時進行中。で、今日父と大学の話をして、「夢は小説家なんじゃなかったのか?」といわれたので、「夢は小説家だけどなりたい職業は違うから」と答え、そこから小説の話に流れ込む。長男にだけはまだ、私の小説読ませていないんですよね。なんでって?恥ずかしいからとかそういう理由だけじゃないんですよ。あのヒト、私と同じで辛口だから……。父「逃げたな?」私「うん」でも読ませようと思う。成長期に痛い刺激も必要だから。大学へ行くのはもう夢とか希望じゃなく決定事項だし、就職はまだよくわからないけどほぼ決定事項だし、夢じゃない。小説家になるには運と才能がいる。努力だけじゃどうにもならないものが必要。だから、夢なのです。そういう話をしていたら無性に小説が書きたくなってきた。体力ないし寝なくちゃいけないんだけど。宣言する。私は小説家になる。一流なんて言わないけど、でも一発屋で終わる人間になんてならない。三流を目標にして生きる。そう、生きるんです。何があっても。生きて大学受かってエンジョイして小説家になって、そんで幸せになるんだ。そのために生きるし、生まれてきたんだ。幸せになるために生まれてきたのだと、最近思う。ツライコトもなにもかもすべて乗り越えてきたのは、生き残って幸せになるためなんだと思う。喘息になってよかったとまで思う。じゃなかったら出会えなかったヒトがたくさんいる。大事なヒトがたくさんいるのです。どんなに薬が増えようと、点滴になろうと、自殺なんてもう絶対に考えない。生きる。私は図太く強い人間なのです。体調悪いとすぐ弱るけどね。諸刃の剣。折れやすいけれどよく切れる。なまくら刀ほど折れにくいけれど、そんなモノで満足する人間じゃあないのですよね。私って野心があってプライドが高いものですから。(活字中毒な)家族に褒められて自信がついた。私は、小説家になってやる。やっとこの宣言ができるようになりました。春ももうすぐ。私の冬眠も、そろそろ溶けるでしょう。いまは蓄えて、ひそかに書いて、生きようと思う。何よりも。喘息なんかに負けてなるものか。自律神経失調症なんかに負けてなるものか。胃下垂なんかに負けてなるものか。私の身の内からでた錆なんかに負けてたまるか。いつか殺して、私だけ生き残ってやる。そのために、がんばるんだ。薬を飲むのを。吸入を。点滴を。生きて、幸せをつかむために。いまでも幸せだけど、より多くの幸せをつかむために。
2006.01.13
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◆ログインパスを忘れてまたやりなおしたバカですこんばんわ。もといもうそろそろ朝に近い?気づいたらこんな時間でした。夜って短いのか長いのかよくわかりません。◆時間が止まれば良いと本気で願うような自分になるとは思わなかった。思っていなかった。人間とは、意外と、唐突に変わったりするものです。不変ではない。だからこその不安はあっても、それでも前向きに生きていかねばならないのです。信じなければ何も始まらない。最近ご無沙汰だった夜の不安にかられましたが、前に心療内科の先生がおっしゃってくれた言葉で生き返りました。薬に頼るのはどうしてもイヤだったんです。人に頼れるようになってからは、薬はもう頼りたくなかったんです。安定剤は。だって最初はひとりで強くなるために通いだしたのに、いまはたくさん支えてくれるヒトがいて、シアワセを与えてくれるヒトがいて、安心させてくれるヒトがいて。だから薬には頼りたくなかった。一人で生きていく気はもうなくなっていたから。それでも先生は、「頼っても良いんだよ」とそうおっしゃってくれて、それを思い出して、ふらふらしながら眠剤と夜用の安定剤を飲んで、不安用の頓服を飲んで、なんとか落ち着きました。最近は眠剤などを飲んでから日記を書いています。だから追記予定が多い。結局追記しないけど(笑)本音がさらりとでてくるようになってくる。そして安定する。でも、薬に頼るのは、人に頼るコトを覚えてからはなんだかズルをしているような気がしてイヤなのですけど。しょうがないのかな。最近不安で発作も起きなくなったのに咳がで始めたので飲みました。そして安定。頼っているなあと少し、なぜだか自己嫌悪している。なぜだろう。理由探しをするのは私の悪いクセなんですが、理由がないと不安になるのは、しょうがないでしょう。確証のないモノを信じられるほど私はまだ強くないし、そもそも、もともと強かったのか最近疑問に思ってきた。少しの体調不良ですぐに不安定になるのをどうにかしたいなあ。いろいろとフラッシュバック的に思い出がつらつらあがってきてしまって、どうしようもなくなるのです。ああ何かいてるのか、何が書きたかったのかよくわからなくなってきた。それでも、最近調子に乗っているのは確かですね。食べれるようになってから予定を入れすぎている気がする。今月はがんばるなと言われたのに。久しぶりに高校の友人から電話があって、それでアドバイスをしたのですけど……。自分は実行できていなくせに言うのは卑怯かな。なんていうんだろう。もうよくわからないぐらい薬が効いてきたのかな。いまなら寝落ちれそう。病気があったからこそいまのシアワセがあるのに、それをわかっていながら時折病気を憎む。プラスな感情に動いてくれない自分がいやになったりする。ていうかそういえば、ジュヴを教えたってコトはこの日記もバレてたりするのかな?(笑)それでもいいほど親友だから良いけど。◆優しさが心に痛いのは、消毒液をかけたときと同じで、傷があるからだろうか。しかし私にはその傷に心当たりがない。◆とりあえず、寝よう。明日の友人との約束はキャンセルしたほうがいいのかな……。
2005.12.20
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◆知人を病院まで連れて行っていろいろとお話に付き合っていただいて、そのあと母とたくさんしゃべった。将来のコト過去のコト、喘息のこと、普通じゃないコト、ほかにもいろいろ。(爆弾投下多かったしね、母が)でもちゃんと、私は喘息で挫折して、強い反面折れた分いまの生活があるわけだし、いまはとても幸せなので、逆に感謝しているのです。それをやっと言えた。体力も気力も戻ってきてるみたいです。たくさんしゃべった。おかげでお母さんはゴハン作れなかったけどまあいいや(笑)ありがとうって、みんなをたくさん愛してるんだって。私は恵まれてるんだって。喘息の方は、親戚とかもアレルギー体質で、それが一気に私に来たモノだからかわいそうだと思っていたらしいのですけど、私は喘息に感謝してる。喘息のおかげでジュヴとか奇跡に会えたし、それに、私は普通のヒトよりもたくさんの幸せを感じるコトができるのです。タバコを吸える幸せ、普通には当たり前でも空気が吸える幸せ、点滴が終わって楽になったときの幸せ、心配してくれる幸せ。支えてくれる幸せ。喘息は確かにツライけどそういう幸せを、逆に、普通のヒトが実感できにくいモノを実感できるから、私はうれしいと。やっと伝えられた。そしたらお母さん半泣きになっちゃって(笑)かわいそうだなんて、思わないでいいの。ツライときは思ってほしいけど。発作の時とはは。実際苦しいし。でも、いまは、とても幸せだから。実感できるから。強い自分になってきているから。幸せを実感できるから。私はいつも思うけど、本当に恵まれていると思うのです。ステキな人たちにたくさん出会えて、いま、喘息もアトピーも治ってきてて、それは学校辞めてからなんですけど……学校辞めたのに心配してくれる高校のコはいるし、ジュヴはやさしいし、頼れるし、愛してるし、地元トモダチともステキに続いてるし。幸運なのです。誰に感謝していいのかわからなくらい、私はありがとうを言いたい。いまがとても幸せな巡り合わせだから。こんな私に付き合ってくれるヒトがたくさんいて、みんな優しくて、全員にありがとうを言いたい。本当に、ありがとうございます。みんなみんな、大好きです。本当にそれをいま実感している。私はとても、恵まれているんです。だからありがとう。とてもうれしくて今、幸せです。ゴハンもちゃんと食べれるようになったしね!体重も順調に増えていっています。なんか16歳の悩みじゃないな(笑)いまは喘息も薬とか、外出時はマスクで予防で発作もおきないし、だいぶ健康です。食べてるから体力もでてきたし。心配をおかけしました。そしてありがとうございました。いまの私は、とても元気です。たとえ何錠か数えたくないぐらいの薬も、吸入も、ちゃんとするようになったし、健康にどんどん近づいていっています。自律神経失調症と、喘息には、うまく付き合っていくコトに決めました。目標は、夜のお薬が7錠ぐらいになってくれるコト。つまりは半分ぐらいになってくれるコト。あと一年の間にそれができると思う。私はいま、健康に向かって無理をしないようにがんばっています。ちょっと自己管理ができるようになりました。心配してくれた皆様に、ご報告として。いまの私は幸せで、そして、元気です。ありがとう。
2005.12.16
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◆ビバ記録帳。母が大風邪をこじらせたので、外で会うコトに。でいろいろと報告しあって、うーん……。アドバイスが的確で、いろいろ私の、私すらわからないコトまでわかっていて、すごかったです。さすが。これでタメ? 17歳? ウソでしょう。冷静すぎていろいろ考えてしまうのが、良い点でもあるし悪い点でもあるといわれました。ハイ、そのとおり_| ̄|○でもおかげで不安はなくなり絶好調。パフェも食べてトモダチのゴハンもちょっと食べて、そしたら夜にグロッキーになってきて早めに解散して、吸入やら薬やらで落ち着いて晩御飯も食べました。ていうか最近ゴハン食べてる報告日記になってないかな……?溺死する心配はなくなりました。よかった。安心。的確アドバイス万歳。ていうか、そのトモダチ大人すぎる。なんでだろう。タメなんだけどなあ。いつも落ち着く。話を聞いてもらうだけで満足なのに、的確に見抜いて判断をしてアドバイスをくれるからすごくタメになる。私が中学の時に急成長できたのはこのヒトのおかげだし、いま安定してるのもこのヒトのおかげだし、すごい。リスペクト。果てがない。大人すぎ。ホントに17!?(って私も聞かれる質問だけどね(*´∀`))◆ときどき私も自分の年齢を忘れるけど、この子も忘れてる気がするよ。学校辞めて立派に働いてるし。すごいなあって本当に思う。私もいつか、あんな風に大人になれるかな。って、ピーターパンシンドロームなコですけど(笑)
2005.12.10
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◆最近、アレかな。体調を崩していたから余計にだと思うんだけど精神状態がよくない。起伏が激しい。たくさんのヒトに支えられながら生きています。生きてます。なんてステキなコトなんだろう。私、本当に、一般の尺度として見られたら後悔するだろうってコトしたし一生残るから親には後悔してるだろうって言われてるけど、それでも本当によかったと思うんだ。奇跡がたくさんあって、おかげで私は生きている。きっと、きっと、後悔どころかそれをしなかったら私はいま生きていない。たくさんのやさしさに支えられて、本当に幸せ。なのに不安になったり。そのたびに、支えてくれるヒトがいるのは幸せです。幸せ。それに奇跡だし。奇跡だと思ってる。そして、本当に夢がかなうように、奇跡になったら良いと思う。口にだしたらどう思われるのかな。私はリアリストの割にとてもドリーマーでアンバランスですが、何を言いたい?眠いんです。あとで書き直す予定。書き直さないかも。あとで見直すと、眠いときの日記は笑える。ウケるんですよホント。だって日本語とかって問題じゃないしそもそも何語っていうか日本語じゃないというか、えっとなんていうか人間?会話も成り立たないし、視力は良いのに実は画面がよく見えていないという。頭が働かない。うわーこまる。いますっごい書きたいコトあるんですけど。タバコすら吸えないと言うか、あ、アレだ。さっきゴハンを大量に食べました。夢のように幸せだったおかげと、泣かせてもらえたおかげと、点滴のおかげ。◆体中が筋肉痛。首まで痛い。あばらとかまで。なんで!? インフル!? 奇病!?◆「10あるうちの、ふたつやみっつだけ受け持つようになろうね」そう、言われて、でもそれって難しいよねって先生は笑いながら言う。でも最近、やさしさに支えられながら生きてるから、進歩してますよ先生。私いま、だって嬉しい。吐き出した後の面倒や、辛さがイヤでたまらなくてずっと内側にためこんでいたけれど、そのあとの幸福を知らなかった。知れるようになった。ツライあとは幸せなんだっていうのを知ってたはずなのに、再確認したのかな。違う、違う実感のしかたをしたの。ツライあとはシアワセが待っているコトを私は絶対に昔から知っていたハズなんだ。だから点滴が好きだったんだろう?最近うまく、考え方を応用できていない気がする。頭がぼうっとしていて、どうしてだろう。前よりも色々なコトが考えられなくなった。薬の所為だろうか。私はもう少しぐらい頭だってよかったと思っていたんだけど。>自画自賛。私は本来強い人間で、傷を治すのって時間がかかる。いまは治しています。そして、周囲のヒトがみんな私に優しくしてくれる。愛しています。みんなみんな。家族まで優しくなってまあ……末恐ろしいこと。>オイ環境が変わっていまは少しいろいろなものが荒れていますけど、元来、私は強い人間なのです。強い人間なハズ、ではなくて強いのです。「気にしすぎ」といわれても、気にしすぎても生きていけるような、人間なのです。あとは体力を。治療するんだ。でも実はあと二日か三日ぐらい点滴を続けたらねー、だいぶよくなると思うんだけど。いかない私が悪いね。だって精神的にほかに優先事項があるんだもん。安定剤のようなもので、文字と同じようなもので、だから行かない。ごめん。でもちゃんと毎週行くから!こういうときは文字にしてはっきりと理解してしまえばいいのに、それすら体力がないというの?ごちゃごちゃとしていて、どうしてだろう。いままでわかっていたことまでわからなくなってきている最近。ぼーっとしている。睡眠不足?いまだけは少し、喘息が憎いかな。だってきっと精神的には、喘息さえなければ私はきっと勝手に迷惑でも巣立ちをして、そしてきっと勝手に安心して、ああもういい。いらないことまでかきそうだ。とてもねむい。だって朝方まで起きてるの久しぶりだもん。眠れないんだ。本当は。
2005.12.05
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◆晴れて今日からニートです。おめでとう。嬉しかねェ。そんなこんなで色々考えてみる。まとまらない。感覚的なモノを言葉にするのはひどく難しい。不思議だね、の一言で片付けるのは簡単なんだけど。それがどう不思議なのか、その感覚を言葉にするのが難しい。手を伸ばした先に形は見えているのに。言葉にできない。形にならない、もどかしさ。この世に物体があって、空間があって、それが不思議。なにも掴めないのに確かに在るっていうのが不思議。感覚的にはどう不思議?表現できマセン。太陽が沈むだけで、暗くなるだけで、目で捉える色が変わってしまうのが不思議。対象物は同じなのに、形も変わらないのに、色も塗り替えていないのに、光の加減で色が変わることが不思議。そう見えることが不思議。感覚的にはどう不思議?それがうまく掴めない。理解できない。自分の感覚なのにね。言葉にできない。文章を描くにあたって。それって結構もどかしい。◆と、最初っから書きたいテーマから逸れました。毎度のコトです。昨日、母と話をしていました。「苦しい時の記憶について」幼い頃限定で、話をしてみました。ぶっちゃけ喘息の発作でやばかった時の記憶がありません。チアノーゼも六回ぐらい起こしたらしいですが知りません。知らないのです。不思議と、女子医大で点滴を受けていた事実は私にとっては事実ではないのです。小学校にあがる前は女子医大に通っていたのですけど、女子医大での数少ない記憶の中に、点滴という行為はありません。かろうじてカルシウム入りクッキーを薬局で食べていた記憶があるくらいです。あとはオモチャの指輪を箱ごと買ってもらった記憶と、帰りにパンを買ってかじっていた記憶。どれも発作とは関係ない。私の中で、点滴をした一番古い記憶は、すでに近所の病院での記憶に変わってしまっています。点滴をする=ツライ、苦しい時ですから。それを知りません。それに、ちいさい頃、家で動けないほどの発作を起こした記憶がない。遊んでいて遊びを続行できなくなるほどの発作を起こした記憶がない。実際はあるらしい。じゃなきゃ夜中にタクシー呼ばないし救急車も呼ばないよね。確かに。夜中にタクシーに乗ったのは覚えていても、その原因となる発作の記憶はありません。母も幼い頃にやばい状態になって、生死の境をさまよったらしいですが、記憶にないそうです。記憶が復刻するのは、それから五日後の、回復しだした頃。一等ツライ時は覚えていないのです。で、それについての母と私の見解。私の場合は特にだけど、危険な状態に陥ると酸素が脳にまわらないのではないか。生命維持という重要な方に酸素を費やしてしまって、思考するためには酸素がまわってこないのではないだろうか。だから、記憶にはじめから存在しない。覚えていないのではなく「知らない」が正しい言い方なのではないだろうか。という結論がでました。生きていく上には全然意味のない討論ですがそれなりにおもしろいですよー( ̄▽ ̄)私はもうひとつの意見として、あまりにも苦しかったものだから、防衛本能が働いてその記憶を思い出せないようにしてしまったんじゃないか?けれど、これは一発で否定されました。防衛本能として「忘れる」時、それは起きている時は忘れていたとしても夢などにでてくるものらしいです。悪夢として。私も母もそんな夢見たコトがない。というコトで、やっぱり「知らない」ってコトで決着したのです。幼い頃って生きる能力が貧弱ですよね。オトナと違って。大きくなってからの発作時の記憶はあります。ちゃんと。なのにちいさい頃の記憶が全くないのは、やはりその分生きるのが大変ってコトなんでしょう。すべてが一大事。あー、言葉がうまくまとまってくれないけど。大きくなってからは生きる能力も強くなり、苦しい状況になっても生き延びる力が豊富になる。それは身体的に。だから、発作を起こしたりしても生きる必要最低限の酸素供給だけではなく、思考の方にまでまわるのでしょう。うん? 何が言いたいのかな……。ま、そんな感じで。おしまい。
2005.10.13
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◆公然とこんなコト言うのもどうかなーと思うのですが、学校サボりました。二学期からはがんばろうと思っていたんですけど、ね。今日はムリ。自分の甘えを許しちゃいます。明日がんばるもん。自分で自分を許せるときは、他の誰が許してくれなくても別にいい。というのは詭弁でして、生まれてから周囲に教育された後付の、いわば「良心」とか、そういう剥き出しの私を装飾している部分が「別にいい」とは言ってくれません。生まれ持っての気性と言いますか。そういう本来の性格は、もう開き直ってしまっていて平然としているのですけど、教育によって施された私の衣服はうんと言わない。サボタージュは悪いコトなのよと私を叱る。マンガとかアニメでよくある、白い羽のついた天使の姿をしたちっこい私は世間一般的に言う悪というやつをまったく嫌っていましてね。潔癖症のように許してくれません。しかし、教育という衣服をぬいだ更正前の私――黒い羽のついた悪魔姿のちっこい私ですね。こちらは先にも言った通り平然としている。ここで衝突があるわけです。天使と悪魔が互いに口論しあう。だから今日の私は、「学校に行くのもイヤだ。だけど学校に行くのもイヤだ」な状況なのです。ワガママちゃんですね。でもやっぱり、装飾品より本体の方が強いわけです。というわけでサボタージュ。天使ちゃんが私を叱る言葉は罪悪感としてココロに残るのですけど、剥き出しの私は正直です。もういい加減普通だよ、と言い張るのはやめにしましょう。認めます。私は普通ではないです。一般的を普通とイコールでつなげるのであれば、が前提ですけれどね。私は一般的な思考回路を持っていなかったのでしょう。親も親で変わり者ですから仕方ありません。けれど、教育として一般道を教え込まれたので、私は一般的な行動も知っています。そして仲間はずれはキライな私です。普通に属そうとがんばって天使の私の言いなりになろうと必死に思い込んだりもしましたが、無理なのです。普通のコはさぼったりしないんでしょう。学校は、義務教育でなくても行かなければいけない場所。サボリをしたコトのない人は、無意識に学校を休むというコトに対して得たいの知れない恐怖を感じているはずです。昔の私がそうでした。「私が生きるのは私の意志。学校に行くのも私の意志。自分の意思に従って何が悪いの? 学校を休んではなぜいけないの? 規定日数ぎりぎりの登校回数だって、進級できれば問題ないじゃない。皆勤で学校に通っても、ギリギリ留年の危機を回避しながら通っても、結果的に卒業はできるじゃない。目的が卒業に設定してあるなら、それはどちらの方法を選んで通っても同じにならない?」学校をさぼったことにない人にこう質問してみても、私の知りたい答えは返って来ないでしょう。「だって学校は休んじゃいけないものでしょう(もしくは、行かなければいけない場所、と言われるでしょう)」ならばそれは誰が決めたのかと問えば、「だってそう決まってるの。行くのが当たり前じゃない」と返ってくるのではないでしょうか。多くの場合。上の会話は言葉のキャッチボールがきちんとなされていませんよね。黄色い玉を投げたら相手の顔の横を素通りして、相手が自分が持っていた赤い玉を投げ返したのと同じようなものです。疎通していない。つまりはそれが、私が一般的な思考回路ではないということです。一般的な道を生きている人は、赤い玉しか持っていないのです。けれど私は黄色い玉を所持している。それだけの違いです。まあ、上での会話にもたくさんの穴があります。そこらへんは見逃してください。あくまでも例文ですから。あの最初の会話に筋を通そうといなら、もっとたくさんの言葉が必要になります。そちらの説明をしたんでは、あまりにも文が長くなる。テーマがズレてしまいます。この弁明だって趣旨がズレてますがね。文章のプロではないので甘く見てください。一般的に、私の言い分は屁理屈というカテゴリに区分けされるのでしょう。でもへその曲がっている私は、自分の言い分を屁理屈とは思いません。私の意見を屁理屈だと結論付ける人々の言う「理屈」とやらとは、基準が違うだけだと思うのです。正しいと思うことの基準ですね。善悪の違いと同じです。理屈は一般論です。大衆にとっての正しいコトでしかないと思います。私は一般からズレてしまっているから、屁理屈に見えるのです。私は、一般のカテゴリに区分けされている人の言う屁理屈を、理屈だと考えます。間違っているとされる考えを肯定したい。そうしたら、普通ではないことを認めざるを得ませんよね。それでも私は自分を普通だと思います。一般的ではないとしても、もとは私だって普通の人間です。普通の人間が、普通とは少し違う視点からものを考えるから、結果思考回路は普通ではないと言われます。けれど中身は普通なのです。思考回路が普通ではないだけで、普通の人間です。サボリ未経験の人にとっては、こんなにも平然と、そして大量にサボる私を破天荒で普通ではないと思うかもしれませんけど、いたって普通です。ただサボる度胸があっただけです。もしくは、サボっても生きていけるということを知ったというのか。よく父には、「学校に行ってない人間のどこが普通だ」と言われますが、普通ですよ。人間としての芯たるところは普通です。サボってしまう癖が身についてしまっただけ、とでも言っておきましょう。私は良心の塊のような、天使のちっちゃい私だけが普通とは思いません。むしろ、天使のちっちゃい私だけでいる方が普通ではないでしょう。善にばかり傾いていて悪を知らない。はてさて、それで人間と言えようか。私は剥き出しの自分こそ、より普通だと思っている。そちらの私の方が平均的な高校生としての葛藤や苦しみや、喜びを知っていますから。しかし、これこそ一般的に言う「屁理屈」になるのだろうか。結局は、普通というものの意味をどう捉えるか、ですね。普通というものがどういう意味であり、どういう部分に適用される言葉なのか。そういうところが個人によって差があるからこそ、言葉での疎通って難しいですよね。会話の当人達の間で、使う言葉の意味が違っていたらズレが生じて会話にならない。日々の会話のなかで、そんな小さな「ズレ」が、人の心をかき乱す場合もある。言葉だけで他人に自分の気持ちを伝えるのは非常に難しい。外国のことはよく知りませんが、こういう曖昧な部分が、言語の難しさですよね。とても難しい。けれど、難しいからこそ、その壁を打ち砕いてしまいたい願望があって、私は小説を、文章を書くのです。人間はロボットのように皆同じではないから、この壁を打ち砕くのは相当大変でしょう。もしかしたら永遠にできないかもしれない。しかしその苦難こそが私にとって大きな楽しみであり、また、そういう違いがあるからこそ、コミュニケーションというものが大事にされるのです。◆はい、結論を考えずに語り始めて思わぬところに無理矢理結論をこじつけたのでわけわかりません。支離滅裂ですね。起承転結を一から訓練し直した方がいいかもしれません。(もとからこの日記に起承転結なんて期待してないし成立させるつもりもありませんけどね)さて正真正銘の「日記」を書きましょう。サボリへの自己弁護兼説明がここから始まります。昨日よりは咳の具合もよく、体力の消費も少なかった今日なのですけど、昨日つらくなかった代償が今日来た。時間差攻撃。中途半端に苦しいのが一番キライです。はっきり言ってむかつく。動けないわけではないけど、普段の健康体の時よりいくらかツライ。普段はコンクリートなのに途端山道に変わるようなモンだ。なのに周囲にはいつもと変わらぬ対応をしなくちゃならない。っていうのは私が自分に勝手に決めたルールみたいなモンですけどね。少しツライなら少しツライんですって顔してりゃいいんだけど、それが私はキライなモンで。かと言ってツライの隠すのも、それまた苦しいモノがありまして。嫌気がさすわけですよね。だから中途半端に苦しいってのは一番キライなんだってば。というわけで、嫌気に負けて休んじゃいました。ゴメンナサーイ。ビバダメ人間。ダメ人間にビバとかつけてる時点ですでにダメダメ。あーもーすみませんね奥さん。おべんと作ってくれたのに休んでサー。悪いと思ってるよー。だめだー。テンションにひきずられる。で、久々かと思われる長文を書いたわけってのは、感動。小説読んだらココロに言葉が溢れちゃって自分の限界超えちゃったワケっスよ。排泄しなきゃね。溜まったら排泄しなきゃね。もー北村薫素敵すぎ。知ってたけど。やっぱ素敵。昔の方が文は稚拙だけど、おもしろみってのは関係ないのね。完成度とかで言ったらいまより劣るんだろうけど、やっぱおもしろいのね。良い小説に出会うとココロに言葉が溜まってしょうがない。考えるコトが豊富に溢れてくる。なによりもの刺激物。言葉で攻めてくれると言葉で排泄できるから素敵っスよね。景色とか感性で感じるモノっていくらココロに感情が溜まったって武器が言葉じゃないから、排泄すんのが大変。まずその感動を言葉に変換するトコから始めるからね。あーもー、考えるコト多すぎ。感じるコト多すぎ。言葉が溢れてくる。たっのしーね。ハイです。なちゅらるにはい。ナチュラル二杯じゃないよ。かと言ってこれで対人関係の方のボルテージも上がるわけじゃないからなあ。人間って複雑すぎてメンドー。とりとめないのでそろそろストップかけときます。ああ、こういうときに小説書いたらガンガン進むんだろうに。(しかし読後すぐは、その小説に影響受けすぎてて自分の小説にならんから書かない。二次創作に近いオリジナルなんてイヤだ。)あーたのし。だからと言ってこれから学校に行く気は、さらさらない。うわー読んでるヒト落胆しないでー!
2005.09.06
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◆最近、自分は一般論からはずれている人間だと自覚してから、だいぶ楽になった。フツウとは違う自分を認めるようになった。それができるようになったのは、小説を書いて、ジュヴにはいって生活するようになってからだ。フツウじゃない自分を否定しないでいてくれる。むしろ、肯定してくれる。どんなに楽になったか知れない。小説においては、フツウじゃない方がおもしろいなんて考え方もあるし。たぶん、フツウではない自分を認めだしてからだと思う。目つきが優しくなってきたのは。自分を認める=自我の確立だ、と考えているので、ジュヴにはいってから大人になれたかな、少しは。ジュヴをみつけた原因は決してイイモノではなかったし、周囲の人間からは後悔していると誤解されたりするけど、やっぱり手に入れたモノの方が大きいから後悔にはならない。たまに後悔するけど(笑)それはまた違う話。違う自分の話。人生って楽しいね!>結論(ところで勉強は? とか、聞かないでくださいね)
2005.08.16
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◆目的と手段。私にとって表現する手段として小説があって、表現するコトが目的な、わけです。本当は。それが最近は書くコトが目的になっていたなあ。あるヒトと話していて、やっと気づいた。だから息苦しいんだ。最初の頃よく思っていた。「小説のために自分がいるわけじゃない。私のために小説があるんだ」と。その言葉の意味をやっと今理解した。自分で言ってたくせに理解するの遅いな(笑)書かなくちゃ、と思うと逆に書けない。だから、結局書きたい時に書くしかないんだろう。プロじゃないんだから。書きたいモノを書きたい時に。そうなると、フェスタにはあまり向いてないよな……。これからは飛び入り専門になろうかな。
2005.08.14
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◆昨日悪いコと会ったために思い出してしまった、過去の自分について殴り書きます。排泄しないと花火に行けない!なんていうかね。昔の私はいまよりもはるかにガキで、自分が大人だなんて自惚れていた時期がありまして。その頃は、ちょっと不良……っていうのかな、良いコでは、なかったです。イキがっていた時期というモノが二年間ほど存在するのです。その頃はタバコもカッコイイと思ってたし、先生に怒られて呼び出しくらうのは勲章だと思ってました。ハイ、バカでした。詳しくはひかれるとイヤなので言いませんが、とにかく「勉強のできる不良っぽいヤツ」に憧れていたのです。ダサイのがイヤだった。いまでもダサイといわれるのはイヤだけど、意味合いが少し違う。やたらスカートを短くして怒られたり、髪の毛染めて染め直しを何回もさせられたり、ギャル系の服に走ったりね。いまじゃもうあんなん着れません。よく着てたな。かと言って、イキがってる男子はキライでした。余計にダサく見えました。矛盾していますがね。制服も清潔に着こなしながら、マジメじゃない生物に憧れてたのかな。マジメちゃんが多い学校にしたら少し目立っていた方だと思います。基準としては、「私をわからない後輩がいない」って感じかな。学年が違っても顔を知られてる、目立っている方。埋もれるのはイヤだと思ってました。いまはそんなんは結構どうでもいいんだけど。で、その頃は。目つきがすこぶる悪かった。恐い、と何回言われたコトか!高校に入ってやっと直ったのです。恐い目つき。どれもこれも敵なんじゃないかっていう目をして、すべてを嘲笑うっていうのかなあ。そんな感じ。昨日悪いコと会って、それを思い出してしまったのかな。ひっぱられてます。カラダに染み付いた「睨み癖」がまた復活しようとしてる。私、家の中で鏡に出会うと必ず笑うコトにしているのデス。笑う角には福来り。なのにね、なのにね。今日の私ときたら、鏡に出会うたびに睨みつけているのデスヨ。ガン飛ばし。…………やめてくれ…ッ!丁寧な口調を使うより、乱暴な口調の方がしっくりきてしまう。うわあ、どうしよう。直れ直れ直れ。私はマジメちゃんになるんだ。適度にマジメちゃんになるんだ。カッコつけてるだけなんて逆にカッコワルイんだから!直ってください。これじゃ怒ってると勘違いされるよ。眠くもないのに勘違いされてたまるか!うーん、どうしよ。これで浴衣なんて着て、綺麗に歩けるのか。和風に振舞えるのか。絶対ムリ。どうしよ……。刻一刻と待ち合わせの時間が近づいてきます。うん、ホント、どうしよう。
2005.07.28
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◆夜の十時に、いきなり「ヤツが来る!」なんてメェルを送られてきて、参上してまいりました。離島からもうひとり戻ってきた人間がおるのデス。いやあ、変わってないねマジメくん!キミの周囲には辞めたコふたりにギリギリで首つないでるコひとり(私)がいたけどね。十一時で目が据わるほど眠いってのもどうかと思うよ高校生。そのコが帰った後、また違う幼なじみが乱入してきました。アンタ、変わったねえ……。根性焼きが入ってました。あんなに大人しいコだったのに!ガリッガリ。中学の時から変わったなあと思ってたけど。さらに悪いコになっててびっくり。やくざとかテキ屋とか。知らない世界の話をしないでくれ。見捨てる気満々だったんですけど、そのコが喋ったらなんか昔とおんなじで。遠くから微笑してようかと思ってたのに、心配になりました。やっぱり第2の兄弟か。あいつ気弱いからなあ。周りに流されたまま、抜けなくなったらダメだぞ。ちゃんと戻ってこいよ。オカアチャンが心配してるだろうに……。同じ団地に住んでいた幼なじみです。しかし、まあ。あの団地に住んでたタメのコで、グレないでマジメに育ったのはひとりだけっていうのもなんかね。どんな団地だよ。夜中まで遊び歩いちゃってー。私だってまあヒトのコト言えなかったけど、ねえ。ダメだよちゃんと、親には感謝しなさい。反抗期だろうからしょうがないんだろうけど。ふたりそろって親には感謝できてないって、ダメじゃないか。親には感謝しなさい。感謝しながらグレるのは良し。(ホントはダメですが)戻ってくる保証があるならグレてもいい。一時の迷いですむ。けどね。やっぱね、心配です。昔と変わらない笑い方をされたら余計にね。変わるならとことん変わってくれないと、やっぱ見捨てられないよ。◆というような話を、父としてました。うちのパピィだって、あいつらの第2の父ですから。家族ですから。心配だって言ってました。反抗期だからしょうがない、って言葉で割り切れないモノですからね。やっぱり心配して言葉をかけるでしょう。でも反抗期の時のコドモにとって、親って一番遠い存在になり果てるから。早く大人になれよ。反抗期のないコドモよりは心配しないけどさ。コドモってサバイバルなんです。周囲にあわせないと生きていけない。よっぽどカリスマ性がないと、ね。中学のオトコのコなんてみんなそうでしょう。やんちゃじゃないオトコは、やんちゃなオトコにイジメられるのが常だから。高校はいってやんちゃが抜けるか。それとも高3あたりで気づけるか。そこがモンダイ。うーん。難しいね。でも見捨てない人間がこれだけいるんだから、戻ってきて欲しいと思う。男子の世界って、女子もそうだけどさらに、「追いつけ追い越せ」だと思うんです。派手に、やんちゃに、不良ぶる。それが追いつくだけじゃいつか捨てられるか、いつまでも仲間にいれてもらえないで下っ端になるだけだから、一歩リードするようにやんちゃをする。ケンカしちゃったりね。タバコをガンガンに吸ったりね。そうしないと仲間にいれてもらえないんだよなあ。オンナノコは、結構そういうところは平気。イジメられるとかあんまりないし。逆にイジメられたらとにかく最悪だけど。難しいよなあ。マジメが一番、ってコトに早く気づかないと、どっかの誰かみたいにハッパとかにハマっちゃってキツイコトになるからなあ。目が緑色のヒトは要注意らしい。ハッパやってるらしいです。って、アレ?この日記でこんな話してよかったんだっけか……?だ、だめだ。なんか、久々に悪いコと会った所為で、基準がわからなくなってる……_| ̄|○私をそっちの道に釣らないでー。あ、私は真面目に生きてますよ。誓えないけど。◆飲んでませんよ、誓います。夏休みだけど飲んでないモンー(笑)めったに私を褒めない幼なじみが、私のお菓子は褒めてました。その前に色々けなされたけどね!(笑)ヤツのお墨付きをもらったので、また色々つくろっと。いつもながらですが、脈絡ない上に支離滅裂ですみません(笑)
2005.07.27
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◆今日でテストは終了。晴れて明日から夏休み!試験休み、という名前ですが、実質もう夏休み同然。あと二回行けば一学期は終わりです。なんとか乗り切った(笑)嬉しいことがありました。昨日、気づいたのですけど。私のクラスのトモダチは、みんな「ママ」だ。私の保護者みたい。「記号あったよ! 記号はちゃんと書きなよ!」「だいじょうぶ~??」「がんばれ」みんなが、テスト前に声をかけてくれる。優しいのです。同じグループじゃないのにね。「ちゃんと来たじゃん! えらい」「よく来たねー」「よかったねー」来るたびにそう言ってくれる。「明日もきなよ」と。言ってバイバイしてくれる。しかも、今日は、テストが終わって、抱きしめられました。よかったねって。嬉しかったです。とてもとても。よかったねって、私なんかのコトを喜んでくれる。終わって嬉しいじゃなくて、全部来れてよかったねって。嬉しいなぁ。嬉しいなぁ。春休み明けは、私がちょっと荒れていて、学校も行かないわヤツアタリ的な発言がでちゃうわ。迷惑かけまくりで、自分も色々……自分で言うのもなんかイヤなんですけど、客観的に見てズタボロだったので。なんかそうやって書くと悲劇のヒロイン気取ってるみたいでイヤなんですけどね。不幸に酔う人間にはなりたくない。絶対。……話がズレるなぁ。それで、もう学校にいちゃいけないなぁと漠然と思ったのです。だからいよいよ辞めようと思ったのです。それでも結局辞めるふんぎりがつかなかったのは、この人たちがいたから、です。辞めなきゃと思ったのもこの人たちがいたからだけど。結局最後まで捨てられなかったな。もう、一生とまでは言えないけど、在学中はずっと、捨てられないでしょう。捨てないで拾ってくれたクラスメイト全員に、全身全霊で感謝です。◆縮毛矯正の予定をカットしてだらだらパソコンやってました。終わったら疲れちゃった……。禁欲生活(笑)も終わり、晴れて小説が書けるし読める!いちおう、パソコンには触れても、小説は控えていたのですー。アイデアをメモるのも控えてました。だってキリがないんだもの。これからガンガン書きますよ。えへへ。いまだにダービーは、書きたい話が思いつかないのですけど_| ̄|○書きたいものしか書き上げられないのデス。さぁ、書けるゾ読めるゾ♪ えへへー♪幸せな風が吹いてます。幸せー♪
2005.07.09
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◆なんていうか、いい加減そろそろ勉強についてのコメントはやめたいと、心の底から思った一日でした。テストをやった日の日記で満足な記述がどこにあるだろう……!?とか言いつつ、こんなに創作脳な割りにちゃんと受けてた自分に驚きでした。数学以外はがんばって書いたサ。理系コースですけどね私。数学はどうしても苦手だようー。でも、わかると楽しいから困っちゃうな。理科は有無を言わさず全部おもしろいけど!結局は勉強って、わからないのに進んじゃうのがツマンナイ、ってコトですよね。ほとんどの学生の気持ちって。しっかり理解したら楽しいのに。理解する努力だけで、楽しみがひとつ増えてしかも時間は無駄にならないっていうなら、勉強嫌い、だなんて言ってないで勉強すればいいんですよね。授業中だけでも。……違う、そうじゃない。ダメだ眠くてまとめらんない…。理解する努力をしても理解できない子がいるから、塾や家庭教師があるんじゃないか。忘れてた。宿題としての自由研究はつまらなくても、自分から進んで知りたいと思ったコトは楽しいのと同じだ。うん?なんか飛んだ気がする。気のせいかなー。◆えっと、書きたいコトとか色々あったんですけど、眠くて無理みたいなのでよしておきます。ダメダメー。単語が頭の中でばらつくー。ばら売りー。よくわかんない。今日は日本語が正しく使いこなせない日です。いつもだ、とか言わないでくださいねー。わかってます!んー。眠くてテンションおかしい……。でも、書きたいのに!わーややこしいから黙ってなさいー。私は誰ですかー。青がやけに鮮やかに見えます。
2005.07.06
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◆昨日は暗い日記ですみませんでした。鈴さんにメッセで構ってもらい、その後感想を書いてまわったら結構回復いたしまして。私にとって感想って、一番自分勝手なコトを書いている気がする。その代わり書いたコトは全部ホントです。ウソがつけない代わりに、ハドメも知らない(笑)そして、そして、今日。励まして、いただいて。なんて嬉しいんだろう。なんて幸せなんだろうな。とてもとても恵まれている。幸せすぎて、手が震えていました。驚きです。昔からそうだけど。私はとても、人間的に恵まれています。親にしてもそう。近所付き合いにしてもそう。友人知人にしてもそう。みんないい人。これ以上ないってくらいに、みんな優しくて素敵な人ばかり。たまに、こんなにも恵まれているのに本人がこんなんかよって後ろめたくなるのですが。それ以上に、いまはがんばろうと思える。成長したんだろうなぁと思います。ああ、こういう風に、ずうっと、幸せを実感できる私でいられればいいのにな。昨日みたいに突然暗くなる自分がいなければ、人生ばら色……むしろ綿菓子みたいに、幸せいっぱいなのにな。とにかくいまは幸せでいっぱいで、とにかくとにかく幸せ。視界が綿菓子みたい。イメージも全部綿菓子。ふわふわとやわらかくて、おだやかで、幸せな色。幸せには代償がつきものとよく聞きますけど、この幸せの代償は一体なんなのだろう。もし代償が喘息とかアトピーとか、そういう先天的なものだとしたら。あんな小さな苦しみでこんなにも大きな幸せが舞い込んでくるなんて、それこそ幸せの極みだ。私を構ってくれる人、全てに、ありがとうと言えるキモチになれるっていいなぁ。前まではごめんなさいだったので。素直にありがとうというキモチになれるのは、とても幸せだ。うん。私ももっと、マジメな人間にならないと。
2005.06.28
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◆昨日は地震でした。アリエナイ。最近地震に対する恐怖がおさまってきたところに、また……。あんなに長く揺られると困ります。おたおたおたおた。結局起きてきたマミィと一緒に寝ました。もともと具合が悪かったのか、地震の所為なのかは知りませんけど、なにやらひゃっくりがたくさんでてしまって。眠れず。隣にいた母も眠れず。ほどなくして、おさまって、私は寝息をたてていたらしいです。覚えていません。◆言い訳の定義を広い意味で認めるのなら、「言い訳はしたくないんだ」という言葉さえ言い訳だと思う。そして、そんなコトを言わなくても、私は言い訳だらけ。自分をよく見せることがそんなに価値のあるものなのかな。あるからやってるんだろうけど。ときどき、馬鹿馬鹿しくなる。笑って、楽しければ、それだけでいいと思うのに。◆母と話をした。どうも、お母さんも疲れていたらしく饒舌。会社でいやなことでもあったんでしょう。聞き役にまわった私ですが、今日は機嫌がよくなかったのです。ごめんね。聞き流しつつ反論なんていう最悪な返答。「でも、」と答えるたんびにさえぎられる。わかってるくせに、それで苛々する。議題は中国と日本の政治経済及びそれにともなう国民の思想の相違点について。(長)そうして話しているうちに、私が一般論とはかけ離れたところに飛び石のようにはねることがわかった。しかもそれが、私の中ではさもアタリマエなのに。一般的にアタリマエじゃない。小論文でいつも結論が飛んでしまうわけだ。そう、指摘されてしまうわけだ。私の考えていることを相手にもちゃんとわかりやすく伝えるには、もっと、時間をかけて長々と前置きをしてからでないといけないらしい。私は、「前提」としての一般論がないから。「前提」をあらかじめ自分で伝えておかないとつながらない。面倒な生物だと思いました。◆兄妹三人で風邪をひいたみたいです。のどがいたい。機嫌が悪いのは、たぶんその所為なのです。体調が悪いのが先か、機嫌が悪いのが先か。卵と鶏だ、これじゃあ。◆めずらしく反論します。とある日記について、勝手に。個人的な言い分。きっとこの日記を読んでいる人の大概は、誰の日記への反論かわかるでしょうね。いつもは「あ、はい。すみませんでした」とあらたまってしまうような方の日記ですけれど、今回は。反論というより自己弁護か。こういうところで言い訳をするからみっともないんだろうな。綺麗でカッコイイ人間になれたらいいのに。私が小説家になりたいと行き急ぐのは、報われたいから。どうしても。若いからこそ、一喜一憂して、激しく目標にぶつかって、壊れるなり報われるなりすればいいと思っている。本気で小説に憧れるキモチは確かだ。ホンモノだ。でも、その影で報われたいと願ってやまない自分がいる。被害妄想もはなはだしいのですけど、それなりな不幸を味わってきたと思う。代わりにそれに見合うだけの幸福も味わっているのですけど、この場合それは置いておきます。不幸はなんらかの、「形」となって報われなければいけないと無意識に思ってる。そんなことを考えても無駄だとわかっていながらそう思っている。事実。小説を書けるだけで幸せ。読んでくれる人がいるだけで幸せ。評価をもらえるだけで幸せ。だけれど私は欲深い。どうしようもなく、欲深いのです。上を、もっと高い評価を求めてしまう。自己を評価されるよりももっと信じやすい、「自分の作品への高い評価」が欲しくなる。そしてそれに形を求めてしまう。笑われないだけの立派な「形」を求めてしまう。そうした形で、夢をかなえて報われたいと願ってしまう。だからこそ行き急ぐのです。誰よりも早く、一秒でも早く、報われたい。もっと高い評価が欲しい。そう思って。不純だと思います。小説を書く理由としては。でも、小説家なんてみんなそんなものじゃないのかと思います。だって所詮みんな人間だもの。天才なんて数えるぐらいしか存在しない。小説家だって、ひとつの職業ですから。昔はこんな自分の考え方が嫌いだったし、不純な理由で小説家になりたいと思ってはいけないと思っていました。でもジュヴに入ってから変わりました。不純でも、小説を好きなキモチが確かならそれでもいいんじゃないのかと思い始めたのです。だから私は小説家になることを諦めないし、行き急ぐ。見苦しくてもなんでも。だって私は、悲しいことに私が一番大切なんですから。私は、小説が一番すきなのですから。こんな想いも逃げだとしたら、なんて悲しいだろうと思う。学校や勉強という日常からの逃げだとしたら。それならば、私は本当に芯から不純になってしまう気がしていやだ。私は潔癖症なのです。◆批判に恐れをなさないという強さがうらやましい。やわらかくて、綺麗とは言えないけれど、ゴムのように強い。強靭な諸刃の剣ではない。私は、強いということはゴムのように柔軟なことだと思います。ガチンと刃物のように固い強さなら、いつか折れてしまうと思う。ゴムのようにどんな衝撃も緩和する、そんな強さがもてたらいいと思いますけど。私には向いていなさそうだし、なりより、それに憧れることとなれることは違うので私は諸刃の剣を選びます。最初から諦めです。でもどっかで、やわらかい強さを望んでいる。◆すみやんに言われたことがアタマのなかに残って苛々します。時折哲学的な論争を繰り広げるときはお互いを理解できているのに、日常のなかでは理解してくれていないのだと思うと。やっぱり私とすみやんは違う種類に属しているのだと実感します。すみやんの属する場所を、私は本能的にわかっている。指摘できる。でも自分がどこに所属している種類の人間なのかわからない。困ったチャンだなぁ。でも、実際思うのは、キツイコトを言うのは家族だけにしておきなさいって思いました。私じゃなかったら、泣いて大喧嘩になってもいいぐらいだ。傷つけるのは簡単。傷つけたことに罪悪感を感じるのは、難しいのだろうか。あまりにも簡単に見えるのにな。容赦ないとげをぶつけないでくれと、言いたかったです。以上、愚痴でした。
2005.06.20
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◆ダメだ。最近「にゃんこ病」がうつった。おもにジュヴからであーる。昔はにゃんこ病にかかっていたためか、にゃんこ病が再発しようとしている。ダメだ、ダメだ。だってキモイジャン……私がやると!◆最近太ったわ……。どうしよう!?明日はせっかくの月斗さん上京なのに、おめかしできないわーうわーん。するけどね。おめかし。明日はトモダチの誕生日会なのでウハウハ♪でもそのまえに歌だよ、歌……_| ̄|○カラオケは好きなんだけどなーうーん。最近誰もカラオケにつきあってくれないからフラストレイション。がんがんにフラストレイション。歌いたいー。カラオケー。◆中身のない日記ですみません、いつもいつも。屍鬼がおもしろい。おもしろいんだ、とても。ついつい読みふけってしまう。明日と明後日のために、なんとかしてエネルギー充電しておかないと。読み終わらないと!我ながら、最近読まなくなったと思っていたけど、やっぱりおもしろい小説は読むのね自分。五巻までたどりつきました。最終巻です。ステキです。沙子さあーん。愛してる。年端もいかないコドモだけど。いいえ、コドモだからこそだ!最近熱しやすく冷めやすい自分にとても気がついた。また、熱し始めてます。あー。◆どうして、こう。ないものねだりばかりするのだろう。手に入らないものばかり欲しくなる。手に入らないとわかっているから欲しいのでしょうか。手に入るものはたくさん溢れているのに、手が届くものじゃ、いや。だからいつもフラれるんだ_| ̄|○えーん。いいもん、どうせ、可愛くないしー。性格つめたいしさー。いいもん。自覚してしまうと、ツライなぁ。一喜一憂が。私は自分を惚れにくいと自負していたのですけど。どうやら違うみたい。ヤダなぁ、こういうの。女々しい。
2005.06.17
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◆かくしてクッキーは個人的に大成功。さくさく、新感覚。おいしいじゃないのウフフ、みたいなコトを思っていたら、「えー、固いクッキーの方が好き」……………。ク ッ キ ー 返 せ !いいもん、このやろー。野郎じゃないけどね。オンナノコだけどね。ケーキ焼いてきてよといわれたので、「焼くだけなら簡単だよ?」と返しました。「じゃあ、焼いて中にフルーツつめて持ってきてよ♪ あたしチョコケーキがいいなぁ♪」焼くだけ、と言ったはずデスヨ?人の話を聞かないこのコがダイスキです。◆私はとてもとても、普通、って感じのコに憧れる。普通のコだいすき。別に家庭とか成績とかが普通じゃなくてもいい。とにかく普通の思考をしている、ちょっと愚かで可愛くて能天気で、特に平和なコが好きなのデス。適度に悩んでいたり、適度に悪口言ったり、適度にイマドキだったり。適度がそろったコがいい。そんなコってとても稀じゃないですか。でも、そういうコがダイスキなのです。でも、基本的に私が「適度」じゃないコなので、他にもトモダチが欲しくなるんだよな。適度じゃないコが。そんな風にして友人の輪を広げていったら、なんだか自分の周りにはいろんな「種類」の人がいるコトに気がつきました。おもしろいデスヨ。なんでか、私の友人たちの間につながりはないのですけど。私とAさんはトモダチ。私とBさんはトモダチ。でも、AさんとBさんは仲良くない。そんなケースが多数。おもしろいですよね。私は欲張りなんです。その結果がこれか。◆家に帰る。眠い。ヒマダ。いやいや勉強するか小説書けよ、?まさか。ノンノン。無為に時間を過ごすのさララバイ。そうだよ子守唄ダヨ。眠いんだ……。◆日光から帰ってきた兄から、スケッチブックをいただきました。なんかね、結局使わなかったんだって。やったネ☆お絵描きだお絵描きだー。絵の具がほしいよー。書きたいコトはそれはそれはたくさんあるのですが、眠いので書き切る気力がありません。上手に書ける自信もありません。なんていうか、自尊心はあります(何)。外分が意味不明です。授業もっと真面目に受けてればよかった……_| ̄|○意味ワカンネーヨ。ワカンナイノサ。感想書きたいなー…。気力が、な。更新されないなら自分が更新してしまえ、鳴かぬなら鳴かせてみせようホトトギスです。投票数もあまり伸びないし、感想もあんまし増えないし、変化を求めるのならみずから変えてしまえばいいと、そういうわけですね。よくわかりませんね。眠いんです。朝っぱらからクッキー作ってたからな……。小説家は気力が必要だと思います。書く気力、描写しきる気力。妥協しないコト、大前提。公募ガイド見に行ったのですが、うーん。文芸のトコだけ欲しいな。◆とにかく早く夢をかなえたい。夢は叶うことを教えたい。報われることを知ってほしい。時間はいくらでもあるからと、普通の意見が通用しない。早く小説家になってみせたい。なんて言えばいいんだろう。本当のコトなんだろうか。はい、これに触れるコト禁止。
2005.06.10
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◆日記を書いた後、公募ガイドを買いに行ったんですけど。その時、通っていた小学校の近くでアヒルと鴨を飼っている家の前をとおり、思わず足をとめると、おじさんが話しかけてきてくれまして。動物ダイスキッ子ぶりを発揮しながらたくさんおしゃべりしました。優しい人とオハナシするとうきうきるんるんになる。気分がほんわかと和らいで穏やかでパステルカラー色のキモチになれる。その時に言われた嬉しい言葉。「ああ、あなたみたいな人もいるんだね、やっぱり」何に対してのことかはよくわからなかったのですけども、たぶん動物への溺愛っぷりを言ったのでしょう。嬉しかった反面、そんなにも動物を溺愛する人間が少ないことを知ってショックでした。でもアヒルさんとガコちゃんに会えたからいいや♪うふふふふ。(不気味)◆公募ガイドが見つからずじまいでした。私は物を探すのが得意じゃありません。◆しかし。寝てないのに、眠くないのはなんで?寝る機会を過した?まさか。眠くなかったし。これ、なんだろう。お薬飲むか……。…………明日映画なのに、起きれるかなぁ…。
2005.06.07
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だからといって、学校が皆勤なわけじゃないのが痛いな。◆貧血の原因は、タバコにもあると思うんですよね。ビタミン破壊するじゃないですか、タバコって。ヘモグロビンだかなんだかが発生?するには、ビタミンCも必要なのデス。鉄剤だけ飲んでりゃいいってわけでもなくて。出血を伴ったわけでもないのにヘモグロビンの値が減っているのはその所為なんだと思うんですよねー。採血の時にすでに吸っていたかどうかは覚えてないけど。たぶんそう。だから、チョコラBBも追加で飲むのデス★お肌も綺麗になる……のかな?◆学校では『レア』という別名がついています。えへ。そして、久しぶりに古典の先生と会う。数Aもあまりでてはいないのですが、数Aの先生には会っているので。古典の先生が喜んでました。「なんか嬉しいね」と。そう言われると辞める決心が鈍ってしまう。だから嫌なのになー。学校は嫌いではないけれど、授業が、ね。やっぱり、ついていけなくてもつまらないと感じる。なまじその日の授業の分はあらかた理解できてしまうから余計に。お喋りなんていらないよ、もっと進めて。余所見をするヒマもなく問題と解答を進めて。それが勉強じゃないの。そう思ってしまうのです。我儘な上にヘソ曲がっているので。中学の時に通っていた塾が、進学塾だったもので。そのクセがいまも残ってる。理解も計算もできないくせに。あっぷあっぷしてしまうくらいに早い方がいい。お喋りできる余裕ができると、トモダチと雑談しててでも追いつけてしまう。喋れるトモダチが隣にいるならまだいいんですけど。中学の時はそうやってたし。基本的に授業は真面目に受けない。塾でがんばる。でもいまはどこでもがんばってないからなー。授業馬鹿にできないんだってわかってるんだけどなー。人間についての分析ができるほどのヒマを与えないでください。ネットに頻繁に出没しているときっていうのは大抵思考がぐるぐる回転しまくって(空回りですが)、そして批判に走る思考になっているときなので。批判したら、幻滅しちゃうじゃないですか。気づかないように自分を騙すなんてできないし。今日、母に、「自分を騙すことが大事なのよ」と言われましたが。できるならとっくにやっているさというもの。自分を騙せるほど頭が良いわけじゃないし強くもないし馬鹿でもない。回転が速い方だと思う。自惚れではなく。喋りながらは遅いですけどね( ̄▽ ̄)日本語が上手に喋れないコです。←こんなんで小説家目指していいのか?ぐあーっと思考が一気に駆け抜ける時がある。まるで文章の早読みをしているみたいにとてつもない速さで。そういうときはとても困りますね。って、話がズレました。結局言いたいのは授業スピードをあげてほしいというコトです。あまりにも速いのなら、追いつこうとやっきにもなれる。授業にでると理解できてしまうから、その苦労もする気になれない。やっぱり学校としては、選択間違えたな。トモダチに出会えたのは嬉しいけど。喋りが巧い先生ならいいんだけどなぁ。面白い、興味をわくような雑談は好きですよ。その場合は大抵教科書からズレていくんですけどね。◆手の甲をひっかいてしまったのでイタイイタイ。包丁で手を切るより、引っ掻き傷のが痛いです。ひりひりひりひり。そして、バレーボールで爪損傷_| ̄|○爪やすっときゃよかった……。気づいた時には小指の爪が消失していました。いつのまに……。◆今日は、遊んでくれるヒトもいなく遊ぶ気にもなれなかったのでお早い帰宅。明日は映画鑑賞の、予定。予定です予定。それに備えるのデス。まぁ、お金はいつもどおりないのですがね( ̄▽ ̄)……(;_;)◆今日はすこぶる機嫌がよい。うむ。思うに、昨日小説を褒めていただいたからだと思います。嬉しい。私の機嫌はだいぶ小説に左右されている気がするな。文才がないことに気がついては泣くほど落ち込んだり、表現力がなくて、言葉も全部借り物だとわかった時にもヤツアタリする気力もないくらい落ち込んだり。国語の能力がないコトを嘆いて嫉妬して勝手に悲しんだり。小説書きの方って大体国語の点数いいじゃないですかー。小説家に資格なんてないけども、なんとなく、小説家として持っているべきものってあるような気がして。透明な資格とでも言いましょうか。みんな例にもれず頭いいしさー_| ̄|○……勉強できないコでも、きっと小説家になれると信じて、がんばっております。馬鹿でもなれると信じて。私は頭が悪いとは思わないけれど、良いとも思わない。だって馬鹿だもの。聡明な人間じゃないもの。物忘れ激しいもの。←こちらは私生活に膨大な影響を及ぼしています。でもそんな風に沈んだとしてもやっぱり小説家になりたくてしょうがないから、がんばります。昔、漫画家とかに憧れていた時期があったりしたけれど。そんな憧れなんかじゃないのです。本気で、目指しているのです。子供じみた幻想だと笑わないで欲しい。本気なんだから。別に誰かに笑われたわけでもないですけどね。簡単に「なれるよ」「なってよー」そういう風に言われると、軽んじて見られているような気がしてならない。もっと本気なんだと、心の中で叫んでる。口にだす勇気もないし、応援してくれているのだからそんな勝手な逆ギレありえないし。被害妄想に近いのかな。◆タンポポコーヒーというのがあるらしい。カフェインがないんだって!私にも飲めるかな。◆体育が結構ツライ。なんていうか、笑いすぎて吐きそうです。(真剣)◆ヒマだ。たまには勉強でも、して、みる、か……?イヤダー。勉強は嫌いでも、参考書(主に理科、生物関係)読みふけるのは好きなんですよね。前にお兄ちゃんに与えてもらったわかりやすくおもしろい文を書かれる参考書を読みふけっていたら、「おまえそんなの読んで楽しいの?」と聞かれました。ええもちろん。図書館に行って自由によみふけっていいと言うなら、読みふけるさ。ひとりで図書館に行く勇気がないのだけどねー。だって知り合いが住んでるんだもの、図書館の上に。気まずいじゃないの。◆授業中に思ったコト。家庭科の教科書に落胆した。なんでいまさらこんなわかりきったことをやるのかわからない。しかも、保険とかさ。そういう、将来絶対必要なところはとても少ない。例もあまり書かれていない。料理ばっか。あとはわかりきった栄養のことと、生活について。そんなの、わからない方がダメなんじゃないか。イマドキの子供ってアタリマエのことすら勉強しないとわからなくなってしまっているんですよね。豊かな証拠ではあるでしょう。豊かだから、子供が色々なことを心配しなくてもいい。だけどあんな勉強をしたって、自分に関することだと理解できる人間はどれぐらいいるというのだ。家庭科なんて、暗記物の教科書と化しているじゃないか。倫理にしたって、保健にしたってそうだ。人間が必要最低限な、大学行かないにしても将来役立つ知識を、何故自分の身に重ねるように教えないのだ。そういう風に教えないで事務的に教科書をなぞる授業しかやらない先生も先生だし、自分のことだ、と思わないでいいような客観的すぎる書き方をする教科書も教科書だ。うちの学校の保健は、結構見習って良いと思う。私は大体寝てるけど。(先生ごめん)教科書をあまり使わないで、「あなたたちもそんな危険がすぐ傍に転がっているんだよ」という語りかけるような教え方をしてくれる。それで真剣に授業に参加して、質問をして、自分に応用できる知識として身につけている生徒がいる。家庭科とか保健とかは、スキンシップがあっていいと思います。のらりくらりの授業でもいいと思っています。あと、政経もそうなのでしょうか。私のコースは政経の授業がないのであまり深くは突っ込みいれられないのですが。家庭科の授業はいつもあきれる。だって、授業なんてでなくても勘である程度の点数はとれるじゃないか。授業中に読書していたって完全暗記な部分だけ覚えたら後は赤点なんて心配する必要もないじゃないか。機械的な授業をして、それで何が得られるんだ。家庭科で。調理実習だって刷り込みじゃないのかと思う。あれはだめこれはだめ、そして先生の(もしくは教科書の)作り方に絶対的に沿っていないと認めてくれない。嫌な自己主張を言わせてもらえるのなら、「私の親は料理をする人間で、その親から教えてもらったことを実行したら確実にダマなんてできないのに、どうして先生のやり方に沿わないと認めてくれないの。私なら先生より美味しいもの作れる自信あるけど?」というわけです。生意気ですけどね。りんごの皮も向けない中学生、高校生がいる。家庭の中で身につけておくべきことが備わっていない。だからこそ、学校で、ムリヤリ教え込むのだ。そうしないとみんな何もできないのだ。そんな若者に少々いらだちます。だらしがないだろうと思う。(大体料理なんてひとりか、多くても三人ぐらいで作るものだろー。その家その人に独特のレシピがあるだろー。なんで班で固まって決められたものを作ることしかやらせないんだー。調理台の準備とか、予算に無理があるのはわかってるけどさー。)政経だって、新聞読んで親に質問してればすむんじゃないの? 私だってできてないけどさ。そういう習慣をつける授業をした方が身になるんじゃないのー??とか、生徒側の勝手な言い分でした!いや……これって生徒側なのか?まあいいや。◆いつもどおり。どうしてこんなに日記が長いのか、といえば、眠いのです!!!!!
2005.06.07
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◆はてさて、困りました。テレビで格付けしあう女たちってあるじゃないですか。ロンハーの。あれ見てた時父が言ったのです。「みんな感受性高いんだろうなあ。すぐ泣くもんな」……。この言葉に、私は困り果ててしまいました。なんだって? 泣きやすいってコトは感受性高いってコトなんかい?私、自称感受性の高い(強い)コなんですけども。滅多に泣かないんですよね……。実は感受性が高くないのでしょうか。ちょっと困ったな。周囲からは感受性が強いと評価されていると思うのですけど。ていうか、それを売りにしたかったのですけど。だって小説書く上で有利じゃないですか、感受性。白い紙を見て何も思わないより、白い紙を見てにおいを感じたり手触りを感じたりした方が、描写は的確になるし、書いてておもしろいじゃないですか。困ったな。泣かないんですよ。よく泣くというコトが感受性につながるとは思っていなかったので、今日は考えさせられました。これからは泣いてみようか。でもな。キャラ的にありえないのヨ。◆人間に対しては泣きませんが、動物に対してはよく涙ぐみますけどね。たまに動物見てるだけで泣きそうになるよ(何故)。可愛いなぁと思うと同時に、なんだか不憫でね。それが動物が死ぬなんて話だったら最悪に泣きますよ。クワガタが死んで泣くコなので。しかも小6です。馬鹿なコドモでしたね。いまも馬鹿と言われれば否定できませんが。動物って悲しい。それと同時に、おばあちゃんと、幼い子供に弱い。何故かおじいちゃんよりおばあちゃんの方が弱いんですよね。謎です。おばあさんがオレオレ詐欺にひっかかるとか、お年寄りを狙っての犯行とかのニュースを見たときは、テレビに向かってぐちぐち吠えてます。だってなんだかやるせないじゃないですか。善意をくじく犯罪は特に嫌いだ。でもワカモノが被害者になってもなんとも思わない。むしろおもしろいとすら感じるのに。不思議ですよね。幼児虐待は許しません。……二律背反なのかな。◆語彙を深めたいです。長い小説を書いていると特に、同じ表現が目立つ。飽きるしつまらないじゃないかこれじゃあ。他の表記の仕方はないのか、検討するものの。一人称で書くとあまりキャラにそぐわなさすぎる文は書けないし。まァ今回は個人的に、一人称のくせに三人称のような感じがします。若者言葉は避けたいのです。読みやすさを念頭に置くと、三人称のような一人称になる。困るな。一人称が窮屈になってきた最近。というか、表現したくて、欲張りになっているので。主人公じゃ表現しえない表現方法が思い浮かんでも封じ込めなければいけないのが最近窮屈。これからは三人称が増えるかもしれません。成長した証なのか、変化しただけか。
2005.05.31
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携帯から日記を書くのは初です。日本語を正しく使おうとすると大変ですね。句読点とか。普段メェルでそういうのは使わないので。えっと、お知らせ。パソコンがネットにつながらなくなりましたο(_ _)ο悲劇!!!!すみやんがね、ごちゃごちゃいじったら使えなくなりました。このネット依存者になんて苦痛を味あわせるんだ……!ていうか調べものもままならないのが痛いです。かなり。かなり!!!!てか。眠れません。最近寝付き悪い……。起きる時間が遅いからかな。朝になると眠れる←ダメじゃん。今日ゎ。とぃぅか昨日なんですが。父とお話しました。マミィにゎ内緒。なんかね。昨日相談しようとしたらカナリそっけない態度とられて。とうとう捨てられたなっておもったんですヶド。違ったみたいです。母に口出しを一切禁止されていたらしい。そんな馬鹿なッッ(´Д`;)五反野にあるもうひとつの我が家でお話してきました。(今の家ゎ借り家なのです)考えをはっきり言えてちょっとスッキリ。父にゎ言えるんです。母にゎ言えません。いろいろと問題が生じてくるので。いやァ、パピィもがんばってるとおもうよ。エライね。よく離婚しないでいられるね、とかカナリ他人事的なコト考えてました。逆にマミィにも言えるコトなんですヶドね。よく生きてこれたね、とか。「私小説家になりたいんだよ」と言ったら、「知ってるよ」と言われました。当たり前かな?? デモ本気でそぅ思ってるとゎ絶対思われてないだろォと思ってて。驚き。理解ありますねパピィったら。ぁ、ちょっと眠くなってきたヵモ。モォわかってると思いますが、途中ヵラまともな日本語文字ゎ放棄しました。だって予測変換で打った方が早いんだモン。てぃぅかメェルでまともな文にしようとするとなんか嫌だ。不具合がしょぅじる。眠いので目を閉じた。薄明かりが痙攣おこしたよォにちかちかひらひら。瞬いてる。光と闇のアンバランスが、煩い。
2005.04.30
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◆嬉しいと、ヒトって泣きたくなるイキモノなんですね。いや、違うかな。嬉しいだけじゃなかったかもしれないけど。なんかそれを聞いたら、未練が。いままで少しも考えたコトのない場所に、悩みがいく。未練ができてしまった。考えの変化。私なんていてもいなくても変わんないだろうと思っていたのに。未練が。悲しいのか嬉しいのか、わかんないな。◆もざもざする。もざもざ。もざもざもざもざ。なんか繰りかえすとキモチワルイ単語かもしれない。でも、だからこそ、もざもざなんだ。もざもざするんだ!(何が)◆カラオケ行きたい。ぶっちゃけ、実は応援団です。クラスの代表です。自主的じゃありません。なんていうか。休んでいる間に決められてるっていう、そういういじめです。ちなみに騎馬戦もでます。上にのる役です。←軽いからではなく、身長からして上にのると決め付けられてるのです。低いと他の騎馬と高さ合わないから。徒競走もでます。リレーもでます。むかでもでます。今あげた種目のどれもが、個人種目です。つまり、全員強制の種目はいっこもありません。体力もちません(´ー`)◆なんだか、いろいろなヒトとメェルを交わした一日でした。一気に、同時間帯に送ってくるんだもんなー。ピークがすごかった。五人。無理ですって、隊長。◆甘甘な小説か、ハッピーでふわふわした小説か。思いものを読むのは疲れてしまったけれど、何か読みたい。そろそろ漫画は飽きてきたー。文字を。文章を。追いたい。追いかけたいよ。赤川次郎が読みたい今日このごろ。そして我が家は赤川次郎が好きではない今現在。どうすればいいんでしょうか。今欲しいんですよ、今。今!本屋はすでに閉まっている。(アタリマエ>夜中の三時近く)嗚呼神様、一体どうすれば…………(知りません)◆むぅー。背景描写が、したい。というか景色を。やっぱり、いくらネット的ではないとしても、景色を描写したい。こう思い始めたのはいつからだったろうか。私の頭の中にある空気の雰囲気や、音や、色や、感動を。肌で感じるものを言葉にしたいと思った。伝わればいいと思った。いまもそう思っている。でもな、そうすると。未熟な私は理想に追いつけなくて、バランスが悪くなる。描写の部分と会話のバランスや、説明とのバランスや、全体のバランスや。どうしたものか。でも、わたしは、心理描写よりも空気を大切にしたい。音も大切にしたい。ようは雰囲気を。まとっている空気をそのまま綺麗に描写できたら、いいのにな。
2005.04.26
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◆私はたくさんの人に支えられて生きているのだと思った。その反面、私も誰かを支えられたらいいとも思いましたけど。自分を疎かにして誰かを助けても、相手も苦しいだろうと思う。見えなければいいという問題でもないから。感謝して、まずは、がんばる気力をためようと思います。気力というか、体力というか。回復せんと。資本は身体と申しますし。常に理解して小脇に抱え続ければいけないモノなんですがね、感謝って。支えられている実感とか、生かしてくれているおもいとか。いつだって落としちゃいけないものなのに。結構頻繁に落としてしまいます。まだその「感謝」を自分の胸に埋め込めるほど強くないし世界を見ていないし。年だって食ってません。若いですよーぴちぴちの暴れん坊将軍ですよー。胸に埋め込むのは、まだ無理しない。焦らない。でも常に抱いていたい。抱えていたい。感謝というキモチだけは。感謝を教えてくれたのは、直接は父だ。教え込んでくれたのは、固すぎて扱いにくいほどの常識人の、父です。後天的に私に刷り込んでくれた。父にも感謝ですよね、とても。とても。でも、感謝が実行に移らない。そのおもいは、気持ちは、先天的な、自分の性格であると思う。自分を優先してしまう甘さ。消去しきれない自己愛が邪魔をする。感謝の、感謝のしるしの。親孝行の邪魔をする。難しいなとても。私は自分に甘い。それが本当に命取りになる。現代社会でも甘えは命を奪う。命取りだ。◆私は口では絶対にこんなコト言えません。感謝とか、命取りとか。いつも茶化してしまいます。真剣に言えない。書けるのに。何かを書いている自分と、普段生活をしている自分とでは違う。でもこれはしょうがない。私は小説を手放せない。私は文章を手放せない。言葉も感性もなにもかも。ぜんぶ私のもんだって言いたい。私が生きてきて手に入れた言葉は全部私のもんだから、自由になりたいって暴れる言葉を制御できないから。私は言葉を連ねることしか知らないし。それ以上の娯楽も快楽も苦痛も安らぎも、知らないから。手放せないから。自分のものは。欲張りだし。自由になりたいって、カタチになりたいって叫んでるこんなモノ達を表現する方法を、私はこういうコトしか知らない。書く方法しか知らない。だから普段の私と違っていてもしょうがないと思ってしまう。詐欺じゃない。立体と平面じゃ世界が違う。踊る場所自体が違う。普段の自分と違うのはしょうがない。だって、前提がそもそも違っているんだから。平面の中で私は「こんな自分」で生きること以外知らないし知りたくもないし、立体の中で私は「こういう自分」で自己表現をして主張することしかわからないし、ふたつは絶対に重なるものではないから。喋って歌って動いて泣いて笑っている自分は、水面で泳ぐように踊る文字とは別物だ。鏡に映った自分のように、同じにはならない。かと言って正反対ではなく、文字が躍るたびに歪む水面と同じで、少しだけ歪んで見える。現実で立体の自分と比べたら歪んで見える自分がいる。どちらも自分。人間の脳は宇宙のようだと思う。色々持っていないものがあって、だけど、飽和状態。ブラックホールに捨てるものもあるし、ホワイトホールから呼び戻したい記憶もある。いろいろ。自分の世界を基準にしたら、自分はなんでも持っていることになる。なにとも比べなければ。外界とくらべたりしなければ。宇宙だって、もういっこの宇宙の存在を知らないから比べられないだけで、同じでしょ。全部持っているのかもしれないし不飽和状態なのかもしれない。同じものが何個もあれば、それを観測する何かが現れればわかるのにね。宇宙はもしかしたらひとりぼっちなのかもしれないと思うと、ちょっと可哀相ですね。人間は比べる対象があるのに。ていうか、話がどこまででっかくなっていくんだろう。妄想脳は止められません。宇宙のことを考え出すとちっぽけな自分が恐くなるので終わり。特に夜は、恐いと思う。昔っから変わんない癖をひとつ、いま、見つけました。◆今ね、合作をやらせていただいているので。脳内果てしなくミステリー。神秘です、人間の脳って他人と触れ合うことによってこんなに発展するんだって、神秘。妄想も広がる。だめなんです、書き始めたり、そういう「創作」に触れて自分もやる気になっちゃうと。小説が好きすぎてとまらないし、自分の思考も果てしなく広がってしまって。書くには最適なんですけど、現実問題生活するのは苦しいです。日常圧迫。『そっちの世界』に脳みそまるごと傾いて、色々ごちゃごちゃとして手がつけられなくなる。まだうまく境界をはっきりさせることができない。すばやい切り替えも、大事だと思うのです。小説書いてる人って。小説を書く自分と普段生活している自分とではやっぱり違うじゃないですか。他人の反応も違うし。区別しないと。うまく切り替えられるようにならないと。じゃないと、苦、です。わかってるのになあ。まだトランプにように裏表がはっきりしていない。まだ紙を製作してる途中みたいな物かな。裏も表もない、繊維がどろどろにとけた紙の材料の途中。これから紙になって、色づけして、トランプのようになれるかな。私はどちらの世界も捨てたくない。どちらが欠けても、生きていけない。堅苦しい生き方だなあ、我ながら。
2005.04.20
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◆なんか変な機械音、かな。電磁波みたいなモノかも。音がする。ンピピピピピピピピピンピピピピピピピピピみたいな、音が。あ止まった。強くなってまた遠ざかる。パソコンに向かうと右から左にとおりぬけていく。音が走ってる感覚。なんなんだろう。今はもう聞こえなくなって普段のピーとかウーンとかっていう機械の稼動音しかしないんですけど。でも聴こうと努力すればまた聞ける。おでこが痛くなるけど。(頭ではないところ注意)紺色の水の上でオレンジ色が響いてるような感じの音なんです。わかんないかな。わかんないだろうな……。ちなみに換気扇の音は薄いグレーです。←訊いてません。あの音は自分で勝手に作り出してしまった音なのか、本当に聞こえていた音なのかが気になる。音だけに限らず揺れてる感覚とかでもそうだけど、勝手に勘違いしてソレを本物と間違える時がある。たとえば、揺れてないのにひとりだけ地震になってたり、音源はないし誰も喋っていないのに声や音が聞こえたり。声っていうより歌とかかな。いつも静かな時しか聞こえないから、たぶん記憶の反芻とかで間違って実際に聞こえてると勘違いしちゃってるんだと思う。とてもとても曖昧な声量で。声で。ちなみに幻覚でもお化けの声でもありませんよ。どっちとも聞いたことないので証拠を持ってはいえませんが。感覚を制御しきれない時が、稀に。具合悪い時とかかな。目に視えるものすべてが生々しい色に変わってしまう時とか。つかれてしまうんです。憑かれてしまうという字じゃありませんよ、疲れ、です。昨日もね、眠れずにいたら最近久しく会ってない“蛍光紫の砂嵐”(自分で命名)が見えました。見ようと思っても見れない。ふっと、突然暗闇の中に現れるんです。その、蛍光紫の砂嵐が。本当に見えるんですよ。あるんです、目の前に。見えないけど。赤と青のメガネをかけて、実体に感じるっていう……3D?の映像を見たときと似てる。目の前にあるのに触れない。立ちくらみの時に白いものが視界のふちからしゅわしゅわーって湧いてくるのにも似てますね。蛍光紫の砂嵐さんとは昔からのお友達。物心ついたときから、というヤツです。被害はない。で、どうやら周囲の人は誰もこんなの見えないらしい。これ、暗闇限定です。明るいと見えない。ふわーってなると、急に現れる。竹馬の友。あと、最近ご無沙汰なんですが。空気中に、これまた砂嵐の薄い版みたいな、ちいさな虫の大群の流れのような映像も見えます。こちらはみなさんも見えますよね?運動した後に見えるちかちかした、舞い落ちる葉のような虫じゃないですよ。どちらかと言ったら走ってる。吹雪いた時の景色みたいに。黒いような白いような透明の何かの大群が。ほこりなんかとは違う何かが。そういうのが見える時、人間っておもしろいなと思います。触れないものも勝手に見えてるの。暗さ明るさの調節の所為だったり、残像とかが見えちゃっている所為だったり、まァ他にも色々。確かな理由は知らないけど、まァそんな理由でしょう。何もない空間中に何かがあるの。私の視覚的には。トモダチといる時や騒いでるときは見えないように設定されてる。都合のいいモノですよね。ひとりでいる時は様々なものが見えるし、実物がゆがんでも見える。色も変わって見えるし。だからみんなといる時にそういったモノが見えた時はとても驚くし、絵に色を塗るのは得意じゃない。バナナは黄色、とみんなが言うけれど、黄色に見えない時もあるし。何色なのか理解できなくてよく困る。これは何色と何色を混ぜたらつくりあがるものなのかわからない。でも、黄色じゃないんだって。影をつけるなら簡単に黒を混ぜればいいと考える人もいるかもしれない。でも、黒を混ぜたら影に隠れたバナナの色じゃない。違う、何かが混ざってる色。でも何色が混ざってるのかがわからない。因数分解ができないんだろうな。化合物の分離化ができない。(数学の因数分解が苦手なのは、計算ができないだけというフツーな理由ですが)絵を描いていると、色って頭で認識している「記号名」とは全然違うんだなって気づきます。りんごは赤っていう記号化された認識があるけど、必ずしも赤というわけではない。絵の具をつくった人ってすごいし、色をわけて名前付けしたヒトもすごい。どこら辺で色を見分けるかなんて、確固たる区切りはないのにね。人間の目ってすごいな。これは何色? って聞いて、ほとんどの人が口をそろえて同じ色って言うんだもんな。朱色と赤とワインレッド。これのどれもが違う色なのに、「赤」って名前で統一できる。すごいな、人間の微妙なところの判断力って。ロボットなんて簡単に作れるわけないはずだ。こうしてキーボードを使って文章をパソコンに打ち込むという動作ひとつを取ったってとても難解なことなのだから。脳を理解するのって、カナリ、難しい。でも理解できたら楽しいだろうな。色々、どういう仕組みなのかわかったら楽しい。だから私は理科を選んだのです。理系。物理や生物や化学のために。見えるものが、見えるところだけじゃない。内側も見えるの。原子とか、内臓とか。仕組みが判明するのはおもしろいコトだし、そもそも、それらが複雑なことに意味がある。複雑なコトって大変だけど楽しい。あー…………。脱線の宝庫だ。(いい加減本来の意図からズレすぎて飽きてきた)◆こういうながったらしく、意味もなく、そして脱線しまくる文章の時って大体決まりがあるんです。眠 い 。とにかく、その一言につきます。私が屁理屈で、かつ饒舌になった時の家族はみんな異口同音でこう言います。「おまえ、眠いだろう」と。さすが家族。伊達に16年間同じ屋根の下で生活していません。というわけでそろそろ日記もやめておきます。一気にがーっと考えすぎて、もう呼吸困難。酸素不足。窒息する。脳が。書きたいコトまだいっぱいあったのに、眠い所為でオジャンというのもウケルなー。
2005.04.12
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◆「今は、オトナよりもコドモの方が現実的ですよ。」とか、そんな言葉をどっかで聞いた気がする。テレビにでてたカウンセラーさんかな??覚えてないんだけど。たしかに今のコドモって夢を見るコトがありません。夢を見てるヒトもいるけど、稀。その実現にむかって生きているヒトなんてもっと稀。今のコドモって部分的に早熟であったり赤ちゃんのままだったり、バランス悪いんですよねホント。私、「今のコドモ」だなんて名称……というか代名詞? 日本語よくわかんないなァ……で、今私が見ているコドモは全員今のコドモに変わりはないんですけど、私は昔のコドモとやらを知らないから。知らないくせにどうして比較できるんだって話ですよね実際。「今の」って言葉は比較をするために用いた言葉なのに、比較すべき対象をよく知らない。比較すべき対象をよくわかっていないで比較してしまうというのは、よくあるコトだと思います。知識不足なんですよね。材料が足りないのに料理をしようとしているような感じ。支離滅裂になるのはアタリマエ。ていうか、どうして話がずれるんだろうなァ……。◆ネムイ。四六時中眠い。オカシイなァ……。寝すぎて、もうユメは見飽きました。←れっつダメ人間。というかずっと寝てるので昨日と今日の境目がよくわかりません。うぎゃー。◆最近のみすぎな気がする。私としては、飲みすぎだ。私の体調としてなら飲みすぎです。多分。昼寝(夜寝とも言う)して起きたらみんなに顔が白いと言われてしまう。なので、いい加減病院行かないと。検査だ検査ーわー。
2005.03.26
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◆だるくて、今日はヒッキー。起きてるとロクなコトを考えないので寝てる。兄には えせすりーぴんびゅーてぃー と言われました。どうせならBeautyを強調してくれればいいものを、似非のトコだけ強調していきやがってーうがー。最近オールが多いと言われて、色々疑われる。母に。オトコの話とかね。「ホントにMの家に泊まってるの?」って。いや、まァジュヴでオールもありましたけど。そういうヤバイコトはする相手いないから大丈夫よって言ってあげました。オンナノコって大変ですね、そういうトコロ疑われるの。母は普通が一番平和で、平和を何よりも愛しているので。大人しくしていないとダメみたいです。追試ひっかかっちゃったしねー。パピィとかねー、ちょっと怒ってるしねー。元教育パパだもんね。しょうがないか。家にいるとやるコトなくて疲れる。◆じゃァ小説書けよといわれたらそれまでですが、ナゼかそういう気分にならないのです。今だって、小説開いたけど飽きちゃって、ネットやってる。ネットも最近飽きてきた。外で遊ぶコトが多いせいか、最近パソコンが味気ない。もともとがそんなに触る人間じゃなかったし。これはこれでしょうがないコトなのかな、と思う。高校生って遊びたい盛りデショ。たくさん遊んでいたい。でも遊ぶお金ないけどね。創作に最近みずみずしさを感じないと言うか、味気ないんですホント。新鮮さがないのかな。たぶんしばらくしたらまた小説書きに戻ってきますけど。どうせ禁断症状でると思うのです。だからそれまでは放っておこうかなって。参加表明したフェスタには出ます。ちゃんと。でも遊びたい。あー複雑。◆最近、変わったというか。昔の自分に戻った気がする。アハハ、楽しいねって、笑ってる自分。考えの浅い自分。これはきっと小説を書く上で致命的なコトだけど、でも楽しい。でも昔よりももっと楽しくて、深い。やっぱり高校生になったからかな。思春期は中学高校だって言いますが、実質中学時代が主に思春期なんじゃないかと思います。高校からはもうちょっとオトナになってる。自分もまわりも。だから楽しいのかもしれない。けいちゃんの日記じゃないけど(笑)今、天使と悪魔が戦ってます。楽しいを優先するか、小説や勉強を優先して安定した未来をとるか。でも後者だと苦しくなってしまう気がする。だから、前者をとった方が楽なのかもしれない。けど。前者をとったらお金が飛んでいくんだってば、羽はやしてパタパタと!!_| ̄|○◆でも、やっぱり。高校生として、遊んでいる自分は一番合っていると思う。ジュヴにいる自分よりも小説を書いている自分よりも、家にいる自分よりも。遊んでいる自分は高校生らしい。このまま。小説書くのをやめてしまいそうで、恐い。やっぱりまだ捨てたくないから。でもムリヤリ書いてもそれはダメだと思うし。やっぱり、しばらく放っておくしかないのかー。◆ちゃんと色々、ボーダーラインは守ります。人間として。そのボーダーラインが極めてマジメ人間から遠くにあるのかもしれないってコトは置いといて。親とかは私が色々なコトのボーダーラインを超えてしまうと思ってるのかな。そんなヘマやんないのに。兄から見れば、私は危ないらしい。止められた。けど。私からすれば、全然危なくないコトだ。やばいボーダーラインは越えてない。むしろイイコすぎると思うのだけどね、世間さまから見たら。ちゃんと母親とか、顧みてるよ。そも、我が家のジョーシキが優等生すぎるんだと思う。平和で仲良し家族を目指してるのはわかるけど。高校生にしては家にいる方だと思うし、会話もしてる方だと思う。そこらへんおこたらない。でもま、養ってもらってる身なので。あまり親には逆らわないコトにしておきます。それが礼儀だと思うし、親が望んでるしね。自立できるようになるまでは、大人しくしておきます。でも遊びたいノヨー。◆タバコは吸わない。絶対吸わない。吸わない吸わない吸わない。決意。よし。タバコが嫌いじゃないってトコロが一番痛いよー(;_;)でもヤニくさくなるのヤダし、歯黄色いのヤダから、吸わない。断固。メンソールとかとっても惹かれるけど、惹かれるけど、我慢ダー_| ̄|○トモダチが吸ってると決意揺るがされるよ。でもだめだ。喘息完治するまでは。
2005.03.21
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◆『恋愛は脊髄反射でするものだ』そういう言葉を、とあるマンガで見かけました。ふぅん。じゃあ、理性でする恋というのはなんでしょう。打算?わからないけど。理性でする恋は、不正なのでしょうか。もしその言葉を教科書にするのなら不正解なコトになるのでしょうね。でも、ヒトによって教科書はばらばらだから。一般的なルールは、どれなんでしょうね。自分が好きだと思えばそれでいいとか。そういうありきたりな答えじゃ納得いきません。連帯感を背負ったニンゲンたちの間の正解はどれ?群れをなしているニンゲン同士で共通の答えってどれ?うーん。何を言いたいんだろう?◆勉強会欠席。むぅー。体調不良。今日はトモダチと、特別講師(高二のトモダチ)を呼んで勉強しようと思っていたのですが。ムリっス体調ー。結局さっさと帰宅してきました。明日に備えて。明日はだいじーな、理科総合があるのです。これ以上留年の危機な教科を増やしてはなりません。先生にも、いちおう?認められているようなので。がんばりたいです。「あのコは天才肌だからやればできるんだけどねー」と、私が授業欠席したときにもらしていたらしいので。嬉しいからがんばります♪期待は裏切ると思うけど……( ̄ー ̄;)だってお馬鹿だものー。努力、してないし(ダメ人間)。◆そういえば最近、家にいるのがイヤになっていて。できるだけ遅くまで外にいるコトが多かったから小説を書いていないコトに気がつきました。書かなくちゃ。でも、最近思います。私はそんなに小説のコトがスキなのか?と。周囲に溢れる小説スキスキパワーに惑わされているのでは、と思います。だって他にも楽しいコトがありすぎる。でも、小説は、好きなことはスキです。でもそれがどれほどのモノなのかわからない。今までは小説一番、なによりも小説!って感じだったのに。今、私はなにも持っていない気がする。一時的な感情なのだろうけど。とりあえずわからない状況になっています。まァ思春期ですしねー。思春期は悩む時期ですしねー。ただ、悩んでいるのかどうかもわからないだけ。それもこの年のせい。たぶん。多感な時期だから。◆今日は具合が悪かったからかなんなのか。色合いが薄かった。見えるもの全部。みずみずしさが足りなくて乾いている感じでした。「色が消えていく」「モノクロの世界」とか、よくそういう風に表現されるような現象です。でも私は上記のような表現方法に、しっくりとこない。だって色は見えているし、白黒の世界なんかじゃない。でもいつもと違う。色を見ても何も感じない。ただそこにあるだけ。物体が見えているだけ。色を色として感じない。色が死んでいる。死んでいるだけで、死骸はまだその物体に付着し続けて色を残している。だから色は消えたわけじゃないし、モノクロでもない。ただ、薄いだけ。色から生きている鼓動を感じないだけ。だからキモチが悪いと思うのでしょうか。それともただ単に体調が悪いだけでしょうか( ̄▽ ̄)◆書きたいコトぐらいどこかにあるハズなんですけど。ないー。ドコ行ったんだー。◆苦しさが体中に溢れて、胃に浸透する。キモチ悪い。吐き気がする。ケビョウジャナイノ。ウタガワナイデクダサイ。ホントニ、キモチワルイノ。アアマタカヨッテ、イワナイデ。精神的に、沈んでるみたい。相手にしないでどうぞ。今言っているコト書いているコト、全部本気にとらないでください。たぶん、冷静になってからまた、「あー、やっちゃった」って思うはずだから。わかっていても止められない自己主張。ジコチューなんです。
2005.02.23
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◆タイトルにあるモノを買いました。ついでに、いい加減地味なバッグにも飽きたので派手といわれたバッグを買いました。ちょっと流行遅れかも。りゅうこうおくれ、という言葉がスキです。理由はディズニービデオのシンデレラ。ねずみがシンデレラにドレスを作る(リメイク)シーンで、女の子のねずみが「りゅうこうおくれだわ」とやけに黄色い声で言うんですよ。それがお気に入りなんです。どうして話がズレるのカナァ……。◆痩せた。また。うーん。痩せたり太ったりタイヘンですね、わたし。そのせいか最近頻繁にくらくらします。ゴハン食べないとー。病気ってなんて不条理なモノなんだろうと思う。障害ってなんて邪魔で悲しいモノなんだろうと思う。私じゃなくて、他のヒトの話です。なにもないくせにジメジメしている自分がバカだと思える。でもだからって弱音を我慢したら、ただの責任転嫁。なにもいえない自分の責任を病気や障害のせいにして、同情した風にみせてオシマイ。それはそれでツライものなんだろう。ニンゲンに正解ってないです。ソコが難しい。だから、「どこで間違えたんだろう」って悲しい嘆きは、それこそ間違ってる。どこで、じゃなくて、いつも。絶えず間違い続けているんだと思う。理想の実現なんて、アリエナイ。どうして気づかないのか。気づいているのに気づかないフリをしているのか。気づいてしまったらツライのか。どれなんだろう。◆私はよく、チャンスを自分から逃す。チャンスというかタイミングですね。あ……どうしよう?そう思っている間に話題は次にうつり、発言のチャンスを逃す。ああ言っておけばよかったって、いつも後悔するんですけど。今日も同じあやまちをしました_| ̄|○学習能力ないー(泣)◆どうってことないじゃないのと言われるのが恐くて、それでも自分を確認したくて、こうして無人の機械に語りかけているんだろうなと思う。成長しないな。◆バリバリ未成年ですが。お酒が飲みたくてしょうがない。日本酒。飲みたい。うがー。体調よければ、がぶ飲みしちゃうんだけど。ちくしょう今飲んだら討ち死にだよ!◆お兄ちゃんが次々と受けた大学に受かっていき。去年とは大違いだなと思いつつ、おもしろいです。まさに入れ食い状態!そういったら、「釣りじゃないんだから」といわれてしまいました。祖母に。…………。私は釣りに例えたんだから、それで合ってるハズなんだけど。釣りに例えちゃいけないのかなぁ?ナンデー。◆発光する魚に、ちょっと加筆しました。正体不明だった彼らの正体がやっと判明です。近々、「天使と宝石箱の涙」も加筆修正を試みて一緒にアップするつもりです。ていうか公募したいんです、今年。黙ってじっとしていられないタチなので。それ用の話を書いているんですが、進まない。んー。おもしろい文章ナー。つくれたためしがないんだよなー。んー。目標は最低200枚。箸にも棒にもって結果がわかっていたとしても、とりあえず行動をおこしてみたい。熱しやすく冷めやすい私がもう一年も小説を書いているんですよ。信じられません。そんな希少価値の高いものを、ただの青春の思い出にはしたくありませんから。行動してみましょう。未来の私へ、思い出に彩をたくさん加えておきたいのです。もちろん小説家になりたいという純粋な願望もあるけど。とりあえずの目標は、書きたいモノを書ききるコト!めんどいからって省かないコト!いつもより時間をかけて製作し、同時製作など粗の目立ってしまうようなコトはしないコト!(もうすでにソレは破っちゃってますけど)推敲もしっかりと行い、フェスタにだしているような焦りまくり全開の作品にしないコト!なにより大事なのは、後悔しないコト!!がんばります。でもその前に、学年末とか留年問題とかあるんですよねー。…………………。もっとマジメに学生&勉強やっておけばよかっただなんてちょっと後悔、してますけど。小説がスキだって事実は、どうあがいても変わらないから。飽きやすい私がこんなに長く嵌るコトなんて、稀だから。ダイジにしようと思う。がんばった時間は無駄にはならない。がんばらなかった時間も逆の意味でとらえるなら無駄にならないけど。でもがんばった方が自慢できるから。がんばる。滑稽でもなんでいいや。どうせ思春期だし!(すべてを思春期の所為にしようとしている悪党です、えへ。)
2005.02.10
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◆トモダチの誕生日会をやってました。総勢9人でお祝いされるというのは、とてつもなく嬉しいモノですよね。しかし、まるで幼稚園児の遠足のように列をつくって上野を練り歩く軍団。それが他人にどう見えどれほど迷惑に感ぜられたのか、私は考えるコトを放棄したいと思います。いちいちそんなコト気にしていたら女子高生なんてやってられないヨ!!(こんなコトを日記に書いている時点で気にしているってトコロはつっこまないでください。)でも楽しかったです。カラオケで7時までフリータイムと聞いていたのに実際は三時間だけだったというのを聞いてちょっとぴき、っときましたけど。ていうか、店員さんも「絶対に言いました」とか言ってると態度悪いって言われるからやめた方がいいと思うー。口調をやわらかく、オブラートに包むコトを覚えた方がいい。まァそういうマイナスなコトがあっても総合的には余裕でプラスだったのでいいんですけどね♪大人数でプリ撮ったしー、カラオケで歌いまくったしー、盛り上がったし♪みんなより一足先に帰宅したトモダチから来たメェル。「ゆりは大人だからみんなをなだめてね♪」的なコトが書いてありました。結局なだめる必要はなく、安心安心♪でもおもう。私がなだめたりするときは最終的に後戻りができなくなった時だけだから、あまり期待していると痛い目を見るんじゃないかと(笑)←笑い事?誰かが喋っているときは喋りません。それと同じで、誰かが仕切っているときは仕切りません。ごちゃごちゃと意見や声がまざってうざったらしくなるから。邪魔くさいから。ひとりでコト足りるから。他に役がなくなったときだけ、自発的にうごきます。実はナマケモノです。(知ってるとかイワナイデー◆<注>ここから先、長いです。長いくせにあまり意味はありません。いつものコトですが。『感覚的』なコトを書いてあるので、うん。小説に近いかもしれません。描写的なところがあるし。でも眠いので意味がわからないし、無駄に長いので覚悟して読んでください。読まないのもいい手です。読んでくださるのならとても嬉しいですけれど。うーまただ。また。また、自分の位置が理解できない。それは対人関係の上での「位置」ではなくって、ホントに、位置が。時間の座標的な位置が、わからない。覚えていない。一緒にいるハズのトモダチも、時折間違える。ここにあるハズのない空気を感じてしまう。この友人ではにおうはずのないにおいが香る。困惑する。混乱する。夢と現実の区別がつかないとはよく言うけれど、自分の脳みその世界と現実との境目がよくわからない状況です。「時間」という入れ物のなかに満たされた液体と、その中で個々に揺れる固体の「出来事」。液体はイヴェントとイヴェントとの間をつなぐ移行期間。通常ならば時間は細長く定規のような形をしていて、その中にブロックを重ねるように、一個ずつズレるコトなく連なっていく「出来事」と、それを埋める液体がある。ひとつの時間内にふたつの出来事が存在しないように、イヴェントの起きた順番がひっくり返らないように、過不足なくうめられた細身の「時間」というイレモノ。それが最近ビニール袋のように不定形を成し、中で出来事がシャッフルされてしまっている。間を埋めるはずの液体は出来事というブロックをあっちへこっちへと動かす手伝いをして、逆に作用してしまう。描写がながくなったけれど、今、そんな感じ。とりあえず頭の中のイメージさらけだしてみました。書いていてよくわかりません。今日記を読まれている方々にはさぞ想像しにくい描写でしょう。でも私にはこれでいっぱいいっぱいなのです。悲しいコトに。時間が経過する。それを実感できない。私は今どこどこにいてどんな環境にいるか、把握できない。それは理性的にというよりは感覚的に。見えるモノ、手に入れられる情報から、私はどこにいて何をしているのか、誰といるのかはわかる。けれど、それがいまいち実感につながらない。まるで他人事。いまパソコンに触れて考えて動いていて生きている私が他人なのだとすれば、私はどこにいるのだろう。どこにいるのだろう?それは多分、あたまの中に。いる。私はいったい何人の「私」を飼っているのだろう。たまに、不思議には思いませんか?だってどれも私であるコトに変わりは無いのだから。あなたは何人、自分を飼っていますか。◆おそらく眠いのです。思考能力が落ちているからこうなるのです。触れ合う人間の数が多かった。行き来する意見も多かった。流れ込んでくる映像も多かった。記録しておきたいことも多かった。何種類もの人間がいすぎて、触発されることも多かった。合わせるべき種類も多かった。処理すべき情報が多かった。つまり、頭が効率よくまわっていないというだけ。実感するための余分なところがないだけ。小説を読み終わった後の感覚に似ている。感化されすぎて、自分の性格すら変わってしまう。頭がぼぅっとして小説のストーリーばかり頭のなかであっちへこっちへ移動する。記憶の再認しかできない状況。そして、要するに。考えがまとまらない状態_| ̄|○◆そこにいないハズのヒトたちのにおいがしたりするのは、記憶の混乱がまねいたコトだろうか。アタリマエですが「におい」とは嗅覚をつかって感じる感覚のことではありませんよ。一応。自分が瞬間移動でもしたような気分になる。今までつるんでいたヒトたちから急に離れて違うヒトたちのグループのなかに浸かっている、そんな気分。あれ、ここどこだ? とか唐突に思う。そして確認をする。見えるものをしっかり見て、自分を落ち着けるように確認する。言い聞かせるように確認する。人間っておもしろいな、と思う。こうしてパソコンをさわって文章を書いているのに――私は外界と接触しているのに。私自身は内側にこもってイメージのなかにひそんでいる。外の世界と触れていない。自分の考えをぶちまける、もしくは自分の世界にひたって考え事をしまくるとき、私はとにかくどこまでも内側にひとりでいる。夢と同じ。こういうときの私はひとりで世界を形成している。ひとりの世界にいる。在る。手が動くのは本能的に。手が記号の場所(アルファベット)を覚えてしまうと、後は会話となんら変わりませんね。文章というのは。とくにパソコンなんて速さは言語と同じかそれ以上、の時もあるし。考えてなんて打っていない。会話が頭のなかで一度文章を作ってから喋るわけではなく、ふわっと浮んだ感情や理論をでてくる順番そのままに流しだすのと同じ様。文章というのも、もうここまでくれば同じ。頭で考えついたものが指先からでろでろと流れていく。私の考えがパソコンにしみこんで、ディスプレイに表示されるようなキモチ。おもしろい。同時にキモチワルイ。指先を全部包丁で切り落としてしまいたいような、そんな気分にかられた。◆もしかしたら今日の日記は日記ではなく、私が勝手に考え付いた小説もどきのようなものかもしれない。どちらかと言えば衝動的文章、衝動的小説だと思ってほしい。かもしれない。あまりにもハイになりすぎている気がする。みんなが寝ちゃって話し相手がいないのに饒舌だから、それを会話としてではなく文章として発散しているだけなのだ、きっと。言っている意味がよくわからない。このままだとひとりごとに突入しそうなので、やめておきます。一体これ何文字書いたんでしょう。5000字とかいってそうですね。ていうかそしたらめっちゃウケますけどね。書いたほうも読んだほうも!
2005.02.05
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