無色透明

無色透明

2006.01.28
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カテゴリ: スピリチュアル
今日の屋久島は、春のようだ。

室温は軽く20度を越えている。

今日はカキコ常連のえっちゃんにモデルになってもらう。
残念ながら、ファッションモデルではない。
ここ最近のテーマ、「怒り」「恐怖」「傷つくこと」に関して、実社会の中で体験があったようだ。
それを逐次コメント欄に書き込んでくれた。
それらを見ながら、実際の実例で更に深く検討してみたい。

まず初めに、これまで書き込まれたコメントを順を追って掲載する。


「誤解から怒りが生じ、その怒りから、増幅した怒りが戻ってきた・・・
というまさに先日、今日の日記の体験をしました。
それも、親しさを感じていた相手への、半分甘えからの怒りでした。
ああ誤解だったねと笑って済ませてもらえるだろうという甘えから言ってみた怒りでした。
誤解が悲しくて、怒り風に表現しましたが、怒りのエネルギーは込めてなかったつもりでした。
ところが、ものすごいパワーの怒りが返ってきました。
関わりの破局という決定的な怒りの前に、唖然とする私の頭の中で、私の発する言葉や想いのカタチと、受け取る相手の受け取るカタチの落差、相違に私自身の発するカタチに対する私自身の把握すら、信じられなくなり、自分が分からなくなる。
自分が思う自分は違っているのか?
という疑問まで浮かぶ。
私が軽いと思って発する言葉の重さを計量ミスしているのか。
今、私は自分自身すら何者か見失いそうな状況です。

人と極力関わらない生き方を自分に課そうとしています。
ただ、不安すぎて、ここには書き込みしてしまいましたが。」

「ひとつの恐怖が、八方塞がりの状況を形作る。
それが、思考のなせる罠にはまった私でした。
傍で今、冗談を言い合ってる久しぶりの友達も、本心はどうなんだろう?

人の想いを正しく受け取れているか・・・
自分の想いを、正しく受け取ってもらえてるか・・・
懐疑は深まる。
けれど、自分に見えたもの、自分が感じたもの、自分が心で受け取ったものを、そのまま受け入れればいいということでしょうか?
自分を信じてやるしかないという事でしょうか?
私の今回の失敗で、別の第三者に、私が巻き込んでいた第三者に、迷惑が及ぶ事を恐れていました。
いえ、それによって私が無くす、別の信頼関係の破局を恐れていました。
私の失敗による第三者への失礼を詫びる私に、第三者は縁がなかったのよと流してくれる。
亀になるつもりの私に、また楽しい事をよろしくって言ってくれる・・・
額面通りに受け取ろうと思います。
失敗は次のステップを慎重にしてくれるでしょうか?
また、思い立ったが吉日で、人を巻き込むお祭りをドンヒャラ始めてしまうでしょうか?
失敗を活かせる私になりたいと思います。
亀になってた方が、世の中のためかも知れないけれど。」

「私は、どんなスピリチュアル的超能力も要らない。
どんな、摩訶不思議体験もいらない。
信頼と思いやりで心満たしたい。
そしてそれが揺るがないものでありたい。
気負いもなく当たり前の状態で持ち続けたい。
誰もがそうであれば、それが地球に奇跡をもたらすかもしれない。」

「いくら、思い込みをはずして・・・と思っても、やはり自分の人格を、詮索好きのいやらしい奴のように取られたのには、一言文句を言ってしまった。
言葉は難しい。
遠慮もあって、私がやや下手からゴニョゴニョ言ったかと思える。
いやらしい奴に相違ないと言葉のニュアンスで決めてかかったかも知れない。
きちんと訂正すればよかっただけなのかも知れないけど、自分の見られ方が切なすぎて、文句を言ってみたけれど、内心は腹立ちより悲しかっただけ。
言葉は発せられた瞬間から、もう一人で走り出す。
言葉爆弾が帰ってきてからあわてても、時すでに遅しですね。
本当に、慎重に生きなければいけませんね。
言葉も選ばないといけない。
その辺は、子供のようにストレートには出来ない。
心をオープンにしても、自由と野放図は違うという事ですね。」


ストーリーを整理すると・・・
すべてはここからスタート。
「やはり自分の人格を、詮索好きのいやらしい奴のように取られたのには、一言文句を言ってしまった。」
それは、
「親しさを感じていた相手への、半分甘えからの怒りでした。ああ誤解だったねと笑って済ませてもらえるだろうという甘えから言ってみた怒りでした。」
ところが、
「ものすごいパワーの怒りが返ってきました。」
ただ、
「自分の見られ方が切なすぎて、文句を言ってみたけれど、内心は腹立ちより悲しかっただけ。」
その結果、
「関わりの破局という決定的な怒りの前に、唖然とする私」
そして、
「自分が分からなくなる。」

自分の人格を詮索好きのいやらしい奴のように取られたことは、黙って見過ごすことはできなかったようだ。
まさか自分が「詮索好きのいやらしい奴」とは思ってもいなかった。
だから、そのように言われた時、思わず反論してしまう。
もちろん、普段から自分は詮索好きのいやらしい奴ではないと意識しているわけではない。
しかし、そう言われると、そうではないと反論せずにはいられない。
ということは、どこかに自分は詮索好きのいやらしい奴ではないという意識があることになる。
いつもは意識されていないけれども、自分はそんなにひどい奴ではないとか、そんなに悪い人間ではないという自己正当化があるのではないだろうか。
それがなければ、「詮索好きのいやらしい奴」と思われても、すぐに反応することはないだろう。
人は自己保存の本能から、何かにつけて自己正当化しようとする。
それが普通の意識状態に他ならない。

その思い込みを否定されると、自分の全存在を否定されたかのように思って、人は怒ったり反論したりする。
すべては自分を守るための行為。
まずその根本を抑えておく必要がある。
人は常に自分を守ろうとする習性がある。
それが自動的に反応し、往々に問題を引き起こす。

他人のことであれば、聞き流すこともできる。
ところが自分のこととなると、そうはいかない。
相手の発言に引っかかってしまう。
それは自分に対する思い込みがあるからに他ならない。
思い込みがなければ、即座に反応することはない。

反応してはいけないと言っているわけではない。
自動的に反応するということは、自由意志がないに等しい。
単なるロボットに過ぎない。
思い込みが反射的に反応する。
思い込みが多ければ多いほど、反応も出やすくなる。
つまり、人は思い込みに拘束されているようなもの。
どこにも自由はない。
思い込みで身動きがとれなくなっている。
その事実を自覚する必要がある。

相手の発言が誤解であれば、冷静に誤解を解く努力をすればいいだけのこと。
ところが、反射的に反応が起きてしまうと、それができなくなる。
軽い怒りが、怒りの連鎖反応を呼んでしまう。
それが思いもよらぬ関係の破局にまで至ってしまう。

怒りは自分を守ろうとする習性からくる。
相手の怒りに対して、自分を守るために怒りで反応する。
すべては、自分を守ろうとする意識の反映。
お互いが自己保存の本能を前面に出せば、必要以上の摩擦が起きる。

主観とは、概ね自己中心的なものだ。
自己中心的とは、自分を守ろうとする意識。
すべての発想が、そこからスタートしている。
そこには客観性はない。
自分のことが第一。
それがオートマチックな反応を引き起こす。
そこを肝に銘じて理解する必要がある。

周りの人との関係も、問題は周りの人ではない。
自分の視点なのだ。
常に自分を守ろうとする視点から発想していないだろうか。
それが周りとのトラブルを引き起こしてはいないだろうか。
もう一度よーく見つめてみるといい。

自分を守ろうとする視点も否定することはない。
それはそれで必要な視点だ。
しかし、それだけでは周りと摩擦が起きてしまう。
自分と周りを共に生かす視点が必要なのだ。
それがないと社会はうまく機能しない。
お互いに生かし合う視点がある時にのみ、社会はスムーズに機能する。
たとえ相手にその視点がない場合でも、それは自分にもなくていいという言い訳にはならない。
相手の問題ではなく、問題は自分の視点なのだ。
視点が自己中心的になっている限り、トラブルは避けがたい。
なぜなら、お互いにそうであれば、ぶつからない方がおかしいのだから。
お互いを生かすという視点が、バランスのとれた社会をつくる。

信頼と思いやりをベースに生きたかったら、まず自分のありのままを理解することだろう。
自分を守ろうとする意識が潜在していることに気づかないままでは、信頼と思いやりは絵に描いた餅となる。
自分の意識状態を本当にこまやかに観察し、理解する必要がある。
常に自分を守るための行為かどうかチェックしてみる必要があるのではないだろうか。
それほど自分を守ろうとする意識は根強い。
そして、根強いだけではなく狡猾でもある。
不注意であれば、気づかないうちに自分を守ろうとしている。
すべての発想、すべての行為が、そこから出ていないだろうか。
よくよく注意する必要がある。

ハートからの行為のつもりが、実はその裏に自分を守ろうとする潜在意識が隠れていたりする。
それほど自己保存の意識は根深い。
それが悪いと言っているわけではない。
それは問題を引き起こす原因であると言っているに過ぎない。
その原因を自分の中から発見することではないだろうか。

亀になっても何の問題解決にもならない。
傷つかないために心を閉ざしても、惨めになるだけだ。
自分の心を深く理解すれば、全開で生きることも可能だ。
自己保存の本能と一体化した思考に翻弄されているだけなのだ。
そこを理解することだろうか。

常に自分を守ろうとする視点から反応する自分に気づく。
そんなにまでして自分を守らなくても、生きていける。
逆に、そんなにまでして自分を守ろうとすることが、生きることを難しくする。
自分と周りの人の両方を生かそうとする視点は、生きることを楽にする。
自分だけに偏ると、人生は苦しくなる。
自他という両方に意識が向くと、楽に生きていける。

共に生きる。
一緒に生きる。
それが楽な生き方だ。
それが平和な生き方でもある。
意識が自分に偏りすぎると、アンバランスになる。
肉体の自己保存の本能のために、ややもすると意識は自分に偏りがちになる。
すぐに自分を守ろうとする。
それも必要だけれども、それだけでは足りない。
個と全体が共に生きるには、自己保存の本能だけでは足りないのだ。
理解とハートが必要なのだ。

周りの人がどうであろうと、自分は常に冷静に生きていくよりない。
自他の両方を生かす視点で生きていくしかない。
それが自分の幸せにつながる。
それが周りの幸せにもつながる。
すぐに自分を守ろうとする傾向に、よくよく気をつけることだろうか。
それに翻弄されて自分を見失わないように注意する必要がある。
ゆっくり進めばいい。
気をつけながら・・・

『身を守る 姿勢は 常に傷ついて 怒りとなったり 恐れとなったり』

『守ろうと すればするほど 傷ついて 心のやすらぎ 見つけ出せない』

『自他共に 生かす道のみ お互いが 平和で楽に 生きられる道』

これが392日目の心境です。







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Last updated  2006.01.28 18:41:59
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Comments

難しいね?@ 人はなぜ生まれてくるのですか その答えを探すためでわ?
emi☆@ タイムリー 先週、ちょっとしたことがありました。 …
風の彷徨者@ Re:そうだったのですか ぴあのさま そういう事情だったのですね…
ぴあの@サファイア @ Re:あれれ??2(06/13) 風の彷徨者さん >今見たら元に戻ってい…
風の彷徨者@ あれれ??2 今見たら元に戻っていました。 こちらのP…
風の彷徨者@ あれれ?? 日記の感じが(テンプレート?)が変わり…
風の彷徨者@ Re:2718日目 - 神聖ゴールデン貫入 石屋…いやいや(笑)水晶屋の 魂仕組みは奥…
ポプラ@ ヒマラヤグリーンDTマスター 私もこの水晶を毎日のように眺めてはぞく…
風の彷徨者@ Re:2716日目 - 運命の水晶 「その秘められた可能性を理解すること…」…
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