無色透明

無色透明

2006.01.31
XML
カテゴリ: スピリチュアル
「見つめること[1]」の続き

次のメール。

「昨日と今日のブログもこころに響きました。
いろんな示唆に溢れてました。
どうもありがとうございました。

この前は、恐怖を見つめていて、恐れている私は何も信頼していず、なにも愛していないことがわかりました。
イメージの中にいて、いつも今ここに生きていず、見えているようで見えていず、聞いてているようで聞いていない。
恐れる私は暴力的で、支配的で、狡猾で、色んな形を使って事実に対面する事をごまかそうとするということも見えてきました。

はじめはショックで、否定したり、どうしたらいいの?と、さらにそこから逃げようとして、考えては、混乱したり、絶望的気分になったりしました。

昨日のブログで、それから逃げ出そうとする事がどんなものであるか、気付けたように思います。

恐れが現れたときに、まだまだ浮き足立つけれども、気付くこと、気付こうとすることが興味深くなりました。
今日は、ゆっくりゆっくりやっていこうと思えました。

屋久島から戻ってから、毎日のようにちょっとした事で涙が出てしまいます。
時にはワンワン泣き出す始末、こんなにこころが揺れ動いて仕方ない事に戸惑っています。
そんなときは屋久島から拾ってきた大き目の珊瑚がずいぶん助けてくれています。
(抱きしめると落ちついてくる!)

この数日、すっかり寝不足気味だったので昨夜は早めにゆっくり寝ました。
今朝、Kimiさんが夢に現れて、もっとらくーに生きなよって笑ってました。
意地になっちゃってるよ、って。
笑ってしまいました。


欲望。
びっくりした。これが欲望だったのかー、安全への欲望というものがあるなんて、気付けなかった。
私は安全を欲していたってこと?

そうです、そう、自分を必要以上に守ろうとしていたんだな。
必要以上、それが欲なんですね。


でも今日は仕事をしながら、確かめてみました。
安全ではないと感じていたけれど、ちゃんと何者にも脅かされないで仕事をしていた。
よくみてみると、なにも、誰も、私を傷つけようとしてなかった。
かえって気遣い、大事にしてくれていました。
訪問を終え、見上げた空はとても青くて、三羽のすずめ達がさえずりながら突然飛びたち、西の空へ仲良く消えていきました。
些細なあたたかさや思いやりが沢山見えてくる。
改めてありがたいなと思いました。

過去の痛みの記憶と、増殖しているイメージが、ずっとわたしの目を、今ここに立っている事を見えなくさせていたこと。
何も感じさせなくしていたこと。
何も受け取れなくしていたこと。
やはり、思考には愛を受け取り、感謝が生まれる場所などないんだなと、それがまた明らかになりました。

私が傷つくということ。
今日のブログの一つ一つの問いかけに、自分を見つめながら、あらゆる場面で、いろんな人といる時にも、一体自分をどう思い込んでいたのか、どうありたくなかったのか、同時にこの思考の巧妙さの初めから終わりまで、自分なりにゆっくり一つ一つ大切に見つめてみます。
そうして、イメージがない状態ってどういう状態なんだろう?

こころが傷つくということ。
改めてこころとはなんだろうと思った。
こころが傷つく。

そして、この胸の痛みはなんでしょうか?
たとえば、とても苦しがっている人の前で、どうしようもできない時。
誰かの中にどうしようもない苦しみとか、悲しみがあると感じられたとき。
好きな人に、心を閉ざし、心にもない事を言ってしまった時。
相手を大切に出来なかったと感じたときに。
そして、これは自分の痛みなのか、相手の痛みなのか解らなくなる時。

今まで、この胸の痛みをどうにかしようとし続けてきたのだなって思いました。
でも、そこから逃げ出そうとすることで、なにもかもすべてかき回してばらばらしてしまっていたんだな。
この胸の痛みはそのままに、ただ丸ごと感じてあげるだけでよかったのかもしれない。
ただそれと一緒にいるということが出来なかったんだな。

ブログを読んでそう感じたのでした。

自分の中におきている、数々の思考を理解するということ。
本当に理解することが出来るのは?
起きた痛みをかき回さず、そのままにして包んであげられるのは?

あっという間に時間がたってしまいました。
Kimiさんヒントをありがとうございました。
一つ一つゆっくり注意深く見つめてみます。」


ありのままの自分と直面すると、いろんなことが見えてくる。
思ってもみなかったような事実。

何も隠さず、何も持たないで他者と真っ直ぐに向き合うことを恐れ続けてきた。
何も信じていない、何も信頼していない。
自分の中にある怒り、恐怖、心の傷・・・
常に自分を守ろうとしていた。
その結果、生きること自体が恐怖と言えるほど、生きることを怖がっている。
幼い頃の恐れ。
いろいろ言い聞かせてきたにもかかわらず、解決されずに残っている恐怖。
事実を見ず、ただイメージの中に浸っていただけ。
それが何も感じなくさせ、何も受け取らせなくしていた。

人は思いの世界に浸っている。
自分の世界に浸っている。
目の前の現実を見ながらも、事実と共に生きてはいない。
自分の思い込みの世界で生きているだけ。
自分流に解釈し、自分流に判断し、自分流に反応している。
事実をそのままストレートには見ていない。
常に自分というフィルターを通して見ている。
そのフィルターこそが、まさに自我。
意識の周りを覆っている雲。
良くも悪くも、それが自分。

実際は、自分と思っている自分でしかない。
それもまた思い込み。
全て思い込み。
傷つくことも、恐れることも、怒ることも・・・
全て思い込み。
全ては思い込みから発している。

自分を深く深く理解していけば、人はシンプルになる。
ただ意識があるだけ。
その周りに、多くの記憶や思考や感情がある。
しかし、自分は記憶でも思考でも感情でもない。
その全てであり、その全てではない。
意識は、意識。
ピュアーな意識。

恐れが潜在的に人の人生を支配している。
元々は自己保存の本能に源を持つもの。
それが思考と合体し、必要以上に増幅される。
恐怖のあまり、足下の事実を見ることさえできない。
人は事実と共に生きてはいない。
恐怖がつくり出す幻と共に生きている。

人は、今ここに生きてはいない。
人が生きているのは自分ワールド。
イメージの世界。
ありのままのリアリティと共に生きている人は少ない。
ほとんどの人は現実を自分ワールドに引き込んで生きている。
人は自分ワールドから出ようとはしない。
安全な自分ワールドで孤独に生きている。
リアリティに直接触れようとはしない。
怖いから・・・

思い込み、イメージ、観念・・・
そういう世界の中で人は生きている。
それが自我という幻想。
自我の壁。
その壁を打ち破ることができるだろうか。
恐怖という壁。
自分を守るという壁。
執着という壁。
自分本位という壁。
多くの壁に囲まれて、人は生きている。
そこが安全だと信じて・・・
いや、壁の外を知らないで・・・

子供の頃には壁の外で遊んでいた。
怖いものを知らずに生きていた。
ところが、いろんな怖い経験を積み重ねる中で、いつのまにか自分の周りに高い壁を築いてしまった。
気がつくと、それは砦(とりで)になっていた。
自分という砦。
自我という砦。
その中は安全だと思われる砦。

しかし、その砦も常に危険と隣り合わせだった。
いつ攻撃されるかわからない。
常に防備を忘れることはできなかった。
少し気を緩めれば、その隙を衝いて砦の深くまで攻め込まれる。
その度にボロボロに傷ついた。
いかに心を閉ざすか。
いかに心を開かないか。
それが重要な課題だった。
しかし、それでは恋もできない。
友達をつくることさえできない。
ほんの少しだけ、安全と思われるだけの隙間を開けておく。
いつでも閉められるようにして、その隙間から外と付き合う。
心を全開にするなど、夢のまた夢。
そんな危険なことは考えることすらできない。

程度の差はあれ、それがほとんどの人の人生。
それでいいのだろうか。
それで本当に満足なのだろうか。
そんな一生でいいのだろうか。
何も悔いは残らないのだろうか。

もしそんな人生では満足できないのなら、もう一度自分自身を見直してみるしかない。
これまでの生き方を振り返り、これからの生き方を決めた方がいい。
別に、どのように生きろとも、どのように生きてはいけないとも言うつもりはない。
どのような人生も、それぞれの人生。
別に今のままでも悪くはない。
でも、それでは真に満足できないのなら、別の生き方を模索してもいい。
まったく新しい、これまでとは次元の違う生き方。
それが可能かどうか、試してみる価値はある。

屋久島へ来ると、涙もろくなる?
自然に癒され、本来の自分へ戻ろうとする?
泣くがいい。
涙を流すがいい。
思いっきり泣くがいい。
涙と共に心の傷は癒され、本来の自分が甦る。

元々、人は傷ついたりはしない。
常に光り輝いている。
ただ、その周りを厚い雲が覆っているだけ。
思い込みという雲が・・・

その雲を取り除けば、そこには燦然と輝く光がある。
雲の上には青空が広がっている。
青空の中には常に太陽が輝いている。

思い込みが外れてくると、物事がありのままに映る。
自然の美しさがストレートに入ってくる。
幼子のいのちの発露が感じられる。
全てが美しい。
迷いの霧が晴れれば、全ては美しい。

『目が覚めて 瞳に映る 美しさ 自然と共に 生きる幸せ』

『人類の 迷いを覚ます 稲光(いなびかり) 人の心の 最奥(ふかみ)を照らせ』

『手放して 手放し抜いて 手放して 最後の最後に 何が残るか・・・』

『見守って 涙と共に 手放せば 涙の海に 浮かぶ朝陽(たいよう)』

『手放して 手放し抜いて 行き着けば 裡から溢るる 万感の愛』

これが395日目の心境です。







お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2006.01.31 14:14:19
コメント(10) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

Comments

難しいね?@ 人はなぜ生まれてくるのですか その答えを探すためでわ?
emi☆@ タイムリー 先週、ちょっとしたことがありました。 …
風の彷徨者@ Re:そうだったのですか ぴあのさま そういう事情だったのですね…
ぴあの@サファイア @ Re:あれれ??2(06/13) 風の彷徨者さん >今見たら元に戻ってい…
風の彷徨者@ あれれ??2 今見たら元に戻っていました。 こちらのP…
風の彷徨者@ あれれ?? 日記の感じが(テンプレート?)が変わり…
風の彷徨者@ Re:2718日目 - 神聖ゴールデン貫入 石屋…いやいや(笑)水晶屋の 魂仕組みは奥…
ポプラ@ ヒマラヤグリーンDTマスター 私もこの水晶を毎日のように眺めてはぞく…
風の彷徨者@ Re:2716日目 - 運命の水晶 「その秘められた可能性を理解すること…」…
emi☆@ Re[1]:こんばんは^^(06/09) 光のkimiさん >emi☆さん >>100万アク…

Keyword Search

▼キーワード検索


© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: